後輩眼鏡女子は今日もうそぶく   作:手嶋茶未

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昼下がり①

 仁科果歩が図らずも天文部の部室の扉を叩いたのは、四月の初週のことだった。

 その日は午前授業だったので、昼前には解散となった。あとは友達を作るなり、部活を見学するなりご自由に、そういうわけである。

 

 せっかくなので果歩は校内を散策することにした。

 すでにクラスではいくつかのグループができあがりつついたが、まだ序盤。あとで合流するぐらい、どうとでもなる。その程度の社交性はあった。

 

「んー」

 

 昼時ということもあり、とりあえず果歩は食堂に行くことにした。

 入口の券売機で食券を買う。

 親子丼。四百円なり。

 

「うん、まあアレだ。うん」

 

 トレーを持ってテーブルについた果歩は微妙な表情を浮かべる。

 味は美味くも不味くもなかった。学食の味、というやつなのだろう。果歩はそう思うことにした。食べ終えた果歩は箸を置き、これからのことを考える。

 

「どうしよっかなあ……」

 

 食堂に来る前に目に入った昇降口の辺りは、部活勧誘の上級生で溢れかえっていた。出待ち勢である。ホイホイ付いていくのもまた一興だが、見るからにジャージやウィンドブレーカー姿の生徒が多かった。運動部は中学でこりごりだった。そこまでの情熱は果歩にはない。

 

 帰るにしても勧誘の群れを突っ切るのは億劫だった。

 

 特にやりたいこともないが、だからといって安直に帰宅部になるのは違う気がする。お金に困っているわけでもないからアルバイトも今はするつもりはない。困った。すこぶる暇だ。

 

 むむ、としばらくのあいだ腕組みをしていた果歩だったが、

 

 

「……文化部だ。文化部を見に行こう」

 

 名案を思いついた、とばかりに立ち上がる。

 

(まあ、テキトーにどこかしらに入れば暇は潰せるはずだよね)

 

 雑な思考を打ち切って、果歩は文化部棟を目指してまだ慣れない校舎のなかを歩き出した。

 

 自然科学部、文芸部、推理小説研究会、服飾部。扉に掛けられたプレートを眺めながら部屋の前を通り過ぎていく。なかにはジャグリング部なんて洒落た名前の部活もあったが、入部したいかと訊かれると首を傾けざるを得ない。たぶんオサレ枠なのだろう、と果歩は結論付けた。

 

 これだ、と感じる部活もなく、廊下の突き当りまで来てしまった。

 

(ふむ……)

 

 せっかくだしせめて一つくらいは軽く冷やかしてから帰ろうと、果歩は適当に手近にあったドアをノックした。

 

「うい」

 

 ほどなく中から気だるげな声が聞こえて、扉が開く。

 

 出てきたのはやたら背の高い男子生徒だった。身長は百八十センチはゆうに超えているだろう。そのわりに高身長な男特有の威圧感だったり、存在感がないのはシルエットが細いためだろうか。制服の黒ブレザーとスラックスを身につけていることもあり、葬儀屋のようにも見える。その男子はクセ毛気味のぼさぼさした髪を掻きながら、

 

「うん?」

 

 と、じつに眠そうな目を果歩に向けた。

 

「うちになにか用が?」

 

 酷く痩せた印象を受ける男子生徒だった。例えるなら針金人形にブレザーを着せたような全体的な細長さ。あるいはマッチ棒。

 

「どうも、見学です」

 

 と、果歩が声をかけると、「おー」と、その男子は覇気のない笑みを浮かべた。

 

「いやあ、まさか初日から人が来るとはね……」

 

 先輩らしきクセ毛の男子生徒は、頬をかきながら途方に暮れたような顔つきになった。それから部室のドアプレートを振り返って、

 

「……あーっと、あれか。星とかに興味ある人?」

「え、星ですか? なくはないですね」

 

 まあ人並みですかね、と答えてから、なぜそんなことを訊くんだろうと釣られてプレートに目を移せば、そこには〈天文部〉と表記されていた。道理で。

 

「なんだそりゃ、一応ここ天文部なんだけど」

「一応、なんですか」

 

 果歩は見上げるようにして先輩の顔をまじまじと見つめる。

 

(両耳にピアス……校則とか大丈夫なんだっけ、もしかしてヤンキー?)

 

 前髪で少し目許が隠れているが、顔のパーツは悪くない。

 

(けどなんか今にも死にそうな顔色してるなこの人)

 

 病的な痩身と相まってヤクの常習犯とかデスゲームの支配人と言われてもうなずける。

 

「……あ、もしかして『星』ってなにかの隠語だったり? えっと、すいませんわたし、中毒性ある粉ならハッピーなターンの粉で十分満足してるんで」

 

 さっさと回れ右して帰ろうとする果歩。ハイになる薬で星を見るとかいうオチなら嫌すぎる。令和の時代は多様性の社会だが、そんなギリギリ(アウト)な天文部は遠慮願いたい。

 

「おい、妙な誤解したまま帰ろうとするな」

 

 細長い腕がにゅっと伸びてきて、背後から肩を掴まれた。逃げられなかった。

 

