後輩眼鏡女子は今日もうそぶく   作:手嶋茶未

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やれやれ系にはなれない
或る日の部室①


 某高校にある天文部の部室は荷物置き場も同然である。もっともらしく文化部系の名を冠しておきながら、とくに活動はない。倉庫、あるいはペーパーカンパニーのごとく実体のない部活であった。なんの偶然か、脈々と受け継がれるエリート幽霊部員たちによってこれまで存続しており、佐原灯馬もそのうちの一人だった。

 

 部室を維持している以上、その恩恵に与るのは当然の権利とばかりに、灯馬はときおり授業をフケて、この部屋をサボり場所として使っている。

 

 以前は別の文科系の部活が使っていたため、壁は背の高い本棚とそれを埋め尽くす夥しい本に囲まれており、歴代の部員によって持ち込まれたガラクタ類のせいで部屋は狭く感じられる。

 

 八畳ほどの部室の中心に細長いテーブルを六つほど固め、その周りにパイプ椅子を配置してしまえば、ほぼ足の踏み場など無いに等しい。

 

 その日の午後、灯馬はパイプ椅子に腰かけてリラックスした様子で漫画を読んでいた。

 

 気まぐれに本棚から手に取ったのは料理漫画だった。ライバル寿司の暴虐に抗う寿司漫画の全国大会編だ。どちらかといえば彼は無印のほうが好みだったが、ここまでくると惰性だった。本棚に全巻揃っていることだし、どうせなら最後まで読みたい。

 

 料理漫画は人々に寛容さを教えてくれる。あたりまえのように失神する審査員、美味すぎて口にしただけで死ぬパン、狂気じみた中華料理。あと最終話でダルシムと化した河内とか。

 あれを読んだ後だと新宿エンドもそう理不尽ではなかったのではないか、という気さえしてくるから不思議なものだ。

 

 ページを捲りながらそんなことを考えていると、ドアノブが捻られる音がして、灯馬は一瞬身を固くする。

 

「おや、佐原先輩じゃないですか」

 

 部室に入ってきたのは、黒縁眼鏡をかけた女子生徒だった。首筋あたりで切り揃えたショートヘア。左目の下に泣きぼくろのある地味めな少女だが、授業中にこの部室に来る時点で見た目ほど真面目ではないのだろう。今年入部してきた一年生だった。

 

「……なんだ、仁科か」

 

 灯馬はほっとしたように息を吐くと、再び椅子の背もたれに体重を預ける。彼のなかではたまに話す変な後輩程度の認識だった。

 

 仁科なんとか。下の名前は知らない。

 

 前に訊いたような気もするし、忘れたような気もする。仁科は後ろ手でそっとドアを閉めると、つま先歩きで床のガラクタを避けながらテーブルを挟んで灯馬の向かいの椅子に座った。

 

「うわ、また懐かしい漫画読んでますね、先輩。わたし中学生の時、小手返し一手で握る練習とかしてましたよ」

 

 覗き込んで表紙を見るなり、仁科はくすくす笑った。どうやら既読だったらしい。

 

 登場人物がえげつない屑ばかりなことに定評のあるバトル料理漫画だが、ストーリーはかなり熱い。クソを通り越して犯罪レベルの妨害を繰り返すライバル達に果敢に挑む、新米寿司職人の戦いの記録である。

 

 ちょうど漫画の中では、電車に轢かれ大怪我を負ったライバルが病院を抜け出し、満身創痍で寿司を握る熱い展開が繰り広げられていたところだったが、灯馬はいったん本を閉じた。

 

「一手は無理だろ、一手は。絶対シャリが崩れる」

「ええ、普通に無理でしたね。むしろ出来たらチートですよ、あれは」

 

 仁科は肩をすくめた。

 

 この残念な後輩とはたまに遭遇するのだが、意外に話が合う。B級映画好きを自称するだけあって、馬鹿話で盛り上がることもある。

 

(よく見ればそこそこ顔が整ってるのがムカつくな……)

 

 と、灯馬は内心考えていた。どこか掴みどころのない印象を受ける。

 

 せっかく顔を合わせたのに別々に漫画を読むのもアレだと考えたのか、どちらともなくテーブルに置いてあったボードゲームに手を伸ばす。土地を開拓していくゲームだった。

 

「いや二人でこのボドゲは地獄では?」

「たしかに」

 

 今度はふたり揃って手を引っ込める。

 

「チートといえば」

 

 仁科がやけに神妙な顔をして口を開いた。この少女がこういう顔をしているときは、だいたいがくだらない話題だ。なにやら駄弁ることにしたらしい。

 

「こう、科学が栄えた文明世界に転生して魔法で無双するみたいな話あるじゃないですか」

「ありがちだね」

 

 また始まったよ、と思いながら灯馬はうなずいた。

 

「一つの完結した世界観に外から別の法則を持ち込もうとするのって、なんか卑怯じゃありません? 道歩いてて犬のウンコ踏んだ小学生が『でもバリア張ってたから無効!』って謎ルールで言い訳するぐらい卑怯じゃありません?」

 

「おまえ犬のウンコ踏んだ小学生になんの恨みがあるの?」

 

 この世の理不尽を許さぬとばかりに訴える仁科に、灯馬はあきれて言った。

 

「……というか言うほど無効か?」

「まあ、家に帰ったらお母さんに問答無用で怒られるんですけどね。普通に臭いでバレて」

「若かりし日の実体験だったか。いや、おれもやったことあるけどさ」

 

 灯馬の場合は『地面から三ミリ浮いてるからセーフ』派だったが。実際、誰もが通る道だろう。小学生にとって五時を過ぎると薄暗い公園や川沿いの道は地雷原なのだ。

 

