竜殺しっぽい誰かの話。   作:焼肉ソーダ

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お久しぶりです。今回もちょっと長いです。めっちゃ遅れた理由ですが、『一方その頃の愛と希望の物語』だったので物凄く筆が重くて……。いや、好きなんですけどね愛と希望の物語。
あとは月姫Rとサンブレイクと研究室やってました。

月姫R、最高でした。


54.Disillusion

 広く、暗い。

 

 不気味な音を立てながら、いくつもの石碑が文字を表面に走らせている。

 《炎の船》を制御するモノリスだ。

 

『───気は済んだか、偽りの巫女よ』

 

 広間の中央、嘲るような声色で正面に這いつくばるルミアに声をかけたのは、今まさにフェジテを危機に陥れている魔人ことアセロ=イエロだった。

 対するルミアは、言葉を紡ぐことさえもつらいのかなにも言わない。肩で息をしながら、ただ強い意志をもって魔人を睨みつけている。……その瞳が昏く濁り、背には異形の翼が展開していることにさえ目を瞑れば、それはいつもの『聖女のルミア』そのものだった。

 

「まだ、です。まだ……!」

 

 息も絶え絶えになりながら、手に握った銀色の鍵を振るう。しかしその抵抗を、

 

『愚かな』

 

 そう一蹴して、魔人はいとも容易く打ち砕いた。

 攻撃の余波かあるいは反動か、ルミアの身体は壁際まで吹き飛ばされて背中から叩きつけられる。ほんの一瞬、呼吸ができずに咳き込む。魔人はただそれをつまらなさげに睥睨するのみで、追撃に構えることすらしなかった。

 

 ルミア=ティンジェルにはなにもできはしないと、そう語られているようで目眩がした。

 

「どう、して……」

『それは己が手に握る力に訊くが良い。……気付いているだろう、その《鍵》の弱々しさにも。貴女自身の変貌にも』

「……!」

 

 ───《銀の鍵》。ナムルスが、一日限定で使えるようにしてくれたルミアの力。まるでずっと連れ添ったような、自分自身そのものであるような不思議な《鍵》。

 空間を操る力を持つその《鍵》は、本来《炎の船》の歪曲空間を突破するために引き出された力だった。だが、その目的が遂げられ───ルミアがアセロ=イエロによって仲間たちから一人引き離されたあとも、《銀の鍵》は彼女の手の内でその権能を振るっていた。

 

 その輝きが、いつの間にか鈍っている。

 《炎の船》に乗り込んだ当初は眩い光を放っていた銀色の鍵は、いまや弱々しい輝きを灯すのみとなっていた。

 

 ナムルスは言った。その力は魔術のように理性と理屈で操るものではなく、感情と本能で振るうものだと。

 ならば、《銀の鍵》の変調の原因は───

 

「……それでも、私は……この力で、みんなを……」

『自らが異形と化してもか?』

「───……」

 

 その言葉に目を瞑る。

 自分の背中に広がる異形の翼。いつぞやの迷宮で出会った半透明の少女と同じ捩じくれた怪異の証は、自分が《鍵》を使うたびに存在感を増していた。

 精神の内側で、なにか、外れてはいけない戒めがほどけていく感覚がある。《銀の鍵》を使う度に軽くなっていく拘束。内側に鎖された存在(『ルミア』)は、陽だまりのような笑みを浮かべながらはやく、はやくとせがんでいる。

 『自分』という存在が希薄になる感覚は、決して心地よいものではない。この戦いがもっと続けば、確実に自分は『自分』ではなくなってしまう───

 

 その恐怖は、どうしようもなくルミアについて回っている。

 変貌していく自分。豹変していく世界。

 それに耐えられるほど、ルミアという少女は人間から外れていない。

 

『その力を使えば使うほど、貴女は人の身を外れ、《鍵》は本来の貴女へと塗り潰す。

 たとえこの戦いが貴女の勝利に終わったとて、その時()()()()()()()()()()()

