織田信奈と銀の鈴(完結)   作:ファルメール

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第04話 風雲急を告げる

 

「それじゃあ、行ってくるわね」

 

 出仕の時間となって庭先で掃除している奉公人に一声掛けると、深鈴は清洲城までの道を歩き始める。

 

 深鈴が信奈に仕えるようになってまだ一ヶ月とは経っていないが、これはもう彼女の中で一つの習慣、新たなる日常として定着しつつあった。

 

 しかし、この日は一つ変わった出来事があった。

 

「……あの、通れないのですが」

 

 ずらりと並んで道を塞ぐ若侍達に、爽やかな朝の気分を害されたと深鈴は苛立ちが滲んだ声を上げる。急病人を医者の所に運んでいたとかなら兎も角、こんな奴等に関わり合いになって遅刻する羽目になるなど、判で押したような生活を好む彼女には耐えられない。

 

 いざとなれば陸上部(ただし高跳び選手)の脚力で逃げ切ってやろう。などと考えていると、若侍達の列が割れて彼等よりも幾分年若い少年侍が進み出てきた。

 

「何ですか、あなた方は」

 

 と、深鈴。既に表情も声も内心の不機嫌を隠そうともしなくなっている。

 

「我等は織田勘十郎信勝さまの親衛隊よ!!」

 

 織田勘十郎信勝。その名前を聞いて、深鈴の片眉がぴくりと持ち上がった。この名前は彼女の知る歴史と同じだ。織田信長の、つまりこの世界で言う信奈の弟。なるほど彼の整った面立ちは、信奈のそれと共通点がある。確かに姉弟で間違いはあるまい。

 

「姉上が新しい家臣を召し抱えたと聞いて、どんな奴なのか見に来たのさ」

 

 信勝が言う。未だ声変わり前の高くて無邪気な声だ。

 

「それにしてもこんな大きな屋敷に住んでるのに、得体の知れない連中を沢山住まわせているらしいじゃないか。君も姉上も、一体何をかん」

 

「信勝どの」

 

 ずいと前に出た深鈴に凄まれて、信勝は怯んだように数歩後ずさった。

 

「な、何だよ」

 

「私個人を馬鹿にするのは構いませんが、信奈様は我が主君であり、屋敷に住んでいるのはどの一人も私の大切な客人です。侮辱するのなら、私も黙ってませんよ?」

 

 一戦交える事も辞さないと言わんばかりの強い声でそう言われて「うぐぐ」と唇を噛む信勝であるが、彼とて織田家の長男である。新参者に舐められたままではいられない。

 

「な、何だその口の利き方は!! お前も姉上と同じうつけだ、礼儀がなってないぞ!!」

 

「全くですな、信勝様」

 

「礼儀正しい若殿とは大違いですな」

 

「ですが、信奈様にはこんな不作法者がお似合いかと」

 

 取り巻きの若侍もここぞとばかりに捲し立ててくる。しかし今の言葉の中で、深鈴には聞き逃せない一節があった。今し方信奈への無礼には黙っていないと言ったばかりである。それに、

 

「ほう? 礼儀正しい方が、自分の姉上を阿呆と罵るのですか?」

 

「君は何も知らないんだな。姉上が今まで何をしてきたか」

 

「悪童達と野遊びでもしましたか? 泥にまみれての川乾(かわぼし)? 半狂乱の遠乗り? それとも父親の葬儀に袴無し、縄帯、片袖脱ぎ、茶筅まげで現れて場の一同を睨み付け、極め付けに抹香を鷲掴み、父親の仏前に「喝っ!!」と投げ付けたとか?」

 

「…………!!」

 

 思い当たる事を全て述べられて、信勝は思わず言葉を詰まらせる。

 

 一方で深鈴にしてみればこれらの知識はそんな大したものではなかった。四百数十年後の未来では、日本の歴史が好きな者ならば知っている事ばかりだ。無論信奈の真意も。

 

 当然と言えば当然だが、信勝はそれに気付いていないようだ。彼だけでなく、家中の誰も。勝家や犬千代、長秀も完全には分かっていないだろう。深鈴とて、現代の知識といった「ズル」をしているから知っているに過ぎない。

