私―――松下千秋が、一之瀬さんと友人になってから一ヶ月が過ぎようとしていた。
彼女と親交を深めて気づいたことがある。
一之瀬帆波は善人だ。
私は人生の中で彼女以上の善人と出会ったことがない。
それほどまでに一之瀬さんは善人だった。
さらに入試を首席合格しただけあって学力も文句なし。
運動は自信がないと言っていたけれど、彼女のクラスメイトから聞いた話だと平均以上の運動神経はお持ちのようだ。
だから疑問に思ってしまう。
なぜ、一之瀬さんはBクラスに配属されたのだろうか?
彼女ほどの実力があればAクラスに配属されるのが妥当だろう。
それとなく中学時代の話を訊いてみたけれど、Bクラスに配属になった原因については聞きだすことはいまだ出来ていない。
彼女の性格からして大きな問題を起こしたとは考えにくいけれど、可能性はゼロではない。
また、一之瀬さんは自己評価がやたら低いことも気になる。
もしかしたら、それがBクラスに配属になったことに関係しているのかもしれない。
彼女の秘密に強く興味を惹かれたけれど、焦る必要はない。
なぜなら、私は彼女にとって一番頼りになる友人というポジションを確立したからだ。
現に、今も一之瀬さんから恋愛相談を受けている。
「告白されそうなの?」
「……うん」
七月初週のとある放課後、ポイントが支給されたこともあって、私たちは女子に人気のカフェに足を運んでいた。
「ちなみに誰かは訊いてもいい?」
「誰にも言わないって約束してくれる?」
「もちろん」
「……千尋ちゃん」
お相手はまさかの女子だった。
「そ、そうなんだ……」
「前からボディタッチは多いと思ってたんだけど……」
「なんで白波さんが一之瀬さんに告白するってわかったの?」
「トイレの個室に入ってるときに、千尋ちゃんが麻子ちゃんに恋愛相談しているのが聞こえたんだよね」
「あー……」
「近いうち私に告白するって……」
「網倉さんはなんて言ってたの?」
「応援するよって……」
「まあ、友人に恋愛相談されたらそう答えるしかないよね」
親しい友人に宣言したということは、一之瀬さんの言う通り近いうちに白波さんは告白するつもりだ。
「それで一之瀬さんは私に何をしてほしいの?」
「私、恋愛経験がまったくなくて……。経験豊富そうな松下さんから適切なアドバイスが受けられるかと思って……」
「……え? 一之瀬さん、彼氏いたことないの?」
「な、ないよっ! 告白だってされたことないしっ!」
嘘でしょ……。
そんな美貌の持ち主なのに……。
「一之瀬さんって女子中に通ってた?」
「共学だよ」
「遊ぶ暇がないほどの超名門校だったりしない?」
「公立だけど」
「……」
一之瀬さんの同中の男子どもは何をしていたんだだろう。
こんな極上の獲物がいるのに。
それとも、釣り合う男子がいなくて、みんな及び腰になっていたのだろうか。
「それでね、なるべく千尋ちゃんに傷つけないように告白を断りたいんだよね」
「つまり白波さんと付き合うつもりはないってことね」
「……うん」
「理由を訊いてもいい?」
「うーん、千尋ちゃんは大切な友人だけど、恋愛感情は持てないっていうか……」
「そっか。将来、白波さんと付き合う可能性はないの?」
「ないよ。だって、私は男好きだから」
「……………………え?」
「あ、ごめん、間違えたっ! 恋愛するなら男の子がいいってことだよっ!」
びっくりした……。
恋愛経験ないのに、男好きってカミングアウトするなんて、ヤバイ女かと思っちゃった。
今の会話を立花くんが聞いたら、ぜったい一之瀬さんをハニートラップだと思うだろうな……。
「それで、どうしたらいいかなぁ……?」
一之瀬さんを目を潤ませながら、捨てられた子犬のような顔を向けてくる。
私が男子なら保護欲が掻き立てられるだろうけど、残念だけど私には通用しない。
むしろ、あなたの相談事を利用させてもらうからね。
「普通に断るしかないんじゃない?」
「うーん、それだと千尋ちゃんが傷ついちゃうんじゃないかなー」
「多少傷つくのは仕方ないよ。恋愛で傷つくなんて当たり前だし」
「そんなもんなのかな……」
私の答えに落胆する一之瀬さん。
「ただ、それより白波さんを傷つけない方法ならあるよ」
「え……?」
「彼氏を作ればいいんだよ」
「か、彼氏っ!?」
彼氏という単語に慌てふためくCクラスのリーダーさん。
恋愛に免疫がないのがよくわかる。
