金色に輝く華麗なるウマ娘(笑)の物語   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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泣きな。 いくらでも気のすむまで 泣いたらいいんだよ。

「あークソっ、とことんツイてねえっ。なんて日だっ!!!」

 

 リョテイが凶悪な表情で商店街を歩いていた。猫背にガニマタ。完全にヤンキースタイルである。

 かなりの美少女かつ幼女的な見た目のリョテイだが、目を剝いてガンを付けると洒落にならない怖さがある。なので通りかかった人らは一斉に目を逸らしている。

 だが彼女は一切気にする事無く馴染みの居酒屋に飛び込んだ。

 

「おっちゃん、とりあえず生中と串焼き5本盛りね。あとなめろうも」

「なんだいなんだい昼間っから」

「あん? いやぁ色々あってな」

「そうかい。ま、そんなときは呑むしかないわな」

「そゆこと」

 

 立川の商店街にある居酒屋は、暖簾こそ出してないが常連ならば昼間でも開けてくれる。

 もちろんメインは夕方以降であるため、大将は仕込みをしながらだが、酒類と片手間で出来る料理なら出してくれるのだ。

 リョテイはここの常連の一人で、気分が荒れるとやってくる彼女に、大将は静かに酒を出してやる。

 と言うよりも立川の商店街の面々は、この奇想天外なウマ娘を気に入っているのである。

 

 さて彼女が荒れているのは、先日ルドルフに突き付けられた条件である「次の未勝利戦で勝利しろ」をクリアした事に関係する。その結果がこの有様なのだ。

 見れば彼女の横には旅行用のキャリーバッグがある。

 なにせ彼女は昨日京都でレースをし、宿舎で一泊した翌朝、とある出来事がありブチ切れ、その勢いのまま朝一で新幹線に飛び込んだ。

 そして東京駅からタクシーに乗ったのだが、トレセン学園には戻らず、居酒屋に直行したのである。

 

 ならば惨敗したのか?

 そうじゃない。圧勝だ。まれにみる大圧勝劇である。

 未勝利戦。距離1800のマイル戦で、彼女はスタートを完璧に決めると単独2番手で悠々とレースを運び、最終コーナーで内側が混み合った事で大外に持ち出し、そのままグングンとスパートを掛けると後続に2秒の大差をつけてゴールを駆け抜けた。とんでもない末脚である。

 その結果、多くのマスコミに囲まれたリョテイである。

 

 なにせ最終コーナーまでの時計は平凡だったのに、最終的にはコースレコードを叩き出していたのだ。

 これにはこれまでのレースから、ニギヤカシ担当と思われていたリョテイが、実は才能を隠していたのか?! とマスコミが殺到するのも無理はない。

 しかもリョテイの見た目自体は愛くるしい少女なものだから、写真映えもいいと来た。

 

 とは言え本人からすれば不本意でしかない。

 彼女が本来の実力を隠しているのは、その大きな理由としてはモブでしかない自分が、前世で愛した名馬たちに土をつける事への罪悪感からだ。

 競技者として手を抜く行為自体、ライバルを冒涜しているとも言えるが、前世の記憶なんて言う厄介な物がある彼女はそこに気が付かない。

 

 前世の記憶の存在は、確かに幼い頃から学業面では苦労しない等のアドバンテージはあっただろう。

 リョテイの中の男は、最終学歴こそ高卒で終わっているが、博徒として博打のみで世間を泳いできた丹力の持ち主であるし、少々の事で物怖じしない強心臓を持っている。そもそも鉄火場に出入りするには、自身もアウトローである必要があるのだ。

 しかしだ。自分がウマ娘なる人外になっている事もそうだし、あれだけ愛した競馬が存在しない。そして生まれた国は確かに前世と同じく日本だが、中の人が知る日本とは明らかに違っている。

 

 リョテイの中の人が競馬沼に堕ちたきっかけが、父親に連れられて初めて見たダービーで、ルドルフと鞍上のオカベのカッコよさを目撃したからだ。

 彼の実家は立川市にあり、東京競馬場のある府中までは歩いて行ける場所なのである。

 つまりだ。前世の彼だった彼女の行動範囲の中に、府中や立川がその多くを占めていた。

 

 だが見えてる景色は似ていても、明らかに自分が生まれ育ち、長い時間見てきた景色ではない。

 このことが彼女の心にじわじわとダメージを与えているのだ。

 縁もゆかりもある土地で、その実感が全然わかない。なのにどこを歩いても既視感だけは覚える。

 リョテイは、この世界の中で強い孤独感を感じていた。

 

 だからこそ愛した競馬の名残である名馬たちの名を持つネームドウマ娘達を特別に感じる。

 ゆえにかつては馬券を買っては一喜一憂した彼らの分身に、自分が意味もなく土をつける事は、自分のアイデンティティをぶっ壊す感覚になるのだ。

 

 話を戻そう。

 そういったメンタル面での理由はあるが、実は同じくらい深刻な事情が彼女にはある。

 そもそもの話なのだが、彼女のギアはローとトップギアしか存在しない。

 何というか彼女の小さな体には、とんでもないトルクのモンスターエンジンが搭載されている。

 そしてその爆発力を受け止める天性の柔軟性や耐久性も備わっている。

 自身の内に潜む潜在能力については、彼女が物心つき、自身の名を自覚した段階で気が付いてはいたが。

 

