ですが全て読ませてもらっています。ここまで付き合っていただき本当にありがとうございました。皆様のおかげで続けられました。
どうやって寮に戻ったとか、いつ頃に寝たかとか、そんなことは覚えていなかった。ただ、意識の覚醒に引きずられるままに体を起こし、目を開く。目元が乾いているように感じるのは気のせいではないのだろう。
「おはよ」
部屋の反対側から声がする。私のルームメイトはもう既に起きていたらしい。確か今日は休日だったはずだ。
「……おはよう、キリノ」
ぼやけていた視界がクリアになる。キリノの方を向くと携帯端末をいじっていたが、私の視線に気づき視線をこちらに合わせた。
「早起きだな」
「まあね」
「何してたんだ?」
「んー……ネットニュース見てた」
「そうか」
そこで会話は途切れた。少し考えてキリノが再び口を開く。
「世間的な評価はそこまでだったよ。良くも悪くも賛否両論って感じ」
「……ああ、なるほど」
ネットニュースとはジャパンカップの事だったらしい。私たちが負けたことよりも日本のウマ娘が勝利したということの方が大きいのだろう。初めて挑戦者という立場で見られていたのかもしれない、どうあれ注目は私たちに向いていないという事実だけがある。
「ハナちゃんへの批判は思ったより少なくて一安心。あたしのせいで傷ついたなんてあっちゃ嫌だからね」
くぁ、と欠伸をひとつ挟むキリノ。
「ま、次は負けないようにしないとね~」
キリノは端末をロック状態にすると鼻歌を歌いながらカバンから本を取り出した。ブックカバーに隠されていてタイトルを見ることは出来ない。
何も変わらない、いつも通りの日常があった。何も無い休日の、私達の過ごし方。互いにしたいことをして、気が向けば話しかけたり話題を持ち出したりして、食事の時間になればどちらからともなく立ち上がって食堂に行く。心地よい私達だけの距離を感じながら、就寝の挨拶をして眠るまでのそんな休日。
このまま過ごせばいつもの様に終わるだろう。喧嘩したことも時間が解決して、きっと思い出話のひとつになる。お互いにつけた傷もカサブタになって、風化していって、なんて言ったかも思い出せなくなって。そうやって私達は前に進む。
「キリノ」
だから────────。
「話をしよう。私達の、これからの話を」
「飲み物買ってくるね」
そう言って部屋を出たキリノ。少ししたら両手に500mlのペットボトルを三本抱えて戻ってくる。
「はい、水でいいよね」
「あ、ああ。すまないな」
キリノから天然水を1本受け取り、脇に置いた。お互いの動きが何となくぎこちなくてちょっと可笑しくなってしまった。
「あ、先に言わせて欲しいんだけど」
「なんだ?」
「昨日の話、全部聞いてたよ」
一瞬意味がわからずキョトンとしてしまう。
「寝たフリしてごめんね」
「私とトレーナーの会話のことか」
別に聞かれても、と思ったが異様に顔が熱くなる。詳しく覚えていないが、とても恥ずかしいことをしたような気がする。
「ん、んんっ。聞いていたのなら話は早い。私はお前に謝らなければならない」
「すまなかった。私の身勝手にお前を巻き込んだばかりか、お前のことを蔑ろにしてしまった」
「……巻き込んだのを謝られるのは、そんなにいい気分じゃないかも」
それは、しかしキリノの気持ちも考えずに突っ走った私が言っていいことではない。
「ハナちゃんも言ってたでしょ、あたしが合わせるとかキミが配慮するとかそういう話じゃないの。キミが走りたい気持ちを支持出来なかった時点でトレーナーとしては失格だもん」
「……私は頷けないよ」
「そうだろうね。だからこれはあたしの反省、キミからの懺悔は昨日聞いたし」
こくりと1口水を含む。
「あたしのこれまでの話、聞いてくれる?」
「それは、どういう……」
「あたしの昔話」
出会った頃のような柔和な笑みでキリノは話し始めた。