「私の予想だと、白波さんに限らず、これからも一之瀬さんに告白する人は増えると思うよ」
「な、なんで……?」
「それは一之瀬さんが男女問わず人気あるから」
「そ、そんな……。私、人気なんてないよ……」
「あるから。非公式だけど、彼女にしたいランキングで一位にもなってたし」
「そんなランキングがあるのっ!?」
「うん」
ちなみに私は五位だった。
別に悔しくはない。
いや、本当に。
「もう一つ理由があるよ。みんな、学校生活に慣れ始めるころだから、心に余裕を持つようになるんだよね」
「うん」
「つまり、勉強や部活以外にも力を入れる人が増えるわけ。思春期真っ只中の高校生がその二つ以外に力を入れるとしたら?」
「れ、恋愛……?」
「正解。実際、うちのクラスの平田くんも最近告白されることが多くなってるから」
「平田くんてこの前ファミレスに来てくれたサッカー部のイケメンの人だよね?」
「うん。一之瀬さんでも、平田くんはかっこいいと思うんだ」
「まだ一回しか絡んだことないから、外見だけの判断になるけどね」
「そっかそっか」
それは好都合だ。
一之瀬さんにヒアリングするまでもなく、いい情報が手に入った。
これなら私の思惑通り動いてくれそう。
「話戻すね。彼氏が出来れば、一之瀬さんに告白する人は激減すると思うの」
「恋人がいるとハードルが高くなるから?」
「そう。そうすれば今みたいに恋愛に頭悩ませることも減るでしょ?」
「そ、そうだねっ」
「今は期末テスト前だから、そこまで影響はないと思うけど、大きなイベント直前とかに告白されるのは嫌でしょ?」
「……うん」
「一之瀬さんは学級委員長だから、クラスのためにイベントに集中したいもんね」
「そうだね」
「私が提案できるのはこれくらいかなー」
ほかにも色々あるけれど、恋愛経験がゼロの彼女は気づかないだろう。
「ありがとう松下さんっ! 松下さんに相談してよかったよっ!」
「どういたしまして。それでどうするの?」
「そうだね……。千尋ちゃんをなるべく傷つけたくないし、告白される機会もなるべく減らしたいから……私、彼氏作るよっ」
「そっか」
「でも、私の彼氏役になってくれる人はどうすれば……」
「それなら私に任せて」
ここまでくれば作戦は成功したも同然だ。
あとはうちのクラスの人気者に、一之瀬さんと同じ話をすればいいだけ。
二人には悪いけれど、お互いのクラスのために犠牲になってもらうよ。
***
金曜の放課後、俺は珍しい組み合わせでカラオケに来ていた。面子は俺、平田、神崎、軽井沢、松下、一之瀬の六人。
はたから見たら合コンしに来た男女六人組に思われるだろうが、もちろん、そんなことはない。
今日は平田と一之瀬の顔合わせのために集まったのである。
松下から招集がかかったのは昨日のことだった。
どうやらお互い恋人を作るつもりはないのに、告白されることに悩んでいたようで、それを解決するために平田と一之瀬が疑似カップルになるというのだ。
他クラスのリーダーとフリとはいえ、恋人になるのは危険極まりないかと思うが、松下が考えたことなので、俺が反対する理由はないだろう。
松下曰く、一之瀬から恋愛相談を受けている最中に、平田が告白されることに悩んでいることを思い出し、今回の計画を思いついたらしい。
人気者の二人が付き合えば、二人に告白する人が減り、二人の精神的負担を減らせるのが目的だそうだ。
確かに平田は以前より溜息をつくことが多くなっていた。本人に訊いたところ、部活の練習がハードで疲れているだけと言われたので、あまり心配はしていなかったが、平田の精神はだいぶすり減っていたようだ。
なお、付き合うフリをするのに協力者が必要とのことで、俺たちを呼んだとのことだった。
「二人が会うのは二回目だよね。改めての自己紹介は不要でいいかな?」
「大丈夫だよ」
「私も大丈夫」
「そっか。最終確認になるんだけど、二人とも付き合うフリをするということでいいんだよね?」
「もちろんだよ。今さら断るつもりはないよ」
「わ、私もっ……」
二人の回答を得た松下は満足そうに笑みを浮かべ、今後について話し始めた。
まず、周りから本当に付き合っているのか疑われないように週一でデートすることが確定した。
平田も一之瀬もデート経験がないとのことで、デートコースは松下と軽井沢が考えることになった。
また、一ヶ月後にはお互い下の名前で呼び合うことも松下は指示した。
これも、周りから疑われないためである。確かに長期間付き合っていてお互い名字呼びは怪しく思える。
