織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第19話 観音寺城の戦い

 

「全軍、京へ!!」

 

 今が機と見た信奈の号令が下り、そこからの織田軍団の動きはまさしく電光石火。尾張、美濃、そして同盟国である三河からの援軍も加わって総勢四万もの大軍が上洛路を進んでいく。

 

 南蛮風の鎧兜に赤いマントを羽織って、白馬に跨った信奈以下、長秀、勝家、光秀らがそれぞれの兵と共に進んでいくが、中でも異彩を放つのは深鈴率いる一団である。

 

 織田家中では新参に分類される彼女が率いる兵はさほど多くはなく、寧ろ個人で抱えている食客達の方が目立っている。彼等は鎧兜で武装しているという訳ではなく、皆思い思いの格好をしていた。剣達者、泥棒、琵琶法師、商人、歌人、芸人、相撲取り、花魁、拳法家、鷹匠、エトセトラエトセトラ……

 

 ありとあらゆる分野の専門家達によって成るその行列は、軍団と言うより雑伎団の様相を呈していた。普段通り朱槍を担いだ犬千代やロバのような子馬に揺られる半兵衛、往年の如く鎧兜で完全武装し若駒に跨る道三といった面々も流石にちょっと引いていて、微妙に距離を取っている。

 

 食客達の中でも特に目立っているのは……

 

「……何で気付かなかったのかしら……」

 

 行列から少し離れた場所、車輪や管が色々とくっついた馬の居ない馬車のような四角い金属製オブジェの前で、腕組みした源内がうんうんと唸っている。

 

「燃料が油一升(約1.8リットル)で十丁(約1キロメートル)しか走らないなんて……無理じゃない、京まで行くのは……」

 

 発明家であり、科学の発展の為に多額の研究費を必要とするので金食い虫として有名な彼女であるが、しかし同じくその異名で呼ばれている義元と違って、出した金の分だけ色々と働くので文句や揶揄する声はそう多くない。

 

 眼前のカラクリは新しい発明品の一つで、草案を深鈴に提出するやいなや「いくらでも研究・開発費を使って良いわよ。明細をいちいち報告する必要も無いわ。これに関してはね」と、破格の環境を与えられた事で一念発起し、軽く一週間は完徹してこの形に仕上げた自信作である。

 

 源内としては、

 

「これで京まで乗り付ける!! 馬の時代が終わった事を、私自らが日本中に知らしめてやるわ!!」

 

 と、息巻いて美濃を出発したのは良かったが……京どころか近江に辿り着く前に燃料が尽きて、動きが止まってしまうとは……彼女が馬の時代を終わらせるには、まだ時間が必要らしい。やはり十分な試験期間を設けるべきだったか。「試験走行は上洛路でやるわ」なんて考えてたのが失敗だった。

 

「もう少し、動力に改造が必要かしら……水を沸かした蒸気でカラクリを動かすのでは、出力や燃費に限界が……それと車体全体の軽量化を……鉄ではどうしても重く……新素材の開発が急務……」

 

 ブツブツと呟きながら手にした帳面に色々と書き込んでいく源内。深鈴は、馬上からそんな彼女を見て微笑みながら進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 尾張から京へは東海道と中山道の二つのルートが選択肢としてあるが、今回の信奈軍は中山道を行く道を選択していた。中山道は北近江を通るルートであり、お市を嫁がせて同盟関係を結んだ浅井長政の援軍一万と合流する為である。

 

 もし市の正体がバレていたら六角や三好・松永の前に浅井勢と一戦交える事になるやもと事情を知る者達は警戒していたが、しかし軍勢を引き連れて現れた長政は恭しく「義姉上」と信奈に一礼。しかも以前のどこか芝居がかっていた風な態度ではなく、赤心からのものだと、少なくとも誰の目にもそう見える。

 

 この急変の裏にはやはり輿入れさせたお市=信澄の存在がある事は疑いようもないが、しかし、浅井家で一体何が……?

