犬夜叉はほもちゃんのように嬉々として淫夢語録を連発したりはしません!これだけははっきりと真実を伝えたかった。
赤い衣を纏った男が、美しい銀色の髪を靡かせながら、高々と宙を舞う。
「犬夜叉だぁっ!」
恐れおののきながらも反撃に出ようとする村の衆を軽くあしらいながら、犬夜叉と呼ばれた少年は堂々と蔵の中へ侵入した。
眼前に映るのは、あらゆる願いを叶えてくれるという宝珠──四魂の玉。
それを乱暴な手つきで奪い取った彼は、遅れてやってきた追手から逃れるべく、一目散に外へと飛び出していく。
「……」
これさえあれば、自分は本物の妖怪になれる。
もう"半妖"などという忌まわしき呼び名で呼ばれることもない。
桃色に光り輝くそれを、一時は是が非でも手に入れたいと思っていた。
だが、果たして自らの掌に収まる玉に、いかほどの力があるのか。本物の妖怪となることが、自分の本当の望みだったのか。
頭に血が昇りきった彼の中で、ついぞその答えが出ることはなかった。
彼の速さに追いつける者は、少なくともこの村には存在しない。
仮に馬を駆ったところで、石段や木々を軽々と飛び越えてしまう彼の背中からは遠ざかるばかり。
しかし。
その妖気を辿り、先んじて弓を構える巫女が、一人だけ存在した。
肩口から流れ続ける血など気にも留めず、ただじっとその時が来るのを待つ。
犬夜叉は、必ずこの場所を訪れる。彼女にはそんな確信があった。
村の中心から離れ、自らを追う人影もすっかり見えなくなったところで、嘆息混じりにこれまでのことを思い返す。
脳裏に浮かぶのは、自分ことを"半妖"と罵って弓を射かけてきた、彼女の姿。
どうしてこんなことになってしまったのか。そもそも初めから裏切るつもりで近づいてきたのか。
聞きたいことは山ほどあったが、もう二度とその人物に話しかけることはない。
やり場のない気持ちに何とか整理をつけながら、境内にある御神木のそばを通り過ぎようとした──刹那。
「犬夜叉っ!!」
聞きなれた女の声と共に、自らの体を強い衝撃が襲う。
磔にされるように御神木の主幹へと吸い寄せられた彼は、その瞬間何が起きたのかを察した。
目と鼻の先にある一本の矢は、己の胴体を見事に貫いており。
それを放った射手は、はるか遠くの場所で残心の姿勢を維持していた。
「ぐっ……てめぇ、よくも…!」
遠目からでは、巫女の表情を詳細に伺い知ることはできない。
だけどそれが強い怒りと悲しみに満ちた顔であることは、なんとなく察することができた。
「ふっ……つくづく恨まれたもんだな」
自嘲するように、そんな言葉がついて出る。
(まあいいか。おまえにやられるってんなら、それでも……)
朦朧とする意識の中。重たくなる瞼に必死に抗いながら、彼は今一度、愛しい女の顔をその目に焼き付けようとする。
(……こんなふうになっても、おれはまだ、おまえの、ことを……)
最後にその想いを伝えられなかったことに僅かな心残りを覚えつつ、半妖の少年は眠るように意識を手放した。
「──桔梗っ!!」
かの巫女の名を叫びながら、犬夜叉は勢いよく起き上がる。
それまで見てきたものが全て夢の中の出来事であったと自覚するには、しばしの時間が必要だった。
「ちくしょう……なんて嫌な夢だ」
あの日、あの場所で目を閉じてから、五十年。
五十年もの長きにわたり、犬夜叉はこの御神木に封印されていた。
彼を貫いたのは、破魔の矢でなく封印の矢であった。
ゆえに体が滅されるということはなかったが、本来この矢はどうしても倒せぬ敵に対して使われる代物。
封印の矢を受けた者は、その使用者がもう一度相手を目覚めさせたいと願わぬ限り、未来永劫眠り続けることになる。
矢を放った桔梗は件の直後に命を落としてしまったため、犬夜叉は永遠に目覚めることができない。そのはずだった。
しかしいかなる因果によるものか、彼は再び己の意識を取り戻すことになる。