「ウンコバリアは集合的無意識が作り出したものだった……?」

「やたら壮大な話になってるけど、ただの現実逃避バリアだから」

「そう言われると無双話も途端に現実逃避めいて聞こえてくるから不思議ですね」

「無差別に喧嘩売るのやめろ」

 

 若干危ない方向に傾きかけたのを素早く察して、止める。刺さる人には刺さるかもしれない。そういえば仁科は無双は国士無双しか許さない派だった。原理主義者であった。

 

「ほんっと余計なこと言わないように竹でも噛んでたほうがほうがいいぞ、おまえ」

「鬼か。おのれ笹寿司……」

 

 悔しそうに歯噛みする仁科だが、笹寿司はまったく関係ない。

 

「じゃあちょっと話変わりますけど、『下痢ツボ!』って言って人の頭頂部を押すやつ昔流行りましたよね、ほらつむじあたりの」

「あんま変わってねえし、さらに汚くすればいいってもんじゃない」

 

 ウンコネタを引っ張ろうとする仁科。どうもこの少女は脊髄反射で思いついたことを喋っている節がある。発想からして女子力あるいは人間力が最底辺にあることは間違いない。

 

「あれって人間が幼少の頃に初めて使う呪術みたいな感じしません?」

「意味不明すぎる」

「ほら、一瞬押された程度で効果なんて出るわけないのに、ちょっとお腹の調子が悪くなったり、冷や汗かいたり飛蚊症に苦しんだり」

 

 たしかに、意識すると本当に体調が悪くなるあたりが呪いめいている。瑕疵物件で無意識のうちに精神を病んで身体を壊すとか。抜け毛を意識すると禿げるとか。そういうことを言いたいのだろう。至極どうでもいいが。灯馬は面倒臭くなって雑に相槌を打つ。

 

「あー、あれだ。『お前はもう死んでいる』のセリフの後に体が爆発するとか、日本刀で斬られて峰打ちなのに気絶するやつ」

「なるほど。思い込みって怖いって話ですね」

 

 感心したようにうなずく仁科。

 

「ごめん適当言ったわ。百裂拳とか全身の秘孔突かれた末の爆発四散だわ。べつに思い込み関係ない」

 

 ついでに言えば峰打ちも怪しい。刃がなかろうが、鉄の塊で殴られたら痛いし、当たり所によっては誰だって気絶するだろう。

 

「ふむ、逆刃刀は立派な鈍器って話ですね」

「……いや間違ってはいないけども」

 

 灯馬はどこか釈然としない感じがして首をひねる。

 

「つか、仁科さぁ、一年のうちからこんなとこで授業サボってていいのかよ。まだ五月だぞ」

「二年生なら良いということもないでしょうに」

 

 灯馬の指摘に、仁科はしれっと答える。だが、彼にはこの後輩女子と結構な頻度で顔を合わせているような気がしたのだ。いくら学校に単位制の側面があるとはいえ、グレるにはまだ早い時期だ。

 

「まあそうなんだけど。なんつーの、勉強とか人間関係とか大丈夫なの?」

「おや、頭にブーメランとか刺さってませんか?」

「全然」

 

 灯馬はかぶりを振った。べつに頭は悪くないし、どちらかと言えば友達は多いほうだった。基本的に要領が良いのだろう。ただ少々サボり癖があるだけで。

 

「おれ体育会系だから」

「あ、ずるい……じゃなくて、わたしもええと……ほら、カニばさみとか超得意ですから」

「明らかに禁止技じゃねぇか」

 

 悩んだ末に妙なことを口走って対抗しようとする仁科。やはり残念感が否めない。

 

「あれ? でも佐原先輩だって天文部じゃないですか。そっか、うちって実は体育会系だったんですねヤッター!」

「騒ぐなや……人来たらどうすんだ」

 

 灯馬はホラゲーで〈叫ぶ〉コマンドを誤タッチした時のような表情を浮かべた。銃のリロードをしようとして叫ぶし、アイテムを拾おうとしても叫ぶ。常に選択肢に表示されているあたり、どうあがいても絶望的な心情を慮ったものだったのだろうか。

 

 ではなくて。

 

 忘れがちだが授業中なのである。この時間に部室棟に人が来るとは思えないが、見回りがいないとも限らない。誰かに見つかってからでは目も当てられないのだ。

 

「その体育会系への憧れなんなの。もしかして中学は文化部?」

「いえ、去年の夏まで陸上やってましたが」

「バリバリ運動部だそれ」

 

 灯馬があきれて呟くと、仁科はふふんと笑って、

 

「これでもわたし結構走るの速いんですよ。なんと裸足になると速さ二倍!」

「アベベかな?」

「RPGだと高倍率の速度比例攻撃撃てるキャラとかですね、たぶん」

「仮にもアタッカーが靴すら装備してないの致命的なのでは?」

「そこはほら、ファンタジーですし、足の裏の皮膚が五ミリくらい厚いとか」

「そんなしょっぱいファンタジー要素なら最初から無いほうがマシだろ」

 

 ファンタジー舐めんなレベルである。気怠そうに灯馬が突っ込むと、仁科は不満げに口を尖らせた。それから思いついたように言った。

 

「こういう話してるとなんかゲームやりたくなってきますよね。やっぱボドゲやりましょ、ボドゲ」

 

 仁科は先ほど断念したボードゲームに手を伸ばした。天文部ではなくて実質ボドゲ部なのである。そもそもあまり活動もしていないが。灯馬は肩をこきこきと鳴らして確認する。

 

「いいよ、罰ゲームは?」

「もちろんアリで」

 

 仁科はそう言って不敵な笑みを浮かべた。

 

「今日こそラーメン奢って貰いましょうか」

 

 

 

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