 問題はギアをあげると一気にレッドゾーンまで吹き上がり、制御不能なトップスピードに達することだ。

 本人もかつてその事について悩んでいた。それこそ鬱から脱出した小学校高学年の頃に、ウマ娘の本能に従い彼女は放課後の河原で走り回るようになったが、余りの速さに制御できず、勢いのままに川に飛び込んで溺れかけた事で余計に悩むことになってしまった。

 それ以降、彼女はどうにか制御を試みるも、思いっきり遅いかとんでもなく速いかの二択しか出来ず絶望をしたのである。

 

 ゆえに今回の様にケツに火が付いた状態なので逃げられず、図らずも本気を出す事になった。

 デビュー戦では3着で終わり、それ以降善戦すれど勝ちきれない成績を積み重ねてきたのは、ひとえにこのピーキーすぎる自身の性能のせいだったのだ。

 中間のギアがあるのなら、もっとスマートにレース展開を支配できるだろう。

 それこそ時計コントロールし、自分が楽なレース展開へと誘導するなどの。だがそれが出来ない。なにせ全開にすればどんなレースでも圧勝出来る可能性があり、それは彼女の思想に矛盾する結果になる。

 

 そして勝利をしたことで、やりたくもないウイニングライブでのセンターをすることになり、初勝利の際の定番曲である某シンデレラの「おねシン」的な曲である『Make debut!』を披露するも、憤怒する阿修羅の様な表情で、延々と変なおじさんダンスを繰り返してスタッフに怒られた。

 

 その後の囲み取材では、記者の「これだけの強さだ。今からでもクラシックを狙えるのでは?」との煽り質問に、リョテイは100点満点の最高の笑顔で「てめえこの野郎。俺がクラシックなんかに出るわけねえだろ。ぶち殺すぞヒューマン」と場を凍らせると、やはりスタッフに取り押さえられ退場となった。

 それでも食い下がる記者たちに向かって幼女が言うには刺激的過ぎる放送禁止用語を大声で連発しつつ、両手の中指を上に向けながら、煽る様にベロりと舌を垂らす。

 ざまあみろ、こうすれば放送できねえだろ! と哄笑しつつ、リョテイはバックヤードに連行されたのである。

 必死にリョテイを引きずるオフィシャルだが、相手は小柄でもウマ娘だ。

 とんでもない「バ」力に往生する。

 最終的に体操着のショートパンツを下ろしてケツを出そうとしたところで「流石にこれはアカン」と、増援含めて10人のスタッフがどうにか出来たのだ。

 

 ちなみに帯同していた彼女のトレーナーである初老のトレーナー池江氏は、「まあリョテイだからな(諦め)」とボソりと言い、薬局を探した。強い胃薬が欲しかったらしい。

 URAやルドルフからのたっての願いで池江氏は彼女を預かったが、最初の顔合わせの際に「おい爺、よろしくな。これやるよ」と「魔王」と「森伊蔵」を両手に現れ、湯飲みに波々と告ぐと、「爺、固めの盃だ。ぐいっといけや」と盃を突き出し、お前はどこのヤクザだとルドルフは呆れた。

 

 ウマ娘は基本的にトレーナーが付いている事がレース登録の条件となる。

 そのために選ばれたのが、そろそろ勇退をと考えてた池江氏だった。

 氏はルドルフが入学してくる前から活躍していた名伯楽で、最近は後進に道を譲るかのように一線を退き、各チームのトレーナーに請われると、その都度アドバイスを与える様なポジションにいた。

 

 これだけの経験を持ち懐も深く、かつ本人は好々爺風の柔和な人物。

 ならば破天荒なリョテイを預けるには最適だろうというのがルドルフの考えで、URAとしては問題児を中央に移籍させるなら、その首に鈴をつける必要があるという思惑で池江氏を推した。つまり両者の思惑は真逆だが、図らずも見解は一致したというのが事実である。

 なので一番割を食っているのは池江氏なのだが、やんちゃな孫娘の様だと本人はそれほど気にした風ではないのが幸いか。

 

 とは言えだ。

 あれだけ放送禁止用語を叫んだというのに、マスコミは上手く編集で切り貼りし、結局は今日の朝刊のトウィンクルシリーズ欄には一面リョテイの写真で埋め尽くし、相当な煽り記事を載せたのである。

 それを見たリョテイが激怒し、「爺、俺は先に帰るぞっ。腰やってんだからのんびり帰って来いよなっ」とブチ切れながらも池江氏の腰を気にする発言と共に宿舎を出たのである。

 破天荒ウマ娘として周囲から一目置かれているリョテイだが、池江Tだけは粗末に扱わないのだ。

 

「はぁーうめえ……アジってやっぱ、最強だよなぁ……」

 

 場面は戻り、駆け付け三杯とばかりにジョッキを数杯を飲み干したリョテイは今、日本酒の四合瓶を手酌で呷っていた。

 普段はツインテールだが、今は無造作に下ろしており、気だるげな表情でカウンターに肩ひじをつき、髪を片側にかき上げながら猪口を傾ける様子は、幼女じゃなければ様になるのだが。

 

「なあ大将よぉ」

「なんだい」

「俺がさ、G1で勝つとこってみたいか?」

 

