1.家出
「エルフィーっ!はーやーくっ!」
黒髪の少女はダンダンと地団駄を踏みながらひどく殺風景な部屋で姉である白髪の少女を待っていた。
「わかった。わかったから…。」
エルフィーと呼ばれた白髪の少女、エルファバ・スミスは眠そうにあくびをしながら妹であるエディ・スミスに引っ張られて階段を降りていく。
「エルファバ?エディ?またこんな朝からどこかに行くの?」
エルファバとは血の繋がっていない母親は怪訝そうに聞く。また白髪とシワが増えた母親の機嫌がいいことは好都合だった。
「あー、えーっと…。」
「友達に会ってくる。」
「そうそうっ!エルフィーの友達にね!」
「そう…暗くなる前に帰って来てね。」
エルファバは再びエディに引っ張られる形で外に飛び出した。
イギリスの夏の平均気温は17度。アメリカなどに比べれば全く夏とは言えない。世界には夏に40度や50度を超える場所もあると父親が言っていた。
「あたし、いつかハワイ行きたいなあ!砂浜でゴロゴロして、冷たい水の中で思いっきり泳ぐの!エルフィーってさ、夏にも氷作れるの?」
「作れるわよ。」
「じゃあ、エルフィーが海の中で、氷の椅子を作ってくれたらそこで座りながら海水浴できるね!」
「うん。」
エディは屈託のない笑顔で笑う。
数年前までエディとエルファバはしっかりとした姉妹関係を築いていなかった。いつの間にかエディの身長は同じくらいになり、仲良くなった1年でエルファバを越えてまるで植物が伸びるように背が高くなる。けれど笑顔は小さい頃から全く変わっていない。エディの笑顔で救われている人もたくさんいるだろう。
この笑顔をなんとしても守りたい。
エルファバの思いはただ1つだった。
エルファバとエディはバスと地下鉄を使ってロンドンの中心街までやって来た。この周辺の治安は良いとはいいがたい。
「キングスリー、おっはよー!!」
「おはよう。」
ナイキのTシャツにGAPのジーンズを着こなす長身の黒人男性はエルファバとエディを見つけて微笑んだ。
「毎回すごいねキングスリー。本当にマグルみたい。」
「エディ声が大きいわよ。」
キングスリーの声は人を落ち着かせるような不思議な力がある。
「マグルに溶け込まないと、共存とはいえないからね。さあ、行こう。」
彼の後を嬉しそうについて行くエディ。エルファバは街中の喧騒を横目で見ながら、その中に溶け込むキングスリーの背中を見た。
それは夏休み初日。
見知らぬフクロウが手紙を咥えてエルファバの部屋にやって来た。その手紙はエルファバもエディも知っている懐かしい字体で書かれていた。
ーーーーーーーーーー
エルファバとエディ
久しぶり。元気かな。
急で申し訳ないが今日の午後君たちに会いたい。できれば君たちの親には内緒にしておいてほしい。君たちの家の近くのカフェで待ってる。
R.J.L
ーーーーーーーーーー
エルファバはエディに何も告げずにカフェへと連れて行った。
『やあ。久しぶり。』
1番奥の目立たない席で、エルファバの3年の時の闇の魔術に対する防衛術の教授であるリーマス・ルーピン教授がエルファバとエディを見つけてぱあっと笑った。
前よりもかなりやつれてみずほらしくなっていたが、そんなものが見えなくなるほどにとても嬉しそうだった。てっきりエルファバはエディもまるで口の中で跳ねるキャンディのように喜ぶと思ったのに、エディは烈火のごとくルーピン教授に怒った。
『もおおおっ!!!なーにが久しぶりよおおおお!?手紙もなにもいっさいがっさいよこさなかったくせにいいいいいいっ!!バアアアアアアカっ!!』
店内の人がみんな振り返るほどの声でエディは怒鳴り、ルーピン教授の胸をポカポカ叩いた。
『ごめん、ごめんねエディ。』
ルーピン教授は困ったように怒るエディをなだめた。なだめた後にルーピン教授はエディにはオレンジジュースとケーキを、エルファバには紅茶をご馳走しながら説明した。
ヴォルデモートは復活した。ハリーとアダムの証言が一致したことからダンブルドア校長は事実と断定し、闇の陣営に対抗する秘密結社を結成した。
それが、不死鳥の騎士団。
