幸せは、失ってから初めてそれと気づくものだ。そんな言葉が頭に浮かんだ。
それをなくして初めて、大切だったと、かけがえのない物だったと気づくのだ。
どんなに手をのばしても、大切なんだと声を枯らして叫んでも、それが戻って来ることはない。
だからきっと、幸せとは日常の事を言うのだろう。
何気ない日々でも自分がいて、大切な人達がいて、何事もなく一日が終わり「また明日」と手を振ること、それが幸せなのだろう。
だから小さい事、何気ない事への感謝を忘れた者から、「幸せ」を忘れるのだ。
そこにあるのに、手に持っているのに、他を羨み、目を反らしてしまい、いつの間にか見ているのに見えなくなってしまうのだ。
…失ってからでは遅いんだ。
なくしてから気づいても、あの微笑みも、暖かい手も、最後にした約束でさえもう叶わない。
残るのは後悔だけだ。どうしてもっと噛み締めなかったんだ?どうしてもっと大切にしなかったんだ?
どうして、どうして、どうして…。
俺は間違えた。あんな日々がずっと続くと思っていた。失う前に…気づくことができなかった。
「母さん、かあさん!
返事してくれよ、今日も、今日も帰ったら
パン焼いてくれるっていったじゃんかよ!」
もうこの声はとどかない。返事は返ってこない。その目は閉じられたままだ。
もし叶うのならば、もう失わないように、後悔する事がないように…
「はっはー! 上がりだ!
俺の勝ちだな!」
京都に向かう新幹線の中、金髪にピアスという到底小学生には見えない格好をした男の子
──上杉風太郎は、そう言って騒いでいた。
これから修学旅行に向かうのだ。
父親の立派なカメラもこのためにくすねてきたし、以前から気になっていた女の子とも同じ班になる事が出来た。
前日は柄にもなく楽しみで寝るのが遅くなってしまった。それで寝坊しかけたことは笑えないが。
とにかく、テンションをあげるなという方が無理だったのである。
家が貧乏な風太郎にとっては記憶に残っている限り人生で初めての旅行だ。
楽しい日々になる、そのはずだった。
…だが、始まってみればどうだ?
何の事はない、気になっていた女の子には自分よりもずっと親しい様子の男子がいた。
自分に向ける表情とは違う、そう気づけば、それが何を意味するのかは明白だ。
──期待するだけ無駄だったということだ。
落胆よりも惨めだ、という感情が先に来た。
なにも知らずに一人で期待して、現実を突きつけられた。
小学生だった俺の淡い想いは、恋に成長することすらなく儚く散ったのだ。
…惨めだなぁ
気づけば班を抜け出し、一人で京都を歩いていた。
あそこに居たくなかった、もうこれ以上あの二人を見ていたくなかった。
…つまり、逃げ出したんだ。
カメラに写される景色は綺麗だ。観光名所の写真、華やかで、賑やかで、明るい。
誰が見たってそう思うだろう。
そこに撮影者の気持ちなんて写らない。
レンズから目を離し、ため息をつく。
そのままシャッターをきっていたら明るい写真が撮れていたであろう景色も、今の自分の目にはそうは写らない。
皆楽しそうに笑っている。隣にいる誰かと話し、写真を撮って京都を満喫しているのだろう。
自分とは違う、そんな姿はひどく眩しく、そして羨ましかった。
──視界の端を真っ白な影が横切った。
タタタッとそんな足音が喧騒の中にあっても嫌にはっきりと風太郎の耳に届いた。
今年小学校に上がった妹と同い年ぐらいだろうか。
真っ白いワンピースに身を包んだ少女だ。
