織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第03話 英傑参集

 

「いやぁめでたい!! この度、晴れて織田信奈様に仕官が叶いました!! これも五右衛門以下川並衆の皆様のお陰です!! 私にはこれぐらいしかあなた達に報いる事が出来ませんが、どうか今日は遠慮せずに食べて飲んで騒いで下さい!!」

 

 運用した資金の一部を使って手に入れた五右衛門の家の広間には、上座に家主である五右衛門とその主君である深鈴が座り、向かって右には川並衆。左には深鈴に招待された犬千代を初め彼女が住む長屋の長である浅野の爺様や孫娘のねねといった「うこぎ長屋」の面々がずらりと並んでいた。

 

「嬢ちゃん、おめでとうございやす!!」

 

「親分も新居購入、おめでとうございやす!!」

 

「親分共々、支えてきた甲斐があったってモンだぜ!!」

 

「これからもどんどん出世して、いずれ俺達を侍にしてくれよな!!」

 

 荒くれ揃いの川並衆の面々は、下級とは言え武士である「うこぎ長屋」の住人達を前にしかし物怖じした様子も見せず、並べられた料理へ箸を動かし、空の徳利を次々生産していく。

 

 最初は何故自分達が呼ばれたのかと当惑気味であった犬千代達も、しかし年に一度食べられるかどうかという豪勢な料理を前にしては、そんな疑問は吹っ飛んだ。

 

「……美味しい……もぐ……もぐ……」

 

「おうおう、これは珍味じゃ」

 

「こんな料理をご馳走して下さるとは、銀鈴どのは太っ腹にございまする!!」

 

 犬千代を筆頭に、猛烈な勢いで皿を空にしていく。

 

 上座の二人はそんな喧噪を、やや離れた立ち位置から見ている形になった。

 

 深鈴はちらりと傍らの相方へと目を送って、この晴れの席に五右衛門が浮かない顔を浮かべているのに気付いた。

 

「銀鏡氏、拙者を労ってくれるのは嬉しいでござるが……」

 

 忍びの少女はそこまで言って、言葉を切ってしまう。

 

 確かにこの一ヶ月は息つく暇も無い、いつ死んでもおかしくない激動の日々であったし、ひとまずの目的であった仕官が叶ったのだから浮かれるのも無理からぬ所ではある。

 

 ……が、だからと言って、あまり大きくないとは言え自分に家を買い与えるなど……五右衛門はこの為に、わざわざ表の顔まで用意せねばならなかった。

 

『その心遣い……嬉しくないと言えば嘘にござるが……』

 

 しかし、だからと言ってこんな所で満足していて良い筈はない。仕官が叶ったのはあくまで始まりに過ぎないのだから。

 

『拙者の為に余計な金を遣って今後に差し支えては……』

 

 とも思うが……まぁ、それでも今日は何度か死にそうになりながらやっと始まりの地点に立った記念すべき日であるとも言える。この一日ぐらいは羽を伸ばしても良いだろう。明日からは、きっと気を引き締め直して鉄砲の名人捜しに邁進してくれるに違いない。

 

「信奈様への手土産として鉄砲を用意しようと発案したのは私ですが、お金を稼いで鉄砲を沢山買えたのは皆様の協力があったればこそです!! お礼の気持ちとしてここに一人頭三十貫文を用意しました!! うこぎ長屋の方々もどうぞ!! これは私の仕官祝いのご祝儀です!!」

 

 ……明日からは、きっと気を引き締め直して……

 

「あぁ、それと五右衛門。私も屋敷を買う事にしたわ。広くて便利の良さそうな屋敷が見付かったから……明日からはそこを拠点に動く事になるわよ」

 

 ……あ、明日からは、き、きっと……

 

 

 

 

 

 

 

「何考えてんだ、あのバカ!!」

 

 清洲の大広間に、勝家の怒号が響き渡る。

 

 犬千代が出席していた事も手伝い、深鈴が乱痴気騒ぎを演じたという情報はたちまち家中の誰もが知る所となった。

 

 勝家にしてみればあれだけの数の鉄砲を鍛冶ごと揃えるなど並大抵の事ではないし、姫様の意図も見抜いていた点からも、深鈴の事は正直かなり高く評価していた。

 

 そして次に深鈴が何をするのかと言えば、鉄砲を揃える事は出来たが自分は扱い自体は素人だからと言っていたので、今度は鉄砲の名人を捜しに出立するのだとばかり考えていた。そして二週間もすればきっと名手を連れて帰ってくるだろうと勝手ながら期待もしていたのだ。