 少ししか残っていないなめろうを未練がましく箸で突いていたリョテイが、視線を皿に向けたままそう言った。

 仕込みが終わり、リョテイのボトルの相伴に預かっていた大将は静かに笑う。

 

「そら見たいだろうよ。俺たちゃみんな、お前さんのファンなんだぜ」

「酔狂なこった。ま、でもそうだよな。ウマ娘は勝ってこそ、だよなぁ……」

「…………」

 

 複雑な思いが籠った言葉だった。しかしそれきり、リョテイは何も言わなくなった。

 ウマ娘じゃまともに酔えやしねえやと一度だけボヤいたが。

 結局彼女は20時過ぎにやってきたマルゼンスキーに回収されるまで静かに呑んでいたのである。

 

 余談だがリョテイがマルゼンスキーに連れ出された頃、既に開店していた店内は近隣の常連客達で満席になっていたが、扉が閉まった瞬間、そこにいた全員が大爆笑した。

 何故かといえば、いつの間にかリョテイの背後に立っていたマルゼンスキーが良い笑顔で彼女の肩を叩いたのだが、「んだよ触んじゃねえよ」と苦み走った表情で振り返ったリョテイが真顔になり、そこから流れるような土下座に移行したからだ。

 

 連絡入れずにごめんなさい。

 堂々たる土下座である。

 

 マルゼンスキーはその美貌もさることながら、トゥインクルシリーズでは存在感をこれでもかと魅せつける人気選手である。

 しかしリョテイとの関係性は、どう見ても亭主を尻に敷いた古女房のソレである。

 こういう姿もまた、未勝利だったリョテイが彼らに愛されている理由なのかもしれない(震え声)

 

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

「マルゼンよぉ……俺はもう駄目だ……」

「ふふっ、どうしたのよリョテイちゃん。元気ないぞぉ?」

「なくなりもするよ……とにかく俺はもう駄目なんだ」

 

 初夏となり随分と蒸し暑くなった東京。

 そのとあるマンションの一室では、湯上りでガウン姿で気だるそうにソファに横になっているマルゼンスキーと、その豊満な胸に顔を埋めて腐りきった表情のリョテイがいた。

 

 同居してても普段は野良猫みたいな態度のリョテイが、珍しく甘えてくる姿にマルゼンはニッコニコである。

 とは言えここまで落ち込んでいるリョテイの姿は尋常じゃない。

 最初は嬉しそうに抱き着いてくるリョテイの背中を撫でていたマルゼンだったが、心配になり問いただしてみる。

 

「なんつーか、アイデンティティ崩壊の危機なんだ……」

 

 しかし要領を得ない。

 リョテイは頭をボリボリ掻くとキッチンに向かい、愛用のゴブレットに寝酒用のダークラムを注ぐと、そして一気に呷った。

 そして横にあるダイニングテーブルの下に潜り込み、ブツブツ言いながら黒光りする尻尾の毛を毟り始めたのである。

 

「ちょ、リョテイちゃん!? 尻尾抜いちゃダメよぉっ?!」

「尻尾は抜かねえよ。毛だわ」

「あ、うん、そうね?」

 

 リョテイの冷静なツッコミに毒気を抜かれるマルゼン。

 しかし結局は引っ張りだされて膝の上に抱きすくめられた。

 ターフ上ならいざ知らず、普段の生活では軽量すぎるリョテイがマルゼンに敵う訳もなく。

 

「で、本当のところどうしたの? ちゃんと話して欲しいな。あんまりあたしを心配させないで?」

 

 真顔のマルゼンが言う。

 普段は何かあってもこんなシリアスな空気を出すことは無いリョテイ。

 だが今は、この小さな背中が小刻みに震えている。

 平静を装い、余裕のある口調だが、実のところマルゼンの内心は恐慌をきたしていた。

 

 実はこのマルゼンスキー。常に余裕を持って優雅な女だが、かなりリョテイに依存していたりする。

 表面上はトゥインクルシリーズで人気選手であるし、ベテランでもある。

 気のいいお姉さん像が浸透しているし、女性が憧れるカッコいい女の代名詞とも呼ばれている。

 だがしかし、それはある種のセルフプロデュースの結果に過ぎないのだ。

 

 マルゼンスキーが現在、あちこちに遠征に出ている理由もそこに繋がるのだが、彼女は出自が海外のため、クラシックの時期に出走許可が下りなかったのだ。故に彼女の初G1勝利は、同年秋のマイルCSである。

 許可が下りない理由は、クラシックレースとはその国のウマ娘の世代NO1を決めるという目的があり、ある種、高校野球の甲子園夏の大会の様な趣旨で行われているからだ。

 ゆえに外国籍、またはデビュー前の育成期間に日本で教育を受けていないウマ娘ははじかれるのだ。ここにマルゼンスキーが該当した。

 

 極論だが、外国籍やそれに準ずるウマ娘が参加し勝利するという事は、それこそ高校野球で甲子園の時期だけMLBのドラフト対象となる若手選手を大勢集めて試合に出す様なものだろう。

 それで勝利したとしても、ファン達は納得もできなければ感動も覚えない。

 

 しかしマルゼンスキーはその素質から見れば、あの皇帝と五分以上の勝負が出来るウマ娘だ。

 いや彼女の距離適性的に、短距離から長距離まで網羅できる事を思えば、ある部分においてはシンボリルドルフよりも上かもしれない。

 

