夕闇に染まり出したつくばの街に一台のワゴン車が入ってきた。見た目こそなんの変哲もない白いワゴンだが、その車内には由依、葉菜、結芽、弘名と二人の『悪党』の刀使が乗っていた。
「あと三十分もすれば本社です。貯蔵庫からノロが定期的に移送されているので、どちらに目的のノロがあるかわかりません」
「あなた!貯蔵場所がわかると言っておいて、一箇所じゃないじゃない!」
怒りに声を荒らげた『悪党』の松永衣里奈に対して、四人はいたって冷静だった。衣里奈に由依は落ち着きを払った口調で答えた。
「日高見といえども一点収蔵の危険は百も承知、そのために一騎当千の戦力を二人も投入した」
「日高見派の刀使は精強揃い。それに加えて、非公式だが日高見麻琴は朱音派に協力の意を示したそうだ。それなりに警戒されていることを、視野にいれなきゃね」
「葉菜さんがそうおっしゃるなら、ハイ」
しょんぼりとする彼女を見ながら由依は恍惚としていた。
「かわいい」
葉菜が小さくため息をついた。
「君は変わらないな」
「え?そりゃ変わるわけにはいきませんよ。だって、ようやく変えられた流れをこのまま無碍にしてたまるものですか、葉菜さん。私は私の信念を貫くだけです。あなたもそうでしょう」
「そういう信頼のされ方をされると『悪党』に居づらいよ」
ふと結芽に目を移すと、ゲーム機の画面に照らされて小さな顔が浮かび上がっていた。
「なに?葉菜おねぇさん」
「新作、今は何面に?」
「あと2ステージでラスボス!でも、ラスボスの扉を開く龍玉が見つからなくって」
「ヒントほしいですか?」
自分はすでにクリア済みと言った葉菜の言葉に、結芽は逡巡した。
「おしえ、あ、ううん!結芽の力で見つける!何も言わないでね!」
「そうですね。まっすぐ進みすぎて、ボーナスステージを一個すっ飛ばしていませんか」
目を丸くし、急いでメニュー画面から各ステージのラストをチェックし始めると、隠し扉のステージがあるのに気がついた。そして、膨れっ面を葉菜に向けた。
「ごめんね!でも、このゲームはなぜかクリア直後の空間に戻れる機能がついている」
「あ、まだ隠しストーリーがあるの?」
「それは、クリアしてからのお楽しみ」
再びゲームをし始めると、小さく葉菜に向かってありがとうと言った。
「どういたしまして」
隠しステージに入ると、主人公の過去を振り返る鏡が出てきて、そこに二人の両親の姿が映る。主人公はラスボスを倒す決意を胸に、必ず会いに行くと鏡の向こうの両親の幻に告げる。
(こんなふうに、素直に言えるわけないじゃん。パパとママには、結芽の凄さをわからせてやるんだから)
セーブし、車を降りようとする寸前に、葉菜を柄頭で殴り気絶させた。葉菜の端末を探ると、通話履歴に『岩』の一文字があった。
「やっぱり筒抜けだったみたい。ごめんね葉菜おねぇさん。でも、たとえどんなに凄い人がいても、結芽の敵じゃない。由依おねぇさん、山の方は任せるね。ここは私一人でいいよ」
「はい、はーい。じゃ、無理はしないでね結芽ちゃん」
去っていく車に背中を向けると、田畑の向こうに立つ施設を見上げた。ニッカリ青江を抜き払うと、腕を裂き、暗闇へ向かって血を撒き散らした。
「行け!カラスたち!」
血は琥珀の輝きを纏って十体のカラスとなり、施設へまっすぐ突っ込んでいく。
「スクナビコさん!」
施設の直前で透明な壁にぶつかり、さらに壁にめり込むように四体のカラスが動かなくなった。
目を凝らすと、電柱や木々を利用して丁寧に織り込まれた織物の壁がそびえているのに気がついた。
屋上から飛んできた白い輝きを纏い二振りの御刀を持つ人影が、壁にめり込んだカラスを一体残らずとどめを刺した。結芽はだれであるか気づき、笑顔になった。
「夜見おねぇさんだ!」
夜闇に目が慣れると、互いの間合いまでゆっくりと歩んでいった。
「結芽さん。私だって容赦はしませんよ」
「容赦してくれるの?おねぇさん、結芽に勝てないのに」
「ええ!一度は勝ってみたいと思っていましたから」
「後悔してもしらないよ」
一本の農道に向き合う二人、方や古今東西稀に見る天然理心流の天才、向かうに努力の末に憑神たちに見出された凡才。違う地平を見ながら、何度も互いを意識し、その異なる境遇に親身を抱いた。だからこそ、本気で向き合わねばならない。それが、互いに尊敬に値する剣士であればなおさらである。
結芽は飛び込み、その一瞬の隙をついて血がばらまかれていた。迅移と八幡力をテンポよく組み合わせ、跳ねるように斬撃が走る。天然理心流の相手の呼吸を読み、操る。
しかし、夜見の頭は寒々しいほどに冴え渡っていた。
(小手返し、フェイク?受けて、次の手を見せて、跳ぶ!下段!右跳ねると、胴を狙うから!)