「……まあ入れよ。さっき見学とか言ってたしどうせ暇してんだろ」

「はあ」

 

 よく考えれば校内でヤクやってる部活があるわけがない。この長身痩躯の先輩にしてもワンパンで沈みそうな華奢さだ。とくに身の危険も感じない。握りしめた拳を信じろ。

 

 先輩に続いて部室に踏み入れると、まず壁を覆いつくす背の高い本棚が目に入った。隙間なく敷き詰められており、一目見ただけでもかなりの蔵書量なのが分かる。

 

 いや、特筆すべきはその蔵書量だけではない。書架の並びもなかなかのものだ。

 ぱっと目についただけでも、当然のように異色作家短編集やシムノン選集が揃いで鎮座していたりする。棚にはSFやミステリ、怪奇幻想などの有名どころやマイナーなものまで漫画に混じって雑多に並んでいた。

 

「うわあすっごい。ずいぶんな古本マニアがいるみたいですね」

 

 と、彼女は目を輝かせながら言った。

 

 先ほどプレートにあった文芸部だとか推理小説研究会の部室だと紹介されてもなんら違和感はない。それほどまでに部屋は本に囲まれており、どうにも天文部要素が見当たらなかった。ちょっとした図書室の域である。

 

「うちに入ってくる奴は古本狂ばっかだよ。たぶんここの部室から古本屋の匂いとか出てるんじゃないかな」

 

 ピアスの先輩はのんびりと大きな欠伸を一つすると、どうでも良さそうに言う。

 

「そういや、部長もこの棚を見てその場で入部決めてたか」

「その気持ちはわからなくもないです」

 

 果歩はまだ見ぬ部長に共感したようにうんうんとうなずいた。

 

「ま、ひとまず座れば?」

 

 先輩の男子は、まだドアの前で本棚に目が釘付けになっている果歩にパイプ椅子を勧めると、自身はテーブルを挟んでその正面に座った。

 

「それで、お名前は? なんていうの?」

 

 それは興味というより、仕方なく訊ねているような義務感をそれとなく漂わせていた。端的にいえばめんどうくさそうな。運悪く新入生に遭遇した幽霊部員が対応を強いられているような。そんな印象を受けた。

 

「一年の仁科です。下の名前は……ええとあれだ、絆レベルとか上がるとそのうち解放されるんじゃないですかね」

「ソシャゲかよめんどくさいな」

「こう、不親切にも設定からのマテリアルに勝手に追加される感じで」

「あっ一昔前のノベルゲーだった」

 

 ついでに言えば果歩は用語集などはストーリーが終わるまでは放置する派だった。なぜって大抵ネタバレが含まれているから。前に途中でチラ見して痛い目を見た。

 

「ええと、そちらは?」

「二年の佐原だ。佐原灯馬。よろしく」

「よろしくです」

 

 言いながらも果歩の視線は灯馬の背後にある本棚に向けられている。

 彼は少々居心地の悪そうに頬をかいたあと、目の前に座る果歩が一応見学に来た客だということを思い出したのか、

 

「そうそう、なんか飲む? 紅茶とコーヒーあるけど」

 

 と、テーブルに置かれたティーバッグの大袋を示した。そのとなりには小袋のインスタントコーヒーもいくつか置いてあった。

 

「あ、じゃあ紅茶いただきます」

「はいよ。紙コップは包装開けてないのがそこにある」

 

 そう言いながら床のダンボールからペットボトルを取り出し、テーブルの上にあった電気ケトルに水をどぼどぼ注ぐ。

 

「はぇー、コンセントあるんですね、ここ」

「あるよ。スマホの充電ならご自由に――そういや前に冷蔵庫置こうとして怒られたらしいな」

「さすがに冷蔵庫は……というか先輩、水めっちゃ入れません?」

 

 ケトルに注がれた水の量は二人分にしても多かった。果歩が疑問を口にすると、灯馬はすっとぼけた顔で、

 

「ん? ああ、ちょうどお湯沸かすし、カップ麺でも食べようかと思って。実はおれ昼飯まだだったんだよ。あー、仁科さんもどう?」

 

「や、わたしさっき食堂で食べてきたんで」

 

 と、果歩は首を振った。

 

 この灯馬という男、かなりマイペースな人物のようだった。もしかしたらお湯を沸かすために飲み物を勧めたのかもしれない。果歩がそれとなく疑いの目を向けると、灯馬は薄く笑った。

 

「悪いね。今日、部室におれしかいないから外出られなかったんだわ。出てる間に見学来てても困るし」

 

 まあ、ホントに来るとは思わなかったけど。

 

 そうぼやきながら灯馬はケトルのスイッチを入れて立ち上がると、左腕を伸ばして本棚の上に積み上げられたカップ麺類から一つを取った。『美味に思わず昇天! これぞヨモツヘグイ!』と大きく書かれたカップ焼きそばだった。

 

(え、謎肉ってそういう……?)

 

 果歩の脳裏にソイレント・グリーンな感じの嫌な想像がよぎったが、頭を振って追い出した。ケトルのお湯はすぐに沸いた。

 

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