 

 最悪の場合、騙された事で怒り心頭の長政を弓矢でお迎えする事も想定していただけに、これには信奈達の方が気味悪がった。

 

「ねぇ、銀鈴……もしかして長政って……男が好きなのかしら……」

 

「ま、まさか……?」

 

 そう、まさか……である。だがしかし、この時代には男色などは別段不思議な事でも恥じる事でもない。春画職人の食客(ちなみに女性)などは「そういうのもあるのね!!」と、先程の源内よろしく懐から出した帳面に何やら書き綴っていた。……どうも、こうした文化は伝統的かつ不変であり普遍らしい。平安の昔も、この戦国乱世でも、そして400年経った未来でも。多分、更に何百年から何千年かが過ぎて人類が衰退しても続いている気がする。

 

「あー、色々気になってきちゃった……考えない事にしよっと」

 

「の、信奈様……実の弟の身が、色んな意味で危険なのですよ? ……最早手遅れかも知れませんけど……もう少しは気に懸けて……」

 

「やーだ!!」

 

 と、一部の者達の間で様々な憶測が飛び交ったものの真相は分からず、浅井の援軍を加えて五万の大軍へと膨れ上がった信奈軍は北近江を抜け、南近江へと差し掛かった。

 

 今や、京への道を阻む勢力は南近江の六角承禎唯一人。六角家は佐々木源氏の流れを汲む名門守護大名。三好や松永とは同盟関係にあり、信奈には徹底抗戦する構えである。

 

 殆どの者はこのまま一気に六角攻めを行うと考えていたが、信奈は南近江と北近江の国境に差し掛かった所で行軍を一時止め、光秀を呼び出した。

 

「お呼びでしょうか」

 

「十兵衛、あんたにはこれから六角承禎の所に、使者として行ってもらうわ」

 

「使者……ですか」

 

 光秀は意外そうに返す。

 

「そうよ。織田・松平・浅井は今川義元を新公方に立てて上洛し、三好・松永を討つわ。六角家も昔の行きがかりを捨て、新公方に味方するように。戦わずに済むのならそれに越した事はないしね」

 

「承知しましたです」

 

 こうして、軍使として観音寺城へと向かった光秀は城の大広間へと通された。出立前に長政から「六角承禎は女好き、年頃の娘は勿論幼女も大好物という好色漢だ。十分に注意されよ」と聞かされていたが……成る程、その話に間違いは無かったと、面と向かって相対して彼女は確信する。

 

 全身を舐め回すようないやらしい視線を向けられて、光秀は生理的な不快感をもよおした。ツルンツルンに頭を丸めている癖にと、心中で毒突く。戒律の第一は、淫らな行いを禁じる、ではなかったのか?

 

『大方、”淫らな行い”とはまだ日の高い内から同衾したり、悪い女に手を出したりする事だとか都合の良い解釈をしてるに違いないです。こういう奴こそ、三日坊主とか生臭坊主とか言うです。ここが戦場ならば問答無用で斬り捨ててやるところですが……』

 

 頭の中でそんな思考が走ったが、しかし今の自分は使者としての役目を全うしなければならない。自分にそう言い聞かせて雑念を全て心の奥底に押し込めると、光秀は頭の中に用意しておいた通りの口上を述べ立てる。

 

「されば此度の織田の上洛は、三好三人衆や松永弾正といった叛徒を除き、今川義元を新将軍に擁立して、この永き戦国の世を終息させるのが目的。浅井も松平も、信奈様のその悲願に同意なされてのお供です」

 

 故に六角もその意に賛同して織田に援軍を出すか、それが駄目なら三好・松永勢と手を切って織田軍の南近江通過を認めるだけでも良いと伝えるが、しかし六角承禎は「はっはっはっ」と豪快な笑い声で以て彼女の言葉を掻き消してしまった。

 

「駿河の我が儘姫を将軍と認めるのは、精々織田のうつけ姫ぐらいだろうて」

 

「!!」

 

 義元を将軍にすると信奈に献策したのは光秀であり、そして今の六角承禎の物言い。自分と主君を両方同時に侮辱されたような気がして、彼女の瞼がぴくぴくと動いた。

 

「しかし入道殿が認めずとも、新公方は既に旗揚げをして京に向けて進撃中なのですよ?」

 

「ほう? では新公方の命により信奈が動き出したというのか?」

 

 流石にこう言われては笑い飛ばしてばかりいられないのか、六角入道が身を乗り出す。この反応を見て、光秀は僅かな手応えを感じた。やはりこういうタイプには道理を諭して正義を説くよりも、脅しを交える方が効果的なようだ。交渉の仕方を変えてみるか。

 

「いかにも、です。既に総勢五万の大軍が、国境付近に布陣して……」

 

「はっはっはっ」

 

 だが、彼女の言葉はまたしても豪快な笑い声に遮られてしまった。

 