どことなく
紆余曲折、などという言葉では到底言い表せないほどの出来事が、幾度となく起きた。
かごめが持っていた四魂の玉。それを狙う百足女郎。抜き取られた封印の矢。言霊の念珠。
そして──散り散りとなって各地に飛んでいく、四魂のかけら。
今では桔梗の生まれ変わりとされるかごめ達と一緒に、それを集める旅路についている。
(ったく、焼きが回ったもんだな……おれも)
かつて、あれほど酷い裏切りにあったにもかかわらず、隣にいるのは人間の女。
それに加えて、つい先日仲間となったのは子狐妖怪の七宝。
この並びを見て、いったい誰が自らにひれ伏すというのか。
四魂の玉の力を得て大妖怪になるという犬夜叉の大望は、早くも崩れつつあった。
一度この世を去った者は、決して蘇ることはない。
それは妖怪だろうと人間だろうと同じ、生き物としてのさだめ。
ならば、眼下に広がる光景はいかにして生まれたのか。
五十年前に命を絶ったはずの巫女が、なぜあの時の姿のままで存在しているのか。
前もって楓から聞かされていた"もしも"の話が現実になったところで、それをすんなりと受け入れられるほどの心のゆとりは、あいにくと持ち合わせていなかった。
「犬夜叉、なぜ裏切った──!!」
妖怪裏陶の鬼術により再び現世へと降り立った桔梗は、激しく憤りながら犬夜叉のことを糾弾する。
荒れる場の中で、犬夜叉の混乱は極致に達しようとしていた。
なぜなら桔梗の叫びに含まれた言葉は、自分にとって全く身に覚えのないものだったからである。
それどころか……犬夜叉が五十年前に味わったのは、真反対の経験だった。
裏切りを画策したのは、自分ではなく桔梗のほうだ。おれが裏切られたんだ。
あの日、約束の場所で矢を射かけてきた桔梗の姿を、犬夜叉は確かに目にしている。
初めのうちは、何かの聞き違いかと思った。あるいは、この上ない悪意を持って挑発してきているのか、とも。
だが。
これまで一度も見せなかった涙を流しながら迫ってくるさまを目の当たりにすれば、桔梗は本心からその言葉を投げかけたに違いなかった。
つまり彼女は、本気で犬夜叉が裏切ったと考えているのだ。
(いったい、何がどうなってやがる…!?)
両者の主張が、致命的に食い違っている。そのことを察したのは犬夜叉だけではなかった。
「お待ちくださいおねえさま!犬夜叉は敵ではありませぬ!」
咄嗟の言葉を受けて、桔梗はおろか当の犬夜叉ですら目を丸くして驚きの表情を見せる。本来桔梗の側に立ってしかるべき人物が、相対する犬夜叉のことを擁護しようというのだから。
「おまえ……」
「妹の楓でございます。おねえさまが亡くなってから、五十年生きておりました」
「その楓が、なぜ犬夜叉を庇いだてする。おまえもやつに誑かされたのか!?」
ただでさえ歯止めの利かぬ状況にあった桔梗としては、楓の裏切りともとれる言動にますます苛立ちが募っていく。
「楓、おまえは五十年が経ったと言ったな。だが私にとってはつい今しがたの出来事だ。見間違えるはずがない。犬夜叉は私を裏切り、その鋭利な爪で私の体を引き裂いた…!」
「冗談じゃねぇぜ、桔梗……例え天地が引っくり返っても、おれはそんなことしねえっ!」
「とぼけるな。あの声と姿は、確かにおまえだった!」
両者の主張は、依然として平行線を辿っていた。その中でいち早く冷静さを取り戻した犬夜叉は、何とか桔梗の心が静まるようにと必死に言葉を練り上げる。彼としてもこれ以上桔梗に憎悪の視線を向けられるのはごめんだった。
「あの時、おまえは人間になると言った。人間になって、ともに生きようと……」
「おれは本気だった。あの時の気持ちに、嘘はなかった!」
「言うな!……私が愚かだったのだ。一瞬でもおまえと共に生きたいと願った、私が…!」
「桔梗っ!」
