「あ、あのっ! ま、待ってっ……!」
思わず声を掛けた時、ボクの記憶の中と寸分たがわぬ姿で、彼女は目を丸くしていた。
遠くから姿を目にした瞬間に、脚は勝手に走り出していた。傍を駆け抜ける愛猫のベルの影が、ボクの心を強くしてくれる。しなやかな体をしたヒョウ柄のベルと、突然現れたボクを前にして、もちろんサキはびっくりしていた。
そりゃそうだよね。多分、トイレに行くのに席を立っただけだし、その帰りに変な小学生に押し掛けられたら、困りもする。
「え、えと、その……」
バスの中で何回も脳内シミュレーションしたけど、やっぱり丁度いい言い訳は思いつかなかった。何を言っても怪しすぎるし、もう全てを正直に話して打ち明けるしかない。
そう思ったけど、ボクの気持ちとは裏腹に、会いたかったという言葉も、好きで好きでたまらない気持ちも、胸に詰まったみたいに全然喉から出て来てくれなくなってしまった。
でも、必死で見上げた先の瞳が、ボクの運命の人だと告げている。
あの時のボクとは目線も姿も違うけれど、全身で愛しいと感じるこの人の光を、ボクが見間違えるはずがない。
何て言ったらいい?
するとボクの予想に反して、サキは驚きはしたけれどそれ以上大袈裟なリアクションを取ることもなく――なんとボクより先に口を開いた。
「……君もしかして、ヨ」
「わあ~~~~っっっ!!!」
「んにゃにゃにゃにゃにゃ」
両足を持ち上げたベルと一緒に、間一髪その言葉の先を押し止める。
もし元の世界の名前をここで持ち出されでもしたら、ルール違反で一巻の終わりだ。大声にぱちくりと目をしばたかせる彼女に、ボクはがむしゃらに口を開いた。
「あの、ボクはヨルハ! ボクの名前は、藤夜羽。ずっと、ずっとあんたに逢いたくて、あんたのことを探してたんだ。こっちは、お供で使い魔のベル」
「にゃお」
他の人に見えないように、羽織ったマントの内側にベルを抱き上げながら、不安でいっぱいの気持ちで彼女を見上げると、サキは、ボクにとっては懐かしくてたまらない笑顔を、ボクに向かって浮かべたまま頷いた。まるでボクが来るのを最初から分かっていた、という風に。
そして、胸元をごそごそやっていたと思ったら――着物の内側から、革紐に提げられた、小さな光る銀色のものを取り出した。ボクが学校に行く時以外、肌身離さず小指に付けている指輪と、同じものを。
「それ……っ!」
「知ってたよ。だって、夢で会いに来てくれたでしょう? 私の誕生日に」
「……あ」
思わず目を見開くボクの前で、サキは指輪を振ってみせる。
そうだった。何ヶ月も前、サキの誕生日に、夢の中を辿ってサキに会いに行った事がある。夢だから、きっと覚えていないか、取り合ってもらえないと思ったのに。本当になるだなんて、考え付きもしないだろうって、思ったのに。
今はボクよりも背が高いサキが、身を屈めて弾んだ声でボクを覗き込んでくれた。
「もうすぐ会えるよって、言ってくれたでしょ。だから私も信じてた。
あなただよね。ちゃあんと覚えてる。小指は、約束の指だもん。ちゃんと、守ってくれたね。ほんとに会いに来てくれたんだ。嬉しい」
目を細めて優しい声で言われたら、もうどうしたらいいか分からないぐらい気持ちが爆発して、視界がぐちゃぐちゃになって、ボクは俯いた。
「っ、う、うう……!」
「あっ、えっ、だ、大丈夫!? ごめんね、泣かないで」
どうしよう、とおろおろして抱き締めてくれるあんたのせいで、余計に涙が溢れてしまう。
埋めた袂の匂いも、優しく頭を撫でてくれる手も、ずっと恋しかった。
どれ程長い間、その姿を一番近くで見つめていたいと思い続けていただろう。
ぐるぐる喉を鳴らすベルと一緒に、ボクは戻って来ないサキを迎えに来た旦那さんの目を気にする余裕すらないまま、温もりにしがみついていた。
「夜羽くん、何か飲む? あ、ココア好き?」
「……う、うん」
「じゃあ、ココアにしよっか。ちょっと待っててね、牛乳あっためるから」
お鍋は洗うのめんどいからレンジでいいよね、と台所でチンする後ろ姿を、ボクはまだ信じられないような気持ちで見つめていた。
ここは、サキの家。あの後、旦那さんが運転する車に乗せてもらって、ボクが最初に辿り着いたあのアパートへと、連れて来てもらった。
うわー散らかってる、とサキは慌てていたけど、生活の様子はしょっちゅうツイッターとかで見ていたから、あんまり凄いギャップもないっていうか、ほぼボクの想像通りの部屋だった。
