竜殺しっぽい誰かの話。 作:焼肉ソーダ
───イヴとジャティスとの戦いは、終始一方的な蹂躙劇であった。
「はっ! 弱……こんなのに、一年前の私たちはいいようにしてやられてたっていうの……?」
当時の苦い記憶を思い返しながら、イヴがその手に炎を生み出す。
攻撃ではない。苛立ちを発散するためのパフォーマンスだ。
戦っていた相手は既に、全身が激しく焼け焦げている。どう見たって致命傷だ。万に一つも、ジャティスに逆転の目は存在しない───
「日没まで時間もあるし……これでイグナイトの完全勝利ね。……グレンみたいなド三流、最初から要らなかったんだわ」
吐き捨てて、小さく揺らめいていた炎を一瞬で膨れ上がらせる。向ける先は当然、未だしぶとく生き残っているジャティスだ。
「……途中で、あのバカも回収していきましょう。ほら、そうすれば全部円満解決。グレンに恩も売れるし、どうせあいつ、また道に迷ってるんでしょうし───」
つぶやく言葉はどこか空々しい。だがその冷たさから意図的に目を逸らし、イヴはこの忌々しい正義にトドメを刺そうとして。
「……くっくっく……くふ、あはははは……」
不意に聞こえた低い嗤い声に、ぴたりと動きを止めた。
ジャティスだ。醜く焼け爛れ、もはや死を待つのみとなった燃え滓が、なぜか肩を震わせて嗤っている───
「……なによ? 遺言なら聞いてあげないけど?」
「……いや、なんていうか……その、ねえ? 君があんまりにも滑稽だったから、つい、さ……」
「は……?」
この期に及んでなにを。そうイヴが一蹴するよりも先に、ジャティスは昏い、昏い声を、燃え上がる景色に響かせていく。
グレーの目が、ぎょろりとイヴを睨め付ける。
「グレンがずいぶん気に掛けていたみたいだからさ……僕も、本当に見逃してやろうかと思ってたんだよ? 本当さ。誓ってもいい……」
「見逃す……? なに言ってるの……? 今この状況で、見逃してくださいと懇願するのはあなたの方でしょ?」
「くくっ……現実が見えていないのはそっちさ、イヴ。頭だけでなく眼まで節穴なのかい? 心底がっかりだよ……」
「んなっ……!?」
ひどい侮辱だ。
だがそれよりなにより、瀕死の状態でこうも余裕ぶっていられるその姿が妙に薄気味悪い。
「……そのみっともなさに免じて、助けてあげてもいいんだけど……君は今、言ってはならないことを言った……」
ゆらり。身体のあちこちが炭化して、まともに動けないはずのジャティスが立ち上がる。
「僕の目の前で……君は! グレンを愚弄したッ!! 僕が唯一認め、尊敬している彼をだッ!! 許せない……許さない!! 殺してやるよイヴ=イグナイト。みっともないまま惨めに死ぬと良い……ッ!!」
……なんだ、この男は?
意味不明の威圧感に、つい数歩後退る。
「……さて、予言しようか。イヴ=イグナイト。君は今、得体の知れない恐怖を感じて数歩後退り……」
「だ、黙りなさい……ッ!」
「なんらかの罠を警戒して、さらに大きく移動する……」
「黙りなさいってば……!」
「そして───自身の勝利は揺るがないはずだと、精一杯己に言い聞かせながら僕を仕留めようとその左手を振り下ろす……」
ジャティスの声が聞こえているのかいないのか。イヴは全くもってその通りの動作をしながら、左手に炎を顕現させる。
心臓に近い左手はより強い魔術行使が可能であり、それ故に魔術を振るうのは基本的に左手。
その左手の上に煌々と輝く爆炎を生み出して、
「黙りなさいって、言ってるでしょ───ッ!?」
イヴは。
「───〝読んでいた〟よ」
……鈍い音が、爆音の代わりに響き渡った。
肉を穿つ音。一瞬だけ響いたそれは、まるで聞き間違いであったかのようにあっけなくその場にいた全員の意識を撫でていく。
だが───
「……え……?」
びしゃりと血が地面を打つ音。次いで、どさりとなにかが地に落ちた音がイヴの耳に届く。
見れば。
燃え尽きているはずのジャティスは、未だその場に存在していて。
炎を操っていたはずの自分の左手は、精巧な人形のように地面に転がって───
「あ、あぁ、ああぁぁあぁああぁあああああ───!?」
「……
「うぅ、あ……ッ!?」
全身が黒焦げになったジャティス───ではなく。自身の後ろから、そんな声が聞こえた。
首だけを動かして、ぎこちなくそちらに目を向ける。
そこには……今まで瀕死の状態でうずくまっていたはずのジャティスが、全くの無傷で存在していて。
「……っ、人工、精霊……!!」
「ご明察。今まで君が戦っていたのは、僕が生み出した虚像に過ぎない……人形相手に勝ち誇る君の姿は、実に滑稽だったよ?」
「ま、まだ……まだよ! 私は、まだ……っ!!」
「いいや。
歯を食いしばり、現れた本物のジャティスに残った右手で炎を食らわせようと身体を捻るが……同時。再びイヴの身体を鋭い痛みが襲う。……右手のひらと左足に、裂傷が走っていた。
右手に生み出しかけていた炎が霧散し、足を裂かれたイヴがその場に崩れ落ちる。
……ジャティスの言う通り、詰みだ。この状況から巻き返す方法など、イヴの頭脳をもってしても導き出せない。
死。目の前で狂ったように嗤うジャティスの傍ら、女神がその姿を顕し始める。
黄金色の剣。……あれに罪人のように首を落とされて、自分は死ぬのだろうといやでもわかった。
(死……? 私が……? こんな、ところで……?)
