四日が経った。
ついに御前試合予選が四日後に控え、親衛隊の人員は警護任務に着くために鎌倉中を西へ東へと飛び回っていた。その中、詰所の受付兼事務室で黙々と書類に目を通す夜見の姿があった。
任務と施設点検と掃除の報告書が、全日・全班分あるかを一週間分確認し、最初のページにある捺印欄に事務の判を押した。
あの稽古の日以来、稽古場に行きづらくなり、由依には日頃から無視され、葉菜と早苗からは曖昧な態度を取られ続けた。他の隊員からも距離を置かれ、こうして班行動から外れて別の任務を黙々と続けた。
(自分が死ぬことなんか惜しくない。みんなを守れるなら、迷わず私は盾になる。でも、それが自分の身のうちに縮こまることと同じだと由依さんは言った)
順番の異なる書類を見つけ、前後を入れ替えた。ふと、報告書の内容が目に入った。
そこには稽古場での出来事が書かれていた。止めることもできない刀使は、親衛隊という責任ある立場を完遂することはできない。情緒不安定な皐月夜見を親衛隊支援部隊から外すようにと書かれていた。
(これは私が選んだ道! 邪魔をしないでほしい)
強く握り込んだ手の痛みで、ふと正気に戻り、悲しげに目を落としながらファイルの紐を綴じた。
(これね、これよね)
玄関先から足音がして、顔を上げると燕結芽がそこに立っていた。
しばらく互いに顔を見合ってから、夜見はどうしましたかと尋ねた。
「紫様も、真希おねぇさんも、寿々花おねぇさんも、沙耶香ちゃんもみんないないから、結芽ヒマなの、相手してよ」
笑顔で御刀を胸前に持ってきた結芽に対して、そっと目を逸らした。
「写シが五分しか出ないんでしょ? 五分でいいから! 」
「お断りします」
「むぅー、じゃあさ、結芽のために何をしてくれるの? 」
その問いに困惑しながらも、お茶にしないかと事務室に手招きした。
「わかった、お菓子ある? 」
「はい、実家から送ってもらったのがいっぱいありますから」
「わーい! 」
暖かいミルクティーを飲みながら、落ち着いた表情で結芽に向き合った。
「このおにぎりせんべい結芽好きなんだよね」
「父が好きで、三重の知り合いに送ってもらっているんです」
「夜見おねぇさんはどこ生まれなの? 結芽はね東京の八王子生まれだけど、パパの転勤でずっと舞鶴に住んでいたんだよ」
ごくごく当然のように下の名前で夜見の名を呼んだが、彼女は気にすることはなかった。
「私は秋田です」
「秋田って、青森の下にある大きな県? 」
「そうです。おいしいお米ができる土地です」
「ふぅーん」
パッと笑顔になるかと思えば、すぐに真顔になって菓子に向き合う結芽へ、どう反応すればいいか迷った。自分の行動の全てを掴みかねているのが、良くも悪くも子供らしかった。
「いつもは、親衛隊のみなさんと? 」
「そうだよ! みんなと遊んでもらうんだ! 結芽はとっても強いから、負けないんだけどね。夜見おねぇさんも負けず嫌いなんでしょ? 弱っちいおねぇさんたちが言ってたよ」
夜見は黙って首を横に振った。
「刀使になれたことが嬉しい反面、すぐに刀使でなくなってしまうと思うと、怖いんですよ」
「なんで? 夜見おねぇさんは強いんでしょ」
「その強さを支えていたものが、自分の大切にしていた願いを傷つけるのです。みんなのために活躍できる刀使でありたいという願いが、自分の理想の姿になって、それを追いかけているうちに誰も見えなくなるんですよ。大事な仲間が見えなかった、見ようとしてなかった。そして、今こうしてあの時の自分を思い出すたびに」
「どういうこと? 結芽にはさっぱりだよ」
立ち上がった結芽は大きく手を広げた。
「自分が小さいと思い込んでいるから、おねぇさんは小さいままなんだよ! 自分が大きい存在だって、みんなにわかってもらえば、きっとおねぇさんを否定する人なんていなくなるよ! 」
