竜殺しっぽい誰かの話。   作:焼肉ソーダ

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いつもながら、感想や評価、誤字報告ありがとうございます!
作品について指摘があると「わ、わかる~~~!」と画面の前で唸る毎日です。精進あるのみ。

そういえばこの度、蒼銀のドラマCDに手を出しまして……。
本編ももちろんなんだけど、特典小説が楽しみすぎる。そして金が飛んだ。


24.幻聴が聞こえたらゆっくり休むべし

「どんだけいるんだよこの遺跡……」

 

 はーあ、とため息をつきつつすっかり慣れた狂霊の駆除作業に専念する。後ろから魔術の合図がきたためレイフォードと一つ頷きあって射線から退く。

 

 既に少なくなっていた狂霊はそれで一掃され、入ったばかりのときと同じように遺跡内はしんと静まり返った。

 非戦闘員としてサポートに徹しているティンジェルとティティスの『索敵可能範囲に敵影なし』、の報告で一気に空気が緩む。誰からともなくため息をついた。

 

「やっと終わったあ……」

「動きっぱなしだったもんね……はいこれ」

「おう、サンキュなセシル」

 

 水の入った水筒を受け取り、乾いた喉を潤す。ふと同じくらい動き回っていたはずのレイフォードに目を向けたが、この程度は慣れたものであるのか汗ひとつかいていない。羨ましい限りだ。

 放置されてた期間で湧いていたうちの大部分は最初に狩りつくしたのか、現在湧いてきている量はさしたるものではないが……俺やレイフォードのように身体を動かして倒しているのならともかく、魔術を撃ち続けていた生徒の消耗具合と疲労具合がそこそこにヤバい。魔力は体力より自然回復が難しいから、仕方がないといえばその通りだ。

 

 少しの休憩を挟んだあと、道を曲がった途端に再び現れる狂霊。このままでは次の戦いでマナ欠乏症になる……といったところで、

 

「ほら、お前たち。下がって休憩してな」

 

 そんなアルフォネア教授のセリフとともに、指を弾いただけで現れる無数の【マジック・バレット】。

 確かに、あくまでもルーン言語は自身の深層意識を効率良く改変するためのものであって、改変さえ行えるのなら詠唱は必要ないのだが……それにしたってデタラメだ。

 さすがは名高き第七階梯(セプテンデ)。ところで第七階梯ってアルフォネア教授以外にはいるんだろうか?

 

 と、まあこのよーに。時折生徒が無理な連戦に入りそうになるとアルフォネア教授が一瞬で潰してくれるから、そこまで致命的な消耗をしているわけではないのだが……それでも疲れるもんは疲れる。

 

 しかし無限のように思われた狂霊の群れも、先に言った通り大部分を最初に駆除したらしいこともあり、徐々に出現量は目減りしていき、道程の三分の二に差し掛かる頃にはほとんど出なくなっていた。

 

「先生、そこの丁字路を左です。最初に探索する予定の第一祭儀場がその先にあるはずです」

「やーれやれ、やっとか……。ずいぶんと時間くっちまったな」

「そうですね……でも、明日からはきっともっと楽ですから。頑張りましょう、先生」

 

 ティンジェルがそう励ましつつ、静かになってしまった道中を盛り上げるためなのかそれとも純粋に気になっただけなのか、外で見たよりも内部が広いのではないか……と言って辺りを見渡す。

 言われてみれば、外で見た半球型の神殿にここまで俺たちが歩き回るほどのスペースがあったようにはとてもではないが思えない。

 

「気になる!? 気になるわよね! よーし、じゃあ教えちゃいましょう! 実はね、ここは───」

「ここは空間が歪んでいるんだ。ほら、床やら壁やらに妙ちくりんな模様があるだろう? これがどうも、古代人の使っていた空間操作用の古代魔術(エインシャント)らしくてな。これのせいで、この神殿をはじめとした古代文明の遺跡は外から見た大きさと実際の広さがつり合わなくなってるんだ」

「……と、そういう、ことなのよ。うん」

「……ドンマイ、フィーベル」

 

 古代文明といえばフィーベル、というのが二組の通説であり、実際そういった名目で追加枠として招かれたフィーベルだが、さすがにウン百年生きているというアルフォネア教授には勝てないのか、あっさりと話を遮られてしまっていた。