「織田信奈が五万の軍勢じゃと? うつけ姫の大ボラは最早この南近江では通じぬよ。田楽狭間の時も精々三千程の兵力だったと言うではないか」

 

 そう言われて光秀は「ぐっ」と言葉に詰まる。彼女もあの場に居てそれが事実だと知っているので、咄嗟には言い返せない。そうして光秀が怯んだのを見て取って、承禎が反撃に転じる。

 

「大体してそなたはこの南近江にいくつ城があるかご存じか? 十八じゃ。仮に信奈が五万の兵を動員したとしても、十八の城に分ければ一城に割ける兵は精々二千五百から三千。それで城を落とそうとすればかなりの日数が必要であろう」

 

『……その間に同盟を結んでいる三好・松永が援軍を寄越す。そうすれば兵力は十万にもなり、それで勝てる、ですか……』

 

「さあ、話が分かったら早々に立ち去られよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 こうして会談は決裂。調略に失敗した光秀が引き返すと、本陣では既に軍議が開かれていた。

 

「遅かったわね、十兵衛」

 

 肩を落として戻ってきた彼女を、しかし信奈は笑顔で迎えて席に着かせる。

 

「申し訳ありません、信奈様……この明智十兵衛光秀、受けた任を果たせず……」

 

「いくらか話が分かる奴も居るかと思ったけど、やっぱり無駄だったわね」

 

「……と、仰いますと……?」

 

「気に病む事はありませんよ、光秀殿……今回の任務、姫様は失敗して元々、成功すれば僥倖のつもりだったのですから」

 

「恐らくは、誰がやっても結果は変わらなかったでしょうね」

 

 長秀と深鈴のその説明を受け、漸く事態が呑み込めた光秀は顔を上げて「成る程」と頷いた。つまりこれは信奈にとっては交渉ではなく、六角への最後通告だったのだ。

 

「十兵衛、六角は南近江に十八の城がある事を鼻に掛けたでしょう?」

 

「……それが、分かるですか?」

 

「今、それについて話していた所よ」

 

 そう言った信奈は広げられた地図をとんと叩き、「半兵衛、もう一度最初から説明して」と指図する。それを受けてちょこんと控えていた彼女は一歩進み出ると、白羽扇で地図をさっとなぞっていく。

 

「織田軍の兵力五万を十八の城に分けて引き受けるとすれば、一城に振り分けられる兵は二千五百から三千……その程度の数ならば各城それぞれで引き受けてもそれなりには保つ。その間に三好や松永の援軍がやって来るので、それで勝てる……と、そう計算していると思われます」

 

 半兵衛のその分析に、光秀は唖然とした表情になる。彼女はこの本陣から一歩も動いてはいないのに、観音寺城大広間での六角承禎の言葉をその場にいて全て聞いていたかのように、寸分違わず奴の狙いを言い当てていた。

 

 やはり、天才軍師の呼び名に偽りは無し、という事だろうか。

 

 ならばと、長政が献策する。

 

「義姉上、六角の兵自体はさほど強くはないですが観音寺城はかの稲葉山城にも匹敵する堅城。ここは野陣を構築し戦力の分散を避け、支城を一つずつ落としていくのが上策かと思われますが」

 

 確かに、大軍をこちらからわざわざ十八分割するなど”たわけ”という言葉の由来をそのままなぞるかのような愚行である。それを考えれば長政の案は確かに順当なものだと言える。

 

 「しかし」と、その策には光秀が異を述べる。

 

「あちらさんも、それを読んでいるのでは……」

 

 彼女の指摘を受け、長政は「うむ……」と難しい顔で頷いた。と言うか「読んでいるのでは……」ではなく、読んでいるに決まっている。

 

 でなければ、わざわざ自分達の勝算を教えた光秀を、そのまま無事に帰す訳がない。より正確に言えば信奈軍が戦力を一点集中させるのを読んでいる、ではなく……

 

「そうするように仕向けているのでしょう」

 

 と、半兵衛。

 

「ただ……六角勢も守ってばかりでは城が一つずつ落とされていくのを待つばかりだと分かっている筈です。十八の城とは言え、三つか四つまで落ちれば次は自分達の所かもと、残った城の兵の士気は低下します。そうならないように、動いてくるかと」

 

「つまり……向こうも立て籠もっているばかりじゃなくて、戦を長引かせつつこちらに打撃を与えるように、何かやってくるって事?」

 

