「ほら」
灯馬はティーバッグの入った紙コップにお湯を注ぎ、果歩に手渡してくる。
「どうもです」
ぺこりと頭を下げて受け取った。灯馬は自分のカップ焼きそばのほうにもお湯をなみなみと注いで、蓋をする。待ちの時間だ。果歩はなんとなく手持ち無沙汰な気分になって、
「見たところ天文関係のものが見当たらないんですが、本当に天文部なんですか?」
と、訊ねた。
「天文関係って、例えば?」
「ええと、望遠鏡とか」
「あー、望遠鏡ね。あるよ。そこら辺にある。どこだったかな」
灯馬は床に転がったガラクタの山をゴソゴソと探り始めた。
「いやホント、どこに仕舞ったっけ」
「仕舞うとは……?」
思わず胡乱げな眼差しを向ける果歩。無造作に打ち捨てられた、あるいは積み上げられたようにしか見えなかった。
「ゴメン見つかんねえわ。ま、たぶんどっかにあるよ」
「はあ」
「つかさあ、天文要素ならアレがあるじゃん。ほら後ろ」
灯馬が果歩の背後を指さしたので、つられて振り返ると、本棚の側面にカレンダーが掛かっていた。上部には惑星の写真。今月は木星のようだ。
「申し訳程度だった……ん? よく見れば暦が三年前じゃないですか」
「おれが入部した時から掛かってるから、地味に古参だよ」
「はえー」
そう言ったきり会話は途切れ、お互い無言になった。
初対面の距離感だなあ、と果歩は思った。このぎこちない感じは嫌いではない。
灯馬のほうを見れば、彼は眠たげに欠伸を噛み殺しながら、パイプ椅子に深くもたれていた。
(いや、ただ眠いだけじゃん。自由か……)
ぼうっと眺めていると、灯馬がなにか思いついたように口を開く。
「なんも脈絡ないけど、凄いどうでもいい話していい?」
「なんですか?」
果歩が訊ねると、至極まじめな顔つきで灯馬は言った。
「ラブコメとかのズボラな異性の部屋を掃除する展開って、床に落ちてるちぢれた毛とか見つけちゃって気まずい雰囲気にならないんだろうか……?」
「うわほんと死ぬほどどうでもいいですね、それ」
初対面の、それも部活見学に来た新入生女子に振る話題だろうか。若干セクハラ気味だし。たぶんこの男はデリカシーがないのだ。果歩はある種の納得をした。
「だって気になるだろ。まさか落ちてないはずはない」
「さては先輩、ゲームの民家でトイレ探すタイプですね」
「当たってる……なんだおまえマジシャンか?」
「ええまあ。親指離れるやつとか得意ですね」
適当な吹かしをこいていると、どこからかタイマーの音が鳴った。
話している間に三分経ったのか、灯馬はカップを持って歩き出すと窓の外で湯切った。下のほうから「うわ、お湯ゥーッ」と叫び声が聞こえた気がしたが、けろりとした顔のままだ。
「民度中世ヨーロッパですか?」
「あれ、おれまた何かやっちゃいました?」
真顔で呟く灯馬。
「もう死語ですって」
「流行は循環するからいいんだよ」
などとうそぶきながらそのまま猫背でモソモソと麺をすすりだしたので、
「なんか不味そうに食べますね、先輩」
紙コップに口を付けて紅茶で唇を湿らせると、果歩は言った。暗にもっと美味しそうに食べられないんですか、と言っている。
灯馬は気だるそうに口の中のものを飲み込むと、
「カップ麺食うだけでジャンの料理食った大谷日堂みたいなリアクションされても怖くないか?」
「それは……たしかにちょっとキショいです」
そもそもカップ麺自体が滅茶苦茶に美味な食べ物というわけでもない。無茶がある話だ。
「そういえばあの漫画のヒロインって初期からどんどん巨乳になってますよね。どーでもいいですけど」
「ばかめ。いくらキリコが巨乳になろうと真のヒロインは大谷だぞ」
「それは同感ですね。自分の舌を裏切れない男ほんと好き」