 行きの馬車の中でもずいぶんと熱心に語ってたし、ここでも一席ぶちたかったんだろうな。出鼻をくじかれたどころか話の内容も丸っと持っていかれてしまったフィーベルは得意げな顔のまま固まっていた。

 

「ん……それなら……壁を壊して、近道を作ればいい」

「どうしてお前はそう脳筋思考なの? やめようよ」

「お前が言うな脳筋二号」

 

 そんなコントを挟んでみたものの、返ってきたのは『それは無理』という答え。

 なんでも古代遺跡には霊素皮膜処理(エテリオ・コーティング)? とやらがされている場合があって、物理的にも魔術的にも壊したりできないようになっているのだとか。なにそれ……理不尽……。

 

 壁やら天井やらをぶち抜くのはいざってときの常套手段なのに。

 

「……お前らさ、偉大なる古代文明の遺したものをもう少し大事に扱おうって気持ちはないわけ?」

「背に腹は代えられないですし……」

「そりゃそうだが」

 

 同意が得られたようでなによりデス。

 実際、逃げ道がないときとかは壁をぶち抜いていくのが一番手っ取り早かったりするのだ。

 

 はい、経験則ですがなにか。

 苦情は師匠までお願いします。

 

 ───閑話休題(それはさておき)

 

 ずんずんと地図を持ったティンジェルの指示通りに進んでいると、通路の奥にアーチ型の出入口が現れた。どうやら、あれが件の『第一祭儀場』とやららしい。

 今回の遺跡探索の光源はほとんどグレン先生の【トーチ・ライト(魔術の光)】に頼っていたから、出入口の奥までは見通せないが。それなりに視力は良い方と自負しているものの、光源がなければどうしようもない。デカい岩を削って作られたせいで、外部の光が一切入らないのだ。あまり変わったように見えない景色やそこらじゅうにびっしり描かれた模様の影響もあり、進んだのか進んでいないのか、時間感覚が狂ってしまいそうになる。

 

「じゃ、お前らはここで待ってな。俺が安全確認をしてくる」

 

 グレン先生はそう言い残して、遠征学修のおりに手に入れたという銃をチェックしてから出入口に向かっていった。

 なにかあったら内側から銃声が聞こえるだろうし、ある意味わかりやすいとも言える。この距離だったら中に狂霊がいたらよっぽど知性の高いやつでもなけりゃこっちに来てるだろうし、概ね安全だろうが。

 

 しかしこちらの予想に反して内部に単身突撃したグレン先生からは一向に反応がなく、行っていいのか悪いのかよくわからない。

 

「どれ、ちょっと私が見てくるか」

 

 しびれを切らしたアルフォネア教授がずんずんと中へ入っていく。ややあって、グレン先生と合流したのだろう。内部から『入っていいぞ』とのアルフォネア教授のお達しがあったので、念のため全員いるかを確認して中へ。

 フィーベルは我慢しきれないといった風にずっとソワソワして、許可が出るなり我先にと突っ込んでいった。ここに向かう途中の馬車じゃずーっと落ち着かない様子だったし、無理もない。

 

「じゃ、俺も行くか……。連中は……よし、いないな」

 

 みんなすったかたーとフィーベルを筆頭に祭儀場の中へと行ってしまったので、一応キョロキョロとまた狂霊が寄ってきていないか確認する。

 いや本当、どこからともなく寄ってくるからねあいつら。意味わからん。

 

 そんな風にして周囲を確認している間に、クラスの連中との距離はますます広がっていた。出遅れた俺は気が付けば通路の真ん中で一人ぽつんと佇んでいる。せっかちな連中だ、と苦笑して、

 

 

 

『そう。あなた、迷子なのね』

 

 

 

 ───不意に背後から聞こえた声に、びくりと身体を震わせた。

 

 一瞬の硬直の後に、弾かれるように背後を振り向く。……いない。誰も。

 

「……なんだ、今の」

 

 おおよそ、真っ当な人間であれば恐怖を抱いてしまうであろう声だった。

 