 

 が、しかし。現実はどうだ。

 

 実際に彼女がやった事と言えば、蜂須賀彦右衛門正勝(五右衛門の表の顔)とかいう聞いた事もない自分の配下に家を買い与えるわ。

 

 その家に人を集めて酒池肉林の世界を繰り広げるわ。

 

「挙げ句の果てに、鉄砲の名人捜しにやっている事がこれか……」

 

 呆れたように、懐から一枚の紙を取り出す。これは深鈴が腰を据えた屋敷の前に掲げられた立て札に書かれている文面の写しである。

 

「何か一芸に秀でた方は、是非我が家の門を叩いて下さい。食客としてお招きいたします。ことに、鉄砲について心得のある方は優遇……」

 

 要約すればそういう事だった。

 

 これを見た時、勝家は胸から失望が湧き出でるのを堪えきれなかった。こんな立て札一本立てて待っているだけで、本当に人材がやって来ると思っているのか? あいつの事は切れ者だと思っていたのに……

 

「お前も、一緒に居たのなら何故止めなかった?」

 

 睨みつつそう咎められて、傍らに座っていた犬千代はしょぼんと小さくなってしまう。あの時は目の前のご馳走に我を忘れて大騒ぎしてしまったが……こうして振り返ってみればとんでもない暴挙だった。思い出しただけで赤面してしまう。

 

 そんな犬千代を尻目に、勝家が立ち上がった。

 

「姫様!! 仕官したばかりと言うのにこの浮かれよう、放置しておいていては他の家臣に示しが付きません!! あたしが行ってきつく注意を……!!」

 

「放っておきなさい」

 

 が、その提案は信奈の一言で切って捨てられてしまう。勝家は「しかし、このままでは姫様の名前にも傷が……」と食い下がるが……

 

「あいつが間違っていたのなら、あいつを選んだ私が間違っていた。ただそれだけの事よ……」

 

 捨て鉢になっているような言い方だが、しかし言葉からは怒りは感じない。怒りを通り越して最早深鈴を切って考えているのとも違う。寧ろ、余裕を感じさえするが……

 

「それにしても深鈴どのも、人材捜しに中々面白い手を打ったもの……六十点です」

 

 ゆとりを感じさせる艶然とした笑みを湛えたまま、長秀が採点する。

 

「??? 何言ってるんだ、万千代?」

 

 あの乱行狼藉のどこにそんな点数を付ける余地が……?

 

「……ちょっと見てくる」

 

 犬千代はそう言うと、愛用の槍を担いで大広間を退出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして深鈴の屋敷へとやって来た犬千代であったが、門前まで来た所で何やら様子がおかしいのに気付く。

 

 十数名の男女が、門の前にずらりと順番待ちのように並んでいた。

 

「これは……」

 

 何の行列かと思いつつ、割り込むつもりはない事を説明して屋敷の中に入り、話し声のする部屋の襖を開けると捜し人はすぐに見付かった。

 

「刃金甚五郎殿、山田流の鎖鎌術の使い手……まぁ、ゆっくりしていってください」

 

「はい、ありがとうござる」

 

「ご案内して差し上げるでござる」

 

 五右衛門の指示を受けた女中に連れられて、刃金甚五郎といったか。野袴を履いた中年の男が屋敷の奥に消えていくのを見送ると、犬千代は入れ違いにその部屋に入った。

 

「はい、次の方……って、あら?」

 

「犬千代どの?」

 

 深鈴と五右衛門は部屋の奥に座っていくつかの書面に目を通していたが、入ってきたのが予想外の人物であった事で僅かな驚きを見せた。

 

 驚いたのは犬千代も同じである。先日の様子からてっきり未だだらけているとばかり思っていたが、その実、何やら忙しそうにしているではないか。

 

「何してるの?」

 

「何って、食客希望でウチを尋ねてきた人の面接を……」

 

「すまないが、俺の順番はまだかい?」

 

 説明しかけた深鈴であったが犬千代の後ろから声が掛かった事でそれを中断する。

 

「ちょうど良いわ。あなたも面接を手伝って」

 

「ん? うん……」

 

 なし崩し的に深鈴の左に座り、五右衛門と共に両脇を固める形となった犬千代。五右衛門の指示によって、彼女とちょうど後ろから声を掛けてきた男にも茶が出される。

 