 

 そんなことはわかっている。

 

 だけど、それでも。ルミアは、光の薄れた《鍵》を握り続ける。

 自分がどうにかしなければならない。今までの責任を取らないといけない。

 これ以上自分のせいで傷付いてほしくない。傷付くなんてあってはならない。

 そのためなら、自分自身でさえ捧げられる。もし仮に、彼らを救うために犠牲が必要ならば、それは自分であるべきだ。そうでなくてはならない。

 

 そもそも。

 身を削って自分たちを守った人間がいるのに、どうしてルミアだけが甘えることができるだろう。

 

 だから。

 

 だから。

 

「私が、ここで、あなたを───ッ!!」

 

 銀色の鍵を振り上げる。

 

 なにもかも失っても構わないと悲壮な覚悟を秘めながら、歯を食いしばって全力でその力を解放───

 

「……、……え?」

『無様だな、偽りの巫女よ』

 

 軽蔑の言葉と共に、ルミアの身体に無数の剣が杭のように突き立った。

 磔にされた聖者のようだ。今までグレンたちによって遠ざけられてきた、きっとグレンたちは何度も味わったであろう痛みに顔を歪めながら、それ以上に自分の無力さに打ちひしがれる。

 

「どうして……どうして、どうして、どうしてッ!!」

 

 血反吐を吐くような悲鳴と視線は《銀の鍵》へと注がれている。全力で振るったはずの《鍵》は、ルミアの求めになに一つ応えることもなく沈黙していた。

 この力がないと戦えないのに、みんなを守れないのに。それすらできないと言うのなら、ルミアは本当にただの疫病神でしかない。

 

「お願い、応えて……応えてよッ! これじゃ、これじゃみんなが……ッ!!」

 

 最悪の想像が脳裏をよぎる。グレンもシスティーナもリィエルも血の海に倒れ伏して、大好きな学院はただ燃え滓を残すだけの焦土と化して、魔人が一人で嗤っている。

 それは最悪という言葉ですら生温い地獄そのものだ。ルミアにとっての勝利条件、生存のモチベーションは『学院のみんなが無事であること』。その前提が崩れてしまえば、なにをすることもできなくなる───

 

『如何に()()()と同じ力に目覚めていようと、所詮は偽物。器が不完全では振るわれる力も不完全、ということか。まあ、良い』

 

 徐々に絶望の差し込むルミアになにを思ったのか、あるいはその焦りを見透かしたのか。

 アセロ=イエロは磔にしたままのルミアから視線を切り、背後───なにもない中空に目を向ける。なにも存在しないはずのそこには、まるで空から俯瞰したような地上の風景が映し出されていた。

 

 身動きのできないルミアがつられて顔を上げる。見慣れた学舎。豆粒のように小さな生徒や教師、軍の人たち。蒼く、しかし儚げに揺らめく防護結界。

 愛おしいその悉くをルミアから覆い隠すように立つ、石でできた巨体。

 その拳が校舎の一部を殴り付ける光景に、ルミアは悲鳴を押し殺した。位置的に南校舎の一角であろうそこでは、ルミアの同級生も戦いに参加していたはずだ。誰かの抵抗があったのか、さしたる破壊を齎せないまま、しかしその意欲は衰えさせずに次なる獲物を求めて巨大な腕を振り上げる姿に血の気が引いていく。

 

 今は運良く大きな被害が出なかっただけだ。あれが直接当たってしまったら、学院の生徒ではひとたまりもない。

 

『そろそろ地上も決着だろう。(セリカ)のいない愚者の民など、あの巨人の敵ではない。わかるか? ルミア=ティンジェル。貴女は間に合わなかった。あの忌々しい聖域が崩れ落ちるのも時間の問題だろう。そうなれば、あとは我が【メギドの火】がすべてを焼き滅ぼす』

「やめ、て……」

『懇願が無意味であることなど、貴女が一番良くわかっているのではないか?』

 