脇目もふらず、そんな言葉がぴったりの様子で走っていたその子は、風太郎の見ている先で
──勢い良く転んだ
「おいおい…。」
足を挫いてしまったのだろうか、その少女はすぐに立ち上がろうとしたが、また倒れてしまう。
…それなのに、彼女の周りに助けようと動く人は居なかった。
誰も彼も、まるでその少女が見えていないかのように素通りしていく。
楽しげな人々のなか、一人で倒れたままの少女はひどくその場に不似合いだ。
…あいつも、一人ぼっちか
見ていられない、そう思って立ち上がっていた。
いつもなら、「かわいそうだな」くらいに思っただけでそのままにしていたかもしれない。
ただ今は、今だけは放っておく事が出来なかった。
「おい、どうした
……大丈夫か?」
声に反応して、少女は顔を上げた。
目が大きく、薄い赤色の髪をした少女だ。
目に涙をためながらも、泣いてはいない。
必死に痛みを堪えているのだろうか。
…強い奴だ。
「おにいさん、だれ?」
「俺の事は良いだろ、今はお前だよ。
…立てないのか?」
「…うん。」
「はぁ…、取り敢えず運んでやるから背中
乗れ、それくらい出来んだろ。
いつまでも道の真ん中じゃ不味いだろ。」
どうにかして背中に乗る事が出来た少女を先程までいた場所に連れていく。
軽い、見たところ同い年くらいであろう妹と比べても随分軽い気がする。
充分にご飯を食べられていないのだろうか。
階段に座らせ、足の怪我の様子を見る。
──酷いものだった。
膝は擦りむけ、血が出ている。
右の足首は、やはり挫いていたようで赤く腫れ上がっていた。
この怪我で良く泣かなかったなと思い見ると、涙は目から今にも溢れそうで、唇を噛み締めて我慢している。
…やはり、とても痛いのだろう。
「痛いなら泣けば良いだろ…。
こんな怪我じゃもう歩けないよな、早く帰った方が良い。
送ってってやるから、ほら、家何処だよ」
「やだっ!」
「いや、嫌だって…。」
早く治療した方が良いと思い、家まで送ってやると言うのに、強く突っぱねられてしまった。それからどんなに言っても「嫌だ」の一点張りだ。
…そろそろ周りの目が気になってきたんだが
「おっきいおてら、いかなきゃ
いけないの!」
「だからその足でどうやって行くんだよ。
帰った方が良いぞ。」
「いくんだもん!」
「そうかよ、なら俺はもう知らねーぞ。」
良かれと思って言っていることに反発され続け、つい強く突き放したような言い方をしてしまった。
妹と同じくらいの女の子に何をやっているんだ。
背を向けてすぐに後悔した。どうにかして説得してやろうと振り向く。
目に入ったのは、怪我をしているのにも関わらず歩こうとした少女がバランスを崩し倒れる姿だった。
「…あぁっ!もう連れてってやるから動こうとすんな!」
「ほんとっ!?」
駆け寄りそう言うと、今度こそ泣きそうだった少女の顔がパッとほころんだ。
「あぁ、その代わり行ったらすぐ帰るんだ
分かったな?」
「うん!」
「んで、何て言う寺にいけば良いんだ。」
「えっとね、おっきいおてら!」
「嘘だろ?名前分かんねぇのかよ…。」
「♪~、♪~」
背中の上の奴はさっきから随分とご機嫌だ。
…呑気な奴め。
あれから聞いてみると、どうやら特定の寺とかではなく本当にただ大きい寺に行きたかっただけらしい。
「おっきいおてら!」しか言わないから理解するのに随分時間がかかってしまった。
「おにいちゃんのかみのけ、なんできいろなの?」
「黄色じゃねぇ、金髪だ。」
「きんぱつ? きんいろなの?
