すっかり、遅く成って……
「さてと、そろそろお休みにするとしますかね」
「そうですね~」
小さなテントの中、二人のウマ娘が会話をする。
薄暗い紫のテントの中には、テーブルの上に水晶玉が一つ。
そのテントの主であり様々な運勢を占う事を得意とするウマ娘、マチカネフクキタルが背伸びをし、その隣のアシスタントの自信の無さそうに耳の垂れたウマ娘、メイショウドトウがそれに賛同する。
その時――
「占ってもらいたい」
突如聞こえる声と、テントの隙間からするりと音もなく顔を覗かせた幽鬼の様な存在に二人が縮みあがった。
「ひっ!?」
「ひぁ!!」
(またか……)
トレーナーは内心、ため息を着いた。
事の発端は僅か、数秒前に戻る。
「……ほう」
タキオンとのトレーニングを終え、今日取り終えたデータの集計と彼女の弁当箱を洗おうと彼女のトレーナーが学園の一角を通りすがった時、気になるモノを見つけ足を止めた。
『表があっても占い』
そう表記されたテントはトレーナーの興味を引くには十分だった。
次の瞬間には、トレーナーはテントに手を掛けていた。
表情が殆ど変わらない為、タキオン以外の第三者には全く理解出来ないだろうが、彼(にとって)はワクワクに胸を躍らせていた。
無表情な彼だが、存外ミーハーな部分があるのだ。
「シラオキさま、シラオキさま!どうか私をお助けください!!どうか私をこの悪鬼からお守りください!!」
マチカネフクキタルが悲鳴を上げ、水晶を取りこぼしそうになる。
ガクガクと震え、彼女がすさまじい恐怖を感じているのが容易に分かる。
それはすぐ隣のドトウも同じだった。
「す、救いは無いのですか、救いは無いの――あ、お向かいのトレーナーさん」
同じく悲鳴を上げていたドトウが相手の姿を見て、落ち着きを取り戻す。
一瞬だが、垂れていた耳がピぃんと立ち上がった。
「大丈夫ですよ、この人は私のトレーナーさんの同期さんです。
見た目はちょっぴり怖いけど、優しい人なんですよ」
ちょんちょんと袖を引っ張ってドトウがフクキタルに説明をする。
「シラオキさま、シラオキさま――へ?
トレーナーさん?」
ガクガクと震えるフクキタルがドトウの言葉で、両手を合わせた拝みポーズのまま固まる。
「そうですよ、私の担当トレーナーさんのお向かいの部屋を使ってるトレーナーさんで、偶に挨拶したり、お菓子をくれたりするんですよ」
フクキタルを安心させるようにドトウが説明をする。
「そ、そうなんですか……ん、んん!良く来ましたね、迷える人よ……
この水晶の力でアナタの望むモノをピタリと当ててみましょう」
ワザとらしく咳払いをして、フクキタルが水晶を机の上に戻す。
「俺の運勢を占って貰いたい」
トレーナーは静かに備えつけの椅子に座って話した。
「あ、さっきのは無かった事にするんですね」
ドトウが小さくつぶやいた。
フクキタルが一瞬気まずそうな空気を出すが、ドトウは気づきはしなかった。
「ごほん!では早速」
「よろしく頼む」
トレーナーの言葉を聴いて、フクキタルが水晶玉を覗き込む。
それに釣られるように、トレーナーもフクキタルの水晶玉を覗き込んだ。
「むむむ……むむむ……見えてきました……見えてきましたよ……
こ、これは!!貴方には大いなる不幸の影が迫っています!!
これほどの不運は最早『呪い』や『祟り』と言っても良いほど……!」
「なに」
フクキタルの言葉に、トレーナーがさらに水晶玉を覗き込む。
「ああ、怖ろしい、怖ろしい……!
この影は女性、女性の影です!!
