織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第26話 陰陽道VS魔界転生

 

「姫様、朽木谷に入りました!! ここを通り抜ければ後は一直線、京は目の前です!!」

 

「……デアルカ」

 

 勝家の報告を受け、信奈は頷く。殿軍を引き受けた深鈴に送り出され、疾風の如く陣払いをして引き上げた彼女達であったが、ここに辿り着くまでも決して平坦な道のりではなかった。

 

 戦に於いて引き上げる時ほど難しいものは無い。一方が勝ったと聞かされると、その土地の土豪や野武士、百姓に至るまでもが一斉に勝者の元へと馳せ参じ、激流のように敗者に当たってくるからである。

 

 ここまで逃げてくる中で落ち武者狩り達が口にしていた言葉によると、信奈を生け捕りにした者には百貫、殺して首を差し出しても五十貫の懸賞金が掛けられているらしい。民百姓にとっては夢のような大金である。彼等が目の色変えて襲ってくるのも無理からぬ所であった。

 

 彼等の魔の手から信奈を守る為、勝家も犬千代も全身傷だらけであった。彼女等が居なければ、信奈は到底ここまで逃げてくる事は出来なかったろう。いや、二人だけではない。琵琶湖の西を若狭へ抜け、朽木谷を突破するこの退却ルートは、半兵衛の提示したものである。信奈はそれを、深鈴より伝えられていたのだ。

 

 何よりも速度を重視し、追従して来れない者はそのまま置いていくような神速の退却だったが、しかしそれが功を奏した。もしすぐに撤退に移らずに様子でも見ていたならば、あるいは半兵衛が言った通りの道を通らなかったら、後ろから迫ってくる網の中へと飛び込むザリガニのように、浅井が陣を敷いているそこへ真っ向から突っ込む羽目となっていただろう。

 

「万千代達は?」

 

「後続の長秀は、銀鈴達が無事に逃げてこられるよう、山道を出来るだけ整備しながら退却しています。光秀と元康も一緒です!!」

 

「……そう」

 

「……もう一息。京の北東は、源内の火砲部隊が守ってる」

 

 と、犬千代。この配置も深鈴の指示だった。そこまで逃げれば追っ手の連中に、目の醒めるような大砲の乱射を食らわせて追い払える。そうすれば信奈達は軍を再編して反転させ、浅井・朝倉連合軍に対して反撃に転じる事も可能。ここが正念場だと言える。

 

 だが問題が一つ。朽木谷は歴代足利将軍の避難場所に使われていた特別な土地であり、何人たりとも無断では通れない。それでも無理に押し通ろうとするのなら、ここを支配する国人である朽木信濃守も問答無用で襲い掛かってくるだろう。故に何とか交渉・説得して、味方に付けねばだが……

 

「誰がその役をやるんだ? あたしは面識無いよっ!!」

 

「……犬千代も」

 

 ここに長秀や光秀が居ればとも思うが、しかし彼女等の到着を待つ訳にも行かない。朽木信濃守は浅井家に従属しておりいつ攻撃してくるか分からない。事は全て迅速に進めなければならないが、かと言って無理に勝家や犬千代が交渉の席に着いても、話を余計にこじらせるだけで終わるだろう。

 

「うふ。ならばこの私が参りましょう」

 

 進み出たのは十文字槍を携えた褐色の麗人、松永弾正久秀であった。

 

「幸いにして相手は小僧。お任せあれ」

 

 幻術の応用であろうか、その体を夜闇に溶け込ませるようにして、久秀は姿を消した。残された勝家が「良いのですか、姫様!! あんなのに任せて!!」と、詰め寄る。相手は信奈の義父で「蝮」と呼ばれる道三に勝るとも劣らぬ戦国の梟雄、謀反常習犯にして「蠍」のあだ名で知られる魔女である。この状況で動くとすれば信奈を裏切るつもりかもと、彼女が疑うのも無理からぬ所だった。

 

「分かってるわ。けど、今は信じる他無いでしょう? 他にやれる人がいないんだし」

 

 今惜しまれるのは時間。ここでぐずぐずしていては何の為に電光石火で引き返してきたのか、何の為に深鈴が死地に残ったのか、分からなくなる。ならばもう賭け、久秀が裏切ったなら彼女を行かせた自分が間違っていたと、信奈がベットしたのは伸るか反るかの丁半博打であった。チップは自分と兵の命だ。

 

 久秀の帰りを待つ間、ふと信奈は今まで脇目も振らずに駆けてきた道を振り返った。彼女が何を想っているのかは、勝家にも犬千代にも痛いほど分かった。

 

「ねえ、六……」

 

「はい……」

 

「銀鈴は、生きて帰れると思う?」

 

 予想出来た問いだったが、しかしそれでも勝家は言い淀んだ。何と言えば良いのだろう。「大丈夫です、きっと生きています」と返せば良いのか? そんな、無責任に?

