カムラの里って凄い 作:震打
「おお、もうそんなに大きくなったゲコか!」
「おめでとう!愛弟子!」
「あ、は、はい……?」
「うふふ、びっくりしてますね」
「全くリゼさんは、毎度毎度自分の誕生日を忘れているんですから……」
ヒノエとミノトに連れ出されてきてみれば、突如として始まった僕の誕生日パーティー。
しかも里民総出で。
「もう16か!あの赤子が、ずいぶん立派になったものだ」
「……全くだ」
「いや、そんなことは……」
「リゼ殿、おめでとうございます」
「おめでとー!」
フゲンさん、ハモンさん、カゲロウさん、ヨモギちゃん、みんな口々に祝ってくれている。が、自分の誕生日を完全に忘れていたこともあって、ボクは空いた方が塞がらない。
確かにヒノエの考えそうなことだけど、色々考え込んでいる最中にこれは不意打ちすぎる。
「それではリゼさんの16歳の誕生日を祝しまして、うさ団子パーティを始めましょう!」
「里長、音頭をお願いいたします」
「うむ!皆のもの、気焔万丈!」
「気焔万丈ォー!」
里長がいつもの言葉で合図を出すと、みんなは雄叫びをあげ(特にウツシ教官の声はよく通る)各々うさ団子を手にとって食べ始めた。
……なんだこれ。
「ほらほら、早く食べないと無くなってしまいますよ?」
「いや、これだけあるんだから……」
「早く食べないと姉様が食べ尽くしてしまいますよ?」
「……それは困る」
団子は里の住民みんなの大好物だ。ヨモギちゃんが味を進化させてからは更にそれが顕著になって、ヒノエなんて毎食うさ団子でもいいぐらい。
もちろん、ボクも大好きだ。
みんな次々に団子に齧り付いては次の団子に手を出していて、まさに酒池肉林、団子天国だ。
ボクももみくちゃにされながら団子を手に取り、口に運んだ。
美味しい!
「サクラクラ団子って言うんだよ!草食竜の卵に桜の風味を組み合わせてみたんだ!」
「とっっっっっっても美味しいです!」
「うむ、酒が欲しくなるな!」
「里長、流石にまだお昼ですから……」
満面の笑みを浮かべて物凄い勢いで団子を食べるヒノエ。これボクたち呼ばなくても30分もあれば食べ終わってそうなんだけど……。
いやいや、とはいえこのままじゃ団子パーティから朝まで続く宴会に発展しかねない。
早めに団子を平らげなければ、と言い訳しながら別の味の団子を頬張る。今度はスッキリするミント味。全然飽きがこないせいで手が止まらない!
「やはりヨモギ殿の団子は絶品ですね……」
「……うむ、美味い」
「ヒノエのやつ、一体何本食べる気でゲコか……」
「お茶もたっくさん用意してあるから、どんどん食べてねー!」
この村に訪れたハンターたちは狩猟前に必ず団子屋に立ち寄っていくらしい。そりゃまあ、こんなに美味しいお団子を食べれば普段の数倍はパワーアップすること間違いなしだから仕方ない。
「これは凄いね。ぼくも一本貰っていいかな?」
「一本と言わず何本でもどうぞー!まだまだいっぱいあるよー!」
騒ぎを聞きつけたのか、ルーツさんもやってきて団子を手にとっている。その表情を見るに、大都会ドンドルマの料理にも負けない味だったに違いない。なんとなくボクまで誇らしくなる。
みんな団子とお茶を味わいつつ楽しげに談笑していて、昼下がりのカムラの里はこの上なく平和なのだった。
◆◆◆◆◆◆
そんなこんなで団子パーティは数時間続き、何百本あるかもわからなかったうさ団子の山も無事無くなって、大量の串と、空になった湯呑みだけが残った。
夕飯までにちゃんとお腹が空くかわからないぐらいの団子を食べてしまって、正直苦しい。それもこれもヨモギちゃんの団子が美味しすぎるのが悪いんだけど。
「宴もたけなわ、と言ったところでゲコな」
「うむ。皆のもの、ヨモギに礼を言っておけよ!馳走になった!」
「毎度ありー!」
団子とお茶で満腹になったみんながぱらぱらと解散していく。