そして、これは……速さ?ウマ娘でしょうか?兎に角、足の速い女性の影が貴方を不幸へと引きずり込みます!!彼女は貴方の運気を乱し、不幸を招きます。
この出会いは悪しき出会い、今すぐこの女性とは距離を置くべきです!!」
真剣な顔をしたフクキタルがトレーナーに告げた。
「す、救いはないのですか!?」
一応は顔見知りだからか、いつもよりも強い語尾でドトウが尋ねる。
「お守りなどを渡すべきでしょうが、生憎と本日はもう無くて……
しかし、この女性の影から距離を置けば問題ありません。
最近知り合った速い女性……おそらくウマ娘ですか、そんな子に心当たりがあるのなら、今すぐ離れて下さい。
最悪、貴方の命に係わるかもしれません!」
強い口調でフクキタルが話すが――
「そうか」
その時すでにトレーナーは立ち上がり、背を向けテントを後にようとしていた。
「あ、ちょっと!?」
「占いをしてくれた事、感謝する」
それだけ告げるとトレーナーはそのまま去って行ってしまった。
ここまでの悪い結果だ、フクキタルはあのトレーナーがもっと落ち込むかと思っていた。
「あそこまで悪い結果が出るとは……」
テントの中で残されたフクキタルがため息を着く。
結構な間占いをやっているが、ここまではっきりと悪い結果が出たのは初めてだった。
「悪いウマ娘に、騙されてるんでしょうか?
優しい人だから不幸にはなって欲しくないです」
「そうですねぇ……詳しい原因さえわかれば対処は可能ですが……」
ドトウの言葉にフクキタルが腕を組んで頷く。
「
ドトウの耳も彼女の気持ちを代弁する様にしゅんと垂れている。
心配するドトウの隣、彼の担当バの名前を聞いたフクキタルが何か納得した様に、パチンと握りこぶしを平手の上で打った。
「それが原因――」
「え?」
思わず口を着いてしまいそうになるが、フクキタルはとりあえず黙っていく事にした。
横ではドトウが心配そうに、胸の前に手を当てていた。
「ま、まぁ、向こうもあんまり気にして無さそうだったので、こちらが気にしても仕方りませんよ」
慰めるようにフクキタルがドトウに話した。
フクキタルは珍しく自身の占いが外れる事を祈る事にした。
一方トレーナーは……
「あそこまで、言わなくても良いのではないだろうか?」
凄まじく凹んでいた!!
チャリっ!
トレセン学園の駐車場の地面に乾いた音が鳴る。
「む」
フクキタルに言われた事をにしていたせいか、トレーナーがポケットから車のキーを取り落とした様だった。
夕日を浴び、きらりと輝いている。
「気にしすぎ、だな」
トレーナーは自らに言い聞かせると、車に乗りこみ学園を後にした。
買ったばかりのお気に入りの車は、静かに学園の外へと走っていく。
翌朝――
「なにっ?」
目を覚ましたトレーナーが首の違和感に気が付く。
釣るような、引っ張るような痛みが首を圧迫している。
「寝違えたか?」
脳裏に昨日のフクキタルの占いがちらつくが、頭を振って否定する。
「この程度、偶然に過ぎない」
そう言って仕事の準備を始める。
だが――
「なにっ!」
気が付くと、何時もの上着のボタンが一つ行方不明になっており……
「なに?」
学園までの道のりで全ての信号に引っ掛かり……
「なん、だと」
突如振り出した豪雨と家のベランダに洗濯物を干しっぱなしにしてことを思い出し……
更には――
ぼごっ!!
