「……」
「……」
カチャリ、と人参の形をしたチップがキリノの手からテーブルの真ん中に4つ置かれる。私はそれと同じ量のチップを手元から出した。
「スペードの3、ハートのクイーン、ハートの8、だね」
フジキセキが奥のトランプを上から3枚捲り、テーブルの中央に置いた。
チラリ、と配られた2枚のカードを見る。ハートのジャックとスペードのクイーン、なるほど。私は手元のチップを更に同じ数手元から出した。
「…………」
じっと考え込んだキリノは、ふぅと息を吐くと手元のカードを中央に投げ捨てた。テーブルの内側に寄せられたチップは私のものとなる。
「降りるのか」
「乗ってください、って言ってるようなもんだよ」
ふん、と鼻を鳴らすキリノ。余程配られたカードが悪かったのか、あるいは3枚のカードに裏切られたか。おそらく後者だろうが。
何故このようなゲームを重たい雰囲気の中行っているのか、事の発端は私が出たレースの賞金の話から始まる。
というのも弥生賞の後に東条トレーナーと契約した関係で、私のレースの賞金の扱いが通常と異なる……細かく言えば、今まで出た3つのレースの賞金がまとめて送られてくることになったのだ。
弥生賞の賞金に関しては受け取りを拒否した東条トレーナーだったが、一度に大量の額を取り扱うことになった以上彼女の感情だけでレース賞金の分配を歪めることは出来ず、理事長の説得もあり私と東条トレーナーとの間ではスムーズに賞金のやりとりが終了した。
しかしここからは私のわがままで、キリノも賞金の一部を受け取る権利があるとして東条トレーナーとのミーティングにてキリノの前で相談を持ちかけた。
当然、というのもおかしな話だが、そんな話は聞いていないとキリノは慌ててその話を無かったことにしようとした。しかし私が食い下がり、東条トレーナーに意見を求めた。
「貴方が受け取った賞金は貴方自身が自由に使う権利があるわ。もしそれを分配したいと言うなら学園から受け取った額の範囲内で好きにすればいい」
キリノは苦虫を噛み潰したような表情で東条トレーナーを睨みつけるが、東条トレーナーはふいと顔を背けた。
「ならあたしはその権利を放棄する」
「ならば権利ではなく義務だ。東条トレーナーが賞金を受け取っているのと同じことだ」
「どこが同じなのさ。たかが同室の同級生の友達がレースの賞金を受け取る話なんて聞いたことがない」
「何を言っているんだ、君は君自身の多くの時間を割いて私のトレーニングに付き合って来たじゃないか。たしかに君と私の間に契約はないし、君は正式なトレーナーではない。しかしその行いにはそれ相応の報酬が与えられて然るべきだと私は思う」
納得できない表情のキリノ。そもそもお金を受け取りたくないという話自体変だとは思うが、それは彼女のプライドがそうさせるのだろう。
「まったく、割り切ったところに次から次へとよくもまぁ……」
キリノがボヤく。私にはその意味は理解できない。
彼女は最近笑わなくなった。出会った当時は穏やかな笑みを浮かべる少女だったが、最近はよく呆れたり嫌そうな顔をしたりと色んな表情をする。それでも私はこっちの方が自然体な気がして、彼女に近付けた気がして、それがたまらなく嬉しかった。
「一応聞くけど、どういう風に分けようと思ってたの?」
「もちろん2等分だ。2人で分けるのにそれ以外の分け方があるか?」
「はい、終わり。お話にならない」
キリノが手を叩いた。
「それは流石に欲張りじゃないか?」
「バ鹿。貢献度というものを考慮してくれ。実際にレースに勝ったキミと、後ろで野次を飛ばしてるだけのあたし。どっちが大きく貢献してると思う?」
「なるほど、そういうことか。ならばお前は認識を改めるべきだな。キリノは勝利に大きく貢献しているよ」
「そう言うと思ってたけどね」
「それはこちらのセリフだ」
どうしても受け取りたくないらしい。だがここは引き下がれない、私にだって譲れないプライドがあるのだ。
「お前がなんと言おうと私は引く気はないぞ」
「頑固者だねぇ」
険悪な雰囲気になり始めたところに、マルゼンスキーが割って入った。
「はいはいそこまで! このままじゃ埒が明かないでしょ? だから2人で勝負して勝った方の要望を通す! これなら文句はないんじゃないかしら」
「構わないが、何で勝負するんだ?」
「それは2人で決めないと」
悪くない提案だ。
「ならチェスはどうだ?」
「しれっと得意分野を持ち込まないで。あたし知ってんだからね?」
「おや、なんのことかな」
私の提案は見事に蹴られてしまった。いつの間に話したかなそんなこと。
「もうジャンケンとかでいいよ」
「良いのか? 直前まで手を見て変えるが……」
「良くないねぇ!」
運要素のある勝負をしたかったらしいが、残念ながらジャンケンは運が絡まない。相手が何を出すか、その直前まで相手の手を凝視すればいいだけだ。
「化け物と勝負するなら完全に運要素で構成されたゲームじゃないと不公平なんだけど」
「そんなものあるわけないだろう。お前が得意なものはないのか?」
「あたしそんなにゲーム得意じゃ……あ、じゃあポーカーは?」
「ポーカーか、いいぞ。確かに運の絡むいい塩梅のチョイスだ」
「テキサスホールデムなんだけどいい?」
「ああ」
テキサスホールデム、チップをかけて数人で手順を回していく形式のポーカーだ。プレイヤーは最初に2枚のトランプを配られ、全てのプレイヤーが共通で使える5枚のトランプと合わせて役を作る。5枚のカードは1度に公開される訳ではなく、ターン毎に3枚、1枚、1枚と順番に公開される。その間にプレイヤー同士ではチップを使った駆け引きが行われるのだ。