僕ももうしばらく激しい運動はできそうもないし、ちょっと休んでいこう……。
「改めて、お誕生日おめでとうございます」
「また今度、オトモ広場にも遊びに来てください!」
「あ、ありがとう」
流石にみんな満腹なのか、祝いの言葉を残してぞろぞろと去っていく。
こんな騒がしかった誕生日は初めてだ。
「愛弟子!お腹が膨れたら、もちろん訓練だ!修練場に行くぞぉ!」
「えぇ……勘弁してくださいよ……」
……なーんて、思う間もなくウツシ教官に捕まってしまい、あえなく地獄の訓練に強制連行されることになってしまうのだった……。
「では先に修練場に行っているよ!少し休んで落ち着いたらおいで!」
とはいえ、ウツシ教官もそこまで鬼ではなく。
少しの間休み時間をくれた。
他のみんなはそれぞれの持ち場に戻っていったけど、ヒノエとミノトだけはその場にとどまって残ったお茶を啜っていた。
「とっても美味しかったわ。次の新作も楽しみね」
「ええ、流石はヨモギちゃんです」
ヒノエも大満足だったようで、もう次のうさ団子に思いを馳せ始めている。さっきまで何十本、いや何百本といううさ団子を頬張っていたというのに……。
「改めて、おめでとうございます。リゼさん」
「うふふ、おめでとうございます。誕生日の贈り物、と言ってはなんですけど、楽しんでいただけましたか?」
「うん。すごく楽しかったよ。うさ団子も美味しかったし……このために、準備してくれてたんだ?」
こんなに真っ昼間にこんな人数が集まるなんて、案外みんな暇なのか……?とも思ったけど。
いや、ヒノエとミノト、2人同時に休みを取ったと言ってたし前々から計画してたに違いない。
予想はどうも当たっていたようで、ヒノエはいたずらっぽく笑った。
「姉様はうさ団子の材料集めに方々を駆け回っていたのですよ」
「でもその分、とっても美味しかったでしょう?」
あののんびり屋さんのヒノエがそこまでして……?
「うん……今までで最高の誕生日だったよ。本当に……ありがとう」
素直にお礼をする。
ヒノエとミノトは嬉しそうに頷いて微笑んだ。
うさ団子だけでお腹いっぱいなのに、眩しい笑顔だった。
「この後はウツシ教官との鍛錬でしたね。私たちも時間はあることですし、お付き合いいたします」
「えっ?」
「うふふ、リゼさんの鍛錬をちゃんと見るのは何年振りかしら」
そんなわけで、食後の鍛錬はツワモノ3人の監督のもと行われることになってしまったのだった。うーん、お腹が痛くなってきた。
ヨモギちゃんにお礼をして、ボクたちは修練場に向かった。
当然、足取りは重い……。
◆◆◆◆◆◆
「まだまだ!ほらこっちだ!」
「ちょっ、そろそろ、休ませてぇ……」
広い広い修練場。
そりゃもう広い。里のオトモたちが全員集まって走り回っても有り余るほどに広い修練場を隅から隅まで使って空を駆け回るウツシ教官。
……と、それを追うボク。
翔蟲の訓練と称した鬼ごっこは、昔からウツシ教官の鉄板鍛錬メニューだった。無論、一度たりとも捕まえられたことはない。
今回も息一つ切らさず飛び回るウツシ教官と汗だくで追うボク、の構図に変わりはなく、団子で補給したはずのエネルギーを全て使い果たしてしまい、地面に寝転んでしまう。
「やはり年々翔蟲の扱いは上達してきているね!流石だ!その調子でいけば、俺を捕まえられる日も近い!」
「ボクは……一生……できる気が……しません……!」
確かに上達してる自覚はあるけど、追いつけそう、と思った次の瞬間に、ウツシ教官は引き離すように加速している。何度この手に騙されたことか。全く、目の前に希望をチラつかせるのが上手いんだから。
「そう簡単に捕まっては教官の名折れだからね!さて、翔蟲の鍛錬は以上!少し休んだら、次は狩猟笛の鍛錬だ!」
「うへぇ……」
明るい顔して鬼教官だ、本当に。
とはいえ小休止の時間ぐらいはくれた。
