どこともわからぬ海域から再びボートを出して陸地に降りたのは、合流の日から二日後のことだった。輝と美炎は舞草の『カチコミ作戦』への参加のために潜水艦に残り、代わりに紅馬がある場所まで同行かつ護衛をすることになった。
当然のように自衛隊の車両に乗って、高速道路を秋田方面に走らせる。
「あの流三佐、隊の方は」
「隊なら俺より優秀な副官がなんとかしてくれる。それよりもお前の使命のほうがよっぽど重大だ」
「本当のところは」
「俺もカチコミに参加してみたかった!いつも輝相手の稽古だからな!本部の刀使と戦ってみたいもんだ!」
「だと思いましたよ」
紅馬は高笑いしながら、目的の出口を抜け、下道を走り始めた。夜見の眼下には懐かしい故郷の景色が広がっていた。秋田県仙北市は角館。古い城下町と里山とが同居する町である。
「ここが皐月の故郷か」
「はい、三年は戻ってきていませんでしたから」
角館の中心から西へ、玉川を越えた田畑の広がる土地に、ごくごく無難な農家の一軒家があった。目の前に車を停めてもらうと、すぐに祖父と目があった。
「おじぃちゃん」
「夜見かね!」
車を降りた夜見はいつもの癖で刀袋を手にした。はじめ笑顔であった祖父の顔が、夜見が近づくにつれて、鳩が豆鉄砲を喰らったように目を丸くさせていた。
「おじぃちゃん」
祖父は捻り出すように声を張った。
「夜見や、刀使になったのか」
手紙には送ったはずなのにと思ったが、夜見は驚かせようと刀袋から兼光の拵えを見せた。
「そうですよおじいちゃん。私、刀使になれました」
「馬鹿な、皐月の一族には絶対に刀使は生まれないはず」
「え」
互いに困惑した顔を突き合わせ、交わす言葉が見つからなかった。
「夜見!帰ってきたなら、ただいまの一言ぐらい言ってよね」
夜見と似通った物静かな顔立ちだが、それに似合わない快活な声が娘を笑顔にさせた。
「母ちゃん!ただいま」
「おかえり、言いたいことは山のようにあるけど上がってあがって、それと学校の先生が送ってくださったのでしょ」
「そうなの、駅で偶然会って、ここまで送ってくれたの」
と、そこへいつの間にか私服に着替えた紅馬が顔を出した。彼の趣味か判然としないが、イチゴ大福ネコのTシャツは鍛えられた彼の体と釣り合わず、違和感しか感じられなかった。
「どうも!鎌府で体育教師をしている流紅馬です!いやぁ観光に来たらばったりと」
夜見の祖父が未だ呆然としていることもあって、彼のそうした言い訳を脇に置いて、皐月家の中に入った。
それと並行して、新幹線で角館へとやってきた早苗の姿があった。
「約束の時間までだいぶあるなぁ」
角館のシダレザクラの木の前で待つと書かれた封書には、きっかり夕方五時の指定があった。観光には困らない町であるので、とりあえずと歩き出した。
まだ緊張している、自分はつけられているのではとの警戒心もある。それも当然ながら、室津制圧から三日しか経っていない。それどころか、角館に漂う独特な落ち着きが、時間の流れをようやく意識させ始めたのだ。そして早苗はふと立ち止まった。
「お腹、すいちゃった」
今の心持ちで、それをさも当然のように言いのける自分の図太さに、早苗は恥ずかしくなった。
すぐに観光ガイドに目を通し、街を歩き始めた。
江戸時代に佐竹北家が蘆名氏に代わって角館の城代となり、その時代の町割や建築が現代まで残っており、春の桜の季節には多くの人々で賑わう。
「親子丼か!うん、ここに決めた!」
「なぁもしもしあんた」
早苗は振り返ると、美濃関の制服は着ていないがスカジャンを着流す、人見のよさそうな少女が立っていた。早苗は瞬時に思い出した。
「稲河さん!?」
「ああ!覚えていてくれたか岩倉さん!いつかは木曽で一緒に討伐任務を果たした仲だ。後ろ姿ですぐにわかったよ」
夜見の親友、彼女のその態度は、ここで会ったのが全くの偶然である事を物語っていた。
「おひさしぶりです!実は任務で角館に来たのですよ」