 一言で切って捨てて魔人はルミアの言葉を嘲弄する。

 アセロ=イエロ(ラザール=アスティール)の目的はフェジテを住民ごと焼き尽くし、大導師への生贄として捧げること。ルミアの殺害は至上目的ではあるが、それはフェジテを見逃す理由にはならない。

 他の有象無象であれば、あるいは手痛い反撃を受けて撤退する可能性もあったかもしれない。だがそれはアセロ=イエロには適用されない。たとえ船が撃墜されようとも、彼の保持する最強の兵器がアセロ=イエロ自身である以上、撤退する必要性など微塵もない。

 

 極端な話、手間と時間こそかかるものの、アセロ=イエロが手ずから住民を殺戮していくことすらできるのだから。

 

 勝ち誇る魔人の頭上、巨人の手で校舎が破壊されていく。数百年の歴史を誇る学び舎が崩れていく。その度に結界は揺らぎ、存在を薄くしていく。

 

 もう限界だ、と。

 誰に言われるまでもなく、誰の目にも、それは明白な事実だった。

 

「お願い、お願いだからやめてください……ッ! 私にできることならなんでもします、私のことなら殺しても構わないから、それだけは───ッ!!」

 

 来たる終焉に悲鳴をあげるルミアの眼前で、魔人は無慈悲にモノリスで【メギドの火】を操作し始めて───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───()()に最初に気付いたのは誰だっただろう。

 

 戦いを放棄し、しかし唐突に現れたナムルスによってルミアの置かれた景色を眺め続けていた地下でうずくまる生徒たちだろうか。

 あるいは、戦線を離脱し、悔しさに打ち震えながら巨人を見上げる即興の兵士たちだろうか。

 それともあるいは、今なお若者たちを守り続ける大人たちか、もしくは───一人立ち止まり、力なく座り込んだ少女だろうか。

 

 彼らの頭上、巨人よりも遥か上空、一度見た白い炎が再び燃え上がる。

 

 それは滅びを告げる終末の火。矢よりも疾く失墜し、街を呑み込む災いだ。

 

 彼らを守るために天に輝いていた結界は既に影も形もない。度重なる巨人の攻撃。撤退していく、魔力源である生徒たち。維持するための魔力と魔術式さえ失った結界が維持できるはずもない。【ルシエルの聖域】がなければ、【メギドの火】を防ぐことも叶わない。

 つまり、正真正銘のチェックメイトだ。誰もが終わりを予感して、誰もが諦めるように燃え盛る天から目を背けた。

 

『やはり人間は矮小で、脆弱で、なにを為すこともできない存在なのだッ! 滅びを前に! 人間の力だけで、怪物を相手に立ち向かい、生き残ることなどできはしない───!!』

「やめて───やめて、やめて、やめて──────!!」

 

 身を切るような魔人の嘲りに、身を引き千切るようなルミアの悲鳴がこだまする。

 

 それがほんの数秒前の光景。

 

 ルミアの見た、学院の最後の光景になるはずだった。

 

 

 

 だから、その『最後』がいつまで経っても来ないことに気付いたのは、誰よりもルミアが早かった。

 

 

 

「───あ、れ?」

 

 涙を流しながら、それでも目を逸らすこともできずに呆然と眺めていたルミアの口から惚けた声がこぼれた。その視線は依然、焼け落ちたはずのフェジテへと向けられている。

 

 確かに炎が落ちたはずだ。確かに消えてなくなるはずだった。

 それなのに───目の前にあるのは、肩から上が消し飛ばされた巨人と、未だ健在の学院で───

 

「あ……」

 

 流星のように、巨人を食い破りながら宙へと奔った光が【メギドの火】さえも打ち破り、しかし《炎の船》は傷付けずに消えていく。その姿を、ルミアはただ見ていた。

 誰かが、あの巨人を壊したのだ。グレンの切り札(イクスティンクション・レイ)さえ超えるような大破壊を以て、その『誰か』は世界の壁を打ち砕いた。

 