「決めごとはこんな感じかな。何か質問ある?」
「僕はないよ」
「私も」
「そっか。それじゃ、後はお互いのことを知るために二人で質問しあって」
「え?」
「質問って……?」
「だって二人は疑似とはいえ恋人になるんでしょ。ならお互いのことを知らなきゃダメでしょ」
「……確かにそうだね」
「さすが松下さんっ!」
親交を深めたからだろうか、一之瀬の松下を見る目が以前より変わった気がする。
それは、友達というより、憧れの対象に向ける目のようだ。
「そ、それじゃ私から質問してもいいかな……?」
「もちろんだよ一之瀬さん」
「ありがとう。えっと……ご趣味は?」
「お見合いかっ!?」
ここでようやく軽井沢が声を発した。突っ込みだったけれど。
「海外サッカーを見ることかな。一之瀬さんは?」
「特にないかな」
「ないのっ!?」
「無趣味なんて、一之瀬って思ったより寂しい人間だったんだな」
「うぅ……」
軽井沢と俺の反応に、しょんぼりする一之瀬。
「……あっ、趣味と言っていいのかわからないけど、はまってることならあるよ?」
「なにかな?」
「焚火の動画を見ることだよ」
「焚火の?」
「うん。見ると心が落ち着くんだよね」
「そうなんだ。そういえば芸能人でも同じこと言ってた人がいたと思うよ」
「そうなの? 私だけじゃなかったんだぁ……よかった」
どうやら平田と同じく一之瀬も精神が参っているようだ。
平田以外の面子も察したようで、仲良く会話をする二人に生暖かい目を向けている。
「平田くんは動画見たりする?」
「サッカーのハイライトくらいかな」
「さすがサッカー部だね。柴田くんも同じこと言ってたよ」
「そうなんだね。今度、僕も焚火の動画を見てみるよ」
「見て見て。ぜったいリラックスできるから」
リラックス目的で焚火の動画を見ているのか。
……俺も胃が痛くなったら見てみようかな。
「ねえねえ、せっかくカラオケ来たんだから歌わない?」
話を聞くだけに飽きたのか、いつの間にかマイクを用意した軽井沢が提案してきた。
「そうだな。これからカラオケデートすることもあるだろうし」
こうして話し合いもほどほどに、俺たちはカラオケで二時間ほど熱唱してから解散した。
***
週明けの月曜日、一年の教室はビッグカップルの誕生に話題が持ちきりだった。
非公式だが恋人にしたいランキング一位の一之瀬、二位の平田が付き合いだしたことにより、この世の終わりと思えるほどの顔で落胆する生徒が大勢見受けられた。
松下の計画通り、これなら二人に告白する輩も減ることだろう。
「平田くん、一之瀬さんと付き合いだしたって本当なの?」
どこのクラスかわからないが、ボブカットの女子がトイレに向かう途中の平田に話しかけてきた。
「本当だよ」
「そんなぁ……。てっきり、立花くんか綾小路くんと付き合ってると思ったのにぃ……」
「……っ!?」
ボブカットの女子の発言に凍り付く俺と平田。
「あ、でも綾小路くんも彼女いるっぽいんだよね……。立花くんは彼女さんいるんだっけ?」
「い、いないけど……」
標的を平田から俺にチェンジしたようだ。
「そっか! それじゃまだチャンスあるね!」
「チャンス……?」
「相手は幸村くんか三宅くんかな。さすがに須藤くんはないよね?」
「な、なんの相手でしょう……?」
「でも神崎くんもワンちゃんあるかな。昨日一緒にカラオケに行ってたみたいだし」
何この子怖い。
身の危険を感じた俺と平田は、そっとバックステップでその場を去った。
放課後、精神的に疲労した俺は教室で軽く昼寝をしてから帰宅することにした。
しかし、それが不幸を招くことになるとはこの時の俺は予想することができなかった。
「……そろそろ帰るか」
端末で時刻を確認したところ十五分ほどしか経過していなかったが、短時間でも昼寝したおかげか、身体も心も軽くなったような気がする。
「もう帰るのか?」
「ああ。勉強会頑張ってくれよ幸村」
「言われなくても」
眼鏡を優雅にくいっと上げた幸村に挨拶をして、教室を出ようとした瞬間だった。
「お久しぶりです」
その声を聞いただけで、俺の身体はガクガクと震えだした。
「やっと捕まえましたよ」
恐怖で震えるのも仕方ないだろう。
俺は普通の人間だ。
悪魔に対して恐怖を抱くのは、人間として普通のことである。
「もう逃がしませんから」
杖をついた白い悪魔の来襲に、俺の恐怖心は天元突破した。
次回は坂柳メインです!