天才剣士がいたからって身内も同じだとは限らない 作:塩なめこ
この期間にまた投票して頂いて感謝です。elzex様、ありがとうございました。
さて本当なら前回書くべきだったのでしょうが今ここで。
水平線:視点切り替えしつつ場面変換
◆◆◆:場面変換
という法則に一応なっております。間違ってると思ったら誤字報告していただけると幸いです。
ペラペラとページをめくる音だけが部屋に響く。
ここは御阿礼の子が住まう『稗田家』の屋敷。現在当主たる稗田阿弥様が死去し、使用人が偶に掃除にくる以外は開かれることのない場所だ。
そんな所に今回、俺は特別に入れてもらった。
目的は御阿礼の子が代々綴ってきた『幻想郷縁起』、その烏天狗の項目である。
「なになに? 昔はその強さから神格化されてた……か。風を操る化身ねぇ」
妖怪を知り対策を促すための書物なので一部脚色されて書かれているのは分かる。だがそれを考慮したとしても、いや考慮することこそが愚行。あの烏天狗はここに記されていることと何ら変わらない実力を有しているだろう。
「三年後、三年後かぁ……」
果たして俺は追いつくことができるだろうか、彼女、射命丸文の本気に。
◆◆◆
結論から言えば俺たち二人はマヨイガからの脱出を果たした。
市川の家が継承してきた技の基本、霊力や妖力をそれに影響された体の反応から読み取る技法を用い、接続する部屋を意図的に操作したのだ。
久野に見せた小刀による実験で感覚を掴んだ俺は、外にいるであろう天魔や八雲紫の畏れを追い、玄関と寝室の襖が隣接した瞬間を狙った。
そうして俺たちは見事天魔の要求を満たしたというわけだ。
しかし、それで全てのケリが着いたかと言うとそうでもない
『ほぉ……出てきたか。なるほどなるほど、貴様は猶予を与えてやるだけの価値を示しすことができたというわけだ』
『……何を、言ってやがる』
『わしは最初から一考してやるとしか言っとらんだろう。これで認められるとでも思ったか?』
天魔は息も絶え絶えになりながら出てきたばかりの俺に、新たな条件を課したのである。
『三年後。貴様が生前の龍一と同じ歳となる三年後にここにいる文と戦って勝ってみせろ。そしたら最初の取り決め通り協定を結ぼうじゃないか』
『『は?』』
『力を示せと言っているのさ。あぁもちろん文、お前も手抜きは禁止だ。全力でやらなきゃキツイ罰を与えるからな』
『何いきなり言ってんですか。ふざけてんですか天魔様? それどっちにしてもわたしは痛い目に遭うじゃないですか!』
『とまぁそういうわけだ。もちろんお前が負ければ里へ攻撃する。……ちなみに龍一はこの文を本気を出さずに捻ったぞ』
そんな仲間内にしか受けないような漫才と余計な一言も付け加えながら。
俺は三年後、十八までに少なくともあの烏天狗と渡り合える所まで鍛え抜かなければならなくなった。
だが鍛えるにしてもまずは情報収集だ。というわけで稗田の家に訪れていたわけなのだが……。読んだら読んだで頭を悩ませる結果となった。突破口は未だ見えない。
「市川様、何かお役に立てましたでしょうか?」
「えぇ、ありがとうございます。わざわざ鍵を開けていただいて」
「いえいえ、今や貴方様は里の代表。里の未来を決めるお方です。それに協力することもまた稗田の務めでございます。きっと阿弥様がご存命でも同じ決断をしたと思いますよ」
そう言うのはこの屋敷で長年働いている老練な婦長である。天魔との約束事は皆の知るところとなった。というか俺が公開すべきとしたのである。
そもそもこの勝負で勝ち取ろうとしている経済協定そのものが内々で決められるものでは無い。
俺はこれが里の安定に繋がると思っているが、逆のことを思う人は必ずいるわけで。そういう人たちとの意見のすり合わせや妥協点の模索といった時間を長くとって置きたかった。
後はやはり、兄貴の行為の落とし前という意味があるのだから、市川の家の者としての責任という意味でも隠す訳にはいかないと思ったのもある。