「そうですね……もっと相手にも分かってもらわないとですね」
笑顔の夜見に結芽は怪訝になりながら、椅子に座って再びお菓子を貪り始めた。
「夜見おねぇさん、変だよね。取り繕って、結芽には何もくれないじゃん」
「ごめんなさい。私、まだ結芽さんのことあまり知らないから」
結芽は嬉しそうに夜見の顔をまじまじと見つめた。
「やっと名前で呼んでくれたね、夜見おねぇさん。いいよ! 夜見おねぇさんには結芽のすごいところいっぱい教えてあげるからね! 」
「はい、よろしくおねがいします。結芽さん」
結芽は立ち上がって、事務所の奥に立てかけてある木刀を手にした。
「これなら普通に稽古できるでしょ」
詰所前で木刀での稽古を始めた二人を横目に、早苗は物裏から姿を現した。話を聞いていた彼女は隠れるように、廊下を駆けた。
(中途半端なんです)
由依からの強い一言、そして今の会話を耳にしたからこその心持ち。
(大事な仲間が見えなかった、見ようとしてなかった)
誰もいない獅童班部室に入って、自身のロッカーを開くとそこには仲間との写真が貼られていた。
「獅童さんは私の実力を認めてくれたから、ここに呼んでくれた。でも自分の居場所はここだって認めたくなかった。平城で仲良しのみんなといる刀使の生活。もちろんここでも友達や素敵な先輩や先生に出会えた。ん、これがホームシックって言うのかな」
刀を懸架装置からはずし、天井を見上げて大きく深呼吸した。
「でも、知らず知らずのうちに距離をとっていたんだね。親衛隊のみんなから、平城でがんばっているみんなとも、そして夜見さんに。十条さんとあまりお話しすることも出来なかったけど、今ここにいる限りは、ここで私らしくしなくちゃね。心も体も今ここにあるのだから」
テーブルに置かれていたミルクのチロルチョコを口に入れ、その甘さを噛み締めつつ、心を落ち着かせた。しばし、静かに時間を過ごし、時々は御前試合前後の日程に関する書類に目を通した。
「御前試合の日には夜見さんも駆り出されるから、行くとしたら今日かな。一緒に行ってくれるかな」
端末が激しくアラームを吐き、すぐに御刀を手に部室を出た。稽古を終えて、ぐったりと椅子にもたれる夜見を呼び起こした。すでに結芽の姿はなかった。
「お疲れのところごめん! 釈迦堂の切通しに荒魂の群れが現れたの、行こう! 」
「は……はい」
御刀を手にし、早苗の背中を追いかけていった。やがて森を背景にした住宅街の中に入り、切通しの入り口へ駆け込んだ。
「やっぱり、機動隊も来ていない。私たちだけかも」
夜見の不安な顔を見て、自然と笑顔で胸を張った。
「大丈夫! 夜見さんは力の要所要所で力を使って、あの銀糸の力、頼りにしているから」
御刀を抜き、写シを張った早苗は切通しを駆け出した。夜見も御刀を抜いたが、写シを張らずに彼女の背中を追った。
やがて崖の迫る長い道となり、奥に岩のトンネルが頭上にそびえているのが見えた。その下にすでに御刀を手に持って戦っている刀使の姿があった。
「安桜さん! 」
「岩倉さん? ありがたい」
一瞬だけ夜見の顔を見て、目の前に並ぶ緑の小型荒魂の群れに相対した。
「岩倉はそこから私の脇を抜ける荒魂を相手して! 正面のは私がやる」
「それは無茶だよ。せめて応援が来てから」
「私だって、私だってあのまま終われないんだ! 面目を保つためには、こいつらを倒して見せなきゃ」
飛び込んだ美炎は姿見のまっすぐな刀で散々に切り払い、六体倒したところで、群体に囲まれてしまい何度も何度も体当たりによって、美炎は消耗する。
「ぐっ、安桜さんに近づけない! 」
ふと夜見の姿を探したが、どこにも彼女はいない。群れの一体一体に対処しながら、必死に周りを探した。
