すたーれす!
いくつも折り重なった時は、いつしかほぐれ、一つの流れとなる。
『鎌倉特別危険廃棄物漏出問題』と世間では銘打たれたあのカチコミ作戦から、早三ヶ月が過ぎようとしていた。あの日降り注いだノロは、各地で荒魂となり、刀使達は事件の追求も間もなく荒魂討伐に奔走していた。
「だからといって、これは」
夜見は押し付けられた報告書のデータベース入力をこなしながら、次々と運び込まれる書類を捌いていった。その山の中で天井のはるか先の虚空を見つめる薫とねねの姿あった。
「薫さん!仕事してください!少し手を休ませて欲しいって、本部長にお願いしたのでしょ!」
「きつい。はたらきたくない」
完全に打ちひしがれる薫を横目に、自身が泣きたい気持ちを必死に押し殺した。
(私だって荒魂討伐の支援に行きたいのに、支隊・オペレーター総動員で書類捌きが進まないなんて)
指揮所の一つである部屋は、モニターを三つ残してほとんど床に置かれ、モニターのあったスペースに積まれるそれを夜見も薫も見まいとした。
「失礼します」
そこへ気品のある顔立ちに、花の香りを纏う女性が現れ、夜見は思わず席を立ち上がった。
「此花さん」
寿々花の堂々とした姿に、ついほっと胸を撫で下ろした。
「夜見さん、私も入力を手伝います。指示をいただける?」
「はいっ!」
寿々花はあの事件以後、一時的に軟禁処分となっていたが、朱音の要請で親衛隊の現場復帰が要請された。しかし、本部が把握できる親衛隊メンバーは真希と寿々花のみであった。
入力を進めながら、寿々花は自然と沙耶香と結芽の所在を夜見に尋ねた。
「わからないのです。あの夜から高津学長、糸見さん、結芽さん、由依さん、そして葉菜さんまでもが行方知れずです」
「真希さんは逃亡中に刀使を助けて、そのまま投降。でも、まだ合わせてもらえませんわ」
「すぐに会えます。今は一人でも刀使が必要な時です」
「使命を果たせば、かならずと?夜見さんは信じさせてくださると?」
「善処します」
決意に満ちた硬い面持ちの夜見を見て、呆れたように首を横に振った。
「肩肘を張るのはいいですけど、それではいつか息が切れてしまいますわよ。私はあなたを責められないのですから」
「どうしてですか、私は紫様から逃げたのに」
「逃げた人が舞草の折神紫派で、今もあらゆる伝手を頼って紫様を保護するために本部長を説得した。そうですわよね、益子さん」
ムクリと起き上がった薫は、澄まし顔でしらないと一言言ってから作業に戻った。
「夜見さん、私はあなたを傷つける言葉を何度も言いましたわ。それでも、罪人の私にできることがあるなら、どうぞなんなりとおっしゃってください。今はただあなたに感謝したい。紫様を守ってくださったことに」
「まだです。まだ、事件の追求は始まっていません。紫様からよく話を伺って、それからです」
そうして書類を黙々と片付ける中、処理部屋に早苗が飛び込んできた。
息を切らせながらも、しっかりとした口調で伝えるべきその一大事の口火を切った。
「高津先生が宣戦布告!?」
時を同じくして茨城県水戸は弘道館の縁側、ここに高津雪那と、黒い詰襟の軍服の如き制服を着る沙耶香、結芽、由依、葉菜の姿があった。
「それで、結芽たちは舞草を切り捨てるわけだね」
結芽は暇そうにしながら、その言葉は雪那に向いていた。
「ええ、舞草はタギツヒメの三体の分裂体を秘匿し、そのうちのイチキシマヒメ、タキリヒメを防衛省と手を組んで秘匿している。三体目のタギツヒメは未だ逃走中、一刻も早く捕らえなければいけないわ」
「タギツヒメは折神紫を取り込もうとした結果、同化現象によって多重人格が生まれ、それがあの日『ヒルコミタマ』と切り離されたことで三体の荒魂として分裂した。その一体ずつは大荒魂のそれを上回り、しかし完全体のそれには劣る」
長い縁側の奥から、葉菜は新緑けぶる庭に目を向けながら雪那の方へ歩みを進めた。
「君たち『悪党』は、沙耶香くんにタギツヒメを吸収させること。ノロを封じながら、それを使役し、消化する力を持つ特殊体質だからできる芸当。そして、沙耶香くんが日本しいては人類の希望と言うんんだね」
責め立てるような口調で殺気をこめる葉菜を、沙耶香は背中で聴きながら静かに空を見上げていた。
「葉菜さん、あなたも今は仲間なんですから、そんな他人行儀にしないでくださいよ」
由依が立ち塞がるが、葉菜の勢いは収まらない。
