夜、恋人のために窓下で歌う歌、若しくは演奏する楽曲。
全力の8割を出している白蘭に対し、綱吉は未だ5割しか出していない。
(これなら、きっと……!)
最早確実になった勝利に僅かに安堵したレイは、直後に走った痛みに、片膝を突いた。
杖代わりの剣で体を支え、こほ、と咳き込めば、赤黒い液体が地面を濡らす。
「レイさん!! お願いです、もう…!」
「ハハ、だから強引だって言ったんだよ。
幸せになるべき少女の懇願の声も、“似ている”と勘違いしたままの男の嘲笑も、途切れ途切れにしか聞こえない。
元々ボロボロだった彼女の体は、白蘭の言う通り限界をとうに迎えていた。
そして本格的な炎の供給が始まったことにより、絶対零度の炎がその体を包み込む。
寒さに強くはあるが、それはあくまで人の範囲内。極寒の中生きていける程、彼女は人間離れしていない。
おしゃぶりに供給すべき生体エネルギーは、まだ底を突いてはいない。
けれど供給経路たる肉体は、過剰負荷に耐えられず自壊を始めている。
誰がどう考えようと、『詰み』だった。
それでも。
それでも、諦められない。
否。諦める訳にはいかない、理由がある。
「だから、なんだと、言うのですか」
体が限界だから、何だと言うのだ。
私のしたことは、全て無駄だったと?
「
血を吐くように絞り出された声には、覇気が込められていた。
上空の白い姿を睨む深青の眼差しには、強い意志が宿っていた。
かつて、双の剣に掛けた誓い。
双剣の片割れを受け取った王は最早亡い。
あの朝焼け色は、もう手の届かないところに逝ってしまった。
けれど、それでも。
その思いは、夕焼け色を宿す少年に受け継がれているから。
その事実を確かめるように、
呼応するかの如く、その体を包む白の炎が一段と勢いを増した。
「やめろ、レイ!!」
聴覚機能が失われつつあるというのに、その声は鋭くレイの脳髄にまで届く。
これ以上なく身勝手に、自ら命を投げ捨てているというのに、その声は変わらずレイに優しい。
視界が潤んでいると悟られないよう、顔を伏せた。
死ぬことは恐ろしくない。
幼い頃から当たり前のように近くにある、可能性の一つだったから。
その一線を超えた先に、大好きな家族がいると知っているから。
それなのに今は、恐ろしくないというのに厭うてしまう。
「叶うの、なら……きみたちと、おなじ…あしたが………」
紡ぐのは、レイが本当に望んでいたこと。
けれどか細い声は、空の友にも、結界の外の友にも届かない。
「やめて、レイちゃん、やめて…!!」
「お願いですから…!!」
友人達の叫びにも、もう応えない。応えられない。
彼ら彼女らと過ごせるだろう『明日』に、未練がない訳ではないけれど。
最善の未来へと至ること叶った満足感も、確かに存在した。
友人を一人も取り零さず、自分によく似た、けれどまだ幸福を掴める少女も無事だ。
(ああ───だから、なのですか)
綱吉が白蘭と相対しているところで終わった、セピラの予知した未来。
何故そんな中途半端な場面で途切れているのか。その疑問の答えが、不意に出た。
きっと彼女は、怖かったのだ。
管理者側である故に、アルコバレーノのこともよく知っていて。
それに選ばれた己の子孫が、どうなるかわかってしまって。
だから、見たくなかった。
結果として、見なかった。
そして、救われて欲しいと願った。
抱いた想いを勇気を振り絞って告げて、その答えすら得られぬまま死ぬことなど、ないようにと。
愛するひとと、予知にもない明日を生きていけるようにと。
だから、レイに託した。
結果として、ユニは救われた。
ユニとは違い、もう
愛の言葉を告げられることも、その答えを返すことも叶わない少女によって。
愛するひとは彼岸の住人となり、添い遂げるには命を絶つしかない少女によって。
収まるべきところに収まった。
そうとしか思えない顛末に、レイは薄く苦笑いのような、嘲笑のような笑みを浮かべた。
その、直後。
「よし! 今です!!」
ブレインコーティングにより
けれどそれも、大空の炎の結界を前にしては無力同然。
