朝五時半に起床、
元宿直室の畳間に彼女は寝起きし、そそくさと布団をたたみ、彼女は道具一式を持って洗面所で身支度をしながら、携帯の画面をスクロールして予定を確認する。化粧水が少なくなっているのに気付き、今日中にも買いにいかなければならないと簡単にメモをする。ワッペンをペンホルダーのマジックテープに貼り付け、自分に向き合った。
夜見は大きく、そしてゆっくりと深呼吸した。
「さぁ今日もよろしく」
宿直室に御刀を取りに戻り、事務室で食堂の書類を手に二階に上がった。
食堂の扉を開くと既に調理を進めている料理長と手伝いの女性に挨拶した。
「おはよう皐月さん。今日も早いね」
「いえ、まだまだです」
食堂の清掃係の書類を確認し、手伝いの女性からハンコをもらった。
「今朝は君と親衛隊の四人だけでよかったね」
「はい、私は先にいただいて朝稽古へ」
「ん、わかりました。すぐに出すから書類片付けちゃいなよ」
食堂は親衛隊メンバーの基本的な三食と、待機任務の露払い部隊向けに食事を作っており、献立は特祭隊本部寮とまったく同じである。
一枚一枚を簡単に確認し、自身の署名を入れてから、テーブルに書類とペンを置いた。
「できたよ、納豆いる?」
受け取り口に行くと、白味噌に大根の浮かぶ汁物と茶碗の白米、卵焼きとベーコンの付け合わせ、それとひじきと豆の煮物の小鉢が乗っていた。
「はい! ください! 」
彼女はまず白米の炊き具合を一口目に確かめる。
「ふむ、さすがですね。米はコシヒカリ、千葉県産かも」
朝食は急がない主義なのだと自分位言い聞かせながら、目玉焼きを砕きのせてご飯に馴染ませるように混ぜる、その上に納豆をかけてから、準備にと味噌汁を一口飲んで和む。大根は汁が染みて食べやすくなっている。
それから、ちまちまと小鉢をつつきつつ、納豆卵ご飯を食す。父が急ぎ職場に出る時は決まってこの納豆卵かけご飯を食していた。あまりにもズボラな食べ方だが、納豆ダレの辛味をほどよく卵が和らげてくれ、また栄養も必要分取れる。何より、父に真似て子供の頃からこの食べ方を実践してきたのが一番だろう。
食事を終えると、最初に此花寿々花が食堂に顔を出した。
「あら、もう食事を終えられましたの? 」
「今日から朝練に参加しますので」
「そうですの、でもお茶の一杯は付き合ってください」
笑顔の寿々花が自然と焦るなと念押しするやさしさに、思わず顔が綻んだ。
「わかりました。お言葉に甘えて」
真希も来て、二つ食事を出すように言うと、一階から寝起きの結芽を連れてきた。しばらく会話を交わして、時間が近づいたため夜見は先にその場を辞した。結局、班長である沙耶香と顔を合わす機会が全くなかった。
稽古着と木刀を手に道場へと走った。出勤する職員の間を抜けて、本部稽古場の親衛隊に割り当てられた道場に入った。
「おはようございます! 」
深く礼をして、既に稽古を始めているメンバーの一人が更衣室に駆ける夜見を呼び止めた。
「おはよう皐月さん、昨日の疲れはもう大丈夫? 」
美炎は快活な笑顔で、振り向いた夜見の顔をみやった。
「おかげさまで、無理をしない程度には稽古に参加します」
「わかった! 着替え終わったら声かけて! 」
稽古をしていた隊員たちは、数日前とは一転して明るく振る舞う夜見に、不思議と安堵感を覚えた。道場の隅っこで刃合わせを終えた二人の隊員が、快活な夜見の姿を見つめていた。
「やっと一歩踏み出したみたいだね」
「そもそも写シをのぞけば実力は警ら科一だったじゃない、何もこだわる理由はなかったんだよ」
「強いて言えば、あそこで山城が余計なことを言わなきゃ、昨日みたいなことには」
「なにぃ? 私がどうしたって? 」
大太刀の木刀を手に、由依は二人の前に立った。
「聞いていたのね、人聞きが悪い」
「私はね、戦う者の相応の覚悟が皐月ちゃんにあるかを尋ねたの」
「覚悟」
「たとえ事態がどうあっても、信念を突き通せるかということをね」
二人を避けて、やや空いたスペースで木刀を手に型に沿った素振りを始めた。軽快な木刀捌きに二人は思わず見惚れてしまった。
夜見が更衣室を出るときには、葉菜も彼女とともに稽古着を着込んで木刀を手にしていた。
「朝の木刀稽古だったら、君の写シの問題も気にせずに済む。さぁウォーミングアップを始めようか」
「はい、ところで山城さんは」
「あそこにいるよ、相手してくるかい? 」
「ええ、先日は体が思うように動きませんでしたから、今なら」
「よし、いいだろう」
不満げな美炎も連れて、三人は由依の前に立った。由依は稽古の申し出を満遍の笑みで承諾した。
