なんで、夏の話まだやってるんだろ?
夏休みが終わり、ウマ娘たちが学園に帰って来る。
ほとんどの者は長期休暇を利用し、ますます自らの実力に磨きをかけた者たちばかりだ。
皆キリリとした表情をしている気がする。
休み明けの全校集会で、理事長がそんな事を言っていた。
「タキオン、そろそろ休憩の時間だ」
理科準備室でトレーナーが自らの担当に呟く。
「おや、そうだね」
薬品を混ぜていたタキオンが視線をトレーナーに投げる。
彼の手には既にティーポットとカップが用意されていた。
「お茶菓子も用意してくれたまえ。
ブドウ糖を補給したいんだ」
コツコツと自分のこめかみを指で叩く。
「心得ている」
その言葉が示す様に、戸棚からチョコチップのクッキーを取り出す。
そして、音も無くタキオンの机の上にティーセットが置かれた。
手早くポットから紅茶をカップに注ぎ、角砂糖を2つ入れミルクポットから――
「おっと、今日はミルクは要らないよ。
代わりに砂糖をあと3つ追加しておくれよ」
「ダメだ。ミルクならいくらでも追加してやろう」
「ミルクは要らないよ」
声こそ荒げては居ないが、トレーナーとタキオンが静かに攻防を繰り広げる。
その様を同じ部屋にいたマンハッタンカフェが静かに眺める。
休み明けに何度も見た、何時もの光景だ。
「何時もの様にミルクティーにするだろう?」
「だーかーらー!ミルクは要らないんだよ!!」
「そうか……」
遂に声を荒げたタキオンに、トレーナーが目に見えてしょぼんと気を落とす。
何時のも様に、口を真一文字に結んだ無表情だが……
「必要があれば、言ってくれ」
その言葉と同時に、水中に垂らした墨が霧散する様にトレーナーの姿が消える。
残ったのはミルクなしの紅茶とチョコチップクッキーの乗ったトレイ。
「消えた!?」
その様にカフェが動揺を見せる。
「ああ、彼が最近出来る様になったらしいんだ。
本人曰く、息を止めて気合を入れると透明になれるらしい。
ああ、残念ながら10秒ほどしか持たないらしいんだが……」
「大分、人間離れしてきましたね」
その内、分身するのでは?と内心思った。
「光学迷彩……っぽいんだが、生身の人間が出来るとは思ってもみなかったよ。
まぁ、私自身も彼がどうやってアレを可能にしているかわからないんだが……」
クッキーを齧りながら、タキオンが若干困惑した顔をする。
「それにしても良く、生きていましたね」
「海賊の話しなら、もうしただろ?」
自ら発した言葉にタキオンの脳裏に、数週間前に起こった事件を思い出す。
鮮烈に『思い出したくない記憶』としてインプットされているが、まだ一月も経っていないというのが驚きだ。
だがカフェが指しているのはソッチではなかった。
「違います。夏季休暇の間の暮らしです」
「暮らし……?」
良く分からないと言いたげにタキオンが首を傾げる。
「実家に帰るタイプじゃないでしょうし、食堂も閉まっています。
食事はどうしたのかと……
一人にしたら生活が破綻しそうですし。
宅配で済まして、溜まったゴミはトレーナーさんに処分させた?」
自らの言葉の途中で思った答えをカフェが口にする。
「違う違う、違うよ。失礼なヤツだな!
夏季休暇期間はずっとトレーナー君と一緒に居たよ。
海外レースを見に行って遭難したり、帰りのヘリコプターで海外の夢国ランドで遊んだり……
私の実家から帰れと連絡が来てね。
生存報告も兼ねるから、無視する訳にもいかなくて彼を連れて実家に帰ったよ」
たんたんと説明をするタキオンだが、最後には僅かに自慢する様な口調になり始める。
その証拠にニヤリと口角が吊り上がっている。
「知らないとは思うが、彼は実はヴァイオリンが演奏出来るんだ。
家の付き合いで、有名なヴァイオリニストの演奏は聞いた事があるが、彼の演奏はそれらに匹敵するといっても過言ではないね」
さっきまでたんたんと説明するだけだったタキオンの声に、喜色が混じり始める。
「彼の故郷は山奥ののどかな村でねぇ。
何もないが、野菜はとても美味しいのさ。
あれほどの物を食べたことは無かったね」
野菜たちの味を思い出し、タキオンが頷いた。
「トレーナーさんに随分とアプローチしたんですね」
そう言い残しコーヒーを口に含んだ。
「あ、アプローチ!?わ、わわわわわわ、私が!?
すす、す、する訳、無いだろ?な、なんで私が!?」
先ほどまでの滑らかな言葉はどこへやら。
舌がマヒしてしまったかのように、言葉がつっかえひっかえ。
「違うのですか?タキオンさんはなんとなくですが、彼の事が好きだとばかり……」
「そ、そんな訳ないじゃないか?