言ってしまえば彼の蛮行による連帯責任で、理不尽に里の人間が殺さねかねないのだ。縁者としては誠心誠意対応するのが筋である。
「次の御阿礼の子の誕生も近いと聞きます。次はそちらの件で訪ねることになるでしょう」
「えぇ、お待ちしております。ですからどうか、死ぬ事のないように」
「……もちろんです。次世代の子供たちが平穏に暮らせる世にしてみせますよ」
そんな不祥事が皆に知れることになったというのに里からの期待は変わらず重い。俺はそれに応えられるか未だに不安だ。
「後片付けありがとうね。もう好きにしていて構わないわよ、お疲れ様」
「このくらいお易い御用です」
所変わってここはマヨイガ。天魔も琥二郎も去ったこの家、正確には寝室と二人を招いた居間の片付けを八雲藍がちょうど終えたところだった。
「まさか客間に上がり込んでくるとはね〜。やっぱり彼も持ってるわよね、色々と」
「……よろしかったのですか、あのような決闘を認めてしまって」
「もう、藍は心配性ね」
「私にはあれが烏天狗に勝てるとは思えないのです」
紫がどうしてこんなにも余裕綽々なのか藍には分からなかった。普段からそういう所が紫にはあるのは分かる。実際にそういう姿を見てきて心配になった時だってあった。
しかし敬愛する紫様の考えなら大丈夫だろう。それに思い至らない自分が実力不足なのだと納得することができた。
事実、彼女は毎度の如く余裕を持ったまま事態を解決してきた。彼女の知恵と力には疑いはいない。
だがこれはあくまでも当事者が紫ならの話。
この幻想郷を確実に揺るがす出来事の主役はあの小僧、市川琥二郎である。心配するなという方が難しい話だった。
己を打ち破り、紫と対等な関係まで持ち込んだ兄の龍一が今の琥二郎の立場にいたのならば、確かに杞憂と言えただろう。だがあの弟はまるで全然、程遠い。
「あの短時間でこの屋敷から脱出できたことは評価できます。しかも迷い込んだ他の人間も救っている。これだけでも逸話になるほどの偉業です。ですが、あれにできるのはそこまでではないのですか?」
「更なる偉業、つまり単身で天狗を倒すことはできないと藍は考えるのね?」
「はい」
藍はマヨイガから脱出した直後の琥二郎の姿を思い出す。
会談の時とは別人のように天魔を恐れ、全身に鳥肌が立ち、吐き気を隠しきれない表情をしながら嗚咽を漏らしていたあの姿を。
中で何があったのかは知らない。だが、十時間程度しかあの屋敷に居なかったというのにあれほどまで疲弊し、別人のようになってしまう琥二郎に、藍は期待できない。
「紫様がそのように余裕を持たれているのは、彼が勝てるとお思いだからなのでしょう? 何故にあのような醜態を敵の前で晒した男に信頼を置けるのですか」
天魔に身も心もあれほど恐怖していてはそもそも勝負になるかすら怪しい。勇気のない者は勇者にはなれないのだ。
「そうね。私も今すぐに戦えということなら、決闘はともかく里への襲撃はどんな手を使っても止めていたと思うわ」
「三年後ならあれの資質が目覚め、あの妖怪と渡り合える力を付けられるとお考えなのですか?」
「まぁ、結論から言えばそういうことになるわね。と言っても信じられないでしょうから、まずは貴方の誤解をひとつ解いてあげる」
「?」
「あの天魔に怯えきった姿。あれは醜態などでは断じてないわ。逆に賞賛すべき、更に言うなら警戒すべきものよ」
マヨイガでの出来事を唯一スキマによって見ていた紫だから断言することができた。そして理解することもできた。過去龍一が『俺より強くなるかもしれない』と言ったそのわけを。
彼にはあって龍一にはなかった才能。それは彼の五感の鋭敏さと、心の動きをある程度自在に操れること。言うなれば強い自制心だ。
「特に後者、これが無ければ彼はまだこの屋敷の中にいたことでしょう」
「分かりません……。心が自在に操れるというのなら、彼は自ら天魔の恐怖に屈する道を選んだというのですか?」
「その通りよ。彼は天魔に恐怖することを望んだ。屈するというよりかは受け入れるというのが正しい表現かしらね」
