織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第17話 美濃平定

 

 尾張からの援軍が墨俣城に入ったのは、やっと未明を過ぎたぐらいの早朝だった。この到着の早さには深鈴、犬千代、光秀といった面々は勿論の事、野武士達の一人に至るまで等しく驚き、してやられたという顔になった。

 

 皆、いくら信奈が本拠地を小牧山に移して美濃への距離が近付いたとは言え、到着はてっきり昼頃になるとばかり思っていた。それがここまで早く着くという事は、夜を徹して行軍してきたとしか考えられない。これは信奈がこの墨俣への築城をどれほど戦略的に重く見ているかの証でもあった。

 

 白馬に跨り、紅い外套を翻して南蛮風の甲冑を身に着けた姫大名の麗容を目の当たりにした野武士達はまず言葉を失い、何拍か遅れて歓声を上げた。姿もそうだが、雰囲気がうつけ姫のそれではない。その凛々しさ。この姫が戦場に立つ限り自分達に負けは無い。そんな幻想を抱かせるに十分な神々しささえ、今の信奈は纏っていた。

 

 彼女に続き、勝家や長秀といった織田家のおもだった武将達もそれぞれ入城してくる。

 

「お待ちしておりました、信奈様……お早いお着き、恐縮であります」

 

「堅苦しい挨拶は良いわ。立ちなさい、銀鈴」

 

 膝を付いて自分を迎えた深鈴に信奈はそう言って返すと、自分もさっと下馬した。深鈴のすぐ後ろに居た犬千代や光秀も、その言葉を受けて立ち上がる。

 

 そうした所で、昨日の掘っ立て小屋のような状態からは見違えるようになったこの城を、信奈達は見渡す。

 

「しかし、多少時間が掛かったとは言え、本当にこの墨俣に城を築くなんてね……」

 

「それに、これだけの兵を集めるなんて……」

 

「期待以上の戦果ですね……流石は今信陵君。百二十点です」

 

 他の者達がどれだけ多くの兵や人足を投入しても蹴散らされ、多数の死者を出して持ち込んだ木材を奪われるだけだったのに、深鈴は一人の兵も使わないどころか逆に五千の野武士達を兵として集めて織田家への仕官話を取り付け、大幅な戦力増強まで行ったのである。信奈達の絶賛も頷けるものがあった。

 

「いえ……私だけの力ではなく、十兵衛殿や犬千代、五右衛門や川並衆の協力や、この三寸の舌先を信じて命を懸けてくれた野武士の皆があってこそです」

 

 と、深鈴。これは彼女の本心だった。彼女は自分自身が無力である事は百も承知。だからその非力を補う為に商売を初めて金を手にし、多くの食客を集めた。今回の墨俣築城に限らず、今まで立ててきた手柄は周りの者の力添えがあってこそだ。

 

「ですから信奈様、失礼かとは存じますが……皆への十分な報酬と、野武士達には仕官話に間違いは無いと、この場で確約していただけないでしょうか」

 

「ん、良いわよ。勿論銀鈴、あんたもだけど。十兵衛に犬千代。稲葉山城攻略、ひいては美濃制圧が成った暁には、相応の恩賞を約束するわ。そして……」

 

 信奈はずらりと揃った野武士達を見渡す。

 

「あんた達、私の父が昔、御所に四千貫を奉じた話は知ってるわね? それはこの乱世を天朝の御世に返そうという志があったからよ。私もまた、その志を継いでる。この美濃を平定し、それを足掛かりに百年続いたこの乱世を終わらせる。民が幸せに暮らせる国を作る、それが私の目的よ!! そう聞いたらあんた達、私が頼まずとも協力せずには居られないでしょう!? 野武士の主君は朝廷の他に無いと言うけど、口先ばかりの輩を私は野武士とは認めないわ!! それはただの野盗、ごろつきの類よ、分かった? 分かったらこれからは、織田の家臣としてその力を使いなさい!!」

 

 熱田神宮の戦勝祈願を思い出させる火の玉のような信奈たった一人の迫力によって、五千の野武士達は圧倒されて一人も声を出せずにいたが、ややあって、信奈のすぐ前に立っていた一人が、傅いて臣下の礼を取る。

 

 それに続くようにして一人、また一人と膝を付いていき、やがてこの場の全員が彼女への臣従を示した。この時を境に彼等はもう野武士ではなくなり、織田家に仕える歴とした侍へと生まれ変わったのだ。

