詳しくはトレーナー室で、との事なので今は世間話でもしながらついてくついてく。そりゃもう、当然今回の件の内容を他人に聞かせる訳にもいかないし、ましてやウマ娘の蔓延るこの学園で話そうものなら障子どころかどこに耳があるかわからない。
作戦もトレーニング内容も、本来は企業秘密である。あたしがルドルフのことをベラベラ喋っているのは彼女に小細工が通用すると思っていないからだ。ましてやこちらから何か秘策を投じることもなく、ただただその強さをもって勝利を掴むだけ。強者にのみ許された余裕のようなものだ。
もちろんミスターシービーが弱いウマ娘という訳ではない。ただ正式なトレーナーがいる彼女の手前、不興を買うリスクを背負ってまで無駄なことをする意味もないわけで。
そんなわけであたしは雑談しながら彼女達のことを少しずつ知っていくことにした。
「入ってくれ。飲み物はお茶でいいかな?」
「お構いなく~」
シービーのトレーナーが飲み物を用意している間に今回の件について整理することにした。ちらりとシービーの方を見ると、視線に気づいたのか可愛らしく首を傾げた。
「どうしたの?」
「いやぁ、特に悩みなさそうだなって」
「なにそれ。まあそうだね、基本的に私は自由に生きるタイプだし、嫌なことはしないからね。ストレスとはそれなりに無縁なつもり」
「じゃあ今回呼んだのは主にトレーナーさんの方ってこと?」
「んー、そこは半々ってことで」
凛とした顔つきからは、とてもじゃないが人の助けを必要としているような感じは読み取れない。それに、と彼女のステータスを見たところ前回よりも最大値……あたしにとっての『才能』が上昇している。こんな経験は初めてだった。
まさか才能の壁を壊す者がいるとはと驚いたが、それもまた才能とか運命とか言ってしまえばそこまでな気もする。ルドルフの方が上、なんて言い切ってしまった事もあったが、これは訂正する未来が来るかもしれない。
「よいしょっと……お待たせ。それじゃあ早速だけど、本題に入ろうか」
お茶を入れて戻ってきたシービーのトレーナーが、椅子に深く腰かけたところで話が始まる。
「その前にひとつ質問に答えてほしいな。どうしてあたしが……んー違うな。あたしの名前をどこで知ったの?」
「東条さんのところにサブトレーナーのような研修生がいるというのは聞いていたんだ。あの人は自分からあまり話さないけど、それでも流石に上手く隠さない限りはどこかで噂にはなるさ」
「それで、なぜ頼る相手がこんな入学したばかりの学生に?」
「……それは正直俺も思ったさ。なにせたづなさんに相談したところで君の名前が出てきたからな。今でも君のことを疑っているよ、失礼なのはわかってるけどね」
なるほど、それはもう本当に失礼だ。なんだって呼ばれて早々「お前ほんとにやれんの?」ってニュアンスの言葉をぶつけられなきゃいけないんだ。まあ聞き出したのはあたしなんだけどね。
「ただ、理事長もたづなさんも君のことを推薦したんだ。流石にそれならば、ってことでこうして頭を下げに来たわけだ」
「なるほど、ライバル陣営に所属してるあたしに頼まなきゃいけないほど切羽詰ってるわけですか」
「ははっ、同じことを考えるね俺たちは。まあそれも含めて、理事長とたづなさんを信用してのことなのさ。君が相当口の固いウマ娘なのか、このリスクを背負ってでも頼るべき存在なのかは俺にはわからないけどね」
「……わかった。シービーも反対はしないんだね?」
ぼーっとしていたのか、話を振られるとハッと顔を上げるシービー。しっかりしてよ、キミの事なんだから。
「うん、私は構わないよ。面白そうだったし」
「え、それだけ? こう……無いの? 焦りとか壁にぶち当たってるみたいな感覚」
「んー……あるようなないような……」
「……まあ、いっか」
彼女に意見を求めるのは諦めた。トレーナーが一人焦ってるだけなんじゃないかとさえ思う。
それから、シービーのトレーナーはぽつりぽつりと話し始めた。伝説の三冠ウマ娘ミスターシービー、その軌跡と現在に至るまでを。
「……こうしてシービーは三冠ウマ娘になった。ファンも想像できないくらいに増えたし、期待が高まっていた……いや、最早青天井になっていたとさえ思う。それでも俺はジャパンカップへと出走を辞退させた。これ以上走らせるわけにはいかないと思ったからだ」
そう、彼女はクラシック三冠を手にしたあと長い休養を取るためにこの春のシーズンを全て休んでいたそうだ。疲労の蓄積や怪我の可能性、それらを考えれば妥当な判断だったと言える。尤もそれが世間の反応かと言えばそれはまた違う。
「……きっとここで多くの人たちはシービーに走って欲しかったはずだ。わかってるんだ、俺だって見たかったさ。それでもここで彼女の未来を潰すわけにはいかなかった」
トレーナーの話をシービーは無表情で聞いている。いや、本当に聞いているのかこの人は。
「そして長い休養明け、調子を取り戻すためにトレーニングを始めたんだ。……だがどうも上手くいかない。怪我の可能性も考えて病院に連れていったが、療養やマッサージも大した効果は出なかった。色々試してみたがどれも効果的ではないように見える。そこでたづなさんに相談を持ちかけ今に至るというわけだ」
なるほど。何となく自分に与えられた役割も理解出来た。解決出来ると決まったわけではないが。
「うん、だいたい把握出来たと思う。そうだね、まずは不調の原因の話だけど……これに関してはあたしじゃわからない。ていうか寄り添ったパートナーであるトレーナーさんがわからないのに、初対面のあたしにわかるわけないからね」
「……それは、そうだな」