 だが優しく、他人を思いやる事が出来るマルゼンスキーは、自分がダービーに出たいという希望を押し通すために規則を曲げると言うことは、多方面に迷惑をかけてしまうと気持ちを押し殺し、結局はあきらめた。

 その後現在のマルゼンスキーのキャラクターを確立し、レースだけじゃなくテレビ番組などからもオファーも多い人気ウマ娘となる。

 そうやってお茶の間にも好意的に受け入れられた彼女だったが、最初は小さかったストレスが、やがて彼女の心を少しずつ黒く塗りつぶしていった。

 

 どんな場所からも抜群の加速を見せ、スーパーカーの異名を持つ彼女は、実際にイタリアの高級スポーツカーを乗り回す。

 だが夜の首都高で正気の沙汰とは思えぬ速度域で走り回っているのは、ひとえにその黒いストレスを晴らす代償行為かもしれない。

 勿論、いくつもの法律に人間とは別枠で項目が追加されているウマ娘だとて、道路交通法に例外はなく、彼女の常軌を逸した暴走行為は普通にアウトである。

 

 

 さて話はルドルフが札幌入りし、リョテイをスカウトした時に遡る。

 このスカウトはルドルフの独断だ。自分の権限の中で出来るだろうという目論見はあるが、だからと言ってURAや理事会から諸手をあげての賛同だった訳じゃない。

 しかしトゥインクルシリーズの世界的な認知度が高いとて、やはり人間とウマ娘の間には大きな溝があり、それをどうにか埋めたいと考えているルドルフは、自身の信念に従い、この手の横紙破りを時折行う。

 だからその理念を暗に賛同しているマルゼンスキーはルドルフの札幌行きに同行を申し出た。

 

 ルドルフは何事にもフェアなウマ娘だが、何でも一人で抱え込む悪癖がある。

 強すぎるがゆえに周囲に持ちあげられ、結果周囲には強い自分を見せなければという使命感に囚われているのかもしれない。

 自分にも同じ様な部分があり、二人はある種の戦友に似たシンパシーがあるのだ。

 だからこそ自分が同行すれば、ルドルフだけに集まるヘイトを分散できるだろうと考えた訳だ。

 

 そして札幌入りしたのだが、二人は不思議な物を見ることになる。

 デビュー前だが、札幌記念のレコードを軽々と超えたウマ娘がいる。

 当然キンイロリョテイの事だが、まずは普段のトレーニングでどの程度の力量なのか見定めたい、ルドルフはそう考え、トレーナー陣に手を回し、練習を見学することにした。

 

 苦笑いする若い男性トレーナー。

 訝しんだルドルフが話を促すと、「たぶんあの子は海にいますよ」と目を逸らした。

 まだ昼間の札幌トレセンだ。所属しているなら当然、授業には出なければならない。

 サボってるのだろうか? と聞けばそうじゃないという。

 気まずそうなのは、講師としての責任を放棄しているとも取れるからだろう。

 

 ルドルフが事前に調べたところ、リョテイがパチンコ屋や公営ギャンブルの場外売り場、酒場なんかに入り浸っている事は知っていた。素行、性格に難ありと言う所だが、そこはいくらでも矯正できるだろうし問題はない。

 とは言えだ、ウマ娘は人間の身体と規格が違うため、飲酒などには厳しくない。

 中央であるトレセン学園ならば、中等部ならアウトだが、高等部以降になれば、選手である限り所属していられるため、そういう部分には寛容だったりする。

 逆に人外の膂力があるため、刑法は人間よりも厳しい。

 

 しかし事前調査では、リョテイがそういう場所に行くのは、基本的に夕方以降や休日のため、昼間にいないというのは解せなかった。

 何かあるな? と勘づいたルドルフは、少々覇気を漏らしてトレーナーにプレッシャーをかけ、さらに問い詰めた。

 結果、小樽ドリームビーチにいるかもしれないと情報を得る。

 

 この時期の札幌周辺の海はまだ冷たく、海開きはまだまだ先だ。

 首を傾げるルドルフだったがマルゼンが「せっかく札幌に来たんだし、観光がてら行ってみましょうよ」と促した。

 

 そしてタクシーを手配した二人がたどり着いたのは、海の家すらない無駄に長いだけのビーチ。

 流石は北海道か、涼しいというには冷たすぎる風が吹きすさぶ。水底は砂地のためか、沖まで濁って鈍色の海だ。

 そこで二人が見たのは、小さな黒い何かが、凄まじい速さで砂浜を駆け抜けていく姿。

 

 リョテイだった。

 

 学園指定のスクール水着姿で、ダートコース以上に不規則で安定感の無い砂の上を、芝コース以上の速度でダッシュをしているのだ。

 それを遠目に呆然と眺めているルドルフだったが、だんだん顔を青くしていった。

 

「マルゼンすまない。リョテイが次に戻ってきたら、タイムを計ってくれないか?」

 

 そういうとマルゼンスキーは無言で頷きスマホを取り出した。

 言っている間に小樽方面からリョテイが戻ってきた。

 ルドルフ達には気が付いていない。

 

 そして彼女は大きな流木の横でトントンと数度ばかり垂直飛びをしながら深呼吸をすると、またすぐに黒い砲弾となって駆けていった。見たところ流木がスタート地点という意味の様だ。

