織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第20話 王城の地にて

 

 信奈軍上洛!!

 

 岐阜を出発してから二十日足らずという、まさに神速と形容すべきその速度に、松永久秀は書状を差し出して降伏すると、大和(奈良)へと退去。三好一党も「六角承禎が一日で滅ぼされた」「織田軍はとんでもない化け物を従えている」「その化け物で観音寺城が瓦礫の山にされた」との噂を聞いてすっかり戦意喪失、摂津(大阪)へと兵を退いている。

 

 一方、この報を聞くやいなや、京の都は騒然となった。誰もがまたしても侍達による専横が始まると思ったのだ。

 

 これまでの京は足利幕府が崩壊した事によって三好・松永の兵が我が物顔に振る舞うのは勿論、盗賊達の巣窟となり、大通りから少し離れた竹藪には殺された人間や飢えて捨てられた人間の死体が山と重なって無数のハエがたかり悪臭を放つという、「王城変じて狐狸の巣となる」という言葉を具現化したかの様な状況だったのである。

 

 こんな有様だったから町人達は誰もが大名というもの、引いては侍という生き物にアレルギーじみた嫌悪感を持っており、財産や食料、それに娘を奪われてはたまらないと我先に避難準備を始めたのである。

 

 ……と、そうした先入観があっただけに、京入りした信奈の対応は彼等を驚かせた。

 

「私が来たからには、兵の乱暴狼藉は許さないわ!! 民に乱暴した者、町に火を付けた者、奪略を行った者が居たら、その場で斬りなさい!!」

 

 信奈のその命は諸将を通じて末端の一人にまで行き渡り、派手に傾いた織田の兵達は、民に一切の乱暴を働かなかった。

 

 更には町中に散らばった屍骸を片付けると近隣の寺社にて、丁重に弔った。中には僧が殺され、仏像すら盗まれてあばら屋同然となっている寺もあったが、深鈴の食客には旅の僧侶もおり、彼等が寺僧を代行する形で供養を行う運びとなった。

 

 戦国の世が始まって百年。これほどまでに民の味方となってくれる軍勢は存在しなかった。

 

 これで漸く、新しい世が開ける。

 

 南蛮風の紅い外套を翻し、威風堂々の言葉を体現したかのように進む信奈を見て、ある者はそれを確かな実感として、またある者は無意識の内に、しかし誰もがその予感を覚えていた。

 

 さて、上洛した信奈がまず深鈴に下した命令は、二つ。一つは京の町の清掃作業指揮、もう一つは山科言継(やましなときつぐ)卿への挨拶である。

 

 山科言継と言えば信奈の父である織田信秀や教育係であった平手正秀とも親交のあった公卿で、二人から信奈に受け継がれている勤王の志は、彼によって啓発されたものと言って良い。しかも彼は世間一般に於ける公卿のイメージとは異なる気さくな人柄であり、優れた医療知識によって公家達のみならず庶民にも治療を行いしかも無理に治療費を取り立てる事がなかったので、民からも人気があった。

 

 本来なら信奈自らが出向くのが筋なのだが、彼女は彼女で連日のように押し掛けてくる「礼の者」への対応に追われていたので動くに動けず、名代として深鈴を向かわせたのだ。

 

 果たして対面した山科卿は聞いていた通りの温厚な人物であり、信奈が自ら来なかった事に怒るどころか、彼女の上洛とその後の行動を受け、

 

「これで漸く日ノ本に朝が来たように思えまする。信奈殿にもよろしくお伝えの程を……」

 

 と、涙ながらに語り、自分の力の及ぶ限り信奈に協力する事を約束してくれた。深鈴としても役目の一つが無事に終わった事に胸を撫で下ろして、逗留先である九条の東寺への帰路に就いていた、その時だった。

 

「んっ?」

 

 前方から、物凄い地響きと砂埃を立てて、何かがこっちにやってくる。

 

「銀鏡氏、お気を付けあれ」

 

「下がって、銀鈴」

 

 護衛役として付いてきた五右衛門と犬千代が、それぞれ苦無と朱槍を構えて前に出るが……

 

「あれは……」

 

「……蝮?」

 

 物凄いスピードで一団の先頭を走ってくるのは、信奈達と共に上洛を果たした斎藤道三であった。

 

 この老人、もう六十を越える高齢であり一時期は年相応にすっかり老け込んでしまっていたものだが、深鈴の食客料理人が拵えた江馬の栃餅を一日三回食すようになってからは往年の気力体力が蘇ったかのように元気を出し、先の観音寺城の戦いでも一番槍の勝家に続くようにして突入部隊に参加しており、彼女や犬千代にも引けを取らぬ槍の腕前を見せ付け、「老いて益々盛んとは道三殿の事だみゃあ」と謳われたものである。

