夏休み本格スタートですよ。
日本が世界に誇るウマ娘育成所、トレセン学園。
生徒数だけでも2000人を超える巨大な学園だが、その人数に見合った喧噪も今は無い。
それもその筈、時は夏休みの真っ最中。
だがこの学園のウマ娘たちは皆がアスリートにして速さを求める狂信者。
『休み』と名打っているが純粋に休暇を楽しんでいる者はこの学園の生徒ではありえない。
多くの者はチームの仲間との合宿へ、ある者は実家に戻り精神を休ませ次の走りへの活力とし、またある者は国外レースへの挑戦を求めて旅立つ。
若きアスリートとそのトレーナーたちは学園という場所を飛びだし、多くの事を学んで戻ってくるだろう。
その一方、何らかの理由で学園に残るウマ娘たちも、極々少数ではあるが居る。
不機嫌顔で廊下を歩く、やや癖のついた栗毛のウマ娘――アグネスタキオンもその『少数側』のウマ娘だ。
「…………」
日に焼け、僅かに浅黒くなった顔で掲示板に張られたポスターを見る。
そこには新たなトレーニングの一環として学園が企画した、無人島でのトレーニングが掲げられている。
『無人島』の言葉にイヤな記憶が蘇る。
「ふん、無人島なんて私は二度とゴメンだねぇ」
ぷいッと顔を背け、不機嫌そうに廊下を走り出す。
時は夏休み、殆ど生徒が居ない教室でタキオンを咎める者など誰も居ない。
遡ること3日前、タキオンとトレーナーは悲惨な事故に巻き込まれ、船から落下。
流れ着いた無人島での強制サバイバルに巻き込まれた。
なんとか生きて帰ってこれたのだが、死亡したと思われ学園では葬式が行われ、新聞では一面を飾り、TVでは自身の死亡を嘆く無数のコメンテーター達。
盗まれた荷物が漂流し、全く関係の無い遭難者の遺体と同時に見つかったのが良くなかった。
葬儀当日に帰って来たため、学園に集まった報道関係者、生徒全員の前で生存報告をする事となった。
丁度取材に来ていたTVカメラの前で、記者会見ならぬ生存報告までですることになった。
当然、TVの取材や学園を通しての説明の対応をせざるを得なかった。
「あー、いろいろな手続きがめんどくさいよぉ……
学園に帰ったら、エアコンの効いた部屋で気の済むまで、休む積りだったと言うのに……
これならいっそ、死んだままにしておいた方がよかったかもねぇ」
不謹慎な事を言うが仕方ない。
本来なら必要のない手続き的なサインを幾つも書かされタキオンはすっかり疲れ切っていた。
すべきことを全て終え、ようやくタキオンは一息つく事が出来る様になった。
「おー、おー、おー、この暑いのによくやるねぇ」
窓の外では数名のウマ娘たちがグラウンドを駆けている。
数少ない帰省しない組か、何らかのトラブルで足止めを食らったのか定かではない。
「まぁ、どーせお盆には大体、皆、帰省するだろうね……
さて――
タキオンが両手を組んで、頭を傾ける。
煩雑な手続きを終えた今、新しい悩みのタネは夏休み期間の暮らしについて――
らしいと言えばそれまでだが、タキオンは実家に帰る積りは無い。
「このタイミングでは寮も食事が出ないし、購買も閉まっている。
暑い中、外に出て買い物に行くなんて論外……」
タキオンの脳裏に、いつもの無表情で無感情な自身のトレーナーの姿が思い浮かぶ。
「彼もいろいろ、手続きが有るハズだからトレーナー室には居るだろうね。」
ポケットから古びたカギを取り出し、指先でクルクル回す。
タキオンは笑みを浮かべ無言で古ぼけたトレーナー室へと向かっていく。
困ったら彼に頼っておこう。タキオンの中ではそれは決定事項である。
古ぼけたTVに向かい、リモコンを操作する。
『自身の葬式当日に学園に帰って来たアグネスタキオンというウマ娘とはどの様な――』
『トゥインクルシリーズで無敗の4冠ウマ娘として名を馳せて――』
『見つかった遺体は改めて検査した結果、彼女の物でなく――』
『あの近海では稀に海賊行為が見られ――』
『彼女が漂着したと思われる島には――』
プツンと小さく音がして、TVを消す。
その黒い画面に男の顔が写り込む。
この部屋の主である、タキオンのトレーナーだ。
「どのニュースもタキオンの事ばかりだ」
「それはもう当然ですよ!
