織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第02話 織田家仕官

 

「織田信奈……姫大名……どうなってるの? これは……?」

 

 清洲の木賃宿の一室で、五右衛門を前にしつつ深鈴は難しい顔で唸り声を上げた。

 

 取り敢えずこの世界で生きていくと決意を固めた深鈴であったが、五右衛門の進言通りすぐさま織田家に仕官しよう。とは、思わなかった。

 

 まずは情報収集。その後に身の振り方を考えるべきであろう。彼女はそう判断した。何しろ一生どころか命を左右しかねない問題だ。石橋を叩き過ぎる事は無い。

 

 そこで今日は五右衛門が持っていたなけなしの銭で宿を取り、彼女が知っている事を、この世界では童子でも知っているような一般常識であろうと全て聞いてみる事にしたのだが……

 

 すると、恐るべき事実が浮上した。

 

 姫大名。この群雄割拠の戦国乱世ではお家騒動など起こせばたちまち他国の餌食。その結果誕生したのがこの制度であり。そして、この尾張を統治するのは織田信秀でも織田信長でもなく、織田信奈。うつけ姫の異名で呼ばれる姫武将だった。

 

 彼女は先日、正徳寺にて美濃の蝮・斎藤道三と同盟を締結したらしい。話によれば一時はあわや尾張と美濃で開戦となりかけたが信奈の、

 

 

 

 

 

『美濃にも色々込み入った事情があるでしょう? 蝮はそれをよく弁えているだろうから、わざわざこの私を敵にしないと思うけど?』

 

 

 

 

 

 と、息子の義龍との関係を見透かしたような一言が決め手となって白旗を揚げ、美濃の「譲り状」をしたためて「自分が死ねば数年で倅達は馬の轡を取るであろう」とまで褒めちぎったとか。

 

「……銀鏡氏、同盟の事は兎も角、今時こんな事は誰でも知っているでごじゃるじょ」

 

 呆れ顔の五右衛門だが、深鈴はそれどころではない。

 

『……どうなっているの……?』

 

 今川と織田の合戦、足軽の木下藤吉郎、忍者の五右衛門。

 

 これらの要素から理由や経緯はさておき、彼女はてっきり戦国時代にタイムスリップしたのだとばかり思っていたが……どうにも、事態はそこまで単純ではなさそうだった。

 

『ただの過去じゃなくていわゆるパラレルワールドというヤツなのか……それとも、私達の時代の記録の方が四百年の時間の中で歪められているのか……』

 

 前者は考証の仕様も無いが、後者も可能性は十分にある。

 

 上杉謙信女性説なんてものもあるし、この時代からは遥か未来の事だが賄賂政治で有名な田沼意次だって実際には清廉潔白な政治家で賄賂など受け取っていないという説もあるぐらいだ。

 

 歴史なんて結構、後の時代の人間の都合の良いように歪められるものだ。歴史を記すのは、何処まで行っても人間。主観の無い記述など有り得ない。

 

「まぁ……性急に仕官しなくて良かったとは思うけど……それは重要な問題ではないわね」

 

 信長が信奈だろうと、やる事は同じだ。織田家でなくともどこへなりと仕官して、この時代を生き抜く。

 

 だが……果たして身一つで仕官するのが良いだろうか?

 

 全く自慢ではないが、自分には槍や刀の心得などまるで無い。戦場の槍働きで出世するのは絶対に不可能。だが、五右衛門や川並衆を養う為には……

 

「私が持っている物は……」

 

 学生服のポケットの一つ一つに手を入れてまさぐって、そして、出て来たのは……

 

「五右衛門、明日になったら清洲でも指折りの大店に案内して。特に、店主が珍しい物好きとかだと尚良いわね……」

 

「承知。では、越後屋が良いでござろう。あそこの主は収集癖がゆうみぇいでごじゃりゅ」

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、五右衛門の紹介した尾張でも随一の大店である越後屋の暖簾をくぐって大通りへと出てくる深鈴の姿があった。

 

 深鈴の顔は、少し蒼い。その手には切り餅が4つ、握られていた。

 

『シャーペン一本が百両にもなるとは……!!』

 

「銀鏡氏が、南蛮渡来の筆を持っておられるとは。これで持参金が出来たでごじゃるにゃ」

 

