竜殺しっぽい誰かの話。 作:焼肉ソーダ
ボロクソ状態のアッシュですが、作者はハッピーエンドが好きなのでご安心をば。───途中がどん底であればあるほど良いタイプではありますが。
───晴れた空の下、学院の中庭でボールが跳ねる。
今日の『黒魔術』の授業はなぜかグレン先生の発案で『ドッジボール』へと変更され、いつの間にか芝の上に敷かれていた白線の上で二組の生徒たちが楽しげに駆けまわっていた。
ぽーん、とボールがナーブレスの腕から転がっていく。カッシュが拾って、思いっきり男子が密集している辺りに投げ込んだ。けらけらと楽しそうに笑って、アルフやビックスがそれを避ける。
学期末テストも近いから、ギスギスしていたクラスの雰囲気を和らげてガス抜きをさせるためなんだろう、とティンジェルが言っていた。そうかもしれない。現に、楽しそうに動き回る生徒たちはみんながみんな晴れ晴れとした顔をしていて、ギスギスした空気なんてどこかへ吹き飛んでしまっていた。
それをぼんやり、俺はコートの端っこから眺めていた。
上っ面だけ混ざりながら、いつものように、ぼーっとしながら佇んでいる。ついでに、存在感が薄いと狙われなかったりするのだ。十人程度のまとまりに混ざって、波のようにあっちこっちに動いていく。
「おいアッシュ、避け───」
「ん」
「……あ?」
そんな風になんとなくで動いていたせいだろう。レイフォードの投げたボールが思いっきり胴体にクリーンヒット。俺じゃなかったら死んでるぞオイ。
しかしボールにぶつかったのは事実。仕方ないので、反対側にあるコートの外側に移動する。馬鹿力め、と言いながらちょっとだけ休憩しようと中庭に生えている樹にもたれかかった。あれだけ熱中しているのだ、どうせ誰も気付くまい。
「……あ、アッシュ君」
「……ティンジェルか」
訂正。同じく外野に出されていたティンジェルが、暇なのかこっちに寄ってきていた。
運動は得意ではないから、一回出たらほとんど出っ放し……ということはなく、『ルミア様ファンクラブ』みたいなのがあるのでむしろ一部の男子生徒が率先して当たりに行き、出たり入ったりを繰り返している。
「どーした。俺なんかと話してるより、ボールでも拾った方が良いんじゃないのか?」
「えへへ……少し、疲れちゃって。アッシュ君は?」
「……大体同じ」
ぼーっと、楽しそうなみんなを眺める。
……今は、明確に外にいる方が気が楽だった。
「戻らないの? アッシュ君なら、すぐに……」
「───いや。戻れないから、これでいい」
───時折。視界が重なることがある。
残ったもの。なくしたもの。知らないはずのものがごちゃ混ぜになって、目の前にあるものが見えなくなる。
疲れているんだ、きっと。色々なことがありすぎて。でも。
「……この日常だけは。ずっと続いていけば良いと思う」
本当に、そう思う。
例えそれが、重ねているだけだったとしても。この日々が美しいことに、変わりはない。
「……うん。こんな日が、ずっと続けば良いのにな……」
……その横顔にかけられる言葉はない。
誰かの都合で追いやられ、誰かの都合で追い回される彼女に告げられる言葉を、俺はなにひとつ持っていない。
「ティンジェル」
「なあに?」
だから。
「……手放すな。まだいたい場所が、いられる場所があるのなら。……それが、失われていないなら」
いつかどこかで、ダレカの語った祈りだけを口にした。
願いは叶えようと自ら足掻くもの。祈りは叶うように運命に託すものだ。
輝かしい景色から目を逸らして、ソラを見上げた。
……ああ。
帰らないと。
帰れないのなら、せめて。
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楽しそうだった団欒も終わりを迎え、日は沈み、黄昏が空を支配する。
すっかり慣れた帰路を歩む。十年。騙し騙しやってきた時間も、限界を迎えつつある。
それを無視して、動き続けるための動力を補給する。……外れてしまった今では、もはや意味を成さない最後の砦。なぞることさえ許されぬ彼の、最初で最後の執着心。
扉を開けて、誰もいない家にただいまと声を掛けて、肩からカバンを降ろしながら玄関をくぐる。
「───おかえり」
ふいに、聞こえるはずのない返事が聞こえた。
弾かれるように顔を上げる。既に二度、失われたはずの響き。自分ではもはや得られない、なぞってもなぞっても思い出せない日常の一欠片。
