「フッ!」
短く息を吐き、マルゼンスキーがいないサイドへとスパイクを打つ。一瞬反応が遅れたマルゼンスキーが辛うじて拾いに行くが、ボールはそのままコートの外へと飛んでいく。決まった、そう思った私はガッツポーズをする。
「んぐっ」
しかしまだボールは地面に落ちていない。キリノがボールの方向へと走り出すのを横目に捉え、すぐに体勢を作り直した。
「マルゼン、スキー!!」
キリノが叫びながら砂浜へと滑り込む。地面に倒れるギリギリ……いや、もう地面に半分体を突っ込んだ状態からキリノは胸の上に落ちてきたボールを高く押し上げた。
「任せて!」
「させない!」
体勢を立て直したマルゼンスキーがボールに飛びつくように動いた。私はボールとマルゼンスキーの位置を注意深く観察し、どこからスパイクが飛んでくるかを予測する。
このルールではブロックは禁止されている。つまりレシーブの私達に失点の全てがかかっているいうわけだ。そして、キリノがボールを追いかけてコートの外へと飛び出して行った今、私がこのスパイクを綺麗に拾えばその時点でほぼ得点が決まる。
「はあぁっ!!」
マルゼンスキーが飛び上がる。真っ直ぐと伸ばした手は右サイドにいる東条トレーナーの頭上にあった。
(ストレート!)
私は東条トレーナーの後ろへと構える。しかしマルゼンスキーは手首を捻り左側手前へと回転をかけながらスパイクを放った。
「クロスか!」
「よっし!」
鋭いクロスに反応出来ずボールはコートの中に突き刺さるように落ちていった。マルゼンスキーのガッツポーズを視界の端に捉えながら、ふぅと短く息を吐いた。
「すまない」
「……ちょっとずるいんじゃない? あれ」
東条トレーナーが呟く。彼女の視線の先には砂だらけのキリノの姿があった。
「「ナーイス!!」」
「ねぇ、セッターの性能に差があると思うのだけれど」
「えー? ハナちゃんも上手いと思うけどなぁ」
「貴方ほど動けないわよ」
流石に今のは私でも擁護のしようがない。あの運動能力は人間には不可能だろう。
というかキリノがこれ程動けると思わなかった。ビーチバレーの上手さもあるが、純粋に砂浜の上でここまで自由に走り回れていることに驚いている。
「じゃあペナルティね。ハナちゃんもやる?」
「やるわけ、ないでしょ!」
息を切らしながら叫ぶ東条トレーナー。まあウマ娘の中に交ざってスポーツをしている時点で彼女もかなり動けている方なのだが……。
「じゃあルドルフだけね。ペナルティ終わったらお昼ご飯にしよう」
結局ここ数週間のトータルで見れば私の方が明らかに多くペナルティを受けている。初心者と経験者の差はあれど、それ以上にマルゼンスキーの運動センスに脱帽した。きっとどのスポーツを選んでいても彼女は適応していただろう。
どうにかしてこの合宿中に負け越した分を取り戻さなければ。私は決意を胸にスクワットを始めた。
「しかしキリノ、お前がこんなに上手いと思わなかったよ」
「ありがと。って言っても、あたしも漫画で見たことあるだけで初心者なんだけどね」
「ならば尚更だな。動きづらい足場でよく走り回れるなと感心したよ」
「私も私も! ビックリしちゃった」
「あー……褒めてくれてるとこ悪いんだけど、別にすごい事じゃないんだよこれ」
キリノは口に含んだサンドイッチを飲み込んだ後、気まずそうに答えた。
「いやいや、お前は自己評価が低すぎるぞ。私もマルゼンスキーもこう言っているのだから……」
「いやほんとにそういうんじゃないんだって。これがあたしの全力なんだよ」
「……?」
キリノの発言の意味を考えるも、結論にはたどり着けなかった。マルゼンスキーの方を見ると、彼女も頭に「?」を浮かべている。
「だから、あたしが全力で走っても砂浜に適したパワーくらいしか出ないってことだよ。キミ達みたいに砂浜にクレーター作るような力はあたしにはないの」
はぁ、とため息混じりに解説するキリノ。しかしそれだけではスムーズな走行の理由にはなり得ない。
「フォームさえ乱れてなければそんなもんだよ。ルドルフもマルゼンスキーもそっちの心配はしてないし、実際この2週間ちょっとでパワーの調整には慣れてきたんじゃない?」
「あ、ああ。私も気を抜かなければ体勢を崩すことはなくなってきたよ」
「うんうん、いい感じだね。あたしのことはどうでもいいけど、そっちで掴むものがあったのなら良かった。これなら次のステップに進めそうだね」
そう言うとキリノは東条トレーナーに視線を向けた。麦茶を飲み終えた東条トレーナーが口を開く。
「1ヶ月ビーチバレーやらせる気だったのに、もういいの?」
「うん。2人とも飲み込み早いし、これなら前倒しでトレーニングして良さそう。ここからはハナちゃんに任せるよ」
「わかった」
東条トレーナーは頷くと、カバンから2枚の紙を取り出した。それぞれ同じ内容が書かれたもので、私とマルゼンスキーのために用意されたものだということがわかる。
「いよいよスタートダッシュの練習を始める。一旦ミーティングを挟むから、食事が終わり次第私の部屋に集合。今日は座学を交えながらになるから、お試しくらいに思ってていいわ。本格的な練習は明日から始める」
「なんかドキドキしてきたわね……!」
マルゼンスキーは興奮を抑えきれないといった様子で、しきりに耳や尻尾を動かしている。私も気持ちは同じ、どんな時もステップアップの瞬間というのは高揚するものだ。
「2人とも……特にマルゼンスキーは前で走る方が強いからね。これをモノに出来たらきっと世界が変わって見えると思うよ。ルドルフはなんでも出来るけど、手札は強ければ強いほどいいからね、なんなら逃げ気味に走っても……うん、まあこの話は後でいいや。とにかく、2人ともハナちゃんの指示をよく聞いてトレーニングするんだよ」