金剛身により強化された胴で受け、二度目の跳ね飛びからの一拍置いたフェイントからの霞剣、しかし夜見の手にはもう一刀があり、写シに届かない。ついに結芽の動きが止まった。
その満遍の笑みに、緊張が夜見の全身を迸り、うっすらと笑みが浮かぶ。
(これが!夜見おねぇさんの辿り着いた先!)
(結芽さん、あなたは私に!どうしてほしいのですか!)
上空を飛んでいた十六匹のカラスが低空に急降下し、まっすぐ夜見に飛び込んできた。結芽は二度下段からの斬撃を加えて、闇の中に飛びのいた。
「これで、いいのですか!?」
〔夜見よ!三段目の迅移を使え!〕
ラルマニの声が聞こえ、夜見は歯を食いしばった。
迅移の第一段階、抜け様に一匹、第二段階に移るとカラスの動きがゆったりに見え、二匹を断ち切り、同じ速度帯に飛び込んできた結芽を見た瞬間、三段目へ加速。目に見えないはずの速度の粒子が同じ速度に流れるのが見えた。
「まだうまくいかないけど、迅移第三段階!」
静止するカラスに対して斬りつけようとしたが、自身の迅移に体が流される。今までの人のいる速度、時間感覚ではない。写シがこの速度に合わせて強化されている分、夜見のポテンシャルが試される。
「つまり、第三段階の速度帯は、人間基準の取捨選択ができない。それこそ、同じ第三段階、一段下の第二段階まで来てもらわなければ、相手にできませんわ」
二週間前、本部の道場で汗水を垂らす夜見の前に、寿々花が立っている。ラルマニから受け継いだ写シの力を扱う訓練に彼女の手を借りていた。
「私も先先代から発動し、受け継いできました。扱えるまでに相当の時間と労力がかかっている。結芽さんのような天賦の才があれば難しくないでしょうが、私たちには培ってきた技術に頼る以外にありませんわ」
「しかし、秘技なのではありませんか」
寿々花は軽い調子で首を振った。
「私の代で途絶えるわけではありません。それに、今のあなたには矢の先に習得が必要。二天一流は紫様と輝先輩が、第三段迅移は私が教えます!あなたも、親衛隊の一員なのですから」
「はいっ!」
寿々花の指導を思い出しながら、翼を翻すカラスたちの方へ切先を向ける。
(もっとも大事なのは、稽古で培った基本の動作を忘れないことですよ)
理解するよりも先に、判断した動きでカラスたちを切る動作を連続させる。荒く、ジグザグに動きながらも、最後の一体を切り終わったところで速度を落とすと、刀を通して重い感触が走った。同時に体を重たいものがのしかかる感覚も走った。
「ぐっ、まだだめみたい」
十三匹のカラスが全て切り裁かれ、地面に滴り落ちた。
結芽は息を切らす夜見に目を凝らしながら、一瞬の光景に見入っていた。
(これは、寿々花おねぇさんの第三段迅移!結芽に)
二段階の迅移を発動して飛び込んできた結芽の斬撃を受け流しながら、しかし、疲労ゆえに全てをいなしきれずついに写シを切り剥がされた。
「すごいところ、見せないでよ」
立ち上がると再び写シを張り直し、二刀を構えた。
「はぁ、ごめん夜見おねぇさん。もう少し、付き合って」
「ええ、落ち着くまで、一緒にいますよ」
「ほんと、そういうところだよね」
斬撃が単調になり始めた。全てを受け流しながらも、素早い攻撃が続く。しかし、戦うことに焦点がいっていない。自分に目を向けているが、戦うことに思考していない。
「私なんか気にしないでよ!わざとでしょ、一人で戦おうなんて」
再び写シが剥がれる。夜見も疲労感に押されて冷静さを失い出している。しかし、それでも写シを張った。
「そうですよ!結芽さんこそ、もっと自分を大事に思ってくださいよ」
「なんで」