大谷――毎度主人公に難癖を付けつつ二コマで即落ちするエッチなおじさんである。果歩はあのおじさんが食事シーンで恍惚の表情を浮かべる系グルメ漫画の先駆けだったんじゃないかとひそかに疑っている。そう告げると、
「なんだわりと話が合うじゃん、おまえ」
と、灯馬は麺をすすりながら意外そうな表情を浮かべた。その様子に果歩はキメ顔になって言う。
「料理バトル漫画はミステリ読みの嗜みなので」
「SNSでよく見かけるミステリオタクかよ……」
オタクイコールキモイの時代は終わったとはいえ、未だミステリジャンルのオタクは敬遠されがちだ。プライドが高いのですぐ逆張りするし理屈っぽい。加えて早口で喋ってそうなイメージがある。概ね事実だ……。
「何? じゃあ推理小説研究会のほうにも顔出したの?」
「いえ、さすがにちょっとあそこは陰気すぎるかな、と」
「お、正解じゃん。基本的にあそこの人たちは新本格以降の話しかしないぞ」
「うわめんどくさ……」
果歩はげんなりした。
けっして読まないわけではないのだが、健全なミステリ読者ならばむしろ食傷気味になっているはずだ。後期クイーン問題に百合ミス……どうも胃もたれしてしまいそうだった。
共通の趣味を見つけたこともあり、それからはどうでもいいような話題でしばらく時間を潰した。
『六枚のとんかつ』はゴミか否かというくだらない議論に始まり(意外にも灯馬は「ガッツ石松」のくだりを褒めていた)、許せないバカミスはなにか、とか、偏愛する本格作家は誰か(果歩は熱烈にマイクル・イネスを推した)とか。映画の話も少しだけした。
その頃には灯馬は電気ケトルの残りで食後のインスタントのコーヒーを淹れていたし、果歩も図々しくも紅茶をおかわりした。
「逆に考えてもみろよ、エピソード8にも評価すべき部分はあるはずなんだよ」
灯馬は言った。
「というと?」
「そうだなぁ……」
と、考えだした灯馬だったが、そのまま押し黙ったまましばらく固まった。そして、ようやく何か思いついたのか、口を開く。
「8の褒めるべきところは……ええと、あれだ。最悪観なくてもエピソード9が観れる」
「身も蓋もない……それもう観ないほうがマシでは?」
果歩は肩をすくめた。一周まわって貶し文句だろう。
「ハイパードライブにあんな使い方アリなら、クローンで自爆特攻繰り返せばすぐ戦争終わるだろ」
「おっと、人の心もなかった」
「その挙句に9でいきなり〈死者の口が開いた!〉だからな……おれも映画館で開いた口がしばらく塞がらなかったね……パルパティーン……」
灯馬から思いのほかディープな感想が飛び出してきて、果歩はあきれたような表情を浮かべた。
「ひょっとして先輩、旧三部作原理主義者ですか? 六とん褒めてたからなんでもいける派だと思ってました」
「馬鹿か? あれは映画で喩えるとC級とかだから。そもそも評価軸が違うだろ」
灯馬の指摘に、それもそうかもしれない、と果歩は思った。あの作品にまともなミステリを期待して読む人間はいないはずだ。本格への愛はあれど題材の下品さからして決して端正にはなるまい。
では、それがまともなナンバリング作品で『なんか期待してたのと違う』酷い出来だったとしたら? その答えは歴史から見れば明らかだ。
果歩は人差し指を立てて得意げに言った。
「じゃあこう考えるんです。良いですか先輩……新三部作なんてなかったんですよ。つまりパラレル。ほら、『ターミネーター』だって2以降はほぼパラレル時空みたいなものだし」
「おい3から目を背けるな」
「……別にあれも嫌いじゃないですよ、最後以外は。うん、最後以外は」
「なんで二回言った?」
「…………」
人は他者と哀しみを分かち合うことでその距離を縮める。共感こそが人々を繋ぐ架け橋なのである。共感力。素晴らしい限り。就活で使われがちな単語だがそれはさておき。
つまるところ二人はすっかり打ち解けている様子であった。