妙に引っかかる言い方をするキリノ。
「まるでお前は見ないような言い方をするじゃないか」
「その通りだよ。やらなきゃいけないことがあるからね、少なくとも明後日くらいまではハナちゃんが1人で指導する事になるはずだよ」
「む、そうか……。ならばそれまでに見違えるほどに成長しておかなければな」
「あはは、期待してるよ」
結局昼食後に解散して以降、キリノは宣言通り明後日の夜に帰ってくることになった。東条トレーナー曰く1度トレセン学園に戻っているらしいが、用事の内容は彼女の口からは語られなかった。理事長の頼みで、という事だけを伝えられた私たちは、それ以上言及せず自分たちのトレーニングに集中することにした。
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コンコン、と扉をノックする音が部屋に響く。短く「入れ」と呟いた声は、この部屋の遮音効果によって扉の向こうには聞こえていないだろう。しかしそれが合図かのように扉は開く。
「理事長、キリノアメジストさんが戻りました」
「歓迎! よくぞ私の頼みを聞いてくれた!」
凛とした声が部屋に響き渡る。その声の主はキリノアメジストよりも小柄で、しかし気品溢れる振る舞いの少女であった。
「いやいや、やよいちゃんのお陰でここにいられるんだから。なんでも言ってよ」
「一応私は理事長なのだが……」
「いやー、まあ、うん。あたしもわかってはいるんだけど、見た目に引っ張られるというかなんというか……」
「くっ……! まあいい、それだけ生徒に慕われているという事実の裏返しにもなるからな!」
「それはそうだね。それで、件の方はどこに?」
キリノアメジストの質問に理事長──秋川やよいはバツの悪そうな表情をした。
「謝罪。少し遅れるという連絡が先程入った。伝達が遅くなってしまってすまない」
「ううん、気にしてないよ。でもそっかー……暇になっちゃった。たづなさんのお胸を突っつくくらいしかやることがががががががががががが」
「悪いのはこの人差し指ですか?」
何食わぬ顔で自分の隣に立つ駿川たづなに手を伸ばすキリノアメジスト。たづなは凄まじい速度で右手の人差し指を掴み取り、握り潰さんばかりの力を込める。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい折れる折れる折れる折れる死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!」
「驚愕。君たちはかなり親密な仲なのだな」
「ええ、前に彼女に相談に乗ってもらったんです」
「痛い痛い痛い痛い痛いあ、ねぇ待って本当にやばい折れるこれ本当にまずいよ二度とペンが握れない体になっちゃうよ助けて欲しいやよいちゃん将来有望なウマ娘のためにも」
「理解。しかし私に相談してくれても良かったのだぞ?」
「うーん、相談に乗ってもらったというよりは私の口からつい溢れちゃったって感じでしたからね。深刻なことでもなかったんですよ」
妖怪百面相となり叫んだり冷静になったりと忙しいキリノアメジストを他所に、やよいとたづなは雑談に花を咲かせていた。実はこのキリノアメジスト、入学初日に理事長であるやよいに向かって「ママとはぐれちゃったの?」と聞いたことがある。
「最初の頃は少し怯えられていたのですが、今ではこうして懐いてくれてます。ちょっとイタズラが過ぎることもありますけど、私は嫌じゃないですよ」
「あ、あの、嫌じゃないなら力を弛めて欲しいかなーってあはは……あ、ね、ね、ねねね折れたかも。ね、折れたかもこれどうするの問題になるよこれねぇねぇいたたたたたなんでなんで!?」
「私が力加減を間違えるわけないじゃないですか」
「うーん、圧倒的強者感」
「うふふ」
と、ここでようやくたづなは手を離した。
「キリノアメジスト、君のイタズラ好きも可愛いうちに留めておくのだな」
「い、いえす……」
涙目で指を抑えるキリノアメジストはその後も犯行を繰り返したとか。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「あ、来たね」
暫くしてノックが聞こえ、一人の男性が部屋に入ってくる。スーツに身を包んだ20代後半ほどのその男性は、深く頭を下げた。その後ろからするりと姿を現したのはウマ娘だ。
「やあ、キリノアメジスト」
「初めまして。よくレース見てるよ」
「はは、ありがと」
軽く手を振って挨拶をするウマ娘。しかし男性の方はそれを見て少し顔を顰めた。
「おい、俺たちはお願いしに来た立場なんだぞ」
「いいじゃん、同じ生徒同士なのに変に畏まったりしても仕方ないでしょ。友好な関係を築こうっていう姿勢の表れだよ」
「……はぁ。すまない、こういう奴なんだ。慣れてくれると助かる」
「全然気にしてないよ」
ヒラヒラと手を振るキリノアメジスト。男性はどこか安堵したような表情だ。
「内容は伝わっていると聞いている。短い間だが、よろしく頼むよ」
「こちらこそ。時間も限られてるし早速始めようか」
部屋を出ていこうとするキリノが「あ」と、音を発して立ち止まった。何事かと一同固まる中、くるりと向き直ったキリノアメジストは再び口を開いた。
「なんて呼べばいい?」
質問を投げかけられたウマ娘は一瞬きょとんとして、クスリと笑いながら答えた。
「好きに呼んで。ミスターでもシービーでも、ミスターシービーでも」
タコピーの原罪という漫画が面白いのでぜひ読んでみてください