仕事納めでようやく更新が出来そうです。長い間あけてしまいすみません。
世の中、どうしてこんなに上手くいかないのだろうと嫌になることがある。大抵の場合不幸と幸運は平等に訪れ、確率というものは収束していくのだと頭ではわかっているつもりだ。それでもバイアスが掛かってしまうのが人間、瞳に映る幸運はピンボケしたように不明瞭で、不幸は高画質で彩やかな灰色をしている。
ため息が口から漏れる。幸せが逃げるなんて言われているが、きっと逆だ。幸せじゃないからため息をつくのだ。
頭の硬い上の連中はどうやら未だにマルゼンスキーをレースに出すつもりはないらしい。どれだけ頭を下げたところできっと無駄なのだろう。実際には文章でのやり取りなので直接頭を下げたためしはないけれど。
「はぁ…………」
ため息をつく。こんな姿は担当ウマ娘に見せられない。
頭が痛い。調子が悪いと思考もネガティブに寄ってしまう。どうしてマルゼンスキーがこんな目に遭わなければならないのだ。なぜ才能溢れるウマ娘の未来を、たかが生まれた国が違うという理由で閉ざさなければならないのか。
……いや、わかっているんだ。外国で生まれたウマ娘だからこそ、より多くのウマ娘の未来を、日本のウマ娘の未来を奪ってしまう可能性がある。その為に守る措置を取っているに過ぎないというのは私だって理解している。
じゃあなんだ? マルゼンスキーは侵略者だとでも言うのか? 得体の知れない宇宙人か何かか? 彼女だって日本で育ったウマ娘じゃないか。ならば何故、シンボリルドルフが駆け抜ける姿は応援され、マルゼンスキーは遠ざけられなければならないのか。
「……っ」
いけない、何を考えているんだ私は。彼女たちを比較するようなことがあっていいわけがない。マルゼンスキーはそんな風に考えない。
きっと疲れているのだろう。今日はもうやめにしてトレーナー寮に帰ろう。睡眠も足りてないかもしれない。休日はゆっくり休むことにしよう。
そんなことを考えていると部屋の扉をノック……せずにキリノが入ってきた。
「やっほー」
「ノックくらいして」
「ソーリーソーリー。仕事中だった?」
「もう終わるところよ。どうかした?」
最近になって色々と変わったキリノ。幼い性格は変わらないが、将来トレーナーになるためにやる気を出している、という表現が適切だろう。
「うん。でも時間ないなら今度でもいいよ」
「別に構わないわよ、予定もないし」
「あー……それは残念だね」
「このガキ……っ」
こんな失礼極まりないところは相変わらずなわけだが。
「で、用事は何?」
「ああ、用事ね。ていうか提案なんだけどね」
提案、なるほど。キリノにしては珍しい、積極性のない彼女から私に対して何かを提案するなんて。
「マルゼンスキーが今日本のレースに出られないでしょ?」
「そうね、どうにかしてあけたいけれど……」
「うん。それでね、留学なんてどうかなって」
「留学って、あの留学? 外国に行くってことで合ってる?」
キリノが頷く。
「日本のレースに出れないのなら海外のレースに出ればいい。アメリカ生まれなら、きっとアメリカでならレースさせてくれると思うんだ」
「それはそうだけど、簡単なことじゃないわよ? 準備もそうだし、その間私もついていかないといけないし。それに急に留学と言ってもそんな簡単に話が通るとは思えないわ」
「まあそれについては宛がなくもないから。ただ色々とハナちゃんの身の回りの準備は必要になるし、マルゼンスキーの意思確認ももちろんいるし。だから早めに提案だけしてみたんだ」
確かに、マルゼンスキーをレースに出させてあげたい気持ちは大きい。彼女もきっと可能ならば、と首を縦に振るだろう。問題はシンボリルドルフのことだ。
「まあそこはハナちゃんの信頼に足るトレーナーに預けるって形で、該当するトレーナーを探してくれればいちばん早いんだけどね」
「ちょ、ちょっと待って。提案はありがたいし出来るならそうなって欲しいけれど、いくらなんでも話が急すぎるわ」
「今決めろって言う話じゃないよ。ただ頭の片隅に置いてて欲しいなってこと」
なんとも掛かり気味なことだ。キリノがマルゼンスキーのことをこんなに考えているとは思わなかった、もちろん嬉しい話ではあるのだが。
一体どういう風の吹き回しだ? それとも、元々彼女のために色々考えていたのか?