 

 言えない。言える訳がない。それでも、言える事があるとすれば、それは。

 

「あそこに残ったのがあたしだったら、正直、生きて帰れる自信は無いですが……」

 

「けど、銀鈴なら……」

 

 犬千代のその言葉に、勝家も頷く。そう、それだ。信奈も含め彼女達の中に奇妙な、そして密かな期待感はある。自分では無理だが深鈴ならばあるいは、と。これまでも彼女は、自分達の思いも寄らぬ奇策で不可能と思える成果を上げてきた。それなら今回も、何か起死回生の一手を用意しているのではと。

 

 そう思わせる要素は、二つ。一つは勿論、深鈴のこれまでの実績。もう一つは。

 

「……銀鈴は、一人じゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 若狭の山中では朝倉方に与した陰陽師、土御門久脩と、深鈴の食客の一人である森宗意軒とが対峙していた。

 

「さあ、まずは僕から行くぞ!!」

 

 久脩が手にした護符に念を送り、ばっと空中に放り投げるとただの紙切れでしかなかったそれは奇妙な動きをする煙を発し、その煙は拡散せずに形を持って、およそこの世のどんな生物とも違った特徴を持った異形へと姿を変えていく。彼の式神だ。

 

 現れた怪物はただの一匹でも対峙すれば歴戦の勇者であろうと、得物を放り捨て背中を見せて逃走してもおかしくないような恐ろしげな姿をしていたが、真に恐るべきは久脩の背後に控えるその数。軽く数十体は居る。彼等が一斉に襲い掛かればひょろりとした宗意軒の体など骨も残さずに消えてしまいそうだが、しかし式神達は召喚者である久脩の意思の下に統率され、完璧に訓練された軍用犬のように主の命を待っていた。

 

 この動きに、宗意軒は少し意外そうな表情を見せた。彼としてはてっきり、この生意気なクソガキが一気に式神達をけしかけてくるとばかり思っていたのだ。

 

「ふん、そんなすぐに勝負を決めてはつまらないだろ?」

 

 鷹揚に言ってみせる久脩。彼にとってはこれは戦いではなく、”お仕置き”だった。若いを通り越して幼いと言えるこの年にして日ノ本の陰陽師を統べる土御門家の当主にまでなったこの少年にとって、他者は等しく自分の前に怯え平伏すべき弱者であり、逆らう事は当然、牙を向ける事など言語道断だという認識があった。それは太陽が東から昇って西に沈むような、あるいは水が高い所から低い所へと流れるような、常識以前の摂理とさえ言うべきものだった。

 

 だが今、眼前に立つこの男はその摂理に反し、生意気にも一度は僕の術を封じて、怯えるどころか自信に漲り不遜ささえ孕んだ眼光を向けている。

 

 許せない。こんな奴は生きていてはならない。ただ殺すのは簡単だがそれでは僕の気が治まらない。こいつに全力を出させた後に完膚無きまでに叩き潰して、始祖・安倍晴明公の再来とまで呼ばれた僕の力の強さ、偉大さを思い知らせてやって、その上で生まれてきた事を後悔するような目に遭わせて殺してやらなくっちゃ。

 

「そら、お前もさっさと自分の術を使いなよ」

 

 「どんな術であろうと、真っ向から破ってやるからさ」との自信たっぷりな言葉を受け、しかし宗意軒は表情筋がその形で固まっているのではと疑うような笑みのまま、

 

「そうかね? では、お言葉に甘えるとしよう」

 

 と、こちらも自信たっぷりに返す。この態度はまたしても久脩のカンに障るものがあったが、しかし決して堪え性があるとは言えぬ少年も「どうせこいつの強気も今の内だけだ」と内心では思っていたので喚き散らす事は無かった。

 

 そんなやり取りの後、宗意軒が動いた。両手を動かし、印を結んでいく。高慢な久脩だが、術者としての力量は超一流だ。じっと集中して視線を送り、敵の術が如何なる体系の物か、見極めようとする。自分と同じ陰陽道かそれとも真言密教か、はたまた修験道か。

 

「……?」

 

 天才陰陽師が違和感を覚えるのに、大した時間は掛からなかった。半兵衛が燃える清水寺で久秀と対峙した際、この国の呪術とは全く体系を異にする幻術を相手に苦戦した事があったが、今久脩が感じているのはその時の半兵衛とは、全く違った戸惑いであった。

 

 何か、妙だ。

 

 強いて言うなれば真言密教のそれが近いが、何かが違う。この国の呪術の特徴を残しながらも、何か全く別の体系の理が組み込まれているような……見た事もない魔術を、この男は使う。

 

「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム……我は求め訴えたり……闇の静寂に棲む者よ、灰の中より立ち出でよ。汝の住処を捨て、新たな肉体を持って姿を現せ。ここへと来たりて、我が望みの器を満たし給え」

 

 詠唱した呪文もまた、久脩が聞いた事も無い怪しげなものだった。しかし、宗意軒が詠唱を終えた瞬間、確実に場の空気が変わった事を、陰陽師として異能の感覚を持つは久脩は敏感に把握していた。何が起こるのかと警戒して身構える。

 

 果たして異変は、下から来た。

 

 宗意軒の足下の土がもこもこと盛り上がったのを見て、最初は土竜かと思ったが、しかし違っていた。土を破って現れたのは尖った鼻先ではなく、右手だった。夜に浮かび上がるような真っ白い、人骨の右手。

 

「なっ……!!」

 

 流石の天才陰陽師も、これには驚きを見せた。右手の次は左手が、そして両手が踏ん張るように土を掴んだかと思うと、今度は胴体が這い出でてきた。久脩の式神と同じく、この世のいかなる生物とも違う姿が。

 