 ちなみにルドルフが来てから既に3往復はしている。

 

「うそ……信じられないわ……」

 

 やがてリョテイが戻ってきて、また走っていった。

 休憩らしい休憩も挟まず。

 スマホのストップウォッチを切ったマルゼンは、呆然と呟くと、震える手でルドルフに向けた。

 

「大した物だな。言葉が出ないよ」

 

 微笑みながらルドルフは言った。

 呆れた様に首を振るマルゼン。

 この盟友は次世代の卵を見つけるといつもこんな顔になるのだ。

 柔和そうに笑っているが、注意深く見れば、瞳の奥に炎が見え隠れしている。

 自分に変わるスターを発掘するなんて言いつつ、この皇帝は自分に土を付けてくれる相手を探しているのだ。それを言うのは野暮って物ね、とマルゼンスキーがそれを指摘することは無いが。

 

 ストップウォッチが示したタイムは5分ジャスト。

 参考までにG1の中で最長である菊花賞と春の天皇賞。

 そのタイムは3分と少し。

 リョテイはほぼトップスピードに近い速度域で5分間走り続け、数歩飛び跳ねるというインターバルを挟んでまたそのタイムを刻む。

 バカげた話だ。とんでもないスタミナ。長距離レースの倍近く走りながらリョテイは然して疲れた風でもない。

 二人は呆れる様に笑うしかない。素質がある? 粗削りなだけでほぼ完成品だろうにと。

 

 特筆すべきはその走り方だ。

 顔が砂に付きそうなほどに前傾姿勢。

 しかし足もとには何とも言えない違和感が。

 マルゼンスキーはそれを奇妙に思ったが、だからと言って違和感の正体がわからない。

 何せ足の甲まで砂に埋まっているし、走っている最中は砂が白煙の様に舞っているのだ。

 

「彼女はおそらく、意図して足の先しか使わずにこなしているのだろう」

 

 ルドルフが呆れた様に言う。

 土踏まずから後ろは地面につけない、具体的には足の親指に重心を置く、そういう縛りをリョテイはしているのだ。

 優れた体幹と柔軟性、強靭なバネが備わっていないと、あっという間に腱にダメージが行くだろうな。

 私にあんな真似は出来ないし、したくもないと。

 

「もちろんレースともなれば、その上でねじ伏せるがな」

 

 凄味のある笑みでそう付け加えつつ。

 負けず嫌いはウマ娘の本質だ。その頂点に立つルドルフが、ただのお人よしの訳がない。

 そして二人はそのまま桑園にある札幌トレセンに戻った。

 普段の素行の悪さはあろうが、周囲を煙に巻いて海に行ったのは、おそらく鍛えている姿を見られたくないからだろう。

 実際あんな姿をデビュー前のライバルたちに見せつけたなら心が簡単に折れるぞ。

 ならばその事を問うのは野暮だよとルドルフは笑った。

 戻った彼女たちは改めて担当トレーナーに頼んだ。

 リョテイが戻ったらこの部屋に呼んで欲しいと。

 

「おー……おー? 皇帝じゃん。そっちはマルゼンスキー。マジかよ写真撮ってくれね?」

 

 結局リョテイが戻ってきたのは夕方になってからだった。トレーナーから職員室に来るように言われた彼女がやってくる。

 面倒くせえなあ……とぼやきつつ向かえば、何やらドアの前に生徒たちが押し寄せている。

 まるで人気アイドルが目の前にいるかのように黄色い悲鳴で合唱しながら。

 リョテイはそんな人垣の下をスルスルと通り抜け部屋に入ると、なるほど騒ぎの原因はこれかと理解した。とは言えリョテイは然して表情を変えるでもなく、呑気に写真を要求する図太さを見せる。

 

 札幌トレセンとは布の質もデザインも上等な中央トレセン、つまり日本ウマ娘トレーニングセンター学園の制服姿で並んで座っているルドルフとマルゼンスキー。

 そら煩くもなるか、とリョテイはキナ臭い顔をしながら、自分を呼んだトレーナーを見ると、機先を制しルドルフが立ち上がり、「キンイロリョテイ、君を待っていたんだ」と微笑んだ。

 

 一瞬で「えええええええええっ!?」と周囲に悲鳴がユニゾンする。

 それはそうだ。

 皆のマスコット扱いされているリョテイだが、普段は呑む打つ……流石に買うは無いが、破天荒なアウトローなのだから。

 地方バの認識からすれば、中央=上級貴族くらいの高根の花と言うイメージなのだし。

 そして全てのウマ娘の目標ともいえるルドルフと、その双璧ともいえるマルゼンスキーと言うトップオブトップが、何故リョテイに会いに来たのか、そう思うのも不思議ではないだろう。

 とは言えリョテイはマイペースだった。ツーショット写真を撮ってカーチャンに送れば喜ぶやろなぁ……くらいのノリである。

 

 そして向かい合って座ると、ルドルフは「中央に来ないか?」と単刀直入に誘った。

 仲間たちもトレーナー陣も発狂せんばかりに喜んだ。

 オラが村のスターが誕生したぞ! 的なノリで。

 だが当の本人は微妙な顔だ。尻尾をしごきながら明後日の方を見ている。

 

