松下から一之瀬と連絡先の交換をして一緒に出掛ける約束を取り付けたと報告があったのは、あれから三日後のことだった。
一之瀬は平和主義者のようで、クラス同士の競争があったとしても、試験以外は仲良くしたいスタンスらしい。
しかし、それはあくまで表向きの顔だ。
一之瀬は出会った初日から男を部屋に連れ込もうとする肉食系女子である。
恐らく目的のためなら、自分の身体さえも利用する倫理的にヤバイ女だ。
外出の面子になぜか俺も組み込まれているので、一之瀬をじっくり観察させてもらうことにしよう。
そんな一之瀬対策に頭を悩ませている俺とは対照的に佐藤の頭はお花畑状態が続いていた。
好意を寄せる綾小路との仲が順調に深まっているようで、にやけた表情で幸せオーラを教室中に放っている。
綾小路もまんざらではなさそうなので、二人が恋人関係になるのも時間の問題かもしれない。
幸村の勉強会も順調のようだ。参加している生徒の学力は予想以上に上がっていると報告があった。
さらにクラスで一番人見知りとされる佐倉と会話ができるようになったらしい。
コミュ力お化けの櫛田でさえも挨拶を交わす関係で留まっているので、これは快挙といっても過言ではないだろう。
幸村、佐倉、みーちゃんが三角関係にならないか、軽井沢が嬉しそうな表情で心配していたが大きなお世話だ。
それより、堀北がやたら幸村に突っかかる方が心配だ。
「ここに来るのも久しぶりだな」
金曜の放課後、俺は軽井沢と共にケヤキモールにある書店に足を運んでいた。
目的はもちろん本を購入するためである。本といっても、漫画や小説ではない。俺が購入するのは日商簿記のテキストだ。
実家の旅館を継ぐことが決まっているので、両親から大学卒業までに2級を取得するよう命じられているのである。
この学校に入学するまでは、大学に進学してから簿記の勉強をする予定だったが、茶柱先生から資格を取得するとクラスポイント、プライベートポイントに影響があると情報を入手したので、予定より早めに簿記の勉強を始めることにしたのだ。
ちなみに資格については種類は違うが、みーちゃん、幸村、堀北の三人も在学中の取得を目指している。
「とりあえずは三級だな」
簿記のテキストは種類が少なかったので、お目当てのものをすぐに見つけることができた。
来店してから五分も経っていないし、軽井沢もファッション雑誌を立ち読みしているので、しばらく小説コーナーで新刊をチェックすることにした。
毎月10万ポイントが必ず支給されれば、気軽に新刊を購入できるのだが、この学校ではそうはいかない。
現在は約7万ポイント支給されているが、イベントによって大きく下がる可能性は十分に考えられる。
なので、本に関しては図書室や漫画喫茶ですませているのが実情だ。
「立花くんじゃないですか」
刹那。もうすぐ6月だというのに悪寒が走った。
その声を聞くのは久しぶりだ。
この学校で俺に恐怖を与えた初めての女。
「し、椎名……」
「お久しぶりですね」
Dクラスのハニートラップ要員である椎名ひよりが聖母のような笑みを浮かべながら俺の前に現れた。
(軽井沢早くこっちに来てくれ!)
目でコンタクトを取ろうしたが、いつの間にか軽井沢はファッション雑誌のコーナーからいなくなっていた。
あたりをきょろきょろ見回すが、まったく見当たらない。
もしかしたらお手洗いにいったのかもしれない。
(くそ! お手洗いに行くなら声をかけるよう言っておくんだった!)
