2021.11.ノベルバー企画「運命の人」   作:大野 紫咲

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Day11.からりと 「二人の魔法使い」

 さむい。つめたい。どこまでも、――沈んでいく。

 寂しい場所の中に、自分が誰かもわからないまま、ずっとひとりきりで。

 誰か、助けてほしい。

 ここから、連れ出してほしい。

 あったかいぬくもりが、恋しい。あの人に、会いたい。

 おねがい。ボクを抱き締めていて。もう、離さないで。さびしいよ。

 花弁みたいに、言葉の断片がちらちら脳裏を舞う。命がひとつ、またひとつ、散っていく。

 涙の雫が、溺れてくボクの頭上に舞い上がる。

 (かじか)んだ指先を動かした時、ぼんやりと水の中が明るくなった。

 

「ヨルハ」

(なに……?)

 

 頭の上の方から、真っ暗な世界に穴を開けるようにして、小さな光が差し込んだ。

 見上げたボクに向かって、呼び掛けてくる。

 

「こっちだよ」

 

 誰の、声だろう。誘うように穏やかで、あったかくてやさしい光。それを浴びたくて、ボクは縮こまっていた体を伸ばし、泳ぎ出した。

 

「こっち、こっち」

 

 力を振り絞って、纏わりついてくる水を蹴っ飛ばすと、今まで見えて来なかった水面が近付く。溢れるお日様みたいな優しい光が眩しくて、冷え切っていた足が、手が、じんわりと熱を取り戻す。

 そうだ。あの声に向かって、いけばいい。

 

「おいで。みんな、あなたを待ってるよ」

 

 光の筋が幾重も重なって差し込んでくる。重力に逆らうみたいにして、体が浮き上がり出す。

 誰かはわからない、けど、小さな子供みたいなその声は、柔らかく包み込むみたいなオレンジの光は、どこかで覚えがあって、懐かしい。

 導かれて手を伸ばした時に、不意に世界の水際からこちら側へと、ボクの意識は浮上した。

 

「げほっ、かは……っ」

「出た! おい、夜羽! しっかりしろ!」

 

 ついこの間も聞いたような声が、必死でボクの耳元で叫んでいるような気がした。

 髪も目もびしゃびしゃで、水が滴っていく視界がぼやぼやして何も見えない。やがてそこが晴れて、ちょっと目の焦点が合った時に、ボクの顔を覗き込んでいたのは、見覚えのある顔だった。

 

「アイ、リ……?」

「いいから、無理して喋るな。水全部吐け」

「あんた、泳げないんじゃ……?」

「ちょっと格好つかないけど、これがあるからね。ほら、それにあっちに」

 

 よく見ると、愛理の脇に浮き輪みたいなものが挟まっている。濁った池の中でもやたら白く輝いてるそれは、気配であの神様が化けてるんだろうと分かった。それに、ロープが続く向こう岸にいる……よく見えない誰かが、端を握ってる。

 どろりと目頭を滑ってくる、泥水みたいな藻をボクの顔から拭い去りながら、愛理が岸に向かってバタ足をしていたけど、魔法の効果が切れてからはすぐ足がついたみたいで、そのまんまボクを浮き輪ごと両腕で抱きかかえて、岸に運んでくれた。

 

「うわ、びしゃびしゃ……早く何か被せたいけど、濡れてないのは僕のトレンチコートぐらいだし」

「あの、これ」

 

 ガタガタ震える体を、誰かが渡してくれたタオルで、愛理が包んでくれたのが分かった。それ、ボクが荷物に入れて持って来たやつだ。凍り付いてしまいそうなほど風が冷たく感じる岸辺で、自分がずぶ濡れなのにも構わずに、すっぽりとボクの体にタオルを被せた愛理が、お礼を言っている。

 

「サンキュ。ったく、どうなる事かと思った! すぐ救急車を……」

 

 そう言ってスマホを持ち直す手を、ボクは掴んだ。かじかんで震える唇から、顔を近づけた愛理に言葉を押し出す。

 

「ま、って。呼ばなくて、いい。魔法のこと、説明、出来ないから」

「けど、こんな状態じゃ……せめて家に連絡、」

「いいからッ! ……ママ、海外出張で家にいないんだ。それに、どうせボクのは家族も保険証も、魔法で作った仮初のヤツなんだよ……」

 

 青褪めた手で、スマホを持つ手を押さえるボクを見て、愛理が刺されたように傷付いた顔になるのが見えた。

 そんな顔、しなくったっていいのに。ボクら天使は、一部の人にとっては存在しないも同じ。現に、透明魔法がまだ微かに残ってるとはいえ、これだけの大騒ぎをしてるっていうのに、周りで気が付いてる人は誰もいない。

