竜殺しっぽい誰かの話。   作:焼肉ソーダ

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トリニティのアシュレイくんのことをこっちのアッシュに教えたら、すごい顔でドン引きされました。


53.おしまい

 たとえば。

 

 たとえばなにか一つでも過去が違えば、また違った未来があったのかもしれない。

 たとえばなにか一つでも運命が変われば、また違った世界が来るのかもしれない。

 ……そんな『もしも(if)』の話は、人類が古来から夢想する概念であり、同時に世界から許容された事実でもある。枝分かれした世界線は誰にも認識されることなく、されど確かに在るものとして人々に夢想される。

 

 ───もしも、炎の魔人がフェジテに現れなかったら。

 ───もしも、狂える正義が愚者に挑まなかったら。

 ───もしも、始まりのあの日に少年が逃げ切っていたのなら。

 

 ヒトの選択の数だけ世界は分かれ、事実は認識されないまま夢物語として語られる。

 『もしかしたら』というのは甘美な言葉だ。だが所詮は幻想であるということも皆理解(わか)っている。この甘美な夢は究極の現実逃避であり、同時にヒトの理想でもある。

 

 もし、誰も彼もが幸福で、満たされているような───そんな未来が、世界があったら。

 無邪気に未来を信じて。今の世界では為せなくとも、別の場所では、あるいは先の未来ではきっと手に入ると信じて、人は時間を積み上げていく。

 それは未来へ向かう原動力。より善い方向へと踏み出そうとする人類の祈りのカタチ。

 

「ああ───有り得ない(なんて脆い)幻想(ユメ)だ」

 

 過ちは数あれど、間違いはその一点から。

 未来を信じられなかった時点で(じぶん)に未来は許されないのだと、少年は一人嘲笑った。

 

 それでも───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「アレは、俺が壊す」

 

 イヴからひったくった通信機にそう囁いて、少年は言葉を切った。

 視線は前に。鋭い氷のように冷ややかに、冷徹に。今にも欠けてしまいそうな、欠けてくれないのが恐ろしくなるぐらい真っ直ぐに。

 ここで手を離したら、二度と彼が戻ってくることはないだろうと直感した。いつか見た笑顔と同じ。なにもかも諦めたような、なにもかも受け入れたような横顔がひどく苛立たしい(寂しくて)

 

「待っ───」

 

 反射的に伸ばした手がすり抜けた。とっくの昔に手遅れだと言うように、見慣れた顔は振り向きすらしてくれない。

 

「……もういいだろう。いいから逃げろ。これ以上、俺に付き合うことはない」

「……ッ、逃げ、られるわけ……ないでしょ!?」

 

 そこでようやく、声が言葉になってくれた。

 放り投げてはいけない。このままいけば確かにフェジテは救われるだろう。でもその先に、確実に少年は存在しない。

 

「あんたを放っておくなんて、できるわけ───」

 

 でも、イヴにはどうしたら良いかわからない。グレン(正義の魔法使い)ならその手を捕まえられただろうか。誰よりもお人好しだったセラなら。自分よりもずっと優秀で優しかったリディアなら?

 だけどここにいるのは頼りない魔術師だけ。

 だから、目の前の現実から、目を逸らして───

 

「じゃあ、ダメだ」

 

 聞こえた言葉は短く。その声を認識した途端、身体が浮いた。

 

 突き飛ばされた、と理解した頃には既に目の前には氷柱が突き立っている。物理的に隔てられた両者の間に、これ以上の干渉を阻むようにそれは聳えていた。

 

「な……」

「俺から言うことは変わらない。さっさと逃げろ、イヴ。アレを壊すついでで死ぬのは嫌だろう?」

「待って、待ってよ、待ちなさい、待ってってば……! 戻ってよ、そんなところでなにするつもり……!?」

 