タキオンさんは本当にすごいんですよ!?
まさに、この世の宝物にして、生きているだけで価値が有る奇跡その物!!」
抑揚の無い、感情の読みとれない声に被せられるのは、甲高い女児の声。
2人の対照的なテンションの落差が、アンバランスだった。
「…………けど」
小さな影が不満そうに唇を尖らす。
「タキオンさんだけではなく、そのトレーナーさんにも注目して欲しいです……」
彼女が俯いたまま思い出した様に肩を震わせる。
「うぇ……ぐずっ……えう……」
涙と鼻水とで顔面をぐしゃぐしゃにしながら、ピンク髪のウマ娘アグネスデジタルがしゃくりあげる。
目の前で机を挟み、タキオンのトレーナーが何時もの無表情で椅子に座っていた。
「デジたん。そろそろ泣き止め。
やることがあるのだろう」
「でも、だってぇ……」
ぐずぐずと鼻を啜るばかりで、目の前の道具達は暇を持て余している。
「仕方ない」
トレーナーが立ち上がり、デジタルの頭を撫で始めた。
「うぐぅ……本当に心配で、タキオンさんもだったけど、トレーナーさんも死んじゃったと思って……
けど誰もニュースで取り上げて無くてぇ……
トレーナーさんが最初から居なかった気して……
デジたん、怖くて、悲しくて、もう会えないって思って……」
グズグズと泣きながらトレーナーの胸の顔をこすり付ける。
「デジたん、俺は此処に居る。
すこし、休む。
気分が変われば、作業も再会出来るだろう」
「はい……」
アグネスデジタルの頭から手を放し、トレーナー室のキッチンへ向かう。
棚からマグカップ2つとココアパウダー。
冷蔵庫から牛乳を取り出す。
手早くお湯を沸かし、ココアパウダーを入れたマグの中へ。
スプーンでかき回したっぷりの牛乳を注ぐ。
仕上げに氷と、ほんの少し岩塩を隠し味に入れたら――
「完成だ」
ココアをデジタルに差し出す。
「ありがとうございます……」
デジタルがココアに口をつける。
「ううっ、おいしです……何時もの味ですね……
もう飲めないと思った味……ずっと飲みたかった味……」
再度うっすらと目に涙を浮かべる。
「…………」
無言でトレーナーがハンカチを差し出す。
「社会人のマナーですよね」
受け取り涙を拭う間、トレーナーはデジタルの頭を撫で続けていた。
「今日のデジたんは泣き虫だな」
「トレーナーさんのせいですよぉ」
甘えるようにデジタルが唇を尖らす。
「作業を再開する」
先に席につき、筆を握りイラストのしてい部分を黒く塗りつぶす。
「マーケットまで2週間を切ってます!