「いやー無理だわ。東京って家賃高いっしょ。うちの実家、貧乏だからさぁ」

 

 そんなことを言い出した。唖然とする野次ウマたち。

 だが割と切実な理由だった。

 とは言えスカウトであるからその辺は融通が利くとルドルフは言う。

 

 実際、トレセン学園は全寮制であるし、食事面も専門の栄養士が計算した上で三度三度カフェテリアで食べる事が出来る。

 それにレースにデビューすれば賞金が入る様にもなるし、それまでは小遣い程度があれば問題ないのだ。だがリョテイは顔を顰めると作戦を変えた。

 

「ほらあれだ……東京って人が多いっしょ。俺、人込みとか無理なんだよなぁ」

「府中は東京圏ではあるが、人はそう多くないぞ」

「ソウナノ……」

 

 リョテイ、尻つぼみである。

 しかしすぐに表情を曇らせると、

 

「あっ(唐突) 実は実家のカーチャンさぁ、持病の(しゃく)でやべーんだよなぁ……親孝行しないとだし、なんで東京とか無理なんだわ……」

「君の母君に事前に連絡をさせてもらったが、大賛成だそうだ。娘の晴れ姿が見たいから、今からレースの応援のために旅費を貯金をすると快活そうに笑っておられたよ」

「クソぁ!! お袋ェ……」

 

 リョテイ、目が凄まじい速度で泳ぎ始める。

 

「君のタイムは把握している。何かしらの理由があり、君が本気を出す事を嫌がっている事もね。だが私たちは先ほど、砂浜で走る君を見たよ。なあリョテイ、君は何を恐れているんだ?」

 

 結局言い訳が見つからず「あーうー」と意味不明な事を言い出したリョテイに、ルドルフは真剣な表情で問うた。

 静まり返る周囲。だがいつの間にかリョテイの目がすわっていた。

 それまでの茶化すような雰囲気は消え失せ、じっとルドルフの目を射抜く。

 底冷えするような雰囲気を醸しながら。

 

「ああ? 誰がビビってるって? 舐めた事を言うなよ皇帝。俺が本気を出せばアンタなんかぶっちぎってやる…………」

 

 等と啖呵を切り始めたリョテイだが、途中でスッと立ち上がると、ダラダラと汗を流し始めた。

 挙動不審だ。

 そして、

 

「シラフでやってられっかバーカ! 悔しかったらミマツまで来やがれ! バーカバーカ!」

 

 そう叫ぶと唖然とする周囲を置き去りにし、職員室の窓へダイブした。

 FBIが強行突入したかのように。派手に砕け散るガラス!

 そして校庭に飛び降りたリョテイは、凄まじい速さで札幌トレセンを囲む壁を飛び越え消えたのである。唖然とするルドルフだったが、トレーナーは慣れた様子でガラスを片付けていく。

 ちなみに彼はかつてリョテイを幼女扱いして揶揄い、睡眠薬を飲まされアンダーヘアーを全部焼かれた被害者だったりする。

 

「あの、すまないがミマツとはなんだろうか?」

 

 困惑するルドルフがトレーナーに聞けば、そこはススキノの外れにある個人経営の居酒屋で、引退した札幌トレセンのOGが経営しており、リョテイの行きつけの店だと返ってきた。

 そしてマルゼンを伴いその店に向かうと、

 

「…………本当に申し訳ない」

 

 案内された座敷に通されると、そこには謎に見事な土下座をしているリョテイがいた。時間が経って冷静になったのだろう。

 曰く、中の人は気位が高いから、自分を無礼(なめ)る様な事を言うとついつい激昂してしまうとの事。

 中の人とは何だいと聞けば、黒くて四つ足でファンキーなダンスを踊ってくる獣らしい。

 

 どうも幼少時から頭の中にいて、夜眠ると夢の中に現れダンスバトルを挑んでくる愉快な奴らしい。

 リョテイはファンクもロックも行けるクチらしく、自慢のダンスで張り合った結果、分かり合ってソウルメイトになったという。

 意味が分からない。ルドルフは困惑するも、本人は真剣に言う物だから妄言と切って捨てる事も出来なかった。

 

 それで真剣な口調に戻したリョテイは言った。

 スカウトしてくれるのは嬉しいが、自分の中でレースで戦うための目標とか、ウマ娘としてどうありたいかという他の奴が持っている情熱みたいなモンがない。

 あんたがビーチの俺を見たってんなら、確かに俺は才能めいた物はあるんだろ。

 そこは自覚しているさ。俺は速い。あんたに届くは知らんけどさ。

 鍛えてるのは自分の中の本能がそうしろって言うからやってるだけだ。

 

 遠い目をしながらリョテイは語り、そして例の0か1にしか制御が出来ない自分のピーキーさを暴露した。

 だから勝ちたいって強い気持ちもないまま、何となく勝ってニコリともしなかったら、中央で頑張ってる奴に失礼だろ? だから無理。俺は行かないとはっきりと言った。

 

 ルドルフとマルゼンは奇妙な感覚をリョテイに覚えた。

 まるで年長者と会話している錯覚に囚われたのだ。

 それこそ教師が未熟な生徒を諭す時に似ていて。

 リョテイの素行の悪さもまた、実力を隠す隠れ蓑だという事も理解できた。

 

 そこで今まで黙っていたマルゼンスキーが口を開いた。

 クラシックに無理を言ってでも挑戦しなかった事を後悔している。

 それなりに結果を出し、人気も出た。

 けど時間は絶対に戻せないわ。

 

 リョテイちゃんが今は勝ちたくなくても、やがて後悔した時は遅いのよ。

 ほら大学受験と一緒よ。

 目的は無くても、とりあえず東大を出ておけば損はないでしょう?