 なにをするつもり、だなんて、白々しいにも程がある。なにをするかなんて、さっき彼自身が言っていただろうに。

 壁に拳を叩きつける。魔術を使うことすら忘れて、がむしゃらに氷を殴りつけた。だけど澄んだ氷にはヒビひとつ入らない。帰ってこい、と言おうとしてやはり言葉にならなかった。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったはずなのに。

 

「なんで……なんで、こんなことになったのよ……」

 

 自分じゃなくても良い。誰か、本当に頼れる友達でもなんでもいいから、そんなものを作ってくれたのならそれで良い。輝かしくはなくても、好きだと言っていた穏やかな毎日に混ざれたのならそれで───。

 

 そんな願いは間違いだったのだろうか。私は、どこでなにを誤ったのかと自問する。何度も何度も助けられてきた。何度も何度も傷つけてきた。私のそばにいない方が幸せだったと知っていたのに、だからその通りに突き放したのに、どうしてこんなザマになっているのだろう。

 私のせいじゃない。悪いのはあいつら(天の智慧研究会)だ。だけどやっぱり、私が悪い。少なくとも、私の判断が彼を傷つけたことは一度や二度ではないのだから。

 

 狙われていると知って、そんなはずがないと目を逸らした。

 弱っちいままだと確認して、目を逸らしたままで安堵した。

 自分の力を過信して存在意義を果たそうとする傍ら、巻き込んだ彼を自分の手で傷つけた。

 それなのに、まるで気にしていないと許してくれた。それがなによりも胸に痛くて、/許されたことが悔しくて、意地を張るように次の事件からは遠ざけた。遠ざけたつもりだった。自分ではダメなら、グレンのそばにいればあるいはと思って押しつけた。全てが裏目に出て、結局彼は外れていった。

 

 だから、今度こそ。

 今度こそ、助けられるようなことがあってはいけない。

 理由? 理由は、そう、確か、私は、あなたを。

 

「───っ、イグナイトたるこの私が! あんたみたいなポンコツを放って、おめおめと逃げられるわけがないでしょう……!?」

 

 違う。それだけじゃなかったはずだ。もっと、姉のような魔術師を志した理由に根差した信念だったはずだ。しかし宝物のような記憶は得体の知れない楔に貶められ心の奥底へと鎖されて、意識の表層に現れることはない。

 

 だから一部分しか正しくない理由を叫ぶ。誇り高きイグナイトとして、放ってはおけない。ただの人間に助けられたままではいられない───全てはイグナイトの名誉のために。だからこれで良い。遠ざけて、利用して、傷つけてばかりだった自分が、今さら誰かを救おうなどと烏滸がましい。

 だけど大義名分さえあれば、自分が手助けしても許されるはずだ。今さらイグナイトの名を汚すような真似にもならないはずだ。そういう意味であれば、自分はとうに失敗している。尻尾切りは免れまい。それなら好き勝手に動いたところで変わらない。けれども、そんな発想は微塵も浮かんではこなかった。

 

「……そうか。よかった」

「なにがよかったっての!? 目の前が見えてないの!? 見えてるんでしょう!? 見えてるって言いなさい……!

 一人でやる理由なんてないでしょう、さっさと戻ってきてみっともなく誰かに縋ってくれれば、それで、」

「……お前が逃げない理由が、イグナイトとしての責任感なら」

 

 『イヴ』として、『アッシュ』を助けようとしたのではなくて。

 『イグナイト』として、『無謀な戦いに挑む兵士』を止めにきただけならば。

 

「それなら……ああ、安心した」

 

 本当に。

 心の底から安堵したように、この戦場で初めて微笑みを浮かべて、少年は頷いた。()()()()()()()()、と。

 手を差し伸べられない自分でよかったと、小さな本音を覗かせた。

 それは自己を保つことができなかった灰の、微かに残った本音だった。惜しまれては困ると、()()すると決めてからずっと気がかりだった一点。

 

「……ぁ」

 