 その男は、南蛮の物かと思われる衣装を身に纏っていた。少なくとも明らかに和服ではない。宣教師ような、深鈴の居た現代では神父服に近いデザインの衣装を着ていて、その上から薄汚れた外套を纏っている。年齢は、十代後半から二十代前半といった所だろうか。

 

 全体的にほっそりとしていて顔や体もひょろ長く見え、一本の線のような切れ長の目が印象的だ。彼は座布団の上にあぐらをかいて座ると、被っていた山高帽を取って一礼する。

 

 同じように面接官の3人も一礼し、

 

「私がこの家の主の銀鏡深鈴です」

 

「従者の五右衛門でござる」

 

「……犬千代」

 

 三者三様の挨拶を受けて、男の方も名乗り返す。その言葉には犬千代の知るどんな国の訛りとも違う、独特のイントネーションがあった。

 

「俺は森宗意軒と申す」

 

「ふむ……では森殿。我が家を訪れる方は誰も拒まない方針ですが、あなたは他人より自慢出来るものがおありですか?」

 

「はい、俺は昔、乗っていた船が沈んで南蛮船に助けられたのをきっかけに南蛮へ行き、また先だっては唐土(もろこし)に渡って色々学んだ後に帰国して参りました。故に、南蛮や唐土の言葉が分かります」

 

 この説明に、深鈴は得心が行った思いだった。独特のイントネーションは長い外国生活の賜物という事か。

 

「それは凄い。これからは南蛮との貿易もより盛んになっていくでしょうし、語学に堪能な方は貴重な人材ですね。ゆっくりしていってください」

 

「では、ご案内して差し上げるでござる」

 

 先程の刃金甚五郎と同じように女中に案内され、宗意軒は屋敷の奥へと消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして間が空いたのを見計らって、犬千代が質問を再開した。

 

「銀鈴、何してるの?」

 

「何って……だから面接よ。この家を訪れる人で一芸を持っている人は誰でも食客として招くって書いてあったでしょ? 表の看板に……」

 

「でもどうして急にこんなに……」

 

 と、次の疑問を差し挟もうとした所で「失礼します」と、また次の客が部屋に入ってきた。今度の客は、どうやら礼儀正しいようだ。

 

 すらりとした長身と長いストレートの赤毛が特徴の女性だ。年齢は深鈴や信奈と同じか少し上ぐらいであろうか。長秀よりは年下に見える。

 

 彼女が袖を通している白い羽織を見て、深鈴はどことなく理科の実験の時に着ていた白衣を連想した。

 

 一礼し、宗意軒とは違って正座するその女性客。深鈴達の方は先程と同じく三人とも名乗り、そして女性客も名乗り返す。

 

「私の名前は……源内、と申します」

 

「では源内殿。先生の特技は何かございますか?」

 

「これを……」

 

 一枚の巻物を渡され、机の上にそれを広げる三名。だが、反応は2パターンに分かれた。

 

「「!??」」

 

 五右衛門と犬千代は「何だこの落書きは?」とでも言いたげな顔で首を傾げ。

 

「これは……!!」

 

 一方で深鈴は信じられないものを見たという風な驚愕を隠し切れないようだった。目を大きく見開く。

 

 描かれていたのは、ふいごと籠、それに紙を組み合わせて空中に浮く装置……彼女の生まれた時代では気球と呼ばれるもの。

 

 無数の滑車を組み合わせて、少ない力で重い物を持ち上げる機械。

 

 成分の調整によって、閃光と大音響を発する炸裂弾。

 

 他にも色々あるが、どれもこの時代には有り得ないほどの先進的技術の粋と言えるカラクリの絵図面であった。

 

「これは凄い……是非、私の家の食客に……いえ、あるいは信奈様に推挙を……」

 

 興奮気味にまくし立てる深鈴の袖を、犬千代がくいっと引いた。そして耳打ちする。

 

「何?」

 

「この女、佐久訛りがある。武田の間者かも。少しカマかけた方が良い」

 

 そう言われて「ふむ」と一つ息を吐く深鈴。

 

 佐久と言えば戦国最強の騎馬軍団を擁する「甲斐の虎」武田信玄によって侵攻された地。乱世の申し子とさえ呼ばれるような彼の武将であれば、確かに間諜の一人や二人、送り込んできていても不思議はない。

 

 少し、質問しておくべきか。

 

「源内殿、言葉から他国の出身のようですが、わざわざ尾張まで来なくとも、例えば武田家に仕官しようとは思わなかったのですか?」

 

「武田家にも同じように仕官しましたが……私のカラクリ技術は、いくら説明しても誰も理解してくれませんでした」

 

