光陰矢の如し……を実感中
1998年10月19日 10時12分
帝国陸軍相馬原駐屯地
第2機械化歩兵連隊第3中隊教場
「――さて、笠原と東野も戻ってきたことだし、
険悪な雰囲気を漂わす笠原と東野が教場に帰ってくると、樽木はいつものように陽気な声で第一班作戦会議の開始を宣言した。
彼にとって、笠原と東野の仲が悪いのは織り込み済みのこと。
他人が仲良くさせようとしても、急に仲良くなるようなものでもない。
集団生活を始めた最初の頃にはよくある出来事で、彼自身にも似たような経験はある。
だから、気にも留めずに始める。
戻ってきた二人が座る場所は、いつもの通りだった。
坂上と笠原、真木野と高井、三輪と胡桃沢、東野と田淵の組み合わせ。
一つの長机に二人が座る組み合わせだが、これは自由に座らせているからであって、千葉と樽木が作り上げた班編制とは関係がない。
樽木の合図で、窓際に近い坂上や三輪がカーテンを閉める。
それと同時に真木野と高井がプロジェクター用スクリーンを伸ばし、樽木はプロジェクターと繋げておいたパソコンを操作し、各種資料を立ち上げた。
白い画面に班編制表が浮かび上がり、それを赤いレーザーポインターで示しながら説明する。
「編成は昨日の夜に口頭で伝えたが、念のためにもう一度伝えておく。第一組、千葉一曹、胡桃沢、真木野、高井」
「はい」
「はいっ」
「……はい」
樽木に名を呼ばれた三人とも、はいと答えてはいるが元気も覇気もない。
むしろ、暗い雰囲気が漂う。千葉の元で戦うという現実に打ちひしがれているのだろう。
一々突っ込んでいられないので、言葉を続ける。
「第二組、俺、笠原、三輪」
「はいッ!」
「はい」
鬱陶しいほどの勢いと元気で答える笠原と、それに驚く三輪。
笠原の勢いには樽木も驚いて、目を見開いた。
班編制で愚痴を零していたとは、ましてそれが原因で東野と喧嘩をしていた少年の返事とはとても思えなかった。
(……一体、千葉一曹は何を吹き込んだんだ?)
そんな疑問が湧き、これは確認しておく必要があると頭の片隅に留めておく。
いくら何でも変わりすぎだ。
「第三組、東野、坂上、田淵」
「……了解」
「はい!」
「はい」
対照的に、同じく千葉に何かを言われたはずの東野は不機嫌な雰囲気を崩さない。
樽木は千葉が東野に不利で笠原に有利な何か交換条件でも出したのかと訝しんだが確信もない。
考えすぎて間が空くのも間抜けなので、画面を切り替えた。
「今言った組編成は戦場じゃ、基本と組み合わせだ。お互いに
念を押す樽木と返事をする班員達。
その中でもやはり笠原の大きな返事が目立つ。
野球でもやっているかのような錯覚を抱かせるほどの勢いと元気がある。
樽木としては――いや、上官としては歓迎すべき行動だ。
人は感情の生き物だ。
感情は雰囲気にいとも容易く流され、それは行動に反映される。
日常的なことならば何ら問題なくても、命を賭けた極限状況ではそれが顕著となる。
それと同時に人は習慣の生き物だ。
無意識下に慣れ親しんだ行動を取る。
特に考える余裕がない――咄嗟の行動のときは極めてそうなりやすい。
つまり、戦場などの極限状況下ではその二つが生死の分け目に結びつく。
軍人が行う厳しい訓練は、極限状態でも生き残る為の新たな習慣をその身にしみこませるための反復演練である。
それを意識させ、頭の方に染み込ませるためにこの
作戦会議と大仰な名前だが、実際は各種行動の再認識と注意事項が主となる。
ここで最も重要なのが、班員全員の意思の統一。
集団行動では、それが全ての
「各組には大まかに言うと、基本的な役割があり、第一組が支援射撃及び対光線級、第二組が対大型種、第三組がその他の組の援護及び小型種との戦闘。そこんところまでは覚えているよな?」
樽木が訊ねると、確実に覚えている坂上、笠原、東野が思い思いの声で答え、残りの班員は首を縦に振った。
本来、帝国陸軍の通例では第三組が支援射撃を受け持つのだが、千葉と樽木はそれを変えた。
理由は単純明快で、新兵達の支援射撃など当てにならないからだ。