 そこでようやく、間違いに気が付いた。

 普通の毎日が好きだと語っていた。手の届かない宝石を慈しむように、手が届かないと最初から諦めるように笑っていた。……どうして気づかなかったんだろう。彼は一度でも、そこに自分も居たいのだと言ったことはあっただろうか。

 

 それでも、きっとそうなのだろうと思っていた。

 他でもない自分自身が、そんな平穏を気に入っていたから。そこにいるのがなによりも楽しかったから、きっと彼もそうに違いないと思い込んだ。そのうちに望んだ通りの平穏が手に入ったから、望んだ通りに普通の毎日を送っているのだと信じていた。いたかった。

 

「立ち去れ、イヴ=イグナイト。

 此処には、お前が手を差し伸べるべきモノなどなにもない」

 

 ───それはこれ以上ない訣別の言葉。

 心の奥底でまだ信じていた、縋っていたものを粉微塵に割り砕く刃。

 

「……やだ……」

 

 氷を殴る手が止まる。もう届かないことはわかりきっている。

 

「やだ、いやよ……! 戻ってきてよ、昔みたいに、ねえ───」

 

 ……その昔を放棄したのはイヴ自身だ。たとえそれが誰かのためだったとしても、突き放した事実は変わらない。

 その思いを受けるべきは自分ではない、と燃え滓は嘯いた。故に言葉は返さない。

 

「アッシュ、ねえ、」

 

 震える声で呼ばれた名前は届かない。……届いたとて、留まることを本人が良しとしない以上はどうすることもできはしない。

 後にはただ、英雄が残るのみ。

 

「───忘れて、いかないで」

 

 ごめんな、と。

 返事は、拒絶の一言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───まだだ。まだ足りない。

 

 この戦いで残されたありったけの魔力をかき集めてもなお足りない。英霊の存在証明にも等しい一撃をこの世界で許容させるには足りなさすぎる。

 足りないなら作れば良い。どこが灼け付こうが構うものか。鼓動(炉心)を回せ。元よりこの身は彼の英雄なくしては戦えない塵芥。どこが壊れようがそんなものは代償にすらなりはしない。いや、得られる結果を考えるならむしろプラスだ。こんなもので良いのならいくらでも捨ててやると嘯いた。

 

 一歩を踏み出す。見据えるのは先の先、拳を振り上げる巨人擬き。推定、制御機構は頭部に詰まっていると見た。であれば穿つのはその一点のみで良い。他の部位など諸共に吹き飛ばせば良いだけの話だ。それだけの力は持ち合わせているはずであろう。

 足りない要素はもはやない。余分なものは今置いてきた。あとはもう忘れるだけだ。どれだけ価値があろうとなかろうと、置き去りにしてしまえば同じこと。消える世界に、善悪の区別がないように。

 

「──────」

 

 余分な思考をカットする。やり方は観測()た。結末も観測()た。であれば、この場で同じコトを起こせない道理などあろうはずもなし。

 魔剣を構える───まだ。性能(外側)だけでは足りない。思考回路、精神レベルで模倣しろ。不要なものは捨てていけ。間違えるよりも早く、砕かれるよりも速く、立ち消えるよりも疾く行き止まりを破壊しなければ。

 

 ……世界は脆い。明日なんていうものは、当たり前のようにやってくるように見えて、その実いつだって消えかけている。

 

 二度。理不尽に終わる世界を見た時から、未来(さき)を信じることはとっくにやめていた。

 そんなモノが、未来を信じる者たちに混じったところで足枷にしかならない。未来を信じられない人間が、どうして未来を目指せよう。

 だから早く、こんな馬鹿げた話は終わらせるべきだ。あの眩しさに身を浸すことはできそうにない。彼らは彼らだけで完結している。自分のような紛い物が立ち入る隙間など有りはしないし、そこに在ること自体に耐えられない。感情の名前はとうに忘れたが、きっと人はそれを羨望や渇望と呼ぶだろう。そんなものばかりが残っているのは、皮肉というべきか悲劇というべきか。