力なく、心の中だけでつぶやく。
脳裏を走馬灯のように駆け巡る、今までの記憶。
優しかった姉。出来損ないの自分に優しくしてくれた姉。
自分はどうして、イグナイトとして頑張っていたんだっけ……?
(……姉さん……アッシュ……)
目を閉じて、そのときを待つ。
あの気の抜けた友人の顔が、ふと過った。姉以外で、唯一自分を普通に見てくれた、セラ以外でたった一人の友人。間抜けで、ぼんやりしてて、目が離せなくて……。
でも。その姿と、語るものに。なにか、素敵なものを見た気がするのに。
どうでもいい。もう自分は死ぬのだ。今さら懐かしい記憶を思い返したところでなにがあるというのか。
(……私、あのとき……なんて言ったんだっけ……)
夕日を背に立ったあの日の記憶。
まだ、こんな風に冷血ではなかった昔の自分は───あの友人に、なにを約束したんだろう。
……関係ない。もう終わるのだから。それに、今さらそんなものを思い出したところで意味がない。親しいものであれなんであれ、イグナイトのために切り捨てると、そう決めてしまった自分がその約束を思い出したところで……きっと、果たせない。
とても大事で、とても誇らしくて、大切にしようと思っていた約束なのに。
自分と彼と。どっちのための約束だったのかさえ、思い出せない。
(……もう、いいや)
目の前に迫る終わりに、なにもかもがどうでも良くなって。
泥のような無気力感に身を任せて。
風を切る音が、意識を刈り取るのを───
「……あーあ、来ちゃった」
ふと、そんな声が聞こえて───ギン、となにかが弾かれるような音が辺りに響いた。
恐る恐る目を開ける。
───そこにいたのは、一人の少年だった。
血がこびりついた、くすんだプラチナブロンド。
黒い服はあちこちが擦り切れていて。
振り抜かれた手には赫い剣を携えて。
返り血に濡れた横顔から微かに見える冷たい瞳は銀灰色。
「ぁ、」
それは見覚えのある姿だった。
見覚えがある、という事実から目を逸らし続けた誰かの姿だった。
「だから言ったのに。絶望したくなければとっとと逃げろ、とね」
そんな正義の言葉も耳に入らない。
どうして。
どうして。
どうして───来てしまったのか。
「───助力は必要か、イヴ」
冷たい声。
選択肢が、提示される。
「──────」
頭が真っ白になった。
───ジャティスだけは、どんな手を使ってでも仕留めてみせる。
それが今回のイヴの決意だったはずだ。
絶好のチャンスではないか。
今目の前で自分に選択肢を突きつけた少年は、
この詰んだ状況から挽回する最後の手段。
ほら。なんだか顔見知りのような気もするし、助けを乞えばそれで良い。
「あ……しゅ……?」
なのに、喉から絞り出されるのは掠れた声。
名前。名前を、呼ばないと。
でも、誰だっけ?