頭を悩ますところは、役割分担をこなすことが出来ない人員を以て編成しなくてはならないところだ。
どこかで妥協が出る。
第一組を、千葉を含めて四名にすることで支援射撃の火力を上げる。
それと同時に体力的に劣る三人を集中させ、第三組――特に東野の負担を軽減する。
第二組は、いざというときの命綱である対大型種用の対戦車ミサイル等を扱う樽木が中核の編成だ。
対戦車ミサイルを発射する前後は射手である樽木が完全に無防備になる。
それを援護し、また予備の弾薬やミサイルを運搬するのが笠原と三輪の役目だ。
第三組は東野が率いるが、彼が最も指揮を執りやすい人員で編成した。
東野とコミュニケーションを確立している坂上と、舎弟の田淵。
坂上なら、東野が馬鹿なことをしようとしても歯止めを掛けることはほぼ間違いなく、一種の安全弁としての機能を期待できる。
田淵は素直に東野と坂上に付いていくだろう。
土壇場で内部分裂する可能性が最も低い組編成がこの第三組で、その点だけは第一組と第二組よりも安定している。
第一組は千葉以外が戦闘力――特に体力が低すぎ、第二組は樽木が対戦車ミサイルを射撃する前後は素人二名で戦うことになる。
その点が大きな弱点だが、その為に自立心が強く自己判断をある程度出来るだろうと見積もれる笠原と三輪を組ませている。
樽木の言葉は続く。
「俺たち機械化歩兵部隊は至近距離で小型種と戦い、それらの脅威を排除することが求められている部隊だ。市街地戦闘に置いてはビルの谷間などの戦術機や戦車の機動力が発揮できない場所で戦い、塹壕戦においては戦車等を格納する最も広い坑道の防衛に当たる。味方を撃ってしまいそうなほどの近距離戦闘が多いため、各種格闘用の武器を扱い、必要とあらば、大型種も対戦車ミサイル等で撃破することを求められる」
(実際にはどこまで出来る事なのだろう……)
胡桃沢は目立たぬように欠伸をかみ殺しながら、ふとそう思った。
女性陣の真木野や高井とは違い、彼は千葉と一緒になったことを絶望的だとは思っていない。
ラッキーだったとさえ、思うところもある。
彼は樽木が言っていることは今までの復習だということは流れから分かるので、半ば聞き流しながら、ぼんやりと頬杖をつきながら今後の展望を考え始めた。
千葉と同じ編成になったことで良かったと思うことは幾つかある。
まず、純粋に生き残る確率が高くなったこと。
この班の中では間違いなく最も強く、最後まで生き残るであろう人物は千葉。
この点に疑問を抱く人間はほとんどいない。
しかも有難いことに、第一組だけは人数が一人多い。
物量が凄まじいBETA相手には、こちら側にも物量が必要だ。
そう考えれば、人数の多さは生き残る確率に直結する。
女性陣は確かに非力だが、強化外骨格でその弱点を補うのだ。
それほど見当違いのことを考えているとは思っていない。
次に、東野と違って面倒くさい判断をしなくて済むこと。
徴兵されてまだ一カ月も経っていない。
それでいて、自分の命を他人の命を左右する決断なんて、まともに出来るわけがないと思っている。
その点だけは東野に同情する。東野のような協調性に乏しい不良崩れは、胡桃沢個人としては好きタイプではない。
むしろ、嫌いなタイプに入る。
しかしながら、東野とてほぼ同じ時期に徴兵された少年だ。
僅か二年ではあるが公務員として社会人としての経験もある。
その手の決断の重みは、自分が高校生だった時に比べれば理解できるようになったと自負している。
人の生死に絡む決断の重みは、考えれば考えるほど深みに嵌る底無し沼のようなものだ。
それでいて、紋切り型の正解など有りはしない。
役所とかにあるトラブル対処マニュアルのようなものが存在しないからだ。
例えば、自分の決断で部下を動かした直後、その人物が死んだとしよう。
自責の念に駆られるだろうか?
死んだのはしょうがないからと割り切ってしまおうか?
自分が殺したわけではないから、自分の判断は関係ないとでも言い切ろうか?
そこまであの少年は考えているのだろうか?