そうしなければ琥二郎は外との繋がりを見つけることができなかった。
確かに市川の技法を用いれば隣の部屋に何があるかくらい当てることは出来るだろう。だがそれは同じ時空に存在していなければならないという前提条件を満たした場合のみの話。
琥二郎の小刀も琥二郎自身もマヨイガという異空間の中で存在していたが故に彼は難なく刀のある部屋を当てられることができた。
だが、外の世界の天魔を探し出すのはそう容易ではない。マヨイガと現世は時空間という境界で完全に断絶している。
だから彼が外の世界を捉えるためには、普段よりももっと感覚を鋭敏にしなければならなかった。時空を超えるほどの感覚を持たなければいけなかった。
彼はその手段として、彼の中にある『勇気』と言えるもの、その全てを一時的に放棄することにした。
天魔の巨大すぎる畏れを体がより感じ取れるように、それに対抗するあらゆる心の存在を消し去ったのだ。
「馬鹿な! それをここでしたと言うのですか!? 最悪精神が崩壊しかねない愚行だ!」
「そう。それができることもまた才能だけど、それをしようとすることもまた並の人間にできることではないわ」
マヨイガは怪異である。怪異とは人によって紡がれてきた伝承や噂が元になって発生する怪奇現象のこと。つまり性質的には妖怪と似ている。
故にその動力たる源は妖怪と同じ妖力であり、人々の畏れでもある。
そんな四方八方が畏れで満たされた空間で、畏れに対する防衛機構とも言える勇気を捨てればどうなるか。待っているのは想像を絶する精神敵苦痛だ。
だがそうしなければ琥二郎は天魔の畏れなんて察知することができなかった。ただでさえマヨイガの畏れがあるせいで妖怪を感知し辛いのに、空間の隔たりまであるのだ。不利は承知の上で実行する他なかった。
琥二郎がこの手段に出れたのには三つの要因がある。
一つは久野の存在。
恐怖にまみれた琥二郎では感知できたところで戸を開けることができない。彼には口を少し動かせる程度の自由しかなく、他は寒気や幻覚などで動けなくなってしまう。
故に久野という協力者がいたこと、もとい発見できたとこは琥二郎にとってまさに幸運だった。
二つ目は天魔が直前までマヨイガの中にいたこと。
彼女は琥二郎を閉じ込めたらすぐに外に出ても良かった。だが、気まぐれで茶を飲むためにしばしこのマヨイガに居てくれた。だから彼はマヨイガを探索している間に平時の彼女の畏れ、その出力と種類を察知し、事前に知ることができた。
これがなければマヨイガの畏れの中から天魔の畏れを探す工程が必要になり、結果長時間の精神攻撃を受けて彼の心は破綻していただろう。
加えて彼女が外に出ているという最も重要な情報を得るのにも役立った。
現世を感知する際の楔とも言える彼女が外にいなければそもそも成り立たない計画だ。これを知れたのは大きい。
最後に三つ目。これは天魔の強すぎる力、畏れだ。
たとえ彼がどんなに頑張って感覚を鋭敏にしたとしても時空間を超えるほどのものにはなり得ない。それだけではダメだ。
こちらからも空間の隔たりを乗り越えて干渉しできる力を発さない限りは。
「どれか一つでも欠けていれば彼の目論見は成功しなかったでしょうね」
「……あの時の彼が何をしていたのかは分かりました。ですがそれでも解せません。それは彼の感覚が鋭いことの証明であって強さの証明にはなり得ない」
「引かないわねぇ」
「えぇ、引きません。私はなぜ紫様がそこまで期待できるか気になって仕方がないのです」
「と言っても特別な理由がある訳じゃないのよ? 答えは簡単、私が今の彼の本気を見た事があるから」
「本気……ですか。天魔も言っていましたがそれ程までに強くなるのですか、彼は」
「……皆龍一の活躍に目が行って忘れがちだけれど、彼だってあの紅魔館で戦ってたのよ?」
確かに首謀者たる伯爵を倒したのは龍一だ。博麗の巫女も、八雲紫も、弟の市川琥二郎も手が出せなかった相手。
それを単独で打ち倒したからこそ、龍一は山の妖怪からも里の人間からも伝説として語られることになった。