私、あなたを知ってる。知ってるの。……知ってる、はずなのに。名前が、思い出せない。
重ならない。いつだって笑って、私を認めてくれた誰かと。目の前の誰かが重ならない。
「たす……た……」
使えるものはなんでも使うべきだ。
イグナイト以外はイグナイトの駒に過ぎない。
さあ。
「あ、ぁあ……ああぁぁあ……」
言葉が出ない。
どうしてこんなところにいるのか。
お前は───あなたは、だって。
ただの平凡な日常で、笑っているべき人のはずで───
「───……」
それを、どうとったのか。
少年が、剣を構える。
イヴの目の前で。背中を向けて。
そのまま、どこかへと立ち去ってしまいそうな姿に。
「い、らない……いらない、いらない、いらない……!!」
堰を切ったように、そんな言葉が溢れ出す。
「あなたの助力なんていらない……」
「私は……イグナイトなの……ッ」
「あなたなんていらないッ! あなたみたいに……平凡で、バカで、役に立たない凡人はいらないの……ッ!!」
「だから───」
「……そうか」
一度だけ、背中越しに目が合った。
笑って。笑ってよ。
昔みたいに、笑って。
ねえ。
「イヴ」
誰かがなにかを振り払うように目を閉じた。
見覚えがあった。
ダメだ。
行かないで。
だって、私、あなたと───
「───もう。いいんだ」
ぴしり、と。
いつかの約束が、ひび割れる音がした。
────────────────────────
「くっ」
嗤う。
「くく、あはははっ」
嗤う。
「あーっはっはっはっは!! ひゃははははははは───!!」
己が正義の象徴たる女神と斬り結ぶ少年を見ながら、ジャティス=ロウファンは嗤い続ける。
「来たね、来てしまったね!? もう遅いんだよ、そいつはもう手遅れだ!!」
その濁った目が見据えるのは力なく地面を見つめる最弱の魔術師。
そして───それを守るように、ただ剣を振るう一人の『英雄』。
「弱者を守る
立ち上がる力のないものは、なるほど弱者と呼ぶに相応しい。
ならば彼がそれを守らんとするのは当然の摂理。
「彼を救うなら───十年ばかり遅かったのさ───!!」
崩れ落ちるイヴを嘲笑うように、狂った正義が哄笑する。
逃げるという選択肢はもはや彼の中には存在しない。
十年前、願われるままに逃げた先で全てを失った彼からは、そもそも逃げるという概念が失われている。
代わりに混入した在り方は英雄のもの。
笑わず、怒らず、幸福を望まず。ただ弱者を守る刃であれと、そう語る。
英雄たらんと在ることを
その全てを把握こそできなくとも───世界を数字の羅列に変換するジャティスの『眼』には、それはとんでもない化け物として映っていた。
「本当、面白いな君は!! どうしてまだ生きているんだい!?」
「───!」
「どこもかしこもバグだらけ、身体はとっくにツギハギだ! 人間じゃ耐えられない、そんな穴だらけの生き方なんて選べやしないッ!!」
否。選んだのではなく、偶然そうなっただけのことだろう。
歪と呼ぶことさえ烏滸がましい。それはもう、ヒトのカタチをしただけの残骸だ。
ヒトらしい機能と、ヒトらしい記憶があったから、ヒトとして振る舞えているだけの───
「グレンとは違った意味での
今この瞬間にだって、いつヒトとして生きることを放棄しても不思議ではない。
たまたま肺が呼吸をしていて、たまたま心臓が動いていて、たまたま脳に思考能力が残っていたから生きている。
それでさえ、いつ自己崩壊を起こしてやめてしまったっておかしくはないのに───少年は、まだ両の足で立っている。
借り物の在り方で、なにもかもを取りこぼしながら、はじめから
報いはないと理解しながら。
ただ、数少ない残ったもののためだけに動き続けている。
それが周囲にとって救いとなるのか毒となるのか、共感も理解もできずとも。
「そうだ、その果てが見たかった! 君に残された願いの果て、君の末路が見たかった!!」
女神の裁きを掻い潜りながら、その身を傷付けながら、一太刀ごとにかつてのカタチから外れていく少年を───ジャティスは恍惚とした瞳で眺めている。
人の強き意志は、ときに計算を超える。
それと同じように、ダレカの意志だけで存在を括られ、ダレカの意志だけで生き延びてきた彼の存在はまさに人の意志を語る存在であり。同時に、ジャティスにとっては計算ができない存在だ。
ジャティスの計算は、次の瞬間にも死んでいる、と何度も何度も、毎秒ごとに弾き出しているのだから。
度を超えた執着心。
「……まあ。本当に、君にはなにもないのかと……疑問に思わなくもないけどね」
哀れむような言葉は少年の耳には届かない。
しかし、それもまた一興。装置であろうがなんだろうが、生き続ける限り───彼が人の意志を体現し続ける存在であることに変わりはないのだから。