「他人の目ばかり気にして、繕って見えるんです!強い結芽さんなんて見せられても、私はそれがあなたの全てとは思えない」
「夜見おねぇさんにわかるわけないじゃん!だって」
結芽の手が止まり、兼光の叩き下ろしで写シが剥がれ落ちた。パタリと尻餅をつくと、夜見も限界を迎えて写シが消え落ちた。結芽に向かい合うように座り込んだ。
「はぁはぁ」
「ごめんね。これじゃ、勝負にならないね」
「もう!いつも結芽さんだけで独り占めするんですから」
そう悪態をつきながら、大きく息を吐き、空を見上げた。体育座りのまま、夜見を上目に見つめる。
「どうしたんですか結芽さん、話してくれていいんですよ」
「最後までちゃんと聞いてくれる?」
「もちろん」
柔らかな笑顔を見せると、結芽は両親の話をはじめた。
史上最年少にして最強、小学生のうちから刀使の適正に目覚めていた彼女は、周囲からその強さを認められ、ずっと通い詰めていた道場の師範の推薦によって、綾小路武芸学者に入学した。
最年少、十一歳の飛び級入学である。
しかし、入学して一週間もしないうちに喀血した。
貧血の末に気絶し、治療の甲斐もあって意識を取り戻したものの、彼女はその病気の名前を知らぬまま入院生活をはじめた。一度は治り、両親はすぐにも退院できると告げた。
しかし、退院直前に咳き込みはじめ、再びの喀血。言い知れない恐怖が沸き起こった。
「ママ!こわいよ!結芽なにも悪いことしてないよ!」
「そうよ、また病気が悪さをしているだけ、わたしたちになら追い払えるわ」
「うん、そっか、結芽は刀使なんだよね。がんばるよ」
「そんなあなたに、ほしかったイチゴ大福ネコの根付け」
「わぁ!ありがとうママ!」
それが母との最後の会話だった。
面会謝絶となると、両親とは会えなくなり、それがまる半年続いた。
看護師の話では、面会ができるようになったと聞いていたが、両親は会いに来ない。
電話くらいくれたっていいのに、どうしてなのだろう。
苦手な本も読み、嫌いな食べ物を食べ、注射を我慢し、唯一会いに来る相楽結月に勉強を習い、手が空けば両親がくれたゲーム機を日がな一日やって過ごした。
気づけば初春すぎの二月、もう一年になろうとしていた。
会いに来たら、うんと怒ってやろうと思った。そして、そして一緒に寝てもらおうと思った。結芽も中学生になるのだからと、両親のベッドから離れて一人部屋だったが、今度は許してくれると思った。
だが、看護師が話すのを聞いてしまった。
ひさしく病室を出ていなかったので、散歩にと廊下を歩いていただけ、聞きたかったわけじゃない。
「六〇一号室の結芽ちゃん。どっちの両親も会いに来てくれないのよね」
「病院の宿泊代、両親は出してなくって、相楽先生が」
「え?それじゃ、ふたりとも自分の子供を」
「育児放棄、それも離婚調停で互いに親権を主張して」
「それで結芽ちゃんに会いに来ないって、はぁ」
若い看護師二人が結芽を見て凍りついた。結芽は手元のイチゴ大福ネコのぬいぐるみをはちきれんばかりに、強く抱きしめていた。
それからであった。
一切の食事を拒否し、看護師を遠ざけ、頑なに人と会うのを拒んだ。
一日をそう暴れ、暴れ疲れたのも束の間、泣き出した。何もかも塗りつぶしたいほどに、頭をカッと熱くしながら泣き続け、叫んだ。
ようやく、気が済んで横になったが、何もする気もせず。二日、三日と何もせずに過ごした。
暴れたあの日にも来た結月が、また会いに来た。あの時は、散々暴言を言ったが、結月のおちつききった顔を見ても、何かを言う元気は起きなかった。
「結芽、あなたの病気はすでに治っている。今まで頑張って耐えてきたから、もう再発の心配もない。それを来週にも言うつもりだった。ごめんなさい」
(だから?)