「もー!どこ投げてるのよ!」
「ごめんごめん、ちょっとコントロールミス。
雨激しく成って来たし、さっさと見つけて寮、帰ろ」
二人のウマ娘がグローブ片手に、学園の雑木の間を探す。
早朝の運動がてら、二人でキャッチボールを行った居た様だ。
「おっかしいな、確かコッチに飛んでったハズ……」
「もー、何処まで飛ばして……」
「探し物は、コレか?」
二人のウマ娘の前、藪の中からボールを握った男が地面からこちらを睨んでいた。
その姿は泥に塗れ、普通の人間どころかこの世の存在にすら見えなかった。
「い、いやぁああああ!!!」
「きゃぁああああああ!!!」
二人のウマ娘がすぐさま、背を向け逃げ出す。
その拍子に、蹴り上げた泥が男――トレーナーの顔にクリーンヒットする。
「なぜ、なんだ……」
トレーナーはボールが当たってズキズキ痛む頭を押えながら、つぶやいた。
「タキオン、運の良くなるクスリを出してくれ」
「は?」
早朝から、実験室にボロボロで姿を現したトレーナーの言葉をタキオンが聞き返す。
泥で汚れたスーツを脱ぎ、何時もはトレーニング時に使うジャージを身に纏っている。
酷く疲れた顔で、弁当箱をタキオンに差し出す。
「運の良くなるクスリを出して――」
「いや、聞こえなかった訳じゃないんだ。
ただ、訳が分からないから聞き返しただけだよ」
尚も真剣な様子で、頼み込むトレーナーにタキオンが実験の手を止めた。
「一応話は聞こうじゃないか?
宝くじかギャンブルでもしようって言うなら、辞めておいた方が良いと思うんだけどね?」
「そんなのも、求めていない。
俺は――」
トレーナーがゆっくりと語りだした。
「なんというか、その……気の毒だったね」
タキオンが珍しくトレーナーを気遣う言動をみせる。
「助けてあげたいのは山々なんだが……
流石の私も『運を良くするクスリ』なんてものは、発明出来ていないよ。
それこそ、神頼みになるんじゃないかい?」
タキオンが気の毒そうに、話をする。
「そうか……」
タキオンの言葉にトレーナーが露骨に落ち込む。
「第一、運の良し悪しなんて分かりはしないモノさ。
案外、たった今から運気がキミに向いてくるかもしれないよ?
ま、物は考えようって奴だね」
そろそろ授業だと、つぶやきタキオンが立ち上がった。
「じゃ、また放課後よろしく頼むよ、トレーナー君」
「俺がその時間まで生きていたらな」
「君が冗談を言うなんて、珍しいね」
弁当箱を受け取ってタキオンは実験室を後にした。
放課後
「トレーナー君ー、そろそろ――おや?」
トレーナー寮の部屋を開けたタキオンが、一瞬固まる。
「タキオン……か?」
そろりと、何かに怯える様にトレーナーが仕事机の下から姿を見せる。
「キミねぇ、その現れ方は不気味だから、いい加減やめた方が良いんじゃないか?」
最近慣れてきたタキオンが指摘する。
「あ、ああ……そうだな……」
酷く怯えた様子のトレーナー。
その時――
『おい、止めろ!!それは僕のコレクション――』
『うっせー!!メジロ、メジロうるせーんだよ!!このメジロマニアがぁ!!
せっかくアタシが真面目に練習してんのに、他の奴で鼻の下伸ばしやがって!!
このドスケベトレーナー!!』
『な!?メジロ家の方々をそんな目で見た事は、一度もない!!
訂正するんだ!!僕の愛は純愛だ!!』
トレーナー室の横から、別のトレーナーとウマ娘の争う声が聞こえてくる。
「む?」
不穏な気配を感じたトレーナーが、声の方を向く。
『あ”やべ!!』
メギャッ!!