 

 今も、下駄履きでありながら100メートル走で11秒切りそうな猛スピードでこっちに向かってくる。その後ろからは数え切れない程の老婆達が、これも彼に負けない程の脚力で押し掛けてきていた。

 

「お久し振りですのう、庄九郎殿!!」

 

 彼女達は口々に道三を「庄九郎」と呼んで、鬼気迫る面持ちで追い駆けっこを演じている。これは一体全体何の騒ぎかと、間に割って入った深鈴が尋ねてみると……

 

「この人は今でこそ斎藤道三などと名乗っておりまするが」

 

「若い頃には西村勘九郎、長井新九郎など次々名前を改められ」

 

「『この○○○○○、いずれ美濃から京に参ってそなたを迎えに来るから、三千貫ほど貸してくれい』などと口説いてワシらを口説いてまんまと軍資金を調達し」

 

「そのまま二度と京へ戻って来なかった」

 

「うん、良いわ。五右衛門、犬千代。斎藤殿を皆さんの中に放り込んで」

 

 深鈴とて女である。主の義父であり信奈と同じぐらいに尊敬していた彼がその実、こんな女たらしだったとは。

 

 不実の輩にはお灸を据えてやらねばと指示し、

 

「合点承知」

 

「……最低」

 

 二人も同じ感想を抱いていたのか、実行に躊躇いが全く無い。ひょいと、道三を抱え上げて運んでいく。

 

「ちょ、お嬢ちゃん!! そこを何とか!! 助けてくれ!!」

 

 結局、涙ながらに道三がそう訴えるのでお仕置きは適当な所で止めておいて老婆達の訴えは深鈴が聞いておき、道三はその隙に半兵衛が安全な所まで連れて行く事となった。

 

 老婆達は次々かつ口々に「金を返せ」「若さを返せ」と自分の事情を訴えてきて、深鈴はこの時、聖徳太子がどれほど凄かったのかを身を以て理解する事が出来た。

 

 一方、半兵衛と共に猛ダッシュして郊外まで逃げ延びた道三。栃餅パワーは偉大であり、半兵衛もまた少し前とは見違えるように体力を充実させていた。以前の彼女では長距離の全力疾走など、考えもしなかった。

 

「ふう、ふう……やれやれ、身から出た錆とは言えエライ目に遭ったわい……こりゃあワシは、一足先に岐阜城に引き返した方が良さそうじゃな……元々その予定じゃったし……」

 

「はあ、はあ……あれは道三様が悪いです。せめて戻ったら、謝罪の手紙ぐらいは……」

 

 こんなやり取りを交わしていた二人であったが、息が整うと同時に半兵衛は真剣な表情となり、懐から口を縛った袋を取り出し、道三へと差し出した。

 

「半兵衛、これは……?」

 

「もしこの先、事態に急変あった時には……この袋を開けて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 こんな一悶着があったものの、翌日には織田の武将達は三好の残党達を掃討して畿内を平定すべく、四方八方へと散った。

 

 深鈴には、京の中心部に位置する「やまと御所」の警備が割り当てられた。個人で抱える千余の食客達によって様々な局面に対応出来る彼女であるが、配下にいる織田家正規の兵自体はそう多くなく、本人にも武力は皆無、食客達も戦闘が得意な者は二百名足らずといった所。そうした事情から仰せつかったこの役目であった。

 

 だが留守番役など退屈な役目、と馬鹿にしたものではなく、松永弾正は大和へ帰国したが三好一党が未だ信奈に抵抗している不安定なこの現状、御所の警備は重大任務だと言える。

 

「しかし、これが噂に聞いたやまと御所とはね……化け物屋敷の間違いではないのかね?」

 

 公卿の連中に聞かれたら打ち首にされても文句が言えないようなこの暴言。そんな怖いもの知らずは食客どころか織田家中全て見渡しても一人しか居ない。

 

 森宗意軒。この説客は宣教師の服にボロの外套、頭には山高帽といったいつも通りの装いで、観光旅行のような足取りで深鈴に付いて、御所を見て回っていた。

 

 繰り返される戦乱によって京は荒れ果てており、やまと朝廷の頂点に立つ姫巫女様がおわすやまと御所さえ、あちこちの壁が崩れて、その隙間から京童が物珍しげに覗き込んでくるという有様であった。

 

「宗意軒……!!」

 

 歯に衣着せぬ彼の物言いに「もし聞かれていたら」と深鈴は頭を抱えるが、しかし少しばかり考えてそれは無いなと胸を撫で下ろす。このどうにも掴み所の無い強かな男が、そんな初歩的なミスを犯す訳がない。