翔蟲で空を飛んで、壁を垂直に駆け上がって、この里で教わったことは本当に常軌を逸しているとしか思えない。ボクにできるんだから、多分身体の使い方さえわかれば誰だってできるんだろうけど……できたって普通はやろうと思わない。
「うふふ、お疲れ様です」
「水分補給を欠かさぬように」
「あ、ありがと」
ボクと教官の鬼ごっこを見学していたヒノエとミノトが手拭いとお水を渡してくれた。本当に助かる。
汗を拭いて水を飲んで……ああ、疲れた。
修練場は滝が流れていて、日差しを遮るものも多いから、火照った身体を効率よく冷ましてくれる。このまま眠りに落ちたい気分だけど……流石に我慢だ。
「本当に上手くなってるのかなぁ……全然捕まえられる気がしないんだけど」
「もちろんですよ。最初なんて、糸が手に絡まって宙吊りになってましたものね」
「着地に失敗して半泣きになっていた頃からすれば、格段の進歩です」
「……昔のことは言わないで」
「つい最近のことじゃないですか♪」
初めて翔蟲を使ったのは10歳の頃。
あの頃と比べたら、空を飛ぶのも高いところから落ちるのも慣れっこだ。防具や武器を身につけていると衝撃は倍ぐらいに感じるけど、今は着地に失敗することもあまりなくなった。擦り傷だらけだったあの頃と比べれば……ね。
「さぁて、そろそろ休憩は済んだかな?」
「まあ……はい」
自分の身長より大きな狩猟笛を担いだウツシ教官が気配もなく後ろに立っていた。もう慣れっこだ。
いないと思ったら自分の笛をわざわざ取りに行っていたらしい。
「ではまず、お手本として俺が吹いてみるよ!ヒノエさんとミノトさん、何か改善点があったら教えてくれると助かる!」
「ええ、もちろん」
「私程度の腕でよろしければ……」
ウツシ教官はハンターが扱う14武器種全てを実践レベルで使える、武器マスターだ。歴戦のハンターだって5、6個使えれば十分多い方だというのに。
ヒノエとミノトも教官ほどではないものの、5種類ぐらいの武器を扱えるらしい。そのうちの一つが狩猟笛だって話だ。
受付嬢の仕事が忙しくない時は、笛の稽古をつけてもらっていたこともある。
「じゃあいくよ!」
気焔万丈!と言葉には出していないものの、情熱的な演奏が始まった。
演奏には個性がすごく出る。
ウツシ教官ならとても熱気のある激しい演奏、ヒノエなら穏やかで柔らかな演奏、ミノトなら少しだけ硬いけど優しい演奏、という風に。
これは確か"咆哮"という、『空の王者』火竜リオレウスをイメージして作られた曲だったはず。
教官の演奏は素人のボクから見ても素晴らしい出来だ。
出している音自体はとても個性的で本人の気質を反映しているけど、武器の振り方や身体の運び方は模範そのもので、"他人に教えること"を意識した演奏であることが窺える。
「どうだったかな?」
やっぱり教官は息も切らさず余裕そうだ。ボクなら一曲演奏したら滝のように汗が出るところなのに。
「うーん……特にいうことはなしですね。素晴らしい演奏です!」
「動きも模範通りで完璧でした」
「いやあ、そう褒められると照れるね!じゃあ次は君の番だ、愛弟子!曲はなんだっていいよ!」
……あの演奏の後にボクがやるの、すっごい嫌なんだけど。
しかも里一番の笛の名手3人の前で。うわあ、すごい嫌だ。
でもやるしかない。
「じゃあ……いきます」
◆◆◆◆◆◆
すっかり日が暮れて夜。
疲れた。本当に疲れた。
ただでさえ疲れる演奏を3セット。しかも3人からのコメント付きで。
恥ずかしいったらない。評価は割と良かったけど、まるで専門家に詰められてるみたいで生きた心地がしなかった。
また明日も鍛錬だ!と言い残し翔蟲で飛んでいったウツシ教官。
どんだけ元気なんだよ……。
僕はヒノエ、ミノトと一緒に修練場から歩いて帰ることになった。流石に今から空飛んで帰るのは無理。
「相当お疲れですね。教官との鍛錬はいつもあんなに激しいのですか?」
「もっと酷い時もあるよ……ほんと、勘弁して欲しいけど」