 男も女も、ステイタスは大事よ~?

 

 お道化るようにマルゼンは言った。

 ルドルフもシリアスに寄り過ぎた雰囲気を和らげてくれたんだなと感謝をしたが、しかしそれはリョテイの地雷を踏む言葉だった。

 ダンっとテーブルを叩くリョテイ。

 

「ふざけんな。マルゼンスキーが卑屈なセリフを吐くなっ」

 

 階下にも響きそうな一喝だった。

 固まるマルゼンにリョテイはセリフを続ける。

 

「いいか、マルゼンスキーは時代に翻弄された名馬だ」

 

 リョテイは明確に馬と言った。

 バと馬、語感は一緒でも、何か明確に違う様にマルゼンには聞こえた。

 

「素質のあり過ぎる名馬。けど足元にはいつも不安があった。けどみんなマルゼンスキーは名馬だっていうんだよ。……親父もな。親父が大好きだったんだ」

 

 ルドルフたちはリョテイの家庭環境についてはリサーチしてある。

 彼女が2歳の時、父親は肺炎で他界している。

 人間よりははるかに早熟なウマ娘だとて、2歳で物心がついているのか?

 何よりマルゼンはここにいる。レースキャリアは5年と少し。

 リョテイは何を言っている? 二人は困惑した。

 

 だがリョテイが言うマルゼンスキーは、G1を勝っておらず、なにやら当時は朝日杯はグレード制施行前だからなどと意味不明な事を供述。

 さらには向こうで受胎した上で繁殖牝馬を輸入したからって外国扱いは可哀そうだの、身体が弱そうといっても、クラシックに登録出来たなら、それに合わせた調教を行い、彼はきっとダービーに勝ったはずだ! と、日本酒の一升瓶をラッパ呑みしながら熱く語り始めたではないか。

 

 マルゼンを彼と言ったり、血統だの繁殖牝馬など謎のワードが飛び交う。

 だが熱く語るリョテイの話は存外面白く、気が付けばルドルフもマルゼンもそれでそれでと続きをおねだりする。

 それで気を良くしたのか、マルゼンの話だけにとどまらず、ミスターシービー、そしてシンボリルドルフと三冠馬の話に飛び、そのルドルフが引退して種牡馬となり、その初年度産駒のトウカイテイオーの感動の復活有馬では、一番人気のビワハヤヒデをねじ伏せて勝った彼を称賛し、それと共に馬券ではホクホクだったと自慢げに語る。

 

 最終的にリョテイは、酒でテンションがブーストされ、そこにあった割りばしを扇子の様にパシンパシンと小気味よく振りながら、まるで講談師の様に前世の競馬について熱く語ったのである。

 気が付けば食い入るように聞き入るルドルフ達だけじゃなく、他の個室にいた客も集まっており、この謎のストーリーを楽しんだのである。

 そうして話が終わり、見知らぬ客たちから飛んできたオヒネリを集めたところで、リョテイはいつぞやの様に汗をダラダラ流し始める。

 

 ウカツにもほどがある。

 ルドルフが「ところで妄想にしては随分と堂に入った内容だったが、つまりはどういうことだ?」との当然の質問が飛んだところで、リョテイはその声を上書きする程の大声でマルゼンスキーを褒めまくった。浅はかにも有耶無耶にするつもりだ。

 

 とにかくお前は暗い顔なんかするな。

 素晴らしいウマ娘なんだ。

 クラシックに出れなかった? ハン! だったらJCと有馬と連勝し、翌年に春天と宝塚をねじ伏せ、その足でフランス行けよ! 何? そんな事出来るわけがない? ふざけんな! マルゼンスキー俺はお前を信じている。お前が自分を信じられないって言うのなら、俺が信じるお前を信じろ! 何かが天元突破しそうな勢いで捲し立てる。

 

 後半マルゼンスキーは「も、もうやめてっ」と顔真っ赤で硬直。

 ルドルフに「マルゼン、お前のそんな女の顔を初めて見たよ」と揶揄いのセリフに顔を覆って照れまくるマルゼンを、「これは面白そうだ」と冷静にスマホを取り出し撮影するリョテイ。

 この幼女、外道にもほどがある。

 

 その結果、開き直ったマルゼンが、「あたしをこんなに燃え上がらせて、逃げられるとか思わないでよね」と80年代ドラマめいたセリフでリョテイを捕獲し、この問題児はあたしが預かるわ! と同居をゴリ押したというのが事の詳細だったのである。

 その後東京でURAの関係者が横やりを入れてきた際も、子猫を護る母猫めいた勢いでルドルフを援護射撃した。

 

 リョテイにしてみれば、前世の父親が愛していたマルゼンスキーが下に見られる事は、自分の存在意義を傷つけられると取った。

 何せ競馬や競走馬の存在を知るのは恐らく自分だけなのだから。

 だからこそ目の前のルドルフですら、自分を卑下したセリフを吐いたなら、リョテイは我慢できないのだろう。

 