 久脩が使役する式神は異形ながら生物としての特徴を持っていたが、たった今宗意軒が喚び出したものは、生き物ですらない。死者だ。如何なる妖術によるものか、肉は朽ちて白骨化した人間の死体が、土の中から出てきたのだ。しかも、一体ではない。十、二十、いや百体近く。宗意軒の周囲の地面から無数の死者が蘇り、立ち上がってきていた。

 

「これは……」

 

 久脩の驚愕を見て取って、宗意軒は「ふん」と嘲笑して「驚いたようだな」と、挑発するように言ってみせる。

 

「魔界転生(まかいてんしょう)……この森宗意軒のみが操る秘術だ」

 

「魔界……転生だって……? そんな術は、聞いた事も……」

 

「ある訳が無いな。言っただろう? これは俺のみが操る秘術だと。師から弟子へと伝えられてきたものではなく、俺が一代で独自に編み出した術なのだよ」

 

「何だと……!?」

 

「この術の真髄は西洋に伝わる死霊術「根黒万死(ネクロマンシー)」を基本として、大陸の道術、高野山の真言密教を組み合わせた死者の使役。俺がこの手で殺した者、術を発動した時に近くにいる死者、そいつらに仮初めの命を与えて亡者と為し、俺の手足として現世に呼び戻す」

 

 そう言って、人差し指でとんとんと頭をつつく宗意軒。

 

「亡者共は簡単な命令しか理解出来ないし、整然とした隊伍を組むとか精緻な集団行動などはまるで取れん。ただ俺以外の生ある者全てを自分達と同じ”死”に引きずり込もうと襲い掛かるだけ……故に味方が大勢居る時には使えないが……周りが敵だらけの今は、思う存分使ってやれるぞ」

 

 敢えて自らの手の内を明かす宗意軒。それはつまり、目の前の陰陽師はここで死ぬから明かした所で構わないという事なのだ。この挑発を受け、久脩もプライドを刺激されたらしい。同時に、相手の術の全貌が見えた事で落ち着きを取り戻した部分もあったかも知れない。先程まで些か取り乱していた彼の顔には、既に強者の余裕が戻っていた。

 

「ふん……何かと思えば死人を操るだけとはね……そんな見かけ倒しの術で、僕に勝てるとでも思っているのかい?」

 

「思っているさ。お前さんこそ陰陽道などというカビの生えた古くさい術で、俺に勝てるとでも思っているのかい?」

 

 互いに負けじと毒舌の応酬が続くが、だが期せずして二人とも、このまま口喧嘩を続けていても仕方が無いという結論に達したらしい。久脩は式神を、宗意軒は亡者を繰り出して、二つの異形の軍勢が若狭山中でぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 宗意軒によって送り出された深鈴達は水坂峠、つまり若狭と近江の国境にまで差し掛かっていた。久脩から逃れた時にはまだ九百人以上は居た殿部隊は、今は七百人ほどにまで数を減らしている。

 

 あの後、本来ならば京目指してまっしぐらに撤退する筈の殿軍は、今度は浅井軍へと向かっていったのだ。足軽達もこの采配を聞いた時には深鈴の正気を疑ったものだが、しかしそれ以上に驚いたのは浅井勢であった。挟撃を恐れた信奈が尻尾を巻いて逃げ出したと聞いていた彼等もまた、朝倉勢と同じく逃げる織田軍を追う事しか頭に無かった。

 

 そんな彼等の意表を、深鈴は衝いた。予想される進路に兵を潜ませ、浅井の先鋒が通り掛かった所で一斉に襲い掛かったのである。この伏兵は効果覿面だった。如何に数の差があろうと、既に半ば勝ったものと油断していた兵と、命などとうに捨てたと決死の覚悟を固めた兵の対決である。不意打ちによって多数の死者を出した浅井の先鋒隊は、たまらず後退した。

 

 深鈴はそれを確かめると、部隊に後退を指示した。確かに精鋭揃いで士気も高いこの殿軍だが、所詮は千名に満たない手勢でしかない。総勢一万五千の浅井軍が混乱を収拾して指揮を回復すれば、押しまくられるのは目に見えている。その前に素早く離脱し、可能な限り距離を稼がなければならなかった。

 

 この戦闘による死者がおよそ二百。選り抜きの精鋭揃いとは言え、十八倍もの大軍に突入した後、先鋒のみとは言えそれでもおよそ数千の軍勢と戦ったのである。兵の体力・精神力をどれだけ削る作業であったのかは想像に難くなく、寧ろ被害は少な過ぎるとさえ言えた。

 

 朝倉勢は後方からの奇襲によって受けた被害が余程大きかったのか、それとも仕掛けておいたブービートラップに足を止められたのか、未だに後方から襲ってくる様子は無かった。逆に浅井勢は伏兵によって出鼻を挫かれたのが余程頭に来たのか、後方の偵察から戻った段蔵の報告によると追撃を諦める気配は無いらしい。

 

「まだ京は遠いわね……」

 

 馬上の深鈴が、ぎりっと歯噛みする。自分の足で走っていないとは言え彼女にも相当の疲労が蓄積していたが、しかしそれを表に出す事はしない。周りの兵士達はただ襲い掛かる敵と戦うだけではなく、戦えない自分を守る為に余計な労力を使っているのだ。守られている自分が弱音など、吐ける道理が無かった。

 

 とそこに、ずいと前鬼が進み出た。

 