どきどきしながら、リビングの炬燵に腰を下ろしたボクの前へ、サキが猫のついたマグカップを持って来てくれる。愛理に負けず劣らず猫好きらしいサキは、ベルを見ながらネコチャンネコチャンと大喜びしていた。
普通のアパートじゃ動物は飼えないだろうから、それも無理ないよね。使い魔を猫にしておいてよかった。
「……」
「……」
「……ふふ、なんか変な感じ」
ボクの前で、肘をつきながら自分のマグカップの縁をふうふうするサキと、目が合う。
どうも落ち着かない。来たはいいけど、守護天使との契約のこと、どうやってサキに話そう。
どこにやるともなく、隣の和室で寝息を立てる、鯨って呼ばれていた旦那さんの方に、ボクはちらりと視線を投げた。
「……えっと」
「ああ、あっちは気にしないで。外に出掛ける時以外は、ほとんどあの部屋で布団の住人になってるの。あんなに長い間布団に入ってて、よく夜眠れなくならないよね」
私は絶対無理、と言いながら、サキはノンカフェインの穀物コーヒーを啜っていた。今は、だぼっとした服装に着替えている。足元まである裏起毛のパーカーワンピースが、紅茶っぽい色をしていてあったかそうだ。和装も好きだけど、部屋着姿のサキもかわいい……じゃなくって。
さっきから赤くなっては俯いてばっかりのボクを、サキは飽きもせず楽しそうに眺めていた。
「えっと……それで、私は君と会って、何をすればいいんだろう。何かヤバい敵を倒さなきゃいけないとか、一日に何かアイテムを回収するミッションがあるとか」
「あ……そ、そういうのは、今は大丈夫」
「っていうか、ヨルくん小学生よね……? ノリで上げちゃったけど、おうちどこ? すぐ帰らなくて大丈夫?」
「今は、名古屋に住んでる。でも平気。親仕事であんまり帰って来ないし、ボクは天使だから、元々子供がいない人の家庭に、魔法で記憶を改竄して入居してるって感じなんだ」
スズメみたいに、書類と手続き上だけ魔法で誤魔化して、一人暮らししてる天使もいるけどね。ボクにとっては、現世でのホームステイ先みたいな感覚。
いざとなったら神様に誤魔化してもらおう……と考えていたら、ふむ、と考えるように手を口元にやっていたサキが、首を傾げた。
「なるほど。じゃあ、今日はうちに泊まってく?」
「泊っ…………!?!?!?!?」
「まあ、仮の家族とはいえ心配させない方がいいと思うし、学校もあるだろうから。いくら魔法があっても、急にうちの近くに引っ越すなんて難しいでしょ。
明日はお休みだし、それまではうちに居てくれていいけど、平日になる前に名古屋に帰りな。ね」
そう言って頭を優しく撫でられたけど、子供扱いされたことより、泊まっていいと言われたことに、泡を吹きそうになってしまった。
「い、い、いい!!!!! こっ、このあたりで泊まれるところ探すし、野宿でも魔法でなんとか……っ!」
「一泊でも、小学生が旅館のお金を出すには高すぎるでしょ。こんな寒い時期に野外でどうしようって言うのよ。たいしたおもてなしも出来ないけど、うちなら宿泊料とご飯代はタダだよ」
小さくウインクしたサキは、けれど、真っ赤になったボクの顔を見ながら、はたと気が付いたように、もしょもしょと手を動かしてよそを向いた。
「あ……で、でも、私と同じ布団がイヤとかだったら、別に無理しなくても……」
「そっ! そんなこと、……ない、です」
あまり勢いよく否定したら一緒に寝たがってるみたいだから、どう断ったらいいか分からなくて小声になっちゃう。
取ってつけたようなボクの言葉にも、ムラサキは、じゃあよし、と安心したように頷いて、前髪をわしわし撫でる。
やっぱり、夢を見ているみたいで、この距離感がなかなか慣れない。
「じゃあ、そういうことで。まだ晩御飯まで時間あるね。何か作るけど、その前におやつ食べよっか。貰い物のカステラあるんだ。あっ、でもスコーンなら簡単に作れるよ! 焼き立て食べたくない!?」
「ばっ、晩御飯作らなきゃいけないのに、今からそんな無理しないでいいから! あんた、着物で出掛けてて疲れてるんだし……」
張り切ってくれる気持ちは嬉しかったけど、サキが倒れないかの方が心配だ。
立ち上がりかけたパーカーの裾をつかんで引き止めると、サキは驚いたような顔をしてから、素直に腰を下ろしてくれた。
「……ありがと。ヨルくんはやさしいね」
ずっとあんたのことを見てるんだから、当たり前だろ、なんて。
格好良く言えたらいいのに、そんな言葉に限って素直に口から出て来ない。
照れ臭いのを誤魔化すようにして、サキの代わりにおやつを切ろうと炬燵を出た時。ぴんぽーんと、部屋のインターホンが鳴った。