彼はただのトレーナーで、実験用のモルモットに過ぎないよ。
大体、誰があんなバ鹿モルモットを恋人にするんだい?
歳が離れているし、感情表現が希薄だし、何よりデリカシーが無いよ。
恋愛感情というもの自体持っているかも疑問だね。
あっはっはははははははははっはっは!!!!!!」
紅茶を飲み干すと、タキオンがごまかす様に高笑いを上げた。
「あ、トレーナーさん。姿を消して此処に居たんですね」
カフェがタキオンの背後に視線を投げる。
「と、トレーナー君!?さっきのは言葉の
慌てて振り返ったタキオンが声を放つが誰も居ない。
立ち上がり、手を振って周囲を確かめるがやはり姿を消している訳でも無い。
「カ~フェ~?もしかしてだが、私を謀ったのかい?」
恨めしそうな眼をしてカフェを睨むタキオン。
「いえ、ここに居るというのは私の勘違いだった様ですね。
透明に成られると私にもわかりませんから」
「っ~~~~!わざとらしく……!」
タキオンが自身の額に手に平を当て、頭痛を表現する。
「ま、どーせ彼に言い寄る女なんて居ないだろうからね。
仕方なーく、私が彼の面倒を見てやってるに過ぎないのさ。
私が居ないと、彼は今後一人寂しい人生を送る事になるだろうからね。
仕方なーく、本当に仕方なーく彼の近くに居るだけさ」
さっきの言葉を打ち消す様に、タキオンが言い訳を並べる。
「実験に必要だから、結婚してくれと言えばしてくれるのでは?」
「…………………流石に、無理だろうね」
「結構、長い間考えましね」
その時、コンコンと部屋のドアが叩かれる。
「ちょっと、邪魔するぜ」
その時、扉が開いて一人のウマ娘が現れる。
気の強そうでぶっきらぼうな口調、しかしそれでいて何処か親しげな雰囲気があるウマ娘だった。
タキオンの頭の片隅に、彼女の事が記憶されている。
「やぁやぁ、ジャングルバゲット君じゃないか?
新学期早々で私の実験の手伝いをしに来てくれたのかな?」
ジャングルポケットの姿を見た瞬間、タキオンはさっきのナリを潜め何時もの様なニヤニヤした笑みを浮かべ直す。
「バゲッドじゃねぇ!ポッケだ、ジャングルポケット!!」
若干イラついた様子でジャングルポケットが答える。
その目に闘志が宿る。
「タキオン、去年と今年の春は散々お前らにやられたが次はちげーからな。
俺と相棒の2人で次こそお前に勝つからな!
お前のトレーナーにもそう伝えて置けよ!」
拳を握りタキオンに突きつける。
「うん、バックダンサーの練習も頑張ってくれたまえ
挑発する言葉に、ポケットが表情を歪める。
「まぁ良いや。今、用があるのはお前のトレーナーだ。
昨日貰ったアイスが美味くてよ。
また、貰えないかと思ったんだが……」
教室内を見まわし、トレーナーが居ないのに気が付きため息を吐く。
「なぁ、ちょっくら呼び出してくんねーか?
俺の相棒にも分けてやりたくてよ。このとーり!」
両手を合わせて頭を下げる。
「アイス……まさか、アレを使って?」
タキオンがトレイの上のミルクポットを見る。
あの中にはトレーナーの故郷の怪乳牛『ハナコ』のミルクが入っている。
トレーナーが嬉しそうにハナコから絞って、持って帰って来たのを知っている。
「ま、食べるのは私じゃないから、構わないよ。
少し待ちたまえよ。今、呼び出してあげるよ」
ポケットからスマフォに登録されているトレーナーの名をプッシュする。
しかし帰って来たのは冷淡な電子音。
『お掛けになった電話は現在、電源が切れているか電波の届かない場所に――』
「うーん、繋がらない……
学園に居るハズなんだが、おかしいねぇ」
「お前、ソレ、
深く考えない様子でポケットがつぶやく。
その瞬間、タキオンの手からスマフォが机の上に転がり落ちる。
「……………………はぁ?」
タキオンがジロリとポケットを睨む。
「残念ながら、彼は少し抜けている所があるからね!
充電を忘れて繋がらないだけさ。
よくある事に決まってるじゃないか!
まったく、彼はそそっかしいんだから!」
ごまかす様にタキオンが言葉をワッと発する。
「タキオンちゃん、今タキオンちゃんのトレーナーさん居る?