 

 暗躍する五右衛門や段蔵達が盗賊を捕まえる以外には目立った出来事も無く、昼過ぎになって今日は平和に終わるのかと思われた頃だった。

 

「おや?」

 

 何やら御所の一角が、ざわざわと騒がしくなっている。悲鳴が聞こえない事から刃傷沙汰の類ではなさそうだが……

 

 とは言えこれは、警備役として放っておく訳には行かない。

 

「子市、何人か連れてきて。行くわよ」

 

「はい、深鈴様」

 

「俺も行こう」

 

 そうして騒ぎの中心へと足を運ぶと、どうやら二組が言い争っているようだった。

 

 一方の団体は牛車の前に立つ平安貴族風の衣装や白塗りの顔、お歯黒、丸眉と公家・麻呂というイメージそのままの男を筆頭にして、その取り巻き達も身なりの良い者ばかりだ。

 

「異国の女は香水臭くてかなわんでおじゃる。そんな臭いをぷんぷんさせながら、御所の周りをうろつくなと言うておる!!」

 

「その通り!! 分を弁えよ!!」

 

「これだから奥州の粗忽者はいかんな!! 京の礼儀を知らん!!」

 

 もう一方は、二人。真っ直ぐに公家風の男と向き合う金髪に眼帯をした黒ずくめの少女と、

 

「何を!! 仮にも我等は公式の使節!! 如何に関白であろうとこれ以上の無体を働くなら、我が必殺剣・”十二使徒再臨魔界全殺”(ボンテンマルモカクアリタイスゴイソード)で……」

 

「いけません!!」

 

 進み出て彼女を窘めるのは、修道服に身を包んだ金髪の女性だ。深鈴にしてみれば、この時代にやって来て初めて見る西洋人である。相当な美女だが、しかし目線が行くのはその胸元……大きい。深鈴とて十分に恵まれたプロポーションでありそれなりに自信を持ってもいたが、そんなちっぽけな自負は風の前の砂塵の如く吹き飛ばされた。

 

「ま、負けた……!!」

 

「おいおい……」

 

 いきなりがっくりと両手を地面に付いてしまった深鈴だったが、しかし彼女の再起動は早かった。すぐさま己の本分を思い出し、ぱんぱんと手を叩いて双方を制止する。

 

「双方そこまで!! ここは仮にも姫巫女様のおわす御所の前。喧嘩狼藉は御法度ですよ」

 

 割って入った事で、両陣営の注意は彼女に向いた。しかし、反応は全く違う。眼帯の少女侍は渋々といった様子で柄から手を離し、修道女(シスター)はにっこりと笑みを向けてくる。

 

 逆に麻呂とその取り巻きは見るからに不機嫌となり、「余計な事を」と口走る者さえ居る始末であった。

 

「ふん、野卑な奥州人と南蛮娘の次は尾張の田舎者とは。今日はつくづく下詮の者に縁がある日でおじゃる」

 

 典型的を通り越して古典的な程の上から目線の物言いに、深鈴は不快を覚える。が、御所警護の自分がまさか公家を害する訳にも行かないと心を落ち着かせ、まずは問う事にした。

 

「……失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますでしょうか?」

 

 そう言われてしかし、麻呂の取り巻き達は「この方を知らぬとは!!」「これだから田舎者は!!」と、ますます声高になった。数分程もめいめいが言いたいだけ言って漸く満足した所で、麻呂はふんぞり返るように胸を張ると、

 

「麻呂は藤原家の氏の長者にして関白、近衛前久でおじゃる!!」

 

「!!」

 

 それを聞いて、流石の深鈴も表情を変えた。確かに関白と言えば雲上人。腹立たしくはあるがこの居丈高な態度にも頷けるというものだ。

 

「……成る程。しかし理由は兎も角、先程も申し上げた通りここは御所の真ん前であり、私は信奈様よりここの警備を任された身。関白であろうと揉め事の類は、ご遠慮願います」

 

 深鈴がそう自分の立場を説明すると、前久はにやりと笑い、「成る程、貴様が噂の今信陵君、銀の鈴でおじゃるか」と、矛先が金髪二人組から彼女へと向いた。

 

「帰って信奈に伝えよ!! 尾張のうつけ姫に負けた今川の幕府なぞ認めぬでおじゃる!!」

 

 それを皮切りとして、足利幕府が堕落していたが故に京が戦火に包まれた、お陰で自分の荘園は悪党に奪われ御所は荒れ放題、故に武家に日本の統治は任せておけないから、これからは関白である自分が姫巫女の下で新たな政治を始めると、全部一息で言い切ってしまった。

