竜殺しっぽい誰かの話。   作:焼肉ソーダ

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うおおおおお復活!! 復活ッ!!

お久しぶりです!! 二週間ぶりでございます!!
自動車学校も終わり、体調も回復し、レポート……はまだ山積みだけど、なんとか仕上がったぞう!!

……仕上がったか? 久しぶりだから不安すぎるな……。大丈夫かな。


49.フェジテ最悪の三日間

 時は少し遡り、夜明け前。

 現状の正確な確認のために学院の主要メンバー全員で集まった作戦会議が一旦お開きとなり、グレンたち魔人討伐組などの『実際に前線に立つ人間』同士での小規模な作戦会議が行われていた。

 

 グレンとアルベルトが校舎の見取り図を見ながらひっきりなしになにかを喋っている。それは校舎防衛組をどう配置するか、どう戦うかの意見交換だ。こういった状況に強いだろうバーナードは、生徒会長のリゼ=フィルマーの案内で校舎内を実際に見て回っていた。

 システィーナは戦略や戦術には比較的疎いのもあってついていくのが精一杯で、ルミアはずっと申し訳なさそうに顔を伏せている。リィエルは船を漕いでいた。

 

 そして、少し離れた場所で先の大会議室には姿を見せなかった一人の少年が、ぼんやりとその光景を眺めている。

 我関せず、とはまた少し違う。そこが定位置であるような、自然な位置取りだった。

 

「あの……アッシュ君」

「どうした」

「ごめんね。今回も、巻き込んじゃって……大変だったでしょう?」

 

 悲痛な表情で謝罪するルミアに、アシュリーがわずかに首を傾げる。言っている意味がわからない、というよりはなぜそんなことを言うのか理解ができないと言った風に。

 

「気にするな。()()()()()()成り行きだ」

「でも……私がいなければ、こんなことには……みんなを巻き込んだりなんか……!」

「まだフェジテは滅んでいない。対抗手段もある。……今までと変わらんさ。あまり気負うな。悪いのは(奴ら)だ」

 

 無表情に言い切って、さしたる興味もなさそうにルミアに視線を寄越した。その『いつも』こそ、ルミアが原因で引き起こされたものが大半だというのに。

 そんなルミアの思いは露知らず、ジャティスに攫われていたらしいが無事でなによりだと付け足して視線を切る。

 

 ややつっけんどんな態度ではあったが、それを冷たい、とは思わない。ルミアからしてみれば罵倒されていないだけマシというものだし、気遣いの言葉さえもらった。

 だけど、それで心が軽くなることはない。自分が原因であることに違いはないのだから。……だからこそ、自分はすべてを擲ってでも皆のために尽くさねばならない。それが、受け入れてくれた人々への恩返しであり贖罪だ。……そうしなければならないのだ。

 

 ルミアが悲痛な覚悟を固めている最中にも、作戦会議は進んでいく。詳細を詰める傍ら、アルベルトがつと少年の方へ視線だけを投げた。

 

「さて、再度確認するが……アシュリー=ヴィルセルト。君は翁と同じ遊撃隊で構わないのだな?」

 

 アルベルトの言葉にこくりと頷く。必要に応じて校舎のあちこちに移動し、敵を倒す。それが彼の役割だ。

 遊撃隊には遠隔から魔術狙撃を行えるアルベルト、鋼糸を伝って飛び回れるバーナードが含まれる。

 

 無論、危険度は高い。生徒から募る予定の戦力はその場に留まりひたすら敵を撃ち落とす、いわば固定砲台のような運用だ。それに比べれば各人の実力と判断に依るところが大きく、またあちらこちらを走り回る関係上フォローも受けにくい。

 それ故に、例えばリゼなどの突出した実力を持つ人物以外は生徒が担当することなどとてもではないが有り得ない───の、だが。

 

「……肯定です。現状、レイフォードを除けば俺が一番生徒の中じゃ戦い(殺し)慣れてる。近接戦闘が得意分野である以上、校舎の遊撃隊に配属されるのは合理的だ」

 