「銀鏡、このままでは追い付かれて全員が殺られる。兵を百名ばかり、俺に預けよ」

 

「……前鬼さん?」

 

「それからお前はこれを被って、顔を隠すのだ」

 

 そう言ってボロ布を差し出してくる。言われるがままに受け取った深鈴は、しかし体は疲労困憊の中にあっても頭の回転は未だ鈍ってはいない。前鬼が何をするつもりなのかは、すぐに察しが付いた。

 

「あなたは……!!」

 

 式神の姿が水鏡に石を投げ入れたように揺らいで一瞬の時が過ぎると、そこに立っていたのは既に木綿筒服姿の青年ではなかった。突如として眼前に姿見が出現したのと錯覚するような、背丈と言い目鼻立ちと言い、深鈴と寸分変わらぬ少女がそこに立っていた。深鈴が二人。つまりは……影武者。

 

 前鬼扮する偽深鈴は流石に大将が徒歩では格好が付かぬと見たか、一人が乗っていた馬を借り受けると、さっと飛び乗った。

 

 そこまで動いても深鈴から制止の命令は下らない。その沈黙を策の容認と受け取ったらしい。もう一人の大将はさっと手を振り上げ、

 

「一隊は俺に付いてこい!!」

 

 そう号令すると、今まで進んできた道を引き返し始めた。百名ばかりの足軽達も彼の意図を理解したのだろう。出来るだけ敵の目を引き付けるべく、残された力を振り絞って声を上げ、前鬼に続いていく。

 

 追い掛けてくる”死”そのものである浅井勢に、逃げるどころか自ら向かって進んでいく彼等を目にして、深鈴は初めて動揺を表に出した。思わず手を差し出して止めようとしたが、その手を五右衛門が掴んで止めていた。乱波の少女は何も言わずに目を伏せ、首を振るだけだったが、そこに含まれた意図は確かに主へと伝わっていた。

 

 藤吉郎だけではない。この時代に来てから、幾多の合戦にて死んでいった者達。敵も味方も。朝倉勢を突破する時に死んだ八十名も、ここへ来るまでに死んでいった二百余名も、今前鬼に伴われていった百名も。皆、深鈴が殺した。そこに彼等の意思が介在したか否かは問題ではない。彼女は自分が生きる為に、彼等を冥府に送ったのだ。

 

 そんな自分が最もしてはならない事。それは自分が死ぬ事。彼等の犠牲、その全てが無駄になる。

 

 それを理解して、命の重みの全てを受け止めて、深鈴は再び決意を固め直した。前鬼から渡されたボロ布をフードのように被ると、残った六百名に再度行軍を命じようとする、その時だった。

 

「きゃっ!?」

 

「飛び加藤殿!?」

 

 加藤段蔵が深鈴に飛び掛かったかと思うと、蹴りを放って馬上から突き落とした。咄嗟に割って入った五右衛門に抱えられたので地面に叩き付けられる事はなかったが、何をするのかと抗議の声を上げようとして、だが出来なかった。

 

 闇の中に火花が散り、金属音が鳴り響く。五右衛門に抱えられた深鈴が視線を下ろすと、地面にはいくつもの手裏剣が突き刺さっていた。今、深鈴が乗っていた馬の鐙に、忍び特有の身の軽さにて軽業師のように立つ段蔵が、手にした黒塗りの忍者刀で叩き落とした物だ。もし彼あるいは彼女が動かなければ飛来したそれらは全てが地面ではなく、深鈴の体に突き刺さっていただろう。

 

「段蔵……」

 

「…………」

 

 希代の忍者は無言のまま、忍刀の切っ先を樹上へと向ける。

 

「甲賀者だな」

 

 臨戦態勢の服部党を従え、苦無を手にした半蔵がそう呟く。木の上にはいつの間にか、黒ずくめの一団が陣取っていた。

 

「忍者、か……」

 

 ちっ、と深鈴は舌打ちする。杉谷善住坊が雇われていたから事から分かるように、信奈を排斥しようとする動きの中心・黒幕である近衛前久は甲賀と繋がりを持っている。雇われていたのが狙撃手一人だけとは思わなかったが、ここで襲ってくるとは。だが土御門久脩の襲来とは違って、これはまだ予想していた事態である。

 

 目には目、歯には歯、ならば忍者には忍者で対抗するのが定石。

 

「段蔵」

 

「…………」

 

 深鈴に言われ、天才忍者はやはり無言のまま頷く。これは事前の打ち合わせ通り。敵の忍者が現れた場合には、彼あるいは彼女が迎撃する手筈だった。しかも今は段蔵に並ぶほどの実力者である半蔵と、彼率いる服部党が居る。

 

「半蔵殿、申し訳ないですが……」

 

「忍びが相手なら、我々の出番だな。ここは、任せてもらおう」

 

「飛び加藤殿、服部半蔵殿、この場はお任せするでごじゃる!!」

 

 忍者と言うならば五右衛門もだが、彼女の第一の役目は深鈴を守る事だ。五右衛門にまで離れられたら、深鈴は命がいくつあっても足りなくなる。

 

「行くわよ」

 

 段蔵から返してもらった馬に騎乗すると、深鈴と足軽達は再び京への道を進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 若狭の山中では式神と亡者、人ならざる者の軍団による百鬼夜行のぶつかり合いが続いていた。