ん~、きいろだよ?」
「金色なんだよ。」
何が面白いのか人の髪の毛をいじりながらころころと笑う少女相手にはどうにも強く出られない。
取り敢えず今は清水寺に向かっている。
っていうか俺もでかい寺何てそこ以外に知らないしな。
「ねぇねぇ、きいろだよ?」
「…もう黄色でいいさ。」
最近の京都は風情がある、と言いきるにはいささか人が多すぎる。
特に外国人観光客の多さは異常だ、正直もう酷いときなんて京都には日本人よりも外国人の方が多く要るんじゃないかと思う程だ。
本殿まで行く坂を人の多さに辟易しながらのぼる。
坂を上り始めてから上り終わるまでに背中の上の奴が色んな物に目移りするから大変だった。
特に土産物屋の前からは大変だったな…
そのまま素通りしようとしたら耳元で騒ぐのだ。お前ここに何か用事があったんじゃないのか。
「おっきい!」
「…そうだな。」
疲れていたとしても今まで写真でしか見たことのないものを実際に見ると感動もひとしおだ。
だから観光地というものは人気なのだろうか
「それで?
何かやることあるんじゃないのか。」
「かみさまに、おねがいごとするの!」
「お参りな。」
少女の要望通りお参りをする。
おい、背中から身をのりだすな危ないから。
なに?お賽銭入れたいって?
…しょうがないな。
俺もまぁ、何か祈っておくか。
そうだな…、あの二人仲悪くならねぇかな。
…罰当たりそうだわ。
「あ、あれなに?
みたいみたい!」
「用事終わったんだからもう帰るんだぞ。」
「やだっ!いーきーたーいっ!
ねぇおにいちゃん!」
「あぁもう!分かったから耳元で叫ぶんじゃねぇ!」
用事が終わって帰らせようとしたら、我が儘を言い始めた。耳元で叫ぶから質が悪い。
周囲からは多くの微笑ましい物を見るような視線を頂戴している。
仲の良い兄妹とでも思われているのだろうか。
…勘弁してくれ、俺の妹はこんなに騒がしくないぞ。
結局我が儘を聞いて他の所にも行くことになってしまった。
あっちに行きたい、こっちに行きたいと休みなく言うもので、それに付き合っていたら気づけば随分と時間がたっていた。
もうかなり傾いていて、夕陽といっても差し支えない様子の太陽に目を細め、背中の少女に声をかける。
「おい、そろそろ帰らないと不味いだろ。
そもそも寺に行ったらすぐ帰るっていう
約束だったんだぞ。」
「う~、まだおにいちゃんといっしょにい
る…。」
そう言って唸る少女に、少し笑みが溢れる。
随分と絆されたものだと自分でも可笑しくなってくるが、これ以上甘い顔は出来ない。
流石に暗くなるまで小さい女の子を外に出しておくわけにはいかないのだ。
「そんなこと言ってもダメだ。
ほら、もう帰るんだぞ。」
「…うん。」
そう言うと思ったよりずっと素直に従ってくれた。もうこれ以上ごねても無駄だと悟ったのだろうか。
まぁ、一人で歩けない少女をそのまま帰らせる事は出来ないので、家まで送って行くことにはなるのだが。
と、バス停に向かう途中で、財布を探しているのか、先程からごそごそやっていた少女の動きが唐突に止まり、その代わりにおそるおそるといった調子で声をかけられた。
「お、おにいちゃん…。」
「…なんだよ。」
なんとなく嫌な予感がしつつも、聞かない訳にもいかず、そう返事をすると、返ってきたのはもう頭を抱えたくなるような言葉だった。
「おかね…、もうない…。」
「大体あそこで御守り五つも買ったのがダメだったんじゃねーの?」
「うう…、でもみんなのぶんもいるもん…。」
「皆って家族か?それにしても多くねぇ?」
「おおくないもん!いつつごだからぴったりだよ!」
「え?五つ子って…、マジ?」
バスに乗れず帰れないことが判明した後、仕方なく周辺にあった公園にきていた。
そして元凶は今ブランコにのってご満悦だ。
足怪我してんのに大丈夫なのかね?
「そういえばお前…、何で寺に行きたかっ
たんだ?別に観光したかった訳じゃない
だろ?」
「かんこー?」
「いや、それはいいだろ…。
それで、どうなんだよ。」
ずっと気になっていたことを訪ねてみる。あそこまで頑固に寺に行くんだと言い張るなら何かしら理由があるんだろうと思ったのだ。
「…あのね、おかあさんがげんきないの。」
「…あぁ。」
「みんなしらないけどね、よなかにこっそりおくすりのんでるの。」
「だから、だからね?