 聞き覚えはない。確実に。二組生徒どころか、今までの人生であのような声を聞いたことは一度もなかった。

 それはつまり、見知らぬ第三者がこの『タウムの天文神殿』に潜んでいるかもしれない、ということでもあるのだが───

 

「…………。ま、いいか」

 

 アルフォネア教授がいるから……というわけでもないが、たぶん気にしなくても良いことだ。

 こっちに危害を加えるつもりなら、とっくにそうできていたはずだ。なんせ今の俺は集団から離れて一人きり。襲うなら絶好のチャンスである。一人をこっそりと始末しておけば、あとは勝手に仲間たちはパニックに陥って統制が乱れ、またも襲撃のチャンスが……といった悪循環にこちらを叩き落とすこともできたはず。

 

 まあ、引率役のグレン先生は冷静に対処してくれるだろうし、アルフォネア教授がいれば大半の敵は木っ端微塵になるだろうからそれを警戒したという可能性もあるけど。

 どちらにしても、気にするほどのことではあるまい。というか迷子ってなんだ。俺はただ置いてかれただけで迷子ってわけじゃないんだが?

 

 なんとなく釈然としない心持ちのまま、先生たちのあとを追って内部へ侵入する。これまでの通路とは明確に違う、ドーム状の高い天井を持つ大部屋だ。中心には双子の天使が向かい合って絡み合うような奇妙な御神体っぽいものが置いてある。

 他にも、天井や壁、床に至るまで、占星術でいうところのホロスコープにも似た模様が、今まで見てきた空間をいじくる魔術の代わりに刻み込まれている。さながら象徴的な宇宙空間だ。あちらこちらに置いてある石像は惑星を表しているのだろうか?

 

 なんにせよ、ただの遺跡といった風情であった今までとは違って───まさしく『天文神殿』と呼ぶにふさわしい光景が、部屋の中に広がっていた。

 グレン先生は若干青い顔をしていたが……ティンジェルの顔を見て吹っ切れたらしい。たぶん大丈夫だろう。

 

「リィエルは入り口の見張り、ルミアと白猫は床の紋様の書き取りを。ウェンディは碑文の解読を頼む。残りの連中は隠し通路や不自然な魔力反応などの探査調査だ。さくっと終わらせちまおうぜ」

 

 ぱんぱん、と手を打ち鳴らしたグレン先生の指示に従って調査隊のメンバーが部屋のあちこちに散っていく。

 俺は……隠し通路探しでもしとくか。魔力反応の探査よりは役に立てるだろう。

 

「……。酔いそう」

 

 一面に広がる模様を見ていたらちょっと気持ち悪くなってきたが、頭を振って気合いを入れ直す。

 

 それからしばらく、俺たちは祭儀場の調査に時間を費やすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことを繰り返して、いつの間にやら三日が経っていた。

 

 初日ほど狂霊がいないこと、繰り返すうちに作業に慣れてきたこともあり、二日目からはさほど手こずることもなく調査は進んだ。

 最初はただ淡々と調査をしていただけだったみんなも、今じゃ野営拠点に戻るたびに熱く議論を交わしている。道中でなにかあるたびに古代文明について語るフィーベルの姿に絆されたのだろう。それを焚き火の中心から眺めつつ、ぐつぐつと煮える鍋をかき回す。

 

 食事の支度は基本的に俺とティティスだ。家庭的な料理に詳しいティティスの作る食事には参考になる部分も多く、試食品についての感想を書き留めるために持ってきたメモ帳は今やティティスから教えてもらったコツを書き込むノートとなっていた。

 

「わ、私なんて……こんなの普通のごはんだし……」

「いや? 俺のはぶっちゃけレシピを再現してるだけでね。そりゃ、ある程度基本は抑えてるし、レシピがなくても適当なものは作れはするけど……ティティスのはなんていうか、うまく説明できなくて悪いが家庭料理なんだなって感じがする。俺は好きだな」

 

 商品として売るための料理と、家族に振る舞うための料理は別のものだ。この辺は、『楽しい日には外で食べるべき』という持論と重なる部分がある。

 帝都に引っ越してからはほとんど自前のメシだったし、こういう……なんと表現するべきか、『温かい』食事というのは懐かしさを覚える。たぶん、昔はこうやって食卓を囲んだこともあったんだろう。十年以上前のことはぼんやりとしか記憶にないが。

 

 うん、たぶん……そんな気がする。

 昔はこうして、オレも机を囲んでカゾクとメシを食っていた……ような?

