竜殺しっぽい誰かの話。 作:焼肉ソーダ
グレン先生<=アッシュ<システィ
魔術の腕
リィエル(黒魔術)<<<アッシュ<グレン先生<システィ<リィエル(錬金術)
レイフォードが来たことで、本日の授業は実践系統……わかりやすく言うと魔術狙撃の実技になった。
ルールも六つの的を【ショック・ボルト】でぶち抜いていくという至極単純でわかりやすいものだ。早々に浮いてしまっているレイフォードが少しでも馴染めるように、という配慮だろう。なんていうかあの子、座学苦手そうだしね。それに実技なら実際にあちこち動き回る関係上、コミュニケーションをとりやすい。なんであの人軍人なんてやってたんだ? 配慮がヤバいぞ。最初から教師やれよ。
それはさておき、実技で授業ということは当然レイフォード以外もちゃんと的あてをしないといけない。もちろん俺もだ。
はっはっは。───言ってなかったけど、俺めちゃくちゃ魔術狙撃苦手なんだよね。
「…………」
「…………」
「…………六分の三。……まあ、十分標準だ。そうしょげんな」
六弾中命中したのは三回。うち一つはギリギリ掠った程度のお情け得点。
いやあ。これはないわぁ。
「まあでも俺にはヘッポコ仲間のカッシュがいるしな……」
「おうケンカなら買うぞ。表出ろ」
「ケンカは買うものじゃなくて売るものだから仕方ないよね」
あ、待ってください。違うんです、そんな「俺戦闘狂なんで」みたいな意味で言ったんじゃないんです、だからその目をやめてください。バーサーカーと誤認されるのは非常に心外です。
ちなみにカッシュは全弾外れてた。なんでだ。でもまぐれ当たりが半分くらいを占める俺と違ってちゃんと寄せられてはいたから、将来性はあるんじゃないだろーか。
そしてそれに続いたギイブルは全弾命中。おお、さすが成績トップクラスととりあえず褒めそやしておいた。
「……君は、他人を煽るのが存外に上手いな」
「なんで?」
褒めたじゃん。俺ちゃんと褒めたじゃん。
確かにちょっとおざなりだったかもしれないけど褒めたじゃん。
「……ただの的にいくら中てられたって……実際の戦いで活かせなければ、なんの意味も……クソッ」
なにやらボソボソとつぶやいてご退場するギイブル。なんなんだあいつ。
俺が『奇跡の復活』とからかわれるようになった辺りからなんか付き合いが悪い気がする。なんぞあやつのプライドに障るよーなことでもしたのだろうか。
……心当たりがないから放っとくか。
「じゃ、次。最後だ。出番だぞ、リィエル」
ギイブルを目で追っている間に、いつの間にかレイフォードの順番がきたらしい。相変わらず眠そうな目で、グレン先生が懇切丁寧に説明し直しているのをぼけっと聞いている。
大丈夫かこれ?
不安に駆られる俺のことなどお構い無く(当然のことだが)、ルールを改めて理解したらしいレイフォードが、満を持してその華奢な手を的が取り付けられた人形へと向けられる。
現役軍人、しかも聞いた話じゃエースらしいレイフォード。前に会ったときはその圧倒的なパゥワーで敵を叩き潰すしかしなかった彼女の魔術の腕は果たしてどんなものだろうか、気にはなる。
───がしかし、レイフォードの一発目は綺麗に的を逸れて地面に着弾。
初歩的な呪文は、人形にすら掠らず霧散した。
大丈夫かこれ?(2回目)
いやわかる。わかるとも。レイフォードの武器はおそらくあの高速錬成と剣技だ。敵を倒すことのみを目的とする場合、それ以外の魔術を使えなくとも問題はまったくない。ないのだ。ないのだが。
ばちーん。ばちーん。
地面にぶつかっては散っていく紫電が五つを数えた頃、ふとレイフォードが首を傾げた。
それに気付いたらしいグレン先生がレイフォードの相談に乗る。なにごとかをぶつぶつと話し合っていたが、謎は解けたらしい。レイフォードは今までのように手を───地面───に───?