「大変だなわざわざ鎌倉から秋田だろ?まぁ、岐阜から来ている私の言えた話じゃないか!」
「じゃあ稲河さんは」
「ん、まぁ帰省だよ。実家は男鹿なんだが、角館には夜見の親御さんにも挨拶しに来たんだ。うんと小さい頃から世話になっているからよ」
「幼馴染なんだよね?どれくらいの付き合いなの?」
「あいつとは小学三年生の時かな、男鹿の親戚の家に来ていた時以来だよ」
「いいなぁ。素敵な友達がいて」
「入ろうぜ。私もお腹が空いててな。夜見の鎌倉でできた友達ともっと喋りたいからよ」
「うん!」
祖父の凍りついた表情の、泳ぐその目に困惑の色あり。
夜見は神棚の前に、腰をおろす祖父の背中に問いかけた。皐月の一族に刀使が生まれないとはどういうことかと、その小さくまるまった背中の奥から覗くように夜見の顔を見てから、ゆっくりと向き直った。そこに古めかしい木箱を彼女の前へと押しやった。
「少し長い話になる。いいな」
この顔を一度だけ見たことがあった。それは、祖父がぽつりと戦時中の事を思い出した瞬間、穏やかな色はなく猛禽のような丸々と見開いた目をしていた。
「お願いします」
彼は箱の蓋を開くと、そこには一振りの蕨手刀があった。そして謂れを記した古い木簡が添えられていた。
「皐月一族は、桓武天皇御在世の頃に朝廷に仕える刀使の一族だった。蝦夷討伐の折に支配地の魔物を祓うことを命じられ、軍や役人たちとともに東国へ下った。そして、この地で先祖は罪を犯した。以来、その地の豪族を支える神官の一族として佐竹北家に至るまで仕えてきたが、ついぞ一族に刀使が出ることはなかったそうだ」
「罪とは」
「蝦夷の刀使を騙し討ちしたのだ。異なる信仰の刀使を廃するべく、先祖はその地に根付く進行を中央のものにすげ替えるべく、その土地の信仰の中心あった刀使の巫女を殺し、頂点となった。だが蝦夷の刀使は、その恨みから禍神となって皐月一族から刀使の力の一切を奪う呪いをかけた。それは千四百年を超えた今の夜見にも」
初耳であった。刀使を目指す事を応援せずと、理解はしてくれていたと思っていた祖父は、一族の宿命ゆえに叶わぬと思い、夜見が諦めるのを待っていた。だがそれは、昨夜のうちに考えついていた事だった。今の話はそれを再確認しただけであった。
「そうだったんだ」
「この蕨手刀はその刀使の持っていた御刀で、先祖はこの刀を奪い討ち果たしたとある。蝦夷の刀使の名はラリマァニ」
その名を聞いた瞬間、夜見の視界は暗転し、そこに赤と茶の装束を纏った赤い目の少女が立っていた。その少女の高い鋭い声が夜見を圧倒した。
「私の名を知った一族の女はみなことごとく我の姿を見た。そして我はそのモノらに、破滅の運命を負う子孫のことを示した。それは我の与えたる呪いの最後の攻撃だ。それが間違いなく皐月の一族を滅する」
「私が刀使になることが呪いと」
「お前は我の力で刀使となれず。その末にノロを取り込み、荒魂になることで神刀を強引に使役する半人半妖の化け物となるはずだった。だが、お前にはなぜか小人神の加護がある。我が開いた幾ばくかの力はすぐに閉じたはずであるのに、少しずつ解放されつつある。皐月の最後の忌み児よ、お前はなんだ?」
夜見はただ黒に赤の混じった少女の、疲れ切った目を見つめ続けていた。彼女の壮大な話とは裏腹に、その容姿はひどくくたびれて見えた。
そこへ夜見の手の平ほどの大きさしかない。青い髪の可愛らしい顔立ちの小人が光となって夜見を背に、ラルマニの前に立ち塞がった。
「これが君の常套手段とは聞いていたが、ボクの見えないところで接触しようとするのは感心しないなぁ火の神よ」
「お前たちが勝手に神としただけだ。私は呪いを与え続ける妖怪で十分だ。それとも貴様のように夜見を使って破滅を利用せんとしているのか、のぅスクナビコよ!」
ラルマニの睨みも気にせず、余裕を絵に描いたようなスクナビコのしたり顔は、ちらりと夜見の方へ向いた。