 

 流石に疲れたのか一度息継ぎすると、前久は更に続ける。

 

「しかも恐れ多くも御所の警備に、こんなどこの馬の骨とも分からぬ者を寄越すとは!! 流石はうつけ姫よの!!」

 

「「何だと!?」」

 

 主である深鈴と、その主である信奈を同時に侮辱され、腕自慢の食客達や足軽は一斉に表情を険しくさせた。子市も、思わず種子島の引き金に指を掛けようとして、すんでの所で思い留まる。

 

 前久の罵倒は終わらない。

 

「さっさと去ぬがよい、いつまでもそのような品の無い姿でうろつかれておっては、御所が穢れるであろう!!」

 

 続け様に飛び出た悪口雑言に、思わず刀の柄に手を掛けた者や拳を握ってずんずんと進み出る者が現れたが、しかし深鈴はばっと手を翻して、彼等を制した。

 

 関白ブン殴ったら織田家はたちまち朝敵、自分も信奈も一巻の終わりだ。深鈴はそれが分かっているから堪えているし、逆に前久はそれが分かっているからこうもあからさまに、挑発してくるのだ。

 

 前久は楽しんでいるかのように、いや事実楽しんでいるのだろう。よくもこれほど舌が回るものだと、感心する程に挑発を重ねていく。

 

「ほれほれどうした? そこの者、握り締めた拳を振り上げ、高貴な麻呂を殴ってはどうじゃ? それだけの覚悟があればの話でおじゃるが。そなたらと麻呂では天と地ほど身分が違うでおじゃる。礼も法も知らぬ田舎者は、さっさと京より失せるでおじゃる」

 

「近衛殿、礼を知らぬはどちらだ!!」

 

 自分の事でないとは言え、見てはおれぬと金髪の少女が進み出るが、しかし前久の前にずいと出たのは彼女ではなく深鈴でもなく、宗意軒であった。

 

「何じゃ、こんどは南蛮かぶれか?」

 

「近衛殿……」

 

 宗意軒は親指でくいっと帽子のつばを持ち上げると普段通りの笑みのまま、話し始めた。

 

「確かに我等は礼も法も知らぬ蛮人……」

 

 相手の罵倒を自ら認めるその言葉に、足軽の数人は思わず「なっ」と口走り、この卑屈な態度を受けて麻呂はご満悦とばかり唇を歪める。だがその笑みは、すぐに凍り付く事となった。「故に」と前置きして、宗意軒の目が見開かれる。

 

「頭に血が上れば後先考えずに何をしでかすやら、自分でも分かりませぬ……貴殿も我が身が可愛ければ、気を付けられたがよろしかろう」

 

 怜悧な三白眼と冷笑を向けられ、前久は思わず怯んだ。そして同時に、この場に居る全員が一つの事に気付く。

 

 確かに近衛前久は関白であり自分達と身分の違いは天地の差だ。しかし今の彼は見る限り丸腰であり、取り巻き達も公家風衣装で佩刀しているのが数人いるだけ。一方で、もし御所を荒らすような不届き者が現れた時に備えて織田兵達は鎧兜で武装し、槍刀を手にしている。子市の種子島もあるし、何より人数が多い。万一戦う事になればどちらが勝つかなど、火を見るよりも明らかだ。

 

 まさか、と前久は思うが、同時に「いやひょっとして」という可能性も頭をよぎる。もしそんな事をすれば織田家は何もかもお終いであろうが、それでも構わないと言うのならこの者達は自分の命だけは確実に奪う事が出来る。

 

『そ、そんな事が、で、出来る訳が……』

 

 実際にやるやらないは問題ではない。可能性が示唆されただけで十分。権力という万能の暴力を持つ者が最も恐れるのは、それに物言わせた脅しが通じない者と相対する事なのだ。

 

 前久が頼みとしていたものは、今吹っ飛んだ。主の動揺を敏感に感じ取って、取り巻き達も戸惑ったように互いに顔を見合わせる。不安から来る所作だ。

 

 宗意軒の三寸の舌は、関白相手に追い込まれていた状態を、ほんの二言三言で五分にまで戻してしまっていた。

 

 結局、この後は互いに無言のまま一分ばかり睨み合った後、「げ、下詮の者にこれ以上関わってはいられないでおじゃる」と捨て台詞を残して、御所の中に入っていってしまった。

 

 彼等の姿が見えなくなると、眼帯の少女と食客&足軽達。それに深鈴の表情がすっきりとした爽やかなものへと変わる。

 

「森の兄ちゃん!! 嫌なヤツだと思ってたが、見直したぜ!!」

 

「やるにゃあ、あんさん!!」

 

