弥生賞を終えた時点で皐月賞まで約1ヶ月。かなりハイペースでこの2つのレースが続いているのを私は知っていた。ではなぜ出走したのか? それは皐月賞がGⅠレースだからだ。GⅠレースにはレベルの高いウマ娘が多く出走する、そのため少しレベルを落としたレースで全体的なプランニングの調整をしたかったのだ。結果的にはビゼンニシキというライバルと言えるほどの存在を知ることが出来たし、初めてのレースプランニングも上手くいった。目下の目標にあたる三冠達成、その第一歩となる皐月賞に向けて、現状の私は万全の状態と言っても過言ではなかった。
皐月賞まで残り半月を切った。調整は最終段階に入り、キリノと話し合った結果重めのトレーニングは避けてブランクを作らない程度の軽い練習を増やしていくことにした。スケジュール等は東条トレーナーがしっかり管理してくれている。マルゼンスキーの事もあるのに、彼女には頭が上がらない。
そういえばマルゼンスキーを除いた3人で皐月賞までの話し合いをした時にたづなさんが訪ねてきた時があった。その時のキリノの様子はいつもと違い、東条トレーナーの後ろに隠れるように位置取っていた。たづなさんも気づいていたようで苦笑いを浮かべて直ぐに退散したが、その時のことをキリノに聞いたところいつもの笑みを崩して歯切れ悪くこう答えた。
「いやぁ……嫌いじゃないんだよ? むしろ感謝してるし、うん……。おかしいなぁ、あたしの目はウマ娘のことしかわからないのに。しかもあんなイカれた数値……まぁとにかく、そういう事だから」
全く何を言っているかわからなかった。そもそもブツブツと呟くように答えたせいで聞き取りづらかった。ウマ娘の聴覚で聞き取りづらいとはこれ如何に。
そんなわけで何故かやたらとたづなさんを避けるキリノだが、先日はなにか二人で話しているところを見かけたし一体どうなっているのやら。相変わらずよくわからないやつだ、と結論づけてそれ以上は何も聞かなかった。
そういえば最近休日にキリノはどこかへ行くことが増えた。図書館で勉強でもしているのかと思って探してみたが、学園内で彼女の姿を見つけることは叶わなかった。その事について尋ねてみても曖昧な返事しか返ってこず、真相を知ることは出来なかった。あまり知られたくなかったのだろう。
「私は、キリノのことを何も知らないのだな……」
皐月賞を前に余計なことで悩むのは良くないが、1度頭に巣食ったこの考えは一日中私の心を蝕み続けた。私では信頼に値しないのか? 実は私に対してあまり良い感情を抱いていないのではないか? ……ダメだ、こんなことではダメだ。
そして私は考えた。まずは学園生活から知るべきではないかと。キリノの交友関係も何もかも知らないのだ、そんな状態で喚いても仕方がない。駄々をこねるくらいなら自分から知る努力をするべきではないだろうか。……いやストーカーではない、断じて。
というわけで昼休み、いつもなら適当に買ってきたおにぎりなんかで済ませるところだが、今日は食堂に向かう。食堂はウマ娘で溢れかえっており、とてもではないが特定の人物を見つけることは出来そうにない。早めに来た方なのだが、まあ正直こうなることも予想出来たので見れたらラッキー程度にしか思っていない。こうなれば次の行き先はキリノの教室だ。あまり見つかりたくはないので避けたかったが仕方ない。
教室に着き、ちらりと窓から中を覗くと見覚えのある鹿毛のウマ娘がいた。なんだ、最初から教室にいたのか。サンドイッチを片手に食事するキリノの向かいには知らないウマ娘が1人。短髪で青鹿毛のそのウマ娘は同じ中等部ながらに気品を感じさせる。気づかれないようにそっと聞き耳を立てると彼女達の会話が聞こえてくる。
「はい、リノ。あーん」
あーん? 今あーんって聞こえた。それってつまり食べさせてあげる的なあーん?
「ん、んふふふ」
そして何かを頬張っているであろうキリノの声。
「美味しいかい?」
「うん、ありがと」
今顔を出したらバレる気がする。でも見たい。いや見たくない。やっぱり見たい。
「ねぇフジ、あたし宿題やってきてない」
「そう言うと思ったよ。君は優秀なくせにこういうとこはズボラなんだから」
「えへへー、ありがと」
カップルかな? 周りの子は一体どんな目で彼女たちを見ているんだろう。ダメだ脳が破壊されそうだ。
「そういえば、最近はどうなんだい? リノの見てるチーム」
「あー、まだチームとは言えないけどね。でもハナちゃんはいずれはチームとしてって言ってたし、まずはその第一歩だね」
チーム……そうか、私たちが活躍すれば東条トレーナーの活動も多くのウマ娘の目に留まるはずだ。そうすれば彼女の持つチームとして多くのウマ娘を受け入れることが出来る。東条トレーナーほどの人材であれば、経験を積めばいつか多くのウマ娘を従える強豪チームだって作れるだろう。私とマルゼンスキーはまさしくその第一歩を担っているというわけだ。
「なんてったってルドルフがいるんだから。きっと誰にも負けないチームになるに決まってるよ」
キリノの言葉を聞いて胸がドクンと脈打った。体の芯が熱くなる。……負けられないな、皐月賞。
「リノ、またシンボリルドルフの話してる」
「そんなにしてる?」
「うん。本当に好きだよね、彼女のこと」
「えー、そんなこと言ったらフジだってお母さんの話ばっかり」
「あはは、お互い様だね」
おいおいおい。困っちゃうじゃないかそんなに私のことを話題にあげるなんていや別に嫌というわけではないが私にも恥ずかしいという感情はあるのだからそこの辺りやっぱり考えてくれないとああいややめろと言っているわけではないぞ? 私としても誇らしいというか嬉しいというか満更でもないというかただあんまり誇張されたりしても困るからなうんうん。
え待ってフジとリノって呼び合ってた? そんなに仲良いのか? 私はルドルフとキリノの仲なのに? ルームメイトの私よりも仲が良いってことか?
