人類銀河帝国 コリント朝 功臣列伝資料 「サテライト8班リーダー ケニーの日記」(航宙軍士官、冒険者になる異伝) 作:ミスター仙人
4月1日(人類銀河帝国 コリント朝3年)
アラム聖国の3番目の都市である『ムンバイ』にて、アラン様は広場に設えた壇上でアラム聖国の国民に対しての演説を始めた。
「・・・アラム聖国の民に告げる!
我は人類銀河帝国初代皇帝アラン一世である。
人類銀河帝国は、此れまでのアラム聖国上層部による様々な帝国と西方教会に対するテロや暗殺行為、そしてアーティファクトと魔道具頭の略奪行為に対し、アラム聖国の代表たる『パウロ法皇』と指導部へ詰問の使者を此れ迄幾度も差し向けたが、全ての使者が手酷い形で追い返されてしまった。
常識的な外交チャンネルでの折衝も、にべもなく玄関払いされてしまい、一切の交渉を打ち切られた!
よって我等人類銀河帝国と西方教会は、力による問題解決を図らなければならなかった。
しかし、其れはあくまでも宗教指導者と一部の支配層に限られる。
当然アラム聖国の平民と政策決定に関わっていない方々には責任が存在しないので、人類銀河帝国は責任を追求しないし、今後の新しいアラム聖国の指導者との友好関係を進める為にも、人類銀河帝国は全面的に支援して参りたい!
なので、何か困った用件や事情がお有りならば、どうぞ人類銀河帝国の出張機関をムンバイの政庁に併設していますので遠慮なく相談して戴きたい!」
最後の方は、アラム聖国の国民に対してのリップサービスの様で、にこやかな笑いを零しながら話された。
その演説は、予め中立宣言をしたアラム聖国の主要都市に設置していた、大型モニターを通して放送されかなりのアラム聖国の国民が見てくれて、放送が終わってからかなりの反響があったらしくて、帝国から連れてきた行政職員達がてんてこ舞いになった様だ。
4月8日(人類銀河帝国 コリント朝3年)
あのアラン様の演説がアラム聖国の全土を駆け巡ってから1週間経ち、主要都市以外の地方都市や様々な市町村からの反応が多数有り、其れ其れの都市からの有力者が『ムンバイ』に集合して来た。
そんな中、アラム聖国の2番目の都市である『デリー』から、過去に藩王と云う立場に居た『クリシュナ・ラージャ』と云う方がアラン様に会うべく来訪した。
彼は既に70歳の老境にあったが、まだまだ矍鑠としたものでしっかりとした足取りで、ムンバイの政庁の階段を自分の両足で登り、5階にあるアラン様の執務室で今後のアラム聖国を話しあったそうだ。
この様な、事実上のアラム聖国の戦後処理と思われる様な話しがされているのも、其れ其れの都市に駐留していた、獣化兵(ゾアノイド)を含む軍隊が、先の会戦でアラム聖国軍での敗北が伝わると、どうやら南方に有る巨大な軍事基地に撤退したらしい。
そうなると、事実上東方教会の教団が無理矢理軍事力で以って支配していた各地方都市は、アッサリと教団から都市の支配権を取り戻し、昔の封建政治とは違い其れ其れの都市で相談の上で、有力者や顔役の様な人物を選出して代表者として『ムンバイ』に来て、教団の強権的な政治体制に各地方都市はうんざりしていた事もあり、いち早く帝国の統治システムを聞くべくやって来ているらしい。
しかし、まだアラム聖国は全ての都市が帝国に靡いた訳では無いし、まだアラム聖国軍は半分以上の兵力を残している事は判っていて、近く戦争状態に入る事になるだろうと噂されていた。
4月15日(人類銀河帝国 コリント朝3年)
アラム聖国の北部に存在する首都の『マーラーヤナ』から、三聖人の一人で有る『カルマ』殿から此の日の夕刻に緊急の通信が入った。
内容は、アラム聖国の代表たる『パウロ法皇』と一部の宗教指導者が殺されたと云う報告で有った。
その状況と様々な目的が有り、『ムンバイ』に帝国軍艦隊を駐留させたまま、アラン様と自分其れに親衛隊の手練達は、ドラゴンの輸送カーゴに久し振りに乗って直ちに首都『マーラーヤナ』に向かった。
その間にも、北方方面からの牽制をしてくれていた、ビクトール大将の率いる北方方面軍は直ちに南下してくれているが、如何せん山脈の間の細い道をなるべく壊さない形で、陸上艦船を移動させねばならずに行軍スピードは圧倒的に遅い。
ただ、元々対峙していたアラム聖国軍はサッサと撤退してくれていたので、何の抵抗も無いのでその辺の苦労は無い様だ。
しかし、どう考えても首都の『マーラーヤナ』に北方方面軍が到達するには後1週間は掛かるので、空中移動の早い空軍がサッサと移動を開始したと言う訳だ。
かと言っても、如何に空軍が早いと言っても準備に時間も掛かり、後の引き継ぎにも時間が掛かった。
よって、『ムンバイ』を出立したのは夜の23時を回っていたので、早くても明日の早朝にしか首都の『マーラーヤナ』には着けないだろう。
其れにしても、どういう事なのだろうか?
アラム聖国の代表たる『パウロ法皇』とは、今時の大戦と今までのアラム聖国が関与する様々な犯罪行為の責任者に他ならず、当然公の場で此れまでの事実を認めさせて、罪を償わなければならない張本人と、帝国側は考えていたのだ。
一気に混迷を深めた情勢に、自分は不安を抱かざるを得なかった。