またしても俺は油断をしてしまったようだ。
茶柱先生に注意されてから一ヶ月も経っていないというのに……。
「立花くんも新刊を買いに来たのですか?」
声を弾ませながら、一気に俺との距離を縮める椎名。
文学美少女の攻撃の威力は抜群だ。
池や山内だったら、今の攻撃だけでノックダウンしていただろう。
「いや、新刊をチェックしに来たんだ」
椎名に俺が簿記検定の勉強をすることを知られるわけにはいかない。
資格取得は一部のクラスメイトにしか明かしていない機密事項なのだ。
もしDクラスにばれたら、作戦が一つ無駄になってしまう。
俺は咄嗟にテキストの近くの棚に置いた。
「買われないんですか?」
「ああ。いつポイントが減らされるか心配だから、新刊も図書室から借りているんだ」
「そうなんですね。私も基本的に図書室から借りていますが、お気に入りの作者の新刊だけは購入しているんです」
「そ、そうなのか」
「はいっ」
のんびりした雰囲気と違い、今日はいつになく饒舌だ。
椎名は趣味の話題になると、途端に饒舌になるタイプなのだろう。
「立花くんのお気に入りの作者は誰ですか?」
目をキラキラさせながら椎名が訊ねる。
「えっと……」
いずれこうなることはわかっていた。
同じ敷地内で暮らしているのだ。
三年間も逃げ続けることは不可能に近い。
だから、俺は椎名にこのような質問をされた場合の対処法も考えていた。
「貴志祐〇だな」
「貴志祐〇さんですか」
「ああ。ほかには――――――」
俺は複数の小説家をあげた。
実は俺があげた小説家には共通点がある。
それは―――――猟奇的な作品が多いことだ。
「申し訳ございません。名前は存じ上げておりますが、作品は読んだことない人ばかりです」
「だろうな。けっこうグロテスクな作品が多いからな」
「立花くんは、そのような作風の小説が好きなんですか?」
「ああ」
嘘である。
グロイのは苦手だし、人が死ぬ描写がある小説も好みではない。
そんな俺が嘘をついた理由は、椎名を遠ざけるためである。
椎名はミステリーや純文学がお好きなようなので、俺があげた小説家の本は好みではないことが予想出来ていた。
「人がたくさん死んだり、官能描写が多いのがたまらない」
いくら文学少女とはいえ、俺の発言には引いただろう。
こうやって椎名を不快にさせることにより、俺を標的から外させる作戦だ。
「……なるほど」
椎名の眉間に皺が生じた。
効果は抜群のようだ。
このまま畳みかけるぞ。
「特に悪の〇典で主人公が、教え子たちを容赦なく殺していくのは読んでいて気持ちよかったぞ」
本当は気持ちいいどころか、背筋が凍ったけど。
もし、あの主人公が自分の学校の先生だったらと思うと、恐怖で不登校になってしまいそうだ。
「立花くん……」
「ん?」
このまま俺の下から立ち去るんだ。
そして、Dクラスのリーダーに俺のことを報告しろ。
立花恭平はヤバイ小説ばかり読んでいるサイコ野郎だとな。
「私も読んでみたいです!」
「……………………え?」
「立花くんが熱く語っているのを見て、私も読みたくなってきました」
「あ、あれ……? 椎名ってミステリーが好きなんじゃ……」
「はい。ただ、ミステリー小説も読みつくしてしまいまして、違うジャンルの作品を読もうかと思っていたところなんです」
なんてこった。
悪手を指してしまったようだ。
「あの……よかったら連絡先を交換しませんか?」
仕方ない。
ここでフェーズ2発動だ。
「そうだな。俺も椎名と連絡先を交換したいのはやまやまなんだが……」
「なにが不都合でも?」
「うちのクラスは問題ないんだ。ただ、椎名のクラスのリーダーのことを考えるとな……」
「龍園くんのことですか?」
Dクラスのリーダーって龍園っていうんだ。
思わず情報を入手してしまったよ。
「ああ。龍園は相当やばいやつだと聞いたことがある」
「そうかもしれません」
「もし、椎名が俺と交流を持っていることが龍園に知られたら、酷い目にあうんじゃないか?」
「私のこと心配してくれるんですか?」
「まあな」