これ以上の問答は埒が明かないと悟った犬夜叉の中で、何かがはじけた。浄化術を使われることもいとわず、本能のままに桔梗を強く抱きしめる。
「は、放せ!何を血迷うておる!」
「……わかった、桔梗。おまえも辛い目にあってたんだな」
「何を、言って──」
「おまえは人間で……女だから。おれよりもずっと……ずっと、辛かったんだな」
懐かしい声。懐かしい吐息と、髪の匂い。
唯一あの時と異なるのは、温もりがないということだ。
死人となった彼女の体は、冷たくて……寂しくて。
それが犬夜叉の気持ちを余計に奮い立たせる。
裏切ったとか裏切られたとか、そんなことはどうだっていい。
今はただ、桔梗を守りたい。二度と失いたくない。
彼女に対する想いが募り、より一層きつく抱きしめる。
もう元のような関係に戻れないと言うのなら、いっそこのまま時が止まってしまえばいい。
犬夜叉は桔梗に対して、そこまでの想いを抱いていた。
「犬、夜叉……」
自らの潔白を証明するのではなく、桔梗が味わった悲しみや苦しみを理解する。くしくもその行動は、桔梗の荒ぶる魂を一時的に鎮める要因たりえた。
一滴の涙が頬を伝う。
生前であれば、これほどまでに感情を表に出すことはなかった。死人として蘇り、巫女としての役目を失った今だからこそ、愛しい彼に対する本心をさらけ出すことになったのだ。
……だが、すべては手遅れになってからのこと。五十年間封印されていただけの犬夜叉とは違い、一度命を落とした自分に見えている世界は、何もかもが異なってみえる。
「離せ、犬夜叉。もう遅い……なにもかも、遅すぎた!」
呪い返しの術で強引に犬夜叉を振り払った桔梗は、思いの丈を言葉にしてぶつけた。
「私はおまえを憎みながら死んだ。魂がそこから動けない。おまえが生きている限り、救われない!」
その気迫もさることながら、桔梗の悲しみに満ちた想いを受けて、犬夜叉は思わず一歩後ずさる。同時に彼の中では、両極端で絶望的な考え──自分が死ぬか、あるいは桔梗を殺すか──が過っていた。
「犬夜叉……おねえさまの体を、壊せ」
低い老婆の声が、犬夜叉の耳に響きわたる。
「所詮その体は、裏陶の鬼術によって無理に蘇らされたまがいものだ。お姉さまの魂を……そこから出してやってくれ」
かごめを救うには。まして桔梗おねえさまを本当の意味で救うには、こうするしかないのだと……楓は内心で言い聞かせていた。
「っ……」
犬夜叉は沈痛な面持ちのまま、腰の刀に手をかけようとして。
「殺せるわけ、ねえだろ……」
しかし最後まで抜刀することはかなわず、消え入るような言葉を呟きと共に、その場に立ち尽くしてしまう。
「犬夜叉、おぬし…!」
桔梗に対してある種の覚悟を決めていた楓は、彼女を
まさか、これほどまでに強い感情をおねえさまに抱いていたとは。ならばどうして、こんなふうに二人の仲は引き裂かれてしまったのか。
「何をしようと無駄だ。怨念が消えぬ限り、魂はその体に戻ることはできない。犬夜叉、おまえの死だけが…!」
「いかん。よけろ犬夜叉!」
無抵抗となった彼に、追撃の一手を加えようとする桔梗。楓の叫びも虚しく、脱力した犬夜叉はその場から動こうとはしなかった。
風に吹かれて、ざわりと空気が変わる。
最初にその異変に気付いたのは、彼女のすぐ側にいた七宝だった。
「かごめ、目を覚ましたのか!」
「なっ!?」
全員の視線が、それまで眠っていた少女の元に向く。裏陶の手によって魂を奪われたはずのかごめの瞳に、光が宿っていた。
そこからやや遅れる形で、桔梗の体にも異変が起こる。
自らの体内に取り込んでいたはずの魂が、逃げるように抜け出し始めたのだ。
「いやだ……まだ私は……いやだ!」
何が起きたのかを瞬時に悟った桔梗は、思わず生への渇望を叫んだ。
自分にはまだ、生きて為すべきことがある。犬夜叉への愛憎入り混じる想いを果たせぬまま再びあの世へ旅立てというのか。
そんなのは、絶対にいやだ…!!