「なるほどね、いいよ。昨日の噂は私も聞いていたから、かわいい皐月ちゃんの相手になってあげる」
「お願いします」
「ふふーん、どうも」
双方に木刀を構えた、由依は切先を夜見に向け、夜見は八双の構えで由依に対した。
「いきます! 」
滑り込むように走る大太刀の切先を、回すように捌きつつ、一歩前に出るが足を二歩ずつ下げながら、何度も何度も打ち込んだ。夜見はただ冷静に刃を受け止め流し、隙あらば強靭な打ち込みを利用して積極的に由依の近間に入り込んだ。
「そこっ! 」
突然に夜見の木刀をかち上げて間合いを離した瞬間、大きな切り込みが左上段から落ちた。だが一歩届かない。しかし、夜見は由依の足取りが変わるのに気づいた。
「はいっ! 」
突きが首筋に走り、長い木刀の切先が喉笛の一寸手前で止まった。夜見は広げていた両腕を静かに降ろした。
山城はそのまま切先を引いて皐月が構え直すのを待った。
「そんなに緊張しなくても、たかだか刃合わせじゃない! 」
「ですね」
息を一気に吐いて、呼吸を整えた瞬間、夜見の右上段からの一撃が大太刀を打った。しかし、わずかに切先を上げて受け流し、そのまま小さく打ち込み返した。だが、夜見はそれを待っていた。
(気づいたみたいだね)
木刀の鍔が鋭い打ち込みを受け止め、そのまま走り込みつつ、由依の近間に峰に手をそえて刃を一寸手前に押しやった。そして両者は静かに間合いを離した。
「人が悪いですよ山城さん」
「いいじゃないの! 皐月さんだって、その気になれば刃を弾き飛ばせるくせに」
「あくまで稽古ですよ」
「ま、少しは自分の身の丈がわかった? 」
「ええ、由依さんが覗き込める程度には」
「なるほど! そこまで縮こまられると腰が痛いよ、あはははは! 」
夜見は終始困った面持ちで由依と言葉を交わした。そのやり取りを見ながら美炎は心配そうに葉菜へと声をかけた。葉菜も浮かない表情で顔を合わせた。
「葉菜、由依のやつ」
「わかっているよ美炎くん、もしかしたら同じところにもういないかも」
「つまりは惡党に? 」
「とっくにね」
美炎と葉菜は僅かに硬い面持ちを突き合わせ、黙って木刀を手に間合いを取った。
「むしゃくしゃするけど、やるしかない! 」
「ええ! いきます! 」
獅童真希を迎えて朝練の挨拶と総がかりがはじまり、あっという間に朝練は終了して各々は学業と任務に戻っていった。そして、夜見は葉菜と由依とともに、待機任務に着いた。
始業のベルとともに、刀使の長くも忙しい待機任務が始まる。
基本的には本部からの出動要請を確認できるパネル前にいるのが基本、班ごとに部室があるため三人は糸見班の部室に待機するのが基本である。
ノックののち、早苗の明るい表情がひょっこりと顔を出した。
「おはよう葉菜さん、由依さん、夜見さん! 」
「おはようございます、早苗さん。そちらのみなさんは」
「こちらは大神さん、六島さん、兵藤さん。今日一緒に待機任務につく獅童班のメンバーだからよろしくね」
いつも二人の部室はこうして賑やかになる。
待機中は雑談こそすれど、基本的には学業の課題を片付けるのが基本である。待機任務日を申請した生徒は各教科の教員から、その日の授業に関するテキストと課題を出される。教員によって簡単なものから、800字以上のレポートに、問題集の指定とレパートリーは広い。
「皐月さん、たしか警ら科出身だったわね」
「はい、そうですよ大神さん」
背の高い色白美人の大神は、条例関係の課題について夜見に尋ねた。
「特別災害条例2条34項の銃火器および大型刀剣の使用と、35項のその保証についてですね。わかりますよ」
大神の隣にいた眉の太い六島が二人の前に顔を出した。
「えーっ大神さんばかりずるいよ!私もそこ教えて」
それに続くように小柄で丸い兵藤も夜見の隣に顔を出した。
「このひょーどーなずなにも教えてほしいの! 」
「わかりました! 」
その様子を眺めながら、一通り済ませた葉菜と早苗は課題を横にお茶を一口飲んだ。
「夜見さんもすっかり慣れましたね」
「いいや、素を出していいか迷っている感じだね」
「素? 」
葉菜は楽しそうに小さな笑い声を立てた。
「君が知らないなんて信じないよ、彼女が後援会のおばさま方と仲良しなのは」
「あ、そういえば」
「刀使の情報をスリーサイズに至るまで網羅し、それらは基本的に後援会会員の秘匿事項! あの人たちがいるおかげで、僕たちは変な男性に追っかけられないが、実はそうした男性たちと同じくらいに危険な追っかけ集団! 夜見くんもその構成員じゃないと言い切れるかい? 」