本拠地はグリモールド12番地、シリウスの実家らしい。その実家はもう数十年使われていないらしく、人が住めるレベルではないとのことだった。そこで毎日エルファバとエディに掃除をしてほしいというお願いだった。
『掃除という名前の保護でしょう?』
『エルファバ、君は変わらず賢いね。』
ルーピン教授はチラッと周りを伺ってから話を続けた。
『夏休み初日にダンブルドアが君のお父さんに騎士団のことは伏せて、エルファバとエディの保護を申し出た…けど、ダメだった。ダンブルドアはエルファバの”力“を利用すると疑ってかかった。』
それはホグワーツから家へ戻ってきた時の反応でなんとなく察しがつく。
『正直、保護者であるデニスに許可なく君らを保護することは騎士団内でも賛否両論あった。だから君らに”シリウスとハリーの新居掃除を手伝ってもらう”という名目で通ってきてもらいたい…面倒だけどいいかな?』
ケーキで機嫌を直したエディは、ルーピン教授や友達に毎日会えるならとオッケーした。エルファバも承諾した。幸い、父親も忙しくあまり家にいない。
エルファバとエディがグリモールドへ通うことはそこまで難しくはなかった。
「いらっしゃい。エルファバ、エディ。」
ミセス・ウィーズリーはエルファバとエディを抱きしめて頬にキスをした。
「毎回お掃除手伝ってくれて助かるわ。ここったら本当に陰気臭くて、もう気が滅入っちゃいそうなの!」
ミセス・ウィーズリーがエルファバから離れながら嘆く。ミセス・ウィーズリーの髪の毛の間からその髪と全く同じ色の髪を持つ双子がこちらに目配せをする。
「今日は客間の掃除をしますね。」
「いいえ、あなたにはシャワー室を洗ってほしいの。」
ミセス・ウィーズリーは優しく、しかし異論は認めないといった口調である。エルファバは双子が残念そうに舌打ちをしているのが聞こえた。おそらくミセス・ウィーズリーにも聞こえただろう。
「少し休憩してからにします。」
エルファバはミセス・ウィーズリーの腕と、さっきから訝しげにエルファバを見るルーピン教授の視線を逃れ、気色悪い屋敷しもべ妖精の首が飾られた壁や蛇のモチーフのタペストリーを通って双子とエディと4人で階段を上がって奥の部屋に入った。
「どうだった?」
最近ますますひょろりとした双子の弟であるロンはバッとベットから飛び上った。その隣の机で本を読んでいたマグルの優等生であるハーマイオニーも4人が入って来たら即座に本を閉じた。
「多分俺らの目的バレてんな。」
「そんなあっ…。」
ロンはまたグデっとベットに寝っ転がった。
子供たちは騎士団の会議に参加するのを禁じられていた。あの手この手で聞き出そうとするが、なかなかうまくいかない。フレッドとジョージ開発の伸び耳の存在も一昨日バレてしまい、会議をするキッチンのある部屋には防御呪文をかけられてしまった。
光の見えない絶望の中、フレッドとジョージが言った。
『『チビファバの氷だったら、行けるんじゃねーか?』』
エルファバはホグワーツで学ぶ魔法以外に不思議な"力"を持っていた。それは杖を使わずに凍らせたり、雪を降らせたりするものだった。それに杖から出された魔法は効かず自然に溶けるか、たった1つの呪文でなければ消すことはできない。
フレッドとジョージの考えはこうだった。
客間は騎士団が会議をする場所の真下なのでエルファバが客間を掃除するフリをして 床の壁を薄く凍らす。そうすれば客間に声が漏れる。
「まあ、そのくらい視野に入れてるでしょうね。」
ハーマイオニーは最初から分かってたわ、と自分の本を片付ける。
「でも上手く客間にチビファバ忍びこめれば!」
「こっちのもんだ!」
「「お前の小ささならいける!!」」
「さっきからチビチビって…!私はチビじゃない!!」
「エルフィー、その反論は無理があるって。」
エルファバはキッとエディを睨んだ。
「大体私もう3回も捕まってるし、これ以上"ハリーのパパ"の餌食になりたくない。」
見つかった時にいつも生贄にされるのはエルファバだった。貧弱で小さい哀れなエルファバ(本人に言うと凍らされそうなので黙っているが)は見つかっても大人たちが怒る気力を削ぐらしい。そのため、怒られに行くのはいつもエルファバである。実際、一番怒るミセス・ウィーズリーもエルファバを見ればたしなめる程度で終わるのは事実だ。