女神の胴が両断される。
もとより、愚か者から弱者へと堕した《魔術師》に引導を渡すために顕現させた女神だ。英雄相手では、些か荷が重い。
人の意志こそが未来を形作るなら───意志だけで動き続ける彼が己の女神を打倒したのも、至極当然といえば当然のこと。
故にジャティスはいつかのように、天使の肩に掴まってその場から飛び去ることを選択する。
……しばらくは動けないようにしてやった薄青色が、ぼろぼろの身体で学院へと向かっているのが見えた。
人形から人間へと成長した彼女は、人間から英雄へと外れた彼にどんな言葉をかけるのか……少し気にはなるが、今はそれよりも優先すべきことがある。
───それ即ち、正義の執行。
この世で最も邪悪なるモノたちを断罪すべく、目先の娯楽から遠ざかる。
「見逃してあげよう、イヴ=イグナイト。せいぜい、己の無力を噛み締めるが良い───」
そんなセリフを残して、ジャティスは悠々と学院へ向けて飛び去った。
【メギドの火】。
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……なんで、こいつは泣いているんだろう、と思った。
誰もいなくなった燃え跡で、地面に座り込んでただ泣いている彼女を見て、とりあえず剣を消した。
ああ、腕が落とされてるのか。傷が痛いのかもしれない。
でも、
もうほとんど崩れかけてぼろぼろだけど、まだなぞれはするらしい。
終わりは近いが、あと少しだけ保てばそれで良い。
「……立てるか、イヴ」
片膝をついて手を差し伸べながら、聞いてみる。足にも傷がある。腕も……俺じゃ応急手当しかできないし、学院の医務室に連れていくべきだろう。
ヘステイア先生なら、たぶんなんとかしてくれる。
「……イヴ?」
イヴは動かない。返事一つもなかった。いつもなら憎まれ口を叩きながら言葉を返してくれるのに。
……よくよく考えたら、血まみれの男が相手じゃ嫌か。ごしごしと、こびりついた汚れをぬぐう。
「イヴ」
もう一度声を掛けた。処置は早い方が良い。
立てないのなら、自分がおぶって連れていくしかないのだが。
「……なんでよ」
「……?」
「なんで、来たのよ」
ようやく聞こえた言葉はか細いもので。一度も、こっちを見ることはない。
涙のあと。殺されかけたのだから、無理もない。
「どっかに縮こまって。なにもせずに、全部終わるのを待ってたら良かったじゃない」
「…………」
「ねえ……そういう人で、よかったじゃない……」
「…………」
「なんで……なんで、こんなところにいるのよッ!?」
ヒステリックな叫び声に、つい驚いて手を止めた。
差し伸べかけていた手に、震える手が縋りつく。
「なんで私なんか、助けに来ちゃうのよ……ッ!」
それはまったくもって偶然なのだが、などとはさすがに言えず。
血はあとからあとから流れているので、早いところ応急処置だけでもしたいのだが。
「なんでッ! どうして……どうして……! 私、あなたに───」
どうして泣いているのかは、わからない。
ただなにか、俺がやってしまったんだろうとは思った。
……こういうところが、デリカシーに欠ける、とか、気が利かない、とか言われるんだろうなあ。
返事がロクにないので、仕方なく服を裂いて応急処置をして、背負って連れていくことにした。
文句はあとの俺が引き受けるだろう。どんどんと、やり場のない感情を叩き付けるように叩かれているのはまあ、甘んじて今の俺が受けることにする。
「普通の毎日が好きなんだって、言ってたじゃない……自分はなにもできない人間なんだって、でも、それでいいんだって言ってたじゃない……ッ! だから、わ、私……ッ、なのに、なんで……なんで、そんなことになっちゃったのよ……!!」
背中から、嗚咽とくぐもった声が聞こえた。なにを言っているのかは、正直よく聞き取れない。
足音と同じリズムで、背中になにかが滲んでいく。残った右手できつく握り締められた腕が、少しだけ痛んだ。
彼女が俺を気に掛けてくれているのは、たぶん。『オレ』と、なにかあったからだろうと思っていた。
でも、それは。無理に、『俺』にまで向けるものじゃない。だから、いいんだ。イヴが『オレ』のせいでなにか選択肢を狭めてしまっているのなら、もういい。『俺』はもう『オレ』をなぞれないし、そもそも『オレ』はもういないんだから。
(───お前が、なに考えてたのかは知らないけどさ。女の子を泣かせるやつに、人権はないらしいぞ?)
今は遠い自分にそう投げかけて。
……どうして。彼女は、泣いているんだろうと。
もう一度、それだけを思った。
イヴと初めて会ってから一ヶ月前後が『アシュリー』。それからは『アッシュ』。
要するに十年来の付き合いをしてるのは『アッシュ』の方だったりする。