そんな意味のない思考が胡桃沢の脳裏で堂々巡りをする。
胡桃沢が、ふと視線を樽木に戻す。
この班でたった一人の重火器のスペシャリストは、プロジェクターに映る地図で第二機械化歩兵連隊の受け持ち区域を説明しているが、そのあまりの広さに、胡桃沢は溜息を吐き出しそうになったが、さすがにそれをしない程度の分別は持っているし、ここでワザと溜息を漏らすほど厚顔でもない。
全滅した金沢の第七機械化歩兵連隊出身の樽木だが、そんなことを感じさせない説明が続く。
「――以前の第二機械化歩兵連隊は、新潟県南部の上越市から中部の長岡市までが受け持ち区域だった。が、今現在みんな知っているとおり、BETAから上越市は取り戻したとはいえ未だ壊滅状態。うちの部隊も再編中ということもあり、いま上越市を守っているのは別の部隊だ。よって、今現在の第二機械化歩兵連隊は予備戦力として運用されており、その際には日本全国どこにでも行くと思っていいほどだ。ま、
樽木はそう言って笑って見せたが、班員達の反応は無い。
少しだけ肩を竦めて、説明を続ける。
胡桃沢も何も言わなかったが、樽木三曹も大変だなぁ。と、そんな感想だけが思い浮かんだ。
「実際のところ考えられるのは、北は佐渡島ハイヴからの防衛に当たる新潟市と新潟県北部の新発田市付近。南は北上を続けているBETA群の迎撃の為に構築中の箱根防衛線への緊急展開。西では、日本アルプスの隙間から浸透してくる小型種迎撃のための警備任務。ざっと思いつくだけでこれだけの範囲になる。即動出来るように常に完璧に準備はしておくように。今日の午後一番に俺が全員点検するからな」
「――げ!」
「――え!?」
「うわぁ……」
一瞬、顔色が変わる真木野、高井、三輪の三人娘。
その理由が分かる樽木は苦笑した。
「どうせお前ら訓練で官品の下着洗って、私物の下着入れてんだろ? 安心しろ。お前らの下着の点検は五十嵐に頼む。なんなら、俺が見るけど? ウッヒヒヒヒ~~」
「――せ、セクハラっ! セクハラです、それ!」
真っ赤な顔で抗議する三輪。
「――うっ……」
思わず、少し引いた高井。
「樽木三曹、今のは止めといたほうがいいかなぁ……と」
苦笑いの真木野。
樽木さんが場を少しでも和ませようとしているのは理解できるのだけど、下ネタは桃さんにはマイナス効果しかないですよ~~。と、口に出せないので、顔に出す。
「まったく、俺のジョークが理解できないとは悲しいねぇ」
樽木が大袈裟な動作で額に手を当て、天井を仰ぎ見る。
碌な突っ込みもない。
良くも悪くもあるのは視線だけ。
流石に中隊MMでこんな真似したら、中隊長の前に小隊長や先任軍曹から叱責を受ける行動ではある。
「――話を戻す。先ほど述べたとおり、俺たちはどこで、どう戦うか、明確な状態ではない」
樽木は改めて全員の顔を見た。
その視線で胡桃沢は頬杖を外した。
「群馬県相馬原は日本のヘソとも云える場所だ。日本海側にも太平洋側にも行ける中間地点にある。そしてBETAは、太平洋側は静岡、日本海側は佐渡にいる。今現在、再編成中の我が連隊だが、いつ何時非常呼集や緊急出動があるか分らない。BETAが東京まで迫ってきたら再編成だからとか言っていられないのは分るだろう? それを防ぐためにお前たちは徴兵されたんだ。その時は、戦って生き残れ。全力で――」
ぶつ切りの言葉。
続くであろう、その先。
微妙な間。
樽木には躊躇いがあった。
胡桃沢は僅かに首を傾げた。
急に神妙な面持ちになった第二組長。
下ネタを言った時の軽い表情からの余りにもの落差に、高井は訳も分からないうちに不安に駆られた。
――?