 深鈴は、当座の金を得る為に五右衛門が紹介した珍品好きの商人、越後屋へと持ち物を売りに行ったのだ。

 

 彼女がこの時代に持ち込んだ物品は他にスマートフォンがあったが、しかし流石にこれは豚に真珠。この時代の人間の目には使途不明の意味不明なオブジェとしてしか映るまい。そこでシャーペンを売る事にしたのだが……『日の本に未だ一本しかない南蛮渡来の最新の筆』だと売り込み文句を付けて、実演もしてみせたのが効いた。

 

「まさか、百両なんて値が付くとは……」

 

 一両が確か現代の貨幣価値に換算して約4万円……即ち、400万円也!!

 

 深鈴のシャーペンは書き心地の良い製図用の1000円のものだった。

 

 1000円が、400万円に……!!

 

「何だか、凄く悪い事をした気がする……!!」

 

 だがまぁ、こちらとて生きるか死ぬか。騙した訳でも脅した訳でもなく、取引自体は真っ当なものだった。

 

 以前にインターネットで見たニュースではカードゲームのレアカードにオークションで120万円の値が付いたなんて話を聞いた事があったし、値段は品物それ自体ではなく希少価値に付いたと、自分を納得させて罪悪感を消失させる。

 

「これを手土産にすれば、織田に仕官しても粗略には扱われないでごじゃりょ……」

 

「いえ、まだよ」

 

「は?」

 

「まだまだ小さい。どうせ仕官するのなら、織田信奈の度肝を抜くような贈り物を持参するのよ」

 

 人に贈り物をする時は、必ずその人の想像の上を行く物を持っていく事。

 

 それが、人の心を掴むコツだ。

 

 

 

 

 

 そして、一ヶ月後……

 

「織田に仕官したいんですって? まずは、面を上げなさい」

 

 清洲城内にて、正座して平身低頭の姿勢で城主を待っていた正装の深鈴の頭の上から、声が掛けられる。

 

 顔を上げればそこには、片袖脱ぎにした湯帷子、縄帯、虎の皮の腰巻き、ぶらさげた火打ち石と瓢箪。デタラメな茶筅に結った髪。成る程、うつけ姫が他より一段高い座に腰掛けて、彼女を見下ろしていた。

 

 左右には、織田の重臣達。既に五右衛門から特徴を聞いている深鈴には誰が誰だかはっきりと分かっていた。

 

 丹羽長秀、柴田勝家、前田犬千代。いずれも織田家の重鎮達である。

 

「はい……近隣の諸大名を見渡しても、私が仕えるべき主は織田信奈様以外には無いと思い……これが、持参した手土産にございます」

 

 深鈴の差し出した巻物を犬千代が受け取り「姫様、どうぞ」と、信奈へと渡す。

 

 これは恐らく手土産の書かれた目録であろう。誰もが、信奈もそう思っていた。だが違っていた。

 

「これは……!!」

 

 床に転がされて、広げられた巻物に書かれていたのは文字の縦列ではなく、絵図面。描かれているのは、種子島。それを構成する部品が、事細かに記されていた。

 

「紀州の鉄砲鍛冶に描かせたものにございます」

 

 「「おおっ」」と、織田家臣団から声が上がる。それが落ち着くのを待って、信奈が深鈴を詰問する。

 

「南蛮のオモチャの、しかも設計図を持ってきて私が喜ぶとでも思っているの?」

 

 咎めるような口調であるが、口元と目は笑っている。これはいかほどの器量かとこちらを値踏みしているのだと、深鈴は踏んだ。

 

 既に織田信奈が500挺の鉄砲を買い揃えているのは、五右衛門の情報で裏が取れている。

 

「恐れながら……これからの戦は鉄砲になるかと……それに、持参したのは図面のみに非ず、こちらがその目録にございます」

 

 取り出した書面を再び犬千代が信奈の元まで運ぼうとするが、信奈が「良いわ、そのまま読み上げて」と促した。

 

「は……それでは……鉄砲の絵図面、種子島50挺……紀州の鉄砲鍛冶玄斎……」

 

「鉄砲鍛冶、玄斎?」

 

「はい、あちらに控えている者にございます」

 

 そっと、縁側の方に手を振る深鈴。そこには確かにがっしりとした体つきでいかにも鍛冶職人風の頑固そうな風体の男が、先程の彼女と同じように平身低頭の姿勢で控えていた。

 