確かにそれに比べれば琥二郎の活躍は注目され辛いだろう。だが、彼だって人間にしては結構凄いことをしている。
あの時の彼の役割、それは龍一が十全に戦える場を作ること。それ即ち伯爵との一騎打ちを成立させること。
そのために琥二郎は二人が戦う空間に侵入しようとするありとあらゆる敵を切り刻んだ。死力を尽くし、全力使いきって殲滅した。
「あの時の彼を見ると、やっぱり期待せずにはいられないわよ。……その結果、動けなくなった彼を庇って龍一が死んでしまったのは残念だけれど」
きっとあの風見幽香もそれを見たのだ。だからこそ彼女は琥二郎との戦いをやめない。今この時も。
◆◆◆
(弱い)
琥二郎と戦い始めて早一ヶ月。風見幽香の評価は変わらない。
弱い。成長の兆しなし。いや、実際はその逆で退化しているのではないか?
(私の目も耄碌したのかしら)
琥二郎と初めて戦ったあの夜に彼が見せた才気の片鱗は悪くないものだったはずだ。だと言うのに彼はあれ以来幽香の期待した力を見せようとしない。
『ふざけんな! 悔しくないのかって? 悔しくないわけが無いだろう! 悲しくないわけ、ないだろ……っ!』
『たった一人の家族だったんだぞ!! たった一人の、兄だったんだぞ……! 目の前で殺されて、仇と戦うこともできなくて、不甲斐ないと、悔しいと思わないわけないだろっ!』
『何被害者面してんだ! お前はいいよな、そうやって俺に恨みつらみをぶつければ楽になれるんだから! 泣きやめるんだから! 泣きたいのは、家族を失った俺の方だ!』
『ふざけんな……っ! ふざけてるよみんな……。なんで俺が褒められる……っ。なんで、俺が恨まれる……。なんで、なんで俺を庇ったんだよ、兄ちゃん……』
思い出して左腕に力が入る。あの激情に任せた霊力の奔流はこの腕一本を確かに切り飛ばした。彼の感情の発露に気圧されていたとはいえ、この風見幽香から致命の一撃を与えたのだ。
だが、琥二郎はあの時を最後に剣に感情を乗せようとしない。彼は殺されないと分かったからか、戦いを繰り返すうちに全力を出さなくなっていった。
本気ではある。戦意もある。勝とうとする意志もある。
だが足りない。生き残ろうと必死になっていたあの時と比べれば圧倒的に。風見幽香を満足させることなんてできない。
(この女々しい足掻きも無意味だったということ……)
彼女の不満点はただ一つ、龍一がその内にある憎悪の力を秘めたまま死んでしまったこと。明らかに手を抜かれていた。それが気に食わなかった。
琥二郎の感情をぶつけらた時、求めていたものが垣間見えた気がしたのだ。彼が成長すれば消えていってしまった龍一との勝負、その慰めになるのではないかと。代わりとなれるのではないかと。
「はぁっ……はぁっ……ぐっ!?」
だが彼もまた立場を得ると気持ちを表に出さなくなった。それでも強くなる兆しがあればまだ耐えられたかもしれない。
今の彼は目も当てられない。先日まではこの妖力弾の中を(見苦しい様ではあったが)掻い潜り、敵である自分へ攻撃しようと一生懸命だった。
しかし現在は弾幕に翻弄されるばかり。器用に避けてはいるが、反応も遅ければ動きも悪い。このまま見ているだけで力尽きてしまう勢いだ。
(もう摘み取りの時期ね)
終わらせる。戦意すら感じさせないこんな男を殺すことなど容易い。風見幽香自身の一撃を避けられたのは最初の一度だけなのだから。
近づいて殴る。それでおしまいだ。それだけの動作を琥二郎は捉えることが出来ないが故に。
しかし。
「ぐぅう……!」
当たらない。
(往生際が悪いわね。まぁそれも次で)
「くそ……っ!」
二打目当たらない。躱す、辛うじて。
(目で見えている? いや、カウンターを狙わずに避けに徹しているからね。なら面倒だけれど後ろから)
「っ……ぐうおおおおお!」
しかしそれも左手に持つ盾を滑り込まれて阻まれる。力を逃がしきれなかったが故に琥二郎はそのまま吹っ飛ばされるが死なない。生き残る。まだ戦える。
(こいつ……見えているの? 数日前は防御すらままならなかったのに?)
