美炎はゆらめく炎の中にいた。
暖かさはあるが、熱さや痛みはない。
「美炎」
自身を呼ぶ声がする方へ振り向くと、その穏やかな笑顔の女性は美炎を抱きしめた。
「え?ええ?」
「やっと会えました。何百、何千の時と世界を越えて、こうして美炎のためにやってきたのです」
荒魂であることは間違いない。しかし、コヒメのように悪意や、嫉みといった思いは感じられない。彼女は長く会えていなかった旧友を見つけたように、美炎をじっと見つめていた。
「ごめんね。わからないよ」
「はい。そうですね、私はカナヤマヒメ。かつて愛宕の内に私という人格を、外に本体を分祀され、長らくあなたとともにあった者です」
「あなたが」
あの綾小路を襲った荒魂の軍団。
調査隊は荒魂達を倒していったが、タギツヒメが奇襲をかけてきたことで状況は一変。由依もノロによる強化もむなしく倒された。だが、美炎に走った一本の糸が、彼女のうちに眠っていたカナヤマヒメの力を発現させ、タギツヒメを退けた。
「でも、なぜあの時に」
「スクナビコさまが、美炎の力になりたいという希望を繋げてくださったのです。銀糸は、思いと時空とを結ぶ力もあるのです」
「夜見の憑神さんって、そんなすごい力を持っていたんだ」
「ですが、コヒメさんを攫われてしまいました」
「うん、もしかしたら、もう」
悲しげな顔を浮かべる美炎に、カナヤマヒメは首を横に振った。
「まだコヒメさんは生きています。ノロはノロどうしで結びつこうとします。それは、相手がどういう状況なのかも知れる」
「本当なの!?」
「はい。私は美炎に嘘をつきません。もう二度と」
美炎の顔から悲しみが消え、溌剌としたいつもの彼女がそこにいた。
「ありがとうカナヤマヒメ」
「いえ、まだこれからです。そのために私は力をお貸しします。あなたからもらった全てをお返しするために」
「うーん、私にはカナヤマヒメに何があったのか分からないけど、でもお返しじゃなくて、一緒に戦って欲しいの!」
その美炎は、誰でもない美炎自身だと理解したカナヤマヒメは嬉しそうに頷いた。
十二月に差し掛かった。
新調した拵えで戻ってきた御刀を佩き、詰所に戻ってきた夜見の前に、美炎たち調査隊が待っていた。
「夜見、待っていたよ」
「はい、出発しましょう!」
この日、コヒメの返還交渉のため、夜見と早苗、そして調査隊が向かうこととなった。
「本当のところは、イチキシマヒメを白河の研究所に移送するための、陽動と引きつけの役目の役目なのですが、コヒメさんを助け出したいところです」
三時間ほど、車が大洗に到着するとホテルの前に葉菜が待っていた。
神妙な面持ちで美炎が葉菜の前に立った。
「美炎!」
葉菜の背中から、コヒメが飛び出してきて美炎に抱きついた。
「え、コヒメ!」
感情が幾重にも空回りしながら、体には心配ないかを尋ねた。
「うん!何もなかったよ!沙耶香ね、最初は嫌いだったけど、今は好きだよ」
そう笑顔で言うコヒメを見ながら、夜見と早苗は葉菜の隣に立った。
「あの、これは」
「僕もね、一度止めるのが精一杯と思ったんだ。でも気づいたら、沙耶香はコヒメに対してお姉さんのように振る舞い出したんだ。そして、何もせずここに置いていった」
早苗はその言葉に疑問を抱くと、葉菜の顔が寂しげであるのに気づいた。
「もしかして、沙耶香さん達は」
「ああ、僕らだけ、君たちが来るのを待つために置いて行かれた。『悪党』は鎌倉を目指している」
「葉菜さん!」
「申し訳ない。最後の最後は組織の意思ではなけて、沙耶香自身の意思で動いた」
すぐに薫へ連絡を飛ばしたが、福島の白河へ向かった移送組も混乱に包まれていた。
「すまねぇ、こっちもタギツヒメに襲われてな、やっぱりイチキシマヒメも、タキリヒメも、互いの位置をよく把握していたようだ。で、なんだ」
「大洗に悪党がいません。居残った葉菜の話では鎌倉に行ったそうです」
「まじかよ」
護送の車もろともひっくり返った車列の中、逆さまのまま腹の上でひっくり返るねねの腹をいじった。
「ねねぇーっ!」
「よいしょっと、まずいなぁ、よりにもよって袮々切丸を本部に置いてきちまった」
「薫さん!」
「心配するな、こっちはタギツヒメと戦いながらイチキシマヒメを逃がす。お前達は急いで鎌倉に戻れ」
「戻れったって」
「輝を呼び出せ、すぐに来てくれる。毎度ですまないが、たのむ」
「了解!そちらの無事を祈ってます」
「おう、ありがとう。また後でな」
電話を切ると、トラックから出てきた紫とイチキシマヒメを見つけた。
「二人は逃げてくれ、必ず追いついて見せる」
「ああ、頼んだ」