 根負けしたように溜め息をついた愛理は、さっきとおんなじように、ボクをお姫様抱っこで抱え上げた。顔にばさっと乾いたタオルを被せられて、視界が暗くなる。

 

「な、にを」

「分かった。じゃあ、せめて僕のうちにおいで。家族や小学生設定が紛い物っていうんなら、別に連れ込んだって誘拐にはならないだろ」

「え……けど、あんたに、迷惑……」

「今更律儀なこと言って気にしてんじゃねぇよ。どのみちボクだってさっさと着替えたいし……っくし!」

 

 くしゃみをする愛理の傍で、さっきロープの端を握っていた誰かが、おろおろと砂利を踏んで右往左往する気配がした。なんだか……ボクと似てるって思ったけど、この子は天使じゃないのか?

 

「あ、あの、えーと、私……何か、手伝った方が、いいかな」

「ん? それじゃあ、荷物持ってもらっていいかな。悪いね、付き合わせちゃって。えっと……」

 

 その子の名前を尋ねながら、愛理が何か会話しているのが聞こえたけど、その前に、細い腕から濡れたシャツを通しても伝わる熱い体温に安心して、ボクは抱かれたまま眠ってしまった。

 ただひとつ。さっき水の中からボクを呼んだのは、多分その子の声だ。それだけは暗くなっていく意識の中でも、何となく根拠のない自信があった。

 

 次に、ぼーっとした頭のまま目を開けた時。

 ボクは、縁がないにも関わらずよく見知っている、あの場所にいた。シチューで喧嘩を仲裁しようと、外から見ていたあの愛理達のアパートの一室。けれど、今いるのはその内側だ。

 寒々とした岸辺にいたのが嘘みたいに、クリーム色の部屋の壁はあったかい光で満ちている。でも、カーテンが閉まっているから……今は夜か、夕方かな。

 背中に、クッションみたいな柔らかいものが当たっていた。上には、暑いくらいの毛布の山。寝かされているみたいだけど、ボクにはちょっと大きいな。もぞっ、と空豆色のビーズクッションらしき物に埋まった体で身じろぎすると、背後から声がした。

 

「ん、気が付いた?」

 

 愛理の声が回り込んできて、僕を覗く。体を起こそうとしたら、毛布の中に入っている湯たんぽやらクッションやらに手足が取られて、もうちょっとで布団ごと芋虫みたいに転がるところだった。どんだけ中に詰め込んでんだ、これ。

 そして、愛理が声を掛けるのとほぼ同時に弾丸みたいに駆け寄ってきた影が、ボクに鼻先を近づける。ぐるぐる喉を鳴らすベルに、ボクは巻かれた毛布から引っ張り出した手を伸ばした。短毛の頭が、これでもかというほどもしゃもしゃとボクの掌に擦り付けられる。

 

「ベル……ごめんな、心配掛けて。ありがとう」

「にゃーおう」

「いい子だね。その子、さっきまでずっと夜羽の傍をべったりして離れなかったんだよ。ちゅーるあげたら、漸く休憩して水飲みに行ってくれたけどさ」

 

 柔らかい笑みを浮かべた愛理が差し伸べた手に、ベルは擦り寄っていく。ボク以外には滅多に懐かない猫だから、すごい驚いた。看病してくれていたらしいベルを膝に載せて、クッションに寄り掛かったボクの肩へ、愛理が毛布を引っ張り上げる。

 

「安静にしてなきゃダメだよ。もうちょっとで低体温症起こし掛けてたんだから。あるだけの毛布家から搔き集めてきたんだけど、寒かったら言って」

「いや、これ以上毛布に埋められたらボク潰れるって……」

「それだけ口答えできるなら、大丈夫そうだな」

 

 少し笑って、愛理の指先がボクの髪をかき上げながら額を撫でる。

 でもほんとに、室内は暖房もかかってるし、十分すぎるほどのあったかさだ。

 あれだけ冷たかった服は、楽そうなだぼだぼのTシャツに変わっていた。もしかして、着替えさせてくれたのかな。もし愛理に裸を見られてたら恥ずかしいんだけど、あんまり覚えてない……。

 あの時はあんまり見えなかったけど、改めて室内を見回すと、居心地のよさそうな調度品と生活用品に満ちている。傘のついたスタンドライトの傍のラックに、どう見ても愛理の物じゃなさそうなピンクの外套が掛かっていて、ボクは不意に、ここが彼女だけの家じゃなかったことを思い出した。

 

「えっと……」

「大丈夫だよ。同居人なら、今は友達連れて遊びに出掛けてくれてるから。外に泊まるって言ってたし、泊まれるんだったら今日はここでゆっくりしてくといい」

 