「別に変なこと考えてないよ。ただ……まあ、勿体ないなって思っただけ。あんなに才能のあるウマ娘が走れないなんてさ」
それは彼女自身のコンプレックスから来る言葉か、それとも純粋にそう思っているのか。
「それに、そんな境遇の中にいても腐らずに努力を続けているマルゼンスキーが報われればいいなって。それだけだよ」
「……そう、ありがとうね」
ふう、と息を吐いた。本当に何を考えているんだ私は。色々なことが重なって深く思考をめぐらせすぎたのか。
そもそも私はキリノアメジストのことを正しく理解しているのか。こいつは他のウマ娘を恨んでいるのかと思っていたが、実は心の中では幸せを願っているようなウマ娘なのではないか。心の中など知る由もないが。
「お世話になったんだよ。それだけ」
どうやら彼女にとっては手放しで喜べる思い出ではないらしい。ふいと顔を背ける仕草はやはり子供っぽい。
「とにかく、話はそれだけ! あとこれ」
「缶コーヒー……?」
机に置かれた缶コーヒーは差し入れという事だろうか。
「えっと、ありがうにゅ」
缶コーヒーから目を離し、キリノの方を見上げると両側の頬に衝撃が走る。
「何するのよ!」
「あっははははは! 変な顔~~!」
「こ、このガキ~~~~っ!!」
「怖い顔してたよ? リラックスしないとね! ……あ、今も怖い顔!」
キリノは笑い声を上げながら凄まじい速度で部屋を出て廊下を駆け抜けて行った。あのクソガキに少しでも期待した私が愚かだった。ていうか私、舐められすぎなのでは……?
とりあえず、キリノからの提案をテキストファイルに追加して保存する。今はまだ実現には遠いけど。
帰り支度を始めた時、部屋の明かりがやけに眩しく感じたのは気のせいだろうか。
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以前にもこの道を通ったことがある。そうだ、外出の際に少し遠出をと思ってキリノと偶然会ったあの川沿いの道だ。
今日はちゃんと目的があってここまで来たのだが、その用事も終わり帰路についたところたまたまこの道を通ることになったのだ。
今日は実家に帰省していたのだが、ついこの間までいた家に帰ることがまるで久しぶりのように感じた。この数ヶ月、間違いなく今までで1番長く、そして密度の濃い時間だった。
家族にはレースのことと近況報告をしただけなので当然日帰りだが、それでも家族と過ごす時間というものは温かくかけがえのない時間に感じられた。こうして顔を見せる機会は定期的に作っていきたいものだ。
「あの……もしかしてシンボリルドルフさん?」
と、そんな事を考えていると声をかけられた。聞いたことがないはずなのに、どこか聞き慣れたような気がする声だった。
振り返ると、そこには落ち着いた雰囲気のウマ娘が立っていた。私よりもずっと歳上なのは間違いないのに、その顔には幼さの残る可愛らしい女性だった。
「はい、そうですよ」
「やっぱり! レースで見てたから、後ろ姿を見てもしかしてって思ったの!」
ファンの方だろうか。前にあまり年の変わらないウマ娘に声をかけられたことを思い出し、幅広い年齢層に応援されていることを実感する。
しかしそんな私の予想は思わぬ形で裏切られることになる。
「いつも娘がお世話になっております。キリノアメジストの母です」
「えっ!? キリノの……?」
あまりの驚きに言葉を失った。
まず初めにその若さに驚いた。とても私の倍以上生きているようには思えないほどだ。
次にこのウマ娘が纏う雰囲気が、あまりにも幼稚なキリノからかけ離れていたことに目を疑った。この親にしてこの子あり、とは誰の弁だったか。それとも表面の雰囲気だけなのだろうか。