 そして彼女は自分の技術を記した書を実家に残し、正しい評価をしてくれる君主を求めて諸国を流離ったらしい。だが、どの国のどの大名も、カラクリ技術に理解を示さなかった。

 

「今回、銀鏡様は一芸に秀でていればどんな者でも食客として歓迎するという噂を聞きました。それでこうして参ったのですが……正直、ここまでの評価が頂けるとは、思っていませんでした」

 

 源内の目には涙が浮かんでいる。どれほどの数の大名が彼女の研究を理解せずに門前払いしてきたのか、その反応からも推して知るべしというものだ。

 

 しかし無理もあるまい、と深鈴は思う。これらは少なく見積もっても百年は先の人間の発想だ。現代出身の自分だからこそ理解出来るが、この時代の人間が理解出来ないのも無理は無い。むしろ、理解出来る方が異常とさえ言える。この巻物に描かれているのは発想・技術共にそれほどに先進的な内容だった。

 

 そして「はっ」と頭の中に浮かぶいくつかの言葉。

 

 源内。カラクリ。武田……そう言えば確か、あの有名な発明家の先祖も、武田信玄に滅ぼされた国の豪族ではなかったか……?

 

 ちらり、と巻物に視線を落とす。

 

『ま、まさか……?』

 

 深鈴は、思わず生唾を飲んだ。

 

 源内の発想や技術にはまだ時代が全く追い付いておらず、彼女の才能は誰にも理解されないままに埋もれるだけだった。だが彼女の家には技術を記した書が残されていて、それが百数十年も先の子孫の手に渡り、子孫の才能が開花した。

 

 それが藤吉郎の死ななかった、自分の居なかった正史の流れだとしたら……

 

 この、変わってしまった歴史では……

 

 今回行った人材募集。ここに、その技術を理解出来る者が居た。未来から来た、自分。

 

『大袈裟かも知れないけど……ひょっとして今私、とんでもない歴史の転換点に居るんじゃ……』

 

 ともあれ、やる事は決まっている。

 

 一芸に秀でていれば誰でも食客として迎え入れると表の看板で謳ってしまっているし、それにこれほどの者が居れば、織田信奈の天下取りにどれほど近付くか。

 

 彼女を万一にも他国に利用されるような可能性は、潰さなくてはならない。

 

「源内殿、あなたを食客の中でも最高の待遇で迎えます。研究に必要な資材や材料があるのなら、いつでも申し出て下さい」

 

「あ、ありがとうございます……ご期待に応えられるよう、励みたいと思います」

 

 

 

 

 

 

「銀鈴、鉄砲の名人捜しは……」

 

 正当な評価を得たのが余程嬉しかったのか号泣しながら女中に連れ添われて退室していった源内を見送って、犬千代は再び深鈴を詰問……

 

 しようとしたが、言葉の途中ではっと何かに気付いたように天井を向くと傍らに置いてあった槍を手にして、

 

「曲者!!」

 

 天井裏めがけて一突き。五右衛門も同じ気配を感じていたのか、深鈴に覆い被さって守ろうとする。

 

『……妙な手応え……?』

 

 怪訝な表情で槍を引き戻す犬千代。果たして槍の穂先にはブドウにリンゴ、バナナなどがみたらし団子のように突き刺さっていた。

 

「これは……果物……」

 

 一字違い。実に惜しい。

 

「「「……一体……?」」」

 

 顔を見合わせる3人だが、いつの間にか客人用の座布団の上に、新たな来客が座っている事に気付いた。

 

「「!!」」

 

 戦えない深鈴を守るべく、五右衛門と犬千代が前に出る。

 

 座っていたのは、全身をボロボロの黒布で覆った少年とも少女ともつかない小柄な人物だった。五右衛門以上に全身黒ずくめな中で、こちらを覗き込んでいるぎらぎらと輝く金色の両瞳と、髪飾りのように頭に付けた白い狐の面がアクセントも手伝って一際目立って見える。

 

 何にしても、深鈴は論外として忍びの技を使う五右衛門や槍を持たせては織田家でも随一の使い手たる犬千代が、この人物が部屋に入ってくるのに気付かなかったのだ。恐るべき実力者と見て間違いはあるまい。

 

「…………」

 

 謎の人物は無言のまま手を振ると、袖口からぱらりと一枚の紙が飛び出した。そこには、

 

<果物はお土産>

 

 そう、書かれていた。

 

「「「…………」」」

 