 ボクの顔色を見て、察したように愛理が先回りしてくれたけど、それはそれで何か申し訳なくないだろうか。ボクのせいで追い出したみたいだ。

 

「……ゴメン。本当は、……愛理も、行ってるはずだったのに」

 

 ぎこちなく搾り出した言葉が沈んでいるように聞こえたのか、愛理は驚いたように目を丸くして、軽くボクの肩を叩く。

 

「気にするな。友達もちゃんと分かってくれてるし、また次の機会があるんだからさ。

夜羽だけならともかく、あの子も一緒だったし」

 

 そういえば、愛理の傍にいたもう一人は、一体誰だったんだろう。

 不意に廊下から物音がして、愛理がそっちを振り返る。

 

「色々看病を手伝ってくれて助かってるんだけど、夜羽のところに来るのが何か恥ずかしいみたいで……

おおい、こっちおいでよ」

 

 びくっ、と動いた小柄な影がテーブルの向こうに見える。そこから遠慮がちにぴょこ、と出した顔をみて、ボクは素直に仰天した。

 

「え……あ……?」

「その反応は、やっぱり知り合いっぽいね」

「ほ、ほら。私がいたら、ヨルハを驚かせちゃうから……」

 

 遠慮がちにTシャツの裾を引っ張る仕草と、まだら模様の茶色い髪は、前の世界でボクが知っているヒバリそのものだった。

 でも、なんでこの子がここに? あの世界であった額の紋以外は、ほぼ全部彼女のまんまだ。転生どころか、まるで本人がこっちに来ているみたいなんだけど。それは、この世界のルール的にはOKなの?

 

「ちょ……っとまって、これはどういう」

「えっと……雲雀と夜羽は、どういう関係なのかな」

 

 混乱しているボクを前に、愛理が状況を整理しようと問い直してくれたけど、それはまずい。もしヒバリが、元の世界のことを漏らしてしまったら――

 

「――あ、わ、私、未来人、だからっ!!!」

「「……へ?」」

 

 間抜けそのものの、愛理とボクの声が重なる。その前で、ヒバリはわたわたと両手を動かしてみせた。

 

「私、未来人なの。未来から来た、だから……その……」

「あ……ええと、あんまり未来から過去に情報をもたらしちゃいけないとか、そういう奴?」

「そっ、そうっ、それっ! だ、だからあの、秘密なの。私はヨルハのことを知ってるけど。多分、友達……? だけど。そうだよねっ」

 

 必死の目で訴えるヒバリを見て、ボクは何となく察する。

 多分この子も、元の世界のことを話しちゃいけないのは知ってる。魔法使いとは何か気配が違うし、そのへんの詳しい事情は後で神様に聞くほかないけど、多分、彼女はボクの知ってるヒバリだ。そういうことにしておいていいはずだ。

 

「あ、うん。えっと……改めてよろしく、でいいのかな。ボクは、藤夜羽」

「うん。私、ええと……ヨルハは知ってるから、いっか」

 

 ヒバリとしか呼んだことないからね。

 というわけで、未来人と魔法使いが同じ部屋にいる状況に苦笑しながらも、愛理は手元のスマートフォンを振ってみせた。

 

「……あーでも、しばらくいるんなら、一応僕から君達のご両親に連絡取った方がいいかな? 連れ込んどきながら言うのも何だけどさ」

「私は、この時代には家族はいないから。私を連れてきた人が、ここと向こうで時間の流れが違う、って言ってたから、多分大丈夫だと思う……」

「あ、まあ、そりゃ連絡の取りようもないか……」

「ボクもいいよ……外に大人の友達いること言ってないし、溺れたってバレたら面倒なことになるし……」

「でも、あんまり不精しない方がいいんじゃない? 夜羽が誰を探してるのかは知らないけど、僕に限らず、小学生が外で大人とかと会うってなったら、いずれは説明してかないと面倒なことになるだろ」

 

 苦い顔で自分のスマホを弄るボクに、愛理は首を傾げると続けてこう言った。

 

「別に、君さえよければ僕を使ってくれてもいいよ。君の探してる『サキちゃん』と会う時に、僕の友達ですって言い訳に使ってくれても」

「ぶっ!?!?!?」

 

 なんでサキの名前を知ってるんだと泡を食って噎せ返るボクに、愛理は持って来てくれたあったかい白湯のコップを渡してくれながら、しれっと説明した。

 

「さっきから、何回かうなされて名前呼んでたよ」

「マジで……?」

「まあ、小学生の君じゃ行動に色々制限があると思うし、人脈は持っといて損はないと思うけど?」

 