問題は"ハリーのパパ"ことシリウス・ブラックである。
ハリーと一緒に生活していたチェルトナムにある家は騎士団のリーダーであるダンブルドアにより使用を禁じられた。ヴォルデモートが復活した今、ハリーに及ぶ危険は高くまだ2回しか戻っていない家はハリーにとって家と呼ぶには馴染みがないため、保護呪文が薄い可能性があるとのことだ。シリウスは基地として実家を提供したわけだが、彼にとってここで生活するということは苦痛でしかないらしい。おまけに
「おい、エルファバ。」
(ほおら、来た。)
ナイスタイミング、バットタイミングと言うべきか。髪の毛が顔にかかり、黒いローブを着たシリウスが扉の前に立っていた。ハリーのために身を投げ打ってアズカバンから脱獄した時に比べると見違えるほどの変化だった。正式に無実となった彼はかつてのハンサムな顔に戻ったのに加えて大人の渋みを付け、今や別の意味で人目を引く(ジニー曰く「あれはすごいわ。私ファンになっちゃいそう!」)。たとえ、究極に機嫌が悪そうで貧乏ゆすりしながら壁に身を委ねても様になる。
「買い物行くぞ。」
「…昨日行ったばっか「水がねえんだ、行くぞっ!」」
エルファバは行ってきます…。とものすごく行ってきたくなさそうな声を出して、シリウスに引っ張られていった。
(これはなにか言われたに違いないわ。)
シリウスは家にいたくないあまり、常にエルファバかルーピン教授をどこかに振り回す。ものすごい譲って外に行くのはいいのだ。しかしシリウスはエルファバをバカにするのでエルファバはあまり楽しくない。フレッドとジョージは見境があるのだが、シリウスはないのだ。さらに譲ってそこはいいとしよう。
エルファバが見つかるとまるで、餌を見つけた野良犬のようにシリウスがやって来ていろいろ言われたりされたりする。残念なことにエルファバを生贄にするとちょっとシリウスの機嫌が良くなるので〝エルファバいじめ″はある一定の度を超えない限り黙認されている。それもエルファバは承知している(万が一シリウスがエルファバの嫌がることをしたときはルーピン教授がストップしてくれると約束してくれた)。ちなみにエルファバ的に1番屈辱的だったのは"高い高い"(誕生日は定かではないがエルファバは15歳である)をされたことだ。それに関してはされた瞬間、エルファバが固まって玄関ホールを氷漬けになり、シリウスはもれなくエディから飛び蹴りと3日間ハーマイオニーとジニーから軽蔑の目で見られ、ルーピン教授からはネチネチ嫌味を言われるという特典をゲットした。4人が仕返ししてくれたため、満足したが一生許さないとエルファバは決めている。
周辺はダウンタウンであり、軽くショッピングを行うのに最適なエリアだ。洋服や食料品店で賑わうそのエリアを見るのはエルファバは好きだった。
「おい、お前の好きな番組やってるぞ。」
「セサミ・ストリートなんかもう見ないわ。」
(というかそもそもシリウスはなんで知ってるのよ純血の魔法使いなのに。)
街頭にあるテレビに映るクッキーを頬張る青色のモンスターをお前のせいだとばかりにエルファバは睨む。
「あの服可愛いな。着るか?」
「着ません。」
赤ちゃん用の服のお店を嬉々として指差すシリウスをエルファバは睨みつけた。今日はいつも以上に見境のない日だ。
次はあのおもちゃ屋さんにある人形使うかだろうな。
「あの人形買ってやるぞチビちゃん。」
(ほらね。)
「…。」
「なんか反応しろよつまんね。」
エルファバはシリウスに何か言い返そうとキョロキョロと周囲を見渡し、そして見つけた。
「あそこにかっこいいバイクがありますよ。乗りますか?」
エルファバは子供用のカラフルな三輪車を指差した。
ーーーー
「…おかえり、エルファバ。」
1時間後、エルファバは戻ってきた。エルファバの髪はいつも以上にボサボサで顔は疲れ切っていた。ハーマイオニーとジニーは、シリウスに何かされたんだなと瞬時に悟った。エルファバはふら~っとベットまで歩いて来て、どさっと倒れこんだ。
「もうシリウスきらいぃ~っ。」
エルファバは近付いてきたハーマイオニーに抱きついた。
「シリウスやだぁ~!」
「泣かないでエルファバ、私が大人になったら呪ってやるから、ね?」