 再び、顔を見合わせる3人。良く分からないが、こんな手間を掛けるくらいならこの謎の黒ずくめが自分達を害する事などいくらでも出来たはずだ。ひとまず敵意は無い、と考えても良さそうだ。

 

 取り敢えず座り直す3人。ただし五右衛門は苦無から、犬千代は槍から手を離してはいないが。

 

「えっと……まずはお名前を教えていただけますか?」

 

「…………」

 

 黒ずくめが再び腕を振る。するとまた袖口から紙が飛び出した。

 

<加藤段蔵>

 

 その名前を見て、今度も反応は2パターンに分かれた。

 

「?」

 

 聞いた事のない名前だと首を傾げたのが犬千代で、逆に「こいつがあの!?」と言わんばかりに目を剥いたのが深鈴と五右衛門だった。

 

「あ、あにゃたが、飛び加藤でごじゃるか!?」

 

「天才忍者の……!?」

 

 段蔵が袖を振ると、再び紙が飛び出した。

 

<忍者は兎も角、そちらのお侍が私を知っているのは意外>

 

 もう一枚。

 

<私達のような仕事の者にとって名前が売れるのは好ましくない。ひっそりと目立たず任務をこなすのが一流>

 

 更にもう一枚。

 

<だが、知っているなら話が早い。雇ってくれるなら命を掛けて働く>

 

「どどど、どうしゅるでごじゃる銀鏡氏!?」

 

 飛び加藤がどれほどの忍びであるかは、五右衛門が最初から噛むほどに動揺している事からも明らかだ。

 

 だが、深鈴の答えは決まっている。

 

 先程と同じ判断だが、彼もしくは彼女が自分達に危害を加えようとするならいくらでも出来たのだ。他に考えられる可能性としては、自分達に取り入って信奈や重臣達の暗殺、あるいは織田家の機密を盗み出す事だが……

 

 これも、五右衛門や犬千代にさえ気取られなかった隠身術を以てすれば難しい事ではないだろう。わざわざ深鈴の食客から始める意味は無い。

 

 よって食客として迎え入れようと思っていたが……深鈴はここで一つ、テストを思い立った。

 

「あなたが本物の飛び加藤なら、何かそれを証明する技を見せていただけませんか?」

 

「……」

 

 彼あるいは彼女は少しの沈黙の後腕を動かし、袖口から今度は紙ではなく、一切の光沢を廃した黒い刀身が伸びてきた。良く見ると反りが無く、忍刀である事が分かる。刀身を黒く塗るのは、夜間の使用を前提として月明かりの反射を防ぐ工夫だろうか。

 

「!! 銀鈴、下がる!!」

 

 前に出る犬千代。しかし段蔵は槍を突き付けられつつも気にも留めていないように刀を動かし……

 

 そして、自分の胸に突き立てた。

 

「「なっ!?」」

 

 突然の自害。この行動に、犬千代も深鈴も表情と体を固まらせてしまう。

 

 どさりと、血を流しながら前のめりに倒れる飛び加藤。その時。

 

「しっかりするでござる!! 銀鏡氏、犬千代どの!!」

 

 突然響く五右衛門の声。

 

「「はっ!?」」

 

 二人が、頓狂な声を上げる。たった今自刃した筈の飛び加藤は変わらずにそこに座っていて、手にも胸にも刀は持っていないし突き立ってもいない。床にも血は流れていない。これは……

 

「幻術でござる」

 

 と、五右衛門。飛び加藤は忍法の体技以外に幻術を習得している天才忍者だという。深鈴と犬千代は、まんまとそれに引っ掛かった訳だ。

 

 再び、飛び加藤の袖口から紙が二枚、飛び出した。

 

<流石に、忍びの者は簡単には掛からない>

 

<これで私の実力は証明出来たはず。雇うか? 雇わないか?>

 

「言い値を出させてもらいますよ。その代わり、私の専属になってもらいますが……よろしいですか?」

 

 これほどの忍びを雇えるのだ。いくら出しても、惜しくはない。

 

<了承。私も当てのない旅にはくたびれていた所>

 

 ここに契約は成立した。現代なら握手の一つもする所であろうが、ここは戦国時代でましてや飛び加藤は忍び。他者に手を預けるなど有り得ない。

 

「では早速だけど任務を与えるわ。三河の松平元康、彼女の身の回りを探り、変わった事があればすぐに知らせてください」

 

<了解>

 