 結局、少し落ち着いてから海外に電話を掛けたボクから、スマホを代わった愛理が色々と説明してくれた。

 一応、「病院に運んだ後家に人がいないことを心配してボクを引き取った」という風に適当に話を濁してくれて、ママを安心させようと自分の名刺まで写真で撮ってメールで送ってくれた。おっちょこちょいだと思ってた愛理だけど、そういうところは意外としっかりしてるんだな。

 さっきまで別人かと思えるほどの裏声で話していた愛理が、感心するヒバリと呆れかえるボクの視線を受けながら、電話を切った手でスマホを振ってにひっと笑う。

 

「嘘も方便」

「あんた……。電話の時とそうじゃない時で人変わりすぎってよく言われない?」

「ホテルのフロントで、飽きるほど何百回も電話受けてりゃこうなるさ。

それにしても、やっぱり連絡しといてよかったじゃん。お母さん随分心配してたぞ」

「子供一人置いてしょっちゅう海外に行くようなママだから、心配されたのがむしろ驚きだよ」

「どんなに関心無いように見えても、子供のことを心配しない親なんていないよ。……幸せを願ってくれるかどうかはともかく、子供を愛して止まない親ならね」

 

 そう言って微笑んだ愛理の表情には、何か含みがありそうにも見えたけど、ボクは何も言わなかった。

 その時、ぴーぴーと音が鳴って、ヒバリがとたたたと廊下に去って行くのが見えた。

 

「なんだ……?」

「ああ、乾燥機が終わったみたい。うちの洗濯機、ドラム式で乾燥機能付きだから。君の服、一応洗っておいたんだ。タグ見たら洗濯しても大丈夫そうな素材だったし、これから夜だから、外に干しても乾かないしね。とりあえず僕の服貸したけど、後で着替えたらいいよ」

 

 その言葉通り、ヒバリが抱えた洗濯物を持って来る。水に濡れてぺたんとしていた毛皮のコートは、着ていたセーターやズボンと一緒に、今はからりと乾いていた。乾燥機から出したてのあったかい空気を含んで、ふわんと膨らんでいるように見える。

 

「ありがと、助かった」

 

 愛理の家のだろうか、ボクのうちとは違う洗剤の匂いが漂ってくる。思わず、ヒバリと一緒に手に持った洗濯物に埋めた顔からすうっと息を吸ったら、耐えきれないように愛理がぶはっと笑い声を上げた。

 

「……なんだよ」

「い、いや。随分可愛いことするなぁと思って」

「!!! っ、わ、笑うなっ!」

「う、うん……ふ、ふふ、無理」

 

 喋る声がもう完全に震えて笑っていて、ボクが抗議しても、愛理はそっぽを向いて顔を見られないようにしながらまだ肩を揺らしている。笑い過ぎだ。ばつの悪い思いをしているボクの前で、なぜかヒバリまで笑っている。

 

「さて、安心したところで、夕飯でも作ろうかな。それともお風呂が先の方がいい?」

 

 一応僕はさっき軽くシャワーしたけど、と愛理が言い終わらないうちに、ぐぎゅるるる、とボクとヒバリのお腹が揃って鳴った。

 

「あ……」

「……なるほど。ご飯が先みたいだね」

 

 赤くなったボクらに軽く微笑み掛けてから、愛理がエプロンを手に台所に立つ。お手伝いする、と慌てて追い掛けたヒバリの体に、愛理は丈を調整してフリルのエプロンの紐を結んであげていた。あっちの方が大きいから、多分あやめさんの奴なんだろう。

 コンロに置いてあった見覚えのある大鍋と、カウンターキッチンに並んだ野菜の数々を見て、ボクは今晩のメニューを察する。

 

「……大丈夫? 今日は魔法はもう使えないけど」

「大丈夫さ。とびっきりの魔法使いが二人、家にいるんだもの。それに、シチューはもうあの時に練習したからね」

 

 そう言って愛理はウインクしてみせるけど、材料を炒める手がなんとなく覚束なかったことを、ボクは忘れてない。

 まあでも、ヒバリがついてるんなら大丈夫かな。湯たんぽ代わりに入り込んで来たベルを抱きかかえながら、もう一度横になって休んでいる間、ボクはずっと、台所から漂って来るいい匂いと楽しそうな会話に包まれて、頬を緩ませていた。




余談:
夜「ところで、あの……神様は……?」(こそこそ)
雲「あ……私をこの世界に連れて来るのに、疲れちゃって……あと、ヨルハを助けようとして、がんばってたから。その、鈴の中で寝てるって……」
夜「なるほどね。道理で静かだと思った」


タイトルの「二人の魔法使い」は、状況だけ見れば夜羽と雲雀のことですが(雲雀は厳密に言うと「魔法使い」ではないのだけど)、夜羽から見たら、きっと愛理と雲雀のことを指しているのかもしれないですね。
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