「ありがとジニー…。」
ハーマイオニーはエルファバを抱えたまま、立ち上がった。それほどにエルファバは軽いのだ。
「掃除行くわよエルファバ。」
「そのままつれてってください…。」
「最初からそのつもりよ。」
ハーマイオニーが薄暗い廊下で白い塊を運んでいるのを見て、ルーピン教授は怪訝そうな顔をする。
「エルファバ、またシリウスにいじめられたんですって。」
「ああ…。」
ルーピン教授はもう、分かりきっているというか諦めのため息をついた。
「毎回すまない。彼は、その…20代を過ごしてないから精神年齢が…そのままなんだ。」
「ルーピン教授。でも彼15歳のハリーよりも子供だと思うんですけど。」
辛辣なハーマイオニーに苦笑する。
「そうだね…うん、あとで注意しておく。あと私のことはリーマスでいいよ。」
「ルパンさんは?」
エルファバがムクっと起き上がり、真顔でそう言うとルーピン教授改めリーマスはクスッと笑う。リーマスますますみずほらしくなっているのは確かだが、それでもこの中で誰かと談笑している時は本当に穏やかだ。
「うん、それも悪くない。」
リーマスは嬉しそうに笑う。
今日の戦いの場は、シャワー室だった。
シャワー室はカビが生えたい放題なのに加えて得体の知れないナメクジのような物体が数体ウネウネと這いずり回っていた。今現在は1つあるまともなシャワー室を10人以上で使っているらしい。昨日ロンとジニーがシャワーの時間の長さでケンカしていたことをエルファバは知っている。
「気持ち悪い…気持ち悪い…。」
ハーマイオニーはまるでそれがこの気色悪い物体を消す呪文かのように何度も何度も唱える。エルファバは何も言ってないが、息を吸うたびに床の氷が分厚くなる。
「なんでここが私たちなの?フレッドとジョージなら嬉々としてやってくれるのに…!」
「…。」
(多分それが問題なんじゃないかしら。)
エルファバの考えは外に出ない。それどころではない。
ハーマイオニーとエルファバは口を開かず無言で"ミスター・グリーンのクリーン・クリーン!"をこれでもかとばら撒いて、逃げた。
「あと何室あるの?!」
「3。」
3つもシャワー室があるというのは大したものだし、これから不便さがなくなると思うととてもありがたいが2人からすればあと3回地獄に飛び込めと言っているようなものだ。
「あと3回もあんなところに行くならフラッフィーのいるあの部屋に3回行けって言われる方がマシ。」
「やっほー!」
そこに現れたエディは全身ホコリまみれだった。その運動神経の高さが買われて、シャンデリアに張り付いたドクシーの卵をとったり1センチほどホコリが積まれたタンスの上を掃除していたところだった。
「エディいいいいっ!」
「ちょうどいいところにっ!!」
「ん?」
数分後、シャワー室掃除はエディの登場により無事終了した。
「あんなん怖くもなんともないじゃん。ウネウネしてるだけだって。」
「「それが嫌なの!!」」
ハーマイオニーとエルファバは同時に叫んだ。
「約束通り、あたしの床掃除お願いね!」
「「喜んでっ!!」」
エルファバは階段を、ハーマイオニーが床を磨いている間エディは優雅に手すりで寝っ転がった。
ーーーーーー
エルファバとエディは毎回夕食後にはここを出る。2人でロンドンの街を歩いている時、エディは何気なく言った。
「そういえば、ハリーはいつ来るの?」
エルファバは肩をすくめた。
騎士団に来た初日、ダンブルドア校長は子供達にここの情報を外部に漏らしてはいけないと強く誓わせた。
ここ最近ハリーからの手紙は来ない。最初こそロンやハーマイオニーはハリーにいろいろ手紙を送りハリーも返事をしてきた。
ハリーは母親(エルファバからするとゴットマザーにあたる)の護りが親戚の家にあるため、最低2週間は意地悪な親戚の元にいないといけない。しかし夏休みが始まりすでに3週間が経過していた。シリウスの機嫌が悪いのもこれが原因である。
騎士団のメンバーがハリーを見守っているという話を聞いてはいるが(伸び耳を使って聞いた)、実際のところどのような方針で騎士団が動いているのかは分からない。
「もうシリウスこのままじゃダンブルドアのことなんて無視して強行突破しちゃいそうだけど。」