 《炎の船》でさえ直撃すればただでは済まないだろう一撃がそうしなかったのは、気遣いと信用だった。

 自分がいなくとも物事は、世界は滞りなく進むと信じ切っている誰かの不要なお節介。

 

 ───自分がなにかをしなくとも、きっと彼らは無事にすべてを終わらせると信じ切っていたから、その道行きを阻むかもしれない要素のすべてを排した。

 万が一船を破壊してしまえば邪魔になると、障害を排除するに留めていた。

 

『【メギドの火】が……消されただと……!?』

 

 ここに来て、初めてルミアは魔人が狼狽する声を聞いた。

 有り得ない、と。人間には抵抗することさえ許されないと声高に語った魔人が、反証のように展開される光景に猛り狂っている。

 

 正確には、【メギドの火】はそのエネルギーの大半を削がれただけであって、地上に向けて放たれてはいた。

 異常事態による若干のラグ。本来よりも数秒の間を空けて放たれた火は、それでもアルザーノ帝国魔術学院程度であれば滅ぼすことができたはずだった。

 

 だが、目の前に広がるのは健在の校舎。原因は不意の攻撃だけではない。そう気付いたとき、校舎の上空に聳える蒼い輝きが波打った。

 

『【ルシエルの、聖域】───ッ!!』

 

 僅か数秒の時間稼ぎ。それが可能にした奇跡。

 紙一重で成り立つ、まさしく悪夢のような一瞬だった。

 

『何故───何故、何故、何故だ! 何故生きている! 何故、まだ存在していられる……!?』

 

 狂乱したように魔人が叫ぶ。視線の先はルミアと同じ、姿を晒す建造物。

 

 有り得ない。こんなことはあってはならない。

 

 超常の存在を前にして、なおも生き延びることなどあってはならない。あるはずがないのだ。そうでなければ、ラザール=アスティールがアセロ=イエロに堕した理由がなくなってしまう───

 

『馬鹿ね。あなた、人間舐めすぎじゃない?』

 

 それに答えたのは、魔人と同じ理外の者。

 ルミアとそっくり同じ顔立ちの、捻じくれた翼を広げた少女だった。

 

 半透明に揺らぐ少女はルミアを守るように、喚く魔人との間に立っていた。呆れたような憐れむような、そんな視線を向けながら。

 

「ナムルス、さん……」

『……人間は、単体では確かに弱い。だけど、未来を諦めない力と集まったときの爆発力は底がないわ。そこのところ、人間を辞めたあなたは忘れているようだけど』

『諦めない……!? その程度のことで変わるものか! 皆で力を合わせれば未来が拓けるなど、そんなことは幻想に過ぎないッ!!』

『そうね、幻想だわ。万が一よりも低い確率でしょう。でも実際起きているのだから、否定なんて誰にもできない。違う?』

 

 淡々と語るナムルスの眼前、魔人は凍り付いたように動かない。

 

『あなたは、未来を望んだただの人間に負けるのよ』

 

 耳に痛い静寂の中、俯いたそのフードの奥で闇がさざめいた。

 

『……ふざ、けるな』

 

 静寂が破ける。人間であれば血が流れるほどにきつく拳を握り締めて、魔人がようやく口を開いた。

 

『ふざけるな───ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな───!!』

 

 闇と共に激情が噴き出し、力場となって一帯を打ち付ける。

 ルミアを戒めていた楔が砕けて衝撃と共に床に叩き落とされるが、それに構う素振りも見せずに魔人がローブを掻きむしった。

 

 ナムルスの言葉のなにが逆鱗に触れたのか、先ほどまでの余裕をかなぐり捨てて吠え猛るその姿は、どこか哀れみさえ感じられるもので。

 

『人間は弱い! 英雄と呼ばれようが大局的な平和を勝ち取ろうが、なに一つの犠牲もなく! 勝利するなど、許されることではない!!