 

「どうした屍人(しびと)使い、押されているぞ!!」

 

 式神達を操りながら久脩が無邪気な笑い声を上げる。この少年にとってやはりこれは”遊び”でしかないらしい。戦場に在ると言うのに自分が死する可能性など、欠片ほども思い浮かべてはいないようだ。だがそれも、彼が振るう絶大な力を目の当たりとすれば単なる慢心の一語で片付ける事は出来ない。

 

 久脩が言う通り、宗意軒が従える亡者の軍勢は旗色が良くない。亡者に比べて式神達は、強かった。

 

 彼等がその言葉を知る訳が無いが撃墜対被撃墜比率(キルレシオ)に照らし合わせれば、亡者の式神に対するそれは1対3。つまり亡者が一体の式神を倒す間に、式神達は三体の亡者を倒しているという事だ。倍ほどの数を揃えているとは言え、このままでは押し切られてしまう。

 

「確かに式神同士の戦いは質より量と言ったのは僕だけど、それでも最低限の質は伴っていないと、話にならないな!!」

 

 勝ち誇った久脩が笑う。最初に妙な術を使われた時には少しびっくりしたが、実際に戦い始めてみればどうって事はない。このまま続けていればこの戦いは、間違いなく自分の勝利に終わる。

 

 だが気に入らないのは、宗意軒の顔だ。彼は今は亡者達の骨で輿を組み上げそこにあぐらを掻いて座っており、その輿を亡者達に担がせて指揮を執っている。

 

 自分の兵隊が次々倒されていくのを目の当たりにしていると言うのに、宗意軒の笑みは未だ崩れない。慌てふためく様を想像し、期待していた久脩は、苛立ちを抑えきれなかった。何としてもこの男の澄まし顔を、ゲドゲドの恐怖面に変えてから殺してやらねば気が済まない。

 

「その屍人ども、後何体出せる!? 十体か!? 二十体か!? いずれにせよ、それが尽きた時がお前の死ぬ時だ!!」

 

 痩せ我慢を崩してやろうと挑発するが、しかし宗意軒は暖簾に腕押し、冷笑を浮かべたままだ。彼はそれを見てますます怒りを募らせる久脩に、こう返す。

 

「クソガキ、お前は将棋を指した事は無いのか?」

 

「何だと?」

 

 久脩もむきになって言い返す。卓越した能力はあっても、その精神はやはり子供だった。

 

「最初は歩から。将棋の定石だろうが?」

 

「……ほう? ではお前はまだ本気ではないと言いたいのかい?」

 

「ああそうだ……が、このままでは俺の方が不利なのも確かだな」

 

 既に亡者達は最初の半分ぐらいにまで数を減らしている。まだ交戦を維持出来るだけの数は残しているが、このままの状況が続けば式神達の爪牙が宗意軒に届くのも時間の問題に思える。

 

「切り札は敵より先に切らないのが鉄則だが……まぁ、良いか。使わせてもらう事にしよう」

 

 輿の上でぱちん、と指を鳴らす宗意軒。すると間髪入れず、だぁん、という轟音が鳴り響いた。種子島の銃声だ。その音を聞いた途端、久脩が使役する式神達の戦列が、乱れた。式神達はどういう訳か、南蛮渡来の種子島を嫌う。前鬼のような上級式神であれば理性でその恐怖を抑えられるが、久脩の操る低級式神達はその本能的恐怖に耐えられないのだ。

 

 一方で、宗意軒が従える亡者達は銃声を聞いてもまるで影響を受けてはいないようだった。それも当然かも知れない。恐怖とは、危険を察知してそれから離れる事で死を回避する為の感情。死者に恐怖を感じる感情がある訳も無いし、仮にあったとしても根の国の住人である彼等にとって言わば”死”とは第二の故郷。別段恐れる事もないのだ。

 

「くそっ、どこから種子島なんて……!!」

 

 毒突きながら久脩が見れば、亡者達の中に一体、火縄銃を手にしている者が居るのが分かった。他の亡者達は全身が白骨化しているが、その亡者は腐って蛆が湧いているものの未だに肉をその体に纏っており、死んでからさほど時間が経っていないように見えた。

 

「こいつは甲賀忍者の杉谷善住坊。信奈様を狙おうとしていた所を俺の同僚達に取り押さえられて、たっぷりと可愛がられた後に殺されたらしいな。これほどの腕を持った奴をただ死なせておくのも勿体無いから、転生させて俺の屍兵共に組み込ませてもらったのさ」

 

「バカが!! 種子島のたった一挺で勝ったつもりかい!?」

 

 毒突く久脩は算を乱しつつあった式神達に指令を与え、統率を取り戻していく。いくら式神が種子島を嫌うと言っても、十挺も二十挺も数を揃えて一斉射するのならばまた話は違うだろうが、亡者達の中で種子島を持つのは元杉谷善住坊たった一体のみ。単発では、精々式神達を怯ませるほどの効果しか持たず、その混乱もすぐに天才陰陽師の指揮によって回復されてしまう。

 

 しかし、僅かに怯ませるだけで十分だった。宗意軒の指が再び、ぱちんと気持ちの良い音を立てる。すると再び地面が盛り上がり、新手の亡者が姿を現した。同時に式神達が三体、一瞬にして斬り捨てられる。

 

「何っ!?」

 