 

「ああ───」

 

 ソラを見上げる。

 どこにだって帰れないことなんて、とっくの昔にわかっていた。

 なに一つ手に入らないことを、とっくの昔に思い知らされた。

 

 当たり前のように明日を想う尊さも、息をするように隣人を慮るあたたかさも、生存に疑問を持たない傲慢さでさえも。……その全てが、眩しかった。その全てが、手元には残されていなかった。

 幸せになりたい、なんて願いを抱いたことは一度もないけれど。目指したものは、他愛のない場所で、やさしい人たちが笑っていられるような景色だった。

 

 明日(つぎ)がない、という絶望より。

 未来(続き)がない、という閉塞感が、なによりも痛かった。

 

「──────」

 

 でも後ろにいる彼らは違う。凡庸でありながら、できることがないと知りながら、それでもと前を向いて剣を手に取った。

 可能性がどれだけ低くても諦めなかった。望むもののために明日を目指した。それがどれだけ難しくて得難いことか、きっと彼らは知らないだろう。信じる未来のために足掻くと当たり前に言い切ったあの少年は、当たり前のように頷いた彼らは、……それがどれだけ尊いものか、これからもきっと知ることはない。

 

 ……それで良いのだ。もとよりこの閉塞感は、終わりゆくモノのみが知り得る終末。

 世界に未来がある以上。永遠に、この孤独(伽藍堂)が理解されることはない。

 

 だから、最後まで諦めない、という言葉は正しくない。

 ただ、最後まで諦めない人間がいるから、その障害を打ち払おうと思っただけ。台無しにするしか能がないから。それなら()()()、未来を当たり前に信じられる人間の助けになれたら良いと、そう思った。

 

 繰り返し繰り返し、此処に立つ理由を思い返す。そうでもしなければ、すぐにでも忘れてしまいそうだった。そう『したい』と思ったのか、そう『しなければならない』のかさえ今はもうあやふやだ。結末が同じ以上、動機に見出せる意義はない。

 だけどそれもここまで。生き足掻くというにはあまりにも儚い抵抗はむしろ走馬灯に近いだろう。

 

 ───それでも、終わらせはしない。

 たとえ未来がなくとも。現在(イマ)を生き足掻く人間の希望を、こんな幻想になど砕かせてなるものか。

 

 煌めくような記憶は確かに心に残っている。たとえ一刻後には仕舞い込むとしても、この思いを投げ捨てるとしても、この一瞬だけは失くさない。

 帰る場所はない。行き着く場所もない。続ける理由も続く保証もない。

 

 瞼の裏に焼き付けるように瞳を閉ざして、ユメの名残を振り払った。

 戦うこと、失うことへの恐怖はない。もとより取り繕っていただけのもの、外装がすげ変わるだけでその本質は変わるまい。問題らしい問題は、その本質が焼け落ちた後の灰のようにまっさらだということだけだが、それもさしたる問題にはならない。価値があるのは外装の方であって、残り滓になんて誰も気を払わないだろう。

 

 あとは容易い。現状起こし得る最大火力、最高効率の発揮方法は意識せずとも身体がなぞる。背後から聞こえる声にはフタをした。自分がその声に応える理由はないし、そんな資格は自分には残されなかった。手に入れようとさえ思わない。

 ───手に入れたくはないけれど、大切にはしていたのだ。絶対に、誰にも見せてはいけないけれど。

 

 

 

「……絶技、模倣。真名、偽証展開。此処に、彼方よりの黄昏を───」

 

 

 

 分不相応、という言葉を投げ捨てる。

 不相応であるのなら、分の方を引き上げるしかない。巨人を壊すだけなら現状でも十分だ。それらしいコトをするためだけに、本物のデータを引っ張ってきて上書きする。

 