「それだけリゼさんの才能を買っているのでしょう」
「そうかな……」
ボクの才能……ね。
本当に才能があるのなら、あんなことでクタクタになるまで疲れたりするんだろうか。するのかもしれないけど、この里にいると基準がおかしくなる。
「もう汗でべとべとだよ……早くお風呂入りたい……」
「うふふ、久方ぶりに一緒に入りますか?」
「いやもうそんな歳じゃないからね!?」
この2人はどうもボクのことをまだ5歳児か何かだと思ってる節がある。
竜人族は寿命が長くて時間感覚がかけ離れてるから、5年前のことを"最近"とか言ってたり10年前のことを"この前"とか言ってたり……。
「では、また明日」
「おやすみなさい、リゼさん」
「うん、おやすみ……」
ヒノエとミノトはギルドの大浴場に向かい、ボクは自宅へ。
靴を脱ぎ、防具を外し、武器を置き、やっと身軽になる。
訓練はこの5、6年ずっと続けているはずなのに、この疲労感だけはいつまでも無くならないな。
お風呂、入らなきゃ……。
お風呂を沸かしている間に夕飯のお粥を作って、ついでに狩猟笛に砥石をかけて……。もう随分と慣れた手つきになってしまった。
「はああ……」
お湯に浸かると、自然と声が漏れる。
疲労が汗や垢と一緒に流れ落ちていくような感覚。
今日は本当に疲れた。
突然の誕生日祝いから始まって、教官の鬼指導も受けて……。
…………でも、楽しかった。
里長、ゴコクさん、ハモンさん、ウツシ教官、ヒノエ、ミノト、ヨモギちゃん、イオリくん、カゲロウさん……他にも数えきれない人たちがボクのことを祝ってくれた。こんなボクのことを。
そして……そんなみんなとの日々も今日で終わるんだ。
そう思うと、胸にちくりと痛みが走ったような気がする。
◆◆◆◆◆◆
「やあ。リーゼくん」
風呂上がり、火照った身体を冷まそうと外に出ると、またしてもルーツさんと出くわした。
彼もちょうど風呂上がりだったのか、顔が少し赤い。
初めて出会った日のように2人で座り、星空を眺める。
「お昼は凄い騒ぎだったね……まあ、あの団子が食べれるんじゃ、大騒ぎにもなるか」
「美味しかったでしょう?この里の名物は」
「とっても。ドンドルマに持ち帰りたいぐらいだよ、店ごと」
「あはは……店ごとは困りますね」
あんな店が都会にあったら大行列ができてしまうに違いない。
そうしたら食べられる機会が減ってしまうことだろう。大変だ、ヒノエが大泣きしてしまう。
「……里を出たいって気持ち、変わらない?」
「…………はい」
「そう」
短いやりとりだった。
言いたいことはわかる。
でもやっぱりボクの気持ちは変わらない。
ボクがいることで無駄な時間を取らせるわけにはいかない。
あんな優しい人々に迷惑をかけてしまうなんて、やっぱりボクには耐えられない。
余所者のボクを、こんな弱くて臆病でどうしようもないボクを、まるで家族みたいに扱ってくれて……。
「……明日の早朝、誰よりも早く起きて門まで来ること。フゲンさんたちには出立することは伝えてある。見送りは必要ないことも」
「…………わかりました」
「武器や防具も持ってくること。いくらぼくがいると言っても、旅の間自衛の手段は必要だからね」
「はい」
「気が変わったなら……来なくてもいい。それだけは言っておくよ」
それだけ言い残して、ルーツさんは去っていく。
はあ、とひとりでにため息が出て、なんとなく空を見上げる。
今日は夜空がやけに明るくて、遠く感じる。
明日は早い。
誰にもバレてはいけない。
もうこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
明日……ボクはこの里を、故郷を出る。
眠れない、なんてこともなくすんなり眠りについたボクは、翌朝なんの問題もなく目覚めることができた。
元から里の誰よりも早く起きているし、早起きはお手のものだ。
