岐阜基地から一機のC−2輸送機が飛び立った。
名目こそ伊勢湾上空での訓練飛行であったが、機体の中には大型のボートと防水スーツを着込んだ夜見、輝、美炎、紅馬の姿があった。
美炎は説明こそ受けたが、まだ不安そうな表情で三人の顔を見た。
「ほ、本当にパラシュートで降りるんですか?」
夜見のから笑いを打ち消すように輝が大笑いした。
「そう心配しなくても、美炎ちゃんの降下は私と一緒だから問題ないって」
「でも、陸上で合流できましたよね?」
紅馬は不気味な笑顔で美炎に笑いかけた。ノロを服用していないのにも関わらず目が輝いて見える。
「早いだろ!空自は舞草側だ!訓練飛行に便乗するのはワケないさ!それに技研から空挺ボートの性能テストもお願いされているんでね!最新機材から飯まで何でも用意できるのさ、あっははははは!」
そう、あの夜から半日経たないうちに美炎は輸送機に乗せられ、洋上へとパラシュート降下して、ボートに乗って舞草の潜水艦に合流しようと言うのである。夜見は輝と紅馬の性格を知ってか、すでに諦めきった表情で天井を見上げていた。
(夜見はこの数週間で何があったんだろう・・・)
輸送機の隊員がまもなく予定ポイントに着くと知らせると、ヘルメットとゴーグルをつけられ、輝は美炎とパラシュートのついたベストを着込み、硬く固定した。
夜見のため息を聞くと、美炎はますます不安になった。
「ねぇ夜見って」
「まだ、まだ降下訓練三回しかやってない。しかも洋上は今日が初めて」
「き、木曽先輩!流三佐!」
「大丈夫、大丈夫!夜見は丈夫だから海を漂っても生きていけるさ!」
その一言が夜見のハードな二週間半の全てを物語り、つい夜見の頭を撫でた。
「よしよし、本当によく生きていたよ」
「うん、死ななかったのが不思議」
「そこまで」
輸送機の後部カーゴが開き、強固なフックで体が固定されているが強烈な風圧で目を開いていられない。やがて風が落ち着いてくると、陸地の見えない真っ青な海を輸送機が飛んでいるのに気がついた。
「行くぞ!先にボートを降下!」
床のレールに沿ってボートとそれに積んだ機材や御刀がパラシュートを広げてはるか向こう側に飛んでいく、何も迷うことなく輝と美炎、そして夜見が空へと飛び込んだ。美炎の絶叫を横目に紅馬は輸送機の隊員に礼を言って自身も空へと飛び込んだ。
風圧を受けながら三人は適度な高度になるとパラシュートを開き、ボートのある方向へ、ゆっくりと自由落下していく。まもなく海面が近づくと、胴衣に空気を流し込み、パラシュートとの金具を取り外し着水し、しばし水中を潜ってから急速に浮上。美炎は海水の辛さにむせた。
紅馬と夜見はすぐにボートに取り付いて乗り込み、エンジンを発動すると海を漂う輝と美炎のもとへ走った。
「どうだ皐月!洋上降下も楽しいだろ!」
「はい、二度とごめんです」
「がははははは!」
紅馬は漂う二人を捕まえると、強烈な力でボートに二人を引き込んだ。輝は笑顔だったが美炎は真っ青になっていた。三人は何が起きたか察して、美炎を労った。
「それじゃ三人とも無事に乗り込んだことだ。あとはピックアップポイントに行くだけだ」
夜見の操船でボートは水飛沫を立てながら、波浪の少ない海を駆けていく。それでも何度も跳ね。波を登ったりした。それが約三十分つづき、やがてボートは目的のポイントについた。船影ひとつない、真っさらな水平線の向こう側を雲が泳いでいる。その景色に夜見と美炎は見入った。
「きれい。さっきのことが嘘みたい」
「これを一晩中浮かびながら見ていると飽きるぞ」
「三佐、感動が台無しです」
「お、すまんな皐月よ!あはははは」
やがて、コンパスの北を指す方角に、ゆっくりと波間を裂く黒い影が浮かび上がってきた。
「来たようね。協力者の船で」
輝は夜見と交代してボートをその黒い影の方向に走らせた。ボートが近づき、横へ周り始めると同時に影の形は変わり、頭の突き出した潜水艦のシルエットであることに夜見と美炎は気がついた。そして、その頭の上に二人の見知ったシルエットが立ち上がったのが見えた。
「か、薫さん!」
「よ、待っていたぜ」