その声と同時に、トレーナー室の壁から手が生えてくる。
『おま、おまおま!!!何やってるんだぁ!!!』
壁の向うから、さっきよりお隣さんの声が大きく聞こえた。
『あ、わりぃわりぃ。お隣さんもメンゴな。
アタシのおきにのテニスボール嵌めとくから、許して』
そう言って、壁の穴がテニスボールで埋まる。
テニスボールに描かれたやたらリアルな、持ち主の顔がトレーナーを見つめる。
「タキオン……助けてくれ……」
進退窮まった様子で、トレーナーが頭を抱える。
タキオンも壁にハマったテニスボールをしばらく見て、ため息を着いた。
「珍しく覇気がない……あ、いや、覇気が無いのは何時もの事か。
さてと、すっかり忘れていたが、実は以前作った『運の良くなるクスリ』が残っていた様なのでね。
持ってきてあげたよ」
タキオンが、制服のポケットから一本の試験管を取り出す。
「本当か!?そんな貴重な物を?」
トレーナーがタキオンに縋りつく。
「はっはっは、そんなに慌てなくても君になら、いくらでも用意してあげるよ。
君は私の大切なトレーナー君だからね」
タキオンがクククと笑いながら、トレーナーを見やる。
渡された試験管を神よりの賜り物の如く、眺めて口に入れた。
「……これは、運が良くなりそうな味だ」
「どんな味だい、それ?」
一息で飲み干したトレーナーに対してタキオンが言い返す。
(ま、当然
効果は十分だろう)
なんども頷く彼の姿を見て、タキオンが小さく笑みを作る。
「よし、運試しだ。このカードを一枚引いてみてごらん?」
タキオンがトランプを裏返しで見せる。
「ジョーカーだ」
「見事最強のカードを引き抜いたじゃないか!
早速効果が出て来たようだね」
タキオンが残った4枚のジョーカーを見えない様にしまった。
「そうか、そうか!俺にも運が向いてきたか!」
万遍の笑みを浮かべるトレーナー。
「タキオン、礼を言う。
買い物に行く予定があったが、オマエの蹄鉄もガタが来る頃だろう。
一緒に買いに行かないか?むろん、送り迎えは俺がする」
すっかり気分の良くなったトレーナーが本棚をずらし、壁の穴を隠しながら言う。
「おやおや?本当かい?気分の良い時に、物を言うと後で後悔するよ?」
思った以上の効果にタキオンもにんまりとする。
思わぬ臨時収入に、内心ホクホクでもあった。
「よし、町に繰り出すぞ」
トレーナーがポケットから取り出した鍵を見せる。
風を切って、一台の車が走っていく。
降りしきる雨を弾き、空いている道をドンドン進んでいく。
眼下には、振り続いて増水した川が濁った色で流れていく。
「にしても、なかなかいい車じゃないか?
トレーナーがそんなに儲かるとは知らなかったよ。
それとも、実家のツテかい?」
タキオンが助手席で、車のドアを撫でる。
車については詳しくはないタキオンだが、そんな彼女でも分かるほどの有名な高級車にトレーナーは乗っていた。
「俺の実家は関係ない。これは自分で買った物だ。
残念ながら新品ではなく、中古車だったがな」
そう言いながら、ギアを上げるトレーナー。
「ふぅん、中古でも高かったんじゃないか?」
「いいや?10万程度だ」
「は?」
トレーナーの言葉にタキオンが固まる。
実際の値段など知りはしないが、この車は十分高級車に数えられるハズの代物だ。
100万を超える事など珍しくない、だがこの
「安すぎないかい?訳ありにしても、考えられないよ」
「訳あり、という奴だ。
この車は所謂、『事故車』をバイヤーが買い取り、修理して売っている物だ。
それに、俺で持ち主も10人目だ。
この値段もおかしくはないだろ?」
「……トレーナー君……ちょっと、聞きたいんだが……君で持ち主10人目ってことは、君の前の持ち主は……9人が皆、手放したという事かい?
この、出て2~3年しかたってないハズの車を……そんな
タキオンの背に冷たい物が流れる。
オカルトなど信じない、信じてはいないタキオンだがその数値はあまりにおかしいと分かる。
「そうだが?」
赤信号を目にしたトレーナーが、橋の前で車を止める。
「いやいやいやいや!!確率的に見てもその速さは異常じゃないか?
