トントントントン。
小気味よいテンポで机を叩く音が教室に響く。次第にそれは早くなっていき、やがてピタリと止まると次は指で液晶を叩く音に変わった。
タタタ、タンタタンタンタンタンタン。
「ふー……」
長く息を吐く。誰から見てもその音の主が不機嫌であることは明らかであった。
ちなみに現在は授業中である。授業中ではあるのだが、どう見ても授業と関係の無いことに執心している生徒は凄まじい『話しかけるなオーラ』を放っており教師ですら声がかけられなかった。
「…………チッ」
舌打ちが教室に響き、びくりと肩を震わせる者もいる。そんな様子を隣の青鹿毛のウマ娘が眺めている。
トントントントントン…………トントントントントントントントン、タンタン……タンタタタタ……………………はぁ……………………トントントントントントン。
「やぁ、不機嫌だねポニーちゃん」
「うるさい」
そんな異様な授業が終わり、各々が重たい空気から解放されたように席を立ち始める。そんな中青鹿毛のウマ娘は、重い空気の元凶に臆せず話しかけた。当然不機嫌な彼女からは短く拒絶の言葉が告げられただけであったわけだが。
「何かあったのかい?」
「何も」
「あはは、流石に無理があるね」
不機嫌なウマ娘は決して顔をあげない。タブレットと睨めっこを続けている。
「じゃあ君は……そうだね、誰もいない部屋で1人仕事をしている。ついに我慢が利かなくなり溜まっている不満をぶちまけてしまう。はい、どうぞ」
「どうぞ、じゃないのよ。……別に、思い通りにならないのが世の中だなって思っただけだよ」
「その歳で悟りでも開いたのかい?」
「うん」
「ははっ、悟りを開いてたらそんな怒ったりしないでしょ」
「もしかして喧嘩売られてるの? これ」
「まさか、私は君の友達だよ? ポニーちゃん」
「舐められてんだわその友達に」
一頻り揶揄うようなやり取りを終えたあと、青鹿毛のウマ娘──フジキセキは目の前のウマ娘の両肩に手を置いて話し始めた。
「何事も笑顔でこなせば楽しかった思い出になるさ」
「気休めにならなすぎる」
「そりゃそうだ、君自身が納得しない限りその怒りはおさまらないだろう?」
「納得できない場合は?」
「時間が解決してくれるのを待つしかないね」
「はあぁ~~あ」
もう1人のウマ娘、キリノアメジストは大きく息を吐いた。
「まさかハナちゃんが通しちゃうとはねぇ……」
「なるほど、君は反対だったわけだ」
シンボリルドルフのジャパンカップ出走は既に世間に広まっている。三冠達成の2週間後というあまりにも短い猶予での出走に、少なからず異を唱える者もいた。が、多くの人々はジャパンカップでついに日本のウマ娘が勝利するのではと期待に胸を膨らませている。
「精密検査の上で問題がないようなら、って条件でね」
「こうして出走することが発表されているわけだから、当然問題はなかったということだ」
「そう。まぁ怪我の心配がないようならあたしもそこまで目くじら立てることは無いんだけどさ」
では何故、と聞きたげなフジキセキの視線にチラリと目を合わせ、すぐに背ける。
「期間が短すぎて調整が間に合わない。せめてミスターシービーくらいはマークできるように考えてるけど、流石にルドルフの独壇場とはいかないだろうね」
与えられた時間の少なさ、拭いきれない不安、キリノアメジストを苦しめる要素は少なくなかった。
「つまるところ、自分への怒りなんだね」
「全部だよ。ワガママな皇帝もGOサイン出したトレーナーも無力な自分も、全部」
「じゃあ私には解決出来ないね」
「そうだよ、諦めてあたしから出る負のオーラを摂取してね」
「ははっ、それは……まぁ悪くないかな」
「正気?」
「真剣に何かに取り組む姿を見ると、こっちもやる気が出るというものさ」
「それはわからなくもない」
「だろう?」
フジキセキは右肩に置いた手を離し、そのままキリノアメジストの頭の上へと置き直した。
「それだけ一生懸命ってことだよ」
「当たり前じゃん。キミがレースに真剣なのと同じ」
「そうだね。それでも、全身全霊でやりきったら結果がどうあれ最後には笑っていられるさ」
「そうかなぁ。希望的観測っぽい」
「その時は私のところに来るといい」
「ふーん、期待しないでおく」
「それは残念」
タブレットの画面が暗くなり、パタリと音を立てて机の上に倒れた。
「あと1週間ない」
「うん」
「間に合わないと思う」
「うん」
「ほんと最悪」
「うん」
「……最悪。最悪最悪最悪!! ぜんっぜん作戦思いつかない!! シービーのデータは少ないし出走ウマ娘のデータ集めるのも時間ないし!! ていうか誰が本命かもイマイチわかんないしなのに『自らの走りを貫くだけだ』とか余裕なのも意味わかんないし!!! ハナちゃんも忙しいのにあたしの無能さをわかってないから丸投げするし!!! もおぉぉぉぉ無理!!! 無理無理カタツムリ!!!」
喚くキリノアメジストに、残っていたクラスメイトもギョッとして教室を出ていった。
「もっとちゃんと研修受けるんだった」
「悔やむのは今じゃないよ?」
「ぐっ……やるだけやるよ」
「ん、頑張っておいで」
「うん」
叫び散らかして気が済んだのか、キリノアメジストは席を立つと教室を出ていった。トレセン学園の生徒の放課後、行き先など決まっている。
「……いいなぁ」
ポツリとフジキセキが呟いた。
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ここ最近、キリノと寮で話すことが少ない。と言っても無視されているわけではなく、彼女が起きている時間が短いからだ。
ジャパンカップ出走が決まってから毎日のようにトレーニングを変えながら、しかしどこか納得がいかないようで頭を抱える姿が増えたような気がする。
彼女に負担を強いているのは他でもない私だ。反対するキリノを押し切ってジャパンカップに出るのだから付き合って貰えない覚悟すらしていたのだが、律儀にも最後まで一緒に走ってくれるらしい。いつも悪態をついたり毒を吐いたりしながらも、なんだかんだ私の面倒を見てくれる彼女に甘えてしまっている。
しかしそれは悪いことではないと思うようになった。一緒に、2人で、そう言ってくれたあの日から私は……いや、私達は喜びも苦しみも共有してきたつもりだ。だからこそ今キリノを苦しめているのは私自身であり、それをどうにかしてあげられる力が無いことには歯噛みする他ない。
「………………」
それでも、と。ジャパンカップを勝利して彼女に4つ目の冠を持ち帰ることが、それだけが私に出来ることだ。だから今は只管に己を磨く。彼女の苦しみが報われるよう走る。どこか歯車が噛み合わないのを感じながらも、結局私には走ることしか出来なかった。
だから、私は────私達は、負けたのだろう。