「うおおブルっときた」
「風邪?」
「かなぁ……前もしんどい思いしたからやだなぁ」
「暖かくしなよ。上着貸してあげようか?」
「…………いや、いいや。なんか嫌な予感するし」
「? 変なの」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「ただいま、キリノ」
「おっ…………かえり〜ルドルフ」
寮に戻ってきたルドルフを出迎える。瞬間、キリノアメジストはシンボリルドルフから目を逸らした。その理由を考えようとする前に生物としての本能が反応したのだ。
「どうしたんだ? キリノ」
「い、いやぁ……」
まっずいまっずいまっずいなんか知らないけど滅茶苦茶怒ってるわこれ。あたし何したっけ? ていうか今日は朝一緒に部屋出てから会ってないよね? トレーニングの間あたしは勉強する日だったしハナちゃんに全部任せてたはずなんだけど。
「どうしてこっちを見ないんだ?」
「ん、あ、えーっと……勉強中だから後ででいい?」
咄嗟に開いたトレーニング教本を凝視してルドルフに背を向ける。本当になんで怒ってるかわからないけど今会話しても悪い方向に進むだけだ多分。え、本当になんで?
「…………」
「…………」
すんごい見てる。いや正確にはわからないけど視線を感じる。それはもう痛いほど感じる。しかも多分だけど笑顔だ。圧がすごいんだほんとに。
「……ルドルフ、怒ってる?」
「どうしてそう思うんだ? 君はなにか私を怒らせるようなことをしたのか?」
「い、いや心当たりは全然ないんだけど……こう、雰囲気というか、ね? なんか怒ってるのかなーって」
結局耐えられずに会話を切り出してしまったが、ルドルフが纏う空気は相変わらず。
「……ああそうだ、聞きたいことがあるんだが」
「な、何かな?」
「昼間に
「昼間? ええっと、フジのこと?」
空気が重くなった。うーんどうやらこれが原因らしい。一体何が彼女の琴線に触れたというのか。
恐る恐る振り返ってみると案の定笑顔のルドルフが立っていた。それはもう満面の笑みと言って差し支えないだろう。どうしてこの笑顔からこんなに凄みを感じるのか。
「フジキセキ……クラスメイトで、友達だよ。デビューはまだ先になるだろうけど、きっと彼女は素晴らしい走りを見せてくれると思う」
「そうかそうか。それで? ただのクラスメイトで友達なフジキセキと互いにニックネームで呼び合うのだな?」
「ああ、まあ……なんかやたら距離感の近い子ではあるけどね。別に私だけじゃないよ」
ルドルフを纏う空気が少し収まった気がした。
「ふぅん。ルームメイトで付き合いの長い私とは名前で呼び合う仲なのに?」
「え、何? ルドルフもリノって呼ぶ?」
「そ、そういうわけじゃない! ただ…………はぁ」
ようやくラスボス前の部屋みたいな恐ろしい空気はなりを潜めた。
「別に呼び方ひとつとって親密度を測るわけじゃないさ。ただ、誰と仲がいいとか、クラスでどんな事があったとか、そういう話をしてくれてもいいじゃないか」
ルドルフは悲しそうにこちらを見る。まだイマイチ話が見えてこないが、つまりどういうことだってばよ?
「なぁ、もっと君のことを教えてくれよ。それとも、私では信頼に値しないのか? ルームメイトでトレーニングの面倒を見るのはいいが、友達としては距離を置きたい存在なのか?」
なるほど、つまりはもっと仲良くなりたいって事だな? なんだルドルフちゃん可愛いところあるやんけさっきは本当に怖かったけど。
「ふむ、キミの言いたいことはわかった。つまりあたしともっと仲良くなりたいんだね?」
「そんな……っ! そう、です…………」
「んも〜、実は甘えただな?」
「それは違う!」
「はいはい可愛い可愛い」
「~~~~っ!」
不器用な友人様だ。この調子じゃクラスで友達を作るなんて夢のまた夢……まあいっか。あたしがいるし。
独占力のヒントが……もう最大だったわ。