 そうでなければ、私は、彼らは、一体何故、あの時───!!』

 

 誰も彼も、神の名を、愛しい人の名を呼びながら死に逝くような地獄が出来上がるのか。

 

 始まりの地点。()()成り果てることを自ら選んだ男にとっての地獄。

 意志持つ神は、決して人々を救わない。神はいない。それを悟ったあの戦争を、ラザール=アスティールは忘れない。

 

 だからこそ諦めない彼らが腹立たしい。未来があると思えてしまう、絶望を知らない人間たちが妬ましい。

 必死に戦えば報われるなんて、そんな都合の良い話などどこにもありはしないのに。

 ありはしないのに───どうして、彼らはここまで生き永らえているのだろう。絶対に勝てるはずのなかった石兵が壊された。普通なら辿り着けないはずの空間を突破された。近づくことさえ許さないはずの砲塔は悉く壊された。

 

 無謀にも自身に剣を向けた人間たちの光景を思い返す。

 ああ、あの蛮勇がすべてを救うなど、そんなことは有り得ない。

 

『そうだ……私は、私の信仰を取り戻す。貴女を殺し、フェジテの民を殺し、悉くを滅殺した後に、偉大なる大導師様に真なる神を捧げるのだ……ッ!』

 

 バイザーの奥に潜む双眸が憤怒と憎悪に燃える。

 なにが魔人の精神に疵をつけたのか、ルミアにはわからない。

 二百年前、邪神との戦争に終止符を打った華々しい英雄の抱えた闇など、ルミアにはわからない。

 

「──────……」

 

 ───そもそも、ルミアの耳には魔人の慟哭など届いてはいなかった。

 彼女が耳を傾けているのはその裏、か細く聞こえる仲間の声。

 

 届くはずのない声が、見えるはずのない光景が、今のルミアを埋め尽くしていた。

 

「情けない……本当に情けないッ!」

 

 そう叫びながら地上へと逆走する彼らは、ルミアを事の元凶として手酷く罵ったはずの少女だった。

 いや、少女(エナ)だけではない。自分たちは悪くないのだと縮こまっていたはずの、実際その通りであるはずの少年少女が皆、今さら戦場に加わろうとしている光景に敗走してきた生徒たちが目を剥いた。

 

 なぜ、今さら、と。

 

 どうして今まで戦わなかったのかではなく。どうして今になって戦うと決めたのかと。

 

「逃げ、られるか……! 放っておけるかよ、こんな状況でッ!?」

 

 震える足で踏み留まる。

 戦う理由など、あってないようなものだ。それでも───逃げないために、奮い立たせるために素直な思いを吐き出した。

 

「今さらだなんてそんなことはわかってるわよ! 今だって逃げ出したい、逃げ出したいけど……! あんな顔で! 私たちと変わらないただの女の子を戦わせて、それなのに───私たちだけ、逃げられるわけないじゃない……!!」

「くそ、くそ……! そうだよ、その通りだよ! 第一、こんな状況でもまだ誰かが戦ってるのに、ここまでお膳立てされてるのに、むざむざ潰走するなんてできるはずないだろ……ッ!?」

 

 震えて丸まっていた誰かが、逃げ出していた誰かが、たった一瞬の光景に奮い立たされて歩み始める。

 手当たり次第に、難を逃れた魔術式に手を当てて魔力を流す。ギリギリで持ち堪えた結界が、力強く空で輝きを放っている。

 

 巨人を消し飛ばした光景が、必要だったかどうかはわからない。

 否、あの一瞬がなかったとしても、彼らは奮い立つだろう。

 

 それでもこの一瞬だけは───紛れもなく、あの景色が呼び込んだものだった。

 そしてそれは、彼らだけの話ではなく。

 