「あたしに出来るのは不調をある程度解消してあげることだけ。それは後からやるから、次はトレーニングが効果的じゃないってところだけど」
「ま、待ってくれ」
ここでストップが入った。
「トレーニングが効果的じゃないのは、不調のせいじゃないのか?」
「んー、違うと思うよ。あたしの推測通りなら、だけどね。あ、でもその不調も一役買ってるとは思うよ。だからどのみち放置していい問題ではないね」
「そ、そうか……」
うんうん、納得してくれたみたい。まあ本当に不調が原因でトレーニングが上手くいかないことだって多々あるし、そこの判断は難しいよね。
「で、トレーニング効率が悪い原因だけど……多分前とトレーニングの量を変えてないんじゃない?」
「それは、まあそうだ。休養明けなのもあってハードなことをやらせるわけにはいかないからな、なんなら軽めにしていたくらいだ」
「あー、それはそうだね。間が悪いと言うかなんというか……うん。まあおそらく原因はトレーニング不足だ。シービーにとって今のトレーニングは、言ってしまえば温いんだよ」
あたしの言葉にトレーナーは目を見開いた。
「何故そんなことがわかるんだ?」
「何故、って言われたらわかるからとしか言えないんだけど……。まあこれはあたしの勝手な考察だけど、おそらく菊花賞を経てシービーの才能はさらに開花したんだ。本来の限界を超えて、さらに高みを目指せるウマ娘になった……言ってしまえば第二次本格化みたいなところだね。で、それが休養期間中に起こってしまったものだから、シービー本人すらその成長に気づけずに、ただなんとなくトレーニングに身が入らなかったんじゃないかな?」
「そ、そうなのか?」
トレーナーがシービーの方を向くと、シービーは俯いて考え込んだ。思い当たる節が無くもないのだろう。
「確かに、言われてみればそんな気もする……」
「それは言われたからじゃなくて?」
「そうかも、あはは」
おい大丈夫なのかほんとに。……いやいや、あたしの仕事はそんな心配をすることじゃない。
「こほん、とにかくあたしの考察はそんなところ。トレーナーさんも色んなトレーニングを試したとは言ってたけど、不調なこともあってトレーニングの負荷を増やすって選択はしなかったんじゃないかな?」
「それは……ああ、その通りだ。こんな時にハードなトレーニングをしようものなら大怪我に繋がりかねないからな」
「まあ普通はそうだよね。でもきっと今までのトレーニングじゃシービーはもう満足できないんだ。だからレベルを上げて、よりハードな方にチャレンジしてみるといいと思うよ」
「……わかった、やってみるよ」
トレーナーが頷く。シービーの方を見ると、彼女の目はキラキラと輝いて、まるで遠足前日の子供のような笑みを浮かべていた。
「いいね、新しいことへのチャレンジ。ワクワクしてくるよ」
「やっぱそういうタイプだよねキミ。未知を恐れず、未来に期待するタイプだ。天才ってこういうの多いんだよねぇ」
「そうかな? みんな新しいことを始める時はワクワクしない?」
「さあね。少なくともあたしは、知らないことに触れるのは怖いかな」
「そっかぁ……」
うん、やはりミスターシービーは天才だ。その才能に見合っただけの感性を持っている。
「しかし驚いたな、君は超能力でも使えるのか?」
「いやいや、まだあたしが正しいと決まったわけじゃないじゃん。なんならこれが全部間違ってた暁にはシービーが怪我する可能性だってある、そんなリスキーなことを提案してるんだから。鵜呑みにせずじっくり考えて、そんでトレーニング内容も安全に安全にを意識して作らないと危ないよ? そこはもちろんトレーナーさんが頑張るところなんだから、しっかりね」
「わかってるさ。ありがとう、君のおかげでどうにか次の一手を打てそうだよ」
「そうそう、あくまで次の一手に過ぎないのを忘れないでね。これで解決するとは限らないんだからさ」
うん、これで話は終わりだ。ならば後は彼女の不調を解消するだけ。
「じゃ、行こっか」
「え、は? ちょっと……」
あたしは立ち上がってシービーの手を取った。困惑するシービーを連れて部屋を出ようとするところを、トレーナーに呼び止められる。
「どこへ行くんだ? 確かに話は終わったが……」
「そんなの、カラオケに決まってるじゃん」
何を聞いているのだこのトレーナーは。さっき話しただろうに。
「カ、カラオケ?」
「うん、カラオケ。不調の解消……もといストレス解消と言えばカラオケ以外なくない?」
「そんなこと……いや、なんでもない」
トレーナーは何か言いたげだったが、そのまま席に座った。
「シービーはカラオケ嫌い?」
「い、いや、別にそうでもないけど……」
「じゃあ決まりだ。さっさと行って思いっきり歌って明日からトレーニング頑張ろー!」
シービーは未だに困惑気味に、そしてちらりとトレーナーに目を向けた。いいのか? と聞きたげなシービーを見ると、トレーナーは小さく笑った。
「いってらっしゃい。俺は明日のトレーニングを考えとくよ」
「……うん、行ってくる!」
トレーナーからの許可も頂けたのでカラオケにレッツゴーだ。シービーのストレス解消という名目だけど、あたしだってたくさん歌う気満々だ。今日はフリータイムで好きなだけ歌うんだ。
……え? ルドルフ達のことは良いのかって?
………………ま、まあこれも仕事だし!
ミスターシービーのトレーナー:
ジャパンカップに出さなかったことで結構叩かれた。しかし自分の評判よりもシービーの安全を優先、SNSは見ないことにした。世間は擁護派と批判派に分かれて結構過激な争いになったとかなんとか。