「ありえるわね。」
「エルフィー大変だよ。シリウスと一緒にいないといけないのに離れなきゃいけないんだもん。」
「私人形じゃあるまいし…。」
エルファバはエディとの会話を楽しみつつも、心の中はどうしようもない孤独と虚無感に襲われていた。
前からそうなのだが、あのグリモールドに通い始めて初めて「家」を感じる。
2年生時にウィーズリー家に泊まった時と同様、最初数日は幸せな家庭と自分の家のギャップに吐き気を感じた。しかし今は、自分がその家庭の一部であると感じる。
騎士団の結成したきっかけは、Mr.Vの復活なので不謹慎だが、温かい人達に囲まれてこんな幸運を噛み締めていいのだと。
「エルファバ、エディ!」
「あ、ママ!」
母親が反対方向からやって来た。白髪とシワが増えた母親。昔はエディは母親にそっくりだったが今はエディも少しづつ父親に似てきた気がする。母親の顔は疲れている。
「持つよ、お母さん。」
エルファバは母親の持つ荷物を少し持った。少しビクビクしながら、母親の反応を前髪の隙間から見る。
「ありがとうエルファバ。優しい子ね。」
母親は笑う。最近母親はエルファバを殴らない。怒鳴ったりもしない。
安堵するが、そもそもこれはおかしいのではないかとどこかでエルファバは、思った。ミセス・ウィーズリーは怒る時は般若のようだが、こちらに非があることは重々理解している。一方でエルファバの母親はまるで地雷だ。どこで怒り出すのか、何が怒りポイントか。全く分からない。
イギリスの夏は長いとき夜9時まで明るい。そろそろ空が青から深紅に染まるころだ。
「エルフィー、明日キッチンでもう一回さ、人参切るところから始めようよ。」
「もう私あそこで料理の手伝いはしないって決めたの。」
「えーっ!」
「エディ、フレッドたちと面白がってるでしょう?」
「あはは、バレた?」
帰る直前、一瞬ミセス・ウィーズリーの夕飯の手伝いをしたがそのあまりの不器用さに男性陣に爆笑された。玉ねぎを剥けば玉ねぎの原型がなくなり、人参の皮を剥かせれば人参の原型が消え、卵を割らせればボウルに落ちる前に手の上で黄身と卵白と殻が混ざった。リーマスの「もう大丈夫だよ。」の一言がなければエルファバは今頃まだ醜態を晒していただろう。彼はとてもいい人だ。
しかし、しばらく眺めていた上に止めに入った時も薄笑いしていたので優しい人ではない。
「エディ?」
今日の出来事話に華を咲かせていたエディを母親が見ている。
「なあにママ?」
「今気づいたんだけど、あなたのタトゥー…何かにえぐられたようになっていない?」
エディは反射的にタトゥーを隠した。
「え、そう?」
エルファバは買い物袋を握る手にじんわりと汗が染み込むのを感じた。
エディは去年の夏休みに花柄のタトゥーを入れた。その原因はエディから聞いている。エディはある男の策略に巻き込まれ、狼人間である最愛の教授、リーマスに襲われたのだ。最悪の事態にならなかったものの、傷はエディの腕に残った。それを隠すためにエルファバはエディに頼まれてタトゥーを入れるお金を提供した。
「見せてエディ。」
エディは半強制的に腕を見せられた。
「どうしてこんなことになったの?」
エディはエルファバに助けを求める視線を送った。エルファバは理由を考えてあった。階段で挟まれたというエディ考案の理由は傷の形状的に無理があったので、エディはホグワーツの門番であるハグリッドの飼っているペットに過剰に手を出して怒らせたということにしてあった(実際これはロンやハーマイオニーに言ったらかなり説得力があると言われた。ハグリッドは危ないもの好きなのだ。)。
「あなたなのエルファバ?」
エルファバはその理由を言おうと口を開いた時、まるで蛇に睨まれたように固まった。
母親がエルファバをあの、憎悪の目で見ている。
「ママ、違うよ!エルフィーじゃ「エディ庇わないで。そんなことしたらこの子の思う壺よ。」」
エルファバは何かを言わないといけないと思った。しかし口から出るのは乾いた息だけで、声が出ない。
「ママ!違うってば!エルフィーじゃない!ねえ、話を「なんとか言いなさいエルファバ!!」」
エルファバは後ずさった。
バキバキバキっ!!
