入学時の忙しなさもそろそろなくなってきた頃だろうか、ルームメイトのキリノにこんな注文をしたことがある。
「トレーナーの卵として一つ助言をくれまいか」
「助言かぁ……」
特に悩んでいることがあったわけではない。担当トレーナーは未だにいなかったが、それでもトゥインクルシリーズに出走することはできると知り、とりあえずは一安心だった。
「ストレッチを欠かさないこと」
「そればっかりだな君は」
入学当日からずっと言われている気がする。もちろん疎かにしているわけではないが、ここまで言われるものだろうか。
「そればっかりだよ。どんな才能もどんな技術も故障したら最後なんだから」
「それはそうだが」
「そうなんだよ。常に頂点に居続けるウマ娘がいないのは、常に危険と隣り合わせだからだ。だからもし少しでも長く走りたいなら、自分の体を大切にすることだね」
まるで故障したことがあるような物言いだ。
「それに関連付けてもう一つ。技術を身に着けるのもいいけどまずは体作りからだよ。カルシウムとってる? 栄養足りてる? そういうところに気を配れないと、あと数年後にしっかりと準備してきた子たちに追い抜かされちゃうんだから」
「ああ、もちろんだとも。私とて中等部なんだ、成長の糧になるものを疎かにはしていないさ」
「ふーん」
じろりと私の方を見るとキリノはその瞳で私を観察した。全てを見透かすその無遠慮な視線にはまだまだ慣れそうにない。
数秒ほどで私の観察を終えたキリノは、手で小さく丸を作った。
「嘘じゃないみたいだね」
「本当になんでもわかってしまうんだな」
「そうだよ。あたしに嘘はつけないんだから」
彼女は得意気に、そして満足気にうんうんと頷いた。
「この調子で行けばしばらくは心配ないね。頑張ったルドルフには特別にご褒美をあげよう」
「ほう、ご褒美か。ほっぺにちゅーでもしてくれるのか?」
「……君、そういうこと言うタイプだったんだ」
いつもの柔和な笑みを珍しく崩し、ぽかんと口を開けるキリノ。私とて親しい間柄の者にはこれくらいするさ。
「案外愉快な子だったんだね、ルドルフって」
「そんなに意外だったか。それで、ご褒美は何かな?」
「そうだった。さっきのはトレーナーの卵としてのアドバイスだったけど、これはあたし個人からのアドバイス」
キリノはニヤリと笑う。
「今はとにかく基礎的なトレーニングで能力の底上げをするといいよ」
どんなアドバイスが飛んでくるかと思えば、拍子抜けというかなんというか。ごく一般的なアドバイスだ、と思った。
「がっかりした?」
「いや、その……」
「わかりやすいんだよ君は。でもこれはそう単純な話じゃない」
キリノは人差し指を立てる。
「ルドルフ、君は格上の相手を出し抜くためにどうする?」
「……弱点をどうにかして見つける。自分が付け入る隙がないと能力で劣っている状態で勝てる見込みは少ないだろう」
「だよね。じゃあ付け入る隙がなかったら?」
「現時点では勝てないと思うが」
彼女は正解、と両手で大きな丸を作った。
「実は選抜レース全部見学させてもらったんだ。その中で1番能力が高かったのは君だ、ルドルフ。もちろん君に片膝つかせるような子は何人かいたけど、それでも君がいちばん強い。だから君はまず格下の相手に絶対に負けないようにすればいいんだ」
キリノは人差し指を私に向ける。
「その玉座を守る磐石な基盤を作るんだ。君の身体能力の底はまだまだこんなもんじゃないよ」
「そこまで自信満々に言い切られると信じないわけにはいかないな。その言葉、金言としてありがたく受けとっておくよ」
私の言葉にキリノは笑顔で親指を立てた。こういう笑顔は可愛いのだがな。
最近彼女について思うことがある。それは彼女がいつも笑っていることについてだ。最初は柔和な笑みと表現し、穏やかな女性なのかと思った。ところが一緒にいる時間が長いとどうしても違和感に気づいてしまう。彼女は笑みを貼り付けているのだ。何故、とかそんなことは聞けるはずもないがそれ以来少し恐ろしく感じるようになってしまった。
それとは別に今のように心から笑う時は安心して彼女の顔を見られる。願わくば彼女の顔に本当の笑顔が宿らんことを。
「どうかした?」
「なんでもないさ」
いつか彼女の方から話してくれる時が来るかもしれない。ついつい踏み込んでしまうのは悪い癖だ。それに、私の邪推に過ぎないかもしれないからな。
「ふぁぁ、ねむ」
「そろそろ私も寝ようかな。おやすみ、キリノ」
「ん、おやすみー」
かくして私は見事にメイクデビューを1着で終え、華々しいデビューを飾ることとなった。彼女のアドバイスが的確だったのだろう、私はレースで苦戦することも無く余裕を持って勝利することが出来た。
『ごめん! 明日研修入っちゃって見に行けなくなっちゃった!』
メッセージアプリを開くと昨日キリノから届いた謝罪のメッセージが目に入る。応援に行くと意気込んでいたのを思い出し不憫に思う。
『勝ったよ』
一言、彼女にメッセージを送る。マメな彼女のことだ、休憩の合間にソワソワと端末を確認する様子が簡単に想像できる。そんなことを考えていたらすぐに既読がついた。
『信じてたよ!』
思わず苦笑してしまう。信じて待っていた者の既読スピードではない。
『もうすこしでお』
もうすこしでお、とはどういう意味だろうか。考えられる限りではメッセージを打っている途中で送信してしまったという説だが、それからしばらく彼女からの言葉はなかった。気になって訊いてみたが返信はない。いや、研修中に端末を弄っていたので怒られたのか。それなら納得が行く。
「何をしてるんだ全く……」
そう言いつつも心の中では少し嬉しい。立ち振る舞いこそかっこよく爽やかにを意識しているが、内面はそこまでサバサバしているわけではないのだ。友人が怒られながら自分とのコミュニケーションを優先してくれた事実に笑みを浮かべるほどには女々しい性格をしている。
そういえばキリノは自分のことを『あたし』と呼ぶが、口調はボーイッシュな風に聞こえる。おかしい、とまで言わないが違和感を感じないと言えば嘘になる。性格は男勝りではないが、さっぱりしているとも言い難い。うーん、今度それとなく訊いてみようかな。と、──。
「もしもし?」
「ルドルフ! 勝った!?」
端末が震える。電話の相手はもちろんキリノだ。さっき勝ったと送ったろうに。
「ああ、勝ったよ」
「やったね! おめでとう」
「ありがとう、君のおかげだ」
「え、あたし何もしてないよ」
「いやいや、君が支えてくれたじゃないか」
それにアドバイスもくれたしな。キリノがいたから安心してレースに出れたのは事実だ。
「なるほど、あたしがルドルフのトレーナーってわけか」
「資格を持っていたら是非ともお願いしたかったんだがな」
「それは卒業まで待ってね」
実際彼女がトレーナーならどれほど良かったか。と言うより私の同期でありながらトレーナーの真似事をしてみせるキリノが異常なわけだが。
「じゃあ次は──あ、ハナちゃ」
瞬間、通話が落ちる音がした。
「キリノ?」
もちろん返事はない。もしかして研修を抜け出して電話を掛けてきたのではあるまいな。いや、そうに違いない。流石に真面目にやらないのは私としても……ああダメだ顔がニヤけている。というか怒られているキリノを想像したら普通に面白かった。
『研修は真面目にな』
それでも形式上は注意しておく。心の中のお子様な私を外に連れ出すことは出来ないのでね。
ルナちゃん可愛いね