艦内に入り、空自の作業服を着替えようとしたが、輝は支隊のワッペンがついたままの鎌府の制服を差し出した。
「わざわざこれを」
輝は屈託のない笑顔で夜見へ推しやった。
「君はまだ特祭隊の親衛隊末席のままだよ」
「えっ!?」
「あ」
呆然とする夜見と、話を聞いて何事かと詰め寄ってきた美炎に、輝はまずいことを口走ったことに気がついた。
「木曽さん!」
嘘を許さない夜見をごまかせる自信のない彼女は、少しばかり頭を掻いてから口を開いた。
「紫様はヤツと同化こそしているが、完全に人格を失ったワケじゃない。それどころか半同化してヤツの暴走を食い止めている。本当はノロを打つのは支隊全員の予定だったが、それがいつの間にか親衛隊だけに切り替わっていた。やったことは取り返しがつかないが、まだ戦っているし、こうして私の元に夜見ちゃんを送り出してくれた」
美炎は夜見が、折神紫の身に巣食う存在を知らないと気がついた。
「木曽先輩。もうタギツヒメのこと話してもいいでしょ」
「美炎ちゃん」
輝の鋭い面持ちで考え込み始めた。夜見はそのタギツヒメという名と、紫の背後にいた存在を重ねた。
「まさか、二十年前の」
「気づくわな、夜見さんだったらよ」
更衣室にいつのまにかいた薫が、不敵な笑みを浮かべて疑義の瞳をまっすぐ見つめた。
「そうだ、折神紫はその体内に大荒魂タギツヒメを封じている。いや、同化しているが今の認識か、二十年前の大災厄はまだ生きている。折神紫の必死の封じ込めも虚しく、ふたたび災厄のトリガーを引こうとしている。さぁさっさと着替えな、舞草中立派の持っている全て情報を、紫派の木曽さんにも話すんだ。こっちはヒヤヒヤなの、察して」
どう見ても日本国籍ではない潜水艦の応接間に通された夜見と輝、そして紅馬は、そこで待っていた人物の顔を見て驚いた。
「朱音様」
席を立ち上がった彼女は、三人にも席へ着くように勧めた。
名前は聞き及んでいた。しかし、紫の妹という立場の難しさから、中央より外れた名誉職を点々としていた。そのため直接に会う機会もなく、式典の警護中に遠くから彼女の姿を伺うことしかなかった。緊張よりも意外性が優っていたが、輝は体を震わして声を荒らげた。
「あ、朱音様。お、おひさしゅうございます」
「はい、輝。とにかく座って」
着席後、話は輝と朱音の関係から始まった。というのも紫の警護や、親衛隊人員選抜に訓練教官といった要職を重ねる前の輝は、朱音のお付きであった。
中央で仕事がしたかった輝を紫のそばへ推薦したのも彼女だった。しかし、夜見は薫の言っていた紫派なる言葉がひっかかっていた。
「木曽さんの、舞草での立場って」
輝が喋るよりも先に朱音が彼女の立場を話した。
「私の姉である折神紫は、タギツヒメと同化し始めている。そのために、舞草の中には姉共々タギツヒメを封じるか、祓うことを考えている人間が少なくありません。しかし、姉は抵抗し、輝さんやあなたを送り出し、タギツヒメに対抗できる人々に危害を加えぬよう図った。もしかしたら、タギツヒメはそれを蚊ほども気にしていないかもしれない。でも、戦い続ける姉を救いたいと舞草に集った人もいます。輝も、そして私も」
夜見は紫から感じていた違和感にようやく気がついた。そして、親衛隊に加えようとしたのは内部からの抵抗勢力を欲したため、夜見は折神紫の強かで、恐れを知らない大胆さをまざまざと感じ取った。同時にこうしてレールを敷いてくれた紫に尊敬を抱いた。
「あなたはまだ親衛隊第五席のまま、ここに来てしまった。だからこそ歓迎します皐月夜見さん。舞草へ合流してくれませんか?」
夜見は視線を少しばかり外し、すぐに朱音へまっすぐ体を向けた。
「私は紫様をタギツヒメから救い出したい!そのために舞草に加わります」
ゆっくり頷き、朱音は端末で薫とエレンを呼び出した。
「ここからは、薫さんとエレンさんも交えて舞草の持てる情報を全て開示します。あなた方の合流への感謝とそして困難な戦いのこの先を」
二人を交えたタギツヒメがなぜ折神紫と同化したのか、そして紫を飲み込んだタギツヒメの壮大な野望。それを打ち砕くべく暗躍する舞草の存在。だが、舞草内でもタギツヒメの討伐という目的以外に、意見の相違があることも示唆された。