かみさまにおねがいして、おかあさん、
げんきにしてもらいたかったの!」
「…そうなのか。」
少女はそれからつっかえつっかえしながら、彼女の家族のことを話してくれた。
珍しい五つ子である彼女の姉妹のこと、父親はおらず貧乏であること。
…そして、彼女の母親のこと。優しくて、綺麗で、大好きな母親であること。
衝撃を受けた、この少女は母親を元気にしたい、その為だけに倒れて、歩けなくなっても歯をくいしばって必死に前に進もうとしていたのか?
少し自分の思い通りにいかなかっただけでふてくされていた過去の自分が恥ずかしく思えてくる。
俺は何をやっている?こんな小さな子が必死に何か出来ることを探してやっているのに、俺は…
「凄いな、お前。」
「…え?」
「お母さんのこと、大好きなんだな。」
「うん!だいすき!」
「離すなよ、忘れるなよ。
…絶対だ。」
「うん?」
唐突な俺の言葉に戸惑った表情をし、首をかしげる少女。
…当然だな、何の脈絡もないんだから。
「俺の母さんな、もう居ないんだ。」
はっと息を飲む音が聞こえる。分かってはいなくても頭のどこかにはその可能性を持っていたのだろうか。
…ごめんな、怖い思いをさせるかも知れない。
これは俺の我が儘だ。聞きたくないのなら、耳を塞いでくれても…、かまわない。
「大好きだって伝えるんだぞ、恥ずかしがっちゃいけない。何度も、何度でも。
…言えなくなってからじゃあ遅いんだから」
もっと笑いかけて欲しかった、大好きだよ、と言ったら私もだよ、と微笑むあの顔が好きだった。
この少女の母親がそうなるとは限らない。
…でも忘れて欲しくないんだ、その母を思う気持ちを。
「なぁ、約束だ。」
「…?」
今は俺が何を言ってるのか良く分からないかもしれない。
「お母さんを元気にしたいんなら、神頼みじゃなくて自分の力で楽させてやろうぜ。」
「…できないよ、おりょうりも、おせんたくもできなかったよ…。」
この心優しい少女が、絶対に俺の様に成ることがないように。
「いいや、お前ならできるさ。
勉強して、すげぇ頭良くなって、沢山金稼いで楽させてやろう!」
「…おべんきょう?」
「そうさ、俺もまだ大切な家族が居るんだ。
…妹が居るんだ。
あの子には、俺みたいな貧乏はさせたくない。」
「だから、俺は妹を、お前はお母さんを楽させてやるために──」
高らかに歌い上げてやろうじゃないか。
絶対にこの子に後悔なんてさせてはいけない。俺の様に後から気づくなんてことは、あってはいけないんだ。
「──頑張って頑張って、嫌って言うほど
大切な人を笑わせてやれる大人になろう。
二人でだ!」
少女に向き直り今までの自分を振り払うようににっと笑う。
ここから俺も変わろう、もううじうじと過去の傷を自分で抉ることのないように。
「わたしも…、出来るかな。」
「出来るさ。」
「おべんきょう、にがてだよ?」
「俺だってそうだ。」
「おかあさん…、わらってくれるかな?
げんきになる?」
「そうするために頑張るんだ。」
「…うん!がんばるよ!