昨日貰った牛乳がすっごく美味しくて、また貰えないかなって来たんだけど――」
再度、扉が開かれポワポワしたウマ娘、ダンツフレームが姿を見せる。
「彼なら居ないよ!!ほら、帰った帰った!!」
シッシと手でダンツを追い払おうとする。
「あー、ダンツ、タイミングが悪かったな。
タキオンのヤツ、自分のトレーナーからブロックされてるみたいで、連絡が取れないんだとよ。
冷静さを欠いたタキオンの代わりに、ポケットがダンツに説明する。
「タキオンちゃん、トレーナーさんと喧嘩したなら早めに謝った方が良いよ?」
「ま、喧嘩したんなら早めに自分らでなんとかしろよ」
じゃーなー、と言葉を残しポケットはダンツを伴い姿を消した。
「あの、二人とトレーナー君に接点が有ったなんて、知らなかったよ……」
「タキオンさんの同期ですからね、必然的にレースで顔を合わせるのが多いので。
せめて心づけはしておこうという訳ですよ。
タキオンさんのトレーナーさんはマメな人なので」
一連の流れを見ていたカフェが口を開く。
「………まさか、今回の様な事は初めてではない訳かい?」
「遠方のレースに出るたびに、お土産を配ってましたよ。
まさか、知らなかったんですか?」
「そういえば、偶に何か売店で買ってるのを見たような……?」
タキオンの脳裏に旅先からの列車で紙袋を下げている彼の姿を思い浮かべる。
「知らなかったんですね……」
「あ、あのモルモットは!!デジタル君以外にも、浮気相手が居たのか!!
とんでもない浮気者じゃないか!!
彼には、自分がモルモットである自覚が足りないよ、自覚が!!」
怒りを孕んだ目をしてタキオンが立ち上がる。
「あの、浮気者をとっちめて来る!!」
紅茶を飲み干すとドスドスと足を踏みしめ、部屋を後にした。
その僅か5分後――
「タキオン」
再度教室のドアが開き、件のトレーナーが姿を見せる。
「タキオンさんなら、いませんよ?」
「その様だな」
理科準備室をキョロキョロと見まわし、トレーナーがつぶやいた。
部屋に入り、タキオンのいつも座る椅子の傍の椅子に腰を下ろした。
何時もの彼の定位置だ。
「…………」
カフェがコーヒーに口を付けて、横目でトレーナーを見る。
何時もの無表情で、じっとしている。
何かをするでもなく、身体を動かすこともなく、ただひたすら真っすぐにタキオンが入って来るであろう扉を見つめている。
その様は機械の様、あるいは意思を感じさせない幽霊の様でもあった。
「タキオンさんに何か、用でも?」
沈黙に堪えかねカフェが尋ねる。
「実は先日、電話を壊してしまった。
頻繁に連絡を取る必要が出る前にショップに行ったが、種類が多すぎて良くわからない。
タキオンについてきて貰う気だったのだが、すっかりその事を話すのを忘れていた」
ポケットから縦長の、鉄とガラスとプラスチックの塊になった物体を取り出して見せる。
「電源は入らない、ですよね」
「ああ」
カフェはいくらタキオンが連絡しても繋がらない理由がやっと分かった。
「タキオンと連絡が取れないのは、困る」
トレーナーの表情が珍しく曇った。
「それよりも、今日も暑いな。
熱中症に気を付けなくてはいけない」
再び何時もの、真一文字の真顔に戻り歩き出した。
「マンハッタンカフェ、お前も気を付けろ」
そう話すとタキオンが使っている冷凍庫から何かを持ってくる。
「俺の故郷の牛の乳を使ったアイスクリームだ。
食べてくれ、味は保証しよう」
「…………ええ」
ティーカップの中に入れたアイスクリームをカフェは数秒見つめる。
ジャングルポケットやダンツフレームの言葉に、カフェは密かに興味を抱いていた。
その噂のアイスクリームが今、目の前にある。
意を決して、スプーンで掬い口に入れる。
「おいしい、じゃないですか」
「だろう?」
この時、カフェは初めてトレーナーが明るく笑うのを見た。
眼前でトレーナーも自分のアイスを口に運び、僅かに顔をほころばせる。
「残念だが、お代わりはもうない。
ハナコの牛乳は全て使いきってしまったんだ」
「タキオンさんは食べ損なった、と?」
「そうなる」
トレーナーの言葉に、カフェは少しだけタキオンを気の毒に思った。
アイスクリームの件もそうだが、すれ違い空回りするタキオンについても。
だが――
「おいしいですね」
考える事を放棄して、カフェは目の前のアイスに集中することにした。
そう、メンドクサイ2人の恋愛の話など、自分には関係など無い事だ。
後日、このアイスクリームの使われている乳牛の、話しを聞いたカフェがすさまじい顔をすることになるのは別の話。
トレーナー君の秘密
脳裏の記憶を目からプロジェクターの様に映し出せるが、瞬きをすると消えるので実用段階には至っていない。