夜見は、先程の会話にあった奇妙なニュアンスの違いを思い出した。
「ただな、本当は舞草内で内ゲバが起き始めた理由は別にあるんだ。輝さんに夜見を便宜上は紫派と呼んでいるが、それなら朱音様も紫派ということになる。俺がこの言葉を用いているのは、可能性は捨てたくないからこそ、その意見を汲み取る体裁で紫派最巨塔の『悪党』に対抗してるワケ」
そう言い切ってみせた薫の顔を、全員はまじまじと見つめた。
「俺は責任をとる。つまりは、ダメだと判断したら斬る覚悟はある。その時は煮るなり焼くなりしてくれ」
「そういうワケデース!ところで『悪党』ですが、あくまで派閥を高津学長がそう呼んでいるだけですから、気にしないでください!」
「あの」
「ハイ!何でしょうか夜見さん」
「彼らは朱音様を排除すべき存在と?」
「それは考えすぎデス」
エレンの事実以上の余念を許さない、はっきりとした物言いに、喉元から出掛かった言葉が詰まった。
「悪党は紫様をタギツヒメから切り離す。そこまでは同じでも、そこからタギツヒメを利用もしくは、その力を征服しようとしている時点で大違いデース」
「征服?大荒魂を!?」
「ソウデス!大荒魂はあらゆる荒魂を支配する力を持つ。御刀もとい写シはノロを封じる力がある。この両方を用いれば、ノロと荒魂をコントロールできると考えているのデース。紫様を玉座に据えた壮大な計画を悪党は考えているのです」
「だが、俺らはまず協力して、タギツヒメを封じなくちゃならん。悪党やら政治的なゴタゴタを鎮めるのはそれからだ」
「大変な仕事になりそうですね」
「おうよ。だがな夜見さんには別にやってもらうことがある」
「え?」
夜見はそこまで聞いてキョトンとした。薫の口ぶりにはタギツヒメへの攻勢が匂わされた。無論、夜見自身も行くべきと感じていた。
「残念だけど、今の夜見さんは可能性こそあれ、並の刀使にさえ及ばない状態だ」
「でも!」
「たった五分だけ写シを張って気絶するヤツを戦力にはできん」
「ならなぜ」
「俺の予感、けっこう当たるんだぜ?」
夜見は怪訝そうに、その予感の中身を尋ねた。
「封印は成功する。しかし、その封印の形が俺たちの理想通り、封印され続けるとは限らない。分祀したタギツヒメのノロを狙って舞草内で内乱が起きる。その隙を招じてタギツヒメの復活になられたら困る。夜見の銀糸をな、むすんで大荒魂を封印する結界にする。日本神話には結ぶ神は幾人もいる。もし、それに相当する力が夜見に与えられたなら、最悪への切り札になる。そう踏んだんだ」
夜見は、自分が十考える間に百を考える薫が恐ろしく思えた。これからタギツヒメに挑み、封印に至れるかも分からないのに、既に勝利後のビジョンや戦略を構築している。
「ま、これからその準備に行って欲しいんだ」
「準備って、何を」
「対話にさ、お前さんの背後に今もいる厄介な神様とのな」
親衛隊支隊は室津での舞草拠点攻略をもって、御前試合事件関連の任務から全て外された。親衛隊の面々が彼女たちの前に姿を表さなくなったこと以外は、朝練、学業、任務、本部警備といつもの忙しない日々に戻っていた。
そして、安桜美炎と皐月夜見が舞草のスパイであり、未だ逃亡中の噂が本部中に駆け回っていた。二人への心ない声がある反面、二人をよく知る面々は複雑な感情を抱えていた。
その一人が早苗であった。
夜見の代わりとなって、詰所受付で書類を黙々と片付けていた。彼女はもちろん、支隊メンバーにさえまったく情報がおりない。それどころか、今まで隠されていた情報という巨大な影に誰も彼もが立ち竦んでいる。
しかし、早苗には一抹の希望があった。ポケットから、手ぬぐいで厚く包んでいた一本の小柄を手に取った。
(美炎さんを助けるために夜見さんは来ていた。そして、寿々花さんの攻撃を退けた。少しでも生き延びて、支隊メンバーとして中から)
だが寿々花のあの自らを自嘲する顔が、早苗のしようしていることの無謀さを証明しているように思えた。
(今の私じゃ、組織に対抗できない!寿々花さんは、自分が間違っていると薄々感づいている。それでもその道へと突き進んだ。それを選択する理由があるから)