 

 つまり先代の信秀亡き今、信奈の理解者は家中に皆無だと言える。

 

『でも……あるいは理解されなくて幸せかも知れないわね』

 

 もし分かっていたら、今頃彼女は佞臣どもに邪魔者として暗殺されているだろう。

 

『同年代で同じレベルで話せるのは……私だけ、か……』

 

「わ、分かってるなら話は早い!! 姉上のあんな姿を見て僕は後悔したのさ!! いくら父上の遺言だからって、あんな姉上にこの尾張を任せていたら国が滅びる!! この僕が家督を継ぐべきだったとね!! 母上だって、幼い頃から姉上を嫌って、相手にもしなかった!!」

 

「母君というと……土田御前、香林院さまが?」

 

「そうさ、乱暴で我が儘で南蛮人なんかと親しくして、種子島だの天下だの訳の分からない事ばかり喋ってる姉上は、ずっと母上に疎まれていたさ!! その証拠に、母上は今も僕の居城に……」

 

「信勝さま」

 

 さっきよりも近く、眼前にドアップでずいと凄まれて、またもや「ううっ」と信勝は後ずさる。それを見た若侍達の何人かが鯉口を切るが、もう深鈴の視界に入っていなかった。生き延びる為に仕えたとは言えそれでも信奈は彼女の主君。愚弄されて良い気分ではいられない。

 

「あなたには分かるのですか?」

 

「え?」

 

「何故、先代信秀様が家臣や母親が信奈様を廃嫡してあなたに家督を譲るよう薦める中でそれに応じなかったのか。何故、信奈様がうつけの所行をしてきたのか」

 

 当然ながら、信勝は言葉に詰まる。一方で深鈴はこのまま感情任せに信奈の真意を洗いざらいブチ撒けてしまうべきかどうか、脳内の冷静な部分で検証を始めていたが、その時だった。

 

「銀鏡氏、一大事にごじゃる!!」

 

 空間から湧き出るようにして、五右衛門が姿を現す。信勝や取り巻きの若侍達が驚いた声を上げるが、深鈴はそれに頓着せずにしゃがみ込んで目線を合わせると、五右衛門の耳打ちを受ける。

 

 そして、目を大きく見開いた。

 

「本当なの?」

 

「間違いないでござる」

 

「いけない……!!」

 

 たった今の信勝への怒りもすっかり忘れて深鈴が立ち上がったそこに、今度は段蔵が影から浮き上がるようにして姿を現した。

 

「飛び加藤どの!!」

 

「何かあったの?」

 

「…………」

 

 ボロ布を纏った忍者はすっと一枚の書面を深鈴に差し出す。「読め」という事だ。

 

 深鈴は封を開いて内容に目を通して、そして先程の五右衛門からの報告を受けた時よりも大きな衝撃を受けたように、表情を引き攣らせた。

 

「おい、ちょっと……」

 

「五右衛門、段蔵。戻ってきたばかりで申し訳ないけど、二人にもう一仕事頼むわ。既に食客達の中で足の速い者、口の立つ者、忍びの技の心得のある者を集めた組を編成しているわ。彼等を使っての仕事よ」

 

 いきなり蚊帳の外に置かれた信勝が抗議の声を上げるが、深鈴は取り合わない。最早彼の相手などしている場合ではなくなった。

 

 指示を聞いた二人が消えるのを確かめると、深鈴もまた清洲城へと全力疾走していく。後には、呆然とした信勝以下若侍達が残されるばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

「信奈様、一大事です!!」

 

 城の大広間に、息せき切った深鈴が駆け込んでくる。そこには既に信奈、長秀、勝家、犬千代が集まっていた。

 

「遅いわよ、銀鈴。美濃の事なら既に聞いているわ」

 

 そう、美濃である。信奈が同盟を結んだ斎藤道三の息子である斎藤義龍が謀反したのだ。道三は稲葉山城を追われ、長良川の河原に布陣しているらしい。

 