なにか、問題が――」
ルームミラーに、一瞬だけ黒い髪をした女が恨めしそうな顔でこちらを見ていた。
「なに!?」
振り返るとそこには誰も居ない。
居ないが、座席に誰かが座っていたかのような皺があり、シートには無数の長い髪が絡みついていた。
「トレーナー君、後ろに――」
「タキオン!!伏せろ!!」
突如トレーナーがタキオンの頭に向かって手を伸ばす!
腕の先、タキオンはこちらに向かって突っ込んでくる大型トラックに目を見開いた。
ガシャン!!
さっき、トレーナー寮で聞いたのよりも数段大きな音がして、タキオンを浮遊感が襲う。
天地がひっくり返り、フェンスがひしゃげる音と自身が落ちていく感覚が襲う。
(おちた!?追突されたのか?この下は、雨で増水した川だぞ!?)
ぐるぐりと思考が回るがその思考は、車の中に押し入って来た大量の水によって文字通り押し流されてしまった。
「ごぉぶ!?」
水を飲んだ。逃げようとするが、シートベルトが体をシートに拘束している。
トレーナーは?さっきの髪の長い女は何だ?
乱雑に点滅する思考、衝撃とパニックで、物事が浮かんでは消え浮かんでは消えていく。
流れる水が女の黒髪に様に見えた。
そしてその水がタキオンを川の底へと引きずりこんでいく。
数瞬後、アグネスタキオンは泥水の中に、完全に沈んでいった。
(あ、これは死んだ、だろうね……)
水の中、タキオンが他人事の様にぼんやりと思う。
(こうしてみると、後悔がかなりあるね。
公式レースでの勝利は一度のみだし、もっと試したい試薬もあった、今となってはカフェのコーヒーを試しても良かったと思う、プランAとプランBどころかここで終わりとは……ああ、トレーナー君にもあのニセ薬の事を謝らないと……)
諦めの境地のタキオンを、誰かが掴む。
(あの、女かい?いや、これは――)
泥水の中で、その感覚は確かに間違いでは無かった。
「タキオン!!タキオーン!!」
初めて聞くほどの『彼』の大きな声。
野太い腕がタキオンの胴体に巻きつきく。
女の黒髪の様な水から、タキオンを引きずりだす。
「……やぁ、トレー……ナー……君……」
川辺りのアスファルトに、タキオンが寝かされる。
「タキオン済まない!!俺の不注意だった。
この通りだ!!」
トレーナーが横になるタキオンに土下座をする。
「おい……おい、あれ……は事……故だった……ろ?
君は……げっほげっほ!!」
タキオンが水を吐く。
「タキオン!?じ、人工呼吸が必要か!」
タキオンの顔にトレーナーが顔を寄せる。
「それは……意識が、無い時……だ!!
バ鹿モルモット……」
再度タキオンが、口から水を吐く。
「はぁー……大分楽になったよ……」
「すまない……」
「謝る事は無いよ、さっきも言ったようにアレは事故だ。
停車している君に突っ込んできたんだ10:0で向うだ。
君、体は何ともないのかい?」
「濡れた程度だ、服は破れたが。
体は鍛えている」
「羨ましい限りだ」
何処か釈然としない様子で、タキオン話す。
そして、何かをひらめく。
「帰るよ、トレーナー君」
タキオンが両手をトレーナーに向ける。
「そうだな」
「おい、何してるんだ。
水を飲んで弱ってる愛バを自分で歩かせる気かい?」
「ん?」
「おんぶ。送り迎えは君がする約束だろ?」
「了解した」
トレーナーがタキオンを背負った。
何時の間にか雨はあがり夕焼けの中、トレーナーの背中でタキオンが揺れる。
「なかなか、良い乗り心地だよ?さっきの車より、ずっと良い」
二人とも全身ずぶぬれ、泥まみれ、だがタキオンは上機嫌だ。
タキオンが小さく息を吸う。
「トレーナー君、実はさっきの薬、偽物なんだ。
済まない、私は君に嘘をついた」
一瞬の沈黙が二人の中に流れる。
「そうか、気にするな。俺も嘘をつく時もある」
「おんやぁ?君は助手の分際で、私に嘘をついた事が有るのかい?」
「ああ、有るさ。大人は嘘つきだ」
「あはっ!君の言葉で、一番らしく無いセリフを聴いたよ」
ケラケラとタキオンが笑う。
その時、トレーナーのズボンのポケットから何かが落ちる。
カシャん――!