「聞いたことがある! 年度ごとに現役刀使のサインとプロフィールをまとめた、刀使補完計画っていう本を作っていて、今年度分の作成が二日前から始まったって噂」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
「そんなことがあるわけないよ! 」
「僕も風の噂でしか聞いたことがないもの」
「楽しそうだね」
由依は複雑な表情で課題に向かっていたが、耳は二人の会話に向いていたようである。
「大方、皐月くんのことだろ」
「私が囲まれたいのに! でも、ああして笑顔でいるのを崩すのは忍びない。皐月さんは見てる分には可愛いのだけど! 」
「うそつけ、君が皐月くんにご執心なのはよく知っているよ」
「葉菜さん! 私は全女の子には平等なの! 誰か一人はぜっーたいない! 」
「そうかそうか、じゃあ今日の夕方は鎌倉の通りで、一緒に買い物へ行く約束だったのになぁー」
「皐月シャンと! 」
「ふふ」
悶える由依を横にパネルから出動の指令が入ってきた。早苗は御刀を手に車庫に向かうように指示し、隊員たちはすぐさま動き始めた。
部隊としては危険な任務を任される傾向がある部隊であるため、早苗を筆頭にその実力は全国トップクラス。それはすなわち、火消し部隊に位置付けられている。
「火消し? 」
西へ西へと、海岸線を上空を翔けるヘリの中、けたたましい音の中で夜見は声を張った。大神の澄んだ声が夜見へと発せられた。
「ぼやって、家にある消化器でどうにかなるじゃないですか。でも、火が大きくなると自分や近所だけで対応はできない」
「そこで消防車がおっとり刀で駆けつけるわけですね」
「そうです。大型もしくは大群に特化した火消し屋が親衛隊支隊の基本任務です」
夜見のポケットの端末が鳴動し、急いで受信したメールを確認した。
「あの早苗さん、目的地は長野県の大平でしたよね」
「そうだよ、山間だから車に乗り換えての急行になるけれど」
「私の幼馴染の子が美濃関からの先発で出撃しているんです」
「じゃあ、ひさしぶりの」
「はい! 」
ヘリは長野県山間部に到着すると、車に乗り換えてすぐに中山道こと木曽街道を上り始めた。約1時間後には大平宿の手前である大妻籠へ着いた。だが、そこには怪訝な表情の暁ら美濃関の刀使の顔があった。進み出てきた刀使は制服の上からスカジャンを羽織り、夜見たちを舐めるように見たのち、腕を組んだ仁王立ちで相対した。
「あの、本部から派遣されてきた親衛隊支隊です」
「遅い」
「え」
鋭い剣幕に、暁の後ろにいた美濃関の刀使たちも目を丸くしていた。
「今から大平街道を東に登ったら! 暗すぎて帰れなくなるんだよ! ただでさえ森の深い地域なのに、来るのは最悪十時と聞いていたが、今何時だ」
「一時五分です」
「だめだだめだ!おいそこのあんた。そうだ夜見! 皐月夜見はどう見る? 」
暁の突然の名指しに困惑する早苗の隣を抜けて、夜見が進み出た。
「つまり、逃げ込まれると半日で討伐は終わらないのですね」
「そうだ、狗型が最低二匹、三体目らしき反応もあった。この事態を如何するよ! 」
「我々は任務であれば最長一週間の現地滞在が許されています。あなたが焦る必要はありません。それに我々の人数であれば、周辺施設に別れて荒魂を監視できる。幸い、ここにいる支隊メンバーは断続的な迅移による長距離移動に慣れています。これでも不十分ですか? 」
さも当然のように、やや淡白な口調の夜見に支隊のメンバーは驚きつつ、しばし夜見と暁は互いに睨み合った。そして踏み出した途端、互いに笑いながら抱き合った。
「上出来だぜ夜見! 俺の目に狂いはなかった! 」
その光景に美濃関と支隊は唖然とした。ただ一人由依だけが光悦のまなざしで二人を見つめる。
「本当に刀使になったんだな! ひよっこかとおもったらどうよこの堂々たる様! 」
「ひどいですよ! ずっと警ら科にいたんだから、御刀に選ばれなかっただけで、少しはできる自信はあったんだから」
「すまない! 岩倉さんもすまなんだよ。遅れる旨は聞いていたから、必要な準備はやっておいてある。邪険にしてすまない、つい幼馴染のこいつを試したくなったものでな」
「覚えていなさいよ暁! 」
「それじゃあ、お泊まりですか」
葉菜の一言に支隊一同は凍りついた。
「心配しなさんな、必要なものは美濃関から取り寄せるから、早めに着替えの枚数や身の回りで必要なものを教えてくれ。必要なら街の方に買い出しに行こう、経費は特祭隊中部管区もちだからな」