 消え逝く世界の置き土産。魂に焼きついた光景を再現する。

 解放された魔力が閃光と共に唸りを上げる。魔剣に炎が満ちていく。

 此れなるは破滅の黎明。太陽の属性を持ちながら、魔剣として成立した稀有なる宝具。破壊を以て夜明けを齎す、正真正銘英雄たるモノの刃。

 現状持ち得る全性能を用いて、赫い輝きを世界へと焼き付ける。担い手と魔剣。双方が揃った今、未来を阻むモノはその存在の一切を許されない。

 

 ───息を吸った。空気が熱いのはなにも己が魔剣のためだけではあるまい。頭上には既に絶望が煌めいている。

 ソラより落ちる炎を防ぐ神の域は既にない。瞬時に地上は焼き払われ、後には魔人が嗤うだろう。

 『矮小なる人類に未来はない』と。立ち向かうことが愚かなら、それを考えることさえ愚かであると、焦土と化した大地で絶望に屈した魔人は一人語るのだろう。

 

 その思い上がりこそ愚かしい、とその眼で破滅を見た少年は否定する。確かに未来は勝手に消えるものだ。先がない、というだけで幾千、幾万の人間の意志など知らぬものであるかのようにあっさりと打ち捨てられるものだ。

 されど強大な魔を前にして、人類という種に敵う道理がないというその言い分には賛同できない。世界は終わる。だがそれは強大なナニカに押し潰されてのものではなく、そういう仕組みで世界が成り立っているからであり。こんな目に見える破滅に立ち向かうことが、間違いであるとは思わない。

 

 未来を信じる人間は、いつだって奇跡を起こす。

 奇跡が起きた世界だけが残されているだけだとしても、その奇跡を───未来を信じるありきたりの人間を、信じている。

 

「……あ」

 

 一瞬、昔の光景がよぎった。夕焼けと、緋色。……自分のものでない約束に、なにを思ったのか。

 走馬灯の最期。偶然、たまたま、表に転がり出たひとかけら。

 

「───ごめんな。

 約束、あいつ(■■■■■)に返せなかった」

 

 最後に一つだけ。不意に思い出した『理由』の切れ端を後ろに投げて、英雄は剣を執る。

 

 ここで悲劇は打ち止めだ。そもそも悲劇など一つもない。英雄が人間のために戦うのは当たり前の話。英雄が人間じゃないのは当たり前の話。その当たり前を履き違えるから、必然は悲劇と語られるのだ。

 だからここまでで良い。まともな人間のふりをするのはここまでだ。ずるずると続けたものに終止符を。解放感を片端から灼き尽くして、ただかつて存在した事象を再現するだけの装置と化して───

 

 俺も、帰ってみたかったなぁ、と。

 

 小さな感傷を灼き捨てながら、英雄は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を、彼らは見ていた。

 

 地下へと退避する生徒たち。当然望んだ撤退ではなく、そうせざるを得ないがためのものだった。

 戦線維持組の生徒もまた、身を休めるため───そして、巨人から逃げるために校舎の地下へと走っていた。

 

「畜生、ここまでかよ……ッ!? 先生たちや軍人さんたちも頑張ってるのに、結局こうなるのかよ……!」

「カッシュ……」

「あんなにみんな頑張ったのに、どうしようもないってのかよ!!」

 

 廊下に拳を叩きつけるカッシュを案じるセシルもまた、同じ気持ちだった。

 小さな勇気を振り絞って戦場に立った。頼もしい大人がいた。同じように戦うと決めた仲間がいた。それが間違いだったとは絶対に思わない。思わないけれど、現実はやはり無情だった。《炎の船》はいまだ健在。廊下の窓からは、今にも【メギドの火】が落とされようとしているのが見てとれた。

 

 戦線維持組の魔力をここでかき集めても、結界の維持には足りないだろう。既に大量に消費した後なのだ。マナ欠乏症すら近い彼らの魔力では、到底結界を持ち直すには足りない。

 