 久脩が驚愕を見せる。たった今現れた新手の亡者は、明らかに他の者達とは違うようだった。まず姿が違う。纏う衣服は僧兵のものだが、全身至る所に矢が突き刺さって、ハリネズミのようになっている。

 

 そしてこの重装備はどうだ。他の亡者は丸腰か、精々槍刀の一本を持っているだけだが、この新手の亡者は巨大な薙刀を手にしているだけではなく、右腰に二本、左腰にも二本、後腰に交差させるようにして二本の刀を差し、更に背中に二本の野太刀を背負い、計八本もの刀を身に付けて、それ以外にも熊手や大槌、大鋸に刺又、突棒、袖搦といった道具まで携えている。

 

 しかもそれほどの超重装備でありながら、その亡者の動きは、軽い。空を舞うような動きで疾駆すると、あっという間にまた一体、式神を真っ二つにしてしまう。斬られた式神は、粒子状になった体を大気中に霧散させるようにして、消えていく。この亡者の強さには、流石の天才陰陽師も一目置いたようだった。「ほう」という表情になる。

 

「それがお前の切り札かい?」

 

「その通り。流石に、一つの時代で無双を誇っただけの事はある。深鈴様の食客になる以前……わざわざ奥州くんだりまで足を運んで、墓を暴いて転生させた甲斐があったというものだ」

 

 恐ろしい事を平然と言ってのける宗意軒に久脩も少しばかり圧倒されていたようだったが、しかしすぐに平静さを取り戻した。状況は未だ、自分の有利には違いないのだから。

 

「何度も言っているだろう? 式神同士の戦いは質より量!! いくらお前のその屍人一体が強くても、僕が操るこの数には勝てないよ!!」

 

「分かっているさ。これはあくまで時間稼ぎに過ぎん」

 

「何だと!?」

 

 苛立ちを声に滲ませて、久脩は思わず体を乗り出した。宗意軒はやはり笑顔のまま、続ける。

 

「兵力の拡充が終わるまでの、な」

 

 

 

 

 

 

 

「私が織田の銀鈴よ、討ち取って手柄になさい」

 

 異形の軍団が激突している戦場からほど近い山中では、追撃する浅井の兵を前に前鬼扮する偽深鈴が追い詰められていた。付き従ってきた百名の足軽達は悉く討ち死にして、残るのは彼一人。

 

 だがこれで、彼と百名の兵士達は十分に役目を果たしたと言える。彼等は道幅が細くなって大軍では押し通れない所に陣取り、そこを死に場所と心得て猛戦したのである。人間、死ぬ気になればその力は五倍にも十倍にもなる。なんと三度まで浅井方の攻撃を退け、四度目の戦いでは既に二十余名まで数を減らしていたが、それでも全滅までに百人近くの浅井兵を討ち取っていた。深鈴の姿と名前を借りる事で敵の目を引き付け、彼女達が逃げる時間も十分に稼げた。この戦いは死んだ百名と、前鬼の勝ちだ。

 

「お命頂戴!! 御免!!」

 

 浅井兵の一人がそう言って斬り掛かる。前鬼は振り下ろされるその太刀を避けようとさえしなかったが……不意に、その兵士は攻撃動作を中断して、それどこか怯えた表情で軽く十歩は後ずさった。彼だけではない。他の三百名ほどの兵士達も先程までの手柄首を挙げて与えられるであろう恩賞を想像してにやけていた表情から一転、一様に怯えた顔になっている。

 

 彼等の視線は、前鬼ではなくその後ろに向いている。「何かあるのか?」と思った彼が振り返ると、そこには想像を越えた光景が広がっていた。

 

「なっ……!!」

 

 その有様には上級式神をして、圧倒されるものがあった。たった今まで誰一人として後ろを見せず、勇敢に戦って倒れていった足軽達が、次々と立ち上がってきていたのだ。死んでいなかったのか、あるいは息を吹き返したのかとも思ったが、しかし百人の中の一人にそういう事があるというならいざ知らず、百人全員にそんな事がしかも同時に起こるなど、有り得るのだろうか。見れば彼等がこれまでの戦いで討ち取った浅井の兵までもが、むくりと立ち上がってきている。

 

 注意深く見てみると、やはり彼等は”死んでいる”という事が分かった。白濁した眼球からは意思の光が感じられず、だらしなく半開きになった口からはだらだらと涎が垂れ流しになっていて、中には腹が割けて臓物を引き摺りながら歩いている者すら居る。

 

 蘇った死者は眼前の生者達に向けて一斉に襲い掛かり、ある者は手にした得物を振り、ある者は獣さながらに食らい付いて、彼等を次々自分達と同じ”死”に引き込んでいく。

 

「ひ、ひぃぃぃぃいいっ!!」

 

「く、来るな!! 来るなぁっ!!」

 

 殺した筈の者が生き返るという想像を越えた事態に浅井兵は恐慌状態となり、ある者は逃走してある者は滅茶苦茶に刀を振り回して抵抗するが、だが亡者達は心臓に槍が突き刺さっても、刀で腕を飛ばされても、ほんの僅かな痛痒すらも感じてはいないようだった。それも当然かも知れない。死人が痛みを感じる訳が無いし、一度死んだ者をこれ以上殺す事など、出来よう筈もない。

 