「あたしね、昔は走るウマ娘になりたかったんだ。ルドルフみたいにレースに出て、トレーナーと一緒にいろんなタイトルとって、それで〜……ってね」
「でもあたしの目に映る現実は残酷だった。あたしには才能も伸び代もなかった。子供の頃にもう走るのを諦めたんだ。……諦めたつもりだった」
キリノは水を一口飲んでからふぅと息を吐いた。
「ふふ、諦めてたらこんなとこ来ないよね。あたしはターフから目を背けられなかったんだ。しがみつくように……別にトレーナーなんてやりたかったわけじゃないけど、この作られたターフですらあたしにとっては離れ難いものだった。だからここに来たんだ。そしてキミに出会った」
私に笑いかけるキリノ。彼女の感情を読み取ることは、私には出来ない。
「キミが走る姿に心奪われたよ。間違いなくキミはこの世代最強のウマ娘だ。あたしはキミが勝つ度に自分の事のように喜んだ。感情移入……というより自己投影に等しいね。あたしが走ってるわけじゃないのに」
「トレーナー業に本気になろうと思った時も、やっぱりそのままだった。キミが走るのを自分のレースかのように見て、分析して、育成ゲームみたいにキミにトレーニングを課して……」
「しかし、トレーナーとウマ娘は一心同体。自分の事のようにレースに臨むというのはトレーナーとして在るべき姿ではないのか?」
「都合よく捉えすぎだね。盲信は良くないよ? あたしの言えたことじゃないけどさ」
キリノは再び水に口をつけた。
「白状する。ジャパンカップに出たくなかったのは、あたしが負けたくなかったからだよ。あたしはキミが負けると思ったし、あたしがレースに負けたくなくて強く否定した。走るのはキミなのにね」
「だ、だが! そうだったとしても、その後の行動に問題があったのは私だ!」
「別にあたしだけが悪いなんて言ってないよ。お互いに非があったよね、ってだけ」
「そう、だな……」
罪を背負うことは、ある種の逃げだ。自らに原因を求め、許しを乞うことで己の罪の意識を薄れさせようとしているに過ぎない。罪を犯したものが本当にやるべき事は、贖罪と更生に向けた努力だ。
だからこそキリノは、私を叱ったのだろう。言い回しというか、伝え方はなんとも彼女らしいが。
「だからお互いにごめんなさい、ね?」
私はゆっくりと頷いた。
「で、これからの話ね」
「ああ……キリノは、どうしたい?」
私はトレーナーとの話の中で、ひとつの選択肢に行き着いた。それは、彼女と別々の道を歩むことだ。
私の走りが、私の夢が彼女を縛りつけているように思えて仕方がなかったのだ。キリノの本当にやりたいこと、本当になりたい何かを私が遠ざけていると思った。
「キリノ、お前の本当にやりたいことはなんだ? 私に教えてくれないか?」
真意を、彼女の夢を聞きたい。
「お前は……いや、私はお前といていいのか?」
離れるのが怖い。手放すのが怖い。それを必死に押し殺して、彼女に聞いた。
キリノは私の質問の意味を考えているようだった。抽象的過ぎたか、伝わらなかったか、ストレートに伝えたつもりだっのだが。
「良いとかダメとかなの? そうしたいかどうかじゃなくて? ……まあ、いいけどさ」
かぶりを振ってキリノは私に向き直った。
「ルドルフ、あたし………………」
「あたし、アメリカに行くよ」
時が止まっているように感じた。どれ程までに時間が過ぎたのだろう、ほんの数秒だったかもしれない。
「アメリカ……」
ようやく口を開いて出た言葉はその一言だった。
「マルゼンスキーの渡米の話は前にしたよね?」
「ああ」
「そのタイミングに合わせてハナちゃんも一緒に行くんだけど、それに着いていくことにした。力不足は痛感したところだしね」
「そんなことは……」
「それ以上の優しさは毒だよ。わかってるでしょ?」
「……っ、そうだな、すまない」
そうだ。私のこういうところが彼女にとって良くないのだ。