トンネル上を八幡力で飛び越えた夜見は、銀糸を崖の木々に張りめぐらしながら三体を斬った。
そして美炎に向かって声を張った。
「安桜さん! 上へ」
その声に、美炎はトンネルの天井を背に大きく飛び上がった。
「ありがとうございます! 」
夜見の張った銀糸は左右上下から、群れを一つに抑え込み、小さな出入り口を早苗の方へと向けた。
「早苗さん、安桜さん……五分持たせます、持ってみせます。だから」
複雑に張り巡った糸を必死に抑え込む。荒魂たちは鞠のような銀糸の包囲を破ろうと激しく暴れ回る。歯軋りをしながらもさらに強く引き絞った。
そして、一つの隙間から荒魂が出てきた。
「はぁ! 」
その荒魂を斬り、その次に出てきた荒魂をさらに斬り伏せた。
「うん! 任せて! 五分あればいけるよ! 」
「任されたからには! 」
美炎はその囲いの外から突き、繰り返し突きで一体ずつ倒していく。
ひたすら地味ながら確実に荒魂は倒されていき、銀糸が解け落ちたタイミングで残り二体となっていた。後退りする荒魂は極端に疲労する正面の夜見に狙いを定めた。
「グルゥアアアアアアアアアア」
だが、その二体はその勢いのまま早苗の二連斬で地面に突っ伏した。
三人は膝を突いて、写シを解除した。もっともは激しく呼吸を繰り返す夜見は、かすれかすれに声を張った。二人は大丈夫かと。
「ふざけないでよ」
美炎は地を這って、夜見の体を起こした。
「あなたに心配されるほど、こっちはやわじゃあないの! 余計なお世話だよ」
「そんな言い方! 」
「あなたはデクの木じゃないのは分かったのに! これだ! すぐ他人を見ていた気になる! 」
「私はまだみんな知らないんです! でも、私のことはもっと分からないんです! 」
「他人のフリから? だからまだそうやって! 少しは他人に当たってみたらどうなの! あんたの目の前で気にかけているやつに、本音をぶつけたことあるの!? 」
「そんな、互いに傷つくようなことしたくありません! 」
「痛かったって言ってみなきゃ分かんないんだよ。あなたに負けて、私は隊内の面目を失ったことばかり気にしていた。でも、気づいたんだよ。あなたが最高の仲間だって、私は一人で何も出来ないのだって」
「なんですかそれ、私だって自分一人じゃないって知っているはずなのに、顔を繕って、自分の本音に本気で向き合うこともしなかった。誰も見てなかった。怖いんです、私が無意識にみんなを傷つけるのが」
「そんなもの、ふふ、痛くも痒くもないよ」
泣き腫らした笑顔で、夜見の目をまっすぐに見た。
「あんたが傷つけたのは、馬鹿な私が小さく縮こまるためのちっぽけな殻。でも、そこから殻を破ったのは私自身だ。ばぁーか、傷つけたきゃ本気で来なって」
「うぅ、うわああああああ」
大声で泣く夜見を美炎はその胸で受け止めた。
早苗は涙を浮かべながらも、黙々と回収班の手配を済ませていった。
夕日が海に落ちようとする手前、疲れて寝落ちた夜見を早苗はその背中に背負った。すでに警察と回収班が動き、ノロは全て回収が終わっていた。
美炎は早苗の負担を減らそうと、兼光をその手に抱えた。
「よく寝ているね。本当に五分の時間制限がなければ」
「夜見さんも心が軽くなると思うんだけど」
「え、岩倉さんもそう思っているの? 」
「でもね、自信が満ちた夜見さんより、今日のように、ひとつ、ひとつのことに気付いていける夜見さんが好きかな」
「岩倉さんもそうだよ、山城にああ言われて悔しくなかったの? 」
「少し気にしたけど、でも私のすべきことを再確認しただけだった」
「あ、そう。私は次の稽古で山城にガツンと一本入れてやるんだから! 」
「手加減してあげてね、ところで安桜さん、夜見さんが起きるのを見計らって、どこか食事に行きませんか」