 信奈にそう聞かれ、頷いた半兵衛は説明を続けていく。

 

「恐らく、こちらが兵力を集中して支城から一つずつ落としていく策を執った場合には、掎角(きかく)の計を仕掛けてくると思います」

 

「掎角の計を!! ……って、何だ? それ」

 

 勝家のその疑問を受け、本陣は爆笑の渦に包まれた。半兵衛も苦笑しながら、更に続けて説明する。

 

「鹿を捕らえるが如き作戦を言います。鹿を生け捕る際には角と後ろ足を同時に捕らえます。「掎」は足を捕る、「角」は角を捕るの意味です」

 

「……うーん。で、具体的にはどうすんだ?」

 

「まず、籠城側の一隊が城の外へ出ます。そうすれば攻め手は必ずその部隊へと兵を向けます。その時に城の兵が打って出て、城から兵を繰り出して攻め手の背後を衝きます」

 

「逆に城が攻められた場合には、城外に出た部隊が攻め手を背後から脅かす訳ですね……」

 

「……つまり、挟み撃ち」

 

 長秀と犬千代の補足を受け、勝家も「成る程」と何度も頷く。確かに、単純ながら効果的な戦法だ。

 

 武田信玄も先年、上杉謙信と川中島を挟んで戦った際には、緒戦では負けたと見せ掛けて上杉軍後方の旭山城に長期戦の為の兵糧を運び込み、川を挟んだ武田本陣を攻めようとすれば城から出た兵に背後を衝かれ、城を攻めようとすれば本陣に背後を衝かれるという状況を作り上げ、二百日対陣へと持ち込んだという。

 

「今回、六角方が仕掛けてくるのはその応用……つまり、どこかの一城にこちらが戦力を集中させれば別の城から兵が打って出て、我が軍の背後を衝いてきます。別の城へと兵を向ければ、また攻めていた城の兵が打って出て……と、いう要領で我が軍に打撃を与えて戦を長引かせようと考えているのでは……と思います」

 

 十八の城を擁する六角勢とて、兵数では織田・松平・浅井の連合軍には圧倒的に劣る。彼等もまさか、自分達だけで信奈軍を撃退しようなどとは考えていまい。

 

 籠城戦の勝ち目はあくまでも外部からの支援。彼等の狙いは戦を長引かせた所でやって来る援軍である。それまではじっくりと頑張っていて、援軍が来れば一気に内と外から信奈軍を攻め滅ぼすつもりだ。

 

「兵を分散させる策は二十三点、一点集中でも三十二点。戦を長引かせるのは六点……いかがなされますか、姫様?」

 

 長秀の採点も、辛い。どちらの策を執ってもこの南近江攻めは、信奈軍の有利には働かない。六角承禎はそこまで読み切って、あそこまで自信ありげに啖呵を切ったのだろうと、光秀も困り顔となる。

 

 だが、信奈の表情に焦りは無い。

 

「要するに!! 他の支城なんかには目もくれず、観音寺城を速攻で攻め落としてしまえば良いのよ!! そうすれば他の城なんか、後からキノコ狩りでもするつもりでゆっくり落としていけばいいわ!!」

 

 彼女のその提案を受け「おおっ」と声が上がった。確かに本城である観音寺城さえ落としてしまえば、後の支城など次々に落とせる。それが出来るのなら他のどんな策よりも効果的だろうが……

 

「義姉上、しかしそれは現実的には……稲葉山城を拠点として使われていたのなら、それに匹敵するともされる観音寺城の堅牢さはお分かりになる筈……」

 

 長政の懸念も尤もだ。

 

 六角承禎の居城でもある観音寺城には最も多くの兵が立て籠もっているだろうし、あの堅城だ。がむしゃらに攻めるだけでは、いくらこの兵力とて簡単に落とせるとは思えない。そうしている内に支城からも兵士が出撃して掎角の計を仕掛けてくるだろうし、それでいたずらに長引かせては敵の援軍が到着し、本末転倒となってしまう。

 

 だからと言ってこんな所で手こずっているようでは、上洛など出来ないし、天下の人々からも「そんな弱小大名に三好や松永が追い払える訳がない」と侮られてしまうだろう。

 

 となれば、速攻で勝負を決めるべきという信奈の方針自体には問題は無い。論ずべきは、その為の方法だ。だがそれも、既に彼女の中にある。

 

「銀鈴!!」

 

「はっ……」

 