 これは確かに一大事であったが、しかし深鈴の言う一大事とは別の事であった。

 

「それも重要ですが、三河の松平元康が関口刑部少輔の娘の瀬名姫、今川義元が鶴姫と可愛がっている姪を妹に迎えたとの事です!!」

 

 この報告を聞いた4人の反応は、綺麗に2対2に分かれた。

 

「何ですって!?」

 

「それは本当ですか!? 深鈴どの!!」

 

 信奈と長秀は血相変えて思わず腰を浮かし、

 

「……? 確かに重要な情報だが、美濃より大事な事か?」

 

「……?」

 

 勝家と犬千代は、どうして深鈴も含む3人がこのような反応を見せるのか、理解出来ないという様子だ。

 

「義元は、近い内に上洛する腹ね……」

 

 ぎりっ、と信奈が奥歯を噛み締める。

 

「万千代、銀鈴。説明してくれ。どうして松平元康が妹を迎える事が、今川の上洛に繋がるんだ?」

 

「……よく、分からない」

 

 先程の信勝と同じで蚊帳の外に置かれた勝家と犬千代に説明を求められ、信奈が目線で合図すると長秀が口を開いた。

 

「今川が上洛するとなれば、三河をしっかりと押さえておかねばなりません。三河と言えば松平党。その党首に姪を与えて結束を強化し、他の家族は人質に。となれば元康どの以下松平党は嫌でも今川に逆らえず、上洛の為の急先鋒に使われるのです。敵ながら中々の策……流石は海道一の弓取り、六十五点です」

 

「な、成る程……」

 

 長秀へと感心した視線を向ける勝家。一方で犬千代は同じ視線を、深鈴へと向けていた。

 

 先日飛び加藤を自分専属の乱波として雇った時、最初の命令として松平家の偵察を命じたのはこういう理由からだったのだ。成る程、これなら今川が上洛の為に軍備を整える姿を偵察するよりも更に早く、上洛の気配を察知出来る。あの時の犬千代には分からなかったが「主」の今川家ではなく「従」の松平家を探る意味は、まさにここにあったのだ。

 

「でも、それを聞いたのなら尚更、蝮に援軍は出せないわね。美濃の国主でなくなった斎藤道三には、もう利用価値は無いわ。このまま見捨てましょう」

 

「……よろしいのですか?」

 

 僅かな間を置き、深鈴が尋ねる。確かに、この判断は合理的と言えるが……

 

「当然よ。仮に今川の存在が無かったとしても下手に出陣してみなさい。私達は義龍の軍と信勝の軍に挟み撃ちにされるわよ」

 

 信勝の配下が水面下で斎藤義龍に通じているのは、信奈達ここに居る面々は全員、証拠が無いから処断出来ないだけで公然の秘密として知っている。もし信奈が道三に援軍を出せば、彼等はこの時とばかりに挙兵して清洲を占拠するだろう。さすれば信奈達は道三を助けるどころか帰る国を失って全滅してしまう。

 

 内憂外患を体現したようなこんな状況に於いて信奈の判断を少なくとも国主として、誰が責められようか。

 

『でも……ならば道三の義娘としての、信奈としては?』

 

 そんな思考が深鈴の頭に走った時、一人の小姓が駆け込んできた。

 

「申し上げます!! 近江より、浅井長政どのがおいでになりました!!」

 

 

 

 

 

 

 

 浅井長政。風雅という言葉がぴったりと当て嵌まるような若侍が持ち掛けてきた話は、ずばり信奈との政略結婚であった。

 

 これは、今の信奈の心を揺り動かすには十分なものがあった。

 

 浅井と織田が組んで美濃を北と南から攻めれば義龍軍とて敵ではなく、道三の救出も叶うだろう。更に近江・美濃・尾張が一体となればこれに勝る力は今の日本には存在しない。

 

 確かにこれは織田にも浅井にも損は無く、深鈴の居た時代では「Win-Win」と呼ばれる関係だ。しかし、気に入らないのは長政の物言いである。

 