この場にいる誰もが想像しえぬほどの、凄まじい執念をもって。桔梗はなおも生き永らえていた。
彼女はわずかに残る魂を体に留めながら、かごめから離れようとする。
「あの体を動かすのは、桔梗の怨念よ……」
先ほど桔梗の呪い返しを受け、風前の灯火となっていた裏陶は、誰に語るでもなく蘇らせた巫女の末路を示唆した。
「あらかたの魂はその小娘の体に還ったらしいが、 "陰の気"の怨念だけは、わが鬼術にて作りし体によほどなじんだと見える。清らかな巫女だった女が、もはや怨念の化け物……ざまあ、ないのう……」
反論する間もなく、裏陶は灰となり風に流されていった。
陰の気の怨念で動く死人……それが今の桔梗であるというのか。
「ふざけるな……あいつはあいつだ」
憤りを通り越した何かを覚えながら、犬夜叉は彼女の後を追おうとする。
「待て、犬夜叉!」
そこに待ったをかけたのは、七宝と共にかごめを介抱していた楓だった。
「おねえさまはもう、われらが知るあの頃のおねえさまではない。おまえが何を言っても心変わりをすることはないだろう」
「だからおれに、桔梗を殺せと言うのか。冗談じゃねえ!」
「殺すのではない。おねえさまは既に亡くなられている。魂を元の場所へ戻してやるのだ」
「っ…!」
犬夜叉とて、楓の言い分が理にかなったものであることは重々承知していた。
しかし目の前で動き言葉を話す彼女は、確かにあの頃の桔梗なのだ。
それに、五十年前のすれ違いだってまだ解決していない。もしあれが何かの間違いで起きたものだったとしたら……それこそ死んでも死にきれないではないか。
「楓、七宝……かごめを頼む」
「犬夜叉、よもやおぬし──」
楓が言い終わる前に、彼は走り始めていた。
「一体どういうことなんじゃ。おらにはよくわからぬぞ」
「ひょっとしたらあやつは、命に代えてでもおねえさまのことを守りたいと……そう思っているのやもしれぬ」
「な、なんじゃと!?あの犬夜叉が、そんなことを…!」
「無論、到底信じられぬような話だ。だが──」
かごめを頼むと言った犬夜叉の表情には、これまでにない決意が込められていた。
もちろん楓からしても、犬夜叉の心を完全にはかり知ることはできない。しかしこの時ばかりは、何故か妙な胸騒ぎがして収まらなかったのである。
桔梗はひとり、霧がかった山中を彷徨っていた。残された魂はあとわずか。ふらり、ふらりと足取りもおぼつかない。
一体何が己を突き動かしているのか。犬夜叉への恨みか、あるいは不甲斐ない自分への怒りか。
どこまでもやるせない想いを抱えたまま、桔梗はただ歩を進めていた。
「あ…!」
思わぬところで足を踏み外す。
いつの間にか断崖絶壁の場所へ辿り着いていたらしい。
踏ん張ることも何かに掴まることもできず、桔梗の体は谷底へと堕ちていく──そう思われた刹那。
「桔梗っ!」
寸でのところで落下が止まる。誰かが自分の手を掴み、引き上げようとしていた。
いや、”誰か”ではない。その声の主を、桔梗は誰よりもよく知っていた。
「犬夜叉……」
「早くおれの手を掴め!このままじゃ…!」
「なぜだ……私の死を、おまえは心の底より望んでいたのだろう。
それとも、いまさら同情でもしたのか。死人となってなおも生きようとする、この私に──」
「そうじゃねぇっ!おまえは……おまえは、おれが生まれて初めて好きになった大切な女だ!だから、もう二度と死なせるわけにはいかねえんだっ!!」
「っ…!」
どきり、と。
桔梗の中で何かが鼓動する。
自分の中で、決して芽生えるはずのない感情が揺り動かされている気がして……それは甘すぎる考えだと、即座に振り払った。
「私は既にこの世のものではない。生きているおまえと違って、私の時は止まっている……」
「だったら、おれがおまえの時を動かしてやる!」