 もの言いたげなグレンを無視し、淡々と語る姿を横目に見て、アルベルトは一つ息をついた。

 

(……異常、だな)

 

 既に、一度目の魔人との戦いが終わって密かに捕まえたときに、倉庫街の惨状も路地に転がっていた死体もどちらも彼の手によるものであることは確認している。普通ではないことはもはや疑いようがない。

 

 得体の知れない実力と魔術。戦うことに淡い忌避感はあっても躊躇いを見せない精神性。冷酷無慈悲に一撃で『掃除屋』を仕留める技量───敵に回れば脅威そのものだ。

 だが同時に、味方に回れば頼もしいことこの上ない。既に近接戦闘であればリィエル並みか、魔術を併用することも考えれば総合力ではさらに上をいくかもしれない。

 

 この戦いが終わったあとも、どうにかして協力を取り付けられればルミアの周囲の安全性が増すのだが───さすがに、そこまで押し付けるわけにもいくまい。なんだかんだで、彼も学院の一生徒であり、無理に戦わせることはできないのだから。

 

「おい、アッシュ……もう、お前が無理して戦う必要は」

「それこそまさか、だ。先生方は突入部隊。敵方が吐き出す有象無象は、質こそそこまでではなくとも生徒と十数人の魔術師だけで凌ぐにはやや厳しい。戦力はいくらあっても足りない。違います?」

「それは……」

「自惚れではないが、こと格下相手の殲滅戦においてであるのなら戦闘力としてはそれなりに役に立つ、と提言します。地下への退避は単純に()()()()()だ」

「……、……そう、かもしれないが……戦うの、嫌じゃなかったのかよ」

 

 それこそ意外な言葉だ、とでも言いたげに片眉を上げた。

 今さら嫌かどうか、だけで戦いから逃げたところで何があるというのか。そも、彼が忌避したのは戦いそのものではない。

 

「そんなことを言った覚えはないんですが」

「あんだけ嫌がってただろ!? 平和な日常に戻りたいって、何度も言って───!」

「まあ、そうする理由もなくなったので」

 

 まずい、とグレンの直感が警鐘を鳴らす。

 リィエルのときと同じだ。頑なに自分の在り方を定めて、周りの声を跳ね除けてしまっているような。

 

 反射的に胸ぐらを掴み上げて、真っ向から銀灰色の瞳に視線をぶつける。

 なにもかも、なんとも思っていなさそうな無機質な瞳だった。……物言わぬ氷のようだ。ここ最近、ずっと笑顔を見せていない。こんな状況で笑えと言う方がおかしいが、それでもいつもと違う姿は否応なしに不安を駆り立てる。

 

「逃げたっていいんだ、誰も責めやしねえ。もう十分だ。もういいんだよアッシュ。なあ───」

 

 戦わなくても良い。

 どこを探していて、何を求めていたのかはわからないが───お前は普通の人間でいて良いのだと。諦めなくても良いのだと、今さらだと知りながら、それでもと語りかけて。

 

「そうですか。───でも、俺は戦わないといけないから」

 

 こぼれ落ちる砂のように、あっけなくすり抜けた。

 掴み上げたはずの手が、あっさりと外される。手を伸ばしたところで、その手が見えない人間には握り返すことができないと告げるように。あるいは───見えていないフリをしているのか。

 

「……死んだりはしませんよ。先生がなに心配してんのかは知りませんけど、できることをやるだけです。……もとより、それくらいしかできないですし」

 

 投げやりに言って、肩をすくめた。

 

 嘘をついているようには、見えない。見えないが───

 

「……くそっ」

 

 言っていること自体は正論だ。確かに現状、魔人と戦った実績もあるアシュリーという戦力は喉から手が出るほど欲しいものであり、そもそも本人に参戦の意思があるからにはそれを阻む理由もない。

 だが───いつも以上にどこか外れた感じのあるこの少年を、戦場に一人投げ出しても本当に良いのか?