「じゃあ勝負は明日ね。ディーラーは……まあフジがやってくれるでしょ」
「おい、勝手に決めていいのか?」
「ダメだったらその時はその時」
そして今に至るわけだ。フジキセキは二つ返事でこれを了承し、私たちは今直接対決……いわゆるヘッズアップをしているわけだが。
「そんな面白そうなこと、混ぜてくれないのはナシじゃない?」
とはフジキセキの弁だが、いちいちセリフや仕草が絵になる奴だ。いやそんな事はどうでもいい、今は目の前の勝負に集中しなければ。
「レイズ」
キリノがチップを乱雑にテーブルにばら撒く。フジキセキはそれを嫌な顔一つせず集めた。
RAISE、チップを重ねて勝負の相場を高くしようという行為だ。基本的には手札が強い時に行うことだが、ブラフの可能性ももちろんある。
「フォールド」
FOLD、勝負を降りるということだ。私が持っているカードはスペードの3と6、到底強いとは言えない。故に私は勝負を降りる選択をしたのだ。
ここまでやってわかったことがある。キリノはおそらく滅多にブラフを用いた戦法を取らない。ここら辺は技量と言うよりプレイヤーの性格が大きく出る部分だが、彼女は危ない手で無理にチップを取りに行くようなことはしていないように見える。
ひねくれているように見えてその実素直、という彼女の性格を表しているように見えなくもない。思えば最初こそよそ行きのキリノだったが、都合の悪いことはわかりやすく誤魔化すし、虚偽の発言というものは今までなかった気もする。だからこそ、
「フォールド」
弱い手で勝負に来ることは無い。それとも、それすらも彼女の手のひらの上で踊らされていて、最後にブラフで降ろしに来ることが増えたりするのかもしれない。
尤も、私も危険な橋を渡るつもりはないが。
「フォールドばかりじゃないか、もう残りのチップが少ないぞ?」
「運が悪いんだ」
私の挑発も肩を竦めて軽く流す。
「……レイズ」
ガチャリ、と音を立ててキリノが大量のチップを掴んだ。数えずともその量の多さはわかる。
「コール」
それに対して私も勝負に乗った。
キリノが勝負を仕掛けてくるということは強い手札なのだろう。チップの量からして相当いい引きをしたか。だが私も負けていない。
プリフロップの時点で既に火花を散らしている私たちを横目に、フジキセキがトランプを捲る。
「ハートとダイヤのキング、クローバーの3だね。面白いことになってきた」
お互いに後戻り出来ない量を賭けてしまっている。おそらくキリノは
「オールイン」
勝負に出るだろう。ここで一発逆転を狙っているはずだ。
「コール」
私も勝負に乗る。フロップの時点でここまでの勝負に来るということは、相当噛み合いが良かったか、或いは最初からワンペアが出来ているか。
「さあ勝負の時だ。リノの手札は……」
「Aのポケット。ブラフだと思った? ルドルフ」
ニヤリ、と口角を吊り上げ2枚のカードを自慢げに見せびらかしてくるキリノ。スペードとハートのAがヒラヒラと手の中で揺れる。このルールで最も強いとされている手札だ。当然、Aのワンペアはいちばん強い、ワンペアの中での話だが。
「いいや、強い手札なのは知っていたさ。それだって想定の範囲内だ」
「強がりはよしなよ、らしくない」
「……どうしてそんなに勝ち誇っているんだ?」
私の問いにキリノはフンと鼻を鳴らした。
「そりゃそうでしょ。Aのポケットをあたしが持ってるんだから、ルドルフの手の内にあるAは1枚あるかどうか。キングが場に2枚も出ている以上キングを持っている可能性も低いし、持っていたとしてもリバーまでにAが捲れればあたしの勝ち。どうせクイーンとジャックのスーテッドくらいなんじゃない? 現状あたしに勝ちを確信できる手札なんてキングの──────」
そこまで言いかけてキリノは停止した。彼女の頬を一筋の汗が伝う。
「……そんなわけないよね? だって有り得ない、確率的に考えてそんな都合よく起こるわけないんだから」
「お前が何を思っているかは見当もつかないが……そうだな、答え合わせといこうか」
私が手に持っているカードを机の上に置く。キリノはその点から目が離せないようだった。
「………………はっ!」
目を擦って顔を近づける。現実を受け入れられないのか何度も何度も確認するが、トランプの柄は変わらない。
そこにはフロップで公開された2枚のキングに呼応するかの如く、欠けたピースを埋めるようにスペードとクローバーのキングが佇んでいた。
「…………え?」
「何度見ても同じだ、キリノ」
そう言うとキリノは後ろに吹っ飛び、壁に叩きつけられる。いやそうはならんだろう。
「じゃあ最後まで捲ってみようか。Aが2枚、出るといいね?」
「どうして……どうして……」
放心状態のキリノをよそにフジキセキがトランプを捲る。1枚目はハートの8、これでキリノの負けは決まった。そして最後のカードはダイヤのジャック。
「……有り得ない」
「現実を受け入れるんだな。約束は守ってもらうぞ」
「……うん」
こうして私とキリノの勝負は幕を閉じた。勝負どころを間違えた……というわけではなかったはずだ。私の運が良かった、というよりはキリノの運が悪かっただけだ。
「ところで2人はなんでこんな勝負を?」
「何も聞かされてなかったのか!?」
本当によくこの仕事引き受けたな。
実は運いいんだけどここじゃない、というキリノちゃんの人生……いやウマ娘生。