 そう書かれた紙を残して、次の瞬間には飛び加藤の姿は消えていた。残された三人は思い切り肩を落として、深く大きく息を吐いた。とんでもなく緊張する十数分だった。

 

「まさか、あの飛び加藤を引き入れるとは。お手柄にござるな、銀鏡氏」

 

「ええ……鉄砲の名人を呼ぶつもりが、源内と言い飛び加藤と言い、とんでもないのが釣れたわね」

 

 額に浮かんでいた汗を拭きながら言う二人を尻目に、犬千代は腑に落ちないという表情だった。

 

「……なんで、三河?」

 

 どうして深鈴は、飛び加藤の最初の任務として三河の松平元康の偵察を命じたのか。

 

 分からなくはない。今の松平家は今川家に従属する立場であり、もし今川が上洛を目指して尾張に攻め込んでこようとすれば、必ずや松平も動くだろう。

 

 しかしそれなら、何故「従」である松平家を探るのか。「主」である今川家を調査させた方が、有意義と言えるのではないか?

 

 その疑問をぶつけてみるが、深鈴は「いや、これで良いのよ。その内分かるわ」とそれ以上取り合ってはくれなかった。犬千代としては何としてでも聞きたかったが、飛び加藤は五右衛門や川並衆と同じく深鈴の私兵に近い立場である。ごり押しする事も出来なかった。

 

 そうしている間に、

 

「はい、次の方!!」

 

 再び、面接室の襖が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「あははっ!! 銀鈴の奴、やったわね!!」

 

「深鈴どのは運も強いようです。八十点」

 

 三日後、清洲城内の茶室では信奈と長秀が、茶菓子の載った皿を挟んで向かい合い、笑い合っていた。信奈は豪快に、長秀は優雅に。

 

「隗より始めよの策。見事に当たった訳ね」

 

「少し意外でした。深鈴どのが『戦国策』をたしなまれていたとは……」

 

 唐土に於ける春秋戦国の時代、燕の昭王は良い人材を集める為に、まず自分の傍にいた郭隗を優遇する事から始めたという。

 

 すると彼の扱いを聞いた優秀な人材が、ならば自分ならばもっと厚遇されるに違いないと千里の道をも苦にせずに各地から燕に集まり、その中には兵法の秀才であり各国が競って欲しがる楽毅将軍が居て、後に将軍の活躍によって、燕は斉の七十を超える城を二城を残して全て制圧したという。

 

 この故事から転じて大事を成す為にはまず手近な者から始める事を「隗より始めよ」と言うのだが、今回の深鈴の策もそれに倣ったものだった。

 

 まず自分付きの乱波に適当な名前を与えて厚遇する。これが今回の五右衛門の役目だった。

 

 次にその噂をあちこちに広める。この役には川並衆やうこぎ長屋の面々がそれと知らされずに当たった訳だが、しかし深鈴の策を成功に導いた要素は、他にもあった。

 

「姫様の政策の賜物でもありますわ」

 

 と、長秀。海の堺、陸の尾張と呼ばれるほどの賑わいを見せる清洲であるが、これは信奈の政策が関係している。

 

 他国の武将は敵国の間者の出入りを嫌い、国境に関所を設けたり高い通行税を取ったりしている。

 

 対して信奈は戦国時代の大名としては異常とも言える大胆さで一切の関所と通行税を廃止して出入り勝手とし、更に楽市楽座の制度を敷いている。故に諸国から商人が集まり活気ある市場が出現したのだ。諸国に散っていく商人達は、間者など使わなくても流言や噂を勝手に広めてくれる。深鈴の策の効果は、最大限に発揮されていた。

 

 今や彼女の食客は川並衆を合わせて300人にも上り、剣術、柔術、本草学、ヒヨコのオスメス鑑定、音楽家、詐欺師、泥棒、物真似芸人、手形偽造、風水師、船乗り、金山師、マタギなど、様々な分野で一芸に秀でた者が集まっているらしい。鉄砲隊を調練する名人も、その中に居た。ただの贅沢に見えた大屋敷の購入も、これだけの人間を一所に集める為だったとすれば納得だ。

 

「言われてみれば何て事のない策なのにね……」

 

 信奈がこぼす。

 

 だが例え書物で読んだ事があったにせよ、あの若さでそれをすぐにしかもあれほどの規模で実行に移せる発想力と度胸を併せ持った者などどれほど居るだろう。少なくとも、今まで彼女が出会った中には居ない。

 

『あいつなら……ひょっとしたら私の話を、理解してくれるかしら……?』

 


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