「お邪魔しているよ、アシュリー。……いや、この呼び方は少し不適当かな。
───なるほど。
ようやく、終わりが形を持ってやってきたらしい。
「……なんの用だ」
「君に興味があってね。ああ、戦うつもりはないよ? ほら。今の僕は丸腰だ。くっくっく……」
「丸腰と言いながら仕込み杖を掲げて見せるとは、ずいぶんと趣味が悪いように見えるが」
「おおっと、こいつは失敬、失敬」
山高帽を被り直しながら、狂い果てた《正義》が嗤う。少年の家で、薄汚れた日記帳に目を通しながら、男は穏やかに微笑んでみせた。
敵意はない。事実だろう。ならば剣を握る必要はない。好ましい人物でないのは確かだが、敵でないなら敵意はいらない。
「……用は」
「フェジテを救済する。手助けをしてくれないか?」
「根拠は」
「君に説明したところでわからないさ」
「……なぜ俺に?」
「君に興味があるから。それだけだよ」
ぱたり、本が閉じられる。その寸前、一冊目の最初のページ。始まりのページに書かれた文字をなぞり、愉快そうに男が濁った視線を向ける。
「
嗤う姿は穏やかだ。
愚かな人間の行く末を見守る聖者のように。あるいは───燃えたあとも燻り続ける、燃え滓を愛おしむように。
「既に死に絶えたものには戻れなくても、君に残されたものはほとんどなくても。
その空隙さえあれば───君は、英雄にだって成れるだろう」
大仰な身振りで語る男は、真実全てを知っているわけではないだろう。しかしそれでも、どういう視点を持っているのかは甚だ疑問だが───この狂った聖者は、意味のわからない情報網を持っている。
なにを根拠にそんなことを語るのか。それはわからない。わからないが───事実だ。
「断ると言ったら?」
「君は断らないよ。『フェジテ』というカタチを───もっと言えば、『学院生活』という枠組みが失われることを君は極力避けようとする。この家と同じで、そこは君の動力源だからね。いやはやまったく、このページを見たときは驚いたよ。どういう経緯なのかはわからないが……『カレ』も惨いことをする」
「……なら、俺が形振り構わず逃げ出して、周囲に助けを求めるとは思わないのか」
「『逃げ出す』という選択肢の行き着いた果てが、今の君だろう? それに、『戦略的撤退』であればともかく、『逃走と救援要請』は『普通の人間』が取る手段だ。故に、昔の君であればわからないが、少なくとも今の君はそうしない。
それは問い掛けではない。確認だ。
《正義》は既に、そうであることを知っている。
一つ息を吐き出した。
潮時だ。
「……話だけは聞こう」
「ありがとう」
白々しい感謝の言葉。
それを冷めた表情で受け流して。彼は、狂人の言葉に耳を貸した。
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成るべくして成ったものは必然であり。
偶然の連なりをこそ、人は
その定義に基づくならば───
……さあ。
願いと呪いで動き続ける、灰の末路を見に行こう。
────────────────────────
───必然の黄昏は過ぎ。運命の夜が訪れる。
アルフォネア邸。要するにグレンとセリカ二人の家を、天の智慧研究会の暗殺部隊が襲い。セリカに全てを託して逃げ出した……そんな最悪の夜。
グレンは、ジャティスに襲われて助けを求めに来たというシスティーナとともに秘密基地へと逃れていた。そこは以前セリカが作った、特定のルートを通らなければたどり着けない魔術的な仕掛けが施された隠し部屋。
壁に立て掛けられた柱時計の音が重苦しい。時刻は午前四時を指していた。……セリカが一人残ってから数時間。敬愛する師からの音沙汰は───ない。
事態は深刻だ。システィーナの話では、深夜に突如フィーベル邸を襲撃したジャティスはリィエルを降し、ルミアをさらい、なぜかシスティーナだけは気絶させるに留めて放置したのだという。
ややあって目覚めたシスティーナはリィエルを介抱し、
だがそこに、無数の『
「……つか、あの組織とジャティスが出張ってるならアッシュはどうなってんだ? この前のことも、なに聞いても『大丈夫です』の一点張りだしよ……。白猫はなんか心当たりとか、ないか?」
「いえ……すみません。アッシュのことは、ほとんど知らないんです」
「……マジか?」
「はい」
曰く、クラスのどこかにはいるけれど、実際どこにいるかと言われれば困ってしまう不思議な人間。それが、二組から見たアシュリーという人間らしい。