「む、これは」
一度タキオンを下ろし、トレーナーが拾い上げるとそれは車のキーだった。
「あのドタバタで、コレが引き抜け知らない間に俺のズボンに入ったのか?」
トレーナーにしては珍しく、信じられないと云う様な驚いた顔をする。
「もしそれが本当なら天文学的な数値だよ。
最後に運が向いてきたんじゃないかい?」
からかう様にタキオンが笑う。
「肝心の車が川の底だ」
「くっくっく、思い出位には成るんじゃないか?」
自嘲気味に笑うトレーナーにつられる様にタキオンも笑い出す。
その時――
はははは
「!?」
ウマ娘の鋭い聴覚で、タキオンが誰かの笑い声を聞き取った。
そして一瞬だけ、僅か一瞬だけ水の中で見た女の顔がトレーナーの持つ車のキーの光沢に写りこんだ気がした。
「トレーナー君、そのキー必要かい?
もし要らないんなら、私が貰ってあげても良いんだが……
いや、正直に言おうか。
そのカギを私にくれないか?」
「さっきも言ったように、どうせ車は河の底だ。
欲しいならやる、好きに使え」
「ありがとう」
トレーナーの投げ渡したキーをタキオンが手の中で、再度眺める。
一瞬、再度一瞬キーの光沢に、人間の女性が写り込んだ。
そして――
メキッ!
「タキオン?」
タキオンの手の中、キーが真っ二つにへし折れていた。
いや、折れて
「好きに使って良いんだろ?」
「あ、ああ……」
タキオンの放つ迫力に、トレーナーが言いよどんだ。
その間に二つに折られたキーはタキオンの手を滑り落ち、コンクリートの上で跳ねる。
ガっ!ガガっ!!
「このッ!このぉ!何処のっ!誰かは!
知らないか!!金輪際!!私の!!トレーナー君に!!
近寄るんじゃない!!」
ガシガシと何度も、何度もへし折れた鍵をタキオンが踏みつける。
蹄鉄の入った靴と鉄の鍵が何度も、コンクリートの上に踏みつけられる。
ミシミシとコンクリにヒビがはいってく。
「廃棄処分だ」
今までに聞いた事の無い、冷たい声を出してタキオンが鍵を川の方へと蹴り込んだ。
「ふぅ!すっきりしたよ!」
タキオンがやり切った顔をする。
「そうか、良かったな」
タキオンとは対照的にトレーナーは苦々しい顔をした。
「さぁ、トレーナー君、私を乗せて帰るよ!
早くしないと、門限に間に合わないぞ!」
トレーナーの背中に飛び乗ったタキオンが急かす。
「ん?」
小さな違和感を感じたタキオンが、声を漏らす。
「どうした?」
「い、いや?なぜか、心臓がうるさい様な?
ん?なぜ?なぜだい?」
なぜか、高鳴る自らの鼓動の理由が分からずタキオンが小さく、首をかしげる。
「さぁ、走れ!バ鹿モル号!」
そんな疑問を振り払う様に、タキオンはトレーナーは発進させた。
「了解した」
作中で一話に付き、一回はバ鹿モル発言がノルマです。
トレーナー君の秘密④
見えるか、見えないかで言うと見えない事もない部類だが、本人は『気のせいか』で済ませてしまう為、実質見えない状態。