 

 ……思い出せないけど、そんな気がするんだ。きっとそうだったんだろう。

 

 あー、そんなことを考えてたら唐突に帰りたくなってきた。

 

 どうせ帰っても、そこには誰もいないのにね。

 

「……ハ」

 

 どうしてか、自嘲するような笑みがこぼれた。

 

 意味もわからない、記憶を伴わない郷愁の念だけが募る。

 

「……アッシュ、くん?」

「んー? お、そろそろいいんじゃねえの? メシにしようぜ、ティティス」

「う、うん……じゃあ私、みんなのこと、呼んでくる……から、よそっておいてくれる……?」

「了解した。頼んだぞー」

 

 持ってきていたカバンの中から配膳用の食器類を取り出す。陶器の類は重いし割れるしで今回のようなキャンプには適さないため、持ってきているのは木製のものが主だ。

 

 しっかし、それはそれとしてコメ食いてえな。

 シチューやカレーにはコメが合うと、なんでか俺の魂が叫んでいるのだ。きっと前世の俺とやらはコメが主食の文化圏だったに違いない。というか絶対そうだ。断言してもいい。実際にコメを食っていた記憶はないが、コメを食っていたという確信はある。

 

「こっちじゃサラダにしか使わねえもんな……」

 

 今度、店長に打診してみようか。薄っすらと記憶に残る東方の料理の数々も、料理を学んだ今なら再現できるかもしれない。

 

 そういえば、(前世)はやたら料理が上手なクラスメイトがいたような……いなかったような……。

 前世の記憶とやらはないが、こういったかつての生活の表面的な部分に関しては知識と記憶の微妙な境目にあるせいか、はっきりした記憶はないものの『そんな気がする』レベルでの感覚はある。

 ……料理を教わっとけば、知識ってことで今の俺にも活かせたんだろうか。惜しいことをしたやもしれん。

 

「ま、いいや」

 

 すっかり口癖になったセリフを吐いて、木皿にシチューをよそっていく。

 途中で味見のためにぺろりと舐めてみる。……よし、上出来。

 

 カッシュやフィーベルといった、グループに食事を持っていくために集まってきた面子にトレイとシチューを渡し、ついでにささやかにではあるが持ってきていたパンを添える。

 この調子だとあと数日で終わるだろうし、そうなると今日がちょうど折り返しになるはずだ。中だるみというと少し違うかもしれないが、残りの調査もこの調子で進めるために今日の食事は豪華なものにしたかった。

 

 全員に行き渡ったのを確認してから、自分の分をよそって、鍋の中身を減らしていく。

 魔術のおかげで水の確保にはさほど困らない。もちろん環境には配慮しなければならないが、少なくとも一般人が野営をするよりよっぽど快適ではあるだろう。

 

「おーす。どうだ、今日のは」

「アッシュ。……ん、今日もおいしい。でも、グレンとシスティーナはいらないみたいだったから、わたしが食べた」

「いらないって……ああ、なるほどな……」

 

 どっかの有名な絵画のよーな顔になっている二人を見て、なんかやってる間に勘違いしたレイフォードに食べられてしまったのだろうと理解した。

 一応、まだ鍋には申し訳程度にシチューが残っている。飢えることはないだろう。そう言うと二人は空になった皿を持って焚き火の方へ飛びついた。必死だなあ。

 

「はあ……レイフォード、食うにしたって許可を取ろうな? ホウレンソウがお前には足りてない」

「ほうれん草……? ソテーは、おいしい」

「いやそっちじゃなくて……まあ、いいか」

 

 我先にと鍋にがっつく二人を横目で流し見つつ、パンとシチューを流し込む。

 うん、うまい。

 

 自分もなんだかんだで腹が減っていたのか、それなりによそっておいたはずのシチューは一瞬でなくなっていた。

 

「食った食った……と、あっちもそろそろ食い終わるか。んじゃ、そろそろ……」

「! お菓子!?」

「落ち着けっての」

 