 そんな不安に駆られてはいるものの、なにかを語るには、引き留めるには、あまりにも自分は彼を知らなさすぎた。

 

『思い入れも薄いだろう?』

 

 そう指摘したジャティスの言葉は正しかった。それなりに長い時間をともに過ごしたはずだ。狙われているのなら守ってやろうと意気込んだこともある。だというのに、印象がどこか薄い。どうでも良いとまでは言わずとも、存在感が希薄だった。

 結局のところ、自分は彼をどうしたいのか。救いたい? 守りたい? 導きたい? ……答えは出ない。守るべき生徒の一人だと認識してはいる。それだけだ。

 

 そも、日記ひとつ読んだだけでなにを理解した気になっているのか。なにかがおかしいことはわかっても、どうしてやれば良いのかがわからない。ただ闇雲に『フェジテに帰ってこい』、などと言ったところで、果たして心に響くかどうか。……そもそも、帰る場所とすら認識していないのだろう。少年にとっての帰るべき場所とは、今も昔も『ありもしないもの』なのだろうから。

 

 引き留める、という行動は、その相手が留まりたいと願っていなければ不可能だ。

 いたくもない場所にわざわざ居残る必要もない。つまるところ、アシュリーにとってここ(フェジテ)はそんな場所なのかもしれなかった。

 

 そう思うと無性に腹が立った。今まで過ごしてきた時間はなんだったのかと問い詰めたくなって、そんなことを言える立場でもないと思い出す。ゆっくりと理解を深める時間もない。

 

「そんなに気になるのであれば、あれです。俺が無茶する前にあの魔人ぶっ殺してきてくださいよ。どっちみち、その方が被害も少なくて済むでしょう?」

 

 ……結局はそうするしかない。

 内部に連れて行けるほど余裕はないし、いつものグレンたち四人とセリカの合計五人がベストな編成である以上はアシュリーを連れて行くわけにもいかない。近くにいれば多少は安心できるし、アール=カーン相手に生き延びマリアンヌを退けレイクを退け、戦い続けてきたその実力を今さら疑うこともないが……最終的な戦力配分を考えれば、やはり置いて行くしかない。

 

 理屈ではどうしようもなく『正しい』のだ。その上で彼を戦わせたくないのであれば、早々に事態を解決するほかにない。

 それに問題はアシュリーだけではない。前々からどこか歪んでいるような危うさのあるルミアだっている。どうにかしてやらねばならないと思う人物が二人。正直手一杯だ。

 

 ままならない現実に歯噛みして、舌打ちをひとつ。

 ……頼るしかない。今は。

 

「……死ぬなよ」

「それ、当日にかけるべき言葉じゃありません?」

 

 絞り出すような声は、軽いセリフであっさりと受け流された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は進み、二日目の朝。

 

 教室の扉を押し開ける。ずいぶんと久しぶりな作業だった。

 

 内側には見慣れた顔がずらりと並び、手に持ったなにかを真剣にいじっている。手に持っているのは魔導器だろう。どんなものなのかはいまいちわからないが、おそらくは生徒を兵士に変えるためのものか。

 

 久方ぶりに目にした級友の姿に、一時教室内が静まり返る。

 はて? と首をかしげた数秒後に、真っ先にカッシュが飛び出して肩を叩いた。

 

「おっ前、今までなにしてたんだよコノヤロー!? 授業に来ねえと思ったらあのバカ強い魔人と戦ってるし、心配したぞ!?」

「心配した? ……俺を?」

「そりゃ、当たり前だろ!? 遠目だったからよく見えなかったけど……血だらけだったし、心配ぐらいするっつの!」

 

 ふむ、そういうものか、と思った。

 肩を叩いてくる手をどかして、『悪かった』と言葉で応じる。しかし、あのときの戦いを見られていたのかとつぶやくと、カッシュは大きく頷いて興奮したように頬を紅潮させる。

 

「すごかったよな! 英雄大決戦! って感じで!」

「……英雄、ねぇ」

「おう! ひるまず、恐れず、勇気をもって敵に立ち向かう……最高じゃん! 男の憧れだって、あんなん!」

 