「……維持限界、回復しました! 推測される対地上用兵装もほぼ壊滅と見ました、これなら……!」

「……かーッ! なにが起きとんのかサッパリじゃわい! つか、あんなことができるんならさっさと切ってくれれば───いや、そりゃ虫の良い話か!」

「ですが、そのおかげでなんとか持ち堪えました。未だに小型のゴーレムは残っていますが……それもあともう少しです、乗り切りましょう……!!」

「応とも!!」

 

 一方的に告げられた言葉に従って、全力で結界の維持に力を回していた二人が勢いを盛り返す。

 微かな違和感はあるが、得体の知れない弟子1号のすることだ。『できる』と当人が判断して周囲に伝えたのであれば、必ず遂行するだろうという信頼があった。バーナードはその辺り、弟子をよく理解しているといえるだろう。事後承諾というか一人で決めて実行してしまうところは悩みの種なのだが。グレンもさぞ手を焼いているに違いない。

 

 消滅を免れたゴーレム群への対応を再開しながら、クリストフが周囲を鼓舞する。バーナードもまた、魔力を提供するための術式から手を離して拳を握り直す。

 ほんの一瞬だけ、空を見上げた。

 

「これが終わったらお疲れ会するんじゃろ。全員で生き延びるぞ、バカども」

 

 ───誰もが、誰もを思っていた。

 アセロ=イエロ討伐部隊に希望を託し、それ以上に、彼らの無事を願っている。

 

 この状況を引き起こした、ルミアのことでさえも。

 

「ルミア───! お前、戻って来なかったら承知しないからな……!!」

「言いたいことはあるけど、そんなの全部戻ってきてからなんだから!! さっさと終わらせて、帰ってきてから、また学院で好き放題言ってやるッ!! だから───」

「───がんばれ、ルミアちゃん! 俺たちは大丈夫だから! 勝って!! みんなで!! お疲れパーティー、するんだからな───!!」

 

 口々に、地上の生徒がルミアへの言葉を叫ぶ。

 お前がいなければ、と罵る声ではなく。お前がいなければ、とルミアを呼ぶ声。

 

「みんな……どうして……」

『……まったく、手のかかる子なんだから』

 

 ナムルスが、柔らかく微笑んだ。

 呆れたような言葉でありながら、声には確かに慈愛が含まれていて。

 

『あなたの嘘なんて、みんなわかってるのよ。だから、ほら。言っちゃいなさい。───あなたの望みは、なに?

 みんなのために死んでもいいなんて、それ、本当にあなたの願いなの?』

 

 胸が痛い。

 望んでしまう自分が、吐き気がするほど嫌になる。

 それでも望んでしまう自分を、許してくれたことが嬉しくて、知らぬ間に言葉がこぼれていた。

 

「……私、居ても……いいの、かな……」

『その答えは、さっき聞いたでしょう?』

「みんなのことを巻き込んで、傷付けて、なにもできなくても……生きて、いても……いいの……?」

『お馬鹿なルミア。……そんなの、言うまでもないでしょう?』

「───っ、私、私は……!!」

 

 堰を切ったように、押し込めていた願い事が溢れ出す。

 もう誤魔化せなかった。言ってはいけない、望んではいけないと自分を律することさえ、もうできなくて。

 

「……やだ。嫌だ……っ! 私だって、みんなと一緒にいたいよ……! 今の私を捨てたくない! 帰りたい……っ、あの学院で、ずっとみんなと一緒にいたいよぉ───!」

 

 主人の涙に呼応するように《銀の鍵》が一瞬だけ白く輝いた。今までの禍々しい銀とは違う柔らかな光。人の願いを叶える光が、空間を照らし出して薄れていく。

 その光が消えたあと。ルミアの手には、もはや《銀の鍵》は握られてはいなかった。

 

『───ああ、ざぁんねん。

 あなたは、自分のワガママを通すんだね?』

 

 そんな声が一瞬、ルミアの心を撫でて、また消えていった。

 