 

 これを見た勝家はあんぐりと口を開いたまま呆然としていて、長秀は苦笑しつつ「元気は十二分、百点です」と採点した。深鈴と光秀もまた、苦笑と共に顔を見合わせた。

 

「ところで……今信陵君って、何?」

 

 長秀の袖を引いて、犬千代がそう尋ねる。

 

「あら、ご存じなかったですか? 最近の尾張では、深鈴殿がそう呼ばれています。半兵衛殿の知略が三国時代の諸葛亮孔明の如しなら、人の才を見抜き、客人を大切にする深鈴殿は春秋戦国の信陵君の如しであると」

 

「……誰?」

 

 犬千代は首を傾げる。彼女の疑問には、半兵衛が答えた。

 

「唐国での春秋戦国時代、魏王の腹違いの弟で戦国四公子の一人だった人物ですね。身分を問わず人を大切にしたので人望があり、食客は三千人を数えたそうです」

 

「大勢の食客を抱えた人物なら他にも鶏鳴狗盗の孟嘗君や、秦の相国を務めた呂不韋が居るですが……信陵君は各国に優れた情報網を持っていたという逸話もあるですからね。同じように諜報部隊を持っている先輩のあだ名には、相応しいかもです」

 

 光秀が補足する。一方で深鈴は「私には分不相応な名前ですね」と照れた様子だ。信陵君と言えば、当時強国である秦は常々魏を侵略しようと狙っていたが、彼が居たからこそ十数年間手を出せなかったと言われるほどの人物だ。それほどの大物に、自分が比べられるとは……気恥ずかしくもあり、恐れ多くもある。

 

「あんたの実力は、私だけじゃなくここに居る皆が認めてるわ。それに噂は噂、あんたはあんたでしょ? 気にしすぎない事ね。私は魏王と違って、あんたを恐れはしないし」

 

 信奈がそう言って話を締め括り、城内で軍議を行う運びとなった。

 

 

 

 

 

 

 

「墨俣に築城成るの報を受けて、美濃の国人衆は続々織田に寝返ってきています。今や稲葉山城は孤立無援。落とすにはまたとない好機かと……」

 

「長秀の言う通りです、姫様。今こそ全軍で攻め上り、稲葉山城を落とすべきです!!」

 

 一際大きな声でそう言うのは勝家だ。確かに、今が攻め時である事には議論の余地は無いが、しかし正面からぶつかっていくのは考えものだ。

 

「織田の兵は野戦に強いが、城攻めは不得手と聞き及んでいます。ならばここは私の出番。山間における浅井兵の強さを、ご覧に入れましょう」

 

 発言したのはこの席では完全に浮いてしまっている、浅井長政だ。この近江の若大名は、軍議が開かれるか開かれないかというタイミングで「夫として信奈様に加勢いたします」と、手勢を率いてやって来たのである。とは言え、今回は腹の底にある本音など知れたものだ。

 

 墨俣築城、そして信奈出陣による稲葉山城攻略の報を受け、このまま織田軍の独力で美濃が制圧されては、婚姻話は尾張側に結婚によるうま味が少なくなって破談、同盟を結ぶにしても対等な関係が良い所で自分の立場がなくなると見て、押っ取り刀で駆け付けてきたに違いない。

 

『何としてもコイツには今回、只の無駄飯食らいで居てもらいたいな』

 

 という空気が満座に充満した。

 

 ……とは言え、長政の意見にも一理ある。孤立無援・寡兵とは言え稲葉山城は天下の名城であり、義龍も城を枕に討ち死にの覚悟である。真正面から攻めたのでは「窮鼠猫を噛む」の例え通り、尾張勢にもかなりの被害が出る事を覚悟せねばなるまい。それでも、落とせる事は落とせるだろうが、この戦は既に勝った戦。ならば出来る限り犠牲は抑えたい所である。

 

「半兵衛、あんたには何か良い城攻めの策は無いの?」

 

 信奈が尋ねるが、しかし流石の天才軍師も、今回は難しい顔だ。

 

「向こうから出て来ない敵には、策の仕掛けようがありません。城攻めよりも、何とか義龍軍を城の外へ誘き出す手を考えるべきかと」

 

 今孔明と呼ばれる彼女だが、奇しくもこの状況はかつての諸葛亮孔明が陥った状況に似ている。

 