もちろん嘘である。
ストレートに断るとハニートラップ要員の椎名のプライドを傷つけてしまう。
プライドを傷つけられた女は何をしでかすかわからない。
なので、椎名のプライドを傷つけず、なおかつ好感が持てる理由で拒絶させてもらうつもりだ。
「もしかして、図書室で私を避けていたのも……」
「ばれてしまったか」
避けられているとは気づいていたのか。
「そんなに、私のことを想ってくれていたのですね……」
「同じ読書好きとして、傷ついてほしくなかっただけだ」
これで完璧だ。
椎名としても、龍園を危険人物だと認識させたままにしておきたいに違いない。
ここで強硬的に俺と連絡先を交換してしまうと、椎名が龍園に恐怖を抱いていないことになる。
つまり、椎名は俺の気遣いを受け入れるしかない。
「立花くん」
「ああ」
「お気遣いありがとうございます」
「気にするな」
「ですが、大丈夫です」
「…………ん?」
「龍園くんは確かに独裁者ではありますが、交友関係までは言ってこないですので」
嘘だろ。
龍園なにやってんだよ。
他のクラスの生徒と関わらないように命令しておけよ。
「なので連絡先を交換しましょう」
「あ、ああ……」
俺の作戦はすべて裏目に出てしまった。
俺だけじゃない。
松下や軽井沢と一緒に考えた作戦だったのに、椎名はいとも簡単にぶち壊しやがった。
「ふふふ。これで立花くんと本について語り合えます」
可愛らしい笑みを浮かべた椎名だったが、俺には獲物を仕留めた猛獣にしか見えなかった。
軽井沢が本屋に戻ってきたのは椎名と連絡先を交換した直後だった。
♦♦♦
「立花くん、落ち込みすぎでしょ」
買い物を終えた俺たちはスーパーに寄ってから帰路についた。
今日も軽井沢が夕食を作ってくれるようで、俺はベッドで横になり、スマホを眺めていた。
「連絡先を交換しただけでしょ」
「つまり龍園にも俺の情報が渡ったということだ」
「Dクラスのリーダーだっけ?」
「ああ。椎名から聞いた」
「……本当に椎名さんってハニートラップなのかな?」
「なんでそう思った?」
「いや、あたしたちはDクラスのリーダーのこと知らなかったわけじゃん?」
「そうだな」
DクラスはBクラス以上に閉鎖的なので、リーダーを含めて情報が少ないのである。
「なのに自分からリーダーの名前を言うなんておかしくない?」
「うーん」
「もちろん立花くんを信用させる作戦なのかもしれないけど」
「……軽井沢も少しは考えられるようになったんだな」
「あたしをなんだと思ってるのよ!」
「俺を一人にした罪深き美少女」
「び、美少女って……」
本当に初心だなこの子は。
でも調理中だからからかわない方がいいかも。
「と、とにかくっ! もう連絡先を交換しちゃったんだし、ポジティブに考えるしかないじゃん」
「ポジティブとは?」
「椎名さんからDクラスの情報を得るチャンスだと思えばいいってこと」
「チャンス……」
「そう。もし椎名さんがハニートラップなら、立花くんの信用を得ようと、Dクラスの情報をもっと流してくれるかもしれないでしょ?」
「……その可能性は十分にあるな」
作戦が裏目に出て落ち込んでしまっていたが、確かにこれはチャンスだ。
俺が椎名のハニートラップに気をつければいいだけだ。
もし呼び出されても、監視カメラが多数ある公共の場を指定すればいい。
最悪、茶柱先生についてきてもらえば問題ないはずだ。
「しっかりしてよね。……あ、あたしのこと、守ってくれるんでしょ……?」
右手の包丁を俺に向ける軽井沢。
その顔は先ほどより赤く染まっている。
「……そうだな。心配かけて悪かった」
「べ、別に……」
「お礼に今日はDVD二時間見ていいぞ」
「なんでお礼が視聴時間なのよ……」
そう文句を言いつつも、軽井沢はちゃっかり二時間ライブDVDを観てから部屋に帰っていった。
ちなみに、この日の夕食はとんかつだった。
理由を訪ねたところ、落ち込んでた俺に喝を入れたかったらしい。
手料理でギャグをぶち込んでくるとは、軽井沢も変わった女である。
ひよりの読書好き魂の勝利!