「別に沙耶香くんの力を否定するわけではないよ。僕が怒っているのは、裏切って敵対するのが君たちの浅はかさだ!」
「うん。だから葉菜、あなたを連れてきた。舞衣がいるのも心強い」
沙耶香の一言に葉菜は頭を抱えた。
「本当に始末が悪い!はぁ、僕は手としてはありだと思う。十条くんの封印が失敗した今、分離したタギツヒメを封印するのはいい手段だ。だからこそ、なんでこんなまどろっこしい真似を」
「舞草も本部も信用ならない。日高見派も同じ。封印を成功させるなら、ブレる要素を断つのが一番。そう判断した」
「それが三女神同士を争わせ、一つになるきっかけになってもかい?悪いが、全てには賛同しかねる。僕は僕の好きにさせてもらうよ」
「構わない。葉菜が動くだけで都合がいいから」
彼女達の前に舞衣が戻ってくると、始末が悪そうにそっぽを向いた。
「また言い争ったの?」
その問いに葉菜は首を振った。
「舞衣くん、僕は確認したまでさ。そして、沙耶香くんは僕の欲しい回答をしてくれなかった」
「それは、沙耶香ちゃんのそばにいる、ほとんどの人がじゃないかな」
舞衣は沙耶香の隣に座り、笑顔で頷くと、沙耶香は小さくも嬉しげに笑顔を見せた。
「そうかもしれないね。それで、首尾はどうかい?」
葉菜の問いに舞衣の回答は明瞭であった。
「宣戦布告をしたのは舞草体制の出足を伺ったまで、でもここまで鈍いなら、三女神の捜索にはそう手間をとりません。それに、タギツヒメ以外の大荒魂のノロを所有する団体の姿があります。私たちはその団体からもノロを奪取します」
雪那は嬉しげに頷き、結芽と由依に紙片を手渡した。
「高津のおばちゃんは、結芽だけじゃ不安?」
「不安ね。大いに暴れてもらうのに、強奪がうまくいくはずがない。柳瀬の立てた作戦は必ず我々の光明になる。あなたのその力は適材適所で使うべきよ」
「はぁーい」
雪那は静かな口調のまま、全員の顔を見回した。
「いくわよ。私たち刀使が偽りの神を御しえると証明するために、『悪党』は必ずタギツヒメを支配するぞ」
早苗の報を聞いて間もなく、薫から夜見たちにある人物への面会を指示された。
「薫さん、なぜにこんな時に」
「こんな時だからだ、お前らの人事を正式決定するには、まだ決定権を持っている人間から裁可をもらわなきゃならん」
「決定権って、まさか」
四人は急ぎヘリに乗ると、沖に向かって飛んでいくに従ってその向こう側に船影が海の靄の中から浮かび上がってきた。それは広大な甲板を持つ空母のような船であった。
「護衛艦かがだ。潜水艦に移乗する前に間に合ったか」
船に着陸すると、そこには真希の姿があった。
「真希さん!」
寿々花は彼女の元に駆け寄ると、強くその両手を握った。
「あなたは何て人ですか、勝手に飛び出して、こうして戻ってきて」
「すまない。訳はあとで話すけど、僕は刀使の使命を果たすために戻ってきた」
「あなたと言う人は」
真希は硬い面持ちを夜見へ向け、笑顔になった。
「刀使の使命、この言葉が重く響いている。だからこそ、これからのことに君も僕も、けっしてその言葉を曲げてはならない。さぁ行こう。紫様が待っている」
真希の案内で狭い艦内をしばらく歩くと、重厚な木製の扉に守られた部屋の前に立った。
「紫様、四人をお連れしました」
「そうか、入ってくれ」
部屋に入ると、そこには変わらない姿の紫が立っていた。夜見は立ち尽くした。
「紫様、ご無事でなによりですわ」
「ああ、命を拾ってしまったようだ。心配ない寿々花、朱音はけっして私を無碍にはしない」
「はい、なによりで、朱音様のことはよく存じております」
無表情で目を丸くする夜見の背中を薫は叩いた。
「よかったな、俺は甲板で風に当たってくるから」
「ねねぇ〜」
薫が去ってから、対するように座り、これまでのことを紫は語り出した。
かつて『相模湾岸大災厄』の折に、タギツヒメを封印すべく鎮めの儀式を行う最中、姫和の母である篝、可奈美の母である美奈都が封印のため隠世へ飛び込んだ。しかし、二人を救いたいとの思いで、タギツヒメを己が身と融合する契約を結び、一件の収束後、タギツヒメと精神が溶け込んでなお、タギツヒメに対抗できる人材と組織の強化に努めた。だが、混濁する精神はタギツヒメの野望成就の助けにもなってしまった。舞草強襲の日、姫和にタギツヒメを封印する最後の望みを掛けたが、一つの太刀の失敗によって紫は肉体と精神を取り戻し、生きながらえしまった。