今までサボった分まで、シャカリキでやりますよ!!」
ココアを一気飲みし、眼をこすり腕をまくるポーズを取って、原稿に絵を描き始める。
キィ――
ドアの隙間から、中を覗いていたタキオンがドアを閉める。
目的通りトレーナーは中に居たが、デジタルと作業中だった。
タキオンがため息をついてその場を後にする。
「あの様子のデジタル君を見るに邪魔する訳にはいかないねぇ……」
誰も居ない廊下をタキオンが歩く。
苛立たしげに頭をひかっく。
「あ゛あ゛!!もう!!私らしくない!!」
自身が好意を持っていると言うのに、全く気が付かず他のウマ娘の面倒を見るトレーナーが気に食わない。
何時も良くしてくれているデジタルにすら苛立ちを持つ自身が気に食わない。
全く以て、自分らしくないのが自覚出来てしまうのが、気に入れない。
「驚いたねぇ……私も思春期の少女らしい、非合理的な感情を持つんだね」
これは興味深いとタキオンが研究室で腕を組む。
新作のクスリが十数個、外でトレーニングをしていたウマ娘たちに練習を吹っかけて、手に入れたデータが数本。
思いっきり研究し、忘れるかの様に走り、自らのモヤモヤを吹き飛ばそうとした。
「だが――ぅマズ……」
ジョッキに入れた、ミキサー栄養補給食を飲み込み顔を歪める。
打ち込んでいる間は忘れていられるが、いざ手を止めるとモヤモヤが戻って来てしまう。
「此処に居たか。タキオン」
「トレーナー君?」
背後を振り返りと、トレーナーが入口に立っていた。
「デジタル君は?」
「デジたんなら作業を終えて、印刷所に向かった。
それよりもこれから時間は有るか?
何故かは分からないが、理事長から特別手当が出てな。
トレーナー室のエアコンを新調したい。
選ぶのを手伝ってくれ」
機械には俺より、詳しいだろう?
と尋ねてくる。
「君はしょうがない奴だな。
私をほっぽって置いたと思ったら、この灼熱の外で連れ出そうとするなんて!」
ワザと不機嫌そうに頬を膨らませる。
「研究の最中だったか、なら一人で行く」
トレーナーが部屋を出て行こうとする。
「あー!もう!!君は!!バカバカバカ!!
これは研究ではあるけど、寧ろストレスの昇華をした結果であって――」
タキオンが両手で拳を握り、ぽかぽかとトレーナーの胸を殴る。
「タキオンの話は難しくて、よくわからない」
無表情のままで首を傾げる。
「胸が痛む」
「フッ!無感情な君もようやく私の気持ちの一部が分かった様だね?」
トレーナーの言葉に若干留飲が下がったタキオンが腕を止める。
「いや、残念だがタキオンの気持ちは俺には理解出来ない。
詳しく説明をしてくれるのなら、理解の為に努力はする」
「はー!君はホンっとうに……」
ぐぎっ
トレーナーの胸に拳を当てた時、聞きなれない音が聞こえた。
「思ったより、痛い」
「念のため、病院に……私も一緒に行くよ」
まさか?不安に成りながらタキオンが言葉を絞り出す。
「ああー……これはー……ああ……骨折……の一歩手前……ですな……」
頭頂部がグルグル眼鏡のハゲ始めた年老いた医者が診断を下す。
僅かに残った白髪が体の震えにつられて揺れている。
「念の為……心音も……聞いておきましょ……」
プルプル震える手で聴診器をトレーナーの胸の当てる。
「痛い」
「あー、折れてるからね。
それより静かに、心音が聞こえないだろ?」
トレーナーの言葉をタキオンが諫める。
「む、むむぅ……?」
医者が不思議そうな顔をして、聴診器を動かし心音を聴こうとしている。
「そんな……バカな……心音が全く、聞こえん!!」
「先生。耳に入っていない」
トレーナーが指摘する通り、聴診器の耳に入れる部分は首に掛かったまま。
これでは心音など聞けるハズがないのだ。
「おっと……すまん……すまん」
「この先生、本当に大丈夫なのかい?」
プルプル震える年老いた姿を見て、タキオンが呟く。
「無論だ。事、骨折に限ってはこの医者より優れた者など、居ない」
「よっぽど、自信があるんだねぇ?」
「ああ」
タキオンの言葉を肯定する様に、トレーナーが応える。
「ええと、耳が遠くてよく……聞こえん……」
「やっぱり、ダメなんじゃないか!?」
「そうかも、しれない。
昔は優秀だったのだが」
珍しく自信なさげにトレーナーが答えた。
「とりあえず、激しい運動をしないようにな!