 次々に亡者の手に掛かっていく浅井兵。しかし、本当の恐怖はそこからだった。殺された者達が、先程までの殿軍の足軽達と同じように立ち上がり、生ける屍(リビングデッド)として動き始めたのだ。

 

 殺した筈の者が蘇り、蘇った死者が仲間を殺し、殺された仲間が亡者として蘇る。

 

「う、うわあああっ!!」

 

「こ、これは夢だ!! 悪い夢なんだぁっ!!」

 

 浅井兵達がそう思うのも当然だった。そしてとびきりの悪夢の中に居るとしか思えないようなこの状況で、戦意を保てる訳がなかった。辛うじて応戦していた者も次々に武器を捨て、倒けつ転びつ逃げ惑う。倒れた者は亡者の餌食となって亡者となり、三百名は居た中で逃げ延びられたのはほんの二、三十名だけだろう。

 

 そんな狂乱の地獄絵図を前鬼はやや離れた所から眺めていたが、屍兵達は彼も生者として認識したようだった。数体が襲い掛かってくる。

 

「ぬっ!!」

 

 深鈴の姿からいつもの青年陰陽師のそれへと戻った彼は白羽扇を振るい、不可視の拳を繰り出した。向かってきた死者はその攻撃によって打ち砕かれ、今度は立ち上がる事はなかった。どうやら亡者達は只の武器では斬られても突かれても平気だが、自分のような霊的な存在ならば攻撃は通るらしい。この点は久秀が操る傀儡に近いものがあるのかも知れない。

 

 他の屍兵達も襲ってくるかと身構える前鬼であったが、しかし亡者の群れは唐突に彼への興味を失ったかのように一度動きを止めると、全員が何者かの意思に導かれるように一つの方角へと進んでいく。

 

 この異常事態が誰の手によるものかなど、前鬼にはすぐ分かった。

 

「森宗意軒め……始めおったか……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 浅井の兵は深鈴率いる殿軍を追撃する主力以外に、部隊からはぐれたり急速な撤退に付いて行けずに脱落した尾張兵を掃討すべく、若狭の山中に広く展開していた。

 

 その中の一隊が、前方に十数人の死体が転がっているのを見付けた。

 

「これは、朝倉方の死体か」

 

 朝倉兵は首を斬り飛ばされており、しかしここで戦闘があったにしては不思議な事に、尾張兵の死体は一人も見当たらなかった。

 

「一体何が……?」

 

 注意深く調べようとした彼等は、次の瞬間から地獄に叩き込まれる事になった。

 

 朝倉兵の首無し死体がむくりと起き上がって、右手には抜き放った白刃を、左手には転がっていた自分の頭を拾い、盾のように振りかざして向かってきたのだ。

 

「な、何だ!?」

 

「死体が、生き返った!?」

 

 有り得ない事態に混乱の渦中に陥った浅井勢が、亡者の餌食となって自分達も亡者になるのに、大した時間は掛からなかった。三十人ほどの中で、残ったのはあっという間に三名ほどになった。

 

「ば、化け物……!!」

 

「く、来るな!! だ、誰かぁっ!! た、助けてくれえっ!!」

 

 腰を抜かした彼等は最早、迫る屍人の生け贄になるしかないと思われたが……しかし、その祈りが天に通じたのか、はたまた死者達にも気紛れのような揺らぎはまだ残っていたのか。いずれにせよ、それまでは生肉を放り込まれた飢狼の如き勢いで死を振り撒いていた亡者達は突如として彼等に興味を無くしたように、何処かへと歩み去っていった。

 

「た、助かった……のか?」

 

 股間から湯気を立てながら三十人の中の三人、文字通り九死に一生を得た中の一人は、呆然と呟くばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

「おう、ここにもあったぞ」

 

「この鎧や着物も洗えばまだ使えるな」

 

 山中のまた別の場所では、この地の農民達が戦死者から身の回りの物を剥ぎ取って売り捌くべく、徘徊していた。これもまた、落ち武者狩りの一形態である。

 

「ひひひ、朝倉様のお陰でえらい儲けじゃ」

 

 だが、喜んでいられたのもそこまでだった。服を脱がせようと近付いた所で、織田兵の死体がバネ仕掛けに弾かれたように起き上がって、首筋に噛み付いてきたのである。

 

「ぎ、ぎゃああああああっ!?」

 

「な、何だ!? 一体、何が起きた!?」

 

 食い破られた頸動脈から吹き出た血で黒い闇夜が赤く染まり、謝肉祭が始まった。あっという間に十人はいた落ち武者狩りは九人までが亡者に襲われ亡者になって、残った一人は命からがら逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 術比べの主戦場を中心としたあちこちで、このような光景が繰り広げられた。魔界転生の秘術によって蘇った死者達は周囲に居る生者達に襲い掛かり、彼等をも同じ死者に変えて葬列に加え、爆発的に数を増やしていく。

 

 そうして増えた屍兵はその都度、宗意軒が率いる軍勢へと組み入れられた。

 

 死者が生者を殺し、殺された生者は死者となって更なる死を振り撒いていく。その連鎖はさながら終末的な思想に取り憑かれた者共による、邪教の儀式のようだった。

 

「いいぞ!! もっとだ!! もっと殺せ!! もっと殺して増えるがいい!! 俺の可愛い亡者共!!」

 