正直、意外だ。エルザがぼっちだ、と聞いたときの衝撃にも近しい。陽気なイメージがあったのもそうだが、なによりその違和感に今の今まで気付かなかった自分に驚いている。
「エルザは、明確に壁があるって感じだったけど……アッシュはなんていうか、一枚膜があるみたいな感じで」
「膜……?」
「うまく言えないんだけど……なんていうか、時々視線がこっちをすり抜けるっていうか。どこを見てるのか、たまにわからなくなるっていうか……」
一歩引いたところから観察している感覚。暖簾に腕押し、という言葉が近いだろう。
それでも、クラスの一員ではあった。本当の意味で馴染んではいなくても、それなりに気に掛けるし、それなりに会話もする。そんな存在だったのだ。
「そもそも、戦えるってこと自体、今年になってから知ったことだし……」
「……そうか」
「力持ちだとか、そういう上っ面のことしか知らないんです、私たち。あんなに強かったってことも。……将来の夢だって知らない」
アルザーノ帝国魔術学院に入学する生徒は、皆大なり小なり将来の展望を持っている。それがどんなにあやふやでも、未来をきっちり見据えた願いを抱えているものなのだ。
だからこそ、そういった『夢』の話題は定番で、大雑把な内容くらいなら同じクラスの人間は知っていることが多い。だが、彼の夢と言えるものを聞いたことはそういえば一度もなかった。強いて言うなら、『普通の生活を送りたい』、と言っていたくらいなものだ。
……そういった人間もいるだろう、と。
深く関わらなかったことを、ほんの少しだけ後悔した。
いつもその辺にいるから、なにがあってもきっと、そんな風にいるのだろうと思っていた自分がいた。彼は、日常を続けることに固執していたから───
「……
「……それが、どうしたんですか?」
「
今さら。
本当に、どうして今さら気が付くのか。
「セリカ並みの魔術。……間違いなく、アッシュ本人のものじゃなくて降ろしてる存在の能力だ。剣技も、ある程度は自前なんだろうが……引っ張られてる部分が大きいだろう」
「で、でも先生、極端なレベルまで適合してれば有り得るって」
「あいつに限っては有り得ねえんだよ。あいつの容量じゃ、あんだけの能力を持つ概念存在を降ろすなんて……普通に考えりゃできねえんだ」
憑依召喚は、余所から『憑依元』のデータを引いてくる。言わば、自分という書庫の中に、世界という図書館からその本を持ってきて、ページを一枚一枚広げるような行為なのだ。
当然、大きすぎる本のページを一枚一枚開いて広げるということは、自分という存在が消し飛ぶ危険性を孕んでいる。『自分』の存在を確保しながら『なにか』のデータを広げるには書庫に十分なスペースがなくてはならない。図書館のどんな本でも広げられる代わり、書庫が狭いアシュリーに、『自分』を確保する余裕はない。
肉体か精神か、あるいは精神の記録媒体たる霊魂そのものか。……なにかが吹き飛んでいたって、おかしくはないのだ。
ナムルスが口を滑らせた『中途半端』という評価。小分けにして降ろしている、という意味なのだろうが、それは先述の例えで言うなら図書館から
「けど、あいつは……少なくとも俺たちの前じゃ、ごくごく普通に暮らしてた。帰りたい帰りたいって文句こそ言っちゃいたが、普通の人間だったんだ。
アシュリーという人間は、グレンが学院に来たときからなにひとつ変わっていない。少なくとも、外側は。
それがおかしいのだ。……あまりにも多すぎた強敵との戦い。派手に立ち回らざるを得なかったルミアの事件を隠れ蓑に、何度死にそうな目に遭っていたことか。
バーナード仕込みの格闘術。それなり程度に鍛えられた剣術。リィエル並みの身体能力。それをもってして、逃げ回っていたのだとなんの理由もなく思っていた。揃いも揃って強敵だったから、逆説、たった一人でどうにかしてきたのなら……それしかアシュリーには生き残る方法なんて有りはすまいと。
違和感が強まったのは『タウムの天文神殿』の一件。そのあとも、なにも変わらなかったから違和感は忘れ去っていた。
……決定的だったのは、マリアンヌとの戦いだ。一歩も退かない。逃げるなど有り得ない。立ち向かうしかしない。……そんな人間が、今まで撤退を選択していたはずもない。
(代償がないなんて有り得ねえ。絶対、なにかカラクリがあるはずなんだ。……無意識であれ意図的なものであれ、アッシュが『アシュリー=ヴィルセルト』という個人を保って生きていられる理由が───)