 孔明の行った幾度かの北伐にあって、魏の司馬懿仲達はまともに戦っては敵わないと見て、蜀軍の連日の挑発を受けても陣からは出ずに守りに徹して持久戦に持ち込み、結果として蜀の侵攻から魏を守り通したという。攻撃側にとって持久戦は不利。食糧の補給が追い付かなくなるとか、他国が手薄な本国を襲うとか色々と問題が生じてくる。

 

「兵糧攻めを行うにしても、何ヶ月もかかってしまうわね」

 

 むすっとした顔で渋々ながら頷く信奈。いくら東は元康が頑張っているからと言ってそんな長期間尾張を空にしている訳にも行かないし、しかも秋になれば足軽兵には田畑の刈り取りの仕事がある。そうなれば陣払いして尾張に帰還せねばならない。義龍もただ意地になっての徹底抗戦ではなく、そこまで計算しての籠城であろう。

 

「ではやはり、力尽くで攻め破りますか?」

 

 と、勝家。しかし信奈は「それには及ばないわ」と、彼女を制した。

 

「今の半兵衛の言葉を聞いたでしょう? 要は、義龍を城から引きずり出せば良いのよ」

 

「確かにそうですが……姫様に、何か妙案が?」

 

 尋ねる長秀に信奈は頷き、

 

「銀鈴、あなたお金持ってる?」

 

「はっ?」

 

「お金よ、お金」

 

 そう言われて、深鈴は慌てて懐から切り餅四つ、つまり百両を差し出した。「少し借りておくわね」と受け取る信奈。この程度を惜しいと思う尾張一の金持ちではないが、しかし自分の懐から出すからには使途は聞いておきたい所である。尋ねられた彼女の主は、

 

「これで稲葉山城から義龍を引きずり出すのよ」

 

 そう答えたのみだった。

 

 結局、この日の軍議は稲葉山城を隙間無く包囲する事が決定されただけでお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

「何だと!?」

 

 翌朝、報告を受けた義龍の怒声が城中に響き渡った。「もう一度申してみよ」と言われ、報告に来た斎藤飛騨守は主に喰い殺されるのではという危惧を真剣に覚えつつ、声を震わせて復唱する。

 

「は……はい、それが……兵が五百名ほど姿を消しましてございます。恐らくは逃げ出したのかと……」

 

「ぬうっ……」

 

 義龍は歯噛みする。恐れていた事態が、遂に起こってしまった。

 

 そもそも半兵衛が寝返ったという報が入った時点で、

 

「俺達はこれから今孔明と戦うのか」

 

「半兵衛殿の指揮ではとても敵わにゃあ」

 

 と、厭戦気分が蔓延していたのだ。次には墨俣に城を建てられて、今はダメ押しとばかりに城を包囲されている。兵士達が敗色濃厚と見て逃げ出すのも、無理からぬ所であった。

 

 国人衆も次々信奈に付き、援軍が来る当ても無い。この時点で義龍軍は九割方”詰み”であると言える。

 

 籠城とはそもそも、援軍が駆け付けてくる事を前提とした戦術である。古来より援軍無しの籠城戦で勝った試しは無い。守ってばかりではどんな鉄壁の防御もいつかは崩される。支援の無い籠城は、落城を先送りにする意味しかないのだ。

 

 それでも秋の刈り入れ時まで何とか頑張っていれば尾張勢は撤退するだろうと義龍は見ていたが、しかし兵がこの有様ではそれまで持ち堪える事も不可能だろう。

 

「致し方あるまい。打って出るぞ」

 

「なっ……?」

 

 義龍の決断を受け、飛騨守は主の正気を疑うような愕然とした表情となった。

 

「殿、今何と?」

 

「打って出ると言ったのだ。かくなる上は信奈と最後の決戦だ!!」

 

 今日五百の逃亡兵が出たという事は、明日にはそれ以上の兵が逃げ出すと見なければならない。この調子で兵が次々逃げていったら、戦力低下もさる事ながらただでさえ低い士気が更に低下し、難攻不落を誇る稲葉山城とていとも容易く落とされてしまうだろう。

 

 残る勝機があるとすれば、こちらから打って出て信奈の首を挙げる事、それ一つ。

 

 成功率はまさしく万に一つ、あるいはそれ以下の賭けだが、今の義龍にはそれ以外に選択肢が無かった。

 