「それと、沙耶香たちが鎌倉に向かった。何か心当たりはないか」
紫は首を振ったが、イチキシマヒメはわかるとつぶやいた。
「本当か?」
「ワレの最初の形態、あれは人への失望と怨念の権化だったが、同時に人の怨念もこもっていた。必ず多くの人間を殺す。そのために、あそこからさらに大きくなろうと、ノロを欲した。そのノロが地の底に封じられた場所が一つある」
「そうだったのか、江ノ島を選んだのは」
紫の俯いた顔から目線を外し、薫は大きくため息をついた。
「江ノ島の地下のノロが目的か、今は夜見たちに任せるしかねぇ。紫様、頼んだ」
「ああ、わかっている」
イチキシマヒメを連れ、その場を遠く離れていくのを見守り、歩んでくる荒魂の大群に体を向け、山鳥毛を抜き払った。
「薫さん、一人では無謀でしてよ」
寿々花と真希が薫の隣に並んだ。
「タギツヒメが隙を狙っているなら、隠れ蓑を一匹でも多く斬り祓うのが僕たちの仕事だ」
「おう、作戦通りに」
三人は構え、そして飛び込んでいった。
時を同じくした鎌倉、特祭隊本部。
司令室に殴り込んできた『悪党』は、本部長である紗南を人質に取り、施設を占拠した。
彼女を取り押さえる舞衣は、荒魂の討伐任務を続行させた。
「柳瀬、乗っ取りか機能不全を狙うなら、まずは任務を停止させるのも手だろうに」
寂しげな舞衣は黙って首を横に振った。
「私たちは決して特祭隊を乗っ取る気はありません。もう、沙耶香ちゃんに決着をつけさせてもいいと思いまして」
「決着?」
「おねえちゃんとしては、もっと沙耶香ちゃんのわがままに応えたいのですが、このままだと沙耶香ちゃんのためにならない。だから、一人で行かせました」
背を向けてモニターを見つめる雪那へ、構わないかと尋ねた。
「ええ、全ての責任は私がとります」
「雪那!それで、それで啓介さんと、美香が良いと言うのか!」
「勿論、いいはずがない。でも、私は沙耶香に深い傷を植え付けた。荒魂でも人でもない存在にしてしまった。だから、あの子が願う全てを叶えるのが私の精一杯の『贖罪』よ」
「雪那」
江ノ島の弁天橋を歩む沙耶香の後ろに、結芽の姿があった。
吹き付ける風の向こう側には、青く聳える富士山の姿も見えた。
「結芽、あなたは好きにしていいんだよ」
「そうだね。だからここにいるよ。沙耶香ちゃんのすることを、最後まで見守るために」
「そう、ならいい」
鼻息を鳴らして、沙耶香の隣に並んだ。
「沙耶香ちゃんの自分に正直なところ、好きだよ」
「結芽。わたしは世界がなくなってもいいと思っている。だから、全て壊すかも」
「いいんじゃない?」
少し怪訝そうにする沙耶香に、結芽は嬉しそうに言葉を続けた。
「結芽のパパとママは、ずっーと病気と戦っていた結芽をほったらかしてケンカしてたんだよ!ほんっと、ひどいんだから!だからさ、一度くらいはひどいめにあっちゃえーって!」
だが、首を傾げて困った表情を見せた。
「壊してほしくない?」
沙耶香はふと、そう尋ねていた。
「どうなんだろう。でもさ、世界が壊れなかったら、パパとママに会いにいく。たとえ、ぞんざいにされても、結芽の気持ちをちゃんと伝える。また一緒に帰ろうって」
うらやましい。
でも、本当はそうすることができる。
今すぐ踵を返して、高津先生にもうやめようと、そう言えば、三人の夢は終わる。
先生とおねえちゃんと、わたしが『希望』になる夢。
そして、夢をやめて、みんなの中の一人になれる。それを舞衣が、可奈美が、みんなが教えてくれた。
(あの日、お姉ちゃんを斬った。救える希望を、幼さにかまけて振り捨てた)
だから、前に進む。
(私は完成された者。その使命を成し遂げれば、お姉ちゃんにもきっと会える)
失敗は許されない。必ず全ての荒魂を滅する。
「そう、だったら私は戻らない。始めたからには、変えられない」
沙耶香は御刀を抜き払った。その抜き身は、妙法村正ではなかった。
歌仙兼定。あの日から蓋をしてきた、最初の御刀。
「はじめよう。私が平穏の礎になるために」
写シを張ると、全身が白と黒の装束に包まれ、白い顔には琥珀色の目が輝いた。赤く輝く両角が結芽の表情を曇らせた。
八幡力で地面を跳ねると、長く続く参道の先にある鳥居の前へと降り立った。
「これだけ近ければ、境界を通して地下のノロを引き出せる」
鳥居の前に手をかざすと、透明な波が何度も起きては繰り返し、何かを掴むと大きく引き上げた。その瞬間、江ノ島の周りの沖からノロが沸き立ち、空へ向かって伸びていった。
結芽の脇を、逃げ惑う人々が一斉に弁天橋を駆けていく。
人々にはそれがわかった。
災厄は起こった。
それが最後であるかを、別として