エルファバの背中が落書きだらけの壁に触れると、その汚い落書きは一瞬で消え、代わりに壁は銀色の氷に覆われた。
それがスイッチだった。
エルファバの世界は痛みと共に暗転する。
(頬が痛い。頭が痛い。お腹が痛い。)
重い頭は強制的に掴まれ、痛くない方の頬を叩かれる。
「やめてママ!!やめて!!やめてよおっ!!」
エディが泣きながら必死に母親にしがみついて、エルファバが殴られるのを止めようとする。しかしそれも振り払われ、エルファバは叩かれ、殴られる。周囲の歩いている人が足を止め、その異常事態にざわつく。
「おやめっ!!おやめなさいっ!!」
母親は知らない男性数人に止められて、金切り声を上げた。エルファバと母親の前に黒人の初老の女性が立ち塞がり、その孫らしき若い女性がエルファバを立ち上がらせる。
「この子は私の娘を殺そうとするのおおおっ!!何もかも奪おうとするのよおおおっ!!」
「バカ言うんじゃないよ!!こんな子に一体なーにができるっていうんだい?!」
エルファバはまだ頭がクラクラしていた。失神直前だったのだろう。立ち上がらせてくれた黒人女性がハンカチでエルファバの顔を拭く。白いハンカチはエルファバの顔を拭くと一瞬で赤黒く変わった。鼻血が出たらしい。
「ごめんなさい…ハンカチが…。」
「気にしないで。それよりあなた…冷たいわ。大丈夫?」
エルファバは慌てて女性から離れる。
「だ、大丈夫です…!」
「あなたたちは何も知らないから!!何も知らないからそんなこと言えるのよ!!この子は化け物なのよ!!私の全てを奪っていくのよ!!」
エディがエルファバに駆け寄ってきた。
「エルフィーっ!大丈夫!?」
「あなたのやっていることは立派な暴行です。母親ですか?これ以上彼女に危害を加えるなら然るべきところに通報します。」
スーツを着た男性は母親を一瞥すると、エルファバに優しく語りかけた。
「お嬢さん、びっくりしたね…君の母親はいつもこうなのかい?私は携帯電話を持っているから児童施設へ連絡しよう。君たちを保護してくれるはずだ。何も怖くないよ。」
エルファバは男性に痙攣するようにうなづいた。今度は黒人の初老女性は杖で母親を指す。
「あんた…私には分かるよ。あんた旦那が連れてきた連れ子に辛くあたってるんだろう。それもこんな公共の場でなさけない…。」
「うちの事情です。」
母親は数人の男性の手を振りほどき、エルファバとエディの腕を掴んだ。
「帰るわよ。」
周囲の人からの好奇の視線に晒されながら、エルファバもエディも無抵抗のまま引きずられるように帰っていった。
ーーーーーー
「あんたはここを出て行きなさい。」
帰宅早々に母親はエルファバに告げた。
「え?」
「私たち顔見ないほうがお互いのためだと思うの。」
母親はエルファバの運んだ食材を淡々と冷蔵庫の中に入れて行く。エディは母親を信じられないといった顔で見ている。
「今はここを出ることはできないわ。」
(今出て行ったらお父さんは私が騎士団に誘拐されたと思うわ。)
「何言ってるの。あなただってここにいて楽しいわけじゃないでしょうに。あなたのお友達といたほうがいいでしょう?」
ピキピキっ!