「麻呂のあの逃げっ振りったらなかったにゃあ!!」

 

 彼等を適当に相手しつつ、宗意軒は深鈴の前で山高帽を取ると、ぺこりと一礼する。この時、彼の目は既に普段通りの線目に戻っていた。

 

「深鈴様、出過ぎた真似をしてしまい……申し訳ありません」

 

「良いのですよ、宗意軒……私達の為に動いてくれたのですから……」

 

 と、深鈴のその声を聞いたシスターが「えっ?」と良く通る高い声を上げた。

 

「まさか……宗意軒さん、ですか……?」

 

 少年の方もその声を受けて振り返ると、軽い驚きに僅かながら笑みが崩れる。

 

「ほお……誰かと思えばルイズか。久し振りだな」

 

 

 

 

 

 

 

 ちょうど警備交代の時間が近かった事もあり、引き継ぎの者に後を任せた深鈴達とシスターに眼帯の少女は、近くの旅籠の一室を借りて話す事にした。

 

「へえ、では宗意軒とフロイスさんはお知り合いだったのですか」

 

「はい、もう十年も前になるでしょうか……船が難破して身一つでポルトガルにやって来られた宗意軒さんは教会の庇護の下、主の教えについて学ぶ事となり……私とは同期だったのです」

 

 彼が身に付けている宣教師の服は、その時の名残という訳だ。

 

「そして五年程前に俺は大陸回りで帰国する事にして、ルイズとは別れたのだが……まさかこんな所で再び会うとはな」

 

「これも主のお導きです」

 

 と、その西洋人シスター、ルイズ・フロイスは微笑と共に語る。いつもは鉄のような宗意軒の冷たい笑みにも、今は少しだけ暖かみが宿っているように見える。

 

「昔の宗意軒さんは主の教えに限らず、西洋の文化を学ぶ事にとても一生懸命でした」

 

「ま……昔の事だ。それでルイズ、あんたは何で日本に居るんだ?」

 

 少しだけ照れたように、居心地悪そうに体を揺すった宗意軒が言う。尋ねられたフロイスはやはり慈母のような笑みを崩さずに応じた。

 

「はい、宗意軒さんも知っての通りドミヌス会は伝統あるカトリックの修道会組織であり、海を越えて世界中の人々に主の教えを広げる為に活動しており……」

 

「で、この日本にも布教活動に来たという訳か」

 

 成る程、と宗意軒は頷くと目の前に置かれた紅茶を一息で飲み干してしまった。

 

「しかし、日本では色々と大変でしょう。自分の生まれた国を悪く言いたくはありませんが……この国は昔から封建的かつ閉鎖的な国民性で、寺社勢力が強いですし……」

 

 深鈴の指摘にフロイスは頷き、少しだけ目を伏せて紅茶を一口飲むと、ふうと一息吐いた。

 

「はい、京での布教活動をお認め願おうと、堺の南蛮寺から御所まで来たのですが……」

 

 そこで近衛前久の一団と遭遇して、あの騒ぎになったという訳だ。しかも話を聞くと事前に手続きしていた公式の使者であったにも関わらず、何やかんやと言い掛かりをつけられて御所に入る入れないで押し問答のすったもんだが始まったらしい。

 

「成る程……それで……」

 

 ちらり、と深鈴の視線は南蛮菓子をぱくついている金髪の眼帯少女へと移る。帯刀しているからいずこかの武家の出だとは分かるが、しかしこの衣装はどうだ。全身黒ずくめで南蛮羽織、首からは逆十字のロザリオ、腰には巻いた鎖がじゃらじゃらと音を鳴らし、履き物は革ブーツ。一言で言うのなら南蛮かぶれの少女侍といった所か。

 

「我こそは日ノ本転覆を図る破壊の大魔王、”黙示録のびぃすと”こと梵天丸なるぞ!!」

 

「梵天丸ちゃんはイエスさまよりの教えよりもその……”よはねの黙示録”という恐ろしい物語がお気に入りのようで、黙示録のびぃすとに夢中なんですよ」

 

 との、フロイスの説明を受け、深鈴は「ああ」と頷く。

 

「梵ちゃん、私にも昔、似たような経験があるわ」

 

「梵ちゃんと言うでない!! して、銀鈴とやら、似たような経験とは? まさか貴様もかつては、黙示録のびぃすとをその身に棲まわせていた事があるのか?」

 

 興味津々とばかりに片目を輝かせ、身を乗り出して梵天丸が尋ねてくる。深鈴はそんな彼女に、少しだけ自分の過去を話してやる事にした。

 