「こ、こちらこそお世話になっております。お会い出来て光栄です」
「やだ、そんなに畏まらないで? あの子のお友達に頭を下げさせるなんてしたくないわ」
大人な女性だ、と思った。とにかく上品で動作の一つ一つが優雅だ。もしやキリノは実はかなりのお嬢様だったのかもしれない。
「この前あの子が帰ってきた時に色々話を聞いたの。もうずっと貴女の話ばっかりしてたんだから、よっぽど気に入ったのね」
「本当ですか? よくからかわれるので想像がつきませんが……」
「寧ろそれが最大の親愛の証ね。あの子ったら臆病で、基本的には他人に懐かないもの。そんな親密なコミュニケーションを図る子はそうそういないわよ?」
「ははは、そうなのだとしたら嬉しい限りですね」
東条トレーナーに対する態度を見るにそんなことはないと思うのだが、あれはキリノなりに大人に甘えている姿だったのかもしれない。
「ですが、感謝しているのは私の方ですよ。彼女がいたから、私はこうしてレースで走れている。良き友人に恵まれたものです」
「ホントに? だとしたら私も嬉しいわ。きっとあの子も喜んでることでしょうね」
「それは……」
私は肯定することが出来なかった。私がそう言うと彼女は決まって自分の力ではないと否定するのだ。全ては私の才能と努力の上に成り立つのだと。
素直じゃないキリノの照れ隠しと受け取ることも出来るが、どうにも私にはそれだけではないような気がして踏み込むことが出来ない。
「ふふ、気難しい年頃よねあの子も。元々あまり表には出さない子だけれど」
「……正直、どう接していいか未だに掴めずにいます。踏み込めば彼女のことを傷つけてしまう気がして」
「思春期ねぇ。でも大丈夫よ、今はまだ日が浅いだけ。重要なのは諦めずに接し続けること」
「諦めずに……」
「そう。もし貴方がずっと友達でいたいと思う子がいるなら、どんな事があってもコミュニケーションを取り続けるの。そうすればたとえ壁があったとしても時間が解決してくれるわ」
「そ、そんなものですか」
「ええ。そしてありがとう、あの子と友達でいたいと思ってくれてるんでしょう? こんなに想われることなんて中々ないわ。だから、良ければこれからもずっと仲良くしてあげてほしい」
「それはもちろんです。彼女には沢山助けられました。その恩返しもしたいし、彼女との距離を縮めたい。私も彼女と対等な関係になりたいのです」
私の言葉にキリノの母は目を丸くした。
「ふふ、あはは! そういうことね、なるほどね」
「ど、どうかされましたか?」
「ううん、私が言っても仕方ないもの。ふふ、そうね、まるで両片想いだわ」
何がそんなに可笑しいのか私にはわからなかった。両片想い? 私とキリノが?
「青春ねぇ。羨ましいなぁ」
「青春、ですか」
「うん、かけがえのない大切な経験よ。たとえそれが傷になったとしても、ね」
「傷……」
「傷つくのは怖いわ。私だって嫌だし、子供の貴方なら尚更でしょう。それでもやらないで後悔するより、自分の心に素直に行動した方が後腐れなくこの先も生きていけるわよ。おばさんからの助言」
何か伝えたいようでもあり、意図的にぼかしているようでもある。
それでも彼女の言葉は、私の心の歯車をかちりと合わせたような気がした。あとはその歯車を私が動かすだけ……。
「話し込んじゃったわね。ルドルフさん、また会いましょう? 次はお菓子も用意しておくわ」
「ありがとうございます。貴方の言葉、忘れません」
「ふふふ、じゃあね」
手を振って歩いていくキリノの母。
私はその場にしばらく立ちつくして、河原を眺めていた。またあのギターを、あの綺麗な音色を聴きたい。
聞こえるのは、暖かい風が吹き抜ける音だけ。