「くそっ、ダメだ!! 一時的な小さなキズしか与えられない!!」
それでいい。
そう霞みがかってきた思考の片隅で、レイは思う。
果てるのは一人で十分だ。
巻き添えなど、許さない。
彼らが、大切な友人達が、犠牲になるなど…。
「───これだけあれば、充分だよ」
落とされた言葉に、切れ掛けの思考の糸がほんの僅かに太さを増す。
その声は優しくて懐かしくて、そして何より愛おしい。
けれど、今この瞬間この場所で、聞こえるはずがないもの。
ゆらりと、バランスを崩しながらも見上げた先にあるのは、濡羽色。
なのに、どうしてか。
今の彼女には───それが、柔らかな
同様に、青灰色の双眸は鋭さをそのままに氷河の如きアイスブルーへ。
その身に纏うものすら、形見も同然になったトレンチコートにしか見えなくて。
───その全ては運命の分かれ目であったあの夜、
それは終焉を悟ったレイの脳が、無意識下の願望を汲み取り見せた幻か。
はたまた、死に瀕したことで鋭さを増した第六感が、そこにいるのが他でもない彼であると察知したのか。
どちらであったとしても、彼女の瞳が映す、目の前の存在は変わらない。
───もう二度と聞けない声。
───もう二度と見れない色。
愛し愛され、けれどその想いを告げることは叶わないひと。
想う度泣き叫びたくなる程に恋慕し、しかしてとうの昔にその手からすり抜けてしまったもの。
夢幻でしか有り得なくて、けれど絶対にそうだと思いたくはない───彼女が、レイ・オルテンシア・イヴがこの世界で最も愛し、そして焦がれる姿。
「ど、して」
口から零れたのは常ならば有り得ぬ、酷く意味のない言葉。
有るまじき失態に、思考能力の低下を悟る。
けれど、彼はその問い掛けに応えてくれた。
腰に手を回され、引き上げるように抱き寄せられて、ずっと聞きたかった声が耳朶を擽る。
「わかりきったことを訊くね? 君を、独りにしないため…いや」
やっぱり忘れて、と乱暴に抱き締める彼に、レイはそっと体を預ける。
諦められなかった、優しい温もり。
もう遠いいつかと、変わらぬ温度。
朧げな感覚を通して伝わるその存在の全ては、生涯愛すると誓い、そして焦がれに焦がれたものと何一つとして変わらない。
まるで欠けていた半身を取り戻したかのように満たされて、とろりと溶けてしまいそうに細めた瞳から、雫が一つ流れ落ちた。
「ほら、それだから子供扱いされるんだよ」
呆れたような口調なのに、頬を拭う手付きは優しくて。
いつに変わらぬその様子に、思わず唇が綻ぶ。
聞きたい言葉があった、はずだった。
何かに刻む形で遺され、そして長い歳月の果てに知るのではなく。
他の誰でもない彼の声で、告げて欲しい言葉が。
(ああ、でも)
───この温もりを、再び感じられた。
それだけで、もう十分だと思えてしまう。
それだけで、何もかもが報われている。
我ながら、単純なことこの上ない。
子供扱いだって、今だけは許せてしまえる。
だから、どうか。
子供のままで構わないから。
どうか───子供じみた我儘を、聞いて欲しい。
刹那、役割を終えた白いおしゃぶりが砕け散る。
残された闇夜の色だけが、地に落ちた。
・最期に我儘を言ってしまった雪
ずっと我慢していたのに、泣いてしまった。
これは人の思いを踏み躙るもので、きっと次会った時にはたっぷり叱られるんだろうけど。
でも、それでも───
・結局放っておくなんてできない雲
他の誰でもない己として、そうすると決めた。
独りで逝かせるなんて嫌だし、独りで遺されるのも嫌。
・実はずっといた霧
……………ゑ?
現実を直視できないししたくない、妹を抱き締めた雲に嫌な予感がしているがそれどころじゃない。
おいマーレのクソガキ、ちょっとツラ貸しなさい。
・リングの中の大空
予想はできていたので驚きはない。お前らならそうするよな。これが平時なら雲をぶん殴っていたが、状況が状況だったこともあり、雪の幸せそうな笑顔で帳消しにしてやることにした。
ただそれはそれとしてツラ貸せマーレの小僧。