「あんたの食客と乱波達、使わせてもらうわよ!! それと長政、稲葉山城なんて城はもう無いわ!! 岐阜城、よ」

 

 

 

 

 

 

 

 そして、明朝。

 

 日が昇るとほぼ同時に、織田の全軍は支城など眼中に無いとでも言うかのように観音寺城へと殺到していた。しかし四万の大軍勢を見ても城兵達は怯むどころか、

 

「うわーっははは!! 織田信奈、やはり噂通りのうつけ姫よ!!」

 

「まこと、何の策も無くただ全軍でこの城に押し寄せるのみとは!!」

 

「支城の兵に背後を衝かれる事にすら頭が回らぬとは!! 口程にもない愚将よ!!」

 

 この愚策を笑い、俄然士気を向上させていた。よりによって、最も愚かな手を打ってくるとは。これで自分達の勝ちは決まったようなものだと。

 

 姿は見えずともそうした雰囲気を感じ取って、馬上の信奈は不愉快そうに体を揺する。

 

「そんな風に構えていられるのも……今の内よ」

 

 敵軍に降伏の意思は無し。

 

「よし、攻撃開始!!」

 

 大声で「兵は後ろに下がって!!」と指示を出す。その命に従い、勝家や長秀の一糸乱れぬ指揮の下、信奈軍は後方へと退いていく。それを見た六角勢は、

 

「尾張の兵の弱さは東海一と聞いていたが、一合も交えずに逃げ出すとは!!」

 

「聞きしに勝る腰抜け揃いだ!!」

 

 と、城中が大笑いしているようだったが、しかしそれも後退した兵の代わりに、前方へと出て来た物を見るまでだった。

 

 巨大な金属筒を、丸太を組み合わせた車輪付き台座によって固定した物体を、後方の小荷駄隊が運んできた。轟天雷。美濃を平定したその晩に、岐阜城上空に花火を打ち上げた巨大火砲が、ずらり十基も一列に並ぶ。いよいよこの兵器が、本来の用途で使われる時が来たのだ。

 

 見た事も無いカラクリ仕掛けを目の当たりにして、流石に城の兵士達にも動揺が伺える。それを見て取って、火砲部隊の陣頭に立つ源内はにやりと口角を上げた。

 

「さあ……この轟天雷の威力、とくと見せてあげるわ……思いっきりブチ込むわよ……砲撃準備!!」

 

 彼女の指示を受け、砲兵隊はそれぞれ手にした松明を砲身尾部の導火線に着火。そして、

 

「撃てぇっ!!」

 

 源内の最後の指示を受け、一斉に取っ手を倒す。

 

 瞬間、まさしく轟天雷の名の通り、雷が落ちたかと錯覚するような、空気の揺らぎをはっきりと肌で知覚できる程の轟音が走った。深鈴や光秀、犬千代らは一度経験しているからさほどではなかったが、信奈軍の足軽達は驚いて赤子のように身を屈め、興奮した馬に振り落とされる侍大将が続出した。

 

 だが、狙われた観音寺城はこんなものでは済まない。

 

 堀も、塀も、城壁も、まるで役に立たない。

 

 風切り音と共に影が走り、恐ろしい速さで飛来する鉄球が当たった物を何もかも押し潰し、粉と砕いていく。

 

「な、何だ!? あの化け物は!?」

 

「南蛮の新兵器だ!! 織田軍はとんでもない兵器を仕入れていたんだ!!」

 

 城兵達の一人も、未だかつてこのような方法で城が攻められる経験など無い。見た事も聞いた事も無い攻城兵器を前に、兵士達はあっという間に恐慌状態に陥った。

 

 更に一発ごとに鳴り響く爆音。種子島の銃声がまるで手拍子のように聞こえるその大音響によって、先程尾張勢をなじった城兵達こそまだ一合も信奈軍と刃を交えていないのに、逃げ腰になって身を隠す場所を求め、城中を走り回った。

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、城内では昨夜の内に侵入を果たしていた五右衛門と段蔵が率いる諜報部隊が動き出していた。

 

 聞こえてくるこの轟音と、城兵の混乱振り。間違いない、作戦開始の合図だ。

 

「お味方の攻撃が始まり申した!!」

 

<では、我等も手筈通りに>

 

 彼等はそれぞれ、五右衛門と段蔵率いる二班に分かれて城内へと入り込んでいく。

 

「我々は城のめぼしい所に火を付けるでござる!!」

 