「ボクの親友がね、夜見君が糸を編めると言ったんだ。ボクは君のことを多くは知らないが、なるほど才能はある。それにラルマニはまだ得ていないだろう?皐月一族がなぜ君を受け入れているのかを」
前へ出ようとした夜見をスクナビコは制止し、そのまま後ろへと押し込んだ。
「どうして?私は」
「自分の勇気を信じられるようになった。なら再びラルマニと対せる。だがその前に、君はその御刀ホロケウを通して、千三百年前の真実を知らなくてはならない」
「でもどうやって」
「糸は結ぶ、それは手に触れられるものだけではなく、触れた者たちとの記憶さえも結ぶ。君の友達と共に見て、そして再び会おう。対話のその日まで」
祖父が必死の形相で肩を揺さぶるのが見えた。一気に現実に引き戻され、彼女は首を横に振って祖父の目をまっすぐ見た。
「だ、大丈夫だよ」
「だ、だがこの名を聞いた一族の女性は、一生正気に戻らなかったと聞く!」
「でも、うん。あの人に、ラルマニに会ったことがある。そうだ、私が初めて写シを張ったあの日」
「禍神を認識できていたのか!?なんて子だ!」
夜見はラルマニの困惑する目を思い出した。そして、スクナビコの存在。二人は一緒にいたような記憶がある。そして不可思議な夢の中で介在する二人の光を見ていた。それは夢の中の人々には認知されない。しかし、夜見は夢遊していてもその存在に触れていた。
祖父はそのまま蕨手刀の前に座し、夜見は母に連れられて居間に戻ってきた。
「先生が帰られるから送ってきなさい。帰りはお父さんに迎えにきてもらうように電話したから」
そうして再び車に乗ると、紅馬は夜見に何かあったのかを感じた。
「それで、何が聞けた」
「一族に憑く神の名がわかりました。名はラルマニ」
「ラルマニ・・・アイヌの言葉だな。イチイの木を指す単語だな」
「イチイ?」
「イチイはな光沢の美しい赤みを帯びた木材で、よく箸とか工芸品に使われる。アイヌだと弓に使っていたらしい。そして、イチイの実は甘くて上質だが、その種子は猛毒で有名だ」
紅馬は、日が落ち始めた山々をチラチラと観察した。夜見はそんな紅馬が意外に感じた。
「よくご存知なんですね」
「俺の師から武と文は表裏一体と習ってな。それで少しばかりな」
車は中心地近くで停まると、紅馬はこの道をまっすぐに行って、枝垂れ桜の木の前に行くよう促した。
「午後五時、お前にお客さんが会いに来る。俺はホテルに行くから、何かあったら呼んでくれ」
紅馬はそう言い置くと読みの前から去ってしまった。
「お客って、誰ですか」
彼の言う通り、武家屋敷通りをまっすぐ歩いていく。しばらくして左手に曲がると、緑に茂った枝垂れ桜の姿があり、そこに立つ二人の人影に驚いた。
「早苗、暁」
夜見の姿を見て驚く二人の元へ駆けていき、二人を強く抱きしめた。
「よ、夜見さん!」
あっという間に泣き腫らした夜見の頭を、暁はそっと撫でた。
「こわかった」
「おうそうかい。知っているよ」
気にしない素振りで涙を堪える暁を見て、早苗はクスリと笑ってから夜見に応えた。
「でも、また出会えたよ」
「うん!会えたよ!早苗!」
笑顔で互いを見合って、自然と笑い出した。
「お前ら、何がおかしいんだ」
「だって、顔真っ赤じゃない」
「お前が一番ひどいぞ。ほら早苗も」
緊張の糸がぷっつりと切れて、溢れるように泣き出した早苗を見た夜見は、彼女のやさゆえの想いの深さを感じとった。だが、いつまでも大声で泣き続ける早苗に、夜見と暁は周囲の目の痛さを感じ始めた。
「早苗さん!早苗さんの想い全部伝わったよ。だから、ね」
一度は泣き止んだが、考えが何周もしたのか再び泣き出した。
「ちょ、夜見が何言っても火に油だ!ほら、ご飯食べに行こう!夜見、今夜どうだ?」
「私のお家で食べましょ!母も喜んでくれるよ。ね?お腹空いたでしょ」
「うん」
夜見は、そんな素直な早苗の姿が愛おしく感じられた。