 熱く語るカッシュは、おそらくあの場にいた全員を指してそう言っているのだろう。

 それどころではないとわかってはいても、英雄譚に惹かれてしまうのが男のサガだ。強敵を前に退かなかった勇士の姿は、さぞやカッシュの意識を刺激したに違いない。……己を鼓舞する意味合いもあるのだろう。

 

 相変わらずのんきだな、という声がどこかから聞こえた。ギイブルだろう。

 それにうるせー、と返したカッシュが、どかされた手を肩に回してくる。払いのけても良いが、そうする理由も別段ない。

 

「てかお前、めちゃくちゃ強いじゃねえか! 実はリィエルちゃんと一緒で軍人だったり? あれ、でも前からいたよな……? ん?」

「……一般人だよ。英雄の真似事をしてるだけの、な」

 

 どうやら大雑把な情報は共有されているらしい、と肩をすくめる。分不相応だということは重々承知しているが、まだ力を借りることになりそうだ。

 いっそ全部手放して、なかったコトにしてしまえば楽だろうが。どうしてか、まだそんな気にはなれなくて───

 

「……なあ」

「ん?」

「お前さ。……戦うんだろ?」

 

 ふと気が付けば、カッシュにそう聞いていた。

 それがどうしたのかと言いたげに、カッシュの顔に怪訝そうにシワが寄る。

 

「逃げたって良いはずだ。いくら魔術師でも(戦う力があっても)、そうしたくなるのが普通じゃないのか? 実際、強制されたわけじゃないんだろう?」

 

 ……カッシュたちは、自分のように『そうあろう』としているだけの紛い物なわけじゃない。正真正銘、平凡な人間のはずなのだ。

 それが、剣の代わりに杖を握って、自ら戦場に赴こうとしている。当然危険だ。怪我は免れないし、目の前に敵が迫るというのは恐ろしいものだろうに。

 

「……なのに、どうして?」

 

 それは、純粋な疑問だった。

 

 『戦うしかないから』『逃げられないから』。それも確かにあるだろうが、二組の面々の顔に浮かぶ決意は、そういった後ろ向きな理由からだけではないことは容易に知れた。

 逃げたいはずだ。恐ろしいはずだ。それなのに、なぜ。

 

「そりゃ、怖いけどよ……」

 

 気まずそうに頬をかいて、それからぐるりと二組の仲間を見回した。

 グレンたちが欠けているが、きっとカッシュは彼らのことも思い浮かべているのだろう。全員の顔を確認して、それから───笑った。

 

「怖いけど! ……ルミアちゃんも、学院も、みんな守りたいからに決まってんだろ!!」

 

 ─────────。

 

 カッシュの言葉に、表情がすっぽりと抜け落ちた。

 守りたいから、怖くても戦う。頭を金槌で殴られたような感覚だった。

 

 魔術師として勉学に励んでいた彼らは、確かに力はそれなりにあるだろう。なかったとしても、戦う力だけであればバーナードが持ってきた杖が与えてくれる。

 それでも、彼らはやっぱりどこまでいっても普通の人間だ。逃げ出したくなるのが当然で。本人も、そう語っているのに。

 

 だけどそれでも、守りたいものがあるから逃げないのだと。

 

「───成程」

 

 一つ頷いて、右手で顔を覆った。

 閉じた瞼の裏に、忘れたくなかったものと忘れたがったものが同時に映る。外れ続けながら、それでもどうして動いていたのかをようやく理解した。

 

 今まで戦っていたのも、突き詰めれば過去の自分をなぞるために仕方なくやっていたことだった。

 だけどなぞることができなくなって、それしかできない自分にはもう戦う理由なんてどこにもないとそう思っていた。必死こいてまだ戦う理由がわからなかった。もう必要ないのに、どうして、と。

 

 だけど、なんだ。戦う理由、まだあったじゃないか。

 自分で言っておいて忘れるとは、ああ本当に、大事なことほど忘れるように自分はできているらしい───

 

