残暑も少しずつ顔を見せる機会が少なくなり、秋の風が吹く季節となった。木々からは少しづつ葉が離れ、色の変わったそれらは地面に色鮮やかな絨毯を作り上げようとしている。
もうすぐ10月だ。多くのウマ娘が夢見るクラシック三冠、その最後の舞台である菊花賞が目前に迫っている。皐月賞、日本ダービーと2つのGⅠレースを勝ち抜き三冠に王手をかけた私は、最後の冠を我が手に納めんとしている。
緊張しているかと言われたら首を縦に振るが、練習が手につかない程でもない。私自身はそこまで菊花賞に向けて焦っている訳ではなく、どちらかと言うと周りの方が舞い上がってしまっている。あまりにも普通に学園生活を送っているため教師に心配されたり、余計な負担になるまいとクラスメイトから距離を置かれたりと何かと私の周りの人々が普段と違う雰囲気を纏っている。前者はともかくとして後者は普通に寂しいのでいつも通り接して欲しい。
「で、早めにトレーニングの準備をしてたわけだ」
「流石に1人では始められないからな、ストレッチや準備運動の類に留めてはいるよ」
「はいはい。それじゃ始めましょうかね」
キリノはいつもと変わらぬ様子だ。日本ダービーの時にも相変わらずだったので理由を尋ねてみると、
「いや、うーん……まぁ、信頼の証ってことにしといてよ」
という答えが返ってきた。言い方から考えるにそれが本心というわけではないようだが、私はそういうものかと素直に受け取っておいた。
だが今回はどうだろうか。二度も同じ質問をするのは礼儀に欠けるが、もしかしたら違う答えが返ってくるかもしれない。そんな好奇心から私は再びあの時の問いを投げかける。
「キリノは緊張しないのか?」
「うん。どうせルドルフが勝つからね」
「ほう」
前回と同じ答えだ。しかしその言葉の中身はきっと違っていた。
「今回はちゃんと信じてくれるんだな」
「なに、今回はって」
キリノが首を傾げる。
「日本ダービーの時のことだ。お前に同じことを聞いたら、少し言い淀んでから信頼の証ということにしておいてくれと、そう答えただろう?」
「ああ……うん、そうだったね」
「だが今回は言い切った。つまりはそういう事じゃないのか?」
「んー、別に前回がそうじゃないってことでもないんだけど……」
顎に手を当てて考え込む……というよりも何か迷っているようなキリノ。言うか言うまいかと逡巡しているようだ。
やがてキリノは『はぁ』と息を吐いてこちらに向き直った。その眼差しはいつもより真剣味を帯びている。
「まあほら、ダービーの前には色々あったじゃん。だけど今回はちゃんと見てきたからね。確信を持って言えるよ、キミが1番強いウマ娘だ」
口元を緩ませ、キリノは右の拳を突き出す。
「勝とう、ルドルフ」
「……ああ! 勝ってみせるとも」
私は同じように突き出してキリノと拳を合わせた。
その後のトレーニングでは、一走ごとに細かくキリノから分析の結果を言い渡される。
「……で、ここでスタミナの温存ができてない。これがさっきのと今の走りとの違い」
「わかるものなのか? 私でも気づかなかったのだが……」
「うん、なんか最近やたらと視えるんだよね。どのタイミングで走り方を変えたとか、どこでスタミナをキープしてるかとか。あたしの目も合宿で進化したのかな?」
普通に考えて外から見た者が走っているウマ娘の一挙一動に合わせて行動の意味を説明するなど、それこそトップクラスのウマ娘でないと見抜くことすら難しいはずだ。それをキリノは私の走りに合わせて的確に解説してみせた。彼女の指摘した箇所を注意して走ってみると先程よりも余力を残して走りきることが出来た。
「今のはいい感じだったよ。長距離のレースはスタミナをどれだけ効率的に扱えるかで勝敗が分かれるからね。ルドルフくらい速ければ余らせても勝てるかもしれないけど、ガス欠になると流石に負けちゃうからそこだけは気をつけて」
「承知した」