赤いような黒いような感情がエルファバを支配する。柔らかい絨毯が硬くなり、夏の暑さが残る部屋の温度が下がっていく。
「お母さんは私を追い出したいの?」
「追い出したいなんて人聞きが悪いわね。私はあなたの将来を思って言ってるの。」
「ママ。」
エディはエルファバの手を握った。それだけでエルファバの心はホッと明るくなる。
「ママはどうしてエルフィーに意地悪ばっかり言うの?」
「いっ意地悪なんて言ってないわよ。ママはね、あなたのことを思ってるの。あなた小さい時のこと覚えてないの…?あなたこの子に氷漬けにされかけたの!」
母親はエディを引き寄せようとしたがエディは動かず、エルファバにすり寄った。
「…そんなこともあったかもね。それよりもママはエルフィーを酷いおじさんのところに置いて帰っちゃったこと覚えてないの?そのせいなんだよ。エルフィーが自分の魔法操れなくなっちゃったの。ママはさ、自分のことばっか棚に上げてエルファバを責めるのね。」
エルファバは驚いてしまった。エディがそんなことを言うとは思っていなかった。母親はキッとエルファバを睨む。
「また余計なことをエディに吹き込んだのね?どうしてそういうことエディに吹き込むの?エディはあなたの過去に無関係でしょう?」
「ママ…一体どうしちゃったの?ママは昔そんなんじゃなかった。」
「あなただって1回どっかから爆発する手紙とか、愚かな母親だと手紙に罵られてみるといいわ。」
エルファバとエディは顔を見合わせた。
「どういう「知らないわよ。ある時、いきなりフクロウが大量にやってきて、その手紙が大声で私を罵るのよ。私なんか死ねばいいって。私みたいな母親は売女になればいいとか、母親失格だってね。」」
エルファバは心当たりがあった。リータ・スキーターの書いたエルファバの家庭に関する記事だ。嘘八百だったとの魔法界の出来事であまり考えていなかったが、エルファバやハーマイオニーに敵意を向けた手紙が送られてきたのを思い出した。それがマグルの母親に送られていたらー。
母親は震えだした。目が充血して顔に血管が浮き出ている。エルファバが心配になって覗き込むと、エルファバを押していきなりリビングを飛び出し、階段で二階に上がって行く。
「お母さん、前からエルフィーに酷かったから、絶対そのせいじゃない気がするけど…今もっと頭おかしくなっちゃったの?絶対変だよ。」
「分からないわ。」
「ごめんエルフィー…あたしのせいで。」
「謝らないでエディ。あなたが悪いわけじゃ…。」
ドンっ!!
何かが落ちる音が廊下でした。高いところから重いものが落とされた音だった。
「びにゃーっ!!」
そして猫が驚く声がした。
「ロビンっ!」
エルファバの飼い猫であるロビンが廊下から走ってきてエルファバの胸に飛び込んだ。
ドサっ!ばさっ!ガタンっ!
エルファバとエディが様子を見に行くと、階段からいろんなものが廊下に落ちてくる。
トランク、キャットフード、ホグワーツの教科書、写真立て、服、羊皮紙の束に羽ペン。見覚えのあるものばかり…。
エルファバの私物だった。
エルファバもエディもショックを受けている間もなく、母親が階段から降りてきた。
「黙って猫なんて飼ってたのね…!」
エルファバが恐怖で硬直する中、母親はエルファバの髪を引っ掴み、玄関まで引っ張っていった。
「やめてよおっ!!エルフィーっ!!」
エディは号泣しながら母親につかみかかったが、無駄だった。母親は玄関の扉を開け、真っ暗になった外にエルファバを押し出した。エルファバは体のバランスが崩れる直前にロビンを離した。
「これも!!これも!!これも!!」
先ほど二階から落ちてきたもの全てが、玄関に放り出される。エルファバはロビンに落ちてきそうなものを全て冷風を放って方向を変えた。
「二度とこの家に入ってこないでっ!!」
バンっ!!