「……そういうことなら、まあ、いいか」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 でも、それでも、そういえば。一つだけ、その輪に思ったことがあるじゃないかと。

 

 なら、それで十分だ。

 英雄の真似事をする理由はないと思っていた。ひび割れるままに諦めて、なぞることをやめて、探すこともやめて。さっさと楽になって(全部手放して)しまえば良いのに、そうできない理由は確かにあった。

 戦わなければならないから、ではない。そういう存在でなければならないから、それもある。だけど、それだけではないのも事実だった。

 

「全部終わったらさ、また前みたいにお前の店で打ち上げしようぜ!? そんでさ、先生たちの武勇伝をたくさん聞いて、朝まで騒ぎ倒してよ! そしたらまた、学院でみんな一緒にグレン先生の授業を受けて、楽しい毎日が戻ってくるんだ!」

「───ああ、そうだな」

 

 輝かしい未来を思い描く凡人の姿に、ふっと笑みをこぼした。彼なりの強がりなのだろう、手は震えていたし顔には隠し切れない怯えがあった。それでも、その目は前を見据えている。

 自然と笑みを浮かべていたことに気付いて、小さく笑い声をあげた。もしかしたら、今までで一番清々しい気分かもしれなかった。

 

 学校に行って、

 退屈な幸福にあくびをして、

 友達とバカなことを話して笑い合って、

 家に帰れば家族がいて。

 

 そんな普通の毎日が、自分にはなくても彼らにはある。

 

 自分が忘れたもの。忘れたくなかったもの。帰りたいと願っていたもの。

 

 ありふれた日常。どうしようもなく焦がれた、平凡な───

 

「……そうだ。その日常だけは……ずっと、続いていけば良い」

 

 例えそれが、自分にとっては重ねているだけだったとしても───その日々が美しいことに、変わりはない。

 

 欲しいのは平穏な日常。そこに自分がいなくても構わない。そんな資格はないのだから。

 

 国家レベルのテロリストとの戦いなんて、凡人には荷が重い。……なら、凡人から外れた自分が戦うべきだろう。

 

 ───帰れないのならせめて。ダレカの帰りたがった、ありふれた日常を守りたい。

 その想いは、前を見る彼らと違って、とんでもなく後ろ向きな代償行為かもしれないけど。

 

「……お前、大丈夫か? ちょっと変だぞ?」

「いや、なにもない。……最初から、なにもないさ」

 

 なにもなかった。積み上げたものも帰る場所も、自分には。なぞることしかできないニセモノに、与えられるものはなにもない。

 

 それでも───まだ。そんなニセモノでも、できること(やりたいこと)があるらしい。

 

「戦おう。敵が見えて、戦う手段があるのなら」

 

 ここにある日々は、まだ失われてなんかいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして。

 フェジテの危機に関わりなく、日は滞りなく沈み、やがて長かった夜が明ける。

 

 再び日が天の中心に座した頃。その光を遮るようにフェジテの上空に浮かんでいた奇怪な箱舟が、その船底に炎を生み出した。

 

 天空城を戴く都市は今この瞬間のみ、怪物との最終決戦の地(メギドの丘)へと変貌する。

 

 真なる太陽を遮り、偽りの太陽(終末の炎)が空より堕ちる。

 

 ゆっくりと。お前たちを滅ぼすものの姿を冥土の土産に持っていけとでも言うように、炎が渦を巻いてゆっくりと膨大な熱量を練り上げる。

 学院の校舎、日常を象徴する場所に陣取った人々は皆、祈るように空を見上げた。奇跡など起こらずに、抵抗もできないままに自分たちは消え去ってしまうのではないかと多くのものが怯えていた。

 

 ───そして。

 

 ぷつり、と糸が切れたように、船の底から太陽が堕ちる。

 

 誰もが怯える中、一人の少年が一歩前に進み出た。

 