誰にもバレないように用意した旅の荷物と、武器、防具を身につける。
16年、生まれてからずっとこの家で育ってきたけど……それも今日で終わりだ。昨夜書いておいた置き手紙を玄関に置き、ボクは家を出る。
「…………」
言葉は出てこない。必要もない。
ボクはこの里にいるべきではなかったから。
起きてる人なんかいるわけもないけど、自然と忍び足になって門へと向かう。蹈鞴場も茶屋も、いつもヒノエが座って歌っている椅子も、今はとても静かだ。いつも朝起きて散歩する、ボク独りだけの里。
「やあ、待ってたよ。忘れ物がなければ、もう出発するけど……いいかな」
「はい。もう……全部済んでますから」
「そう。じゃあ行こうか」
門で待っていたルーツさんと短く言葉を交わす。
そしてボクたちは里から去っていく。
ルーツさんにとっては1週間。
ボクにとっては……16年を過ごしたカムラの里を。
足取りは軽い。
解放されたような気分がある。けれど、やはりどこか重いものがのしかかってくるような感覚も同時にある。
後悔はしない。しちゃいけない。
「まずはユクモ村に向かうよ。そこからドンドルマ行きの飛行船が出る手筈になってる」
「ユクモ村って……あの温泉で有名な?」
「そう。残念ながら観光をしてる暇はないけどね」
ユクモ村といえば、カムラの里にも程近い場所にある温泉街だ。
湯治目的で訪れる人は絶えないらしく……間違えてカムラの里に来てしまったハンターも見たことがある。
当然交通もカムラより発達しているし、経由地としては優秀なんだろう、多分。
今から出発すれば陽が暮れる前には到着できる計算……ではあるんだけど。
「ちょーーっとだけ、時間かかるかもしれないけど、いいかな?」
そう言ったルーツさんは、歩きながらも急に立ち止まって道沿いの植物や地質について、細かくメモを取り始めた。
進みながら、何度も何度も立ち止まって興味深げに観察している。
「……それも、ハンターとしての仕事なんですか?」
「そう、とも言えるけど半分はぼくの趣味だね。新しい場所に来るとつい……ね」
「趣味……」
そういえばヒノエが言っていたっけ。
ルーツさんはG級ハンター。それも生態研究やフィールドワークで特に多くの功績を残している人なんだって。
狩猟に役立つアイテムの調合やそれに必要な素材、環境生物なんかを研究して、実用化できるまでに技術を高めただとかなんとか……。
「この辺りのシダ植物、ユクモ周辺とも違って面白い生育パターンだなぁ。気温と湿度の関係かな。胞子の飛散方向がね……」
「はあ……」
この人は思ったより、変な人なのかもしれない……。
そう思い始めたのは里を出発してから1時間が経過してからのことだった。ルーツさんが何度も立ち止まってメモを取り始めるせいで、道のりはまだ長い。
世界の生態を調べる"趣味"は留まることを知らず、木の皮、植物の種、苔、虫の卵、土の状態なんかまで……。
研究熱心、というかまるで子供のように好奇心が強い。
「そんなに大事なんですか?」
「もちろん大事。楽しいし、後で役に立つからね」
「役に立つ?」
ボクが聞き返すと、ルーツさんは微笑んで立ち上がった。
その手にはあらゆる角度から観察して味も確かめようとしている木の実が握られている。
「命っていうのは一つだけで生きてるわけじゃないんだ。どんなに巨大で強力なモンスターであっても、必ずそれを支えるものがあるってこと。それが見えてくれば、自ずとどう戦えばいいのかもわかってくる」
一口齧って、渋い、と言いながら顔を顰めるルーツさん。
毒があるかもしれないのに、よくやるよ。
「そ、そうなんですね……」
「大抵のハンターたちはモンスターをただ倒せばいいと思ってる。けど、それだけじゃダメな時だってある……」
言いつつ、ルーツさんはかがむ。
「ほら見て、これ」
「?」
ルーツさんの指差す木の幹には、大きな爪痕。
見るからに巨大だ。