 つまりだ。

 このルドルフからのスカウト劇と、その最中にリョテイが自爆して前世の記憶をお漏らしした結果、それをごまかすためにマルゼンを持ちに持ち上げ、その挙句マルゼンに懐かれたという訳だ。遠征に忙しいのは、リョテイが言うように、本気の自分を世界に知らしめてやると、凱旋門を目指す事を決意したから。

 海外レースで勝ちたいと密かに考えていたルドルフもまた、思う所があった様で、生徒会長としての仕事を、執行部のメンバーに分散するように動き、最近は積極的に体を作っている。

 

 ルドルフにしてもマルゼンにしても、ある程度歯に衣着せぬ言葉をかけてくれる相手はいる。

 しかしそれは少数に限られているし限度がある。

 だからこれだけズケズケと物を言うリョテイの存在は、いい意味で衝撃を受けたのだ。

 誰にどう思われるとかじゃない。自分が今、何をしたいのか、それが大事なのだと、初心に返ったというところか。

 

 とは言えそのきっかけであるリョテイは、いまだ自分がレースに臨む強い気持ちも沸き立つことは無く、日々苛立ちを抱えている毎日なのだが。

 

 さて本題に戻そう。

 

 リョテイが弱り切ってマルゼンに甘えていた理由。

 本人が言うアイデンティティ崩壊の危機。

 それが何故なのか。

 

 既に未勝利を脱したリョテイは、重賞未満の条件戦でキャリアを重ねる事になった。

 勿論ルドルフに「今の生活スタイルを続けたいのなら、きちんとキャリアアップをするんだな」と引き続きヌルい生活はさせんぞと釘を刺されたからだ。

 

 そこでレース登録やローテーションを任されている池江氏が登録したのが、夏の札幌で行われた芝2600m。その名は「阿寒湖特別」

 

 然して強調すべきレースでもない。

 少々距離が長いなくらいな物だ。

 出走する相手はそこまで強くなく、当然リョテイは勝った。

 本気も出さず、ウマなりで。

 

 だが奇妙な光景が見られた。

 先頭でゴールしたリョテイが観客に顔を背ける様にターフから消えたのだ。

 これまでの彼女は、勝とうが負けようが客を煽ったりするサービス精神旺盛な所を見せていたのに。

 

 その後ウイニングライブは一応することになった。

 札幌時代の仲間たちがリョテイの凱旋を祝福するのだと大挙して押しかけていたため、恥ずかしいから嫌だとゴネはしたが。

 なのでリョテイは、パドックの時に意気投合したドングリと、ライブまでの空き時間で酒盛りをし、酒の力でライブに臨んだのだ。

 

 そして無難な曲が流れ、三着までの3人以外は口パクで行われたのだが、曲が始まってからセンターのリョテイは俯いたまま歌わない。

 不審に思ったオフィシャルが一番のサビが終わったタイミングで曲を終わらせたのだが、驚く事にリョテイは泣いていた。

 嗚咽することもなく、ただ無表情でポロポロと涙を流す。

 

 元クラスメイト達はリョテイが凱旋勝利で感極まったのか? と思った様だがそうじゃない。

 しばらく無音のままざわつく会場の中、突如キッと顔を上げたリョテイは、スタンドからマイクを外して手に持つと、アカペラのまま、誰も聞いたことのない英語の歌を唄った。

 

 普段のお茶らけたリョテイからは想像できない情感たっぷりのその曲は、いつしか観客たちを遣る瀬無い思いを抱かせた。

 リョテイは唄う。泣きながら。

 悲しみはある。だがそこに歓喜と困惑も混じっていた。

 誰もそれに気が付くことは出来ないが、リョテイの歌と、彼女が唄う姿は、何かとても尊い物だと理解した。

 

 曲が終わった後、客のまばらな拍手がやがて大きな歓声を伴ったスタンディングオベーションとなる。

 ステージで呆然と立ち尽くしていたリョテイは、キナ臭い表情で頭を掻くと、ぺこりと頭を下げ、裏手に消えていく。

 

 この世界の誰も知らない曲。

 前世の記憶を持つリョテイだけが知る、盲目の黒人シンガーの名曲。

 その曲の名は「Stay Gold」

 

 (そっか、お前がいつもイラついていたのは、本当の名前を俺が気が付かなかったからだったのか……)

 

 そしてリョテイは自覚した。

 勝利し自分の名前がコールされた。

 阿寒湖特別、勝利したウマ娘はキンイロリョテイ、キンイロリョテイ!

 そこで彼女は雷に打たれる錯覚と共に、これまでの間、奥歯に物が挟まったかのように感じてきた違和感の正体を知った。

 それが自分の真なる名前。

 

 だからとても切なくて。

 もう二度と戻れない故郷を思って。

 でも確かにその記憶は自分を形作っていて。

 誰にも信じて貰えないだろうが、自分の人生も、青春も、それは間違いなく黄金の記憶。

 

 

 

 

 

 ここに来て自己を確立させたリョテイは、歓喜の反面、とても寂しくなったのだ。

 

 

 

 

 




今週分は以上。ご査収ください。
続きは来週末にでもよろしくお願いいたします。

使用イメージ楽曲
STEVIE WONDER:STAY GOLD 
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