 途端に目を輝かせるレイフォードを抑えつつ、小分けにしたゼリーのようなもの───パート・ド・フリュイというらしい、を取り出して数個持たせてやる。

 めちゃくちゃ大雑把に言うと果汁やら砂糖やらを混ぜて固めたものだ。見た目も華やかで日持ちもするから、今回のために大量に作ってきておいたのだ。

 大盤振る舞いしたせいで、当初の予定より早くなくなってきているが。

 

「はむはむ……ん……ねえ、この調査ってあとどれくらいで終わるの?」

「さあ? あと調べてないのは……祭儀場やら霊廟やらがいくつかと、メインの天象儀か?」

 

 聞いた話じゃ、大天象儀場にあるのはプラネタリウム装置らしい。

 だが綺麗なだけで魔術的な効果はなにもなく、時空間転移魔術なんてものがあるようには思えない……というのが、これまで調査に訪れた数多くの魔術師によって結論付けられた、『タウムの天文神殿』についての調査結果だ。

 

「けどま、今のところそれを覆すようなもんは出てないみたいだし……結果は変わらないんじゃないのかね」

「ふうん……わたしにはよくわからないけど」

「なんで聞いたんだよ……」

 

 がっくりと肩を落とし、空になった食器を洗うために地面から立ち上がり、服についた土を払う。

 

「……あ、先生たちにもお菓子配るの忘れてた……」

 

 どうしよう? とちょっとだけ視線をカバンとグレン先生たちとの間で迷わせる。

 ほんの少し考えてから、気にしないことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふあぁ……あー、いい湯だな……」

 

 タオルを頭に乗っけたまま、なみなみとした湯に浸かりながらぼやく。

 

 食器の後片付けを始めた俺たちを待っていたのは、アルフォネア教授のドヤ顔だった。

 

『この辺は霊脈(レイライン)的には旧火山帯でな。もしかしたらと思ったんだが……』

 

 そんな言葉といたずらっぽい顔を見せたアルフォネア教授は、雑談をしていた生徒をまとめてこの場所へと連れて来たのだ。

 自然に湧き出す濁ったお湯、微かに匂う硫黄、立ち昇る湯煙。

 

 要するに、アルフォネア教授が見つけたものは天然の風呂───それも温泉だった。

 

「貸し切りだぁ……」

 

 さすがに泳ぐようなことはしないが、それでも広々とした風呂を自由に使えるというのは気持ちが良い。

 俺が風呂に入らず後片付けをしている間、馬鹿ッシュが覗きを敢行したようだが、俺が支度を終わらせる頃にはジョウズニヤケマシターされる寸前の状態で吊るされていたということは負けたのだろう。平和は守られた。

 覗き、よくない。うん。

 

 たまたま遭遇してしまったとか、そういう偶発的な事故でない限りは───いや事故でもダメだから。落ち着け俺、良識を捨てるな……ッ!

 

 ともあれ、後片付けをしていたせいで最後の方に温泉に入ることになった俺は、完全に貸し切りと化した湯を楽しんでいるのでした。まる。

 

「ここしばらく、こんな余裕も、そもそも風呂もなかったもんなあ……」

 

 ちゃぷん、と意味もなく波を立ててみる。

 ……なんだっけ、上がる前には肩まで浸かって百数えればいいんだっけかな。

 

「……や、百……? 五十くらいだっけ……? 十で良かった気もするな……」

 

 ぼんやり、熱に浮かされた思考を回す。

 

 どこで聞いた話だったのか、やはり記憶にはない。

 こんなささいな出来事を忘れるほど俺はボケているのかとつい思って、熱のままにそのままおぼろげな記憶のもやを払おうと───

 

「───っづ……」

 

 頭痛がした。……のぼせたのだろうか。

 少し、長く入りすぎたのかもしれない。

 

「……出るか」

 

 湯を蹴って、大きめのタオルで全身を拭く。

 

 用意していた下着と、それからシャツとズボンを着てから、ふと空を見上げた。

 

 ……帰りたいなあ、と、意識があやふやなまま口にする。

 

 空には、白い月が高く高く昇っていた。




温泉といえば女子とバッタリ遭遇するハプニングだと思うんだけどアッシュ相手だとイベントフラグも動機もキャラも会話もなかったので一人風呂してもらいました。許して。
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