「そして今はある存在を守りながら、朱音の支援に回っている。特に私に味方してくれる人々の説得が中心だがな」
目を瞬かせながら、夜見は溢れ出す思いの行先を決められずにいた。話したいことは多いが、何から話すべきか迷う。
「真希、寿々花、早苗、しばらく席を外してくれないか?」
三人は示し合わせたようにその言葉に従って、部屋を後にした。
「あの」
扉が閉じると、しばしの静寂が二人の間に漂った。
「皐月夜見、お前を五人目の親衛隊に迎えたかったが、私はフラれてしまったな」
「浅はかであったと思います」
「なぜだ。こうして夜見はお前の誇りを守り通したじゃないか」
「その誇りを守る道建には、常に紫様との縁がありました。そして、どんな姿になっても希望を見失わなかったあなたは、一人でもそばに味方が欲しかったことも」
「そうか、そう気付くのはお前と輝くらいだな。あいつは元気にしているか」
「はい、獅童さん相手に無茶をする程度には」
「なるほど、確かにそれは無茶をしたな」
「無茶苦茶です。流三佐も含めて私は揉まれに揉まれました」
紫は驚いたように、流という名を聞き返した。
「はい、流紅馬さんです。二刀流の斧で荒魂を倒す」
「あいつはまだそんな無茶をしているのか」
「あの方は本当に人間ですか?」
「人間らしいが、常人でないことは確かだ。私に弟子入りを希望しにきた時は参った。三日三晩屋敷前に土下座などされれば、折れるしかない」
「ひどい話ですね!」
「まったくだ」
お互いに笑い合った。
「でも、みなさんのおかげで刀使の力を全て取り戻しました」
「何よりだ。だからこそ、お前の力を借りたい。皐月夜見、お前はまだ親衛隊第五席だ。誇りと使命のために今一度ともに戦ってくれないか」
あの決別の日から、紫は何も変わらず、自身の罪と向き合いながらも未だ歩みを止めていない。まだ戦い続けている彼女の言葉を断る理由はなかった。
「皐月夜見、全身全霊を尽くします!」
紫は満足そうに頷き、三人を呼び戻すとある存在に合わせると、部屋の奥にあるもう一つの部屋に案内した。そこには白く輝く肌に琥珀色の瞳を輝かせる人型の荒魂がいた。全身を隠すような衣服から、彼女の不審にも似た雰囲気が漂ってきた。
「はぁ、とうとう始末されるのだな」
彼女のその言葉に、紫は首を振って否定して見せた。
「お前を私の後輩達に紹介したいだけだ。彼女はタギツヒメから分裂した三女神の一人、イチキシマヒメだ」
「なんで女神の名をつけた。いっそゾウリムシと呼んでくれ、いやゾウリムシに失礼だな」
大きなため息をつきながらも、イチキシマヒメについて語り出した。
「三女神は私の内にいる中でタギツヒメが多重人格を拗らせた末の姿。ゆえに三人の中でもっとも消極的で悲観的な性格だ」
兼光の鞘から小柄が飛び上がり、その上にふわりとスクナビコの姿が現れた。
「なんと、珠鋼の意思が現世に」
〔違うね。君たちノロや穢れの集合体である荒魂がそうであるように、珠鋼も一個の意思を持つものではない。それは、この国に八百万の神という概念が示すとおりだ〕
あれは何かと、早苗を除いた三人が夜見の顔を見た。
〔申し遅れたね折神紫さん。僕はスクナビコ、大洋を渡り、大国ノ主に助け舟を出した神の名を持つもの。夜見くんの銀糸能力を授けた張本人さ〕
喋ってはいるが声を発生していない。口を動かしながら、意識に直接声を届けている。普通の存在ではないのは理解できた。
〔ところでイチキシマヒメ〕
「いや、その名は」
〔僕は勝手に呼ぶからね。それで、君がわざわざ分裂してまで果たしたい願いとは何かな?〕
その問いにイチキシマヒメの回答ははっきりしていた。
「人間との融合。ノロは人と一体となり、人の進化を促すべきだ」
〔珠鋼でさえ、写シという能力を保てる人間と期間とを選んでいるのに、永続的に人間と一体になるのは不可能だ〕
「ならば、数世代をかけてノロに完全に順応できる人間を育てればいい、私にはできないが、すでにできる血筋は存在している」
つい夜見は進み出てしまった。
「血筋って、糸見さんのことですか」
「新しいが、彼女もそうだ。私は居つく場所を間違えたのかも知れんな。さぁ早くバラバラにしてくれ、お前の糸と鍛え上げられた写シなら一太刀でいけよう」
スクナビコをふくめ、ほとんどの人間がため息をついた。
ソファーに寝転がり、明後日の方向を向く彼女をどうこうできる人間はいなかった。