「あたしも同じだったよ。あたしもね、こんな自分じゃルドルフの傍にいる資格はないって思った。でも今回のことを通して考えが変わった。……こんな未熟な自分を変えたいって思ったんだ。前向きになった、と思う」
キリノは視線を外した。その瞳は間違いなくこの先のことを見ている。
「変わりたいんだ、ルドルフ。キミの隣も悪くないけど、あたしはきっとキミに甘えちゃうからさ」
「私だって同じだよ」
「なら丁度いい。お互いに次会うときは……何年後かわからないけど、その時には見違えるほどに成長してるといいね」
ああ、そうか。そうなんだなキリノ。私も変わらないといけないんだ。昨日のトレーナーの言葉はそういう事だったのだ。トレーナーはキリノの心境の変化に気づいていたのだろうか。いつから? どこまで? 私もまた未熟な子供であることに変わりはないのだろうと痛感させられた。
「…………お前と出会って、1年も経ってないんだな。とても濃密な時間だったよ、何年も何年も積み重ねてきたように感じる」
「歳をとると1年が早く感じられるらしいよ。あたし達はまだ若いからじゃない?」
「ふふ、そういう事じゃないさ」
「色んなことがあった。出会った頃は距離感を掴めなかった……いや、今も正直に言うと掴みかねているんだが。それでもレースややり取りを重ねる度少しはお前に近づけた気がした」
「あたしは心を開いたつもりないけどね」
「はは、そうか。やはり私はあまり良い友人になれなかったか」
「ちょ、ちょっと!」
そんな気はしていた、というか今回のことを経てそう思った。そんな旨のことを言うとキリノは慌てて立ち上がった。
「そこは否定しなよ!」
「いやいや、私自身思うところがあるんだ。至らぬ点ばかりだったよ」
「っ! ルドルフってホントに……はぁ、そういうところだよ。別に正直に自分の気持ちを伝えることだけが良い友人じゃないでしょ。隠し事もするし、喧嘩もするし、すれ違いだってある。心は完全に開かないし、理解も共感も出来ないことだってたくさんある。でもあたしは…………あたしは少なくともルドルフは友達だと思ってるよ」
「……そう、か」
キリノはフンと鼻を鳴らした。
「そう! 好きな部分も嫌いな部分もある! トータルで好き! だから友達! これで良くない?」
気持ちのいい割り切り方だった。以前の彼女ならこんなことを言っただろうか。
「何年経っても友達。約束ね」
「……ああ! 約束だ」
キリノが右手を差し出す。私は自分の右手でそれを握り返した。
「あたしはパーフェクトなトレーナーになるために成長して帰ってくる! ルドルフは全ウマ娘の幸せっていう夢のために努力した姿で出迎える! どっちが夢に近づいてるか勝負ね?」
「おい、それは私の方が不利にならないか? そもそも夢の定義がお互いに曖昧すぎるし、規模が他人にまで及んでいる私はどうすればいいんだ」
「そんなのルドルフが納得いく方向性で見せてくれればいいじゃん。ていうか薄々気づいてるでしょ、全ウマ娘の幸せって一人一人幸せの定義が違うんだから不可能に近いってこと」
「そっそれは……わかっている、だが皆が笑って暮らせる未来を私は夢見ているんだ。未来図は決まっているのだから、あとは道のりだけだろう?」
「へぇ? せいぜい頑張りなよ、応援してるからさ」
「そんな棒読みで言われてもね」
「あはは!」
それから私達はなんて事ない会話をしていた。最近聴いた音楽の話、こっそりギターを触っていたこと、新しく出来た喫茶店の話、子供の頃の思い出話…………どれも他愛なく、それでも必要な会話だった。
「……はぁ、話した話した。100年分くらい話した」
「ふふふ、キリノはこう見えて冗談が好きだな」
「そうだよ? あたし結構ギャグセンも高いんだから」
「そう、なのか」