「くそ……くそ……! 諦めねぇ、諦めたくなんてねぇよ……! けど、ここからどうしろってんだ! 俺たちにあのバケモンが倒せるわけでもない、出て行っても殺されるだけだろうが……ッ!」

 

 死ぬだけで事態が好転するなら、あるいはそうしたかもしれない。

 もちろん、それは絵空事だ。もしも、の仮定であるが故に空想の中の自分は蛮勇であり、命を投げ捨てることさえ選択肢に入れている。だがやはり空想は空想で、実際そんなことになったとしても足が竦んでしまうことなどわかりきっている。

 だからこそ無駄死にはできない。死なせないように、と奮闘している大人たちがいるのに、その願いを無碍にするようなことができるはずもない。

 

「……情けないな」

「んだと……っ!?」

「情けないと言ったんだ。こんな土壇場で諦めてすごすごと退却するなんて、プライドがないのか?」

「てめ、ギイブル! お前、言っていいことと悪いこと、が……」

 

 第一お前だって退避してきたクチだろうと言いかけて、ギイブルの手が震えていることに気付く。荒げようとした声は尻すぼみになり、どうしようもない重苦しさが空気を染めた。

 

「……ああ、心底情けない。僕は……僕たちは……!」

 

 ぎり、と血が滲みそうなくらいに拳を握りしめる。彼の罵倒は内に向けられたもの。敗北を認めざるを得ない自分に対する侮蔑であり屈辱だ。

 任されたものを守れなかったという自責の念が、彼らに重くのしかかる。グレンの影響かあるいは元来そういう雰囲気であるのか、常に前向きだった二組の生徒たちは現実の前に諦めかけていた。好きで諦めるわけじゃない。それでも、現実という高い壁は無情にも聳え立ち続けている。

 

「……くそ」

 

 死にたくない。だけど諦めることもしたくない。

 せめてもの抵抗に、彼らは敵を睨みつけた。せめて、終わりから目を逸らさないように。

 

 太陽が、揺らめいて───

 

「ここまで、か」

 

 誰かが呟いて、近くにいる人間の手を取った。

 巨人の頭上から炎が降る。痛みを感じる間も無く終わるだろう。願わくばどうか、空を駆ける英雄たちだけでも無事に生き残りますようにと祈りを捧げて。

 

 ───最初に見えた赫は、ソラからではなく地上から。

 

 その違和感に気づいたのは、壁を拳で殴りつけていたカッシュだった。

 

「……あれ……?」

 

 誰よりも窓に近かった少年が声を上げる。

 つられるように、何人もが顔を上げた。

 

「───嘘だろ」

 

 赫い。

 

 赫い光が、校舎を照らし出している。

 

 それは天から落とされる崩壊の炎ではなく、

 

「…………」

 

 ありふれた日常に害を成す、外道を滅ぼす光だった。

 

「……くそ、くそ、くそ!」

 

 誰かが悪態をつきながら、階段を駆け上がって廊下の魔術法陣に手を付ける。

 ()()がなにかは、誰一人理解していない。だがそれでも、まだ終わることはないのだと、それだけは理解できた。

 

 無駄かもしれない。

 

 死ぬかもしれない。

 

 未来なんてないかもしれない。

 

 だけど───諦めることができない。諦めなくても良いのだと諭すように、光は巨人を喰い破っていく。

 

 世界は優しくない。

 

 だけど、もう少しだけ足搔いてみよう。

 

 劇的な落ち込みがあるのなら、息を吹き返すきっかけもまた劇的なものである。

 

 諦めかけた心に活を入れて、できることに手を出そう。

 

 ……ところで。

 

「アレは、誰がやったんだろうな?」

 

 不安そうな声で、カッシュが呟いた。

 

 見当はなんとなくついていたけれど、言葉にはしない。

 