 五右衛門が先導する部隊は手にした松明を、食料庫や弾薬庫に次々投げ込んでいく。特に弾薬庫は次々に引火して、中で花火でもやっているかのような気持ちのいい音が響き、遂には小屋が内側から吹き飛んでしまった。

 

<我々は城の裏門を開く>

 

 段蔵に率いられた部隊は、裏門付近を守っていた数人の兵士を声も上げさせずに始末すると手際良く門を開き、その後はすぐに五右衛門の班へと合流する。

 

 恐怖に駆られ、混乱の渦中にある兵達が、開かれた門を見る。そして信奈軍は裏手には布陣していない。これらの要素から導き出される答えは、一つだ。

 

 最初の一人が門をくぐると、後はイモヅル式であった。

 

「ま、待てーっ!! 逃げる者は斬るぞ!」

 

「おのれっ、この期に及んで逃げ出すとは卑怯千万!! 叩っ斬ってくれるぞーっ!!」

 

 足軽ばかりか、部将達まで逃げ出した。抜き放った白刃を手に、追うと見せ掛けて次々に。

 

 六角承禎は援軍を待って信奈軍を内と外から攻め滅ぼすつもりだったが、そうは問屋が卸さなかった。内と外から攻められたのは、観音寺城の方だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「大分城内が混乱してきたわね……」

 

 轟天雷の乱射によって城が城の体を成さなくなっていくのを見ながら、信奈が傍らの深鈴に満足げな笑みを向ける。過日に彼女は「轟天雷を使えば稲葉山城など一日で瓦礫の山と化してみせる」と豪語したが、その言葉に嘘は無かったのだ。

 

 観音寺城が城塞としての機能を失うまで、後一押し。

 

「源内!! トドメよ!!」

 

「承知しました!! 母子砲(おやこづつ)、前へ!!」

 

 源内がさっと手を振って合図すると、小荷駄隊に牽かれて、新手の火砲が姿を現した。

 

 基本的な構造は他の火砲と同じだが、大きさが倍以上も違う。中央の母筒の周囲を四十九の子筒が取り囲み、前から見れば無数の砲口が蜂の巣の断面のようになった特製大砲。故に母子砲。別名連環砲ともいう。源内曰くその威力は通常の大砲の数倍ともされる、超火器であった。

 

「目標、観音寺城大手門!! 射角調整!!」

 

 火砲隊は彼女の指示に従い、てきぱきと作業をこなしていく。彼等は実戦こそ今回が初めてだが、しかし実戦に耐え得る物をという深鈴の注文に応えるべく、源内の指揮の下、呆れる程の砲撃試験をこなしてきたのである。迷いの無い手付きで、僅かな時間で照準調整を終え、導火線に着火。

 

「撃てぇっ!!!!」

 

 瞬間、先程の火砲連射の爆音が小川のせせらぎに思えるような、天が割れたかと錯覚するような閃光と音が続け様に走り、僅かな時間だが視覚と聴覚がまるで役に立たなくなる。

 

 ほんの数秒程の間を置いて、源内の言う並の大砲に数倍する威力という触れ込みに偽りの無い事が証明された。大手門が吹っ飛ぶ。

 

 これで、観音寺城は最早難攻不落の名城ではなくなった。信奈軍が待っていたのは、まさにこの時。

 

「今だ、突っ込め!!!!」

 

 勝家を先頭に、部隊が一斉に突入していく。長秀や犬千代もその中に加わっており、まさに総攻撃であった。こうなっては数で劣る城兵達は為す術が無かった。中には最後の足掻きとばかりに種子島を構える者も居たが、

 

「うわっ!!」

 

 陣頭に立って大暴れする勝家に狙いを定めて引き金を引こうとしたその瞬間、衝撃が走り、銃身が八つに引き裂かれてひん曲がり、花が咲いたようになる。

 

 一体、何が起こったのか? しかし彼等はそれを考える前に、続けて襲ってきた鉄砲玉の雨に襲われ、全身穴だらけになって倒れていく。

 

 最初に銃身が破裂したのは、子市の仕業だ。改良型種子島”鳴門”と日本二位の使い手である彼女の狙撃術。この二つの組み合わせは、二十間(約36メートル)ほどの間合いでは視認する事すら困難な点でしかない銃口を正確に狙って撃ち抜き、暴発させたのだ。

 