「織田信奈は城の正面に本陣を構えているのだったな」

 

「は、両翼をそれぞれ柴田勝家と丹羽長秀が率いる部隊が固めております」

 

「では我等は本陣へと、まっしぐらに突撃する。狙うは信奈の首、ただ一つだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、義龍軍は城から出た。いや「出た」という表現は正確ではない。これはまさしく「引きずり出された」と言うべきだった。

 

「陳腐な手だったけど、上手く行ったようね」

 

 開かれた大手門から真っ直ぐこの本陣向けて突撃してくる義龍軍を見て、信奈は自嘲するように笑う。

 

 城兵が逃げ出したのは確かに士気の低下もあったが、それだけではない。信奈が、そうなるように仕向けたのだ。

 

 具体的には、五右衛門や段蔵ら乱波を使った調略である。彼女達に深鈴から受け取った金を持たせて城内に侵入させ、「何人かを連れて城を逃げ出せばこの金をやる」と足軽達にばらまいたのだ。

 

 尾張勢もそうだが、この時代の雑兵は首一つ取っていくらの出稼ぎ兵士である。彼等は究極的には信奈が勝とうが義龍が勝とうがどちらでも良く、命あっての物種であった。しかしこのままでは彼等はいずれ落ちる城と運命を共にするしかない。

 

 そこへ舞い込んだ「命は助かるし、金にもなる」という話。彼等は渡りに船とばかり飛び付いて、仲間を引き連れて城を逃げ出したのだ。

 

 そして、この状況で義龍が未だ信奈に勝とうと考えているならば、彼女の首級を狙って出てくる他は無い。籠城したままでは他の兵士達は、脱走者が出たのなら自分達も、と考えるだろう。

 

 出陣すれば信奈軍の絶対的有利、籠城したままでも兵がどんどん居なくなる。信奈はどちらを選んでも不利にしかならない選択肢を義龍に与えたのである。

 

 彼女自信が陳腐な手と言ったように簡単な策だったが、それが当たった。城から出してしまえば、もうこちらのものだ。

 

「半兵衛、あんたの出番よ」

 

「はい」

 

 半兵衛は墨俣城防衛戦の時と同じく、すぐには迎え撃たなかった。そうしてどんどん近付いてくる義龍軍を見た諸将が「まだ迎え撃たないのか」と不安を抱いた時だった。天才軍師の慧眼が、機を見抜く。

 

「右翼・柴田隊を突入させてください!!」

 

 白羽扇の動きに合わせるように、赤い旗が振られる。

 

「突っ込め!! 敵陣ど真ん中に突っ込んで、敵を分散させろ!!」

 

 その合図を見て、本陣の右に陣取っていた勝家が部隊を率いて突入した。当然、義龍も一隊を迎撃に向かわせる。最後の決戦の火ぶたが、切って落とされた。

 

 両軍入り乱れての戦いとなったが、その中で勝家の働きは一際目立った。愛槍を振り回して美濃勢を当たるを幸い薙ぎ倒していく。彼女の実力が最大に活かされるのは、やはりこうした真っ向勝負であった。しかも今日の勝家は「みんな、今こそ築城失敗の汚名を挽回するんだ!!」と、微妙に間違ってもいるが兎にも角にも気合いの入れ様が違った。まさしく異名の「鬼」を思わせる戦い振りに美濃勢は気圧され、腰が引ける。

 

 更に、それを見た半兵衛が次の手を打った。

 

「次は左翼・丹羽隊を突入させてください!!」

 

 今度は青い旗が、大きく振られた。

 

「我が隊も突撃します!! かかれ!!」

 

 本陣の左に陣取っていた長秀もまた、兵を率いて義龍軍に襲い掛かった。この動きを見て、義龍は指揮を執っているのが半兵衛であると悟り、同時に彼女の狙いも看破した。

 

「半兵衛め……!! 我が軍をズタズタに分断する気か……!!」

 

「殿、どうなされます、引き上げますか?」

 

 飛騨守がそう尋ねてくるが、義龍は「馬鹿者!!」の一言によって切って捨ててしまった。

 

「今更引き上げられるか!! 左から分散されて今また右から突入されているのだぞ!! もう手遅れだわ!!」

 

 仮に後ろを見せて退こうとすれば、それこそ半兵衛の思う壺だ。信奈軍はそれに付け入って、城内に雪崩れ込んでくるだろう。

 