爪の一振りでボクなんかバラバラにしてしまいそうなほどの巨大さ。
「アオアシラ……ですか?でもこの前狩猟したんじゃ……」
「別の個体だね。年若い雄で食欲は旺盛、この前のより遥かに大きくて……獰猛だ」
しかも、と付け加えて近くの倒木に近づくルーツさん。
倒木には毛の束が付着している。
太く、青い毛はやはりアオアシラのものだ。
「新しい。まだ近くにいそうだ」
「…………!」
緊張が走る。
砦に誘導したアオアシラより更に巨大で獰猛……?そんな相手がすぐ近くにいるかもしれないなんて。
ルーツさんがいるとはいえ、こんな森の中で襲われてしまえば逃げるのは難しい。
「に、逃げましょう。早くこの道を抜けて———」
ぞくり、背中に鳥肌が立つ。
聞こえてしまった。森の奥で小枝が折れる音。
巨体が木の葉に擦れる音。小鳥が悲鳴を上げながら飛び立っていく音。
青色の巨体がずし、ずし、と重い音を立てながら歩く音……。
「気づいたね。もう逃げても遅い」
「そ、そんな……」
「ここはもう彼の縄張りの中だ」
風が止む。
けれど代わりに低い唸り声が草木の中でこだまする。
そして見えた———青熊獣アオアシラ。
四足でずしんずしんと嫌な音を響かせながらこちらを睨みつける巨大な熊———それも、あの日砦に誘導したアオアシラとは段違いに巨大だ。
一回り、いや二回りは大きいであろうその体格。
「金冠級……」
ルーツさんが呟く。
金冠サイズ。つまりこれまでギルドが確認しているサイズの中でも最大級であるということだ。
「縄張り争いだね。大社跡に出没したアオアシラはこの個体に負けて人食いになった。恐らくは痛み分けに近い形で……」
肩には大きな爪痕が残されていて、その表情はどこまでも獰猛だ。
「お互いに傷を負って、飢えて、だからこそ———とても凶暴だ」
ルーツさんが言うと同時に、アオアシラは立ち上がり、両腕を大きく開いて咆哮した。
耳を塞ぐほどの轟音ではない、けれど身体が動かなかった。
「リーゼくん。武器を」
「な、何で……?」
「君が狩るんだ。こいつを」
目の前が真っ白になる。
この人は何を言ってるんだ?ボクが?狩る?この巨大なアオアシラを?
砦に誘導するだけで死ぬような思いをしたアオアシラを?あの時よりずっと大きくて強大な、この正真正銘の化け物を?
「む、無理です!ルーツさんが狩れば———」
「そうかもしれないね。けど、アオアシラ程度の相手は1人で倒せないと、多分この旅に着いてくるのは無理だ。君が思っている以上に、自然は過酷だよ」
「そ、そんな———」
話し合っている間にも、アオアシラは威嚇を終えている。
警告はした。立ち去らないのなら———実力で排除する。
それが自然の流儀で、野生の掟で。
一歩一歩がボクの5歩はありそうな勢いで、アオアシラは突進を仕掛けてくる。
「さあ武器を抜いて。安心して、ぼくの監督下ならハンター見習いの君でも狩猟の許可は出る」
「そういう問題じゃないですってば、もう———」
呑気なことを言ってる間にも、アオアシラはまた鼻の先まで来ていて、視界がその巨大で埋まる。
その体格差を存分に活かしたタックルを辛うじて横に躱す。
あと一瞬遅れていれば死んでいた。その事実が身体を冷たくしていく。
反対側に避けていたルーツさんと目が合う。
どうやら手を貸してはくれないらしい。
やるしかないのか、本当に、ボクが……。
「ああもう、わかりましたよ!」
ヤケクソになって、ボクは狩猟笛を構える。
旅の荷物は投げ捨てて身軽になる。
弱いやつを優先的に狙うのが本能であり、効率的な選択だ。
ルーツさんの強さを本能的に感じ取っているのか、それともボクの弱さを敏感に察知したのかわからないけど……ともかく、アオアシラはボク以外は眼中にないらしい。
初めての大型モンスターとの一対一。
まさかこんな形で、ハンターとしての第一歩を踏み出すことになるなんて、思っても見なかった。