「《万象に希う・我が腕手に・十字の剣を》」
あっ。
このときの俺の心情を言葉にするなら、まさしくそんな感じだった。
「いぃぃいいいいやあぁあああああああ───ッ!!」
レイフォードの気合いの入った叫びと、
違う、そうじゃない───と指摘する気力もなく、俺はのんびりと晴れ渡る空を見上げた。
ああ、今日も青空が綺麗だなあ、なんて現実から目を背けながら。
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そんな感じで、グレン先生の配慮をゴーレムと一緒に木っ端微塵に粉砕したレイフォードの二組デビューは終わった。色んな意味で。
確かに前に会ったときは
さておき、レイフォードはなんとも派手な顔合わせをしてしまったわけだ。
護衛って、目立たないようにするのが大原則じゃなかったっけ。もしかして俺が間違ってる? そんなのは素人の考えで現実は違うの? などと思いもしたが、グレン先生が頭を抱えているあたりたぶん俺は間違ってない。
「……あっちゃー」
教室の自席で、ゆらゆらと眠そうに頭を揺らしているレイフォード。昼休みだというのに、その周りに人はいない。
案の定、レイフォードは完全に孤立していた。
その視界にティンジェルが入っているのかどうかさえ定かではない。……アウトでは?
そっとグレン先生に視線を送ると、『完全にアウト』とでも言いたげに額に手を当てていた。そしてこっちに気付いたのか、グレン先生は顎をしゃくる。
───行けと!? 俺に!?
いや確かにこのクラスじゃ俺が適任かもしれないけどさぁ!! この雰囲気の中声をかける勇気とかあんまねえよ俺!?
しかしグレン先生はじっとこちらを睨み付けるよーに見つめている。撤回するつもりはないようだ。なんていうか圧が強い。こう、妹を案じすぎて妙なオーラを纏うに至ったシスコン兄貴みたいな感じがある。
そんな思いを込めてグレン先生を見る。
───さっさと行け。幸運を祈る。
「クソが!!?」
どうやら撤回するつもりはないらしい。それどころかぐっと指を立ててやたら良い笑顔を浮かべている。
……人の気も知らないでこいつはよぉ!!
「あー、しょうがねえなあもう……」
あそこまで言われては仕方ない。
席を立ち、レイフォードの方へと歩み寄……る途中、ティンジェルとすれ違った。その後ろにはフィーベルの姿も。どうやら、考えることは同じようだ。苦笑して肩をすくめ、ぼけっとしているレイフォードの肩を叩く。
「よ、レイフォード」
「……?」
じろり、とこっちに視線だけを向けるレイフォード。見る人が見れば睨まれているように見えないこともないだろう。実際、フィーベルは後ろで若干怯えているのかどことなく消極的だ。そりゃあんな大破壊を見せられたらそうもなる。
だが、件の大破壊どころかレイフォードの殺気を間近で受けた俺に隙はない! ……たぶん!!
「メシ。行かねえ?」
ちょうど良いセリフが思い浮かばず、端的に言ってくい、と指を食堂の方に向ける。
しかしそこで再び首を傾げるレイフォード。……まさかイエスでもノーでもなく疑問符が返ってくるとは。
「えっと……今、お昼休みだから。リィエルはお昼ごはんどうするのかなって思って」
ここで助け舟を出したのがティンジェルだ。ありがとうティンジェル。早速グレン先生のおつかいを失敗するところであった。
レイフォードは俺からティンジェルに視線をズラすと、「三日食べなくても平気だから」と返答した。なにかがおかしい。今聞いたのはレイフォードの食料事情ではなく……いや概ね間違ってはいないが、とにかくそういう話ではなかったはずなのだが。
詳しく聞いた話によると、レイフォードは今回食料が支給されなかったので、なにを食べたら良いのかわからなかったとのこと。……軍の支給食料といえば効率最優先で味は度外視……というのが定番だった気がするのだが、と思いグレン先生を窺うと、『マジかよ』と言いたげな顔をしていた。……まずいんだろうなあ。
うむ。しかしそうすると、包丁を握るものの端くれとしてここはレイフォードに『うまい食事』というものを食わせてやりたくなるというもの。