「なんだろ。今日土曜だし、宅急便とか来ないと思うんだけど……」
「こーんーにーちーわーっ! ヨルくんここに居ますかぁ!!!」
インターホンより遥かにドでかい声がドアを破りそうな勢いで外からして、ボク達は顔を見合わせた。
「なんか、聞き覚えある声のような気がするなぁ……」
「ボクもそう思う」
ボクを知り合いだと勘付いたサキのことだ、多分こいつのことも、薄々正体を察するに違いないと思う。
そう予想したボクの隣で、スコープを覗いてからチェーンを外したサキは、ドアを開けながら笑い出しそうな勢いでその人物を出迎えていた。
「やっぱり。ちょっと違うけど、なんとなく誰かわかる感じの子が来た」
「はーい! 移動系魔法が下手っぴで一人で帰れないヨルくんの代わりにお迎えに来ました! スズちゃんこと雀愛ちゃんです! よろしくねー!」
「ちょっ、今ここでそんな事バラさなくていいだろ!?」
あんまり、サキの前でカッコ悪い姿は見せたくない。
そう思ったのに、舌を出した雀愛はいけしゃあしゃあと、ボクの失敗談を次々と暴露してしまった。一瞬で家族の一員のように馴染んだ炬燵で、出してもらったミルクティーとカステラをたいらげながら、ぺらぺら喋るスズを前に、ボクはもう勘弁してくれよという気分だった。
二杯目のコーヒーを前に、神妙に聞いているサキの顔を見上げられない。
「なるほどね、そんな事が……じゃあ余計に、このまんま夜羽くん帰らせなくてよかったねぇ」
「どの道交通機関で帰るつもりだったってば……」
「とか言って、サキちゃんの前で格好つけたいばっかりに、ベランダから飛び出していって墜落するんじゃない? スズの水晶玉占いではそうなってたけどー」
「うるさいっ!!!」
大声で誤魔化したけど、そうするつもりだったのでちょっと焦った。
占いなのに、雀愛の予見はよく当たるから怖い。
結局押し掛けた勢いでサキの分のカステラまでしっかり食べて、挙句の果て、雀愛はもう遅いから自分も泊まるとか言い出した。
「こ、これ以上迷惑掛けられるわけないだろ! サキ以外の家族だっているし、ご飯だっていっぱい……!」
「けどぉ、スズビンボーだから泊まれるお金なんてないしぃ、いくらスズの飛行魔法が優秀でも、ここから箒に乗って帰ったら二時間くらいかかっちゃうもん。お空も風が冷たいし、スズちゃん憂鬱だなぁー」
こいつ、確信犯か。
思わず雀愛の方を睨み付けながら、でもボクとサキが二人っきりになるより、もしかしたら一緒に居てくれた方が色んな意味でいいんだろうか、とちょっと複雑な気持ちになっていたら、サキが苦笑しながら手を振った。
「大丈夫よ、三人も四人も変わらんし。後で旦那に話してみるね。
でも、この家客用布団ないんだよなぁ。ヨルくんだけならともかく、スズちゃんまで私の布団に入るかな……」
「あっ! だいじょーぶだいじょーぶ! スズ頑丈だから炬燵で寝れるし、布団ならスズの分魔法でも出せるから!」
得意げに杖を振ったスズの前で、炬燵が一瞬のうちに寝心地良さそうな掛け布団と敷布団に変わっていた。実に見事だ。サキが目を真ん丸くしながら、炬燵の柄からアレンジされた布団を触っている。
「……見事なんだけど、ボクらの飲み物まで片付けないでくれるかな」
「あっ、メンゴメンゴ!」
てへーと笑いながらスズが杖を振ると、零れないように消えていたテーブルとマグカップが復旧している。唸りながら、サキがその様子を見ていた。
「すごいなぁ。魔法って、こんな事まで出来ちゃうんだ」
「ここまで来るのに、ほんと苦労しちゃったよぉ。スズ、これでも魔法使いとしてはヨルくんより長く生きてるからね。でも、ヨルくんももうちょっと修行すれば、このくらいちょちょいのちょいで出来るようになっちゃうから、楽しみにしてて!」
さりげなくボクにプレッシャーを掛けるようなことを言ったかと思うと、雀愛は米を研ぐサキの後ろに立って、エプロン越しにしがみ付いていた。まったく、さっきから本当に落ち着きがないな。
「晩御飯の準備、何かしよっか? 魔法でお料理はちょっと下手だけど、普通のお手伝いならスズでも出来るよ!」
「あ、ほんと? じゃあ、お米任せてもいいかな」
おっと、こうしちゃいられない。さすがに料理なら、ほぼ毎日ママの代わりに自炊してるボクも、負ける自信はないからね。
居場所を取り合うみたいにしてボクと雀愛が肩を並べるせいで、ちょっとサキを困らせてしまったかもしれないけど、その日の晩のおでんは、サキの旦那さんも太鼓判を押すくらい、とっても美味しく出来上がったと思う。