がんばってみんなも、おかあさんも、
おにいちゃんもえがおにするの!やくそくっ!」
そう言って満面の笑みを浮かべる少女は、太陽のように輝いていた。
小指を結び、顔を見合わせて笑いあう。
強くて、優しくて、眩しい子だ。
その光に照らされ、考えてしまった。俺の様に空っぽの人間でも、何か出来るのではないか。誰かに必要とされる人間になれるのではないか、と。
この子はこの約束を忘れてしまうかもしれない、幼い頃の事だ、それはしかたないだろう。
それでもいい、そのままでいてくれ、笑っていてくれ。その笑顔に、優しさに照らされ、励まされる人はこれからも沢山いるだろうから。
もし君が笑えないなら、笑わせてあげられる、頼られる存在になるためにも
──俺は変わる。
これは誓いだ、俺も君の様にどんなに倒れても前に進めるような、そんな強い人間になるんだ。
その後、見回りの警官に見つかり俺は学校の宿に、少女は家族に連絡がいった。
少女の迎えには男の人が来た。何でも彼女の母親の知り合いらしい。
最初から最後まで殆ど表情が変わらなかったんだが…、怒っていたのか?
「帰るよ。」
「うん…、おにいちゃん!」
「どうした?」
「なまえ!なまえしらない!」
そう言われてはっと気づく。
「あぁ…、そうだったな。
上杉、上杉風太郎だ。」
「ふうたろう…、ふうたろうくん!」
「なんだよ。」
「またね!」
最後に彼女はそう言った。何も考えないでいった言葉かもしれない、それでも、「またね」と言ったのだ。
写真から目を離し、ふっと息をつく。
清水寺で彼女にせがまれて撮ったものだ。
背中の上の彼女は笑っている。
この写真を見れば頑張れるんだ。
いつか“また”その時に、君に必要とされるために、君を笑顔にするために。
──あの子は今、笑っているだろうか。
その名前が耳に入ったとき、いてもたってもいられなくなり、思わずドアを勢いよくあけて声をあげていた。
当たり前だ。大切な名前だ、忘れることのないように、色褪せることのないように、心の宝箱に入れて、いつだって呼びたいと思っていた名前なんだ。
同じ場所にもし君がいたら気づいてもらえるように、目立つリボンをつけた。
町を歩いていて、金髪が目に入るといつも君かもしれないと胸が高鳴った。
君は知っているだろうか?
こんな気持ちは全部全部、君がくれたものなんだ。
ずっと会いたいと思っていた、あの時言えなかったお礼が言いたかった。
それに今度は私の名前を…、呼んで欲しい。
今高校生くらいで、上杉。それだけでも彼のことを思い浮かべてしまうのは仕方ないことだった。
もっと知りたい、聞きたい、でも本当に彼だとしたら、私は…。
「五月、もっと、詳しく教えて。」
「──ということなんです。」
話を聞いて確信した。彼だ、絶対に彼だ。
容姿は随分と変わっているようだが、中身は何も変わっていない。
あの時自分にしてくれたのと同じように、今度は妹まで助けてくれている。
あの時の、優しい彼のままだ。そう思うとなんだか胸が暖かくなる。
それに、学年一位であるという事実。
彼はあの約束を守っているのだろう。
あの時は勉強が得意でないと言っていた。きっとずっと努力してきたんだろう。
本当なら直ぐにでも会いに行きたい。
会って話したい、彼と出会ったあの日からの四年間、話したいことが沢山あるのだ。
でも…
「出来ないよ…。」
「?どうしたんですか四葉?」
「う、ううん!なんでもないよ。」
出来ない、出来るはずがない。自分にその資格はない。
だって私は…
折れてしまったから。
心配する姉妹達を振り切り、自室に戻って鍵をかける。
ドアにもたれるとそのままずり落ちるように座り込んだ。
五月に頼めば彼に会える、ずっと望んでいたはずなのに、そう考えるとどうしようもなく嬉しいはずなのに。
「っ!…なんでっ!どうしてなの…。」
どうしてだろう、この顔は笑みの形を作ろうとはしない。
どんなに嬉しいと思っても、笑おうと思っても、浮かぶのはどこか歪な笑顔だけ。
──まるで笑い方を忘れてしまったように。
あの太陽のような笑みはもうそこにはない。
「こんな私に誰かを笑顔にすることなんて…
──出来ないよ
そう呟いて膝に顔を埋める。
静まりかえった部屋に響くのは小さい嗚咽の音だけだ。
「ごめん…、ごめんね、風太郎君。」