自分の心が少しわからない。
そんな彼女の隣で、真木野はただ漠然と耳を傾け、三輪は次に告げられる言葉を咄嗟に考えた。
坂上も田淵も、そして笠原も似たようなものだった。
その中で、東野だけが険しい表情を浮かべた。
彼だけは感覚で理解し、また既に経験していた。
「――あと半日だから教えるけどな。今日の夕方、課業終了を以て班集中訓練は終了する。そこから先はもう普通に実戦任務を付与され、班は何らかの任務のローテションに入ることになると思う。これからはこんな風に一日中訓練をするなんてことは無くなる。良くも悪くも軍隊としての普通の生活が始まる。体育訓練なんて半日程度しかできなくなるだろう。身体は楽になるかもしれないが、雑用も増えるし、気疲れも増える。自分でやる気を出さなければ、体力を維持することすら難しくなるかもしれない。体力は戦場で生き残るためには絶対に必要だ。戦い続けるために……。いや、
最後の樽木の問い掛けには誰も声を出して答えられなかった。
余りにも誰かの死が前提としての話だったので、『自分』がそうなってしまうことを考えると反応が鈍った。
声になるか、ならないかの微妙な感じで答え、首を縦に振る。
元気だった笠原も一瞬、鈍った。
だが、前を見る。
正確には『先』を思う。
生き残る自分を思い描いてから、彼は腹に力を込めて声を出した。
「――はい! それが一番良いです!」
樽木が笠原を見ると視線が合ったが、少年は臆せずに大きく頷いた。
坊主頭の野球少年は生き残るという決意を眼差しに込める。
樽木はそれを受け、満足した表情を大きく、意識して浮かべた。
破顔したような笑み。
「おう! 全員で生き残ろうぜ!」
明るい口調。確かな発音。満面の笑み。
悲壮感も憂いも欠片も無い雰囲気。
樽木が持つ天性の明るさ。
それが彼を見る全ての者を包む。
引っ張られるように、真木野は笑みを浮かべて声を掛けた。
「ミワっち、桃さん、大丈夫だよ。みんなで頑張ろう」
「……そう、だね。頑張ろう。玲ちゃん」
高井の少しぎこちない応答。
だけど、浮かべる微笑み。
「こんなところで、ミワっちって呼ぶな。頑張るに決まってるじゃない」
三輪の開口一番は少し拗ねたような口調で注文。
それからニヤリと笑う。
「樽木三曹の言うとおりですね。みんなで生き残った方が良いに決まってます。何よりも、それが一番楽しいに決まってます。頑張りましょう」
坂上が先生らしい言葉の纏め方で締めると、田淵は何度も大きく頷いた。
何が嬉しいのか分からないが、彼も笑顔になって頷く。
上手く言い表せない一体感に戸惑いながらも胡桃沢も、それを肯定し、支持した。
「みんなで頑張れば、きっと大丈夫ですよ」
胡桃沢自身それが根拠もない言葉だと知っているが、それを信じてみようと――いや、縋ってみようかと思った。
樽木が先ほど言ったことだって、帝国軍人ならばなかなか言えないはずの言葉なのだ。
彼は確かに『
体力は戦うためにも必要だが、逃げるためにも必要だと言い切った。
まだまだ若年で経験も浅いとは言え、胡桃沢だって公務員だった。
組織の論理も当然のことながら経験している。
骨身に染みているレベルではないが、全てを無視することが出来ないことも知っている。
胡桃沢は地方公務員だった。
言うまでも無く、公務員とは公僕である。
誰もが、公共のための仕事をすると思っている。
新人研修でも、その点は当然教育される。
同じように、軍人は戦うものだと誰もが思っている。
逃げることなく敵に立ち向かい、戦い続ける者たちだと思っている人が多い。
事実、徴兵されてからの訓練はその目的に一致している。
それでも樽木は戦うため。と、同時に逃げるためとも言い切った。
彼の経験がそれを言わせるのかも知れない。
胡桃沢はそれに素直に好感を覚えた。
彼から見れば、樽木という人物は少々型破りな感じのする軍人である。
胡桃沢の先入観では、軍人は規律に五月蠅く、無駄に精神論を重視するというイメージが強い。
それらにはそれを重視するだけの十分に合理的な理由があるのだが、胡桃沢にそれが分かるわけもなく、誰かが丁寧に教えてくれる訳でもない。
ただの一介の公務員であった胡桃沢が、前触れも無く、BETAの本土上陸により徴兵され最前線に立たされるのだ。
彼にとっては想定外としか言い様のないことだった。
別に成人男性の徴兵は今に始まったことではない。
だが、彼はそれを自らの努力と運で――凄まじい倍率を勝ち抜き、地方公務員という職を掴んだ。
それ故に徴兵されていなかった。それは、ある種の特権と言ってもよい。
彼は極めて合法的に徴兵から逃れていた。
その前提条件が数ヶ月前に崩れ去った。
今や胡桃沢は最前線に立ち、異形の宇宙生物であるBETAと命懸けの戦いをしなくてはならない。
そんなことは、公務員になってから全く考えたことがなかった。
人類と社会全体の危機としてのBETAの脅威は認識していたが、それを個人の生命の危機であると具体的には認識していなかったのも無理もない。
それはまるで地震などの自然災害に対する、根拠のない楽観視を元にした心境に似ている。
――自分は大丈夫だ、と。
そう、根拠もなく思い込む。
胡桃沢もそうだった。
実際に、職場で招集令状を上司から手渡される、一ヶ月前までは……。