「私は高校生になってからは陸上部所属だけど、昔から運動もそこそこは出来た方だったから……中学の頃は一時期、人数の足りない剣道部に助っ人に入っていた事もあったのよ」

 

「孝行? 宙額? つまりは寺子屋のようなものか? ふむ、続けるが良い」

 

「で、仮にも試合に参加するからには負けたくはなくてね……でも練習量や場数ではどうやったって正規の剣道部員には勝てないでしょ? じゃあどうしたら強くなれるかと色々と考えて行き着いたのが……」

 

 「これよ」と、すうっと深鈴の指が小さく「666」(なんばーおぶざびーすと)が刻まれた梵天丸の眼帯へと動き、二三度軽く突っつく。

 

「利き目の左目に敢えて眼帯を付けて封じ、死角を増やして距離感が掴めない状態で普段からの生活は勿論、練習もこのまま行う事で、より密度の濃い鍛錬を行おうと、そーいう狙いがあったのよ」

 

 ちなみにこの練習法、歴史マニアの深鈴だからこそ辿り着いた境地だと言える。隻眼の剣豪と言えば柳生十兵衛が有名だが、しかしその十兵衛も実は両眼の剣士で、修錬の為に敢えて片目を封じていたのではないか、という説が存在するのだ。

 

「そしていざ試合の時には眼帯を外して……」

 

「おおっ!! 両眼となったその時、封じられていた真の力が解放されるのだな!!」

 

「うん、まぁ……そこまで派手なものじゃないけど……それでも相手の剣が良く見えるようになって、優勝は出来なかったけど毎年一回戦落ちだった我が部がベスト8にまで残ったのよ」

 

 話がそこで終わっていれば「こんな事もあった」というだけの青春の一幕だったのだが……しかし、なまじ良い成績を残せたのが災いした。

 

 過去に思いを馳せて少しだけ、深鈴の頬が紅くなる。

 

「それから、私の左目には恐ろしい魔力が宿っていて、この眼帯はそれを封印する為の物だと、色々と設定を考えては付け加え……」

 

 未来の深鈴の自室の壁には、中学時代に集めた百本はあろうかというナイフや模造刀(完全に銃刀法違反な物もちらほら)が、ずらりと掛けれている。高校生となったのを機に捨てるかオークションに出そうかとも思ったが、貧乏性な所のある彼女は大金つぎ込んで手に入れた物を、どうしても手放せなかった。

 

 アクションゲームでは使いこなせもしないのに「固い・重い・遅い」の三拍子揃ったキャラや、剣士や槍使いは敢えて外して斧や棍棒使いを好むようになったり。

 

 イケメンばかり出てくる最近のアニメは駄目だ!! もっとオヤジを活躍させろ!! と訳知り顔で語るようになったり。

 

 一番酷かった時など、眼帯が医療用の物から通販で購入した本革製の物に変わった時があった。流石に僅か三日で、担当教師に没収される羽目になったが。思うにそれが、厨二病邪気眼から脱却する切っ掛けだったのだ。

 

 高校に上がる頃には眼帯は外して、練習も止めた。部活も陸上部に転向した。腕は今ではすっかりなまってしまって、背丈は幾分大きくなったがあの頃の自分と剣道の試合をすれば、恐らく完敗を喫するだろう。

 

「……と、まぁ……私も昔は色々あったのよ」

 

 ある意味人生の恥部ではあるが、同時に笑い話でもある。元不良の会社員が宴席で行うワル自慢のように、茶菓子をかじりながら深鈴は苦笑しつつ話していく。

 

「成る程、ならば銀鈴は魔眼使いの先達という事か!! だが、我が力は貴様の上を行くぞ!! 聞くが良い、我が名は……!!」

 

「あ、そろそろ帰らないと」

 

 昼七つ(16時頃)の鐘が突かれる音を聞いて、深鈴や宗意軒、それに子市達はすっくと立ち上がった。そろそろ戻って、信奈に今日の出来事を報告せねばならない。

 

 今まさに大見栄切って名乗ろうとしていたタイミングだっただけに梵天丸はカクッと体勢を崩し、盛大にずっこけてしまった。

 

「こらっ!! ちょっと待て!!」

 

「会えて楽しかったですよ。フロイスさん、それに……」

 

 くしゃっと、深鈴の手が梵天丸の頭を撫でた。

 

「……独眼竜……いやこっちでは寧ろ邪気眼竜かな……? 伊達政宗ちゃん」

 

「貴様……知って……?」

 

 目を丸くする梵天丸へにっこり笑いかけて、ひらひら手を振りつつ深鈴は退室していく。

 

「こらっ、ちゃん付けするでない!!」

 