「し、しかし……」

 

「兵の半数を貴様に預ける故、右から来る部隊に当たれ。ワシは残りを率いてこのまま本陣へと突入する!!」

 

 義龍はそう言い捨てると愛馬に鞭打って、再び信奈めがけて突進する。

 

「信奈殿、またしても義龍軍が突っ込んで来ますぞ」

 

 それを見た長政が不安げな声を上げるが、信奈は落ち着いたものである。

 

「飛んで火に入る夏の虫ね……鉄砲隊、弓隊、構えて!! たっぷり引き付けて狙い撃ちにするのよ!!」

 

 常日頃から種子島を担いでいる信奈は、その射程距離を体で知っている。義龍軍が生死を分かつ境界線を越えた瞬間を正確に見て取ると、

 

「よし、今よ!! 鉄砲隊、撃てっ!!」

 

 数百挺の鉄砲が一斉に火を噴き、無慈悲な銃弾によって侍大将も足軽も区別無く、打ち倒されていく。間髪入れず、

 

「次、弓隊!! 放て!!」

 

 辛うじて弾雨から逃れた者達も、幸運は二度も続かなかった。矢の雨が降り終わった時、無傷の者は殆ど居なかった。義龍も左肩に矢を受け、落馬してしまっていた。

 

「よし!! 今度は私達が突っ込む番よ!!」

 

 ひらりと愛馬に飛び乗ると、愛刀を抜き放って切っ先をすぐ手前の義龍軍に向ける。

 

「全軍、突撃!!」

 

 この攻撃が、決め手となった。

 

 総大将である信奈が陣頭指揮を執る事によって士気を最大にまで高めた尾張勢と、三方から攻められている上に元より士気が低下していた美濃勢。元より勝負になどなりようがなかった。

 

 刃を交えたのさえ僅かな時間で、背中を向けて逃げ出す者や武器を捨てて投降する者が続出した。「踏み留まって戦え!!」と義龍が吼えても、もうその声は誰の耳にも届いてはおらず、彼もまた捕らわれてしまった。

 

 この戦いに浅井勢は殆ど参加させてもらえず、信奈軍の見事な戦い振りを見せ付けられ、長政と兵は「敵わぬのでは……」という不安を植え付けられただけで終わってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 かくして稲葉山城攻略は成った。信奈は父の代からの悲願であった美濃制圧を遂に成し遂げたのである。

 

 入城後に行われた論功行賞では、半兵衛・美濃三人衆・大沢長秀の調略、墨俣への築城、五千人の野武士達の仕官斡旋による戦力の大幅増強といった数々の手柄を立てた深鈴が文句無しの勲功第一となった。

 

 信奈は美濃攻略一番手柄の者には恩賞自由の約束をしており、深鈴は褒美として大勢の食客を養う為の大屋敷を受け取っている。今後「銀蜂会」は尾張だけでなく美濃でも商売を行う事となり、より多くの利潤を生み出す事が出来るだろう。そうすれば今よりずっと多くの一芸の士を抱える事が可能となる。その時、彼等を住まわせる場所が無くては話にならない。と、そこまで見越した上でのおねだりだった。

 

 信奈はそれを快諾。他の者は「銀鈴らしいな」と苦笑い。そうして勝家には唐国伝来の由緒正しい茶器(実際は二束三文の安物)や「味噌煮込みうどんの店を城下町に出店する権利」、長秀にはういろう一年分など次々と恩賞が決まっていった。

 

 長政については、信奈は「今は美濃を制圧したばかりで人心の安定に努めねばならない忙しい時期だから」とのらりくらり。婚姻の返事はまたしても先延ばしにされてしまい、すごすごと近江へ引き上げていった。

 

 そして、その夜。

 

 眼下に今は岐阜の町と名を改められた井ノ口の町を一望でき、見上げれば金華山にそびえる岐阜城と改名された名城の威容を仰ぐ事が出来る小高い丘に、深鈴は居た。そこには彼女の他にも、半兵衛と犬千代が集まっていた。

 

 見下ろす町は、他国の軍によって占領されたばかりとは思えないほどに落ち着いていた。信奈が町人に無礼を働いた者は打ち首にすると布告したので兵は乱取りを行わず、また美濃三人衆や大沢正秀といった有力な国人を彼女が抱え込んでいた事も、人心を安堵させるのに一役買っていたのは間違いない。