もはや犬夜叉の中に、迷いという文字は存在しなかった。本能の赴くままに、自らの気持ちを、そして想いを告白する。
「確かにおれたちは、どこかで道を間違えたのかもしれねえ。だけどおれは、どれだけ回り道をしてもまたおまえに会いたいと思った。死人だとか人間だとか、そんなことはどうだっていい。おまえのことを救いたいんだ、桔梗っ!!」
躍起になって桔梗と向かい合おうとする犬夜叉。
その姿を見て、さらに胸が締めつけられる。
なぜその言葉をあの時に言ってくれなかったのか。
どうして今になって、そんな風に真っ直ぐな思いを伝えようとするのか。
もはや桔梗には、何もかもわからなかった。
「言ったろう!この歪な体で生き続けたところで、私の魂は救われないと…!」
桔梗の掌から強い霊力が迸る。
体の全身に致死量の電流が流れるような感覚。並大抵の妖怪であればあっという間に浄化してしまうほどの攻撃を受けながら、犬夜叉はなおもその手を離そうとしなかった。
「ぐ……うわっ!」
意識がそちらに持っていかれ、さらに体勢が悪化する。
今や二人の体を支えているのは、犬夜叉の片腕一本のみとなっていた。
掴んでいた桔梗の掌が、徐々にずり落ちていく。このままでは悲劇が
「くそ……こんな終わり方があって、堪るかぁっ!!」
そう叫んだ瞬間、犬夜叉は一切の思考を切り捨てて動いていた。
外れそうになった桔梗の手を手繰り寄せる。もう片方の支えが失われることさえ、意に介さず。
「な──」
桔梗の視界が赤色に染まる。
やや時間をおいて、それが火鼠の衣であることに気付いた。
犬夜叉は桔梗の体を手繰り寄せ、自らの元へ抱き寄せていたのだ。
命に代えても守ってみせる。ただその一心のみで。
滝壺の中心に、大きな水柱が上がる。
水面に接触する直前、犬夜叉は桔梗と体勢を入れ替えていた。自分の背中が先に着水するように。
しかし、いくら水の上に落ちたとはいえ、落下した高さを鑑みればその衝撃は計り知れない。
事実として既に満身創痍だった彼の意識は完全に刈り取られてしまい、水の流れに身を任せるほかなかった。
川辺にて、並ぶようにして横たわる二人。
少しの間をおいて先に体を起こしたのは、桔梗の方だった。
「なぜだ、犬夜叉……」
崖から落ちる最中、桔梗は犬夜叉の重さと、その温もりを感じていた。冷たい水の中でも、最後まで自分のことを離そうとせずに……
なぜに、護った。身を挺して犬夜叉が護るものが……なぜ、この自分なのだ。
その問いが、頭の中をぐるぐると駆け巡り、一切の思考を麻痺させる。
そのままぐったりと項垂れてしまった犬夜叉は、意識を取り戻す様子はない。
「なぜ今になって、このような真似をする…っ!」
改めてそう強く問いかけながら、犬夜叉の首許に手を掛ける。
このまま霊力を込めさえすれば、妖怪の力を半分持つ彼はあっさりと命を落とすことになるだろう。
そしてそれこそが、唯一桔梗の魂を解放するための手段。
なのに。
そのはずなのに。
いつまで経っても、桔梗はそれをすることが出来なかった。
自らの止まった時を動かすといった彼の言葉に、すっかり絆されてしまったというのか。
あるいは最後まで自分のことを助けようとして諦めなかった姿に、ほんの僅かな希望を抱いてしまったというのか。
ふと、あの時のことを思い返す。
犬夜叉に向かって矢を放ち、御神木へはりつけにした時のことを。
自分が用いたのは破魔の矢ではなく、封印の矢であった。
咄嗟のことで考える余裕などなかったはずなのに、私は何故か犬夜叉を滅することをしなかった。
いっしょに生きたかった。ずっと自分の側にいて欲しかった。
自らの死の際。頭を過ったのは、そんな陳腐な想い。
そこに在ったのは清廉潔白な巫女などではなく……ひとりの男に恋い焦がれる、ただの女だった。
──本当はわかっているはずだ。ただ、気付かないふりをしているだけだろう?