 そして光秀が率いる鉄砲隊五十名が彼女に続き、突入部隊を的確に援護していく。

 

 これほどの波状攻撃を受けては最早勝ち目などある訳もなく、六角承禎は城を捨てて命からがら逃げ出し、甲賀の里へ逐電。

 

 源頼朝以来の名門である六角家は、事実上滅亡したのである。

 

 このような城攻めなど、古今東西のどんな兵法にも無い。まさか難攻不落を誇る筈の観音寺城が、半日と保たずに蹂躙されるとは。

 

「……時代は変わったのだな……」

 

 浅井家三代の宿敵が打ち破られる様を目の当たりにした長政は感動と共に、体中に鳥肌を立ててそう呟くのが精一杯だった。

 

 感動と畏怖に肌を粟立たせているのは、信奈も同じだった。まさか”轟天雷”の威力がこれほどのものとは……!!

 

「こんな物が四百年以上も昔に作られているなんて……大陸の技術力は、私達の想像以上に進んでいるのね……」

 

 南蛮がいつか大船団で日本に攻めてくるかもと危惧していた彼女だったが、しかし源内のこの発明品を見て一刻も早く日本を統一せねばと、危機感を強くする。まさか、こっちが弓矢しか飛び道具を持たなかった時代に、中国ではこれほどの兵器が作られていたなんて。いつまでも狭い日本の中で、争っている場合ではない。

 

 同じ驚きは、深鈴も感じていた。源内から提出された報告書で火砲のカタログスペックは把握していたが、聞くと見るとでは大違いである。

 

「射程距離約7~8キロメートル。この時代の物と比べても、オーパーツとしか言い様の無い性能ね……!! こんなのを運用していたのだから……梁山泊軍が大宋国を平定出来たのが、物凄く納得出来たわ」

 

 中華ガジェット恐るべし。いや、真に恐るべきは何百年も前にこれを開発した地軸星の凌振と、僅かな資料から今に再現した源内であろう。

 

 正史に於いては前者は架空の人物だからやむを得ないとして、もし源内の理論が誰かに認められていたとしたら……断言出来る。歴史は、絶対に変わっていた。この今と、同じように。

 

「ははっ。この程度で驚いているようではまだまだですな。深鈴様」

 

「……宗意軒」

 

 からかうようなその声に振り返ると、風に飛ばされないようトレードマークの山高帽を押さえながら、線目をして貼り付いたかのような笑みを浮かべた男。森宗意軒が歩み寄ってきていた。

 

「大砲どころではない。俺は南蛮で様々な物を見たが……希臘(ギリシャ)では、無数の小鏡で日輪の光を集めて大鏡へと収束・増幅させ、比類無き灼熱によって形ある万物を影も残さずに融かし尽くす恐るべき兵器が、二千年も前に実用化されていたと聞きましたぞ? それで敵軍の船団を焼き払ったとか」

 

「そ、そんな……南蛮の科学は、昔からそこまで進んでるの……? じゃあ今は一体、どんな風になって……」

 

 日ノ本では最新兵器である種子島でさえ彼等にとってはオモチャのような物なのかと、愕然とした顔の信奈はそう呟くのがやっとであり、一方でそれを聞きつけた源内が興味深そうな顔で近付いてきた。

 

「へえ? 宗意軒殿。しかし、そんな昔にそんな物を造るとは……造ったのはどんな方かご存じですか?」

 

「ああ、それは……」

 

「お風呂場で自分の発見に感動して、服も着ないで町中を全力疾走する人でしょ?」

 

 深鈴が冗談めかして言うのを受け、信奈と源内は「なっ……」と赤面してあからさまに引いて、一方で宗意軒は「ほう」と感心した表情になり、

 

「しかし深鈴様、間違ってはいませんがそれでは世紀の科学者が只の変態にしか聞こえませんな?」

 

 そう言ってくっくっと喉を鳴らす。一方で源内もショックから立ち直ると「深鈴様。是非、その兵器を再現する為に予算のご一考を……」と研究費をせがんできた。そんな彼女を適当にあしらう深鈴の視線が、信奈と合った。

 

 二人は、無言のままに頷き合う。

 

「さあ!! 後は支城を落としていくわよ!!」

 

 しかし、主城が落とされては他の城の運命など決まったようなものである。攻め寄せるまでもなく、我先にと次々に降伏してきた。

 

 こうして、南近江の攻略は僅か一日で成り、上洛への道が開かれたのである。

 


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