 人骨製の輿の上でどんどんと増えていく屍兵達を見下ろし、その儀式を取り仕切る邪教の祭祀・森宗意軒は高笑いしつつ指揮を執っていく。対照的に、ほんの僅かな時間で減らした筈の兵数を補充され、倒しても倒しても減る気配を見せない亡者の軍勢に、土御門久脩はこれまでで最も大きな動揺を見せた。

 

「お、お前っ……これは一体……!?」

 

「敵の問いに答える義務は無いが、まぁいいだろう。教えてやるよ」

 

 と、宗意軒。どうやら山高帽が無い時はそれがクセとして出るらしい。再び長髪を掻き上げる。

 

「先程も言っただろう? 魔界転生は俺が殺した者を俺の手足として使役すると。そして手足である亡者達が殺した者もまた、亡者になって俺の支配下に入るのさ」

 

 そして宗意軒が術を発動した際、近くにあった死体もまた亡者になる。亡者が亡者を生み、増え続けるその早さはネズミ算。1が2に、2が4に、4が8に、8が16に、16が32に、32が64に、64が128に、128が256に、256が512に、512が1024に、増えて増え続ける。しかもここは戦場。亡者となる死体も、餌食となる生者もいくらでもいる。式神達に倒された分を補充して更なる大軍と化す事など、造作も無かった。

 

「惨い真似をする……それで自分が優しい人間だなんて、よくも言えたものだね?」

 

 子供特有の残虐性によって、遊びで虫の手足を引き千切る感覚で人を殺す少年陰陽師をして宗意軒のこの外法の術は、残酷であると断じるに十分なものがあった。

 

 しかしこの批判を受けて宗意軒は「何を言っているのか?」と、鉄の笑みを僅かに頓狂に変える。

 

「俺はとても慈悲深い人間だよ? それが証拠に、今回亡者共にはこう命令している。”出会った人間十人につき九人までは殺して良いが、残る一人は見逃せ”とな」

 

「何だと……何の為に、そんな事を……!!」

 

「来るべき新しき世の為さ」

 

 何の迷いも見せず、即答して返す宗意軒。

 

「生き残った一人には、語り部になってもらう。敵も味方も落ち武者狩りも。如何なる形であれ戦に関わった者は亡者に食われて亡者になり、冥府を永劫彷徨うのだと!! 戦とはこれほどまでに惨いもの、これほどまでに苦しいもの、これほどまでに醜いものだと!! それ故に二度と起こしてはならぬと骨に……いや、骨の髄にまで刻み込んでやるのさ!!」

 

 眉根に皺を寄せ、三白眼と相まって凶悪な笑みを浮かべながら、宗意軒は語る。

 

「それにこうでもせねば、お前のような奴が戦を玩具にして、何回でも何十回でも、民に難儀を掛けてその都度、この国を疲弊させていくだろう? もう、沈没しそうな同じ船の中で揉めていて良い時期は、とうの昔に過ぎていると言うのにな!!」

 

「そんな事の為に、お前は織田信奈に仕えているのか!? その術があれば、この国など三日で手中に出来るだろうに!! そんな、くだらない事の為に!?」

 

 信じられないという顔で、久脩が叫ぶ。理解出来ない。何故これほどの力を持ちながら、この男は天下を望まぬのだ? 自分に同じ力があったのなら、京に土御門家を再興して日ノ本の流れ陰陽師を全て始祖・安倍晴明公直系の子孫である自分が束ねるなどと面倒臭い事はせずに、この国の全てを支配してやるのに。何故だ!?

 

 そう聞かれて、しかしこの問いは「そんな事も分からないのか」と、宗意軒を失望させたようだった。彼は「はあ」と溜息を吐く。

 

「支配などという俗事に興味は無い。俺の望みは諸外国の侵略によって日ノ本が亡国とならぬ為に、だが海外への門戸を閉じて時に取り残された国にもならぬ為に、天下が新しい、次の段階へと進む事!! 俺はその為に新しい世を創らんとする織田信奈と、天命を動かす者・銀鏡深鈴に懸けた!! そして、旧き天下を旧きままにかざそうとする……とどのつまりは、お前のような者は!! この俺が全て殺して殺して殺し尽くすのだ!!」

 

 話の最中にも、死者の群れは集結を続けていた。今や亡者の軍勢は百の単位では数え切る事は叶わず、千にも二千にも達している。

 

 ぞるっと、夥しい数の”死”が、流れる河のように。むせ返るような腐臭を放つ激流と化して、久脩が従える式神達へと襲い掛かった。

 

「式神の戦いは質より量、だったよな?」

 

 まさに今のこの状況は、それを体現していた。切り札として宗意軒が投入した一体を除けば、亡者達は式神の三分の一程度の力しか持ってはいない。だが三体の亡者を倒す度に、十体が補充されて葬列に組み入れられていく。久脩も次々に護符に念を送って新しい式神を喚び出していくが、倒しても倒しても現れる屍兵の大攻勢によって、徐々に総数が減り始めている。

 

「どうした陰陽師、押されているぞ?」

 

 屍人の群れが河だとするなら、久脩の式神共は中州に例える事が出来た。押し寄せる死の急流によって削られ、徐々にその面積を小さくしていく。

 

「その護符、後何枚残っている? 十枚か? 百枚か? いずれにせよそれが尽きた時が、お前の死ぬ時だな」

 


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