 今はただ、先を求めて戦いに戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

『私が覚えていてあげる。何度だって、私が思い出させてあげるから───』

『どんな風になっても……ここにいて。みんなと一緒にいて』

『全部終わったらさ、また前みたいにお前の店で打ち上げしようぜ!? そんでさ、先生たちの武勇伝をたくさん聞いて、朝まで騒ぎ倒してよ! ───そしたらまた、学院でみんな一緒にグレン先生の授業を受けて、楽しい毎日が戻ってくるんだ!』

 

 

 

 ───懐かしい、声が聞こえる。

 

 その全てにフタをして、前へと踏み込んだ。

 

 小剣を投擲する。いや、投擲というにはあまりにも荒々しい攻撃。巨人の拳が衝撃に揺らいだ。

 

 それを見上げながら、祝詞を口ずさむ。

 

 

 

「───此れなるは破滅の黎明。

 我が炎は黄昏を呼び、偽りの太陽は失墜せり───」

 

 

 

 駆ける───落ちていく。身体ではなく、外装が完全に切り替わる。空っぽの中身はそのままに、行動理念を変えていく。

 

 

 

 此処に。

 彼方の世界にて名を馳せた、神代の英雄が顕現する。

 

 

 

 それは北欧の大英雄、神殺しさえ滅した竜殺し、有り得ざる世界に剣士(セイバー)のクラスを以て現界せし境界記録帯(ゴーストライナー)

 

 

 

 ───その真名をシグルド。

 

 

 

 母の愛を知らず、父の愛も知らず、神の愛も知らず、されど愛に身を散らした悲劇の英雄。

 

 その魔剣が、どこかで在った世界のように巨人の頭蓋を直撃する。終末装置ならざるその身では僅かな抵抗さえ叶うまい。

 

 己を持たぬ残骸如きでは、真名は名乗るに能わず。故にこそ、ずっとその名前から目を逸らしていた。認識してしまえば、あとは転がり落ちるように全てが終わる。

 英雄のパーソナリティなど、それらしい生活を送る上で、それらしい表層を繕う上では障害にしか成り得ない。

 

 

 

「──────『壊 劫 の(ベルヴェルク)、」

 

 

 

 だが、それが果たしてなんであろう。既に彼は生きて其処に居る。

 

 身に余るなど承知の上、されどこの身は有り得ざるモノを世界に焼き付ける境界保有者(ゴーストホルダー)

 

 地上から天上へ。福音のように宙を斬って、赫い光が走っていく。

 岩巨人如きなにするものぞ。走る刃は神代の旧き魔剣、太陽の属性を持ちながら魔なるものとして成立した新生魔剣。

 

 宙を裂き炎を裂き、その場にいるどの英雄の攻撃さえも受け付けなかった頑強な岩をも割り砕いて、赫い光が空気を駆ける。

 

 焔を撒き散らしながら巨人の頭部に魔剣が突き刺さる。まだ、かろうじて存在を保っているソレ。仕留め損ねたかと嘲笑うことなかれ、もとより此処までは前座に過ぎぬ。

 

 

 

 ───斯くて、此処に黄昏は齎される。

 狂った終末戦争(ラグナロク)にすら引導を渡した、黄昏に耀く刃こそは。

 

 

 

「─── 天 輪(グラム)』──────ッ!!!!」

 

 

 

 学舎を破壊しようと振り下ろすはずだった巨人の腕を駆け上がって、刺さったままの剣に全力の拳を叩き込んだ。

 

 瞬間、赫い光がソラへ向けて迸る。

 

 終末装置にさえ傷を与えた魔剣の一撃は巨人の頭部を消し飛ばし、それでもなお飽き足らぬと天へと昇り───

 

 そこに収束しつつあった、天の焔さえもを食い破って消えていく。

 

 不完全なままに【メギドの火】が地上へと落下する。フェジテ全土を薙ぎ払うには足るまいが、それでも学院を焼き滅ぼすには十分な火力がある。

 

 であれば、彼のしたことは無意味であったのか。

 