三度も繰り返せば偶然では片付けられない。何某かが起こって琥二郎は風見幽香の攻撃に紙一重とはいえ付いてこれるようになっている。彼から感じる弱まった戦意とは裏腹に、彼自身はほんのちょっぴり成長していた。
よく見ればこの男、普段のそれとは様子が違う。体は震え、鳥肌が立ちっぱなしで息も荒い上に顔色が悪い。
何かがあったのだ。自分の知らないところで何かが。
「おい、お前何があった!」
「ぐぇ!?」
瞬間、風見幽香は先程殴りに行った時とは比べ物にならない速さで琥二郎の腕を掴んでいた。そのまま釣り上げるように腕を引っ張り、琥二郎の顔を近づけて凝視した。その顔は酷く恐怖に歪んでいる。
「何があった?」
「ひ、ひょえぇ……」
琥二郎はその凝視に耐えられず、遂に戦意を無くしてしまった。彼は美人な女性と面と面で向き合って話すことが苦手だ。それが鼻先が触れ合いそうなほど近づいている。もうキャパオーバーだった。
このすぐ後、正気に戻った彼は阿呆な悲鳴をあげた自分を心底恥じた。
◆◆◆
そして、この時初めて風見幽香は先日琥二郎が体験したこと、天狗との取り決めについて知った。
「ご感想の程は?」
「ムカつくわね」
「さいで……」
彼女からして見れば調理中のご馳走を完成直後に横取りされるようなものだ。味わう権利は彼女以外には無いというのに。
だがしかし、鳥天狗というスパイスがどのようなテイストを琥二郎に加えるかは興味があった。丁度、マヨイガという迷宮を打破した彼が新たな境地に至っている。
そう思うとやはり彼には圧倒的に実戦経験が足りていないのだ。
風見幽香は己との戦いでそれを補おうとしていたが、普段から戦えば戦うほど彼の先が予想できてしまう。面白みがない。
大妖怪たる天魔が相手ならともかく、鳥天狗ならば彼にちょうどいい相手なのではないだろうか?
三年後までにいくつかある琥二郎の課題を片付けられたならばだが。
「まぁいいわ。今日の貴方がビクビクしている理由もわかったし。
しかし馬鹿ね、マヨイガから出るために捨てた勇気が戻ってきてないなんて」
「……そうそう湧くもんじゃない。それに俺はこの感覚を忘れたくなかったんだよ」
一度恐怖に染まってしまうと正気に戻るのは簡単じゃない。トラウマとして心に根を貼り続ける。
今の琥二郎は一人で天魔を直視することができなかった。マヨイガから脱出した直後は「久野を守りたい」という思いがあったおかげで、どうにか彼女と相対することができていただけだ。
里に帰ってみればすぐに意識を失い、以降一人の時は弱小妖怪にさえもビビる有様を晒している。萌音には更に近づけなくなり、陰ながら彼女を泣かせる羽目になった。
だがこれは琥二郎が強くなれるチャンスでもある。
普段妖力を隠し通している萌音にすら反応するようになった体。その精度は凄まじく、今回幽香が放った妖力弾の全てを肌や空気で捉えられるようになった。
正常でない己を理解して武器にせよ。
それこそが市川の基本にして極意。心をある程度操れる自制心と地の感覚の良さが取り柄な琥二郎は、この市川の技法との相性がすこぶる良かった。
琥二郎は万能の天才ではない。だが一つの方法を極める資質は確かに持ち合わせていた。それが龍一が『自分よりも強くなるかもしれない』と紫や天魔に零した理由。
「俺は強くならなくちゃならない。そうしなきゃまた失うだけになっちまう。……そのためにアンタの機嫌を損ねちまうのは申し訳ないが」
「へぇ、一応罪悪感があるのね」