ならば、自分はなぜ内部から対抗しようなどと考えた。あの夜明けの鎌倉駅、そこでの友と信じる夜見との対話。彼女を通じて、今までのような後出しの戦いを改めたいと願った。
「そうだ。夜見さんは立ち向かったんじゃない。出会いを望んだんだ」
早苗は思った。すぐにも夜見と合流したいと。
「早苗さん!」
声に向かって急いで顔を上げると、そこには葉菜の姿があった。
「どうしたんだい。小柄を見つめて」
「え、いや、なんでもないんですよ」
「それ、夜見くんのだよね」
見え透いていたと、葉菜のやさしい笑顔を素直に受け取れなかった。
「少し話そうか」
葉菜と向かい合うように座り、二人の間には小柄があった。早苗の意は決していた。
「葉菜さん!」
「まて、まてまて」
葉菜はひとつ確認をした。自分の質問ひとつで、なぜそこまで考えたのかを。
「え?」
「君が夜見から友情の証に渡されたなら、それを見つめながら夜見くんになぜスパイ行為をしたのかと悩むともとれる。でも君は今、夜見くんとの間の知られたくない事を知られたくなくて、咄嗟に僕への不信感にそれを掛けた。どうかな、僕はどの立場にいるんだろうね」
早苗は呆気に取られた。葉菜が何かを知っている、もしかしたら自分を捕らえにきたのかもしれない。小柄の持ち主が見破られた瞬間、逃げるよりも立ち向かう事を考えた。葉菜はそんな早苗の焦りを抑え、目の前に引き留めた。
「ようやく冷静になってくれたね。僕はね美炎くんの同志だ」
「あなたたちの目的は」
「夜見くんが見てしまったモノの封印さ」
冷や汗をかく早苗とは対照的に、こういう事態は慣れているといった余裕さが葉菜にはあった。彼女に取っては美炎さえ隠れ蓑だったのではと思わせた。
「じゃあ、私があなたたちに抱いている思いも汲み取ってもらえるの?」
「ここにいる僕じゃ無理だ。いつも隣に爆弾も抱えている身だ、ごめんね。でもある場所へ行けば思い人に接触できる。君は僕たちと戦う覚悟はあるかい?」
「ええ、ここじゃ一員でしかない。振われる刃にはなれない」
早苗の決意を秘めた目の凄みに、葉菜ははにかんだ。
「わかった。君には最優先で秋田に行ってもらおう。もちろん任務の名目でね」
「そんなことが簡単に」
そうしていると早苗の端末に、単独での秋田へ荒魂調査の任務が届いた。
「ごめんよ、君を送り出すために少し無茶をした」
「無茶。もしかして片道切符?」
早苗もはにかんだ。葉菜のしたことは今の事態を有効利用したものだとわかった。
「片道切符か、なるほど確かにそうだね」
葉菜は浮かない表情だった。
「ぼくはね。情報を故意に売ったんだ。君が夜見くんから重大な情報を得ているってね」
「待って、葉菜さんあなたは!」
「二重スパイさ、もちろん舞草寄りのだけどね。君を見込んで話すんだ、ここだけにしてね。密偵としてはなんとかやってきた。でもね、仲間達みたいに表立って立ち向かえない立場だから、そのね僕にも不満はある」
早苗には話してしまっていい。さきほどの覇気はなく、弱々しげに話し出した。
「みんなと共に御刀を振るって、災厄に立ち向かいたい。僕も刀使の端くれだ、そういう野心もある。でもだ、誰かが背負わなくちゃいけない仕事なんだ。だからだ、君に託したいんだ。僕もみんなと表で戦いたい思いを」
体を震わし、顔を見せぬようにはせず、ありのままを早苗に託そうとする。葉菜の孤独な戦いの全てを知ることはできない。だが、目の前の自分に思いの全てを投げ打つ葉菜は、ずっと前から彼女も仲間である事を強く意識させた。
「ここから何があるかわからないのに、いいの葉菜さんは」
早苗は葉菜の思いに応えた。
「君もそうだろ。でなきゃ、ここまで持たなかった。そして、これからもね」
信じられる仲間だけではない。いままで共にいた仲間達や家族との時間や、笑い合ったり喧嘩したりした日々を裏切らないために、自分はここから飛び立つのだと、早苗は息をのんだ。
包み直した小柄と、小さな封書を葉菜は早苗に手渡した。
彼女は指令を受け取った翌朝、早々に鎌倉を出発した。その姿は鎌府の制服ではなく、緑の質素な平城の制服姿であった。