 何テンポか遅れてぷんぷんと怒り出した梵天丸は彼女の後を追って階下へと降りていき、そして宗意軒もフロイスへと頭を下げると、山高帽を被る。

 

「ではまたな、ルイズ」

 

「また会う時まで、お達者で」

 

 優しい笑みに見送られ、彼もまた帰路に就いた。

 

 

 

 

 

 

 

 この後、数日間は何事もなく過ぎ、それぞれの任務を終えた織田の武将達は清水寺に集結。報告と今後に向けての軍議が行われる事となった。

 

 勝家によって摂津の三好勢は掃討され、長秀によるやまと御所の修復作業も順調に進んでいる。

 

 盗賊達も犬千代や五右衛門達の活躍によって次々捕らえられ、京の治安は回復に向かっている。

 

 長政は道三が昔借金した老婆達への利子を付けての支払いと、ついでに愚痴を聞く係を割り当てられ、げっそりとしていた。

 

 ここまでは良い報告と言えるが、しかし問題が一つ。

 

「関白近衛前久様が仰るには、今川義元の将軍宣下を認めるには、今月の内に銭十二万貫を納めよとの事です」

 

「今月中……後、一週間しかない」

 

 まさしく、無理難題である。

 

「公家衆にしてみれば、今川義元をお飾りの将軍として実権を握ろうとする姫様はさぞや目障りに映る事でしょう……二十五点です」

 

 長秀の採点も辛口だったが、しかしすぐ隣に座っている勝家の表情には不安は無い。

 

「しかし、金で済むのなら問題無いだろう。銀鈴、お前ならそれぐらい、すぐに出せるだろ?」

 

 期待の眼差しを向けられて、しかし深鈴は申し訳なさげに視線を伏せる。

 

「それが……勝家殿。今の銀蜂会では、それだけの大金はちと……出せて五万貫が、やっとという所ですね」

 

 今回の上洛に当たって、数万の兵の武器弾薬、それなりの長期戦を行えるだけの兵糧。これらを揃えるだけの資金は、殆どが深鈴の懐から出ていた。お陰で民に臨時徴税などの負担を強いることなく、信奈軍は装備を調える事が出来た。

 

 しかしそれほど大量の出費は如何に尾張・美濃一の金持ちである彼女でも馬鹿に出来ないものがあり、普段ならポンと出せる金額も今はちと苦しい。勿論、いずれ取り戻して……とは算段しているが一週間では難しい。

 

「はいはい!! 私に名案があるです!!」

 

 今度は光秀が元気良く挙手する。

 

「前に元康殿をもてなす時に用意して、結局使わなかった壺があった筈です。あれは世に二つと無い逸品。売って金にすれば……」

 

「……十兵衛殿、実はアレ……接待が終わった後すぐに競売を開いて、売り払ってしまい……ちなみに、大和から来た客が十五万貫で落札して行きました」

 

 名案をばっさりと切り捨てられ、「ええっ」と上擦った声を上げる光秀。

 

「何でそんな勿体ない事を!!」

 

「いや、他の国だったら税金対策で手元に残しておいたと思いますけど、尾張は楽市楽座が敷かれてますから……売り払って業容拡大した方が良いと思ったんですよ」

 

 実際、それで銀蜂会が上げる利益はより大きくなった。だがもしこうなるとあらかじめ分かっていたらと思うと、あの壺を手放したのはいかにも惜しくなってきた。

 

 とは言え実際問題、あの時点ではこんな事になるとは誰にも分からなかったのだ。それで深鈴を責めるのは酷というもの。光秀もそれが分かっているのと、いつまでも不毛な言い合いをしていても仕方無いと考えたのもあって適当な所で文句を切り上げた。

 

 その後も勝家が「あたしの俸禄を十年間タダに!!」とか「なら家臣全員が十年間タダ働きを!!」とか発言したが、悉く却下されてしまった。

 

「父上が昔、四千貫を御所に奉じて他国の大名を驚かせた事があったけど、いくらなんでも十二万貫なんて法外だわ」

 

「公家衆からすれば、金が欲しいという訳ではないのでしょう」

 

 深鈴のその発言を聞いて信奈、長秀、光秀、半兵衛の四名は「やっぱりね」「同感です」「ですよね」「私も同意見です」とそれぞれ呆れつつも難しい顔で頷く。

 

「先程長秀殿が発言された通り、彼等はどうあっても義元殿が将軍になる事を……引いては、織田信奈が天下人となる事を認めたくないのですよ」

 

 ただ、叛臣を討ち新将軍を擁立して日ノ本に平和をもたらすという大義名分を掲げて上洛してきた織田相手に、何の理由も無しに問答無用で宣下を認めぬと言うのは流石に通らないし、世間の聞こえも良くない。