『……消えたぞ? 《銀の鍵》が。なんのつもりだナムルス。むざむざ、偽りの巫女を死地へと送り出すつもり───』

『黙りなさい。あなたこそわからないの? ……いいえ、わからないのね哀れなラザール。そんなもの、必要ないから手放したに決まってるじゃない』

『なに……?』

 

 訝しげな声が漏れる。

 勝ち誇るようなナムルスの視線の先にいるルミアは、《鍵》の代わりに自分の身体を抱いていた。

 

「ごめん……なさい……」

 

 ぽろぽろと、卑怯だと思っていても涙が溢れる。

 こんなのは、卑怯だ。自分のせいで不幸になった人がたくさんいるのに、数えきれないくらいにいるのに、自分だけ助かるなんて、そんなのは許されない。

 許されないと抑えつけながら、それでも───

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 ……助かりたいと、思ってしまう。

 優しい人たちの輪の中で、自分も幸せに生きていたいと思ってしまう。

 『助けてほしい』と言ってしまえば、優しい彼らは全力で、真剣に、ルミアを助けるために力を尽くすだろう。その結果どれだけ自身が傷付こうとも気にも留めず、恐ろしいと嘯きながら死地へと身を躍らせる。

 

 それを───嬉しいと思ってしまった。消えたくないと願ってしまった。

 命に代えても守らなければならないなんて嘘だ。

 繰り返し口にしたのは自分自身に言い聞かせるため。

 『そうあらねばならない』という罪悪感と使命感。

 

 でも。

 

「ごめんなさ、ごめ……っ、ごめん、なさい……」

 

 ……そんなもの、自分の願いの前ではちっぽけなものだった。

 手放したくない。消えたくない。失くしたくない。どうしようもなくわがままで、わがままな自分を殺しきれない人間だった。

 

 次から次へと溢れる涙を拭う間も無く、口から出るのは誰に向けたかもわからない謝罪の言葉。

 

『───手放すな。まだいたい場所が、いられる場所があるのなら。

 ……それが、失われていないなら』

 

 自分のせいで傷付いたはずなのに、なんでもないような顔でそう語った友人の言葉を思い出す。

 あれは気遣いなんかじゃなくて本心だった。彼は心から、ルミアの平穏を案じていた。ああ───いっそ気遣いであったのなら、どれほど楽だったことだろう。

 ルミアが失わせたものに、ルミアは報いることなどできないのに。

 

 だけど、わかっていた。心の奥底でわかっていた。

 みんな、そう言ってくれるだろうということ。受け入れてくれるだろうという憶測と、期待。

 なんて卑しい娘だろうと自己嫌悪に陥ってしまう。だから自分自身を騙して、罵倒する声に安堵して、かくあるべしと決めていたのに。

 

「ごめ───」

「───もういいよ、ルミア」

 

 ぽん、と暖かな手のひらがルミアの頭をそっと撫でた。

 慣れ親しんだ熱。焦がれて焦がれて仕方のないルミアのヒーロー。

 夢じゃない。幻じゃない。

 

 大きな手が、確かに泣きじゃくるルミアの頭を撫でていく。

 

「ひとりでよく頑張ったな。大丈夫だ、俺たちが来た。ぜんぶ聞こえてた。

 ……生徒のそんな当たり前で小さな願い、叶えてやんなきゃ教師失格だよな」

 

 優しい声。

 

 誰かが一人で犠牲になることなど認めないと、語るような声。

 

 そっと、頭上を見上げる。

 そこには、三年前の口約束を守り続けてくれた───そして、今も守ろうとしてくれるグレン(大好きな先生)と、大好きなみんなの姿があって。

 

「─────────あ」

 

 そこで、完全に心が折れた。

 

 誰も自分を責めてくれない。受け入れてしまう。

 

 それがなにより嬉しくて、後ろめたくて、そんなつもりじゃないのに次から次へと涙が勝手にこぼれてしまう。

 

 だって、自分はいてはいけない人間だった。

 傷付けてばかりで、それが許されるような善いことなんてできなかった。

 せめて良い子であろうと、聖女であろうと振る舞ったところでこのざまだ。

 