「うんうん。後は……相手によるけど、基本的には先行策で考えて自分の1番いい走りを優先出来れば花丸。競合相手が無理に前にでも出ようとしない限りは基本的には前で走っていいと思う。逃げウマ娘がいた時だけはまあ、射程圏内に抑えるくらいには頑張って……ってここら辺は釈迦に説法だね」
「そんな事ないさ」
確認するのは大切だ。わかり切っていることでも口に出して注意することでより意識を向けられるというものだ。
「こんな感じでしばらくは調整ね。ずっと同じ走りができるように何本も繰り返しやるから、再現性が高くなってきたら本数減らしてく感じで」
キリノが今日撮った動画のいくつかをピックアップしていく。
「これが今日の気になった走りね。それ以外は概ねバッチリだったし、原因がわかってるやつからどんどん消していこう」
そうして数十分の会議の後、トレーニングを終えて私たちは寮へと戻った。
「やば……明日までの課題やってなかった……」
「おいおい、大丈夫なのか?」
「んん……だいじょーぶ…………たぶん…………」
上体をゆらゆらと揺らしながら答えるキリノ。既にその目は閉じていて足はフラフラと覚束無いながらもベッドに向かっている。ここ最近はシャワーを浴びて戻ってくるとすぐに眠りにつく、ということが多い。疲れているのだろう、これだけ私のトレーニングに付き合っているのだから当然だ。
「起きたら…………や…………」
「キリノ? ……寝てしまったか」
キリノがベッドに突っ伏した状態で寝息を立て始める。体が冷えてしまうといけないので毛布を掛けに行くと、煩わしそうに呻き声を上げて寝返りを打った。
「暴れないでくれ、風邪をひくぞ?」
「ううん…………」
再び寝返りを打つ。彼女の少し伸びた髪が枕の上に広がり、部屋の照明を反射して綺麗に輝いた。
合宿が始まった頃は分かりづらかったが、今となってはキリノの言ったアッシュグレーがどんな色かよくわかる。色が落ちていった結果なのか青掛っているようにも見えるグレーの髪と、その間から内側のピンク色の髪が顔をのぞかせて美しい色合いになっている。
「ピンク、好きなんだな」
彼女の飲んでいたドリンクもピンク色だったことを思い出した。そう考えると、私が贈った耳飾りはキリノにとっても悪くないものだったのではないだろうか。
「…………可愛い」
無意識に口から言葉がこぼれる。慌てて彼女のベッドから後ずさって自分のベッドまで戻った。
今私は何を言った? いや、発した言葉が悪いものだったとかでは無いのだが、人の寝顔を覗き込んでおいて可愛いなどとつぶやくその姿は、つまりそういう目で見ていると言われてもおかしくないわけで。
「いや、何も悪くない。素直に感想を述べただけで、そもそも寝顔が可愛いくらい別に何もおかしな話では……」
……やめよう。自分の中で否定すればするほど沼にハマっている気がしてならない。たまたま、偶然だ。偶然にもそう捉えられても不思議では無いシチュエーションになっていただけだ。
「…………寝よう」
これ以上は考えない。こんなくだらないことで寝不足にでもなったら救えない。というか寝不足の理由を説明することが出来ない。
そうして私は逃げるようにベッドに潜り込むのだった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
翌日。
『今日はトレーニングに行くのが遅れるので、マルゼンスキーのところに交ざりに行ってください。ハナちゃんには連絡してあります。ごめんなさい』
昼休みに届いたキリノからのメッセージ。おそらく課題の提出は間に合わなかったのだろう。
「なぜ敬語なんだ」
思わず苦笑してしまう。彼女なりの申し訳なさの現れなのだろうが、いつもとのギャップでより面白く感じる。
『わかった。課題はちゃんとやっておくんだぞ』
メッセージを返しておく。すると直ぐに既読がつき、メッセージが返ってくる。
『なんで知ってんの? エスパー?』
どうやら昨夜に呟いていたことは覚えてないらしい。当然かと思いつつも、少しホッとした自分がいた。