はじめは心配が祟り、眠れない日々が続いたが、訓練が重なってくると消灯時間とともに意識が落ちていた。しかし、紙縒りを結び作るように極彩色の夢が紡がれる。
これは、違う。私の記憶じゃない。
第五分隊、第二班の状況は絶望的であった。
八甲田の暗い雪山、作戦の不備は明瞭だった。
「班長、第四班と連絡がつきません」
動きやすい薄手の冬季装備の四人は、身を寄せ合って薄曇りに沈む暗闇に目を見晴らせた。
「夜見、バッテリーに不備はないか?」
「はい、耐凍バッテリーに交換済みです」
「そう思った。周囲に目標はいるか?」
「いえ、しかし降雪が止んでクリアです」
暗視装置越しの世界を見ながら、うさぎを狩る猟師を思い出した。いや、昔読んだ小説も頭によぎっていた。
「羆嵐」
隊長の低い嘆息が無線越しに聞こえた。
「縁起の悪い。私たちは六線沢の住民じゃないぞ」
冷ややかな笑いが沸き起こると、それに混じって無線の雑音が聞こえてくると、体の奥から熱が沸き起こった。
〔……こち…こちら…トラ…3…刀使は…田代へ…下って…!〕
「班員!着剣!目視次第、射撃を許可する!夜見は作戦通り」
「はい」
四人が装置をつけると、風切る音だけが過ぎる。
旧式の八九式は強引に近代装備をつけ、さらに応急の白色塗装が小銃を不恰好にしている。その中で夜見だけが一人、スコープをつけたM24狙撃小銃を構えていた。
雪を割く音が聞こえた瞬間、一人の隊員の八九式が真っ二つに裁かれた。
「ああ!」
「米沢!ここを動くんじゃないぞ!」
茂みへ飛び込んでいく刀使を、隊長ともう一人の隊員が駆けていく。夜見は決められたように、別方向から回り込むように走った。フードを被ると、やや小高い稜線に伏せて小銃を構えた。
(相手は残党屈指の刀使、函館への逃亡をたった一人で成し遂げた傑物。油断はならない)
作戦は簡単だった。
その刀使は必ず一対一で対処してきた。自身の速度と技術を生かして各個撃破を徹底してくる。ただその一点の磨かれた戦術で波いる敵を倒してきた、まさに武の権化である。
だからこそ、各班に狙撃手が付き、他隊員を囮にして刀使を仕留める。
刀使の足跡を追いかけていた隊員が、足を取られて動きが鈍り出した。それを狙って白い輝きが飛び込んできた。小銃が切られ、さらにそれを追う隊員が射撃するが、迅移の速度に近づけずに切られた。
しばしの静寂から、白い輝きが飛び退くとそれが消し飛んだ。
(そこっ)
引き金を引くと、雪原を叩くような音が響いていった。
耐えていた息を吸うと、つん裂くような冷たさが鼻を突く。
小銃を構えたまま、積もった雪をかき分けていくと、茶と黄金の制服を着た。桜色の髪が雪の窪みから見えた。
幼い、幼すぎる。
条件反射で銃口を外していた。少女の左脇を貫通し、血が雪に滲み出ていた。おそらく、肋骨と背骨が砕かれ、肺にも骨が突き刺さっているのは想像がついた。
か細い呼吸を繋ぎながら、フードを脱いだ夜見を見上げた。
「動かないで、今応急処置を」
「いいよ、いらない」
優しさを撫で避けられ、彼女の前に膝をついた。
「おねがい、手を握って」
手袋を脱ぎ、その手を握ると、マメだらけの小さな手が氷のように冷たかった。防寒着もなしに雪山に逃げ込んでいた彼女は、自分よりもはるかに過酷な環境にいたことを感じさせた。
「もう、疲れちゃった。おねーさん、ありがとう」
「どうして」
「一人でさみしかった。結芽のそばにいて」
両手を握ると、胸を劈かんばかりの罪悪感が湧き起こった。笑顔の彼女が大きく息を吸うと、口から血が流れ出し、手から力が抜け落ちた。
バラバラになった小銃を捨て、拳銃を構えたまま班長が歩んできた。
「刀使は」
「今、旅立ちました」
夜見は結芽の体を抱え、立ち上がった。
「本田さん。確かに、刀使の力は危険です。ノロから穢れを取る技術が生まれてから、刀使がノロと融合する危険を排除するために、特祭隊は解体になった。でも、荒魂が減らない状況を危惧して刀使が行動を再開したことで中央は、刀使に対する取り締まりを始めました。そして、刀使たちを東北まで追い詰めた。でも、私たちは本当に正しかったのですか?彼女たちの警告にもっと耳を傾けるべきではなかったのですか」
「特高に聞かれれば、お前は」
「ならなんで!なんで、荒魂は一向に減らないのですか!この子は小さな体で今まで人を助けるために、今さっきだって銃器を無効化するだけだった!」
「なら、どうする」
夜見は泣き腫らした顔で、憎悪の限りを空へと向けた。
「血に塗れた使い捨ての私たちが、彼女たちを救う!遅いと言われても構わない!今すぐ、中央を攻める!」
「一人で、何ができる」
班長はホルスターに拳銃をしまうと、取り出したスカーフで結芽の口元の血を拭った。
「もううんざりなのは、お前だけじゃない。人を集めよう。私たちの戦力と技術ならクーデターを成功させられる」
かつて、刀使を処理してきた警視庁対刀使特殊処理中隊『鏑矢』は、一月の蜂起によって首都を戦場にし、やがて自衛隊の介入によって壊滅する。
しかし、大阪城地下からの大荒魂の発生が全ての思惑をひっくり返す。
函館から戻ってきた黒衣の刀使たちによる活躍は、夜見の記憶から見えなかった。
クーデター鎮圧が進む最中、仲間と共に潜伏していた万世橋地下室に機関銃弾を撃ち込まれ、射殺される。
遺体は、身元がわからないほどであり、後年の記録は一貫して行方不明で締められている。