「ティンジェルも、昼は大体食堂だしさ。食う食わないは別にしても、場所を知っておくのは良いんじゃないか? その……仕事のためにも」
「……一理ある。……わかった。その、食堂? 教えて」
交渉成立。
レイフォードを伴って、そそくさと学生食堂に向かう。
……すれ違ったグレン先生が、後からこっそりついてきているのには気付かないふりをした。
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さくさくさくさく……と、食堂の一角に軽やかな音が響く。
音の発生源は、山のように積まれた苺タルト───を次から次へとかじっているリィエルだ。
「あはは……気に入ってくれたみたい、かな?」
「ぽいな。……栄養バランス的には、ちょっとどうかと思うけど」
六つ目の苺タルトを食べ終え、七つ目に手を出すリィエルを囲んで二組の三人が苦笑した。
即ち、リィエルに食事文化を教えようの会メンバーことアシュリー、システィーナ、ルミアの三人組である。
アシュリーは健全な男子学生らしく大盛りの定食を、ルミアはローストビーフにチーズサラダ、小さめのパンにトウモロコシのスープもつけたしっかりした昼食を机に乗せていたが、システィーナだけは紅茶とスコーン二つ、となんとも寂しい食卓であった。
そして目の前には延々と苺タルトをかじり続けるリィエル。
「……う、羨ましい」
システィーナとて好きでこんな寂しい食生活を送っているわけではない。できることならお腹いっぱいに食べたいし、甘いものにもかぶりつきたい。だが女子としてのプライドがそれを許さない。
なにがとは言わないが、生まれつき代謝が良いらしいルミアと違って、自分はきっと食べ過ぎたら胴周りとか腕周りとか、いらないところについてしまうので。なにがとは言わないが。
それでも、真っ昼間から肉やらなにやらを味わう親友とクラスメイトを見ているのは……ちょっと、つらい。
「……フィーベル、それしか食わないのか?」
「そうなの。システィったら、眠くなるのが嫌だからっていつもこれだけなんだよ? どう思う、アッシュ君?」
「どう思うって……うーん」
「……な、なによ」
水を向けられたアシュリーがじろじろとシスティーナとスコーンを見比べる。
「野菜くらいはもっと食ってもいいんじゃねえの? 豆とかでもいいけどさ、もう少し食った方がいいと思うぞ? お前、細いんだし」
「……一応、褒め言葉として受け取っておくわ」
「そうかよ。じゃ、褒め言葉ついでにこれも受け取っとけ」
「あ、ちょっと!」
ひょいひょいと、システィーナの皿の上に乗せられるサラダとハム。キッとシスティーナが睨みつけるが、当のアシュリーはどこ吹く風とばかりに残った食事を口に運んでいる。かといって、無理に戻すのもちょっとはしたない。
「もう……デリカシーないんだから」
仕方なく、そう仕方なく、乗せられた料理をスプーンに乗せる。
掛け値なしに美味しそうだった。油断したら、うっかりよだれが垂れてしまいそうだ。
むむむ、としばらく見るからにジューシーなハムとにらめっこをしていたが、ついに意を決したらしい。スプーンに乗せた料理を丸ごと口に放り込んで咀嚼する。
「ここのハム。サラダのドレッシングと合わせると最高にうめえんだよなあ」
スコーン以外のものを食べてしまった幸福感と後悔の狭間で葛藤するシスティーナの斜め前で、素知らぬ顔でアシュリーがシスティーナと同じようにしてサラダとハムをパクついている。ほんのり顔を赤くしたシスティーナの恨みがましい視線を受け流し、いつの間に食べ終えたのか「ごちそうさん」と言って食器を片付けに行ってしまう。
もう、ともう一度ため息をついて、同じくいつの間にかリィエルの頬についたタルトの食べかすを拭う。妹がいたらこんな感じなのだろうか? 不意にそんなことを考えて、微笑みがこぼれた。
「あら。システィーナ」
「ウェンディ。リンも……珍しいわね、食堂に来るなんて。リンはともかく」
「庶民の食事を観察するのも、貴族の責務ですわ」