どこからかそんな声が聞こえてきて、必死に振り払おうとする。
そうしなければ心の平衡が保てなくなってしまうことを、理解していたから。
「いっそのこと、その爪でひと思いに裂いてくれれば……迷いなく逝けたのに」
「……するわけねぇだろ、そんなこと」
哀れな女の独りごと。そのつもりだったのに、目ざとく反応されてしまった。
いつの間にか意識を取り戻していたらしい犬夜叉は、仰向けに倒れた状態のまま言葉を続ける。
「おまえの体を傷つけるくらいなら、死んだほうがましだ」
「…!」
まただ。またこの男は反射的に縋りつきたくなるようなことを言って、私の心をかき乱す。
『けっ、馬鹿が。おれは人間になる気なんざさらさらねえよ』
目の前にいる彼は、そう言って四魂の玉を奪い去ろうとした者と同一人物だったはずだ。
偽りの優しさを振りかざし、私のことを背後から襲った、あの男と。
──だけど、それでも信じたいのだろう。命がけで私のことを救おうとした、犬夜叉の姿を。
再び、声が聞こえた。今度は疑いようもないほどにはっきりと。
ふと視線が合う。彼は在りし日の拗ねた様子を微塵も感じさせず、どこまでも真っ直ぐな瞳で桔梗のことを見つめていた。
「犬夜叉……おまえの望みはなんだ。死人であるこの私に、一体何を望むというのだ?」
言い終えてから、思わずはっとする。あまりにも戯けたことを聞いてしまった。
この期に及んで、私はまだ何かを期待しているというのか。本当に、つくづく自分が嫌になる……
犬夜叉はわずかに口を開け、返答を模索しているようだった。
迂闊にもその質問を投げかけてしまった桔梗は、処刑を待つ囚人の気分で彼からの返答を待つ。
「おれは……おまえの側に居たい。誰になんと言われようとどう言われようと、この想いだけは変わらねえ。変わらねぇんだ……」
「……っ!」
しかして犬夜叉の出した答えは、桔梗にとって正しく
今までずっとせき止めていたものが──心の奥底にしまい、押し殺そうとしていた感情が──遂に決壊する。
愛と憎しみ。その相反する二つの感情の中で、桔梗はずっと苦しんでいた。
だけど犬夜叉の想いを聞いて……片方にあった負の感情が、急速にしぼんでいく。
今の言葉すら嘘ではないのか。また裏切られるのではないか。
そんな疑念すら、一瞬のうちに吹き飛んでしまうほどに。
「そう、か……」
私の意を汲み取り、人間になると言ってくれた犬夜叉。
私を裏切り、四魂の玉を奪い取ろうとした犬夜叉。
どちらが本当のおまえなのかはわからない。
「おまえの気持ちは、よくわかった」
だけど。だからこそ。
桔梗もまた、覚悟を決めた。
「もう一度……もう一度だけ、信じてみる──」
もう一度だけ、信じてみる。
桔梗はそう言い残して、静かに去っていった。
川辺に一人残された犬夜叉は、最後の言葉にかけられた
かの決断に至るまでの間、彼女の中でどれだけの葛藤があったのか。あるいは、どれほどの勇気を振り絞ったのか。
それと同時に沸き上がるのは、めらめらと燃え滾る熱い思い。
──桔梗は、もう一度おれのことを信じてくれるといった。その言葉を裏切ることだけは、絶対にできねぇ。
この先にどんな苦難が待ち受けていようとも、桔梗のためなら頑張れる。犬夜叉は自分が存外単純な男だったことに気付いて、思わず苦笑した。
二人の先にある道は、実に険しく厳しいものだ。だけど諦めさえしなければ、きっとたどり着くことができるはず。
もう一度会いたいという、奇跡に近い願いだって叶ったのだから……互いの想いを交わらせることだって、きっとできるに違いない。
そんな目に見えぬ希望を、心の中に抱いて。
犬夜叉は、再び立ち上がった。
終劇
ちょっと待って!淫夢要素が入ってないやん!ただの犬桔小説になってるやん!語録をたくさん入れたかったらこの小説書き始めたの!運営に電話させてもらうね……