アッシュが力を借りているだろう概念存在についても見当がつかないのもまた不気味な話だ。自慢ではないが、これでも魔術に関する知識はずば抜けている。その自分が、まったく見当もつかないなにかを降ろしている。……考えれば考えるほど、おかしい。
どうして気が付かなかったのかと、後悔することしか今のグレンにはできない。……せめて、本当に代償なんてなんにもなくて。こっちが思い違いをしている可能性を祈る。
……時刻は五時を指した。セリカの生存も、もはや絶望的だ。
動くしかない。またなにかに巻き込まれる前に、アシュリーの安否も確認しておかなければならない───ジャティスと、天の智慧研究会にこれ以上なにかが脅かされる前に。
そんな風に、グレンがなけなしの大人としての矜持で胸に燃え滾る憎悪を押さえつけていた、そのときだ。
キン、キン、と。システィーナの懐で、通信用の魔導器の着信音が鳴り響いた。……セリカではない。
「……せ、先生」
「貸せ」
システィーナに覚えのない通信機を仕込めるとすれば、それは彼女を襲い気絶させたジャティス以外には有り得ない。
ひったくるようにして宝石を手に取ると、案の定二度と聞きたくなかった声が聞こえた。
『やあ、グレン。ご機嫌いかがかな?』
「テメェ……なに考えてやがる、ジャティスッ!」
『開口一番にそれかい? 少しは宿敵同士の再会を喜んでくれよ、グレン……』
くつくつと、昏い笑い声が響く。
ふつふつと憎悪が腹の底を焦がすのを自覚しながら、努めて冷静に聞くべきことを聞き出そうと口を開く。
「……おい。どうしてルミアをさらった。あの組織の『掃除屋』はなんだ? アッシュにも手を出しちゃいねえだろうな。そもそもこんなことしてくれやがった目的はなんだ? 答えろ、クズ野郎」
『オーケイ、一つずつ答えていこうじゃないか。……まず、ルミアは無事だよ。そもそも、彼女を殺すだけならもっと簡単にできた……それは君もわかっているだろう?』
「……チッ」
一定の説得力に舌打ちする。
納得できてしまうのが、なおのこと腹立たしいのだ。
『次。……あの『掃除屋』は、僕の想定内ではあったが……間違えてくれるなよ、グレン。僕があんなドブカスと手を組むなんて有り得ない。絶対にだ』
「……そーかよ」
これも、説得力。
どうせそうだろうとは思っていたが、やはりそうらしい。ジャティスは未だ、あの組織を死ぬほど憎んでいる。
「……で。アッシュは?」
『……正直、君からその名前が出てきたことに驚いているけどね。彼、学院じゃかなり目立たないように生活していたんじゃないのかい?』
「なんで知ってる……いや、バカだろお前。一回あいつを殺そうとしたってのは聞いてるんだよ」
『ああ、そうか。なら安心していいよ、グレン。
……妙に清々しく言い切った。
やはり、謎の説得力がある。これに関しては本当に謎だが……殺意を剥き出しにしていたシスティーナのことも、なぜか認めて狂喜乱舞していたジャティスである。考えるだけ無駄だろう。
「……待て、『殺すことだけは有り得ない』? どういう意味だ」
『勘がいいじゃないか。なに、簡単な話だ。彼には『ゲーム』に参加してもらったのさ。……これから君にも参加してもらう、フェジテの未来をかけたゲームにね』
「ゲーム、だと……?」
『そう、ゲームだ。僕が出す課題をこなし続ければ、ルミアは解放され、そしてフェジテも救われる……実にわかりやすいルールだろう?』
「なんで、それにあいつを巻き込んだんだよ!?」
『僕の純然たる興味さ。全てが終わったとき、鬼が出るか蛇が出るか……それは僕にもわからない。彼を構成する数式はバグだらけで、僕にさえまともに読めないからね』
意味がわからん。そう切って捨てたいグレンに構わず、ジャティスが言葉を連ねていく。
『さあ、君に拒否権はないぞグレン。ルミアを救いたくば、僕がこれから提示する課題に取り組むんだ。……まずは、指定した場所に行ってもらおうか。盤面が入り乱れすぎて、事態がどう転ぶか確率が割れすぎているからね。色々と、こちらで用意させてもらったんだ』
「……どういうことだよ」
『行けばわかるさ。行けばね……そら、課題開始だ。フェジテの未来のために、頑張ろうじゃないか!』
耳障りな声が、その場所を告げる。
フェジテの一角。
そこは、たった今話題に上り続けた───アシュリー=ヴィルセルトの自宅だった。
こ こ か ら が ど ん 底
半ば意図的なソロプレイをしている人間の異常に気付けと言うのは酷な話よな。