「鉄砲鍛冶と絵図面、それに鉄砲50挺……デアルカ」

 

 圧倒されたように、信奈が天を仰ぐ。

 

 日本で最初に鉄砲へ目を付けたのは先だって彼女が同盟を結んできた斎藤道三であるが、その道三があらゆる手を尽くして手に入れた鉄砲が現時点で100挺足らず。

 

 織田家が保有する鉄砲総数の10分の1の数を揃え、絵図面と鉄砲鍛冶を連れてくる。個人の仕事としては驚異的の一言に尽きる。

 

 深鈴にとっても、ここまで来るのは決して平坦な道のりではなかった。

 

 100両を元手として、まず五右衛門に各地の相場を調べさせ、安く仕入れて高く売る。この繰り返しで金をどんどんと増やしていった。

 

 堺の街で麹を買い、井ノ口で売り。駿府で茶を買い、清洲で売った。山賊に襲われる事も三度や四度ではなかったが、五右衛門や川並衆の面々の助力もあって乗り切った。

 

 そうして十分な資金が貯まった事を確認すると資金の半分は五右衛門以下川並衆に運用を任せ、もう半分を使って、信奈への手土産として種子島と、そして尾張でもそれを生産出来るよう絵図面と鉄砲鍛冶を探し出して付けたのだ。

 

「西洋の新兵器、その極秘の絵図面すら手に入れるのが至難の所、日本にまだ数少ない鉄砲鍛冶までも……銀鏡どの、九十点です」

 

 微笑と共に、長秀が採点する。それは基準の厳しい彼女にしては稀に見る高得点であったが、信奈も納得したように何度も頷く。

 

「そうね。これは大将首を十取ったよりも大きな手柄よ!! 銀鏡深鈴……ん……ちょっと呼びにくいわね……銀鈴(ぎんれい)!! これから私はあなたをそう呼ばせてもらうわ!!」

 

「は……」

 

 信奈の言葉の一節を、深鈴は聞き逃していなかった。「これから呼ばせてもらう」、つまり。

 

「仕官の願い、しかと聞き届けたわ!! あなたを織田家の鉄砲奉行に任じ、鉄砲の生産と調練を任せるわ!!」

 

「!! は!! ありがたき幸せ!! この銀鏡深鈴、誠心誠意信奈様にお仕えする事、お約束致します!!」

 

 深々と頭を下げる深鈴。流石にこれだけの土産を持参したのに足軽から始まるとは思わなかったが、一足飛びに奉行職に任ぜられるとも思っていなかった。

 

 彼女の手土産は確かに信奈の想像を上回っていたが、信奈の待遇もまた彼女の想像を上回っていたのだ。

 

「銀鈴、これからよろしく頼むよ」

 

「一緒に頑張る」

 

 

 

 

 

 

 

「銀鏡氏、仕官の方は首尾良く行ったようでごじゃるな」

 

 取り敢えず準備を整えて参内すべく、泊まっている旅籠への帰り道、姿を現した五右衛門が後ろを付いてきながら話し掛けてくる。

 

 鉄砲奉行への大抜擢は、深鈴にとっても五右衛門にとっても想像だにしなかった大出世であった。

 

 しかし一難去ってまた一難と言うべきか、これからがまた大変である。ぶっちゃけありえない。

 

 鉄砲の生産は兎も角として、調練の方は……

 

「私も、基本的な理論は知ってるけど……」

 

 照星(フロントサイト)と照門(リアサイト)が一直線になるように的を狙い、引き金を引く……だったか?

 

 それにただ射撃の腕だけを磨くのではなく、実戦で使用するには早合などの技術も取り入れるのが望ましい。鉄砲を揃える時にある程度は説明を受けたが……

 

「私のは所詮、畳水練。役には立たないでしょうね……」

 

 溜息混じりに深鈴が言う。だからと言って今から訓練したって間に合うまい。となると……

 

「玄斎殿と同じく、鉄砲や弾込めの名人も連れてくる他ないでごじゃるな」

 

「うん……その為に……」

 

 一拍置いて、そして次に深鈴の口から出て来た言葉を聞いて五右衛門は自分の耳を疑う事になる。

 

「五右衛門、あなたに家を買ってあげるわ」

 


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