「怒ってるのは分かるけど畏れを出すのやめてくれない? これでも結構ガチガチなんだけど……」
今琥二郎が幽香に臆していないのは、強くなりたいという意志が勇気の代わりになってくれているからだ。幻想郷に彼女以上の大妖怪はそうそういないことを彼は知っている。
そんな彼女と(ボロボロにボコされるとはいえ)殺される心配なく戦える環境を最大限活かしたい。そんな願いが彼を奮い立たせてくれていた。
しかしそれも平時の彼女ならの話。本気で呪い殺しにきたらまず間違いなく意識が飛んでしまう。
「そう思うなら何か埋め合わせをしなさいよ。例えばなんでも言うことをひとつ聞くとか」
「嫌だ。あんたと、というか妖怪とそんな約束を結べないよ、自警団代表として」
「あらそう。せっかく貴方の鍛錬とやらに付き合ってやってもいいと思っていたのに、残念ね」
「……本気かよ。あのわがままで横暴な風見幽香が」
「気紛れよ。その方が楽しめそうだと思っただけのこと」
この気持ちに嘘はない。烏天狗に踏み台になってもらい、さらなる成長を促したいと思ったのは本心だ。
そのためには琥二郎に生き残ってもらわなければならないのに、今の彼を見ているととても勝てそうにない。
だから協力する。それだけの事。
全ては風見幽香が逃してしまった心躍る戦いを再現するため。
「……分かった。風見幽香、一つ約束をしよう」
「聞こうじゃない。貴方が差し出す対価は何?」
「俺自身だ」
瞬間、幽香はその目を見て体が震えたように感じた。これは彼の目に映る熱意にあてられたから? それとも自身の嗜虐心を揺さぶったから? それとも、龍一からは終ぞ告げられなかったものを彼が言い出したから?
「俺は俺があんたに勝てると思えたその時、あんたに決闘を挑もう。そして全身全霊をもってあんたを倒す」
「いいじゃない。忘れるんじゃないわよ?」
この日、風見幽香と琥二郎は正式な契りを交わす。それは師弟というにはあまりにもおざなりで、しかし訓練相手というにはあまりにも苛烈な関係性。
お互いがお互いを倒すために。兄を介さない繋がりがここに成立した。
ということでようやく第一目標が出てきました。
射命丸さんとの決闘までの間にいくつかほのぼのとした東方Projectらしいエピソードが書けたらいいなー。
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簡単人物紹介
市川龍一
主人公、市川琥二郎のお兄さん。作中では既に故人。
自身の能力を『霊力を操る程度の能力』と自己申告している。それ程までに膨大な量を保有しており、他の才覚もずば抜けている百年に一人の逸材。二刀使い。
欠点として挙げられるのが妖怪に対する憎しみくらいで、それ以外の性能は琥二郎より基本的に上。
琥二郎は確かに彼よりも自制心が強く、感覚も鋭いが、前者に関しては一途な憎しみが彼の強さに繋がっているし、後者に関しては霊力による強化で補うことができたので、琥二郎に劣っているとは言い切れない。
しかし、それでも市川の術の適性は琥二郎の方が高く、父には市川の術ではなく霊力を用いた技を覚えるべきだろうと助言された。
紫や博麗の巫女とはその繋がりで知り合った。空を飛べたり遠隔会話ができたりするのは彼が彼女らに教えを乞うたからである。
本当は政治に手を出すつもりはなかった。天魔の話に乗るために団長として里の統治に加わることを決める。
経済協力に関しては妖怪と共生できる正確である弟に全部押し付ければいいかと思っていたらしい。