「遅れちまって悪かった。でも、これで終わりだ」

「……せん、せい」

 

 なのにそんな醜い自分ごと、みんなは肯定してくれたから。

 だから───

 

「遅くなってごめんなさい、ルミア!」

「ん! 遅刻した!」

 

 地面を擦り、微かな埃を巻き上げながら三人の人間がルミアを守るように魔人との間に立ち塞がる。

 

「私、失敗したこととか、できなかったこととか色々あるけど! でも今は───ルミアを、守りたいから……!!」

 

 後のことは後で考える。とにかく今は、失いたくないもののために全力を尽くそうと銀髪の少女は親友の前に立つ。

 その隣で。これ以上、絶対に奪わせない。なくさない。間に合ってよかったと喜びながら、奥歯を噛み締めながら、一人の少女はそっと目を閉ざした。

 

「……うん。

 ルミアは、こっちにいたいって、言ってくれたから」

 

 瞳を開く。

 剣を握り直して、それだけを支えに前を見る。

 

「グレン、システィーナ」

「ああ」

「ええ」

「───あいつ、やっつけよう」

 

 短い会話。主導権はもはや魔人の手にはなく、物語は転を迎えて結へと滑り落ちる。

 『怪物』は『英雄』に討たれるが定め。ましてやここに居るのは人のまま、己が身のままで正しく走る()()()()()

 

 ───たった一人の怪物が、勝てる道理があろうはずもなく。

 

『おのれ───おのれ、おのれ、おのれおのれおのれおのれ───!!』

「へっ、言ってろこのまっくろくろスケめ! 言っとくけどなぁ───」

 

 わかりきった結末。

 

「俺のかわいい生徒に手ェ出しといて、無事に帰れると思うなよ───!!」

 

 勝鬨の代わりに、どこかで魔銃が火を噴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、戻ったらみんなに言いたいことがあるんです」

 

 崩れゆく船を置き去りにして凱旋する彼らの中、口火を切ったのはルミアだった。

 その顔はどこか晴れやかで、未来への希望に満ちていた。

 

「言いたいこと?」

「はい。ごめんなさいと、ありがとうって。みんな、私のことを許してくれたから……」

「……そうか。そりゃ、大事なことだな」

 

 傷付きながらも英雄たちを乗せて空を飛ぶセリカの背を撫でながら、ゆるりと頬を緩めた。

 誰が悪いとか、そういう責任の所在を問う話ではなくて。本人のけじめと、彼女が本当の意味で未来へと()()歩むために必要な儀式なのだ。

 

 鮮やかな空と、空に融ける船に思いを馳せる。

 自分たちは、奇跡を勝ち取ったのだ。

 

 これからも問題は続くだろうけれど、きっと、みんながいればバッドエンドなんて訪れない───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────今、なんて言った?」

 

 そんなふうに、おもっていたのに。

 

「……はい。みなさんの尽力のおかげで、死者は一人もいません。点呼で欠けていた人も、いませんでした。……()()()()()()

 

 沈痛な表情。グレンたちを笑顔で出迎えたカッシュたちの、その笑顔の裏に潜むもの。

 『せめて、グレンたちが無事でよかった』という、寂しい笑顔。

 リィエルだけが、わかっていたとでもいうように顔を伏せていた。

 

「アシュリー=ヴィルセルトくんの安否だけは、不明です。

 ……ごめんなさい、グレン先生。

 戦いが終わったのに。彼だけ、どこにもいないんです……!」

 

 フェジテ最悪の三日間。

 負傷者、多数。死者、ゼロ人。

 

 ───行方不明者、一人。




次回、戦争の後処理編。

あと作者のことをプロトマーリン呼ばわりした人、怒らないから出てきなさい。
ただちょっとあちこちメンタルとかフラグとか世界とか人命とかバッキバキに折っただけでそんなにひどいことしてないだろ。
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