 

 そこに、光秀がやって来た。

 

「十兵衛殿。どうでした? 道三殿の様子は……」

 

「それが……山頂の草庵でお酒片手に落ち込まれてるです……やはりワシは長良川であの時、討たれておるべきじゃったか、と……」

 

 元小姓という立場からそれとなく道三の様子を見に行った光秀だったが……彼の様子は、深鈴や半兵衛、それに彼女自身が予想した通りであった。

 

 道三をそうさせている原因は、はっきりしている。

 

 岐阜城では論功行賞の前に捕らえた敵将の処置を決める会議も開かれたが、そこで義龍に下された処分は斬首でも切腹でも出家でもなく、放逐。最後まで抵抗して捕まった敵将に対する処置としては、寛大を通り越して愚かとさえ言える異例の沙汰であった。

 

 当然、家臣団や道三からも反対の声が上がった。「今逃せば虎視眈々とそなたを狙うであろう」と。しかしそれらの声を押し切って、信奈は義龍を許した。許された義龍の方も「命ある限り、ワシはお前と戦い続ける。必ず後悔するぞ」と、礼も言わずに立ち去っていった。

 

「信奈様は義父である道三殿に息子殺しの罪を背負わせたくなかったのでしょう……」

 

 確かに、それは一国の君主としては甘い。甘すぎると言われて仕方無い感情であろうが……

 

「それを補うのが、臣下たる私達の務めでしょう? 違う? みんな」

 

 その問いを受け、犬千代、光秀、半兵衛はそれぞれ会心の笑みを浮かべる。

 

「……義龍が姫様に百回刃向かってきても、百一回捕まえる」

 

「同感ですね。七縱七禽。今孔明である半兵衛殿、今信陵君である先輩に続いて、義龍の奴には今孟獲のあだ名を付けてやるですよ」

 

「孫子の兵法曰く、心を攻めるは上策、城を攻めるは下策。義龍さんが負けを認めるまで、私も才知を尽くして何度でもお相手します」

 

 四者とも、意見は素晴らしく一致。そこに、今度は五右衛門がやって来た。

 

「銀鏡氏、申し付け通り野武士達には酒を振る舞い、新しい屋敷ではちゅでにえんきゃいがはじみゃってごじゃる」

 

「ん、ご苦労様」

 

 墨俣築城が成ったのは、無論犬千代や光秀、五右衛門らの力添えもあるが野武士達、否、元野武士達の協力も大きい。その彼等に報いる為、深鈴は信奈より賜った屋敷を開放し、今日は飲み放題の無礼講として尾張より五十石もの酒を運び込んでいた。

 

 今頃新しい屋敷では、尾張でもよくやっていた乱痴気騒ぎが繰り広げられている事だろう。

 

「さて……それで今日はとっておきの酒肴を用意していたのだけど……」

 

 そう言った深鈴がきょろきょろ見回すと、馬の嘶く声とガラガラと何かを引っ張るような音が聞こえてくる。全員がそちらを振り向くと、今度は源内が歩いてきていた。後ろには二頭の馬に牽引させ、布を覆い被せた大荷物が付いて来ている。

 

「遅いわよ、源内」

 

「申し訳ありません、深鈴様……調整に、万全を期したかったので。ですが、遅れた分は完成度の高さで補わせていただきます」

 

 そんなやり取りを交わす二人だったが、蚊帳の外に置かれた五右衛門達は「何を言っているのだ?」と首を捻る。このカラクリ技士は一体、何をしにここに現れたのだ?

 

 そう問われて源内は「よくぞ聞いてくれました」とニンマリ笑うと、馬が牽いていた物に掛かっていた布を、勢い良く取っ払った。

 

「おおっ……」

 

「こ、これは……」

 

「……何?」

 

 布の下から現れたのは、一見しただけではその使途を測りかねる物体だった。

 

 長さは約10メートル近く、穴の大きさは60センチメートルはあろうかという巨大な金属筒を丸太を組み合わせた台座で固定し、移動させる事も可能なように半兵衛の背丈ほどもあろうかという大きさの車輪が取り付けられている。

 

「これが”轟天雷”ですよ、皆さん」

 

 源内は誇らしげに言う。それを聞いても犬千代や光秀、五右衛門は怪訝な表情だったが……しかしいくらかの間を置いて、半兵衛が「あっ」と声を上げた。

 