 

 故に、一週間で十二万貫を揃えろなどと無理難題を突き付けてきた。

 

「じゃあ、どうするんだ? 金を借りるにしても当てが無いし……こうなったら斬り込み強盗でもするしか……」

 

 物騒な事を言いつつ、頭を抱える勝家。

 

「しかし皆さん、ここは逆に考えるべきです」

 

「逆に?」

 

「どういう事? 続けなさい、銀鈴」

 

「確かに近衛前久が突き付けてきた条件は無理難題……しかしここは達成出来る訳がないと考えるのではなく、もしこの無理難題を達成したのなら誰もが信奈様を天下人と認めると、そう考えるべきです」

 

「な、成る程!! 確かにそうだな!!」

 

 半兵衛もいつか言っていた。「不可能を成し遂げてこそ、天下人の器」だと。

 

 勝家はぱぁっと明るい顔になるが、しかし他の面々はそこまで楽観的にはなれない。

 

 確かに考え方を変えれば思考それ自体も前向きなものにはなるだろうが、未だ十二万貫を稼ぐ為の具体案は一つも浮かんではいないのだ。だが……一つの希望もある。

 

 織田家随一の知恵者である彼女がここまで言うのだ。つまりは……

 

「何か、考えがあるのね?」

 

「はい、信奈様……」

 

「はいはいはい!! 考えなら、私にもあるです」

 

 言い掛けた深鈴を遮り、再び光秀が挙手する。信奈は二人を交互に見て「まずは十兵衛から言ってみなさい」と発言を許可した。

 

「堺では現在、豪商・今井宗久がタコ焼きの独占権で大儲けしていて、会合衆は新しい名物料理を欲しがってるです。故に彼等に織田の名物料理を売り込んで、その権利を十二万貫で買わせるです」

 

 「おおっ」と歓声が上がる。確かにそれは名案だ。しかし、名物料理となると……と、そこまで考えが至った時、全員の視線が「あっ」と一人の人物に集中する。誰あろう深鈴に。

 

「先輩にも、少し協力してもらう事になるですが……」

 

 と、光秀。ここまで言えば彼女が何を考えているかは勝家以外には読めた。信奈も「うんうん」としきりに頷いている。

 

「十兵衛の案は分かったわ。で、銀鈴、あんたの案は?」

 

「先程申し上げた通り、今の銀蜂会でも五万貫なら出せるので……私はこの元手を増やす事を考えています。無論、期間が限られているので多少博打にはなりますが……」

 

「デアルカ」

 

 信奈は再び頷く。確かに全くの無から始めるのと元手があるのとでは、利益を上げる為の難易度は天と地だ。これは順当な方法と言えるだろう。

 

「しかし、五万貫を不確実な賭けに使うのは考えものでは」

 

「そうです。手元に置いておけば、それだけ光秀の負担が軽くなります」

 

 長秀や勝家のその意見もまた正論。信奈はしばらく考えた後、決断を下した。

 

「じゃあ、私は両方の案を採用する事にするわ!! 私は堺へ行くから十兵衛、あなたが供をしなさい!!」

 

「承知しましたです!!」

 

 確かに長秀達の意見も正論だが、しかしこれは先程の深鈴の台詞ではないが、信奈なりに逆に考えての判断だった。どちらかの案を取って確実を期す事の逆で、二案を同時進行させる事で一方が失敗した場合に備えるのだ。

 

「銀鈴、あんたの案で、何か入り用なものは?」

 

「……では、織田家奉行職の席を二つ程作り、私にその任命権を下さい。それと、信奈様の影武者を使う事のご許可を……」

 

「……? まぁ、それぐらいは良いけど……」

 

 何とも妙なものを要求されたが、しかし深鈴にはこれまでも奇抜な手段で多大な成果を挙げてきた実績がある。信奈は、それも手伝って彼女を信じる事にした。

 

「竹千代と長政はそれぞれ自分の居城へ。他の者は、引き続き京の守りを!!」

 

「「「御意!!」」」

 

 こうして、織田軍団の次の動きが決まった。

 

 信奈は光秀を伴って堺へ。深鈴の食客数名も一緒に連れて行った。

 

 深鈴は長秀・勝家・犬千代らと共に京に残り、彼女のやり方での金策に走る事となる。

 

 援軍であった元康と長政は、あまり長期間本国を空にしている訳にも行かないので、一時帰還する。

 

 上洛は成り、信奈が天下人となる第一の壁は破られた。しかし、眼前には第二の壁がもう迫ってきている。

 

 その壁を打ち破る為の、次なる戦いはもう始まっている。武器を持たぬ戦いが。

 


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