 銀の瞳は真っ直ぐ空を睨んでいる。その手には赫い竜の死を携えて、口ずさむように竜の炉心を起動する。

 

 終わるならばそれでも良い。だが、終わらないのであれば。

 

「───いいや。終わらせない」

 

 一度目は成す術もなく知らぬ間に。

 二度目には恐怖のままに背を向けた。

 どちらにおいても、自分はあまりにも無力だった。

 

 だが三度目はない。喪失は決して起こさせない。

 

 どこまで行っても後ろ向き。いくつかのものだけが残された残骸は、なぞるものがなければ立ち上がれない。

 思い出せ。お前はあの微睡みの中でなにを見た?

 

 そうだ。滅びを。星の終わりを。……それに立ち向かう、猛き(消えぬ)焔の英雄(快男児)を見た。

 まるで焼き直しのようだ。空から人間を見下ろす炎は、胸に炎を宿す英雄に砕かれた。

 

 されどここに炎を灯した英雄はなく。であれば、お前(自分)が成る他ないだろう。

 

「ニセモノ同士、派手にやり合おうじゃないか───なあ?」

 

 白熱する視界の中、剣を構える。

 炎を斬ろうというのではない。それを防ぐ術は他にある。自身の出る幕はない。

 

 故に。この剣を以て、人類の反撃の狼煙を上げる。

 

 思考を切り替える。苛立ちが意識の端を掠めた。原因は不明(自明)だ。

 もとより、理不尽に『日常』を奪っていくモノを自分は忌み嫌っている。

 怪物(魔人)が悪を誇るのであれば、英雄(偽物)は善を誇り、それを拒絶せねばならない。

 

 どちらが理由であるのか。きっとどちらもだろう。壊れて混ざって、もう区別がつかないものを分ける必要はない。

 

 ───(英雄)をなぞれ。剣を掲げろ。

 

 黄昏の再演には程遠くとも、偽りの太陽が堕ちれば多くの生命が潰えよう。

 

 それを拒むのであれば、戦う他に道はない。

 

 たとえ己が手になに一つ残らずとも。

 背後には、かつて焦がれたモノが残っている。

 

 真名の解放はしない。まだ戦いは始まってすらいないのだから。

 そもそも己には未だ荷が勝ちすぎる。

 

 一度だけ、懐かしむように目を閉じた。

 口の端を吊り上げる。()()()()。この程度の炎、かつて見た終焉には及ばない。

 

 及ばない以上───こちらに負けの目は存在しない。

 

 空に敷かれた結界が【メギドの火】を受け入れ、阻み、輝きを放つ。

 

 ───空に広がる蒼い光を断ち割るように、地上から空へと赫い光が迸った。

 

 未だ燻っていた熱を斬り裂きながら、大気を割り、音を置き去りにして、太陽の魔剣が偽りの太陽目掛けて空へと昇る。

 

 箱舟から転がり落ちていた球体(ゴーレム)が、その余波で粉微塵に砕け散った。無数の木偶人形が壁となったのだろう、魔剣は箱舟には届かず姿を消した。それでいい。今の投擲はこちらの意思表示、要するに『やれるもんならやってみろやクソ野郎』という宣戦布告。

 

 さあ、反撃の時だ。

 

 その背に愚者と仲間を乗せて、金色の竜が飛び立つのを見送った。

 

 彼方へと駆けた(投げ放った)はずの魔剣を手元に喚び直す。あとは本物の英雄の仕事だ。一度だけ、瑠璃色がこちらを見た。それに軽く手を振って、降りてくる無数の人形を見据えた。

 あれだけ最初に叩き壊してやったというのに、まだまだ在庫は尽きないらしい。結構だ。少しは退屈しないで済むだろう。

 

「───敵影確認。戦闘態勢、問題なし。これより、迎撃を開始する」

 

 笑みを消して、大地を踏みしめる。

 

 もういいじゃないかという声に、まだもう少しだけと返して英雄のフリをする。

 

 フェジテ最悪の三日間。その三日目の戦争が、幕を開けた。


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