「そうだよ? ギャグって人に親しまれやすくなる秘訣だからね、あたしを見習ってルドルフもギャグセン磨くといいよ」
「ああ、努力してみるよ」
「うーん、これはダメそう」
失礼な、私だって笑いの心得くらいあるぞ。
「あたしに聞かれても答えないからね?」
「当然だ、自らで磨いてこそのセンスだ」
「あー、頑張ってね。…………ね、帰ってくるまでSNSの連絡は無しにしない? なんか甘えちゃいそう」
「な、なんでそうなるんだ。いいじゃないか少しくらいは」
「ほら、そうなるでしょ?」
「さ、寂しいと思うんだが……」
「それ以上言うな! あたしの覚悟まで弱くなるでしょーが!」
「む、そ、そうだな」
彼女も相当な意志の上で言っているのだろう。私からもう邪魔をすることは出来ない。それ以上は彼女の妨げにしかならない。
私は存外甘えたがりなのだと、この時自覚したのだった。
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懐かしい夢を見た。まさか生徒会室でうたた寝をしてしまうとは、誰にも見られなくて本当に良かった。気が抜けているな、と思い少し自分の頬を叩いた。
窓の外は夕焼けに染っている。今しがた見た夢のせいか、あの河川敷を思い出す。
あれから私は生徒会の会長となった。これもまた夢に近づくための一歩だ。ただ、入ってから今に至るまで忙しくない時はなかった。その過程で自分自身もまた成長出来たが、キリノのこともまた頭の片隅に置かざるを得なかった。そうして4,5年経った今日突然こんな夢を見るものだから、何かのお告げかと思ってしまった。
コンコン。
「失礼します」
「ああ、エアグルーヴか」
ノックの後に入ってきたのは生徒会副会長のエアグルーヴだ。このような形で私に付いてきてくれる者が何人もいる今の私は幸せ者だ。
「会長、どうかなさいましたか?」
「うん? ……ああ、いや。実は少しうたた寝をしてしまってね」
「お疲れなのでしょう、仕事のし過ぎです。今に始まったことではありませんが」
「ははは、手厳しいな」
「過ぎたるは及ばざるが如し、会長が昔私に送ってくれた言葉ですよ。それが今では同じことで私が言う側に回るとは……」
「働きすぎているつもりはないんだがなぁ」
「でしょうね」
呆れたようにため息を吐くエアグルーヴ。これは本格的に休みを挟まないと雷が落ちるな。
「第一今日は休日なのですから、働いている方がおかしいのですよ」
「そういう君も生徒会室に来ているじゃないか」
「私はトレーニングの後ですから。それに生徒会室にも用があったので」
エアグルーヴが机の上に書類の束を置いた。
「ありがとう、助かるよ」
「何を自然に仕事に戻ろうとしているんですか。休んでください」
「そ、そうだったな」
エアグルーヴの目が怖い。
「こほん、次のレースも頑張ってくれ」
「ええ。……そういえば私のトレーナーから聞いたのですが、次のレースには海外から見に来るトレーナーもいるとか」
「そうなのか?」
「会長も知りませんでしたか。私も詳しくは知らないのですが、なんでも海外から帰国する日本人の方なのだとか」
「帰国……日本人……」
まさか、と私の脳裏に彼女達の顔がよぎった。
「心当たりが?」
「……ああ、少しな」
エアグルーヴが驚いたように目を見開いた。
「嬉しそうですね」
「そ、そうか?」
「ええ、珍しく子供のような笑顔でしたよ」
「っ!? そ、それは……」
思わず顔を背けた。きっと私の表情はにやけているのだろう。暫くは期待で満足に眠れなさそうだ。
不思議そうな表情をしているエアグルーヴには申し訳ないが、このことは伏せておこう。きっと彼女が来ればまた、この学園に新しい色が加わるだろう。それまでは楽しみに取っておこうじゃないか。
さあ、未来の話をしよう。
後日談とかはもしかしたら不定期で書くかもしれません。書かないかもしれません。