 巨人の破壊のみに専心したのは過ちであったのか。

 

 あるいは方舟ごと全てを滅ぼすべきであったのか。

 

 ───その問いは、学院の空に輝く蒼い聖域こそが答えだろう。

 

 全てを焼き尽くすはずの終末の炎は、いつの間にか蘇っていた聖域に阻まれた。

 ……時間稼ぎぐらいは、できただろうか。

 

 良かった、と、足場をなくして地上へと堕ちながら満足そうに呟いた。

 思っていたより呆気ない幕引き。自分が手を出さなくても、きっとなにも問題はなかったに違いない。それが少しだけ嬉しいと感じて、感じたそばからわからなくなる。

 自分はするべきことをしただけで、そこに喜びもなにも存在する余地はない。

 

 自分を囲んでくれていた人たちのことがほんの少しだけ気がかりだけれど、未来を見ていられる人たちだから。きっと、こんな人間のことはすぐに忘れてくれるはず。

 お人好しの講師や友人は、少しばかり困らせてしまうだろうか。

 

 黒色は、妙に世話を焼かれていた、のだと思う。少しばかり人が好すぎるのが心配だけど、そういう人間は稀有なので、お人好し同士支えあってくれれば良い。彼ならきっと、人間らしく、人間のままで良い方向に進もうと足掻いてくれる。───未来がありますようにと自分ではもう信じられないものを祈って、見送る。

 

 銀色はいつもキャンキャンとうるさくて、誰よりも未来の溢れる人間だ。調子の良い黒色や、突っ走りがちな青色に囲まれて、金色と一緒に振り回されるような穏やかな日常が続くようにと───先を選ぶ側の人間になるだろう少女の選択を憂いながら、見送る。

 

 金色はなぜか申し訳なさそうな顔をしていたような気がするけれど、彼女はきっと奥底で救われたいと願える人間だ。お人好しがたくさんいるこの学院でなら、なにひとつ問題はないだろう。多少の瑕は残っても、愛する仲間たちに囲まれていればいずれはそれも癒えるはずだ。───自分よりずっと人間らしかった彼女の行く末を信じながら、見送る。

 

 青色は、今思えば色々と彼女なりに気遣ってくれていたのだろう。自分のいるべき場所、あるべき理由がわからなかった迷子同士思うことがあったのかもしれない。……その気遣いに返せるものはなにもなかったけれど、自分の生きたい場所を見つけたのなら大丈夫だ。───好きなように未来を描けるように願い、見送る。

 

 赤色は、もはや語るべきことはない。自分が語る言葉を持ち合わせてはいけない。訣別は済ませた。あとは忘れてくれることを祈るだけしか出来はしない。

 

 多くの時間を共にした、本当にありきたりの少年少女を見送る。餞別というには少々派手だが、少しくらいは良いだろう。

 

 過ちは数あれど、間違いはその一点から。

 未来を信じられなかった時点で(じぶん)に未来は許されないのだと、少年は一人微笑んだ。

 

 でも、それでも───彼らに続きがあるなら、それで良い。

 十分すぎる報酬だ。

 

 《炎の船》はいまだ健在だけど、そのうち勝手に消えるだろう。

 あれだけ強くて、未来を望む英雄たちがいるのだから、過去の人間が阻めようはずもなし。

 

「───うん、良かった」

 

 それさえわかれば大丈夫だ。信じられる。

 

 戦いの終わりは近いだろう。そうしてまた、戻ってきた日常で、面白おかしく彼らは過ごすに違いない。

 

 できればそこに彼女もいて欲しいなんて思うのは、……やっぱり、余分な感傷かもしれないけれど。

 

 それでも。

 願わくば、彼らの生きる普通の生活が守られますように。




今回は抽象的というか回りくどい話しかなかった割にはあっさり終わったのは勘弁な。

次回、正義の魔法使いご一行の戦いと、誰一人死ななかったハッピーエンドのエピローグ。
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