「いいね! 噂通り食道楽なんだ岩倉さんは」
「早苗って呼んで」
「うん、行こうよ早苗さん」
海から吹く心地よい風に打たれながら、鎌倉は夜を迎えようとしている。まっすぐ日の入る道を三人が坂を下っていった。
夕日が差し込む局長室執務室、親衛隊の三人が集まり、沙耶香だけがまだ来ていなかった。
全ての書面に目を通した折神紫は、寿々花へと目くばせした。
「はい、全て以上になります。西日本司令部の茜様からも、全ての参加者への事務手続き完了し、明明後日には美濃関、平城、綾小路の代表が到着します。なお、長船の代表は二日前から現地入りしています。」
「素直だな」
「ノロの扱いと御前試合は別件と言いたいのでしょう。茜様の手腕には感服します」
「だがこれでいい、御前試合終了後まで抜かりなく」
「はい」
三人は席を立ち、紫へ頭を下げた。
そのタイミングでノックとともに沙耶香が入ってきた。その手にはアタッシュケースがあった。
「沙耶香」
真希の不服な表情に構わず、沙耶香は紫へと一礼した。
「高津学長より親衛隊用のアンプルを預かってきました。ミーティングに遅れまして申し訳ございません」
「そういうことだ獅童、許してやれ」
「は、紫様がそう申されますなら」
沙耶香はアタッシュの鍵を開け、三人へとアンプルを渡した。
「高津学長よりの伝言です。今回の投与が最終です。しかし、大事があればその限りではありません」
「結構だ」
「もう結芽には必要ないと思う、それにこれを入れると全身が寒くなるし」
「これが最後だ、我慢してくれ」
そう聞くと結芽は右袖をまくり、アンプルを二の腕に突き刺し注入ボタンを押した。
真希も寿々花も、同様にしてアンプルを注入した。そして沙耶香も、最後に注入した。
赤くしかし琥珀色に輝く適正処理されたノロが、腕から全身へ流し込まれる。
そして空になったアンプルを、ケースのクッション材の中へそれぞれ収めた。
「ご苦労、これからも尽力してくれ」
真希と寿々花が退出すると一人沙耶香が呼び止められた。紫の視線は自然とソファーに座る結芽に向かった。それに対して沙耶香は無表情で構わないと一言言った。
「そうか、ではお前の無念無双は既に完成状態というわけだな」
「はい」
「ならばなぜ私の支配下に入らない」
沙耶香はわざとらしく首をかしげた。
「お前は既に気付いているはずだ、私の身の内にある膨大なノロの塊に、それに屈しない自信があると言うのか」
その全てを包まんほどの漆黒の意思が、紫の言葉の底に流れていた。だが、沙耶香は小さく笑顔を作った。
「私は紫様の力にではなく、魂に忠誠を誓っています。自らの意思で紫様の鉾となり、そして時に貴方様を戒める双刃となりました。そして、紫様に私が害を成すとき、私の意思にしたがって自らの命を断ちます」
「なら、証拠が欲しいものだな」
まったく冷徹な紫は机の中から短刀を取り出し、沙耶香に差し出した。
沙耶香は臆することもせず、それがさも習慣であるように、脱いだ制服の上に、短刀で右腕を切り始めた。強く歯を噛み締めながら、骨を切先で砕き割り、執務卓が汚れぬよう置いた制服の上に切った腕と拭き取った短刀を置いた。
「たとえ両腕を失っても、私は紫様とともに戦います」
「よかろう、我が手駒として十分に働けよ」
「はい、感謝いたします」
右腕を切り離した場所に近づけると、体からノロの手が伸び、綺麗に右腕を繋ぎ合わせてしまった。
「机を御汚しして申し訳ございません。すぐに係のものを呼んでまいります」
「構わん、だが糸見沙耶香よ、そこへ向かうことがお前の望む方に向かうとは限らんぞ」
「はい、所詮は人ですから、では失礼します」
退室しようとする沙耶香に、黒いシャツを結芽は彼女に投げやった。
「下着姿のままで帰るのはダメだよ、沙耶香ちゃん」
「どうも」