「何度かその名を聞いて、どこかで耳にした事があると思っていましたが……思い出しました。轟天雷と言えば唐国の……」

 

「ええ、そうね。半兵衛」

 

 遡る事、およそ四百と五十年。

 

 まだ大陸を治めていた国家が宋であった時代。中国には英雄豪傑が集まる自然の大要塞が存在した。その名を梁山泊。そこに集まった百八人の頭領は、やがて朝廷に帰順して外敵や反乱軍を相手に戦い、その悉くに勝利して大宋国を平定したという。

 

 彼等が無敵を誇った理由には、大陸中に名の知れた将軍や仙術の使い手を擁していた事もあるが、抜群の破壊力を持った大砲隊も強さの一因として挙げられる。

 

 大砲を作り、運用出来たのは大宋国広しと言えど唯一人、百八人の好漢の第五十二位・地軸星の凌振。彼の死後は大砲の製造技術も運用法も全て失われてしまい、書物の中に活躍が残るのみとなってしまった。恐らくは彼も源内と同じぐらい、あるいはそれ以上の天才であったに違いない。

 

 源内は深鈴の下で潤沢な研究資金と恵まれた実験環境を得て、僅かな資料からその大砲を再現したのだ。

 

「確かその凌振さんの異名が、轟天雷……」

 

「はあ……つまりは、大筒や石火矢のお化けですか……」

 

 ぽかんとした表情で、光秀が言う。火薬を使った飛び道具は種子島が最も有名だが、何もそれだけではない。数十匁(100グラム前後)の弾丸を発射する大筒や、弾丸の代わりに石を発射する石火矢が知名度としては遥かに低いが存在する。

 

 この大砲も、それを遥かに大きくした物という認識で概ね正しかった。

 

 今回、源内がこれを運んできた理由は……

 

「では深鈴様、既に装弾は済んでいるので、打ち合わせ通りに……」

 

「ん……では源内、頼むわね」

 

「承りました」

 

 源内はそう言うと、着火した松明を大砲の尾部に点火した。ほぼ同時に、

 

「では皆さん、耳を塞いで口を開けてください」

 

「え?」

 

 しかし素早く言われた通りにしたのは深鈴だけで、他の四人は怪訝な顔だ。この反応に苛立って、声を荒げてもう一度、

 

「早く!! 耳を塞ぐ!! 口を開ける!!」

 

「わ、分かったですよ。あー」

 

「「「あー」」」

 

 良く分からないながらも兎に角全員が同じようにしたのを確認すると、源内は大砲に取り付けられていた取っ手を、上から下へと倒す。

 

 瞬間、犬千代達はこの大砲が轟天雷という呼称を持つ理由を理解した。

 

 まさに天より雷が落ちたかと錯覚するような轟音が響く。もし耳を塞いでなかったら、鼓膜が破けていただろう。栓をした手越しに、尚頭に響く程の大音量。

 

 だが、一つ疑問がある。この大砲が突き詰めれば種子島や大筒と同じ飛び道具なら、今の砲撃はどこを狙って、何を撃ったのだ?

 

 その疑問にも、すぐに答えは出た。

 

 ひゅるるるると尾を引くような風切り音の後、再び轟音。

 

 そして空の一点から無数の火が飛び散って、その火は空中に一つの形を描いていく。

 

「これは……!!」

 

「綺麗……!!」

 

「成る程、これは確かに極上の酒肴でござるな」

 

 それは、蛇だった。恐ろしげなものではなく、「鳥獣戯画」に出て来そうな滑稽な顔をした、かわいい蝮。深鈴が花火師の食客に命じて作らせた特注品。恐らくは史上初のキャラクター花火だ。

 

 ぎふのしろとぎふのまちの、どこからも同じものが見えている。

 

 蝮が空に居たのはほんの短い時間だったが、それを見た誰もが忘れないだろう。

 

「さあ、源内!! 玉はまだまだ沢山あるわ!! ちょっと花火の季節には早いかも知れないけど、ジャンジャン打ち上げるわよ!!」

 

「承知しました!! 砲身が焼け爛れるまで、撃ちまくりますよ!!!!」

 

 自慢の発明品を遂に思う存分使える機会が訪れ、若干ハイになっている源内によって、その後も花火は打ち上げられ。

 

 美濃の空を色とりどりの火が彩る、見事な夜は更けていった。

 


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