痛み止めを出しておくぞ!」
誤魔化すように医者が話し、カルテを書き込む。
夕焼けに照らされ、2人の影が歩いてゆく。
手には渡されたクスリ。
「肋骨にヒビが入ってたなんてねぇ」
「道理で痛いと思った」
軽いノリで話すタキオンに、まるで他人事の様にトレーナーが応える。
その歩みはしっかりしており、到底怪我人だとは思えなかった。
「疲労骨折――ああ、折れてはいないんだっけ?にしては、肋骨は珍しいね。
一体、何処で怪我をしたんだか?
何処か心当たりは無いかい?」
タキオンがトレーナーの前に駆けだし、振り返る。
夕焼けに照らされ、眼を細める。
「心当たりは、ある」
「ほう!それは一体何時だい?」
興味本位でタキオンが再度、尋ねる。
「船で胸を撃たれた時だ。
幸い携帯に当たったが衝撃は殺しきれなかった様だ」
「ま、まてまてまて!それ、10日も前の話だろ?」
あの後、トレーナーは島で生活をし、学園に戻って来て業務や報告をしていた。
さっきもアグネスデジタルと一緒に作業をしていた。
「我慢出来る程度の痛みだった」
「そんな訳――」
そこまで、声を出してタキオンはハッとする。
(もしも、彼が痛みを訴えたら私はどうしていた?
流れ着いた無人島。人も道具も足りない絶望的な状況。
そんな中で唯一頼れる相手が負傷していたと分かったら、私は酷く混乱していただろう。
遭難した状況でパニックを起こす事は死に直結する。
きっと彼は、そんな不安を自分を感じさせない為に――)
胸の痛みを隠して、自身の事を優先したトレーナー。
「君は、優しいんだな……」
「?」
訳が分からないと言わんばかりに、首をかしげるトレーナー。
「ここに戻ってこれて良かったよ。君のお陰だよ」
改めて自身がここに居る事が奇跡なのだとタキオンが思い返す。
「行先の予定は変更する事になったが、休暇は十分楽しんだ。
危うく時間を忘れデジたんの作業を手伝う約束を破ってしまう所だった」
危なかった。とトレーナーが呟く。
「休暇?アレが?」
タキオンの頬が引きつる。
「久しぶりのキャンプだ。楽しかった。
タキオンもあの環境で図らずとも鍛えられたようだ。
嬉しい誤算だ。
胸の痛みすらすっかり忘れていた」
「ま、待て待て待て!君はあの状況を楽しんでいたのかい!?
純粋に!?何の心配もなく!?能天気に!?」
「楽しかっただろ?」
再度、不思議そうにトレーナーが首をかしげる。
「つまり、私が不安を抱えない様に、明るく振舞った訳でもなく……
何も考えずに、遊んでいただけだったのかい!?」
「デジたんとの約束の事は考えていた」
「わ、私の純情を弄んだ末に、またデジタル君かい!!
この鈍感お気楽バ鹿モルモット!!」
タキオンがぷりぷりしながら、大股で歩き出す。
「タキオンは楽しく無かったか?」
心配そうな顔をトレーナーが初めて見せる。
無人島に流れていても平気な顔をしていたトレーナーがだ。
「ッ~~~!……ちょっぴり、楽しかったよ……
その……君のお陰で……だ」
夕焼けの中に顔の赤さを隠しながら、タキオンが再度走り出す。
「置いていくな、これでも病人だ」
タキオンの後を小走りでトレーナーが追う。
「トレーナー君!風の噂で聞いたんだが、君のココアは美味しいらしいじゃないか。
私にも作ってれておくれよ」
クルリと振り返りタキオンが笑いかける。
「いいぞ、お前の分は特別に甘くしてやろう。
それと明日こそ、エアコンを買いに行く」
それに無表情でトレーナーが応える。
2人の夏休みはまだ、始まったばかりだ。
因みに、作中に出てこないカフェは海外レース直前で、タキオンの誤報を聴いてテンション、ダダ下がりで敗北しました。