扉が閉められた。エディが泣きながら抗議する声が聞こえたが、それもだんだん遠くなった。
静寂。
エルファバは状況を理解するために数秒動けなかった。ロビンは自分がぞんざいな扱いを受けたことに腹を立てて、家に威嚇している。
(ああ、このインク瓶割れてるからもう使い物にならないわね。それ以外は…写真立ては後で直してもらう。トランクはほとんど中身出してないからホグワーツ行くには問題ないし…ロビンの檻もあるから汽車に乗る時も大丈夫…。)
エルファバは投げ捨てられた物をとりあえずトランクに突っ込んだ。キレイにとっておいた今までの教科書一式はトランクの中に入りきらず、玄関の階段の陰に積んでおいた。
(エディに持って来てもらえばいいかも。)
やけに落ち着いていた。いや、どちらかというと落ち着いていたというよりかは現実味がなくてフワフワしているといったほうが正しい。エルファバはトランクを持ってロビンと共に夜の道を歩き出す。
(ダメ。エディが1人になってしまうわ。)
エルファバは夜道の中立ち止まる。
(母親があんな興奮状態でエディが私の味方だったらエディも私みたいに殴られるかも…もう一回、謝って、家に入れてもらわなきゃ。今はエディの元を離れてはダメ。)
母親はエディにまで暴力を振るうかもしれない。そう思うが体が動かない。前には歩けるのに後ろを振り向き、数歩先の家まで歩けない。
どっと疲労感がエルファバを襲う。
今からロビンを抱えてトランクを持って歩く。
(グリモールド・プレイス…今からロビンを連れて行くしかないわね。)
地下鉄へ向かい、3、40分ほどかけてグリモールドに行くのは体力が必要だった。ふらふらと一旦近くの公園へ立ち寄る。片方のベンチにはお酒臭い先客がいたので、ジャングルジム前のベンチに座った。
トランクを足置き場にし、ロビンを撫でていると徐々に感情が追いついてきた。
(お母さんに追い出された。お母さんに物を全て家に放り投げられて、私のあの家での居場所は消えてしまった。存在を否定された。)
涙が溢れてくる。数時間前に母親に殴られた頬が、お腹が、鼻が痛い。鼻水をすすり、エルファバは顔を手で覆った。
「ううっ、さみいっ…!」
ホームレスの独り言でエルファバはふと公園を見渡す。
想像通り、全てが銀世界だった。幸い夜道で一瞬分からないが、街灯に照らされている辺りは、氷が光を反射してここが夏にしては不自然であることが分かる。問題なのは氷が公園外にも飛び出していて、道路も凍っていることだ。あそこを車が走ったら危ないだろう。
上を見ると、夏に不釣り合いな雪が公園の中で降っている。ちょっとした風に舞い、何かに触れた瞬間消える。
「おおっ!やべえここ!」
「あっぶねっ!」
「なんだこれ?なんかのテレビ企画か?」
若い男性らしき5人組が公園に入って来た。公園に突如出現した氷に恐怖心を抱く気配もなく、嬉々としてサンダルで氷の上を歩く。
「おいっ、ダストン見ろよ!」
男たちは数メートル先で涙を流すエルファバを見つけた。男たちは目配せして、いやらしくニヤリと笑うとエルファバの座るベンチを囲んだ。
「よお。家出か?」
エルファバは取り囲んだ男性たちに恐怖心を抱いた。がっしりとした腕やゴツゴツした手はエルファバのトラウマを刺激するのだ。男たちはゆっくりと近づいてエルファバをフェンスまで追い詰める。
「お嬢ちゃん、美味しそうだな~。」
「食べちゃいたいなあ。」
エルファバは恐怖を押し殺し必死に伝えた。
「…いっ、今は…私に…触らないほうが…いい…と思います…。」
「震えちゃってかわいー!俺先に味見しちゃおーっ!」
「ダメっ!」
リーダー格の男がエルファバの胸に手を伸ばした時だった。
バキバキバキっ!
「冷えっ!!」
「おいジャスティス!!」
男の手から腕が一気に凍った。
「ごっごめんなさいっ!私コントロールできなくて…あっ!!」
エルファバがフェンスに触れると、今度はフェンスから棘が生えてきた。
「ひいいいいいっ!!」
「ああ本当ごめんなさいっ!違うの!これ本当に…。」
「化け物!!!」
男たちは半泣きになりながら退散していく。
エルファバは1人取り残された。
「みゃ?」
ロビンが間抜けな声を上げる。エルファバはフェンスから生えた棘を、触りロビンの方を向いた。
「…ロビンごめんなさい。今日は野宿かも。」
エルファバはため息をついた。