そう心の中で言って、窓の外の青空を見上げた。春前のまだ冷たい空気が、空を奥まで澄み渡らせている。
「両親のことも、ずっと黙っていたの、言ってしまえば二人が強く願っていたあなたの回復も望めない。生きる気力を無くした人は、大人でも子供でも、とても脆いんだ」
「ずっと、いっしょにいたって、そう言ってくれれば、結芽は我慢したのに」
ひどく淡々としていた。怒っているのに、声をあげる気もない。だから、思いだけをぷつりぷつりと口にした。
「同情なんかしてほしくない。パパとママなんて最低。でも、そんなふうに思いたくなかった」
言いたいことを言い切ったような、胸の空くような思いが湧いた。
結月はしばし俯き、意を決したようにある話をはじめた。
「結芽、荒魂を支配して、もっと強いあなたにならない?」
そしてはじめて、折神紫に会った。そして、その申し出を受け入れた。
「何のために?両親への復讐?」
結芽は首を傾げて、わからないと言い置いた。
「もしかしたらあったのかも、でもね、結芽はあの時、パパとママに私が生きているって、バカな喧嘩やめて、おうち帰ろうってね。でも、どんどん遠回りになって」
「うん」
「わかったの、まっすぐ会いにいくのが怖かった。拒絶されるのも、パパとママがケンカするのも見たくなかった」
「結芽さんが強いところを見せたかったのは、それが理由だったのですね」
「いつか会いに来てくれる。春にさ、夜見おねーさんと話したよね。結芽には何もくれないって、でもね、夜見おねーさんは結芽なんか目じゃないくらい怪我して、悩んで、でも結芽と張り合えるくらい強くなってた。夜見おねーさんがすごいところ、結芽は見たんだよ。勇気って、もしかしたら夜見おねーさんなのかも」
「そうですか、よかった。結芽さんに恩返しできて」
結芽は何のことかと空を見上げ、思い出したように拳銃で大荒魂に立ち向かった夜見を思い出した。
「あそこであなたが助けてくれた。あの日を境に、色々なことを知って、決めて、中途半端だけどここにいる。勇気は無謀の裏返し、でも無謀と諦めると勇気には裏返らない。とっても難しいですね」
「うん、夜見おねーさん、無鉄砲だから、真希おねーさんなんかめじゃないくらいに、ええと、猪突猛進だよね」
「むむ、そうですけど、そんなにひどいんですか!」
膨れっ面の夜見を見て、結芽は嬉しそうに笑った。
「笑いすぎです!」
「あはははは!ふふ!笑いすぎて死んじゃうとこだった!ねぇ!」
「はい」
「ノロって、引き剥がせる?」
立ち上がった結芽の目は落ち着き払った、穏やかな表情であった。
「はい。できます。でも、どのような副作用があるかわかりません」
「いいよ、結芽はノロに頼らなくたって、一番強いんだから!」
自信満々で笑顔を見せた結芽が、ひどく愛おしく感じられた。自分ができることで、力の限り彼女の心に寄り添う。そう素直に思える自分を大事にしたいと、夜見は思った。