後ろから声をかけてきたのは、ふふん、とトレーを持ったまま得意気な顔を見せる二組のドジっ娘お嬢様ことウェンディ=ナーブレス。その後ろでは、リンが控えめに会釈などしている。
「たまにはこちらを利用するのも良いかと思ったのですが……今日は席が空いていなくて」
「ね。それなら、二人も一緒にどう? 大勢で食べたほうが楽しいし……」
そう言って、ルミアが空いた席を───今まさに、ぼんやりした顔のまま、黙々と苺タルトをかじっているリィエルのそばを指差した。だが、リィエルの姿を認めた途端に二人の反応が鈍くなる。
まったく気にしていないアシュリーやルミアが異常なのであって、その態度は二組の総意と言っても良かった。『よくわかんないけどゴーレムを粉砕してしまう力を持つおっかないやつ』……それが、今のリィエルへの二組からの評価だった。
「おっと、うちのカワイ子ちゃんたちが揃い踏みだ! こりゃお近付きになるチャンスかな?」
「カッシュ君?」
そこにさらにやって来たのは、ウェンディと同じくあまり食堂では見掛けない生徒───クラスのムードメーカーとして名高いカッシュ=ウィンガーだった。
カッシュはリィエルの隣、アシュリーが少し前まで座っていた席にどっかりと腰を下ろすと、
「や、リィエルちゃん! うまそうなもん食ってるな!」
「……?」
さすがに名前を呼ばれれば気付くのか、リィエルがずっと苺タルトに注いでいた視線をゆるゆるとカッシュに向けた。
だがカッシュはひるむ様子もなく、いつもクラスの仲間に振り撒いている見ていて気持ちの良い爽やかな笑顔を浮かべてみせる。
「……ほしいの?」
「いやいや、そりゃリィエルちゃんのデザート……昼飯? え、マジ? ……ま、ともかく別に横取りしようってんじゃねえよ。それより、さっきの授業だよ!」
カッシュがぐいぐい気安く距離を詰めてくるが、リィエルは気を悪くした風でもない。
「バリバリーって剣作ってさ、ドカーンってゴーレムをぶっ飛ばしちまっただろ? アレ、どうやったんだ?」
「あ……それは僕も気になるな。剣を投げたのは体術だろうけど、あんな一瞬であれだけ大きな剣を作るなんて……一体どんな錬成式を使ってるの?」
ひょっこりと後ろから口を挟んだのは、二組内外で女顔で通っているセシル=クレイトンだ。魔術競技祭で『魔術狙撃』の競技に出場してからというもの、なにかに目覚めたのか狙撃の成績が急激に伸びた生徒である。今日の授業でも命中率は六分の五と、かなり高い精度を誇る。
元々気の強い方ではないのだが、いつも通りにリィエルに話しかけるカッシュと延々苺タルトを口に放り込む小動物のようなリィエルの姿に絆されたのだろうか。ほんの少しためらってから、カッシュの隣に腰を落ち着けた。
「コツとかあるのか? な、良ければ教えてくれよ!」
「ん……暇なときなら」
「マジで!? やっりぃ、楽しみにしてるぜリィエルちゃん!」
大げさに喜んでみせるカッシュ。それに毒気を抜かれたのだろう、立ち尽くしていたウェンディとリンもおずおずと近くの席に座り、リィエルに話しかける。
リィエルは積極性こそないものの、受け答え自体は比較的しっかりしている。話のタネさえ見つかれば、会話を続けるのはそう難しいことではなかった。
「……ありがとう、カッシュ君」
「いやいや、いいってことよ。新しい仲間がぼっちなのも見てて気分良いわけじゃなかったしな。あ、そうだ。お礼に今度俺とデートってのは───」
「ほっほーう。カッシュ=ウィンガー、お前ずいぶんわかりやすく下心を出しよるな?」
「げえ、アッシュ!?」
どかっ、と無遠慮にカッシュの背中に肘を置いているのはアシュリーだった。片手には締めのデザートなのか、焼きプリンを乗せている。
「で、我らがティンジェルのご返答は如何に?」
「ごめんね、カッシュ君」
「玉砕ッ!?」
「あっはっはっは! うちの天使サマはお前にゃキョーミないってよカッシュ!」
「てめ、離れろよ!?」
カッシュが愉快そうに笑うアシュリーを振り払う。ルミアは困ったように微笑んでいた。
「……?」
そしてリィエルはやっぱり、交わされる会話の中でぼんやりとした表情のまま苺タルトをかじっていた。
────────────────────────