 旦那様は自分で選びたいという信奈の気持ちは、この際武門に生まれた宿命として捨て置くとしても、長政は口先だけの「惚れた」という言葉さえも言わず、利用するだけの関係と言いくさった。

 

 長政は「返事はまた後日」と引き下がっていったが、信奈は自室に引き籠もってしまい、大広間に残された4人の雰囲気もまるでお通夜であった。

 

「……まだ道三様を救う方法がある。それを聞かされた事で、一度は封じ込めてしまった心を目覚めさせてしまいました」

 

 沈んだ声で、長秀が言う。

 

「だからって、あんな奴に!!」

 

「姫様、可哀想……」

 

 勝家と犬千代も、抱いた不興を表出させている。

 

「しかし、政略結婚は軍略的にも正しい判断。織田家が天下を目指す事だけを考えるなら……この結婚は、七十点です」

 

「万千代、お前!!」

 

 激昂した勝家が、思わず柄に手を掛ける。が、

 

「ただし!!」

 

 雷のような長秀の語気を受けて、白刃は鞘から解き放たれないままに終わる。

 

「私達の姫様の事を考えるなら、この結婚は零点以下です!! この戦国乱世、せめて姫様には、好きな人と……」

 

 深鈴はここまでの会話を瞑目して聞きつつ、そして考えを巡らせていた。

 

 自分も女だから長秀の言う事も好きな人と結ばれたいという信奈の気持ちも十分に理解出来る。

 

 しかし、そうした感情論を一切排除した上でもこの縁談は、織田家にとって良縁であるとは言い難い。

 

 仕官する前に五右衛門に集めさせた諸大名の情報によれば、浅井長政は今まで次々と六角方の武将の妻娘を籠絡し、利用するだけ利用して捨てていると聞く。信奈だけが例外でないと、何故言えるのだ? 結婚したが最後、骨どころか骨の髄までしゃぶられるに決まっている。

 

 しかも現時点での国力は浅井の方が上。これでは道三を救う事が叶っても、織田家が意思を通せるのはそれが最後。後はずっと浅井家の言うがままで、主導権を失ってしまう。

 

「銀鈴、お前からも何か言ってくれよ」

 

 と、勝家。それを皮切りに犬千代も縋るような視線を向け、長秀もじっと彼女を見詰める。三者の視線に共通する感情は一つ。「期待」だ。

 

 仕官する為に大量の鉄砲と絵図面・鍛冶を揃え、大勢の一芸の士を食客として集め、今川の動きを最も早く察知する為に三河を探らせた先見の明。

 

 こうした奇抜かつ効果的な一手を次々打ち出してきた彼女ならば今回もまた何か、姫様が長政と結婚しなくても道三を助けられるような、妖術のような起死回生の一手を打ちだしてくれるのではないかと。

 

 果たして皆の希望を託されて、深鈴の口から出た言葉は。

 

「……長政に返事をするまで、まだ時間があります。それまで、待ってみましょう。その間に、状況が好転するかもしません」

 

「「「…………」」」

 

 それを聞いて、勝家は「くっ」と呻いて膝を拳で叩き、犬千代は無言で俯いてしまい。

 

「……深鈴どの、三点です」

 

 長秀は「期待した自分が馬鹿だった」とばかりに吐き捨てた。切れ者と思っていたのに、こんな誰でも言える事しか言わないとは。かく言う自分とて代案がある訳ではなく、それが忸怩たる思いに拍車を掛ける。

 

 後一日二日の間に、どういう事か今川家が動けなくなって、織田が美濃へと援軍を出せるような状況になるというのか?

 

 そんな偶然に期待するなど、馬鹿げている。

 

「……兎に角、今は私達がこれ以上話し合っていても、仕方無いでしょう。私は姫様のご機嫌伺いにでも行ってきますよ」

 

 場の雰囲気に耐えかねたのか、深鈴は立ち上がって退室していく。

 

「あ……」

 

 犬千代が思わず手を伸ばすが、その手は深鈴の着物の裾を掴まずに、下ろされてしまった。

 

 4人の中の一人が欠けたその集まりは、その後はもう一人も言葉を発さずに、誰からともなく大広間から去っていった。

 


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