「っはー……」
仕事が一段落したタイミングで、大きく息を吐きだした。
今日はいつにも増して客が多く、厨房に注文に、と大忙しだった。
「ふふ……」
それというのも、店の一角に居座る美女のせいだ。
エレノアさん目当てにやって来ては、注文もせずに居座る男性客のケツをひっぱたいて料理を食わせること数時間。時々入るエレノアさんからの注文を取りに行くこと数回。
常の数倍は疲れ果てた俺がようやく開放されたのは、バイトの休憩時間に入った夜遅くのことだった。
「はあ……エレノアさん、大人気ですね」
「あら、そうですか? この盛況ぶりはひとえにアシュリー様の努力と、このお店の料理が美味なおかげでございましょう」
「……どーも」
なんでか気に入られている。それはわかるが、理由がてんでわからないので素直に賛辞を受け取れない。
というか、大賑わいなときにしかエレノアさんは来ない───訂正、逆だ。エレノアさんが来るときは大盛況になるので、エレノアさんはこの賑わいぶりが普通だと勘違いしているのだろうか。そんなことはない。
そりゃあ、エレノアさんがいないかどうか見に来て、そのままなんかしら注文して帰ってく客もいることはいる。いるが、そもそもエレノアさんが来るのは二週間に一回程度。それを知っている下心マシマシの野郎どもも二週間に数回しか来やがらない。
「あー……そういや、エレノアさん」
「はい? なんでしょう」
「魔術競技祭のとき、フェジテにいました?」
ふと気になっていたことを聞いてみる。あの日、女王陛下のそばにいた使用人は黒髪だった。
使用人服と黒髪だということだけであれをエレノアさんだと断定するつもりはさらさらないが、もしそうだったら……いや、そうだったらどうしようというのか。
今までに交わした会話で、エレノアさんは剣術もそれなりの腕だと聞いている。仮に女王陛下の側仕えご本人だったとして、俺の注意喚起なんてそれこそありがた迷惑というものだろう。
「───。いえ、私はそのときはフェジテにはおりませんでした」
「そうですか」
じゃ、別人かな。
「何故?」
「え? ああ、深い意味はないんですよ。ただ似た人を見かけただけで」
「……そうですか」
なにか気分を害しただろうか。エレノアさんの空気がちょっとだけひりついた。
が、それも一瞬で消え失せ、次の瞬間にはいつもの柔和な……しかしどこか妖艶な笑みを浮かべるエレノアさんがいた。
「ああ、そうですわ。近々、私はフェジテを発つのです」
「へえ……。そりゃ、お仕事で?」
「ええ。私の主からのご命令でして。しばらく……いいえ、もしかしたらもう、このお店には立ち寄れないかもしれません」
「そうなんですか……」
それは……純粋に残念だ。
お客さんがたくさん来るから、とか美人だから、とかそういう理由を抜きにしても、お得意さんがいなくなるのは寂しいものがある。
「私も残念で仕方ありませんが、これも我らが主のため……また会えることを楽しみにしていますわ」
それもそうだ。今生の別れということでもない。縁があれば、また会うこともあるだろう。
「ヴィルセルトくん、ちょっといいかい?」
「店長? はい、今行きまーす。……じゃ、エレノアさん。そういうわけなんで」
「行ってらっしゃいませ。しばしの別れですが……不思議ですね」
そこで言葉を区切り、エレノアさんはそっと微笑んでみせる。
「私、貴方様にはまたすぐにお会いできる気がいたしますの」
熱っぽく潤んだ瞳。どこか危うげな、触れれば火傷してしまいそうな熱を思わせる上気した頬。
普通の男なら魅了されてしまうだろうそれから、俺はなぜか嫌な予感がして目を逸らして。
「……そうですね。できればまた、お客として」
そんな素っ気ない返事を残して、自分を呼ぶ声に走る。
「───ええ。すぐに、お迎えにあがりますわ。アシュリー=ヴィルセルト様」
だから。
いつもの穏やかな微笑とはまるで違う───底冷えするような、狂気を宿した笑みには、終ぞ気が付かなかったのだ。
アルベルトとリィエルに追っかけられた少し後とはいえ、ルミアの護衛で警戒の強まっているフェジテに堂々と出没するエレノアさんマジパネェっす。